前回のあらすじ
E:天の神の祟り
E:?の呪縛
犬吠埼家は今日もうどんである。
赤嶺は宣言どおり、夜になっても帰ってこない。念の為用意していた赤嶺の分のうどんをぺろりと平らげた風は口直しにうどんをおかわりする。
高嶋の膝の上に乗った牛鬼は高嶋の服の袖を噛んでいる。どういうわけかとてもなつかれていていて、こうして友奈の元を離れて高嶋に張り付くことがある。
もうふたりも特に口出しもしない。可愛いマスコットキャラ的な扱いになっている。
「高嶋、赤嶺はホントに帰ってこないの?」
これでもかとうどんを盛られた器をどん、と置いて風は尋ねた。
「そうですね……連絡しようにもそもそも赤嶺ちゃんはスマホ持ってませんし……」
今時中学生ならば大体はスマホを持っている。もはや人間社会に浸透した三種の神器の一つ。人によってはこれなくして満足に生活すらできないまである。
もし赤嶺が持っていればメッセージを送ることができるが、反応してくれるとは正直思えない。いつ帰ってくるかわからない。しかし必ず帰ってくる。そんな漠然とした予感はあった。
とはいってもそもそもの原因はきちんと話していない。適当に誤魔化してはいるが、所詮はその場凌ぎでしかない。
友奈に確認すると、「私が次の機会に話すよ!」と頼もしい一言をもらったが、果たして皆がどう受け止めるのか。そこが問題だ。
「赤嶺さんはなんだか掴み所のない感じがしてましたね……」
うどんの上にネギを大量をまぶしながら樹が呟く。実質赤嶺が犬吠埼家にお世話になったのはたった数日。それだけで人となりを掴むというのは難しい。
「赤嶺ちゃんはしっかり者で、何を考えてるかわからない時もあるけどね」
「高嶋さんは少しだけ西暦の方で一緒にいたんですよね? この前、赤嶺さんは勇者じゃないって言ってましたが、何の御役目に就いてるんですか?」
妙に鋭い。
疑いを持たれているわけではなく、本当に純粋な質問のようだ。
風も気になるとばかりにうどんを口に含んだまま大きく頷く。
「うーん……ごめん、言わないでって強く言われてるから言えないなあ」
「そうなんですか……残念です」
「あ、でもでも! 結城ちゃんが皆が集まった時に話すって言ってたから明日にでも聞けると思うよ!」
両手を顔の前で振って付け加える。
「ああそっか。明日は月曜日でしたね。そしたら学校で……ってなりますけど、高嶋さん、学校に来れないのでは?」
「高嶋が学校に来たら、ドッペルゲンガーだ! って騒がれること間違いなしね」
風はにししと面白おかしく笑うと、手際よく器を流し台へと運ぶ。
その後樹、高嶋の順に食べ終え、ふたりの器も風が食洗機に入れてスイッチを押した。
と、ここでタイミングよく風呂が沸いた通知音が鳴り、軽やかな歩行で樹が浴室へと消える。
続いて風も自室へと向かった。しかし数秒ほどでリビングへと戻ってきた。重そうに抱える両手には参考書やらが積み上げられている。
「樹も言ってたけど、ちょっと真面目な話、どうする? あんたも一応は中学生なんだから、勉強とかはしたほうがいいと思うんだけど」
机の上にそれらを広げる風はいたって真剣な顔だ。
「そうですね……もし結城ちゃんに似てなかったら、そのあたりの問題がなくなって皆に合流しやすくはなりますけど……。でも、そもそも学費とかはどうなるんですか?」
メガネケースからシンプルなフレームのメガネを取り出して耳にかける。それだけでなんだか風が理知的な少女へと変身したように見える。
「なんでメガネ?」て訊くと、「勉強してたらちょっと悪くなった」とのこと。
受験生となれば忙しさは段違いだ。それに先日の騒動もあり、遅れを取り戻さないといけない。
「お金の問題は心配しなさんな。口座にどっさり入ってるから問題ないわよ」
「いやそんな、私のためなんかにそこまでは……!」
「高嶋が思ってる以上にあるわよ〜。なんせ大赦は超法規組織だし」
親指と人差し指で丸をつくり、いくつかそれを横に並べる。その数は桁を表していて、風の並べた数に高嶋は息を呑んだ。
「それに、初代勇者には帰っても頑張ってもらわないといけないからネ」
「……でもやっぱり、学校には行けないと思います。だから、私の学年に合った教材があればそれで大丈夫です」
「ん、そか。わかった。じゃあ明日の帰りにでも良さそうなの一緒に買いに行こっか」
問題集を開き、さらさらとノートの上を風がペン先が滑らかに走るのを眺める。
家の中では常に気を配り、気前のいいお母さ――これは言ったら怒られる――お姉さんという印象を強く持つが、机に向かって真剣に問題に取り組むさまはなんだか絵になる。
高嶋は風の学力を知らないが、これが受験生というものなのかと認識させられる。
勇者という身でありながら、受験生でもあるという板挟みのような構図。
思えば千景も風と同じ学年だ。少人数制だから普段は丸亀城で一緒に授業を受けているが、だからこそ明確な学年の違いというものを感じることがなかったのだ。
今、眼前で頑張って勉強している風のように、千景も頑張っているのだ。
そう考えると、自然に口元が緩んでいた。
風は気づいていないようだ。難しそうに眉尻を傾け、参考書とにらめっこを始める。
内心で風に応援の言葉をかけ、高嶋はそっとリビングを出ていった。
◆
月曜日がブルーマンデイと言われる理由は、端的に述べると憂鬱だからだ。土日と休みを経て学校という急激な坂は学生にはキツイ。
しかし勇者部はその真逆だ。
それは、東郷が帰ってきたからだ。勇者部が今度こそ全員揃ったことは何よりも喜ばしいことだ。
東郷に車椅子を押されながら、友奈は部室のドアを勢いよく開ける。
「結城友奈、ただいま到着しましたー!」
「同じく東郷美森、到着しました」
部室にはすでに四人が集結していて、クリスマスツリーの飾り付けが行われている真っ最中だ。樹の高さは天井にはいちおう届かないくらいで、どうやって運んできたかは聞かないでおく。去年はもっと小規模だったが、おそらく園子が乃木家の力をふんだんに使ったのかもしれない。
主に樹と夏凛が脚立を使って星やボール、リボンなどを丁寧に飾り付けている。
園子は風と机を向かい合わせにして受験勉強を見ている。あまりセンスの光らないメガネをかけて懸命に手を動かしている。視力が落ちたのだろうか。
「あれ? 友奈あんた、そんな厚着せずに脱いだらいいのに」
作業中の手を止めた夏凛が不思議そうに子首を傾げる。
暖房が効いていて寒さなんてないはずなのに、友奈は上にコートを着込んでいる。授業中もこのスタンスを貫き、先生に風邪を疑われたほどだ。
「い、いや、大丈夫だよ。私、寒がりだからさ」
「流石に暑いんじゃない? まあ……それでいいならいいけど」
車椅子を手動モードから電動モードに切り替え、左手でレバーを倒して東郷の手元を離れる。樹と夏凛の足元の段ボール箱に箱詰めされた飾りに手を突っ込み、手が空いたふたりに素早く飾りを手渡す。
一緒に脚立に登って手伝いたいところだが、友奈の身体ではそれは不可能だ。
「ありがとうございます」
「はい、夏凛ちゃんも」
「ん、サンキュ」
テキパキと見栄えが良くなっていくクリスマスツリーをぼんやりと見上げながら、友奈は来たるクリスマスに思いを馳せる。
新たな部員が加わり、さらに過去から同じ友奈がふたり。高嶋によると、赤嶺は姿をくらませたと聞いているが、今何をしているのだろうかとぐるぐると頭の中でそんなことが駆け巡る。
文字通り死闘を繰り広げたわけだが、御役目柄敵対しなければならない関係だとしても、赤嶺友奈という人間をもっと知りたい。ただの女子中学生としておしゃべりしたいという欲求が強くあるのだ。
そう考えている内に、高嶋との約束を思い出した。
この場に高嶋がいない――そもそも容易に来れないからだが――が、別に構わないだろう。
「あのね、赤嶺ちゃんのことなんだけど」
切り出すタイミングは絶妙だったようだ。
園子に丸付けをしてもらった風がガッツポーズをキメたまま友奈の方を見る。
「ああ、それ気になってたやつね。高嶋が友奈が話すからーって言ってたわ」
「そうそう、そのことです」
高嶋とは違って、まだ深いところまでが全く読めない人物。その一端が聞けるとなれば皆の手がピタリと止まって視線が友奈に集中する。
目覚めてから高嶋を抱いて海岸まで飛んで、赤嶺と対面、決闘。流石に一度殺されたところまでは伏せ、それ以外はなるべく詳細に語った。
想像以上に刺激の強い話だったことは、それぞれの表情から読み取れる。
ややあって、ぽつりと言葉を発して静寂を破ったのは東郷だった。
「同じ友奈でも、赤嶺さんは特異な人ってことね……」
続いてコメントしたのは風だ。
メガネをしたままだから、なんだか頭の良さそうなコメントに聞こえる。
「まあ家にいた時から友奈とはまた違った友奈だなーとは思ってたけど……対人特化っていうのが流石に驚きね……」
「私もそれ、気になった。ゆーゆ、鏑矢って確かに言ったんだよね?」
「う、うん……そうだけど、園ちゃんはなにか知ってるの?」
少し考える素振りを見せた後、園子は指先で空をかき混ぜながら言った。
「鏑矢っていうのは、矢尻に鏑っていう道具をつけて放つことで音を鳴らす矢のことだよ。昔、戦闘の合図としても使われてたみたい。他には部屋に飾って邪を祓う縁起のいいものとしても親しまれるよ」
園ペディアがスラスラと意味を解説する。
おぉ〜、友奈が感嘆するのも束の間、園子が難しそうな顔をする。
「たぶん、赤嶺ゆーゆはどちらかという後者の意味から来ているのかなぁ。神の業? っていうのに手を出したからゆーゆは狙われた。一回しか見たことないけど、あのスーツはすごく高性能に見えた。赤嶺ゆーゆの考える邪を祓うというのは、神の業を認めないこと……かな? それに発言から考えると鏑矢というのは複数人いるから、何らかの勢力に属している可能性が高いね」
いつになく真剣に思考の底に沈もうとする園子を風が声をかけて浮上させる。
「なんか物騒な話ね。じゃあ赤嶺がどこにいるか分からないってことは、また友奈の前に現れるってことでしょ? 危険じゃないの」
装飾のボールを片手に持って弄びながら夏凛が淡々と事実を口にする。
それだけで部室は静まり返る。
相手は対人特化の人間。覚醒したばかりの友奈より少し強いくらいならば、勇者の力でねじ伏せることは可能だろう。しかし友奈を除いてこの場の全員が対人のたの文字すら知らないド素人だ。
バーテックスとの戦いで身体が慣れているとはいえ、遥かに小さい標的を相手に戦えるか? それに、友奈と同じ顔に武器を振るえるか?
精霊の加護もないらしいから、当たりどころが悪ければ一撃で肉だるま。
非常に戦いにくい相手だ。さらに、勇者に変身しなければ満足に活動できない友奈を守りながら、だ。
「私が守るわ。友奈ちゃんを」
そう瞳の奥に決意の色を濃く現しながら東郷が友奈の後頭部を両腕で覆った。
「私はずっと、友奈ちゃんに守られてばっかりだった。だから今度は私が必ず守り抜く。たとえ人が相手でも、友奈ちゃんと同じ顔でも戦うわ」
「東郷さん……ありがとう。でも、もし本当に戦うことになってもあまり傷つけないでほしい……。赤嶺ちゃんは、根は優しくて良い子だと思うから」
「うん、わかった」
東郷の抱擁に、左手を重ねることで熱く応える。ふたりの姿はなんとなしに想い合う恋人のように見えて、四人は横一文字に唇を結ぶ。
ようやくふたりが離れることで場の雰囲気は息を吹き返し、ここぞ横槍の入れ時とばかりに園子が口早に話す。
「とりあえず私は大赦で鏑矢について調べてみるよ」
「じゃあ私とお姉ちゃんは高嶋さんと一緒に探しに……いえ、お姉ちゃんは受験勉強しなきゃだから、私と高嶋さんですね」
「それ言わないで、メンタル死んじゃう……」
「受験生は勉強を頑張るの!」
樹に強気に言われ、泣き喚く一歩前のような顔をして渋々机に向かう風。
それを尻目に確認した樹は大きくひとつ頷く。
「ううう……でも来週は樹の歌のショーがあるから頑張らないと」
「違うよお姉ちゃん! ショーじゃなくて街のクリスマスイベント! 学生コーラスだよ!」
なんと樹は学校代表として、来週街で開催される毎年恒例の学生コーラスへの参加県を頂戴したのだという。友奈の知らない間に樹の好きなことができて、成長を実感する。
ちらりと風の目の端に輝く涙を心の中で憐れんだ友奈の視界に、ふと壁に飾られたスローガンが映った。
それは、勇者部五箇条。その中の一つ、
『悩んだら相談』
が脳裏に何度も反復する。
同時に二つのことが電撃の如く友奈の中を駆け抜けた。東郷を助け出したときに胸に刻まれた気味の悪い紋様、そして――。
嫌なことを思い出したせいで喉を詰まらせ、小さく咳き込む。
それを上から重ねるように咳払いをして誤魔化した。
「ちょっと、相談なんだけど……!」
やや上擦った声。
もう一度視線が友奈に集まる。
思ったよりも強い声が喉奥から絞り出され、若干驚きつつも友奈は続けようとした。
「あのね、あの日本当は――」
しかし、それ以上言葉が紡がれることはなかった。
世界は灰色がかる。
時の流れは変わらないが、色彩の無くした時空で、赤い揺らぎが発生した。
発生源は、風たち全員の胸の位置。制服の上からでもはっきりと見て取れた。誰もこの異常事態に気づいていない。不思議そうに不意に止まった友奈の説明を待っている。
本当に誰も気づいてない……?
胸の奥底につっかえた塊を吐き出すような苦しさに眉間に皺を寄せる。小さく喘ぎ、友奈はひとりでに拳を握る。
そして、見る。
じわりとあの歪な紋様が、風たちの胸に刻まれている。それが何を意味するのかは、考えるまでもなかった。
「――――」
これ以上この話題を持ち出そうとすれば、取り返しのつかないことになるという根拠のない確信が友奈の勇気を挫いた。
「ええっと……もし借金を友達がこっそり肩代わりしたら、どんな問題が起こるでしょうか!」
恐怖に怯えながら友奈は全員の紋様を確認する。
……どうやらすでに消えているようだ。悪い予感は通り過ぎ、深い安堵とともに胸を震わせながら息を吐く。
「何よそれ?」
なかなか辛辣に言う夏凛。
「学級新聞に載せる問題……かな……? あはは……私にもわからなくて……」
「うーん、社会学の実証問題?」
より難しい言葉を持ち出し始められてはさらに本質が複雑になってしまう。かといってこのまま言い続ければまた今のような事態になってしまいかねない。
――余計な口を出すな。
そう言われているような気がして、友奈の心臓はきゅうう、と締め付けられる感覚に陥った。
……安易には相談できない。
和気あいあいと笑顔を浮かべて駄弁る皆を見ながら、友奈はより一層胸を痛めた。
◆
前回大赦本部に訪れたのは、勇者システムのインストールされたスマホを徴収するため。そんなことを言えば乃木家は車を出してくれなかっただろう。
しかし今回は違う。
ただ、シンプルな『質問』がしたいだけだ。文面だけだと誤魔化される可能性が高い。だから直接面と向かって聞きださなければならない。
高級黒塗りの車から降りた園子は大赦本部のゲートを潜る。
ゲートは二重構造になっていて、門番は重装備と軽装備の複数人が周りを巡回している。いずれも黒光りする銃を携帯していて、どれだけ厳重なのかが窺い知れる。
もし侵入者が入れば、二重ゲートで閉じ込め、銃で一斉射撃……だと思われる。
園子がゲートの前に立つと、警備所でパソコン作業をしていたひとりが慌ただしく手を動かし始める。
そして、ゲートが重々しく左右に開かれた。
顔パスである。
もしそっくりさんが現れたらどうなるかと疑問を抱くが、ゲートの上に設置しているカメラが人物認証しているのだろう。
エントランスに入れば、皆ぎょっとして園子に視線が集中する。乃木家の人間に向けられるものは畏敬にも似たものだ。しかし受付嬢の肝は大したもので、ちょこんとカウンターより少し頭を出す園子を変わらない営業スマイルで迎えた。
「こんにちは乃木様。今日はどのようなご用件で?」
「私と話せる、なるべく位の高い神官を出して。訊きたいことがあるの」
「承知しました。少々お待ちください」
受付嬢は奥へと消える。
このエントランス――大赦本部は神世紀初頭に大社から名称を変更する際に大規模な改築が行われたそうだ。一般的な、コンクリートなどで塗り固めるといったことはせず、なるべく木造りを主眼に置いている。木特有の、癒しを与える香りが鼻腔をくすぐる。さらに、何百年経っても老朽化が目に見えることもない。
近年耐震工事だとか何とかで騒がしい世間だが、そういった工事をしたという記録も特にない。そこは神樹様の加護だか巫女の力だかは園子にはわからない。
その辺りは大赦を改名する際に大きく貢献した御先祖、乃木若葉に訊かなければ。
奥から受付嬢が戻ってきた。
ぼんやりしていた園子は、急いで表情を戻して返事を受け取る。
「第参会議室でお待ちです。案内は――」
結構です、と丁重に断る。
大赦に二年も部屋に籠っていたのだ。移動することはできなかったが、暇を持て余した園子の頭には本部の構図は頭の中に入っている。
迷いのない歩行で指定された部屋へ向かう。すれ違う神官たちは白い裾を靡かせて仰々しく頭を下げる。
気持ちのいいことであるのは否定できないが、こうまでされると勇者部で対等な立場で接してくれる友奈たちにはやく会いたいという欲求が急激に膨らむ。
一般的な女子中学生としての日常が欲しい。
第参会議室の前に立ち、木製の引き戸を横にスライドさせて中に入る。会議室は質素な造りで、椅子や長机がぽつんと置かれているだけだった。引き戸の反対側の壁は抜けていて、その先に庭が広がっていて、砂利が波のように綺麗に敷き詰めて水の流れを表現する、枯山水の形式だ。
庭師が砂かき棒でリズミカルに砂利に溝を刻む音は、非常に耳障りが良い。園子に気づくと、庭師は深々と頭を下げて木々の向こうへと消えた。
視線を右に振り、存在感が希薄だった神官を視界に入れる。
女の神官だ。
白い装束に身を包み、白い仮面で顔を覆う。相変わらず大赦の正装はセンスを疑う。ホラー映画に登場しても違和感が仕事をすることはないだろう。
そんな場違いなことを考えながら園子は前を見据えた。
部屋は静まり返り、園子は僅かに喉を鳴らす。
「本日もご健康でなによりです、勇者様」
忘れるはずもない声。
仮面の上から垂れ下がる前髪を揺らす。
園子は堂々とした足取りで中へ進み、椅子に座った。用意されていた茶碗に注がれていたお茶を啜る。
苦い。
顔をしかめた園子は和菓子で口直しをする。
「苦かったですか? もしそうなら別のものを用意しますが」
「だ、大丈夫だよ。私だって大人になったんだから」
「まだ成人式を迎えてないはずでは?」
なんて失礼な。
頬を膨らませて否定する。
「自分を大人だと思えば、その瞬間大人になるんだよ……あ、もちろん子供でもあるよ」
都合のいい主張だが、これが子供の特権とばかりに自己を納得させる。
……別にこんなくだらない話をしに来たわけではない。
「……」
「……」
神官もわかっているはずだ。わざわざこうして直接話そうとするということは、それほど大切な話があるのだと。
さっきまでの当たり障りのない会話はあそびのようなものだ。
静かに園子は質問をした。
「――鏑矢って、なに?」
「……」
押し黙る。
待つ。
たっぷり十秒ほどしたあと、神官がゆっくりと言葉を吐き出す。
「なぜそれを?」
「はぐらかさないで。知ってるかどうかを訊いてるの。知ってるなら教えて」
「……」
「私、あんまり余裕がないの」
赤嶺が再び友奈の前に現れるという危険性は依然として拭えない。驚異的な回復力で明日にでも、なんてことがあるかもしれない。
鏑矢と名乗った以上、園子たちはその御役目について知らなければならない。たとえそれが赤嶺への有効打にならなくても、寄り添うことはできるかもしれない。
友奈が東郷にお願いした、傷つけないでという願い。それを守りたい。
「……やはり、赤嶺友奈と接触したのですね?」
「まあね。その様子だと、高嶋友奈……初代勇者様のことも把握しているようだね」
口ぶりから察するに、赤嶺と勇者部でどのような関係が築かれたかまでは把握しきれていないようだ。
実質四国の統治は大赦が行っている。西暦の時代に存在した政府は廃れ、ここまで台頭した。多少強引な手法をとっても大赦の元ならば黙認される。
できるだけ情報を聞き出す。
それが、園子の勝利条件だ。
「ええ。両名がこの時代にやって来た瞬間から神樹様は知覚しています」
「そうなんだ。じゃあまわりくどい話はいらないよね? ……もう一度聞くけど、鏑矢って、なに?」
微かに怒気の孕んだ質問。
仮面で表情は窺えないが、間違いなく仮面の裏で変化があったように見えた。
これまで微動だにしなかった神官が庭の方に身体を向けた。
「……人は神より下でなければならない。ただ神の恩恵を授かる小人であれ」
突然飛び出した聞き慣れないフレーズに、園子は眉を潜める。
「神を汚してはならない。神を貶してはならない。神を疑ってはならない。恐れよ。崇めよ。平伏せよ。そしてゆめゆめ思うな。人が、神の業に辿り着こうなどと」
「――――」
「……もう、おわかりですよね?」
的確な言葉だった。
それ以上の言葉は不要……それどころか、蛇足になる。園子の優れた頭脳はほぼ完全に鏑矢とは何かを理解した。
お茶はもう、苦くなくなっていた。
「ゆーゆは以前の戦いで神の業に手を出した。でも入院している間、誰も襲ってこなかった。赤嶺ゆーゆが鏑矢であることは疑いようはない。なら……」
もしかしたら赤嶺は人知れず襲おうとしていたのかもしれない。しかしそれは園子が本人に訊かない限り知る術を持たない。
だからこそ、これは核心に触れる質問。返答次第では友奈に迫る危険が一気に高まる。
「……この時代の鏑矢はどこにいるの? そのルールに従うなら、普通に考えてゆーゆを襲っているはずだけど」
そう、これが真に訊きたかったこと。
勇者部の皆は赤嶺友奈という単体の脅威として鏑矢を認識しているが、本質はそこではない。
鏑矢に目を付けられたという点だ。そもそも赤嶺は過去の人間だ。ならば当然、現代に存在する鏑矢の標的にもならなければおかしい。赤嶺の戦闘能力は巫女による祝詞の付与によって強化される。
赤嶺がいつの時代の人間かまではわからないが、鏑矢の基礎システムは勇者システムを流用したもののはず。少なくとも何らかのアップデートがされているとみなければならない。
それこそ、戦闘能力の向上だったりだ。
しかし、答えは全くの予想外のものだった。
神官がこちらを振り向く。やはり仮面越しでは表情はわからないが、間違いなく目が合っていると確信できる。
そして口を開く。
「鏑矢計画は第二世代で頓挫、破却されました。以降二百年以上……現在に至るまで、鏑矢は存在しません」
◆
苦しい。
強い飢餓感に赤嶺は喉を詰まらせる。
一番安い、コンビニで買った塩お握りを貪る。
赤嶺は己を恥じると同時にほぼ空になった財布の中に指を突っ込む。手提げのビニール袋には残り一つの焼きおにぎりと、大量のプロテイン。
今になって、蓮華に料理全般を丸投げしていた理由を痛感した。
つい目に入った、陳列されたプロテイン。連鎖的に視線は横へ滑り、目につくものを片っ端から買い物かごに突っ込んだ。
衝動買いである。
これでどうやって生活していくのか。
ひもじい。
昨晩は人気の無い橋の下で夜を明かした。スーツを着ていれば極寒の寒さなんてなんのその。快適とまでは言えないが、十分生きていける。
もうここは赤嶺の活動拠点となりつつある。すぐ眼下の川はそこまで汚くないし、最悪この水を啜るつもりでいる。
しかしプロテインではさすがに生存不可能であることは赤嶺もよく理解している。
脳内蓮華がやれやれと肩をすくめている。
お金がないのは大問題だ。何かしら働き口を得なければならない。しかし中学生を雇ってくれるところなんて……新聞配達とか?
走って届ければ自分の鍛錬にもなるから一考か?
とりあえず今日は食いつなげた。明日にでも動き始めようと口の端についた米粒をぺろりと舌を伸ばして口に含んだ、その瞬間。
赤嶺の意識が一瞬にして切り替わった。
全身に鳥肌が立った。
グッと身が引き締まる。
自分の胸に赤い斑点……光点が当てられているのを見た。
脳を介する必要はなかった。
「――――」
脊髄反射で右腕を胸の前に斜めに突き出し、装甲を張る。
じゃりいいん! と装甲同士が擦れて鋭く鳴る金属音と、ドン、とどこかで響いた耳をつんざく重い射撃音は、全く同じタイミングだった。
刹那、腕ごと持っていかれそうな力を受ける。歯を食いしばり、一際激しく散る火花が、橋の下を昼のように明るく照らした。
勇者の拳撃にも耐えたはずの装甲が、たった一発の銃弾で完全に破壊されてしまう。破砕音を爆発させて欠片が地面に散らばる。なんとか弾丸は防ぎきることには成功したようだ。
その辺に転がっているはずの弾を確認して種類を特定したいが、夜だから足元も暗く、さらにまた第二射がすぐに来るかもしれない。
離脱を選択した友奈は素早い動きで橋の上へと駆け上がり、撃たれたと思われる方向を睨みつけた。
腰のポーチから投げナイフを三本指に挟んで五十メートルほど離れた脇道、その木々の茂みに投擲すると、三つの硬い音が連続して返ってきた。
少し離れているから、距離減衰を考えると、別にそれで倒せるとは思ってない。
しかし居場所を掴めたから良しだ。
ガサガサと茂みが大きく揺れ、赤嶺の命を狙った人物がのっそりと姿を現した。
街灯に照らされ、急接近するでもなくゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。
……少女だ。
身長は……赤嶺より少し高い。推定年齢は同じくらい。濃い褐色肌で、輝きを放っているのではないかと錯覚してしまうほどの純白の髪。容姿はバイザーで隠れていてわからない。
「いやー怖いねぇ……」
敵の姿を今一度観察し、赤嶺は率直な感想を口にする。
驚くべきことはふたつある。敵が両手に抱えている得物はどう見ても対物ライフルだ。少なくとも十キロもあるそれを軽々と持ち運ぶ時点で相当である。
それともうひとつ。
……あの光輪はなんだ?
少女の背中の部分には歯車の歯をびっしりと敷き詰めたような物体が浮遊? している。その色は深い蒼色で、少女がそもそも人間かどうか疑わしくなってくる。それに頭部付近の黄金の装飾? も気になる。
ガコン、とリロードして空薬莢が排出される。
互いに言葉は交わさない。
しかし赤嶺は指の背に金属を纏わせ、いつでも戦闘できるぞと無言で威嚇する。
距離が十メートルを切ったところで、少女は突然足を止めた。
自己紹介か何かするのかと思い、相手の出方を伺っていると突然、驚異的な速度でこちらに銃口を向けた。
「は⁉」
身体を横に投げ出す。
発射音が轟き、赤嶺のいたところを弾丸が突き抜ける。突風が横髪を大きく揺らす。
そして、
「――ふむ、流石は鏑矢だな。不意打ちが無理なら、まあこれも無理だろう」
と、初めて言葉を発した。
ややアルトがかった低い声。
同時に対物ライフルから手を放すと、しゃららん、と花弁と共に消滅した。
その様子を見て赤嶺は只者ではないかもしれない、から、只者ではない、へと評価が引き上げられた。
対物ライフルは立ったまま狙撃できるような代物じゃないのに! その二本のスパイクは何のためにあると思ってんの!
「突然物騒だね。何の用かな?」
そう、心を静かにして問うた。
少女は冷たい声で返す。
「お前は消えなけれらならない。……
いやらしい言い方だ。
「まあね。歴史の修正力ってところ?」
答えない。
つまり肯定という認識でいいのだろうか。
「土居球子には手を焼かされたよ。あんなことを言わなければあそこでお前を処分できたというのに。おかげで私もこの時代に飛ぶ羽目になってしまった。しかも高嶋友奈も一緒ときた。……よくもやってくれたな」
この少女が言っているのは恐らく、時間遡行の直前。赤嶺が七十二年と言おうとしたところ、球子がラッキーナンバーだから三百年、と口を挟んだことだろう。
つまり、あそこで球子の言葉がなければ、まちがえないように丁寧に年を設定しようとしていた赤嶺は殺されていた、ということになるのか……?
「それはお疲れ様。お互い苦労してるっぽいね。せっかくだし今からどこか食べに行かない? ほら、初対面だからさ」
気を紛らわそうとジョークを投げかける。
もちろんお代はそちら持ち。雀の涙しかない財布は使えない。
しかし当然の如く反応は良くなかった。それどころかみるみる機嫌を悪くしてしまったようだ。
キュッと結んでいた口が開かれる。
「すぐに終わらせてやる」
後ろの光輪が回転し、少女の両手に双剣が収まる。刃渡り三十センチほど。街灯の光に反射して鈍色の光沢を放つ。
「女の子がそんな怖い言い方したら駄目なんだよ」
「鏑矢がよく言う」
少女が鼻を鳴らす。その動作で、不意に蓮華を思い出してしまう。
しかしどう見ても外見は似ても似つかない。口調は蓮華のものを固くした感じ。
こいつは蓮華ではない。
ただの敵だ。
殺すべき敵だ。
「はやくお前たちを殺さなければ、この時代は……破綻する。取り返しのつかないことになる。お前たちは死ぬよりも酷い後悔に襲われる」
「ふーん、でも死にたくないから抵抗させてもらうよ? ちなみにお名前を伺っても?」
「お前に名乗る名はない。赤嶺友奈と高嶋友奈の処分が完了するまで、私はお前たちを追いかけ、必ず殺す」
そう言って、少女は切っ先を赤嶺に向けた。
殺しのスイッチを入れる。友奈は赤嶺を無力化しようとしていたが、この敵は違う。明確な殺意を持っている。
少女が双剣を地面に水平にゆっくりとした動作で斬り払うと、刃にボウッ! と炎が纏った。
それは反則でしょ⁉ と目で訴えながらも赤嶺は呼吸を整えて心を殺し、獰猛な眼で敵を睨みつける。
そして。
ふたりは同時にレンガの地面を蹴った。
ずーっと以前から存在を匂わせていた人物がようやく満を持して登場
スネーク風に言うと、「待たせたな」
歴史の修正が始まる
それではまた次回!