結城友奈は勇者ではない   作:mn_ver2

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ゆゆゆいとは違って、このssの赤嶺チャンは鏑矢としての側面が強い
今回はキリがいいので、いつもより少しだけ短め

前回のあらすじ

歴史に介入する者、命を差し出せ


恐怖

 そもそもこいつはどれだけ強い?

 赤嶺は熱を放つ刃が鼻の先を通り過ぎるのを見ながら冷静に考える。

 こいつは名乗らなかったから適当に『敵』と呼称しよう。

 肉迫からの第一撃は、刃に対して垂直に繰り出された右の拳によって相殺する。

 ぎぃいいん! と鈍い音が滑り、続けざまに振り下ろされた二本目の剣は、左腕を突き出して装甲で受け止めた。

 普通の服ならば、パチパチと爆ぜる火の粉が燃え移って大惨事になるが、このスーツはその限りではない。

 逆に冷え切った身体を温めるにはもってこいだ。

 

「おおおッ!」

 

 まずは一撃。

 赤嶺の拳は敵の横腹をあっさりと捉える。

 別段特殊な防御機構があるわけでもなさそうだ。

 肋骨を砕く確実な感触があった。

 敵は口を歪めて大きく後ろに飛んだ。

 

「弥勒蓮華とは違って、そのスーツはなかなかに凶悪だな」

 

 相当の痛みを感じているはずだが、敵は涼しい顔で冷静に赤嶺の戦闘能力を評価する。

 スーツの損傷、軽微。しかし度重なる戦闘によって無視できないダメージが蓄積している。

 敵の手の内がまだ明らかになっていない。まずはそれを白日の元に晒させるか、それとも賭けで短期決戦を臨むか。

 赤嶺は熱い息を吐いて沸騰しそうな脳を冷やす。

 

「……レンちを知ってるんだ。まあ歴史を修正する人なら知ってて当然なのかな。……そういえば、私がもしここで死んだらどうなるの? それこそ『取り返しのつかないこと』だと思うんだけど?」

 

 ここで赤嶺が消えれば、それこそ本末転倒だ。

 あの部屋で腕時計をつけ、蓮華と不意の別れになり、そのまま永遠となってしまう。

 それだけは、駄目だ。

 そもそもの根底、目的を忘れるな。

 目的は、神世紀七十二年に帰還すること一点にある。腕時計の原理を解明し、もう一度起動させる。そして帰るのだ。自分がいるべき時代へ。

 そのためにもまずは、この敵を乗り越えなければならない。

 その障害は、双剣の放つ火に照らされた口元に不敵な笑みを浮かべた。

 

「心配はいらない。部外者であるお前はここで死ぬが、あの時代のお前が消えるわけではない」

 

 なるほど。

 なら今の危惧は杞憂に過ぎないのか。

 ここでの死は、過去の赤嶺友奈を消滅に直結するわけではない。

 ……でも。

 

「だからって、ハイそうですかって命を差し出すわけ、ないでしょう?」

 

「もちろんわかっているとも。だから、私が殺してやるのさ」

 

 リーチの短い双剣では難しいと考えたのか、双剣を消滅させて一振りの直剣を手に収める。

 どれだけ武器隠し持ってるの? と突っ込みたくなるが、もしかしたらあらゆる武器を網羅している可能性すらある。

 倒すのは一苦労するかもしれない。しかし大きなダメージは与えられた。優位性はこちらにある……と考えたい。

 動いたのは赤嶺だ。赤黒いスーツは闇夜に紛れて敵の視界に捉えられにくい。緩急をつけて苛烈なステップを踏む。

 普段なら目を見て外れたかどうかを確認できるが、敵の目はバイザーに隠れているから判断が難しい。

 ならば、完全に後ろをとるだけ。

 顔だけを左右に振る敵の背後に回る。

 ――とった。

 急激な方向転換。口の端から鋭く息を吐き出し、拳に渾身の力を込める。腰の横に添えた腕の筋肉が盛り上がる。

 背骨を砕かれれば流石の人外野郎もダウンするだろう。

 そう思っての拳撃。

 ついに敵がこちらを振り向くことはなかった。

 しかし手首を器用に捻り、直剣を背中へとまわした。

 衝突。

 金属同士が激しくぶつかり合い、脳髄を沸騰させるほどの鈍い音が爆発する。

 

「はあああああっッ!!」

 

 直剣にヒビを刻んだところで勢いは消えるが、赤嶺は素早く切り替えて正面に飛び込んでラッシュを放つ。

 一発一発に殺意を込めて、目を剥いて吼える。

 敵の腕、腹、顔面、命中。抵抗はなし。

 最後の一発は胸のど真ん中。友奈を殺したものとまったく同一のもの。

 即ち。

 是、命を断つ拳撃。

 ズパン! と冷え切った空気に音を叩きつける。

 

「グ、ぉ……」

 

 ここで初めて敵がダメージを受けたリアクションを見せた。口を歪めて苦悶の声を漏らす。

 だが殺すまでは至らなかった。友奈は元々身体が弱っていたから有効であっただけで、この敵は健康体そのもの。

 そして同時に、赤嶺はある違和感を覚え始める。

 

 ……こいつ、あまり強くない?

 

 直剣を振るう太刀筋にキレがない。

 老若葉は愚か、蓮華にも遠く及ばない。振り出しを見ながら回避することもそれほど難しくない。

 それにこちらの攻撃はだいたい当たる。隙が大きい。動作の一つ一つが大振りで、簡単に懐に潜り込める。

 奇妙な感覚に、赤嶺は怪訝な表情を浮かべる。

 自分が強くなったのか? それとも敵の強さはこれがデフォルトなのか?

 友奈よりも弱い。それに、この身に届く殺意は薄められたカルピスのようだ。不透明で、淡くて、スッと喉元を通り過ぎる感覚。

 本来ならもっと鮮明で、他のものを寄せ付けないほど色濃く、かつ喉を詰まらせるほど鋭かったり、ねっとりしたものでなければならない。

 この程度で、殺しにやって来ただって?

 ――舐められたものだ。

 友奈は赤嶺の本気の殺意を向けられ、さらに殺しても立ち向かってきた。恐らく神の業によって蘇生したからそこまでは流石に求められないが、それくらいの気概は見せてみろ。

 殺す。絶対殺す。

 これまで半端だった殺しのスイッチが必要以上の力で押し込まれて壊れる。

 

「お前、本当に私を殺すつもりなの? だとしたら失望だよ。私を過小評価したね? その罪は命で償ってもらおう」

 

 感情を殺した白い声で乱暴に言い放つ。

 

「そいつは心外だな。だが、それでいい(・・・・・)

 

「?」

 

 妙にあっさりと受け入れる敵。何を考えているかまったくわからない。恐らくこいつは人間的な何かが欠落している。

 ゆらりと不気味に身体を震わせ、敵はゆっくりと足を踏み出す。直剣の先端を地面にガリガリと擦りながらだ。チリチリと赤い火花が敵の足元に生じる。

 赤嶺はぐっ、と力を溜めた後ろ足を爆発させて一撃を叩き込む。

 そのバイザーが気に食わない。変にカッコつけたようなデザインが無性にイライラさせる。まずはそれを木っ端微塵に破壊して、裏に潜む顔をもぐちゃぐちゃにしてやる。それから丁寧に、愛でるように殺してやる。

 滑らかな曲線を描いて拳が吸い込まれる、直前――

 

「――⁉」

 

 それだけは超反応で直剣の側面部分を向けて受け止められた。

 しかしついにヒビが全体にまで広がり、破片を撒き散らしながら崩壊する。

 

「その眼は影を写している。虚ろで、内には何も宿さない空っぽな抜け殻。そう、自分でも思わないか? ……自分が酷い顔をしているって、気づかないか?」

 

「は?」

 

 何も場違いなことを、と思った。

 この眼は殺すと決めた時にするもの。それに光などあるものか。ドス黒くて、歪。心を殺して相手の生を奪い取る刃となるために必要なものだ。

 熱く滾った身体から、白い蒸気が焔のように揺らぎ出る。鼻の穴を大きくして深呼吸、興奮のを少し落ち着かせる。

 

「酷い? 何を言っているの? 殺しに温情など不要。それはわかっているはずだよね?」

 

「いいや? 殺しにも色々な種類があるとも。愛情のある殺し。ふと激昂に駆られた殺し。どうしようもなくて悔しさ混じりの殺し。お前はそんな『殺し』を知らない。ただ敵を目的達成のための障害としか思わないお前に、これらはわからない。案外、安っぽい刑事ドラマも馬鹿にはできないぞ?」

 

「……私、ドラマとか特に興味ないんだけど」

 

「ものの例えだ。とにかく、お前は殺しに無頓着すぎる。その根本的な思考を剥がさなければならない」

 

「なに私の先生にでもなった気でいるの? 気持ち悪いんだけど。私より弱いくせに、偉い奴ぶってさ」

 

 とことん嫌な奴だ。

 赤嶺の逆鱗すれすれを爪先が触れないように掠める絶妙な歩み寄り。それが余計に腹立たしい。

 殺しに感情はいらない。鏑矢は、殺す時は殺す。そう、蓮華と静、さらには老若葉とも誓いを立てたのだ。悪を祓う矢となり、粛々と御役目を全うする。

 敵は再び双剣を手にする。そして手を払えば、ボウッ! と今度は炎を纏う。敵も実力差はよくよく理解できているはずだ。

 しかし引き下がらない。敵の闘志は未だ衰えるところを知らず、寧ろ初めよりも気迫を感じる。

 なぜだ。無理とわかりきっている戦いに、なぜ挑む。

 赤嶺ならば、逃げる。

 逃げて、今一度態勢を整え、今度こそはと強く胸に刻む。

 その愚かさは命を投げ出すのと同義だ。

 赤嶺は怪訝な顔でゆっくりと歩を進める。

 

「逃げなよ」

 

「逃げないさ」

 

 速やかな返事。

 そのいっそ清々しいほどの態度がつくづく気に食わない。

 この一合で終わらせる。

 そう、決めた。

 敵の腕に力が入ったのが、よく見えた。

 佇んでいる。欠片も闘志が淀むことはなく、赤嶺が応じないことなどないと、微塵も疑わない素振りで、そこに。

 ――ここで、赤嶺にはふたつの選択肢がある。

 それは、敵を殺すか、それとも情けをかけるかだ。

 しかし後者は間違いなく敵が受け入れないだろう。だから必然的に選択肢は絞られる。

 それに、ここで逃してもまた必ず襲い掛かってくるだろう。それこそ、今の赤嶺と友奈の関係のように。

 

「あーもう。煩わしいなあ」

 

 ガシガシと頭をかき毟り、苛立ちを隠さずにそう言い放つ。

 敵は無言だ。

 赤嶺を待っているのだ。

 

「……クソ」

 

 悪態をつく。

 次で、必ず赤嶺が勝つ。

 憶測や確信などではない。

 これは確定だ。

 それでもなお挑む理由がやはりわからない。どうせ尋ねてもうやむやにされそうだ。

 ……生きる。

 生きなければならない。この身がこの時代の異分子だとしても、ここに赤嶺友奈という存在は確かにあり、鏑矢としての誇りもある。

 そして、いずれはもう一度友奈とも対面しなければならない。

 あの戦いで得た『何か』をきちんとしたものとして理解したい。

 それが、叶う気がするのだ。

 だから、生きる。

 そのために、殺す。

 敵を睨む。既に双剣の間合いに赤嶺は入っていた。

 足を止める。敵も足を止め、面と向かって睨み合う。

 これだけ接近しても、容姿はわからない。

 しかしバイザーの裏で言葉にできない強い意志の存在は、間違いなかった。

 

「……私は征矢。ただ敵を殺すためだけの矢。鏑矢、赤嶺友奈。今一度警告しよう。ここで死ね。さもなければ――」

 

「――うるさい。お前が死ね」

 

 突貫。

 炎々と燃え盛る、朱の軌跡を描いて二本の刃が正確に赤嶺の首筋に流れてくる。

 それを、走りながら勢いよくスライディングすることで回避。

 初撃がこうなることなど敵も想定済みだ。待ち受けるのは鋭い蹴り上げ。それは脚を折り曲げてすねに展開している装甲で受け止める。

 ぶぉん、と重い音と共に敵……征矢の足先が衝突する。

 瞬間、全身に激しい揺れが波となって頭頂部まで何度も押し寄せてきた。ぐらりと視界がブレる。

 だがすぐさま平静を取り戻して右の拳で地面を殴りつけて立ち上がる。

 ……見える。双剣の炎という光源が、己の位置を、征矢の位置を正確に照らしてくれる。タイミングをズラして迫る死。

 遅い。その剣筋はすでに見切っている。

 交差させて腕の装甲で弾き飛ばす。

 膂力もこちらが上。呆気なく双剣は征矢の手元から離れ、回転しながら高く舞い上がる。

 

「温い!」

 

 大きく仰け反り、赤嶺の目の前で晒した隙。

 お得意の武器生成も間に合わないほどの速度で征矢の身体を滅多打ちにする。鋼鉄でコーティングされた拳は次々の征矢の肉体を打ち、内臓を壊し、骨を砕く。

 

「あ、ガ……!」

 

 征矢はされるがままだ。赤嶺の覇気迫る勢いにまるで反応できない。

 そして。

 重力に従って落ちてきた双剣をキャッチ、下からの斬り上げて右の肩口から下を切断する。

 びちゃり、と肉の落ちる音と悶絶する声が混ざる。

 まだ止まらない。

 もう片方で、深々と胸に突き立てた。

 狙いは心臓。間違いなく捉えている。剣越しに重い感覚が手に伝わる。

 双剣の炎は征矢の肉を灼き、焦げる匂いが鼻につく。先端は背中から突きつけている。

 伝う血はあっという間に黒くなり、「コホッ」と征矢が乾いた咳をした。背後の光輪も次第に光が弱くなり、完全に神々しさが失せると灰となって消える。

 胸の剣はそのままにし、一旦距離を取り、血まみれの身体を睨み上げる。

 普通の人間であるのならば、今ので絶対に死んでいる。

 だが、征矢はそうではなかった。

 まだ生きている。しかしどう見ても致命傷であることは明らか。

 ごぽりと口から大量の血を吐き出した征矢は、不穏な笑みを口の端に浮かべると、残された左腕を伸ばして柄を掴み、勢いよくそれを引き抜いた。

 ほぼ炭化した血肉が飛び散り、赤嶺の頬に付着する。

 

「――――」

 

 いったい……何をしている?

 それは、死を早めるだけだ。

 

「は、は、は、は、は――」

 

 笑っていた。

 ひとつの音を発する度に血を吐きながら、笑っていた。

 本当に、楽しそうに、笑っていたのだ。

 全身の毛が逆立つ。

 さっきまで、言動や素振りなどからこいつが嫌いだったが、今は違う。

 同じ人間として……同じ生き物として嫌いだ。相容れない存在だ。生理的嫌悪というのはまさにこういうことを指すのだろう。

 一秒でも長く征矢を視界に入れたくなかった。すぐにでもその首を断つために自然と脚に力が入っていた。

 でも、しなかった。

 それはなぜか。

 それは、恐怖していたからだ。

 赤嶺は鏑矢に就いて初めて、恐怖を感じた。

 

「ハ、ハハハ、ハハ、ハハアアアァァァ――!! あかみねぇェ……ゆうなあああぁァァッッ!!」

 

「――――ひ」

 

 征矢が構える。

 まだ戦おうというのか。

 もう一度殺さないといけないという強い使命感に駆られた時に、身体がずっと小刻みに震えていたことにようやく気づいた。

 不味い。今、最高のパフォーマンスができる自信がない。

 ……戦いたく、ない。

 あってはならない考えが脳内を駆け巡った。

 もし蓮華がいれば鼓舞してくれるだろうが、ここにはいない。赤嶺独りだけだ。誰も赤嶺の背中を押してくれない。

 距離は十分離れている。征矢は燃える剣を振りかざしているが、間合いからは遠い。とはいっても今の征矢は異常だ。およそ人間ではない。

 刹那の間に空間を縫って距離を詰められるかもしれない。

 安定しない物腰のまま構える。カチカチと刃先が小さく鳴る。心無しか、纏う炎の勢いも弱くなっている気がする。対して征矢のものは一際熱く燃えている。

 ……その身の毛もよだつ佇まいは、まさに化け物……獣だ。

 

「HAHAHAHAHAHAHAHA――!!」

 

 その声は、人のものではなかった。

 やや化け物の咆哮が混じったような奇怪な哄笑が闇夜に野太く響く。

 そして剣が振り下ろされ――

 

「――――、は?」

 

 ――自分の首を横に貫いた。

 

「ぇ、は?」

 

 何を……したのだ?

 あまりに衝撃的すぎて、赤嶺は数秒その場から動けずにいた。

 やっと理解した赤嶺の先には、仰向けに倒れる征矢がいた。

 まだ哄笑を続けている。

 

「RRRRRR――」

 

 いや、嗤って……いるのか?

 次第にノイズがかり、哄笑はただの高音の高周波となり……やがて聞こえなくなった。

 それでもゆっくりと征矢の口元が動いているのが見える。

 醜悪に歪ませ、大きく嗤っている。

 口からは夥しい量の血を吐き、あっという間に自分の身を血の海に沈める。

 

「…………」

 

 赤嶺は『それ』から目が離せなかった。

 視線が固定される。なぜなのかも、わからない。

 ギロリ、とバイザー越しに目が合ったのを直感した。

 骨の髄まで凍りつくすような恐ろしい視線に、赤嶺は吐き気を催した。

 

「……うッ」

 

 そして再びひび割れた音が聞こえる。

 

「お前、と……高嶋友奈は……必ず殺す……」

 

「…………死ね」

 

「それは……私に辞令が下った瞬間、確定されている……」

 

「死ね……死ね」

 

「だから、安心しろ……私はお前たちに、愛情のある殺しを与え――」

 

「死ね!!」

 

 右手に握る双剣の片割れを躊躇いなしに、豪腕を振って投擲する。

 吸い込まれるようにそれは話し続ける征矢の口を貫き、大きく縦に裂いた。

 

「死ね! 死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……死ね!!」

 

 語彙力のない幼い子供が必死に罵るような口ぶりで、赤嶺はひたすらそう叫び続けた。

 そこまでして、やっと征矢から視線を外すことができた。

 後ろを向き、足早にその場を去ろうとする。

 あの橋の下の拠点は、捨てよう。ここにはもう一秒たりともいたくない。ここにいると、この恐怖をもう一度思い出してしまいそうだから。

 

「ぞれでいい……! ぞれ゛で、いい゛……ッ!!HAHAHAHAHAHAAAAAAAAああぁぁァァ――!!」

 

「ッ!!」

 

 振り向いてしまう。

 そこにはさらに大きく嗤う、征矢の姿があった。ぱっくりと顎まで縦に裂けた肉が大きく開いている。歯が欠け、舌は千切れている。

 だが、それ以上のことをすることはなかった。

 ゆっくりと、ゆっくりと征矢の装束の特定の部位が放つ光が淡くなっていく。

 そして完全に消えると、それに連動するように、征矢の活動も停止した。

 死んだ……のか?

 赤嶺は小さじ一杯分の浅い呼吸を何度も繰り返しながら警戒しながらにじり寄る。身体に刺さっていた双剣はすでに消えている。

 横腹を爪先で軽く蹴る。

 ……反応はない。

 どうやら本当に死んだようだ。

 かといってこのままにしておくわけにもいかない。鏑矢は基本、矢で昏睡状態にした者を見せしめとして人目につく場所に放置するが、今回はその逆だ。

 ……死んだと思われるが、それでも念には念を。

 ポーチから小袋に入った燃料を征矢の身体に撒く。そして両の拳を擦り合わせて火花を生じさせ、骸は炎に包まれた。

 炎に照らされた自身の姿をぼんやりと見下した赤嶺は、

 

「……気持ち悪い」

 

 と吐露する。

 血色に染まったスーツ。

 鏑矢としてのの御役目でこのようなことは何度かあった。でも、今回は違った。

 べっとりと付着した血があまりにも汚れているように見えて、とうに骨になっていた骸を脇道へと力いっぱい蹴り飛ばし、閃光の如きスピードで川へと飛び込んだ。

 川の水で取り憑かれたようにゴシゴシと血を洗い流す。水を掬い上げ、浴びるように頭からかぶる。急速に体温が下がるが、そんなことはどうでも良かった。何度も何度も。指先の感覚がなくなっても続けた。

 怖かった。

 それを、冷たい水で流せるなんて、根拠のない願望を抱いて。

 でも、そんなことができるはずもなく。

 あの恐怖が。あの哄笑が耳にこびりついている。

 あんなの、人間ができるものではない。

 そうして、いつの間にか赤嶺は川の中に膝を突いていた。

 そっと頬に流れる暖かいものを指で拭う。

 ……誰もいない。

 赤嶺を支えてくれる者は、誰もいない。

 蓮華も静も、ここにはいない。二百年以上も昔にふたりはいる。

 ここで、自分は独りであると赤嶺はようやく気づいた。

 歯の隙間から嗚咽を漏らし、両手の中に顔を埋め、止められない雫を流し続けた。

 知らない時代に放り出され。刺客に恐怖を植え付けられ。もう二度と征矢が現れることはないが、長い時間をかけないと、この心の傷は癒えないだろう。

 でも一人では。独りでは……。

 

「怖いよ……助けて、レンち、シズ先輩……」

 

 救いを求めるか細い声が過去に届くはずもなく。ただ冷たい夜風に晒され、霞み、消えていくだけだった。




征矢、討伐
鏑矢、孤立

それではまた次回!
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