結城友奈は勇者ではない   作:mn_ver2

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今日でちょうどこのssを投稿し始めて半年が経ちましたー!
正直ここまで続くとは自分でも思わなかったけど、執筆も、挿絵も頑張るよ! だからもうしばらく付き合ってね(ドス黒いにっこり)

前回のあらすじ
風は牛鬼に守られ、祟りの被害を免れた


愛の歌

 後悔と自責に、友奈の心はきつく締め上げられる。

 食事は満足に喉を通らず、まるで鉛のようだった。

 目を閉じれば、風に打ち明けようとした情景が瞼の裏に嫌でも映り込んでくる。そこから逃げようとひたすら強く目を瞑り、数度頭を振る。

 やがて疲れ切ったのか、友奈は頭を抱えながら自分の机に突っ伏した。

 ……なかったことにしてしまいたい。なかったことにして、今日は皆といつも通り楽しく過ごした。そんな一日だったと捏造したい。

 不可能だとわかっていても、そう願わずにはいられなかった。

 意味もなく足の指に力を入れ、この虚しさを誤魔化そうとする。

 そしてふと、スマホから通知音が鳴った。

 まだスリープ状態になっていなかったところをひょいと手に取り、指をスワイプさせてトークアプリを開く。

 一風変わったUIが展開する。左上に円が広がり、その縁を沿うように送られてきたメッセージが流れてくる。

 通知は樹のものだ。

 

『今、高嶋さんと病院にいます。お姉ちゃんが車に轢かれそうになって、大事をとって』

 

 その報告は、友奈の心をかき乱すには十分すぎた。

 

「――――あ」

 

 視界がぐにゃりと滲む。

 過度に自罰的になっていた友奈には、車に轢かれたと書かれているように誤解してしまう。

 呼吸が恐ろしく浅くなる。

 右半身の以上を隠すために覆う毛布のせいで、身体が火照っていたはずなのに、唐突に身体が氷水に晒されたのでないかと錯覚するほど一気に体温が下がる。

 

「あ……あ、あ……」

 

 夏凛、東郷、園子と樹のメッセージが来ることを知っていたかのような恐るべき速さで病院に向かう旨の返事をする。

 しかし友奈はすぐに動けなかった。

 手が震えすぎて、文字が上手く打つことができなかったのだ。

 その間にも園子から友奈宛に個人でメッセージが送られてくる。

 

『もう車で出てるから迎えに行くよ。一緒にわっしーも拾う』

 

 頼もしい申し出に、友奈はゆっくりと深呼吸をする余裕が生まれた。

 まだ震えは治まらないが、なんとか文字は打てる。

 

『おねがい』

 

 とだけぎこちない指さばきで端的に返した後、もう一度樹のメッセージを読むことで、ようやく風が轢かれたわけではないと誤解が解ける。

 それだけで幾分か心が軽くなる。呼吸の温度も平常に戻り、それを確認するために時間をかけて深呼吸を繰り返す。

 少し、落ち着いた。

 でもやはり、原因は……自分にある。

 変な気を起こさなければ良かった。なんでも相談すればいいなんてことは世の中、通用しないのだ。

 毛布をベッドの上に乱雑に放り、ハンガーにかけていたコートに腕を通す。

 インターホンの音が遠く耳に聞こえた。

 窓の外を見なくても東郷だとわかる。

 行かないと。

 謝らないと。

 そんな焦燥感が友奈を突き動かす。

 両親に出かけることを伝え、リフォームされた階段の手すりに沿ったレールに車いすを接続して下の階に下りる。

 玄関を出ると、寒風に晒させる東郷が、素手に白い息を吹きかけながら待っていた。その顔は恐ろしいまでに白く、友奈は改めて事の重大性を認識する。

 

「友奈ちゃん!」

 

 喉が冷えたのか、吐き出された声は掠れている。

 

「東郷さん……園ちゃんが車を出してくれるって……」

 

 友奈の声もどうしてか、糸のように細い。

 すると東郷は友奈に歩み寄ってくる。車いすを押してくれるのかと思って電動から手動モードに切り替えた。

 しかし東郷が後ろに回り込むことはなく、正面に立つ。裾を指まで伸ばし、その羽毛の部分でそっと友奈の頬を包んだ。

 ふわふわした感触に、「ぁ」と声が漏れ、顔を上げる。

 

「東郷、さん……?」

 

「友奈ちゃん、酷い顔だよ……?」

 

「え……?」

 

 家を出る前に鏡で顔を確認するのを忘れていた。そういえば髪も整えていない。

 それほど酷い顔だったのだろうか。目覚めた日から異常が身体に起こり始め、そのせいで心が摩耗しているのかもしれない。

 だからといってそれを口にすることは、何があっても許されない。

 はねているところがあったのだろう、後ろに手をまわした東郷が手櫛をする。

 

「あ、ありがとう」

 

「気にすることないわ。それよりも本当に大丈夫? 風先輩は怪我はしてないようだし、別に無理して行く必要はないよ?」

 

「いや、それは――」

 

 ダメだ。

 それは逃げでしかない。

 風が轢かれかけたのは友奈の責任だ。

 これは罪だ。

 誰にも言えず、だからこそ誰にも断罪されない孤独の罪。

 

「それは、ダメ。絶対に行くの」

 

 寒さを溶かすほど熱を帯びた声に、東郷はややあったあと、静かに頷いた。

 そこにちょうど、ひときわ目立つ乃木家の車が法定速度ギリギリのスピードでふたりの前に現れた。助手席の窓が現れ、園子がぬっと顔を覗かせる。

 

「二人ともいるね? 乗った乗った!」

 

 有無を言わせない鋭い指示に、ふたりはすばやく乗り込む。車はきちんと友奈にも対応していて、速やかに後部座席に入った。

 病院まではあっという間で、到着するまで誰一人口を開くことはなく、沈黙が車内を支配した。

 大急ぎでエントランスに入ると、そこにはケロッと呑気に煮干しを啄む夏凛が、待合室の椅子に腰かけていた。その両隣には樹と高嶋も一緒だ。

 

「いっつん! ふーみん先輩は⁉」

 

 振り向いた三人ゆっくり立ち上がり、その内の夏凛が激しく動揺する園子を丁寧に宥めながら口を開いた。

 

「大丈夫よ。ピンピンしてる。笑って診察室に入ってったから問題ないわ。そろそろ出てくると思うけど……」

 

 風が入っていったらしい診察室のドアに首を伸ばすが、ちょうどタイミング良く風が出てくることはなかった。

 樹も高嶋も、そこまで深刻な表情を浮かべているわけでもない。本当に夏凛の言う通り、そう過剰に心配する必要はなさそうだ。

 とはいっても直接風に会わない限り完全に緊張を解くことはできない。三人は神妙な顔になる。

 

「……そういえば。友奈さんが牛鬼をお姉ちゃんに貸してたんですか?」

 

「え? 貸してた? いや逆だよ? 返してもらったはずだけど。ほら」

 

 スマホをタップして精霊を呼び出す。

 するといつも通り何を考えているかわからないのほほんとした顔の牛鬼が姿を見せた。パタパタと羽を動かし、友奈ではなく高嶋の頭の上に乗った。

 

「私? 結城ちゃんのほうだよ?」

 

 抱き上げて友奈の頭に乗せようとするが、どうやら今は高嶋のほうがいいようだ。数度引き離しても戻ってこようとするのだ。

 ついに諦めた高嶋は友奈と顔を見合わせ、同じタイミングで首を傾げる。

 

「うーん、やっぱり何回見ても、精霊が実体を持ってるのは驚きだよー。そうそう、牛鬼が風さんを助けたんだよ! すっごいバリアでずがーんって車を止めたの!」

 

 擬音混じりの解説だが、なんとなく言いたいことは伝わってくる。

 

「牛鬼が? ……ああでも確かに。ちょっとの間だけど私の手元にいなかったな……とにかく、牛鬼には感謝だね」

 

 猫にするように牛鬼の顎の裏を指で擦ると、満足そうにぐったりと高嶋の頭の上で手足を広げた。

 誰も口にはしないが、どうも最近、牛鬼がやたらと高嶋に肩入れしている気がする。

 牛鬼は友奈のものだ。

 言い方に少々語弊があるが、精霊というものは主人のために力を行使する存在でなければならないはずだ。

 それなのに、単独行動がやけに目立つ。それも高嶋に対してのみ。これはもう、先日風が言っていた、容姿が似ているから、だけではとても説明がつかないレベルだ。

 

「もちろん牛鬼には感謝ですけど……ありがとうございました、友奈さん?」

 

「え?」

 

 樹の唐突な感謝の言葉に、友奈の思考は一瞬にして引き上げられた。

 

「もし牛鬼がいなかったら、お姉ちゃんはひかれてました。だから、ありがとうございました」

 

 深々と頭を下げた樹に、友奈はすぐに「頭を上げてよ!」とか、「どうしたしまして」なんて言葉をかけることができなかった。

 そんなに感謝をされる必要なんてないのに。

 とてつもなく大きな罪悪感。

 原因は友奈にあるというのに、これではまるでマッチポンプだ。

 ようやく顔を上げた樹の目には薄っすらと涙が浮かんでいる。

 ……やめて。

 そんな目で私を見ないで。

 余計に苦しくなるから。

 でもそれを顔に出すわけにはいかないから、差し障りのない返事に留めておいた。

 そうしている内に診察室のドアが開き、中から風が姿を表した。

 夏凛の言った通り、自分で歩いているし、特に異常はなさそうだ。

 こちらに気づいた風は陽気に手を振った。

 

「皆いるのね。悪かったわ。大した怪我でもないのにわざわざ」

 

「お姉ちゃん! 本当に心配したんだから!」 

 

 駆け寄った樹に抱きつかれた風は、いつもなら感極まって泣くところだが、今回は違った。

 しっかりと抱擁を返し、ふたりが互いに納得するまで長い時間、確かめ合うように身体をくっつける。

 その姿が友奈には辛くて、まるで闇が光に灼かれる感覚だ。

 

「……うん、そうね。ホント、何事もなくて良かったわ。それもこれも牛鬼のおかげで、友奈のおかげでもあるわ」

 

 だから、それが苦しいというのに。

 何も知らない無垢な感謝こそが、友奈にとっては澄んだ毒でしかないのだ。

 

「入院とかの必要もないってさ。普通にこのまま帰って問題なし!」

 

 元気いっぱいな風の宣言に、勇者部の一同が安心する。

 ……皆の顔を直視することができない。

 自分の顔は果たして、ちゃんと仮面を被っていられるだろうか? 今だけは猛烈に大赦の仮面が欲しい。

 表情を隠してしまいたい。裏に溢れんばかりの『ごめんなさい』を隠したい。気を抜いてしまうと、すぐに剥がれてしまいそうだ。

 東郷の助言に従って、家で大人しく震えていれば良かったのかもしれない。

 だんだん友奈の目に映る光景が遠くへと引き伸ばされ、客観的に映像を眺めているような錯覚に陥る。

 何も。何も友奈の口から話せない。適当に話を合わせることしかできない。

 そうするだけではどうにもならないことなんてわかりきっているのに、この苦しさから一刻も早く逃れたいと強く願ってしまう。

 右腕に『生えた』枝木も、原因はまったく不明だ。祟りとは違ってトリガーが何かはまだわかっていない。このまま静かにしてくれればいいが、やはり根本的な解決にはならない。

 これについても、誰かに伝えようとすると怒り狂って侵食を進めるかもしれない。

 気づいてほしいけど気づいてほしくない。矛盾した懇願はいっそう友奈の心をゴリゴリと擦り減らす。

 風が樹の歌唱イベント後にクリスマスパーティーを開催すると言っていたが、その内容は友奈の耳から耳へ突き抜けるだけで、頭にはまるっきり入ってこなかった。

 

 ◆

 

 綿のように柔らかい雪がしんしんと降っている。

 ふと手を伸ばして――自力で手袋をすぐに外せないからそのままで――落ちてきた雪を乗せると、触れた感触がないのに冷たさが手袋を通して広がり、あっという間に水滴に溶けてしまう。

 友奈は顔を持ち上げて空を見上げ、次に眩い光を放つイルミネーションに彩られた通りを奥まで見据える。

 

「寒いね〜結城ちゃん!」

 

 そう言ったのは、マフラーを口許まで上げた高嶋だ。グリップを握り、友奈の車椅子を押してくれている。

 

「そうだね〜すごく寒くて凍えそうだよ〜。でもお腹にカイロ貼ってるから大丈夫!」

 

 そう言って友奈は自身の腹部を擦る。

 歩道をゆっくりと進む二人に、樹を除いた勇者部の全員が合流してきた。

 風の手には買い物袋が下げられている。どうやら目当ての品は購入できたようだ。

 満足そうな表情を浮かべて風が近づいてくると、高嶋が口を開いた。

 

「何買ったんですか?」

 

「樹へのクリスマスプレゼントよん。中身は〜んふふ〜私しか知らないのよね〜」

 

 少し気持ち悪いほどにやにやする顔で風が身をよじりながら大切そうに袋を胸に押し当てる。

 クリスマスプレゼントという英単語に口許をきつく締めて反応を示す東郷だが、ここはなんとか押し留まる。

 

「そういうあんたたちは何してたのよ?」

 

「散歩です! ねー結城ちゃん!」

 

 弾かれたように顔を上げた友奈は目尻を緩めて色とりどりの街を一望する。

 

「そうだね。すっごく綺麗なイルミネーションだもん、しっかり目に焼き付けなきゃ損だよ! 高嶋ちゃんの時代もこんな感じだったりするの?」

 

 記憶を掘り下げる高嶋は眉をハの字にして数秒考えたあと、元気よく答えた。

 

「ここまで豪華ではないかな〜。でも、毎年若葉ちゃんたちとクリスマスパーティーをしていたよ! 確かこの前は……そうそう、ぐんちゃんの部屋でゲーム大会したな〜」

 

 思い出に浸りながら語る高嶋に、友奈たちはやはり初代勇者とはいっても、何の変哲もない女子中学生であることを改めて実感させられた。

 西暦の末期は文字通り世紀末と表現に相応しい状況だったと聞き及ぶ。

 その中でも泥臭く生き残ろうとした当時の人間たち。彼らの先頭に立って命懸けで戦った伝説の少女のはずだが、どうしてか、そんな箔のついた評価からはまるで想像できない立ち振る舞いだ。

 それと同時に、遠い過去に置いてけぼりにしてしまった仲間たちを思い出したのだろう、高嶋はぼんやりと視線を無辺世界へ向ける。

 きっと、帰りたいと考えているのだろう。しかしその方法なんて、たかが中学生にわかるはずもない。

 たったひとつの手段、腕時計はどこかへ消えた赤嶺が持っている。

 どうにかして赤嶺ともう一度接触、そして懐柔して共に帰還する方法を探りたい。

 

「そろそろ行ったほうがいいんじゃない? もう三十分切ってるし」

 

 スマホで時刻を確認した夏凛がそう言った。

 声につられてそれぞれが確認すると、確かに時間が迫っている。風のプレゼント選びに費やされたが、友奈が車椅子であることを考慮しても、今から向かえば十分間に合うはずだ。

 高嶋から友奈の車椅子を押す役を東郷に代わる。

 

  「そうね。なるべく歌唱隊の人たちに近いところで場所を取りたいね。そのっちもそれでいい?」

 

「おーけーおーけー。もし場所が取れなかったら乃木家が『力こそパワー』理論で席を取ってやるんだぜ〜?」

 

「そのっち?」

 

 やや戒める顔になった東郷に、園子は「あはは〜」と小さく笑う。

 

「冗談だよ〜。ささ、レッツゴー!」

 

 樹の出演する学生コーラスは教会を模した建築物の前で行われる予定だ。

 室内でやったほうがいいのでは、というのが風たちのシンプルな疑問だが、雪の降る外でやるほうがなんだかんだで風情があるのだそうだ。

 賑やかな人だかり。大人から子供まで、皆楽しそうに笑顔を浮かべている。

 時々ボランティアなどで交流を持った人たちと鉢合わせすることがあったが、簡単な挨拶だけに済ませて先を急ぐ。

 目的地の広場には余裕を持って到着することができた。まだ人は過疎のようだが、まばらに居座っている人たちはビデオカメラを用意したりと、明らかに友奈たちと同じ観客のようだ。

 

「ところで、たかしーの言う『ぐんちゃん』って、誰のこと? 勇者たちと一緒にゲームだなんてすごく仲が良いんだね?」

 

 済ました顔をしながら背負っていたリュックサックからプロが使うような大きなカメラを取り出した園子が、レンズの汚れ具合を確認しながら尋ねた。

 

「え? ぐんちゃんはぐんちゃんだよ? 勇者だけど?」

 

「…………んん?」

 

 レンズを布で拭いていた手が止まる。

 そのまま少しの間フリーズした園子はゆっくりと顔を持ち上げた。

 

「郡千景って名前なんだけど……?」

 

「いや? 聞いたこと……ないね……?」

 

 園子が友奈たちに目で知ってる? と尋ねられるが、全員が首を横に振る。

 

「でも、大橋のところにある英霊の碑にはぐんちゃんの石碑が……!」

 

 どうやら認識の齟齬が起こっているようだ。

 高嶋が珍しくやや感情的になりながら大切な人の存在を主張する。

 頬が紅潮し、大きな白い息を吐き出す。

 

「ああ、あれは乃木家と上里家が権力を使って強引に建てたものらしいよ? 勇者は四人。たかしーと乃木若葉、土居球子に伊予島杏。そう伝わっているけど」

 

「……もしかしたら、長い年月が経ってるから、記録がきちんと残ってないんじゃない? 今の大赦ってずさんだからそういうところが抜けてしまったのかもしれないわ。良くないことだけど」

 

「夏凛ちゃん……。でも、そんなのはやっぱり、悲しい」

 

 悲しげに瞼を下ろす。

 この場で、高嶋のみが郡千景という少女がどんな人間であったかを知らないなんてことは、あまりに虚しいことだ。

 具体的に勇者としてどのような生き様を刻んだかなんてまだ高嶋にはわからない。

 

「…………」

 

 園子は難しい顔をしながら何やら思案に耽っている。

 しだいに観客たちがぞろぞろと集まり始め、開演五分前になった。雰囲気のある古い木造の扉を開けて、建物から出てきた開催者がなにやら話し始めているが、耳に入らなかった。

 なんて言って励ませばいいのかわからないのだ。

 東郷にカメラの使い方を教授してもらっていた風が高嶋に歩み寄る。

 高嶋は勇者部に所属していない。でも、部長として……いや、それ以前にこの場で一番年上だからこそ、ここは風がやらなければならない。

 これから樹の学生コーラスがあるのに、落ち込んだ気分でいられるとこちらも空気が悪くなってしまうから、という保身的な理由はないと言ったらそれは嘘になる。

 

「高嶋」

 

「風さん……?」

 

 名前を呼ばれ、高嶋はおずおずと顔を上げる。

 

「なら、残せばいいじゃないの。高嶋自身が。西暦に帰って、そんで戦い抜いた後、郡千景って人を誰よりも記憶して、あんたが後世に伝えようと努力すればいい。口で伝えてもいいし、なんなら本にしちゃえばいい」

 

「――――」

 

「そうすれば、絶対に誰かの記憶には残るはずだから」

 

 呼吸が震えた。

 犬吠埼風という人間を、改めて勇者であると認識させられた。

 この人には、聖母のような包容力がある。巫女のひなたは高嶋にとって、保護者のような印象で、何かあれば優しく受け止めてくれる存在だ。

 だが風は違う。

 堂々としていて、なおかつ……そう、力強い。

 この感じはひなたにはない。

 胸の奥深くからじんわりと仄かな暖かさが広がり、全身を覆った。

 ぼっと顔が熱くなった。

 

「風あんた……すごくいいこと言うじゃない! さすがは部長ね! ちょっと見直したわ!」

 

「む。ちょっとって何よ、ちょっとって」

 

 驚いた素振りを見せて言い放った夏凛の言葉は風には不服だったようだ。

 聖母から一変、閻魔大王が背後霊として憑いているのではないかと錯覚するほどの雰囲気を放ちながら夏凛ににじり寄ろうとする。

 しかし、それは高嶋の熱のこもった言葉によって静止させられた。

 

「……ありがとうございます。風さんの言う通りですね。未来を知っているのなら、それを変えればいいんだ! うん! 私、西暦に帰ったらぐんちゃんの本を書くよ!」

 

「おお〜それはいいね〜」

 

 がっついたのは園子だ。

 そしてそこから物書きとは何かを饒舌に語るかと思いきや、「うむうむ、たくさん励むと良い。応援してるんよ〜」と若干園子らしくない浅い踏み込みで終え、そそくさとカメラのメンテに戻ってしまう。

 その様子を見ていた東郷は友奈にそっと耳打ちした。

 

「友奈ちゃん。私は友奈ちゃんの功績をいつか本にしてみせるわ」

 

「ええ⁉ 東郷さん、そんなことできるの⁉」

 

「できるできないじゃない、やるの! 流石にそのっちの文章力には劣るけど……必ず書いてみせる!」

 

 妙な誓いを立てた友奈は嬉しさと恥ずかしさが同居した絶妙な表情を浮かべた。

 東郷の非常に高い行動力は、壁を壊したりブラックホールになったりと、十分すぎるほど証明されている。

 もしかしたら本当に実現させてしまうかもしれない……。

 

「あ! 出てきたよ!」

 

 友奈が指を指した先には、ちょうどタイミングよく扉から白い衣装に身を包んだ歌唱隊が並び始めていた。

 予め樹から立ち位置は聞いている。そこから逆算して、最も樹を見やすい場所取りができている。

 東郷と園子がカメラ、風がビデオカメラとそれぞれの機器を手にしっかりと被写体を捉える。

 三十代後半の女性指揮者が回れ右をし、観客に向かって一礼する。

 そして正面に向き直ると、さっと両腕を肩くらいの高さまで上げた。

 それに反応した少女たちは少し股を開き、顔の筋肉を緩めた。普段見ることのない樹の表情の移り変わりは、しっかりとカメラとビデオにおさめられている。

 行われる学生コーラスは全部で三曲ある。

 楽器といった類いは一切ないアカペラだ。

 有名なクリスマスソングの旋律が、クリスマスイブの夜空に遠く響き渡る。アカペラだからこそ、声の限りに奏でる透き通った歌声。

 歌声に質量なんてあるはずがないのに、それに重みがあって、ふわふわと観客たちに降り注いだ。それに、優しい優しい……熱がある。

 時を忘れて友奈が歌声に聞き入っていると、誰かの手が左手の上に重ねられた。

 

「……!」

 

 首を横に振る。

 高嶋だ。

 心地よさそうに両目を閉ざして穏やかな表情を浮かべるその横顔は、やはり友奈に瓜二つで、鏡を見ているようだ。

 こちらに気づいた高嶋は、睫毛を揺らしてこちらを見た。  

 

「いい歌だね。なんだか……心に溜まった汚れが洗い流されるみたい」

 

「そうだね……」

 

 ただの人間として、この旋律を心のままに受け入れよう。冷たい大気を震わせる歌声に身を任せよう。

 友奈はあの日からずっと張り詰めていた緊張を、ようやく解くことができた。

 今だけは……今だけは、全てを忘れてしまおう。

 そう自分に言い聞かせる。

 そんな感情を引き出す、天使とも思える歌声だった。

 滞りなくプログラムは進行し、三曲目に入った。十分に癒やされた観客たちは最後の曲を聞き逃すまいと一層と身を引き締める。

 風ももちろんそのうちの一人だ。

 三曲目は少し特殊で、独唱で歌うパートがそれぞれに与えられている。風が一番注目しているのは、樹に与えられたパート……それが終盤の締めであることだ。

 失敗すればすべてが駄目になってしまう大役が果たして務まるのかと一時期は悩んだが、いつまでも姉の背中に隠れないという樹の意志が、風の胸に熱烈に届いた。

 だから風は、『耳をかっぽじって』以上のレベルで一音たりとも聞き逃さないため、念入りに念入りに耳掃除をして来たのだ。

 それぞれの独唱パートが順番に回ってきて、ついに終盤……樹の出番がやってくる。一歩前に出た樹は小さな唇を震わせ、胸を大きく膨らませた。

 一瞬だけ、風と目があった。

 その目は、とても力強かった。

 樹の声帯から流れるように発せられる歌声は、プロに比べると、やはり上手いとは言えなかった。所詮は少し歌が上手い女子中学生止まりでしかない。

 しかしそれでも、歌声に込められたものはとても尊かった。

 

 ――それは、愛。

 

 純粋で清らか。穢れの無いこれほど美しいメロディを人間の喉が奏でられるのは、奇跡だ。

 風から啜り泣きが聞こえる。なんとかビデオカメラは樹の方を向いているが、手が震えてまともに録画できていないだろう。

 そしてふと、友奈の頬を熱い一筋の線がつう、と通ったのを感じた。

 涙だ。

 こんなところを見られたら恥ずかしいと思って目元を袖で拭ったが、涙は止まることなく溢れ続ける。

 気づけば風だけでなく、夏凛と高嶋も静かに涙を流していた。

 きゅっ、と口元を引き締めつつ、ただただ目の前の樹の立ち姿に釘付けになる。

 実際、樹に与えられた独唱パートはあまり長くなかった。しかし、観客たちを感動の渦に落とし込むのには十分すぎるだった。

 全プログラムが歌い終わっても、すぐに拍手は起こらなかった。沈黙がゆっくりと広場を通り過ぎたあと、ようやくするべきことに気づいた観客たちが、割れんばかりの拍手を爆発させた。

 友奈たちも例に漏れず、現実に引き戻されながら無意識に手を叩き、最後は歓声を上げながらその熱は極限まで昂ぶった。

 

 ◆

 

「じゃあ、樹の学生コーラスお疲れ様会、高嶋の懇親会、乃木の勇者部入部歓迎会、友奈の退院祝、クリスマスパーティー全部ひっくるめて『パーティー』開始よぉー!」

 

 イエーイ、と勇者部と高嶋の上機嫌な声が犬吠埼家に響いた。

 ほぼすべての料理が風の手作りで、ローストチキンは園子が用意してくれたものだ。ちなみに金額は開示してくれなかった。高すぎて言えないのか、単にそんなものに意味はないと言いたいのかまではわからない。

 香ばしい匂いを背景に、数度は涎を拭ったであろう風の袖についての言及は止めておいた。

 ともあれ食卓にはこれでもかと料理が所狭しに並べられ、ちょっとしたバイキングになっている。

 全員にはもれなくサンタの帽子を強制着用だ。

 

「これ意味あんの?」

 

 夏凛が帽子を脱ごうとするや否や、風の鋭い注意が飛んだ。

 

「駄目よ! 特に深い理由はないけど、その方がなんかいい雰囲気っぽいから駄目よ!」

 

「な、なによ……というか、テンションおかしいわよ風」

 

 勢いにしぶしぶ脱ぐのを諦めた夏凛が指摘すると、みるみる内に、なぜか風が涙目になった。

 あ、マズイと察するが、すでに遅かった。

 

「そりゃそうよ! だって、だってぇ樹がぁ! あんなに人を感動させる歌を歌うなんてぇぇええ!! もう……もう私の生涯に一片の悔いもないわぁっ!!」

 

「もうお姉ちゃんったら!」

 

 風のリアクションは大袈裟だが、樹を除いて誰ひとり暴走を止めようとはしなかった。

 録画した樹の独唱パートは何度もテレビ画面に映され、もう何度リプレイしたかもわからない。

 羞恥に顔を染めつつも、べた褒めされて嬉しいのか、樹の風を責める言葉は弱々しくなり、やがて消えてしまう。

 

「ささ、冷える前に食べましょ食べましょ。者共座れぃ!」

 

 二人用のテーブルではさすがに七人を抱えることはできない。風が急遽押し入れから小さな円上のテーブルを引っ張り出し、そこに料理をいくつか移す。

 

「友奈は東郷とでっかい方のテーブル使っちゃって。予備の椅子がふたつあるから……そうね、乃木と高嶋、あんたたちが座りなさい」

 

「私なんかより樹ちゃんのほうが……」

 

「なーに言ってんの。高嶋も主役のひとりなんだから、そこはでーんと座っとけばいいのよ。あ、東郷は言うまでもないわよね」

 

 友奈の利き手は動かないからといって左手で食べられるわけではない。

 だから。不謹慎ではあるが、つまり東郷は友奈に永久あーんする権力を得ることができたのだ。

 これまでは学校の昼食でしかその御役目は与えられなかったが、こうしてまたとないチャンスは恐悦至極である。

 全員がしっかり席につき、取り皿を与えられたところで準備が整う。

 溢れんばかりのりんごジュースを入れた紙コップを風が高く掲げる。

 

「それでは諸君! 色々としっちゃかめっちゃかな事態が起こって、今も全てが解決したわけじゃないけど、それはそれ。これはこれということで! とりあえずかんぱーい!!」

 

 かんぱーい! と全員が唱和する。

 それぞれが予め目をつけていた料理に手を伸ばして口に運び始める。

 その中でも風は期待を裏切らないというか、掃除機並みの吸引力で次々と料理を胃に送り届ける。

 

「はい、友奈ちゃん。あーん」

 

「あーん」

 

 小分けしたローストビーフを箸で友奈の口元に運ぶを繰り返す。そのやりとりに当事者も、それ以外も恥ずかしさを微塵も感じていない状況に高嶋が驚きを隠せずにいると、園子がそっと囁きかけてきた。

  

「そういうものなんだぜ、たかしー?」

 

「へ? あ、うん。なんだか、堂々としててすごいなーって思って」

 

 友奈と東郷はまさに以心伝心というか、夫婦のようというか。

 思い返せば高嶋も千景とよく行動をともにする節があるし、客観的に見れば、ふたりと同じように思われることもなくはない……?

 ふと風が立ち上がると、部屋の奥へと消えていった。

 もしかして食べすぎて吐いてしまうのか? と全員が思いきや、綺麗にクリスマス仕様で包装された、手のひらサイズの箱を持ってきた。

 ああ、と暗黙の了解で口を閉じるが、樹はそうではない。

 

「え、それなに? お姉ちゃん」

 

 何やら含みのある笑みを浮かべながら風は樹の手を取ると、その上にちょこんと箱を置いた。

 

「開けてみ」

 

「これって……」

 

「いいからいいから。ほら」

 

 言われるがままに樹は丁寧に包装を剥がし、箱を開ける。

 

「これは……」

 

 中にはひとつの髪飾りが入っていた。

 ある花を模したデザインで、それは――。

 

「マリーゴールド?」

 

 黄色のそれを手に取った樹は、ゆっくりと煌くそれを撫でる。

 マリーゴールド。その花言葉は、『健康』。

 そして、『変わらぬ愛』。

 

「そうよ。樹へのクリスマスプレゼント。……あと、学生コーラスの大成功、おめでとう」

 

 樹の手から一旦髪飾りを預かった風が、今付けている古いものから付け替える。

 そしてうんうんとファションデザイナーのように満足げに頷き、一緒に持ってきていた手鏡を向けて変化を確認してもらう。

 鏡とにらめっこをする樹に初めに感想を投げたのは東郷だった。  

 

「すごく似合ってるわ樹ちゃん。まるで花の妖精のようね」

 

「い、いやそれは大袈裟ですよ……でも、ありがとうございます」

 

 どうやら気に入ってもらえたようだ。花のような笑顔を振りまいた樹は何度も髪飾りに触れて、その感触に喜びに浸る。

 

「えへへ……嬉しいな。ありがとう、お姉ちゃん……!」

 

 そう、目尻にうっすら涙を浮かべながら、樹は感謝を口にした。

 

 ◆

 

「あーつっかれた」

 

 風に持たされた大量のタッパーを詰め込んだリュックを背負い、夏凛はエレベーターに乗り込む。余った料理はもれなく同じ一人暮らしの夏凛がほぼすべて持って帰ることになった。有り難くはあるが、消費するのに数日はかかるだろう。

 ……楽しかった。

 

「楽しかったな……」

 

 思った言葉が口に出てしまった。

 エレベーターの中という究極の閉鎖空間にいるはずなのに、つい誰にも聞かれてないか見回してしまう。

 勇者部と高嶋の親睦はより深まったと言えるだろう。赤嶺という脅威はまだ存在しているが、いつまでも神経を張り詰めていると、どこかで破綻してしまう。

 だから樹の学生コーラスといい、クリスマスパーティーといい、非常に良い息抜きになったのではないだろうか。

 ごうん、とゆっくりとした速度で上昇するにつれ、夏凛の遠い記憶が呼び起こされる。

 それは、兄がいて、親がいて。一緒にクリスマスを楽しむ記憶。

 今ではもう、あれをもう一度なんてことはきっとできないだろう。大赦に入って兄は変わったし、それを夏凛はよく思わなかった。

 決定的な決裂は、やはり強引に仮面を剥がした時だろう。

 二度と交わらない平行線。一度たりとも傾きの変わらない、同じであっても見向きもしない永遠の二本のライン。

 

 ――馬鹿みたい。

 

 夏凛は、勇者部の皆を大切にしたいと心に決めたのだ。

 それは、先代の赤の勇者との約束だから。

 エレベーターが止まる。扉が開き、外の冷たい空気が夏凛の肌を刺す。

 

「うう〜さっむ」

 

 小さく身震いしながら、懐から家の鍵を出す。

 すぐ左に曲がって直進。数メートル進んだところが夏凛の家だ。

 かじかみそうになった手に白い息を吹きかけながらドアの前に立ち、鍵穴に鍵を差込もうと――。

 

「ん?」

 

 視界の端に見慣れないものが紛れ込んでいる。

 コンクリート質の灰色の地面ではなく、なにやら茶色っぽい……箱。いや、ダンボールだ。サイズは大きい。

 ゆっくり首を横に振る。

 確かにそこにはダンボールがあった。

 

「――――」

 

 だが夏凛が驚いたのはそれについてではない。ただのダンボールなら、隣人がゴミ出しのために仮に置いているだけかもしれないと考えることができる。

 そのダンボールの中には、なぜか人が小さく体育座りをしていたのだ。

 頭上の電灯は淡く、誰かまでは具体的に判別できない。

 そういう趣味をお持ちの物好きか? とも考えるが、一応注意喚起くらいはしておいたほうがいいだろう。そう結論づけて夏凛は正体不明の人物に近づいた。

 俯いていて、顔がわからない。

 

「あの……」

 

 夏凛の声に反応して、その人物は気怠そうに顔を持ち上げた。

 ようやくその全身がよく見えるようになる。

 

「ああ……家、そっちか……。ちょっとズレちゃったな……」

 

 少しやつれた声色で返事をする。

 小麦色の肌。桜色の髪。

 それに、某アニメのキャラが着用しそうな黒光りするスーツ。

 ……赤嶺友奈だ。

 その手には、ダンボールの切れ端に『拾ってください』の弱々しい文字。

 

「赤嶺友奈……⁉」

 

 咄嗟に夏凛は後ろに飛んで距離を取る。

 なぜこんなところに⁉ という疑問はとりあえず捨て置く。てっきり友奈の前に現れると予想していたが、それはこちらの強い思い込みに過ぎなかったようだ。

 戦闘に発展するところまで想定し、荷物を置いてスマホを手に取る。いつでも勇者に変身できるぞと仕草で脅しつつ夏凛は静かに問うた。

 

「私に何の用よ」

 

 裏に熱を隠した冷たい声。

 赤嶺はダンボールの中で蹲ったまま、手元の『拾ってください』をこちらに向ける。

 

「戦うつもりはないから……その、ちょっと、ね……」

 

「なによ、ちょっとって……まさかあんた、拾ってくださいって……家に入れろってこと⁉」

 

 こくりと赤嶺は力なく頷いた。

 その返答に、夏凛は楽しかった気分から一転して怒りに肩を震わせた。

 

「嫌に決まってるでしょ! 聞いたわよ。あんた、友奈を傷つけようとしたんでしょ! そんな奴のためになんで私が施しを与えないといけないのよ⁉」

 

「お、お願い……」

 

 この赤嶺の態度だって、演技かもしれない。

 弱っているように見せて、油断して近づいたところを……という可能性は拭いされない。

 

「知らない! あんたなんてそこでずっと凍えていれば良いわ!」

 

 踵を返し、夏凛は鍵を開けて家の中へ消えてしまった。

 赤嶺は静寂に包まれた通路で、ひとり膝を抱える。見上げれば、冷たい雪が勢いを増して振り始めていた。当然赤嶺のもとにも雪は届けられ、容赦なく温度を奪っていく。

 スーツを着ていれば防寒はバッチリだ。でも、雪がスーツ越しの肌に触れる度に、人としての暖かさが奪われていくような気がして、赤嶺の心細さがより肥大化していく。

 やはり、誰もいない。

 赤嶺を見てくれる人は、誰一人いない。

 こんならしくない真似、しなければよかった。

 あの橋の下でひとり、寂しくクリスマスをやり過ごしていればよかった。

 そうすれば、心の傷はかさぶたで塞がれていたかもしれない。

 どうして自分で抉るような真似を……。

 一筋の涙が、赤嶺の頬を伝った。

 ……不意に、暖かいものが上から被せられた。それはもこもこしたボアジャケットだった。

  

「――立ちなさいよ」

 

 声が聞こえた。かなり素っ気ない物言いだ。

 怯える小リスのように顔を上げると、こちらに目を合わせようとしない夏凛が立っていた。

 

「三好、夏凛……? どうして……?」

 

「聞かないでよ。私の気が変わらないうちにさっさと立ちなさいよ」

 

 夏凛の有無を言わせない指示に赤嶺は従おうとして脚に力を入れたが、上手く立ち上がることができなかった。

 なぜなら何時間もずっと、ここに座り込んで夏凛を待っていたのだから。

 ぐだぐだする赤嶺にしびれを切らした夏凛は、「ああもう!」と両脇に手を伸ばして立ち上がらせる。

 

「あっつ! あんたもしかして熱出してんの⁉ そうならそうとはやく言いなさいよ! んもー! 仕方ないわね!」

 

 夏凛は苛立ちを隠さずに吼えつつも、その場にしゃがみこんだ。それがおんぶをしてやるという意思表示であることはさすがの赤嶺でもわかった。

 身体を預けるには少し小さい背中だったが、この時はどうしてか、蓮華と同じくらい頼もしく目に映った。

 

「……ありがとう」

 

 そうぽつりと呟き、赤嶺は夏凛の背中に全体重を預けた。重くはないかなどと考えたがそれは邪推だった。軽々と赤嶺の身体を持ち上げると、自分の家へと連れこむ。

 

「……まったく、私もとんだお人好しになったわね」

 

 その呟きはドアに吸い込まれて消える。

 後に残った、夜の帳の落ちた薄暗い雪景色が、ふたりを静かに見届けた。




勇者部と高嶋チャンはクリスマスをたくさん楽しみました!

次から、ずっと以前から脳内で燻ぶらせていた鬱ラッシュを開始させます
遺言と墓、それと鬱になる用意を

それではまた次回!
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