たぶん次も遅くなると思います。許してネ!
あと、ツイッターにssのURLを貼ったらサムネ表示ができるようになったので、それ用にメインビジュアルの絵を描きました。このssをいい感じに表現できてる……はず!
【挿絵表示】
前回のあらすじ
(赤嶺チャン以外)クリスマスを楽しみました!
「は〜。なんなのよもう。まったく」
最近、独り言が多くなったような気がする。
一人暮らしだったから話し相手なんていない。必要とも思ってもいない。
そう、自分に言い聞かせていた。
勇者部は楽しい。勇者部はもう夏凛の居場所となった。
しかしそこが絶対的なホームではなく、家に帰れば独りであることを嫌でも思い知らされる。
だから口がどうしても寂しくて、独り言をぼやくようになってしまったのかもしれない。
ぐったりと寄りかかる赤嶺を背負いながら玄関で靴を脱ぎ、居間の前を過ぎて浴室へ運ぶ。
赤嶺の体重は思ったより軽く、むしろおんぶしているとスーツの硬い部分が腰にゴリゴリ当たって意外に痛い。
それに……臭う。
いったい何日シャワーを浴びてないのか知らないが、この鼻につく臭いは夏凛を少々不機嫌にさせた。
しかもそれだけではなく、僅かに鉄分の臭いもする。
やってらんないわ、などと内心で毒づき、浴室の扉を開けながら訊いた。
「あんた、その……スーツ? 脱げる?」
スーツは見るからにボロボロだ。
肩や胸に張り付いている装甲らしきものはほぼ剥がされていて、電灯に照らされた脇腹をよく見ると、血のようなものがこびりついている。この付着の様子から考えると、返り血だろうか?
顔色はどう見ても悪い。今の赤嶺と勇者部との敵対関係上、絶対に訊かなければならないことがあるものの、夏凛はそれを一旦棚に上げた。
赤嶺はふるふると小さく首を横に振る。
じゃあ脱がせるしかないか、と今一度スーツを余すことなく眺めるが、一体どこから脱がせばいいのかわからない。
ぺたぺたと身体中を触れてゆくと、手首のドーナツ状に膨れている部分のどこかのスイッチか何かに触れたらしい。
しゅうう! と空気を鋭く吸い込む音と同時にスーツがやや膨らみ、背筋に沿って切れ目が入り、そこから赤嶺の背中が覗きだした。
悪戦苦闘しながらようやくスーツを脱がせることができた夏凛は、一緒に脱がせた下着と一緒に選択籠に放り込んだ。
そして。
「まあいっか」
と自身も生まれたままの姿になって浴室に入った。もともと帰ったら風呂に直行しようと考えていたところだ。狭さはあるものの、そこまで問題はない。
赤嶺をバスチェアに座らせ、その間に手早く浴槽の電源を入れて『追い焚き』のボタンを押す。
残り湯もそれほど使ってないはずだ。だからそれほど時間はかからないだろう、とほぼ確信しながら画面を見ると、残り十分と表示された。
これなら全然大丈夫だ。
「身体汚いから洗ってあげるわ」
シャワーを出して、冷水から温水に変わったのを確認してからうなじの辺りに浴びせる。
ぶるりと赤嶺の身体が小さく震えるが、それを無視して夏凛はシャワーを浴びせる。
余すことなく頭からも浴びせ、髪が顔に張り付く。熱を出してるのに温水をかけて大丈夫なのか? と今更ながら気づいたが、まあいいだろうと一蹴する。さすがに湯船に浸からせるのはアウトだろうから、身体を洗うだけに留める。
汚いし、臭う身体でこの家に居座られては困る。
タオルに石鹸の泡を染み込ませ、ゴシゴシと背中を擦る。四国ではあまり見ない褐色の肌。とても健康的で、ハリがある。以前慰安旅行の時に勇者部の皆で温泉に入った際、友奈の裸体を見ている。
陶器のような、滑らかな肌だったことは覚えている。対して赤嶺は、明らかに肌の裏に鍛えられた筋肉の存在が自己を主張している。
鍛錬を欠かさない夏凛は、その見事な筋肉美に思わず感嘆の息を漏らした。明確に隆起させない程度に鍛える微妙な加減は、まさに見事としか言えない。
「……何も聞かないの?」
シャワーの音にかき消されそうなほど小さな声で褐色の少女が尋ねた。
背中、脇腹、腰、と洗い終え、夏凛は正面を向かせた。
「そりゃあ今のあんたに訊いてもあんまり意味ないでしょ。ちゃんと熱が引いて、それから根掘り葉掘り訊いてやるから覚悟しなさい」
夏凛の眼前に広がる赤嶺の双丘。
明らかに友奈より……大きい。言うまでもなく夏凛よりも。
何がここまでの差異を生み出したのか。世の中は非情である。などとどうしようもない劣等感と敗北感を抱きながら首筋にタオルを伸ばす。
「……ありがとう」
目元を伏せながらそう言った赤嶺の感謝の言葉は、やけにしっかりと耳に届いた。
「ホントはあんたのことなんてどうでもいいけど。外で凍え死んだって全然構わないんだけど。でもそれじゃあ友奈が悲しむから、仕方なく……仕方なくこうしてやってるのよ。だから、感謝するなら私じゃなくて友奈にしなさい」
本心は違う。
今口にしたことも一応事実ではある。しかし夏凛は人間だ。
同じ人間を助けるのは当然のことである。ましてや勇者部であるのなら尚更だ。
それを表に出さないのは夏凛の性格からして仕方ないとも言える。
丁寧に前面も洗い終え、泡を流す。
ちょうどそこで浴槽に湯を張れたようだ。軽快な音楽が鳴り、夏凛は浴槽の蓋を開けた。
「どう? あんたは入る? やめておいた方がいいかもしれないけど」
「いや……入りたい。ここしばらくは川の水で汗を流してたから。温かくなりたい」
「川ぁ⁉」
この時期に川の水を浴びていたなんて論外だ。
いくら家出しているとしても、銭湯に行くことだってできたはずだ。もしかしてそういった生活面はめっぽう頭が回らない? 三人の友奈の中で最も聡明な方だと思っていたが、少しばかり評価を改めなければならないかもしれない。
「あんたバカ? なんでそんなことすんのよ。無一文じゃなかったのは風から聞いてるから、いくらでも対策あったでしょ」
ふらりとバスチェアから立ち上がった赤嶺は「先、もらうね」と断ってから、足先をゆっくり湯に沈め、そのまま全身を浸からせた。強張った身体から、反射的に「あああ……」と喘ぎ声が出る。
「お金、ほぼ全部プロテインに使っちゃって。ポーチの中にあと十八円しかない」
「…………はあ〜」
バカだ。
赤嶺は、バカだ。
友奈もバカだがベクトルが違うだけで、大差はないようだ。
十秒くらい長い溜息を吐いた夏凛は自分の身体を洗い終えて、なるべく湯が溢れないように細心の注意を払いながら湯船に沈める。
じんわりと全身に広がる熱に、ぶるりとひとつ身体を震わせた。
もともとこの浴槽はひとり用と想定されていたものだから、狭さは想像以上のものだ。あまり身じろぎすることもできず、脚を限界まで伸ばせば赤嶺の身体に触れてしまう。
体育座りして小さく縮こまった状態の赤嶺はそんな夏凛のもどかしさを指摘した。
「気にしなくていいよ。ここはあなたの家で、あなたのお風呂なんだから」
そういう問題じゃないのよ! と喉までこみ上げた塊をグッと押し戻した。
熱で頭が茹で上がっているからだろうが、少しは羞恥を感じてほしいものだ。今更ながら『一緒にお風呂に入る』などという選択をしたことを激しく後悔する。
どうしてこんなことを考えてしまったのだろうとのたうち回りそうになり、足先がつい赤嶺の腰に触れてしまった。
「ぁ」
急いで足を引っ込める。
弾かれたように顔を上げると、不意にふたりの視線が完全に合わさった。
赤嶺の火照った顔は妙に妖しくて、艷やかだった。
狙っているのか⁉ と身構えそうになるが、熱を出しているのに湯船に浸かっているのだ。そうなっても仕方ないだろう。
変な気分になってしまいそうだ。
こっちが気を弱くするとなんだか『そう』思われてしまうかもしれない。
あくまで赤嶺は敵だ。友奈を攻撃した敵だ。
ここは私の家! 私のお風呂!
そう自己暗示をかけて堂々と脚を伸ばす。
脚が赤嶺に触れようが構うものか。心を無にしてただ風呂という恩恵を授かるただの人間となるのだ!
しだいに赤嶺も膝をずっと抱えるのが億劫になったのか、抱えていた腕の力が抜けた。解放された脚がゆっくりと伸び、夏凛の腎部に触れた。
「…………」
「…………」
反応……することができなかった。
「ななな何すんのよ⁉」と脚を振り払おうと思えばできた。でもしなかった。できなかった。
赤嶺が病人だから、という自分勝手な言い訳で自分を納得させながら赤嶺の様子を窺った。
赤嶺は瞼を下ろして上を仰ぎ、完全に脱力した状態だった。滑って溺れるのではないかと少し心配したが、それはなんとか大丈夫なようだ。
全力で久々の風呂を堪能しているようだ。時々気持ち良さそうな声をだらしなく漏らしてもぞもぞと身じろぎする。
その度に夏凛の心の平穏は容赦なく削られる。
意識してしまうからやめなさいよね⁉
しかし赤嶺はまるで無邪気な子供のように幾度もこのループを繰り返した。
「ちょっと……そろそろ上がりたい」
そう告白してきたのは、すぐのことだった。
赤嶺の顔は明らかに辛そうで、夏凛はこれまで溜め込んだものを吐き出しながら勢いよく立ち上がった。
今になって思えば、こんな思いをするのならさっさとひとりで上がっていれば良かったのだ。なのに、わざわざ赤嶺のことを心配して付き合っている自分がいる。
かぶりを振った夏凛は、ひとりで立てない赤嶺の両脇を下から掴んで立ち上がらせ、浴槽の蓋をしたあと、一緒に浴室から出た。
バスタオルで身体の水気を拭き取ってやり、自分のパジャマを貸し与える。
そして自室のベッドへと運んだ。
敵に対してなぜこれほどまでに親切にしているのか。そんなことをずっと考えながらも、夏凛の口は自然と動いていた。
「何か食べる? お粥とか?」
「……お願い」
穏やかな吐息を漏らす赤嶺を尻目に、夏凛は今一度自分は何をしているのだろうと振り返る。
「わかった。ゆっくり休みなさいな」
大量のタッパに保存してある余り物を適当にレンジでチンして出せばよかったのに、どうしてそこまでするのか。
敵なのに。
どうして。どうして。
そんな疑問ばかりに頭が支配されて、夏凛の思考はループ状態に陥りそうになった。
最終的に、今日はクリスマスパーティーをしたから浮かれているのだ。だからこうして敵にも甘い対応をしてしまっているのだと自分をなんとか納得させようとする。
「……ありがとう」
部屋を出ようとした夏凛の背中に、そう弱々しい声がかけられた。
ぴたりと足が止まる。
「――――ふん」
今の「ふん」が照れ隠しであることは認めざるを得ない。
どれだけ言い繕っても、夏凛がここまで赤嶺に施すのはなぜか。
それはきっと、夏凛が人肌恋しいと感じているからだ。
心のどこかで嬉しいと感じている自分がいる。我が家という絶対的な孤独の領域に、他人がいる。
そんな慣れない状況ではあるが……嫌ではない。
本当に私は変わってしまったのね、と含みのある笑みを口の端に浮かべ、夏凛は今度こそ部屋を出た。
◆
……とはいっても、いつまでも赤嶺を家においておくわけにはいかない。
ホウレンソウ。
報告に連絡。そして相談だ。
グループチャットで報告した次の日の昼には、勇者部全員と高嶋が夏凛の家に押しかけていることとなった。比較的広いとは言えない夏凛の家が肩幅狭く感じてしまう。
なにせ、以前家に突入された時よりふたりも増えているのだから。さらに友奈の車椅子はスペースをとってしまう。
コップも残念ながら全員分はなく、ひとりだけ紙コップで済ませる。
ちょこんと風の隣に座る樹の髪には、昨日プレゼントされたばかりの髪飾りがつけられていて、とても可愛らしい。
「悪いわね、高嶋」
「ううん、大丈夫だよ。それにしても夏凛ちゃんの家って……」
興味深そうに四方を見やる。
おそらく次に発するコメントはニパターンだと夏凛は即座に悟る。
「トレーニング器具でいっぱいだね! やっぱり鍛えるのが好きなんだ〜。あ、だからいつも煮干しを持ってるんだね」
ちょっと狭いね、と言われなかったのは、率直に言わずにオブラートに包もうとした結果かもしれない。
ランニングマシンを始めとして、腹筋を鍛えるためのローラーや台などが散見している。そのせいでさらに部屋の狭さに拍車がかかっているのだ。
せめて家に入れる前に、少しくらい片付けておけば良かったなどと今更後悔しながら自室のドアに視線を向けた。
それに気づいた友奈は静かに話を切り出した。
「赤嶺ちゃんは……そこにいるの?」
「そうよ。今は寝てる……と思う。でも熱出してるから念の為、入るのは私を含めて三人までで。当然、言うまでもなく友奈はここにいるのよ」
「どうしてもだめ?」
ぐ。
なんという上目遣い。
しかし夏凛は邪な考えを振り払い、それでも首を振った。
「だめ。もし赤嶺に突然襲われても何もできないでしょうが」
正論をぶつけられた友奈は食い下がろうとするが、隣の自称保護者に宥められ、その場に留まらせる。
「じゃあ私がいくわ」
そう名乗り出たのは風だ。コップの飲み物をごくりと喉奥に流し込むと、いつになく真剣な眼差しで夏凛を見つめた。
「もちろん穏やかな尋問になればいいけど、もし赤嶺が敵意を剥き出しにしてきたら、私は鏡のように接する。それ相応の覚悟を持たないといけないはずよ。私は――」
手に取ったスマホをタップし、勇者装束を身に纏った。
そして赤嶺がいるであろう部屋を、目を細めて睨む。
場は異様な空気に包まれた。すぐ隣の部屋には敵がいる。敵性は高いが、しかしながら完全にそちらに傾いてわけではない。
たかが数日間、ひとつ屋根の下で暮らしただけで、赤嶺の何がわかったのだろう。鏑矢という、風たちにはまるでわからない御役目に就く、過去の人間の何が。
価値観も、考え方も違うはず。
しかし、だからといって赤嶺のすべてを理解を示すわけにはいかない。この時代にはこの時代の在り方がある。それには従ってもらわなければならない。
もしそれが受け入れられず、すれ違いから争いに発展したら――。
赤嶺を――。
「私には、ある」
重みのある言葉で、自分を含めて全員に語り聞かせるような口調で言った。
「だから行くのは私と夏凛だけでいい。ホントは私だけが一番いいけど、目は多いほうがいいからね」
さすがに狭い部屋で武器を持つのは危険極まりない。一旦大剣を消した風は心の平穏を維持させようと深呼吸する。
覚悟は決めた。いざとなれば赤嶺を斬る。
人を傷つけるという許されざる罪を、風は背負う。だって、赤嶺がもし敵意を顕わにして、今度こそ友奈を襲おうとすれば、どうなるかわからないからだ。
「ふーみん先輩。私も一緒に行かせてください」
「……乃木」
園子の抱える精霊は二十体を超えると聞いている。
以前風が暴走して大赦を潰そうとしたとき、大赦側は対抗策として園子に迎撃させようとしていた。それも、つい最近知ったことだ。風の十倍以上の精霊がついているのだ。戦力差は圧倒的だ。
園子が本気を出せば、風は赤子のようにねじ伏せられるだろう。
赤嶺を無力化するにはもってこいの戦力だ。むしろ過剰とも言える。
しかし。
「いいえ、駄目よ。これは単なる戦力の問題じゃないの。わかるでしょ?」
「でも……皆、口にはしないだけで、本当は赤嶺ゆーゆと話がしたいと思ってる。だからにぼっしーの家に来たんですよ? だってそうじゃないと、わざわざ危険なところに来ないですから」
「…………」
園子の言うことはもっともだ。
昨晩の夏凛からのメッセージには肝を冷やされたが、誰も行かないという選択肢は選ばなかった。あの時はある種の集団心理が働いていたから『行く』と返信したかもしれないが、今こうして全員が場に揃っている。
それに、誰も嫌そうな顔をしていない。
そのことに風は今更気づいた。
「いや……いや。それでもだめ。これは部長命令よ。あんたたち全員、人が良すぎる。もしもがあれば、躊躇いは命に直結するのよ」
……頼もしい仲間に恵まれたものだ。
だからこそ、風は瞳の奥に暖かさを灯しながらも絶対命令を下した。
「……ふーみん先輩も人が良すぎますよ」
「…………まあ、そうかもね」
夏凛を連れてドアの前に立つ。
少し錆が隅についているドアノブを回し、慎重な足運びで中に入る。
部屋はカーテンが閉められているせいで薄暗い。それに、どことなく夏凛の匂いがした。そりゃあ夏凛の家だから当然か、と風は身を引き締め直してベッドの方へ身体を向ける。
そこに赤嶺はいた。
それも、上半身を起こして、まるで誰かの入室を待っていたかのように佇んでいた。
やっと来たか、と言わんばかりの顔をこちらに向けると、口の端に微笑を浮かべた。
夏凛より前に立った風は、しっかりと目を見つめた。
「久しぶりですね、風さん」
「なんだ、起きてたんだ」
「それはもちろんですよ。すぐ隣であんなに賑わってて、起きないはずないじゃないですか」
即座に敵対、とはならないで済みそうだ。
まだ眠そうな赤嶺は間延びするあくびをすると、ゆっくりと視線を振った。
「ここは私にとって敵地。それに楽にはなったとはいえ、私の体調は優れない。もし私がここから逃げようとしても、スーツが手元にないし、勇者サマたちにあっという間に押さえつけられる。私のすべては風さんたちに掌握されてる。……まあ、詰み、だね」
冷静に自分の置かれた状況を把握して、勝算なしと結論づけた赤嶺は、肩をすくめてみせた。
「確認することはただひとつよ。答えによっては……わかってるわよね?」
「もちろん。正直なところ、今どうして生かされているのかすらわからないまであるからね」
いつでも動けるように体制を取っている風を、肉食獣の眼で睨みつける。
しかしすぐさま柔和なものへと変化させた。
「あんたはまだ友奈を襲うつもりでいる?」
「……結構どストレートに訊いてくるんですね」
「たぶんあんた、回りくどいの好きじゃないでしょ?」
「そうですね」と相づちを打ち、表情が強張らせた。すぐ隣の部屋では友奈がいる。
それは赤嶺にもわかっている。耳を澄ましてもひそひそ話すらまったく聞こえない。おそらく息を殺して耳を壁に当てているのだろう。
それはそうだ。
赤嶺をどうするかをこれから判断する大切な局面だ。気にならないはずがない。
だから敢えて、赤嶺は不敵に微笑んでみせた。
「もしそうだって言ったら?」
次の瞬間、風の手には大剣が収められていた。
凶悪な刃が、赤嶺の反応を大きく上回る速度で顎下僅か数センチの高さにまで持ち上げられる。
最小限の力だけで容易く首を切断できそうな切れ味に、ごくりと生唾を飲む。
「じょ、冗談だよ〜」
白けてみせるが、それでも風は大剣をさらにほんの数ミリ上に向けた。
自然と赤嶺の顎が持ち上がり、選択を誤ったと認識させられる。
「冗談で済ませられると、本気で思ってる? あんた」
「…………」
「ちょっと風、やりすぎよ!」
ここまで静観を貫いていた夏凛が慌てて止めに入ってきた。
肩を掴んで宥められた風は、ゆっくり大剣を下ろし、そして消滅させた。
「あんたの気持ちはわかるけど、激情に駆られるのはやめなさい。それがたとえ赤嶺の作戦じゃないとしても、事は冷静に判断するべきよ」
思い当たる節がある風は、少しだけ顔を歪ませた。
樹の一次オーディション合格の電話がかかってきたときの記憶がフラッシュバックする。
そう、あの時は肥大化してどうすればいいかわからない悲しみを、ぶつけなければならないという一心で暴れ回った。
……二の舞はしない。
大きく深呼吸をして、心を落ち着かせる。
「悪かったわね、赤嶺。じゃああんたはもう友奈を襲う意志はないってことでいいのよね?」
目元を伏せ、赤嶺は口を横一文字に括る。
そしてたっぷりと沈黙を含んだ後、神妙な表情で、重々しく口を開いた。
「……わからない、というのが私が今出せる答え。私は鏑矢で、人の世を脅かす人間を討つのが御役目。だから結城友奈は処分しなければならない。でも……私は……悩んでる。所詮私は過去の人間。この時代に生きていない人間が、歴史に干渉していいのかって、悩んでる。実際、西暦の初陣に参加してしまったし、障害として結城友奈の前にも立ちはだかってしまった。そのせいで――」
突然、赤嶺が苦しそうに顔を歪める。
途中で言葉を詰まらせ、自分の身体を抱き締めて小さく蹲った。
今の言葉のどこに、赤嶺が苦痛を感じる部分があったのだろうかとふたりは顔を見合わせる。どちらかというと赤嶺が風たちに……友奈に危害を加えようとしたのだ。ここで被害者面をするのは虫が良すぎるのではないか。
二人が知らないだけで、赤嶺には征矢に襲われた恐怖が身体に深く刻みつけられている。
「……私には誇りが
「土台って……あんたの言う神の業のこと?」
夏凛の問いに赤嶺は小さく頷く。
「この時代は、きっとターニングポイントなんだ。人が神の恩恵に縋っていた時代からの脱却。……私は過去の人間だから、それが受け入れられない。今の私には、どっちが正しいのかわからない。私を助けてくれる仲間はどこにもいない。だから私は……! 私は……どうすればいいのか、わからなくなっちゃったよ」
あまりに弱々しい訴えだった。しだいに赤嶺の顔に影が差し、前髪に目元が隠れてしまった。
ふたりは言葉を失う。
友奈と高嶋とは違っていつも澄まし顔な印象が、こうもあっさりと崩れ落ちてしまう。
赤嶺はなんとか顔を持ち上げると、寂しそうに笑顔を向けた。
その目尻に、雫の煌めきをふたりは確かに見た。
なんて脆いのだろう。
何かの間違いで指先が触れてしまうだけで壊れてしまいそうだ。
友奈という人間は、明るくて、前向きで、優しくて、皆の輪を取り持つ存在だ。
高嶋も似たような人柄だ。
しかし赤嶺はどうだろう。同じ『友奈』であることに変わりはない。顔も似ているし、体格だって同じだ。
もはやなんらかの繋がりがあるとしか思えないレベルで似ている三人の性格も、もしかしたらほぼ似通っているのではないか。
そう考えるなら、赤嶺も本当は、友奈と高嶋のように天真爛漫な人間ではないのだろうか。
それが、鏑矢という御役目に就いたことによって暗い個性が増長されて、女子中学生らしさというものが失われている、と考えられる。
でも風は知っている。赤嶺という人間は、決して完全な悪ではないということを。
「――あんたは、助けてほしいの?」
「…………」
赤嶺が少しばかり目を見開く。
「助けてほしくないのなら、自分のスーツを持って、腕時計を置いて今すぐ出ていきなさい。敵をこれ以上保護する理由なんてないから。そして、二度と私達の前に……友奈の前に現れないで」
自分でも非情な言い方であることは風も自覚している。夏凛も何か言いたげな顔をするが、風の言うことに間違いがないから何も口を挟めないようだ。
そう、まだ赤嶺は『敵』だ。
それは覆しようのない前提。
疑念が晴れないのであれば、共にいる意味がない。そしてこれは、最善の解決法だ。
赤嶺が曖昧な答えを返すのならば、風も曖昧な答えを返すしかない。
「助けは……いらない。私の仲間はここにはいない。遠い過去にいる。戻り方もわからない。だからもう、私には……何もない」
答えは拒絶だった。
対して風は無表情を貫く。
たっぷりと沈黙が流れる。
無表情のまま、風は冷たく言い放った。
「そう。じゃあ出て行きなさい」
有無を言わせない鋭い指示に、赤嶺はまだ熱っぽい身体を動かしてベッドから立ち上がる。
「夏凛、赤嶺のスーツある?」
「ええ……ちょっと待ってて」
夏凛が一旦部屋から出る。
そして十秒ほどで戻ってきた手には綺麗に洗われたスーツがあった。
「なんか装甲みたいのがあるし、そんなの洗濯機に突っ込んだら壊れるからとりあえず表面の汚れだけは落としておいたわ」
手渡されたスーツを広げ、その綺麗さに驚きつつ、ぽつりと感謝を口にする。
「ありがとう」
「気にしないで。あ、ポーチの中から腕時計は取ってあるから。あとその寝間着は返してもらうわよ。下着は……あー、これは情けよ。そのままあげる」
言われるがままに寝間着を脱ぎ、スーツを身に着けた赤嶺は伸縮を確かめる。
「これは私からの情け」
そう言った風は、自分の財布から千円札を抜き取って、赤嶺の手に握らせた。
「流石に無一文で行かせるのは夢見が悪いからね」
「いいんですか?」
「いいのよ。でも、私たちがあんたにするのはここまでよ。これからはあんたひとりの力でこの時代を生きなさい。どんな困難にぶち当たっても、私達は感知しないし、助けもしない。いいわね」
教え諭すように、丁寧に赤嶺に確認を取る。
万が一の間違いがあってはならない。
顔を震わせながら小さく頷いた赤嶺は千円札をポーチにしまった。
赤嶺がカーテンを開ける。
ようやく部屋に太陽の光が差し、赤嶺の褐色の顔が照らされる。よく見ると、両頬に細い筋がつう、と通った跡がある。
ついさっきできたものではない。
泣いていたのだ。
夜。
ひとりでずっと。
ふたりの視線に気づいたのか、赤嶺は慌ててゴシゴシと目元を拭う。
「……じゃあ。短い間だけど、お世話になりました。……さようなら」
ひび割れた顔で小さく別れを口にした赤嶺は部屋から出ようと歩を進める。その後ろを、ふたりが玄関から去るまで付き添うべく身体の向きを変えた。
その瞬間。
「待って! 私はこんな結末、認めない!」
力強い拒絶の声とともに、赤嶺がドアを開けるより先に、誰かが開け、部屋に侵入してきた。
桜色の髪を靡かせ、堂々とした足取りで赤嶺の前に立ちはだかる。
赤嶺はもちろん、風も夏凛も息を詰まらせた。
「高嶋⁉」
夏凛が侵入者の名を呼ぶ。
しかし高嶋はそれを無視して赤嶺の肩を力強く掴む。そして叫んだ。
「赤嶺ちゃん! 私、あの時言ったよね⁉ 私達のことを仲間だと思っていなくても、私達は赤嶺ちゃんのこと、仲間だと思ってるって! 鏑矢だからとか、勇者だからとかそんなの関係ない! 私達は人間だから、絶対にわかりあえるって!! 」
「でも……」
「でも? そんな言葉はいらないの! 風さん言ってたでしょ⁉ 助けてほしいかって! 赤嶺ちゃんに手を差し伸べたんだよ!なんでそんなに頑固なの! 変にカッコつけようとしないで! 助けてもらうことがそんなに無様なの⁉」
それを聞いた途端、赤嶺は激しく首を振った。
「いいの……いいの! 私はこれでいいの! 結城友奈を処分することが私の御役目! でも失敗した! もう二度と奇襲すらできない! 失敗は許されないのに! だから私はもう、鏑矢として終わったの!」
「そんなこと、知ったもんか!!」
高嶋がいっそう高く吼えた。
その威勢に赤嶺は萎縮する。
「ここは私達にとって、未来の世界! 私達が必死に紡いだ歴史の果て! ――私達の御役目は、とっくの昔に終わってるの」
そして、「そうでしょう?」と炎のような熱量を秘めた声で囁いた。
「――――」
赤嶺は呼吸を忘れ、両眼を見開いた。
高嶋とは、根本から、考えていることが違っていた。
どんな時代にいたとしても、赤嶺は『鏑矢』であろうと行動していた。常に周囲を警戒し、もし事が起きれば、それを速やかに処理すべしという信条を抱いていた。
四国に平和を。
永久の安寧を。
高嶋の方を掴む力が強張り、すぐに緩んだ。そして次に、腕を背中に回し、抱きしめられた。
少なからず赤嶺は嫌悪感を抱いた。
別に強引に引き剥がそうとすればできた。しかしすぐさまに背筋から頭の天辺までを貫いた、嫌悪感を上回るほどの安心感に、赤嶺の腕が痺れた。
「だからさ、そんなにつんけんしないで助けてもらおうよ。赤嶺ちゃんが敵じゃないってさえ言ってくれれば、私たちは絶対に赤嶺ちゃんを受け入れるから」
そうだ、友奈を殺そうとさえしなければ、こんな状況にはならなかったし、普通に犬吠埼家でうどんを啜っていたはずだ。
赤嶺の在り方はこの時代に飛ばされ、粉々に砕かれた。
誰も信じてはならない。誰にも心を許してはならない。そう自分に言い聞かせて今日までなんとか生きた。
だがもう限界だ。
風からもらった千円でどこか遠くへ行って、そこで野垂れ死ぬ。そんな破滅願望さえ抱いていた。
……赤嶺の唇から、いっそうかすかな声が流れ出た。
「いいの?」
「いいよ」
「……!」
答えたのは高嶋ではなかった。
声のした方向に顔を向けると、そこには少しだけ車体を部屋に突き出させた友奈がいた。
穏やかな面持ちで、高嶋と赤嶺の抱擁を眺めていた。その瞳には安堵の色が染み込んでいる。
次に言うべき言葉に悩んでいるのか、友奈は喉を鳴らし、背中をまっすぐ伸ばした。
「だって私たち、本当は赤嶺ちゃんが気になって仕方ないんだもん。赤嶺ちゃんが家出したって聞いたとき、すごく心配した。喧嘩してすぐだったけど……それでも、心配した」
「それは、私が『友奈』だから?」
『友奈』という名前だったから、友奈は思い入れを強くしたのか。それは……よくあることだ。
表層しか見ずに、その裏……その人の『本当』を知ろうとしない典型的な流れだ。
しかしそれを打ち破る、あなたという人間だからこそというフレーズも知っている。
優しい友奈ならそう言うだろうと、わかりきった返事を赤嶺は静かに待った。
だがその予想は容易く裏切られた。
「そうだよ。だって、私が赤嶺ちゃんと顔を合わせたのはこれで……たった二回目だもん。赤嶺ちゃんのこと何にも知らないのは当たり前だよ。だからこそ、友奈って言う名前はすごく強い印象が残った」
すんなりと肯定されたことに、心臓が僅かに跳ね上がる。
友奈の言っていることは間違いなく正論で、赤嶺もまた友奈のことをまったく知らない。どれくらいかというと、知り合いにも達していないレベルだ。
処分する人物を知る必要はない。知れば知るほど思い入れが強くなってしまうからだ。それは弱さにつながり、つけこまれ、やがて死に至る。
最小限でいいのだ。
蓮華と静の二人だけでいい。
でも、そのふたりは赤嶺の側にはいない。
しかし代わりに、友奈たちが側に立ってくれると言っている。
……信じていいのだろうか。
赤嶺は友奈を見つめる。
すると友奈は口元を緩め、こちらに手を指し伸ばしてきた。光に当たっているせいなのか、赤嶺の目には、その手が神々しく映った。
「だから私は赤嶺ちゃんのことが知りたい。赤嶺ちゃんにも、私のことを知ってもらいたい。それじゃあだめかな?」
「…………」
「私は助けたい。自分は一人だなんて言わないで。私に、赤嶺ちゃんを、助けさせて」
――なんて。
――なんてまっすぐで、曇りのない瞳なのだろう!
疑いや畏怖といった色が一切ない。
ただただ言葉通り、助けたいという気持ちが前面に押し出されている。
気道が震える。吸い込む空気が生暖かい。
難しいことなんて全てすっぽかした、素直な気持ち。
赤嶺には、それがなかった。
友奈は異端だ。神の業に手を出した咎人。殺さなければならない。
しかしずっと昔に赤嶺の御役目は終わっている。だから、ここでは御役目に縛られなくてもいい……?
誇りはズタズタにされた。
もう、友奈を殺そうと簡単に気持ちを切り替えられない。
赤嶺の目的は、元の時代に戻ること。それまでの足掛けとしてでもいい。赤嶺には心の拠り所が必要だ。
「……さい」
消えそうなほどか細い声が、赤嶺の口から溢れた。
「助けて、ください。私に仲間をください。私に、居場所をください」
ゆっくり。ゆっくりと手を伸ばす。指を限界まで伸ばす。
暗闇から光へ。助けを求め、勇気を振り絞って泥臭く。
友奈は無言で車椅子を前進させる。
風と夏凛、高嶋が脇に避け、そこを低い駆動音とともに進み、赤嶺の前で止まった。
迷いのない澄んだ瞳が赤嶺を映す。そして真剣な表情から一転、柔らかい笑みを浮かべ。
「もちろん」
赤嶺の手を力強く受け取り。
「私たちは、同じ人間だからね!」
と元気に言った。
◆
赤嶺の敵としての警戒を解くことができたのはとても大きなことだ。
高嶋の必死の訴えと、友奈の差し伸ばす手がなければ、赤嶺は出ていくことになっていただろう。
ショッピングモールのベンチに座る高嶋は、たい焼きの尻尾の部分に大きく齧り付く。すると、口の中にほくほくした熱さが広がり、中の空洞から黄色のクリームがじわりと溢れてくる。
あんこも捨てがたいが、なんとなくクリームを選んだ。
「高嶋ちゃん、ちょっと一口もらっていい?」
そう尋ねてきたのは左脇の友奈だ。
すでに自分のたい焼き――あんこ――を半分を食べ終え、目をキラキラさせて高嶋の持つたい焼きを見ている。
「あー、私も高嶋ちゃんのが欲しいなー」
棒読みでそう追撃するのは、右脇でにやり顔をする赤嶺だ。今高嶋が齧ったのは、クリームがまだ出てこない『あそび』のような部分だ。ここからが美味しいところなのに。この友奈、策士……!
まあでも、あんこも食べられるからいいか、と自分を納得させてふたりにたい焼きを左、右と順番に差しだした。
首を動かして、クリームのたくさん含んだ部分を頬張る。なんだか餌付けをしているようで複雑な気分だが、「「美味しいー!」」と重なるのを見ると、それは吹き飛んだ。
あれから二日が経ち、赤嶺の熱も完全に引いた。
てっきり犬吠埼家に戻ってくると誰もが思っていたが、予想とは反して夏凛の家に留まる事を選んだ。理由は単純明快で、トレーニング器具があるからだそうだ。有り金を後先考えずにプロテインに貢ぐほどだ、夏凛の家はよほど魅力的に見えたのだろう。
夏凛が呆れながら言うには、プロテインと煮干しの論争が繰り広げられ、結局は家主権限で煮干しで押し切っているらしい。
それも一回や二回ではないという。音楽バンドの解散理由としてよくある『方向性の違い』が早くも露見しているのは不穏な予感がするものの、まあなんとかやっているから大丈夫だろう。
今日は友奈ズでお出かけだ。
ついていくと我儘を言い始めて友奈にしがみつく東郷を引き剥がすことに苦労したが、それはそれで面白い一幕だったかもしれない。
そんなことを振り返りながら高嶋はふたりのたい焼きを一口ずつ頂戴する。程よい甘さが舌の上でじんわりと解け、つい頬がとろんと溶けてしまう。
そのまま残りをあっという間に平らげたふたりは満足そうにお腹をポンポンと叩き、互いに顔を見合わせて笑った。
「ちょっとお手洗いに行ってくるね」
「じゃあ私が手伝うよ」
スムーズに助けを申し出た赤嶺が友奈の後ろにまわり、車椅子のグリップを握った。友奈も一切警戒することなくモードをチェンジさせ、赤嶺にすべてを委ねる。
食べるの速かったなぁ、なんて考えながら高嶋はようやく最後の一口を放り込んだ。
当面の課題は、腕時計の仕組みの理解だ。どうやってもう一度時間遡行をすることが可能になるか。それがわからなければ、ふたりは永遠に帰ることができない。
今の居場所は決して悪くないが、本当の居場所はここではない。
若葉にひなた、杏と球子。そして千景。皆が高嶋を待っているはずなのだ。だから、帰らなければ。
行き交う人々をぼんやりと眺めながらじっとふたりの帰りを待つ。
傍から見れば三人は三つ子に見えていたかもしれない。赤嶺は褐色肌だから違和感は強烈なものだろうが、人々からは微笑ましく映っていたはずだ。
せっかくショピングモールに来たのだ、樹と風に何かプレゼントを買うのもありかもしれない。……とはいってもお金は風からくれたものだが。
まあ、いつもありがとうの感謝の気持ちが伝わればいいだろう。
そうとなったら決まりだ。
バネに弾かれたように高嶋は顔を上げた。
「…………?」
そして気づく。
今さっきまで賑わっていた人々の喧騒が、一切聞こえない。それどころか、恐怖を感じるほど静かすぎる。
さらに一時停止になったように、誰一人として動きを停止させている。
異常な状況とこれまでの記憶を擦り合わせ、これが樹海化の影響であると理解する。
しかしそれはおかしい。
バーテックスとの戦いは終わったと聞いている。
これは誤作動か?
それとも高嶋が知らないだけで、樹海化以外の、何かしらの現象が起こっている?
高嶋のスマホは古いため、警報が通知されることはない。
とにかく、友奈に聞かなければ何もわからない。
まだトイレにいるはずの友奈に聞くべく、勢いよく立ち上がる。
「……牛鬼の対策はバッチリだな。――心配しないでいい、高嶋友奈。お前は何も考えなくていい」
誰かの声が、背後から聞こえた。
友奈ではない。赤嶺でもない。ややアルトかかっていて、身体の芯に重く響く声だ。
振り返った高嶋の視線の先に、ひとりの少女がいた。滑らかな歩行でこちらに近づいてきている。
なかなか見ない格好だ。
高嶋の知る勇者装束とは少し違う。バイザーで顔を隠していて、短い白髪が艷やかに揺れる。濃い褐色の肌を際立たせる白い装束。それになにより、背後の巨大な光輪? のようなものが何よりも強い印象を抱かせる。
この状況下で動くことができるということは、巫女か勇者だけのはず。外見からして巫女ではなさそうだから、きっと勇者だろう。
少し気難しそうな人だ、なんて思いながらも高嶋は少女に話しかけた。
「初めまして! あなたも勇者……ですよね? これって樹海化で合ってますか?」
少女の歩みは止まらない。
「ああ。樹海化で合っているとも。ところで、その理由をお前は知っているか?」
抑揚のない声。まるで幽霊と話しているような感覚だ。
「いえ……わからないです。あなたは知っているんですか?」
「もちろんだとも」
光輪が淡い光を放ちながら回転する。
少女の表情が窺えない。しかし仄かに薬品のような……普通人間が発するはずのない化学臭がする。
「本来ならこの樹海化は発生しないはずだった。……三人の友奈。天の神への特攻を有する、勇者適性のある友奈が三人。しかもふたりは過去の人間ときた。これは明らかな叛逆の意思表示と思われて仕方ない。当然天の神は怒り心頭さ」
「何を、言っているの……?」
舌が痺れる。
本当に目の前の少女は勇者なのか?
勇者たちは勇者部に集っているはずだ。友奈たちがこの少女の存在を把握しているなら、これまでで何らかの接触はあったはずだ。
……今、もしかしてとんでもない事態が起こっているのではないか?
少女の歩みは止まらない。
「まだわからないか? 原因はお前と赤嶺友奈にあると言っているんだ。だが安心しろ。さっきも言った通り、お前は何も考えなくていい。ただ、
「
少女が高嶋の前に立つ。
背丈は高嶋より拳一つ分ほど高い。
バイザーの放つ燐光は暗い深海よりなお深い闇を映していて、高嶋はつい呆けてしまう。
不意に、胸の中心に何か硬いものを押し付けられたのを感じた。
「死んでもらうってことだよ」
首を下に傾け、押し付けているものの正体を暴こうと凝視する。
黒い光沢をギラギラと放つそれは――。
「――――」
何であるかを理解した。
いや、理解してしまった。
だがそれはあまりにも遅すぎた。
刹那、死の冷たさが一気に全身を支配する。
咄嗟に身体を投げだそうとするも、脳からの命令を四肢が受け付けるより先に、少女は冷徹に引き金を引いた。
どん、と破裂するような音。瞬間的な激しい響きが、静寂なショッピングモール内で遠く反響した。
撃ち出された弾丸は、無慈悲に寸分の狂いもなく高嶋の心臓を捉えた。
「――、か、ふっ……」
絶対零度の冷たさが胸を刺し、直後、猛烈な熱……激痛が爆発する。
そしてこれはダメだと即座に悟る。
視界が定まらない。
呼吸が急激に浅くなり、生の鼓動が停止する。
……最後にしっかりと映ったのは、いつまでもこちらを無言で見下ろす、死の光だった。
高嶋の身体が倒れる。
少女――征矢は倒れた高嶋の胸に弾丸をさらに二発撃ち込む。
それだけでなく、念には念をとばかりに、額に最後の一発を放つ。
後頭部から脳髄が放射状に撒き散らされ、高嶋の身体は最後にびくんと大きく震え、血の海に沈んだ。
拳銃を放ると、地面に落下する前にしゃららん、と闇色の花弁と共に消え去る。
征矢の靴先が、色濃い血色に染まる。
そして、静かに征矢は口を開いた。
「――高嶋友奈、処分完了」
鬱は始まったばかりです
それではまた次回!