結城友奈は勇者ではない   作:mn_ver2

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くめゆ買いました。これから読みます

前回のあらすじ
征矢は寝返り、叛逆が始まる


お兄ちゃん

 高嶋と赤嶺は、征矢が同じようなことを言っていたことを思い出した。

『時が来た』と。

 それが何を意味するのかはわからないが、少なくとも大きな転換点であることは間違いなさそうだ。

 

「夏凛以外はオレと初対面だね。自己紹介をしておくよ。オレは三好春信。夏凛の兄だ」

 

 小首を傾げる夏凛から視線を外した男――三好春信はふたりを見た。

 

「君たちはオレとあいつの関係を聞いているよね?」

 

 あいつ、とは征矢のことだろう。

 そう気軽に呼べるということは、春信と征矢には何らかの関わりがあるとみていいだろう。

 しかし言ったは言ったが、それがなにがどういった意味であるかまでは説明を受けていない。互いに顔を見合わせて肩をすくめたのを見た春信は嘆息して片手を額に当てた。

 

「まさかあいつ……説明してないのか?」

 

「されて……ないです。だよね、赤嶺ちゃん?」

 

「うん」

 

「そうか。……まあ、オレが始めたことだからオレが説明するのが道理、か」

 

 そう呟いた春信は外した仮面を夏凛に預ける。

 駄々をこねることなく素直に受け取った夏凛は呆然と兄を見る。

 

「どこから説明したものか……そうだな、オレの大赦での御役目について話そうか」

 

 静かに息を吸った春信は赤嶺と高嶋を一瞥してから続けた。

 

「オレの御役目は征矢の整備や、鍛治師の真似をして武器の作製することだ。……とはいっても基本的に贋作ばかりだけどな。つまるところ、オレは征矢の側付きをしている」

 

「……え、ちょ、ちょっと。どういうことよそれ」

 

 即座に突っかかってきたのは夏凛だ。

 困惑しすぎてさっきまでの凛々しさを失っている。自分を落ち着かせようと呼吸を整えた後、改めて問うた。

 

「どういうことよそれ。っていうことはつまり何? 私たちを苦しめた征矢の手助けをしていたっこと?」

 

「その通りだよ」

 

 瞬間、夏凛は警戒の色を強めた。

 たとえ兄であろうと、敵の助けていたなんて事実は到底許されるはずがない。

 赤嶺と高嶋がどれだけ傷つけられたか、春信はわかっているのだろうか。そう考えると怒りがふつふつとこみ上げてくる。

 ……他人事だ。他人事ではあるものの、それが身内の人間が加担していたなんて聞かされては無視できるはずがない。

 キッ、と春信を睨みつけ、敵意の含む声色で尋ねた。

 

「……じゃあ、兄貴は私達の敵なの?」

 

 水を打ったように場の空気が静まり返る。

 自然と園子たちもスイッチを警戒モードに切り替えた。そして瞬時に現状の理解と、敵対が確定したときのシミューレションを始める。

 体格では遥かに勝っていて、さらに単純な筋力でも上なのは明白。

 しかし変身さえすれば無力化することは容易いだろう。

 神官だから戦闘力は低いと見るべきだが、なにせ征矢の味方をしていたのだ、何らかの方法で肉体をさらに強化している、なんてことがありえるかもしれない。

 春信も女子中学生……勇者たちの疑惑の視線に気づかないはずもなく、宥めるように言った。

 

「前はどちらでもなかった。でも、今は味方だよ」

 

「どういうことよ、いまいち曖昧ね」

 

「もうオレは大赦から抜ける……いやもう抜けたんだ」

 

「は……?」

 

 そしてなんの前触れもなく投下された爆弾は、夏凛を含め、一同を驚愕させた。

 

「今ネットを騒がせているあろう暴露はついさっき、オレがやった。もう拡散の勢いは止まらないだろう。大赦への非難は避けられず、窮地に立たされることになるはずだ」

 

 そう語る春信の目には、言葉にし難い確固たる決意の炎が宿っていた。

 狂気に落ちたゆえの行動ではないようではあるが、今告白したのは紛れもない情報漏洩で、大赦の中でもトップシークレットに属する情報たちだ。しかも大赦の前身である大社の頃の、さらに検閲前の記録もその中には含まれていた。どうやってそんな大昔のものを入手したのかという強い疑問を東郷は問いたださずにはいられなかったが、訊いても無駄、もしくは無意味であると悟った。

 そんなもの、想像を絶する方法以外、何があるのというのか。

 そう。

 つまり、訊くことすら恐れ多いことなのだ。他人の死に物狂いの努力にずかずかと踏み入るのは失礼極まりない。

 だから、東郷が震え声で訊けたのは、

 

「それでは大赦の存続が危うくなるのではないですか……?」

 

 という当然の結論だった。

 もう火消しなどといった対応では防ぎきれないフェイズに至っている。メディアでは夕方にはこれらの情報をもとに特集を組むことは間違いない。そうなれば公開時にネットを見ていなかった人々も気軽にその存在を知ることとなる。

 そうなればさらに大赦の肩身が狭くなる。

 

「危うくなるどころじゃないよ。ほぼ間違いなく大赦は潰れる。もうカウントダウンに入っているよ」

 

「――――」

 

 端的に言い放った宣告に絶句したのは、他でもない風だった。

 一度大赦を潰そうとした風は、結局直前に踏みとどまった。しかし春信は最後までやってみせた。仕込みにどれだけ時間を費やしたのかはわからないが、計画を実行して、こんなにすぐに達成することができた。

 尊敬や畏敬の念とは違った、畏怖のこもった視線を風は向ける。

 

「どうして、そんなことをしたんですか?」

 

 風の原動力は樹の不遇に対する怒りだった。しかし春信はとても怒っているようには見えない。

 そんな感情に走った行動ではないことは明らか。

 窓越しのからっとした冬空を見上げ、短い沈黙の後にただ一言のもとに言い切る。

 

「……人が真に神の下から離れるためだ」

 

「神って……神樹様からですか?」

 

「いいや、違う。神といっても何も神樹様だけじゃない。天の神だって神だ」

 

「そんな……でも、どうやって……?」

 

 神の元から離れる。

 言葉で言うのは容易いが、そう簡単に……いや、不可能に近い。

 まずは神樹の庇護から脱しなければならない。四国は神樹という超巨大な樹木の内部に存在し、外界から守られているのだ。そのような技術をまず現時点で人類は有していない。

 さらに、もし……もしその問題が解決すれば、次に立ちはだかるのは天の神だ。西暦では神樹の力では歯が立たずに敗北したというのに、それを上回る力を得ることができるのだろうか。

 

「わからない」

 

 わかりきっていた答えだった。

 しかしすぐさま春信は改める。

 

「言い方が悪かったね。今の人類にはわからない、が正しい答えだ」

 

 つまり今の人間には不可能であることをあっさりと認めた上で、今ではない、遥か未来にこの問題を託す……悪い言い方をすれば丸投げしてしまおうということか。

 しかしそうなれば春信が大赦を潰すべく情報漏洩を故意に引き起こしたのとはどうも風の中では結びつかない。

 が、園子と赤嶺はその真意に気づいたようだ。ふたりはすう、と目を細める。

 

「わかったの乃木?」

 

「まあ……はい。たぶんわかりました。でも私からじゃなくて、直接聞いたほうがいいと思います」

 

 この場で理解が追いつかないのは風と夏凛、東郷、そして高嶋だ。

 

「うん、オレが話すよ。まずはそうだね……オレが言った、『神の下を離れる』ためには、大赦は邪魔なんだ」

 

「邪魔って……大赦は皆の為に色々なことを頑張ってくれています! その言い方は、ちょっと良くない気がします……!」

 

 真っ先に春信の言葉を否定したのは高嶋だった。そう言われると想定していたのだろう、春信は素早く返す。

 

「高嶋様……初代勇者様はそう思われるかもしれない。でも、夏凛たちは違う。そうだろう?」

 

 話を振られた夏凛は難しそうな顔をして明後日の方を向く。

 満開。散華。

 これらの非道さをひた隠しにされた苦しみは計り知れないものだった。

 そんな夏凛を見て、高嶋は押し黙ってしまう。

 

「高嶋様の時代はまだマシだったのかもしれない。でも、今の大赦は在り方が歪だ。それは夏凛たちが身をもって知ったはず。……次に赤嶺様。あなたの御役目はどういうものだったかな?」

 

「四国の平和と安寧を揺るがす驚異を排除すること、です」

 

「もっと具体的に」

 

「……テロ、そして神樹様と同じステージに立つ足がけになるかもしれない技術革新を防ぐこと」

 

「その根底にあるものは?」

 

 深堀りを重ねられた赤嶺は微かに眉を動かす。

 

「……神を脅かさないこと」

 

「その通り」

 

 春信が深く頷く。

 石碑の前で老若葉の言っていたことが、どうやら正解だったようだ。

 

「大赦は狂信的に神樹を崇めている。おふたりはおわかりかと思うけど、神世紀が開始して三百年、多少の進歩はあれど、目に見えた技術革新は起きていない。――わかるかい? 三百年という年月は、西暦で言うと蒸気機関から電気への移行――人類にとって大きな進化に匹敵する。それが、大赦によって抑圧されたんだ」

 

 まず初めの時間遡行は七十年だった。丸亀城に現れ、赤嶺はジャンプ直後の車酔いに似た感覚に陥り、気分を悪くして吐いてしまった。

 口をゆすぐためにトイレに連れて行ってもらった時、確かに違和感がなかったという違和感(・・・・・・・・・・・・・・)があった。七十年という月日なんてまるで嘘のような普通のトイレだった。

 とはいってもトイレが進化なんてのは大げさだと思ってその時は重く受け止めていなかったが、神世紀三百年に飛んで、ようやく気付かされた。

 この時代の生活水準が、赤嶺の当たり前(・・・・)と何も変わらないことに。

 

「…………」

 

 赤嶺が固く口を閉ざす。

 春信の言う技術革新。それを防ぐことが赤嶺の御役目なのだ。第二世代で鏑矢は終わり、以降は征矢が肩代わりしていた。

 

「神樹様の下になんてものは建前で、オレたちは神に飼われる愛玩動物でしかない。それは果たしていいのか?」

 

 赤嶺には、春信が老若葉の幻影を映した姿のように見えた。

 強い既視感に頭が痛くなる。

 

「だからオレはその象徴である大赦を潰した」

 

「……罪は感じてないのですか?」

 

 訊ねたのは園子だ。

 大赦といえば乃木家。脊髄反射で辿り着く繋がり。そのご子女の目の前でしてみせた豪語。到底見過ごすわけにはいかず、場合によっては報告も視野に入れなければならない。……いや、すで大赦で解析が進められ、犯人は春信であると断定されているかもしれないが。

 数度瞼を瞬かせた園子はじっと春信を見据える。

 

「これが罪であるかどうかは、四国の人間に委ねるよ。もしオレの行いが善なら、二度と再起できないように大赦は根っこから刈り取られ、新しい時代が始まる」

 

「悪だったら?」

 

「大人しくお縄について、ひっそりと罪を償おう。だが。神に翻弄されるのはあなたも忌避したいはずだ。それに結城友奈様の件もある。オレのやることは悪だとお考えかな?」

 

「それ、は……」

 

 そう簡単に答えられる問題ではない。

 天の神のせいで銀が死に、樹も死んだ。

 神という存在は、矮小な人間のあらゆるものを、呆気なく奪っていく。

 乃木家の総意ならば悪と答えるだろうが、園子はすぐに同調できない。

 

「何事にも報いを……それが乃木家の生き様だったね。あなたは、神に報いようとは思わないのか?」

 

「――――」

 

「オレは報いたい。でもオレにはその力がない。だから、遥かな未来、神を討つ――破神(はしん)を為しえる誰かの誕生のために、この生を捧げると決めたんだ」

 

 期待する事象が本当に起こるかどうかするわからない賭け。リリースするのは人生。リターンは自身に返ってくることはない。

 ……破神。

 ……正気の沙汰とは思えない。人はその行動に何らかの見返りを求めるのが基本だ。園子たちの勇者という御役目は秘匿されている。だから見返りはない。そういった観点では確かに春信と変わらないが、相違点は、勇者は一時的なものであることだ。

 並大抵の覚悟では春信のような決断はできない。……そう、とっくの昔に春信は正気ではなくなっているのだ。

 春信は小さく苦笑した。

 

「でもオレの策はまだ完全じゃない。ほぼ八割ほどは決してはいるけど、決定打に欠けている」

 

 そんなはずはないと園子は脳内で即答する。

 春信の策は完璧だ。

 なぜ、今行動に出たのか。

 何をもって『時が来た』と判断したのか。

 もし時が来ていない状態で行動を起こしても、暴露サイトは本来の効力を発揮することはなかったはずだ。

 ネットの全ては大赦に掌握されている。ネット検閲の力は非常に強い。それは大赦が三百年も存続しているのが証拠である。平常時なら瞬く間に暴露サイトは消され、それに気づいた者による二次的な拡散も防がれていただろう。

 しかし今の大赦は平常ではない。

 その原因は間違いなく友奈の失踪だ。

 もし友奈以外だとここまで騒ぎ立てることはないだろう。なにせ神婚に必須の人間だ、友奈を大赦の認識下に置かなければ安心できない。

 大多数を友奈の捜索に当て、足元が不注意になったところを襲う。

 なんともジャストタイミング。

 説明するだけで長い時間を要してしまったようだ。風と一緒に入ってきたのがだいたい四時半だったはずだ。顔を持ち上げて壁際にかけられた時計を確認すると、すでに五時を回っている。

 唇が乾燥したのか、春信は舌で一度湿らせてひとつ咳払いをした。

 

「その決定打として、君たち勇者の力を借りたい。大赦の歪な在り方を説き、四国の皆をこちら側に引き寄せるために……どうか」

 

 そう言って、深々と頭を下げた。

 大赦の人間が頭を下げる場面は園子たちも飽きるほど見てきた。咄嗟に「頭を上げてください」なんていつもなら言ってしまう言葉は誰の口からも出なかった。そうして十数秒が過ぎた頃、春信の妹が口を開いた。

 

「頭を上げなさい」

 

「……ああ」

 

 ゆっくりと頭を上げた春信を待っていたのは、強い平手打ちだった。

 硬い頬への一発は、決して大した威力ではなかった。しかし春信は殴られた頬をそっと擦ると、その端正な容貌をくしゃっ、と歪ませた。

 物理的なダメージより、精神的なダメージの方が大きかったのだろう。

 

「……知ってる? 兄貴の用意した武器が赤嶺の左腕を斬ったのよ?」

 

 夏凛の声は微かに震えている。

 赤嶺の左の肘先に鋭い幻肢痛が走った。

 

「………………知ってる」

 

「兄貴の用意した武器が、高嶋を殺したのよ……?」

 

 高嶋の胸に幻の弾丸が穿たれた。

 次いで頭を撃ち抜かれる。

 

「………………そうだな」

 

「兄貴の造った武器が、私のとても大事な仲間を傷つけた。兄貴が直接やったわけではないことはわかってる。でも、そうなる可能性はわかっていたはずよね? そんなこと、私が喜ぶはずがないって、わかってたわよね?」

 

「すべて、承知の上だ」

 

「っ!」

 

 全身の毛を逆立たせた夏凛は、自身の頭の高さくらいの兄の胸ぐらを掴み、引き寄せようとした。

 しかし。

 

「――――」

 

 ビクともしない。

 以前取っ組み合った時は、こちらの力がある程度通用していた。だが、今はまるで力が足りない。数度試しても、屈強な身体を一ミリとも動かすことができなかった。

 潔く諦めた夏凛は、鉛を吐き出すように言った。

 

「……私の知らないところで、いっぱい頑張ったのね。こんなに身体、強くなっちゃってさ」

 

「ああ」

 

「身近な私を守るために大赦に入ったんじゃなかったの……?」

 

 春信が家をあとにする前、当時の幼い夏凛に語りかけた言葉を思い起こす。

 

「そうだよ。今もオレは夏凛を大切に思っている。でも本当は勇者になってほしくなかった。裏で工作して候補から外そうとしたこともあった。……でもできなかった。あの時の夏凛は、勇者に選ばれることこそが、生きる理由だったのだから」

 

 春信に指摘され、夏凛はすぐに反論することができなかった。

 事実、当時の夏凛は勇者に選ばれることが生きる目的と化していた。そのために泥臭く努力をした。

 そして掴み取った名誉ある御役目。

 ……なぜ勇者を目指したのか?

 それは、兄への反骨心だ。四国を牛耳る大赦に就職した出来のいい兄と比べられながら育った夏凛は、いつの間にか兄に対して憎しみとは違うものの、妬みに近いものを抱くようになってしまった。

 その中で勇者の素質を見いだされればもう止まれない。家族との確執の果てに、勇者になる道を選んだ。その結果、『勇者』という苦しみを突きつけられた。

 でも後悔はしていない。なぜなら、こんなにも素敵な仲間に出会えたのだから。

 

「なんで、そんなに変わってしまったの?」

 

 刺々しい問いに、やや力のない返事。

 

「そうだな……変わったっていう自覚はあるよ。たくさんのことを知って、思い知らされて、苦しんで、諦めて――オレはそうやって大人になった」

 

「悲しいわね」

 

 妹には兄の言うことを完全には理解できなかった。だから、ゆっくりと咀嚼しながら呟く。

 空虚な穴を抱えて、ぼんやりと生き続ける。そういう選択をしなかっただけでも良かったのかもしれない。

 

「それが生きるってことさ。全員が全員、そうというわけではないけどね。大赦を潰したのは、夏凛たちが二度と苦しめられないようにするためでもあるんだ」

 

 まだ赤みのあった片頬の色はすでに戻っていた。

 きっと春信も、『仕方ない』と踏ん切りをつけて行動していた大人の一人に過ぎないのだ。ただ周りとはベクトルが違って、それが大赦を潰すという結論に至った。

 時計の秒針が時を刻む音だけが、病室を支配する。

 皆、夏凛が次に放つ言葉を首を伸ばして待っている。夏凛の言葉こそが、勇者たちの総意となるのだ。

 代弁者は細く空気を吸った。

 春信は静かにこちらを見上げる彼女を見下ろす。

 

「……兄貴の話には乗らないわ」

 

 拒絶の言葉だった。

 なおも硬い言葉は続く。

 

「私には兄貴も大赦の人間と同じように見える。私たちを道具として扱うような感じ。前から何も変わってないわ」

 

「――――」

 

 この返事を頭の片隅に想定していたのか、春信にそこまで落ち込むような態度は見られなかった。寧ろ逆で、安堵したような……どこか満ち足りたような面持ちだった。

 

「――でも」

 

 喉の奥深くで言の葉が詰まる。夏凛はそれを押し出そうと絞り上げた。

 そんな様子に春信の眉がぴくりと動く。

 

「ありがとう」

 

 そう言うと、優しく微笑みかける。

 

「今はまだ兄貴のことはわかってやれないし、許してもやれない。でも……いつの日か、昔みたいな関係に戻りたいって思ってる」

 

「…………」

 

「兄貴にやらなければならないことがあるように、私たちにもある。それは、どうかわかってほしい」

 

 瞠目した春信は、すぐさま柔和な表情になると、

 

「――ああ、わかったよ」

 

 と言った。

 もうこれ以上話すことはないとばかりに春信は背を向けると、静かにドアへと歩き始める。

 無言で見届けていた夏凛は、取っ手に手を伸ばしたところで叫んだ。

 

「お兄ちゃん!」

 

 ぴたりと足を止めた春信が、ゆっくりと身体を反転させる。

 咄嗟に出た言葉が『兄貴』ではなくなっていたことに気づく。皆の前で言ってしまった恥ずかしさに、夏凛は朱色に頬を染める。しかし両手でぺしぺしと叩いて恥を振り払い、力強く言い放った。

 

「頑張って! 私も、頑張るから……!」

 

 妹の声援に深く、深く頷いた春信は口許を緩めた。

 

「……ありがとう。結城友奈は征矢が必ず連れ戻すから、来たる決戦に備えて英気を養っておくんだよ。それと……どうか死なないでくれ」

 

 願いを込めてそう言い残すと、今度こそ病室から去っていった。

 スライドドアがガララと音を立てて閉まる寸前まで背中を見届けた夏凛は、長い長い吐息をついた。

 僅かに喉を上下させ、短く笑う。

 そしていつも通りのさばさばした口調で言った。

 

「悪いわね、うちの兄貴が色々」

 

「い、いや、別にいいのよ? ほら、兄妹の仲を見せつけられた感はあるけど」

 

 風が歯痒さを前面に押し出しながら返す。まさか連れてきた人が夏凛の兄だとは思わなかったのだろう。

 そこから口論に近いものが発生したことに多少なりの罪悪感を抱いてしまう。

 

「あの……風さん!」

 

 その呼び声は赤嶺から発したものだった。

 声色から、ただの世間話、ということではないと風にも察することができた。もう何を話そうとしているのかすらわかっているのだろう。肩を一度小刻みに震わせた風は、数日前まで自失していたなんて嘘のようなしっかりした態度で赤嶺に向き直った。

 それを見た赤嶺は小麦色の顔に皺を寄せて短く喘ぐ。

 しかし、意を決したのか、鼻で大きく呼吸をして、話を切り出した。

 

「……風さん。樹ちゃんが死んだのは……私がこの時代に来たせいです」

 

「…………」

 

「許されることではないことはわかっています。でも……ごめんなさい」

 

 そうか細い声で言って、頭を下げた。

 それに続いて高嶋も同じ動作をした。

 

「私からも……ごめんなさい」

 

 じっと無言でふたりの謝罪を受け止めた風は、右手を頭の高さまで上げて、そして自分の頬を張った。

 

「「⁉」」

 

 鳴り響いた音に、ふたりはもちろん、東郷たちも驚愕した。

 さらに風はもう一発、反対の頬を張る。

 その行動の意味はまるでわからなかったが、風の中では何らかの結論がついたらしく、「よし!」と威勢よく気合を入れた。

 真っ赤な頬のままふたりのベッドの間に立った風は、母性を感じさせる穏やかな口調で言った。

 

「あんたたちに罪はないわよ。だって別に樹を殺そうとしたわけじゃないんでしょう? それにこの時代に来たのも本当に偶然。なら、どこにも罪なんてない」

 

 それは、許しなどといった話の以前。

 罪の存在を否定する言葉の羅列だった。

 

「……実を言うと、少し前まではあんたたちのこと、憎んでた。あんたたちさえ来なければ……って。たぶんあの時に遭遇したらきっと殺してた。それくらい、憎んでた」

 

 誤魔化すことなく告げられた今は無き殺意に、赤嶺と高嶋は喉を締め付けられるような感覚に陥った。  

 

「いえ……いえ……! 風さんは私を憎んでいいんです! むしろ憎むべきです……!」 

 

 しかし、風はゆっくりと頭を横に振る。

 暖かい声は止まらない。

 

「いいのよ赤嶺。私がいいって言ってんのだから、いいに決まってるでしょ。それに……一時的な感情のせいで人殺しになりたくないからね」

 

 そう言って、胸に右手を押し当てる。

 まるで過去の過ちは繰り返さないという意志の現れに見える。

 

「苦難を乗り越えてこその勇者。そうでしょ?」

 

「そう……ですか」

 

「ええ。あんただって、私から見たら立派な勇者よ。胸を張りなさい」

 

 赤嶺友奈は勇者ではない。

 赤嶺友奈は鏑矢である。

 勇者の存在意義が失われた時代からやってきた、時代背景の異なる部外者。風達に受け入れられた後でも、どこか疎外感があったのは否定できない。眩しい皆の笑顔を見る度に、自分は影だったのだと思い知らされる。

 ああ。でも、高嶋はあれだけ必死に励ましてくれた。

 友奈に負け、石碑に囲まれて泣いていた時。

 征矢による処刑をすんでのところで救ってくれた時。

 ああ。

 ああ!!

 勇者とは、何と眩しい存在なのだろうか……!

 感極まり、身体を小刻みに震わせる赤嶺にそっと風が腕を伸ばす。そっと頭部を両腕が覆い、胸に抱き寄せられるのをされるがままに受け入れる。

 真に打ち解けた赤嶺は右腕を風の腰にまわす。

 そして。

 

「……はい」

 

 と蚊の鳴くような声で返事した。

 

 ◆

 

 大赦本部に入るには、二十四時間に渡って厳重な警備がされている正門、もしくは西門をくぐるしかない。

 荷物の配達にやってきた青年から、地位の高い神官まで、皆がここを通る。平等にして絶対の門。

 しかしその中に征矢は含まれない。そもそも大赦の中でも特に秘匿されている存在。バイザーで顔を隠した少女が通ろうものなら、不審者認定を受けて間違いなく門番に引き止められる。

 だからこそ、征矢しか使用しない特別な裏道がある。それは地下に掘られた坑道を潜って中に入り込む、怪盗も驚愕の侵入方法だ。

 実際には侵入ではなく、正当な入館であるが。

 土が崩れないようにアーチ状に組まれた木が並び、その下を征矢はひとりで歩く。

 長さはおよそ五十メートルほど。掘ったのは征矢自身だ。流石に土木業者に頼むことなんてできず、かといって歴代の側付きにできる作業でもないから自身の手で、というわけだ。

 征矢に就いて初めての御役目が土木作業だなんて笑い話だ。赤嶺が聞けば鼻水を吹き出して大笑いするだろう。

 それっぽい大きさの石を積み上げた階段を登り、錆びれた扉を開ける。ギギギ、という妙な軋みが鳴り、時の流れを感じさせられる。

 この坑道の出口は春信の作業部屋へと直通している。普段は巧妙にカモフラージュされていて、何かのミスで誰かがこの部屋に侵入してもこの扉の存在がバレることはない。

 部屋の中は真っ暗で、征矢は壁に手を這わせながら照明のスイッチを探した。

 そしてそれらしき突起物に触れると、躊躇いなく押す。

 すると微かに天井の証明が明滅した後、パッと一気に明るくなった。

 

「――――」

 

 征矢の目に飛び込んできたのは、作業台の上に整然と並べられたレプリカの数々だった。

 どれも新品で、光に晒され、芸術品のような光沢を放っている。

 槍。戦斧。弓。

 クロスボウ。旋刃盤。手甲。太刀。大鎌。

 大鎌は歴史の闇に葬り去られた郡千景の武器。オリジナルが手元にないのに、よくも再現してみせたものだ。

 不意に征矢は光輪を出現させるが、現れた途端、光輪は炭化したようにどす黒く変色して、床にボロボロと崩れ落ちた。

 

「……まあ、そうなるな」

 

 大赦、ひいては神樹に反旗を翻したのだ。神樹とのリンクを断たれるのは当然の措置と言っていいだろう。

 つまるところ、身体能力の向上も臨めず、今の戦闘力は祝詞なしの赤嶺にも負けるほど落ち込んでいる。

 続いて視線を振ると、ある扉が開かれていることに気づく。

 オリジナルの保管庫へと続く道が解放されているのだ。好きに使うといい、というメッセージだろう。

 開けたのは間違いなく春信だ。昨日勇者たちと面と向かったのは知っている。どんな会話をしたのかまでに興味は持たない。

 征矢はゆっくりとかぶりを振った。

 

「……私にはそれに触れる資格がない」

 

 氷の微粒子に似た言葉を零しながら作業台に向き直り、冷たい息を吐き出す。

 これらすべてを持っていくことはできない。だから、一番手にしっくりきて、持ち運びしやすいことを重視しなければならない。

 

「…………」

 

 そうして征矢が選んだのは、手甲と、太刀だった。

 

「ふ」

 

 ほとんど脊髄反射で手が伸びていたことに、口角を上げて笑う。

 しっかり手甲を両腕にはめ、帯刀ベルトを腰に巻きつけて太刀を携える。

 用意はこれですべて揃った。

 征矢は初めて廊下へ続くドアの前に立ち、躊躇いなく蹴破り、弾丸の如く飛び出した。

 やはり友奈の捜索に全力を費やしているのか、人気は全くない。数人の神官たちとすれ違ったが、声をかけられるより速く走り去る。

 閑散としている通路を疾走しながら、灯台下暗しとはまさにこのことだな、と鼻で笑う。

 目指すは北方面。かつては園子が神として祀られていた、本殿を模した特別な部屋。そこに友奈は幽閉されている。

 友奈がそこにいることは、征矢と春信を含め、大赦のトップ数人しか知らない。恐らく神婚の直前まで手元に置いておく算段だったのだろう。しかしその過剰なまでの行動が隙を晒し、春信の暴露を許すこととなった。

 とはいえ、神婚が成立すればそんなことはどうでもよくなるとでも考えているのかもしれない。

 直後、けたましいサイレン音が大音量で鳴り響く。

 堂々と大赦の中を走ったのだ、これは仕方ない。耳を劈くサイレンを無視しながら最短距離で駆け抜ける。

 流石に大赦の内部に神社をまるごと持ってくる、なんてことはできないため、鳥居、参道、拝殿、本殿と順に配置されていて、本来あるものがいくつかショートカットされている。

 床の両隅から上に向けられた照明に鳥居が照らされている。赤く佇んでいるそれは、征矢には血塗られた巨大な墓石に見えた。

 頭を振ってくだらない思考を捨てた征矢は一直線に鳥居をくぐると、ワックスのかけられた木目の床から一変して、オニキスのように金属質の光沢を放つ参道を突っ走る。

 あとは拝殿を越えて本殿に潜り込み、友奈を連れ出すだけ。

 

 ……だというのに。

 

 征矢の十数メートルほど先に、何者かがいる。

 それもひとりではない。複数人。

 さらに正確に言うと、三十二人の少女たちが征矢の到達を待っていたかのように立ちはだかっているのだ。

 その中からひとり、リーダー格と思われる少女が前に進み出る。

 

「――止まりなさい、侵入者」

 

 凛として力強い命令に、征矢はとりあえず従うことにした。

 足を止め、やや上がった呼吸を整える。

 黒いシルエットだから全体がよく見えないが、征矢には彼女たちが何者であるかなど、わかりきっていた。

 遅れて、参道を照らす両隅の照明が手前から順に点く。まずは征矢を。続いて少女たちを照らした。

 征矢と似たような戦衣に身を包み、全員がバイザーで顔を隠している。違うところといえば、征矢の禍々しい外見とは正反対の緑を基調とした落ち着いた外見であることだろうか。

 ……ああ、きっとこいつらは何も知らないのだろうな。

 そう小馬鹿にするように笑う。

 それが気に食わなかったのか、少女はやや不快感を露わにしながら言い放つ。

 

「何を笑っているのかしら」

 

「……いいや? 随分と手厚いお出迎えだな?」

 

 嫌味と受け取った少女はベージュ色の髪を左右に揺らし、ムッと口を曲げた。

 

「今すぐ引き返すというのなら、私たちは何もしないわ。でも、もしそこから一歩でも足を踏み出――」

 

 忠告を言い終えない内に、素知らぬ顔で征矢は一歩、二歩、さらに欲張って三歩と進んでみせた。

 

「――――」

 

 口を開いたまま硬直した少女はすぐさま表情を引き締め直すと、膨れ上がる戦意を放出させた。

 征矢は肩をすかす。

 

「おっと、すまない。よく聞いてなかった。もう一度言ってくれないか? 急いでいるから手短に頼むぞ?」

 

 相手の精神を逆撫でするのは征矢の十八番だ。しかしどうやらリーダーは少し沸点の低い人間だったらしい。

 グググ、と握り拳を作る音がこちらまで聞こえた。首筋が浮かび上がる。相当強く歯噛みしているのだろう。

 素早い動きで銃剣を征矢に向けたリーダーは、溢れんばかりの気迫を押し殺した絶対零度の声色で、

 

「我ら防人――あなたをここで倒す」

 

 と告げ、ダン! と片足を強く踏んだ。

 すると、背後の仲間たちがそれぞれの武器を構える音が響き、見事な連携で素早く戦闘態勢に入る。護盾隊八人が横並びになって盾の底部分を地面に打ち付け、その背後にリーダーと同じ武器を持った十六人の銃剣隊がその矛先を一斉に向ける。

 衝突は避けられなさそうだ。

 サイレン音はすでに鳴り止んでいる。

 この場を支配するは、膨張し続ける互いの戦意のみ。

 傍から見れば……いや、どう見ても征矢は悪者に見えてしまうだろう。

 悪を討つヒーロー。そんな構図が出来上がってしまっている。

 いいだろう、と滾る興奮。

 説得は不可能。何を言っても通じない相手と判断。ならば殴る。殴って退ける。

 征矢は意識を戦闘用に切り替え、獰猛に、

 

「――ふはッ」

 

 と笑ってみせた。




友奈救出作戦、開始――

それではまた次回!
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