結城友奈は勇者ではない   作:mn_ver2

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前回のあらすじ
天の神、降臨

後半以降はどうか『花冠』を聴きながら読んでほしい


決戦

 絶望。

 破滅。

 終焉。

 死。

 あらゆる言葉でも表現しきれない超存在――天の神。それが、通り過ぎた跡を赤く異界化させながら悠々と四国に侵入してくる。

 四国を背に、勇者たちはついに自ら出陣した最後の敵を見上げる。

 

「……でっか」

 

 と、最初に頭の悪そうな感想を呟いたのは風だった。

 しかしすぐさま真剣になると、皆に言った。

 

「いい? これが本当の本当に最後の戦いよ。神婚を防いで、天の神もなんとかする。一見すれば笑っちゃうくらいの無理難題だけど、それをしなければ四国は……人類は終わるわ」

 

 樹海を進む天の神は、人間などその辺の蛆虫としか思っていないだろう。

 愚かで、矮小で、身勝手な生き物。

 しかし、人間はそんなマイナスイメージばかりではない。命という儚くも尊い輝きがある。人が人に想いを、祈りを託し、これまで織られてきた数多の歴史。

 思わず目を背け、なかったことにしてしまいたくなるような醜い惨劇があったのは言い逃れのできない事実。だが、それ以上に暖かさに溢れた人情があったことも、また事実である。

 神樹による樹海化が発動する。

 虹色のもやが展開され、七色の花弁を巻き上げながら内陸に一気に押し寄せる。

 その瞬間、勇者以外のあらゆる人間の活動が強制的に停止させられ、植物質の物体に覆われる。

 もう、天の神に立ち向かえるのは、樹海化が起きても活動できる勇者のみ。

 大赦の人間も、春信も力を貸してはくれない。

 勇者たち自身の力でなんとかしなければならないのだ。

 武者震いなんてできるはずもなかった。

 これまで世界の命運をかけた決戦を幾度もした。

 だが今回は違う。

 世界の命運をかけるだけではない。

 人と神の在り方を問う決戦でもあるのだ。

 

「……わかってるとは思うけど」

 

 と、風は前置きをして横に並ぶ勇者たちに縋るように言った。

 

「お願い。絶対に死なないで」

 

 ここで頭を縦に振らないわけがわかった。

 樹という大きすぎる犠牲をようやく受け入れ始めようとした矢先だ、当然の言葉だった。

 

「どうしますか、風先輩?」

 

 友奈を一旦地面に座らせた東郷は、警戒態勢に入り、ライフルを構えている。

 

「あいつに攻撃よ。まずは様子見。でも、そんなにのんびりしてられそうにないわね――来るわよ!!」

 

 円盤の一部で、光の柱が屹立する。

 その瞬間、巨大な火球が生成されて勇者たちに目掛けて発射された。

 急いで友奈を再び抱えた東郷を始めとして、全員がその場から離脱する。

 一拍後に、耳をつんざく轟音と爆風が東郷たちを激しく叩きつけた。辺り一帯は灰色の焦土と化し、戦慄を覚えながら別地点に着地する。

 あれは、獅子座の攻撃と全く同一……!

 それだけではなく、火力が全くの異次元!

 獅子座のものが太陽と評するならば、天の神は、まさにベテルギウス、アンタレス!!

 今のは確実に狙われた攻撃だった。

 ということは向こうはこちら……強いては友奈を認識していている。

 天の神の勝利条件は、友奈を殺し、神樹を破壊することだ。

 

「東郷! 友奈を!」

 

 夏凛は赤嶺を背中に抱えながら叫びに近い声で言った。

 

「ええ! わかってるわ!」

 

 あんなものをまともに受けたらただでは済まない。精霊バリアを張っても無傷でいられるかどうかすら怪しい。

 友奈を遠ざけるべく、東郷が一人離れて後ろに大きく後退する。

 友奈は何もできない自分に悔しさを滲ませながら、ぎゅっと左手を握る。

 

「心配しないで、友奈ちゃん。必ず私が守るから」

 

 そう頼もしい声をかけた東郷の横顔は、いままでの中で最も勇ましくカッコよかった。

 骨の髄を震わせるような重低音を大爆音で響かせながら、天の神が友奈を追うべく再び侵攻を開始する。

 

「させないよ!!」

 

 立ちはだかった園子は、槍の穂先を高々と空に掲げる。そして東郷との相対距離を確認するべく後ろを振り向き、途端、目を見開き、叫んだ。

 

「わっしー! 後ろ!!」

 

「え?」

 

 衝動的に振り向いた東郷が目にしたのは人間の形をしたものだった。

 いや、それではあまりに抽象的すぎる。具体的に言うならば――

 

「征矢……?」

 

 五十メートルほど後方の根の上に、死んだはずの征矢の姿がある。

 そういえば、赤嶺が言っていた。

 征矢は神樹に属する機構。何度死んでも、新しい征矢が抽出されるのだと。

 だからあれは……味方だ。

 天の神は規格外の敵だ。味方は一人でも多いほうが頼もしい。勇者たちに心の安堵がもたらされる。

 友奈のために命をかけて戦ってくれたのだ、今回も力を貸してくれる。そうに違いない。

 安心しきった東郷は手を振って声をかけようとしたが、それより速く、友奈の悲鳴に似た声が飛んだ。

 

「敵だよ!!」

 

 それが証明されるかのように、征矢と同じに姿をした者たちが次々と現れる。それも一人や二人ではない。数十人単位で群れるように根の上に立った。

 全くの同一人物が大量に並ぶという異様な光景が、勇者たちの人間的な感覚を刺激する。

 

「あの人は最後、自分自身と戦ってた。……たぶんクローンみたいなのだと思う。だからあれは間違いなく、敵だよ」

 

 友奈が本殿で見たのは、腕を斬り飛ばされても、腹をクロスボウで貫かれても果敢に立ち向かった、征矢の姿だった。

 たった一度しか言葉を交わしたことのない友奈を救い出す為に、最後の生を使い果たした勇者。

 命の輝きがそこにはあった。

 明確な意志を宿し、未来のために尽くした勇者だった。

 しかしどうだ、あの征矢たちには命の輝きが見えない。ただ呆然と佇む使徒でしかない。

 赤嶺の腕の中で死んだ征矢はもうどこにもいないのだ。その事実を受け止め、向こうに立つ征矢たちとは別物と捉えるべきである。

 この戦いにおいて、敵は天の神だけではない。

 神樹までもが勇者部の敵にまわっている。友奈が誘拐され、強引に神婚に持ち込まれるとそこで終わりだ。

 女神官は、神婚をすることで人間は人という呪縛から解き放たれ、神樹と共に生きることができるという。言い換えれば、神による恣意的な人間の進化だ。

 

 ――そんなこと、あってたまるか。

 

 友奈はギリリと力強く上下の奥歯を噛み合わせる。

 いったい神は、どれだけ人を弄べば気が済むのか。

 神の一存で種の存続を突きつけられる現実を、どうして文句一つ言わずに受け入れなければならない。そんなの、上位者によって運命を定められる愛玩動物だ。

 征矢たちが動き出す。

 前後に敵。

 逃げる場所はない。

 

「私が、結城ちゃんを守ります」

 

 そう言ったのは、夏凛の背中から降りた赤嶺だった。

 征矢にもらったスマホを手に、意志を固めて風に申し出る。

 数秒ほど思考を巡らせた風は、首を振って天の神と視線を往復させる。

 

「あいつの戦い方は、私が一番熟知してます。それに、天の神も相手取らないといけない……二手に別れるのが無難だと思います」

 

「でもあんた、片腕じゃ……」

 

「対人なら自身があります。適材適所ってやつですよ」

 

 それでも食い下がろうとした風だが、敵はどうやら待ってくれないようだ。

 征矢たちは一斉に距離を詰め始め、天の神も侵攻を再開する。

 素早く結論を出すべく、風は赤嶺の進言を通すことにした。

 

「……わかった。東郷と赤嶺、あとは……」

 

 友奈の護衛に他に誰が適任かを考えようとしたが、即座に高嶋が手を上げた。

 

「私も結城ちゃんを守ります! 私の精霊の力でなら、数の問題も解決できます!」

 

「まあ……その通りね。じゃあ私と夏凛、乃木で天の神の注意を引いて、少しでもダメージを与えるわよ」

 

 全員が頷いたのを確認した風は、「それじゃ、行動開始!」と力強い号令を発し、それぞれの役目を果たすために動き始める。

 天の神のいる方角に飛び去った三人を見届けた残りの勇者たちは、後ろを振り返ってもう間もなく殺到するであろう征矢の軍団を見据える。

 スマホの電源を入れた赤嶺と高嶋は、手早く唯一インストールされている勇者アプリをタップして装束を身に纏う。

 ふたりの周囲を大量の花弁が包み込み、すぐさま変身が完了する。高嶋は特に外見の変化がなかったが、赤嶺は違った。

 神世紀七十二年から持ち込んできたスーツではなく、勇者たちと同じような装束へと変化していた。

 思わず感嘆の息を漏らすが、すぐさま表情を改める。

 胸の前で拳に力を込めると、静による祝詞の付与時よりも遥かに大きな力を実感した。

 

【挿絵表示】

 

 これが、三〇〇年という気の遠くなるほど長い年月の間、人が勇者システムの改善を図った賜物。

 確かに征矢の言う通り、戦闘力はこの時代の基準に底上げされているようだ。

 そうして高嶋と並んで友奈と東郷の前に立つ。

 

「東郷さんは結城ちゃんの隣にいてあげて! 私と赤嶺ちゃんで防ぐから!」

 

 頼もしい申し出だが、東郷は歯切れの悪そうに返す。

 身体的ハンデを背負うふたりを前線に立たせるのは些か危険だ。

 

「そんな……私が前に出たほうがいいわ」

 

「東郷さんは後方支援をお願い。私と赤嶺ちゃんは、超近接アタッカーだから! それに私には――」

 

 しかし首を横に振った高嶋は刃の部分を根に沈み込ませていた大葉刈を掴み引き抜く。

 そして高々と振りかざすと――

 

「――手を貸して、七人御先……ぐんちゃん!!」

 

 と叫ぶ。

 すると、高嶋の装束にさらに変化が現れ、フード付きの白い外套が身体を包み、高嶋の同一人物が六人新たに出現する。

 それだけではない。

 プログラムコードのような文字列が空から降り注ぎ、それらは七つの人の形をとり、やがて高嶋と同じ格好をした黒髪の少女が七人出現する。顔はフードで目元まで隠していてよく見えない。そのうちの一人が高嶋に耳打ちをすると、嬉しそうに「うん、ありがとうぐんちゃん!」と屈託のない笑みを向ける。

 計、十四人の七人御先がここに集う。

 

「す、すごい……」

 

 へたりと座り込んでいる友奈はそんな初代勇者の切り札を見て感想を口にする。

 ここで友奈にできることはない。ただ、東郷たちに守られるだけの存在だ。もし勇者に変身すれば、祟りと呪縛の板挟みで即座に死ぬ。

 どうすることもできず、力になれないことが悔しい友奈は眉を顰める。

 

「大丈夫……大丈夫だよ、友奈ちゃん。私達が絶対に、守り抜いてみせるから」

 

 ここで余計な否定をすることはできない。以前は右半身の麻痺がすでに治癒していたことを隠していて、それを明かし、戦闘に加わった。

 しかし今回は戦闘をすることすらできないのだ。それに、巻き付く枝木は友奈の補助ではなく、足枷でしかない。

 ぐっと「でも」の言葉を堪えた友奈は、

 

「……うん」

 

 と東郷の言葉に素直に首肯した。

 なるべく邪魔にならないように東郷に身を寄せながら、押し寄せる大群を静かに見渡す。

 高嶋の七人御先による数の差はある程度補えはしたが、それでも猛然と迫る征矢たちの数には遠く及ばない。

 だが。しかし。

 任せるしかないのだと、友奈は苦い顔をした。

 

 ◆

 

 遥か天蓋を覆う、神。

 風と園子、夏凛は底面で超広範囲に広がるうねるピンクの紋様と、その中央にコアのようにも見える禍々しい赤い球体を睨む。

 

「たぶん、あれが御霊みたいな感じよね。なんだか瞳みたいにも見えるわ」

 

「同感。神サマの美的センスは人間には絶対できないでしょうね。私の女子力より下であることは間違いないわ」

 

「…………」

 

「そこは肯定しなさいよ⁉」

 

 軽口を叩き合う風と夏凛を尻目に、園子は冷静に状況を分析する。

 天の神はネームドのバーテックスを統べる存在だから、攻撃方法はそれぞれ十二体の権能を行使して行うと想定するべきだろう。

 夏凛はあの瞳を御霊のようだと言っていたが、それに望みをかけるしかない。球体を中心として、周囲を十二、十二と二重構造のようにして小さな球体が埋め込まれている。恐らくそこから権能を引き出す……のだろうか。

 バーテックスの第二波のような戦術的敗北はもう二度と許されない。これまでの人生で最も思考する園子を一瞥した風が、真剣な口調で尋ねる。

 

「乃木の考えてることはだいたいわかるわ。満開、でしょ?」

 

「そうですね……でも、だからといっていつまでも温存して使い時を失うのはハイリスクです」

 

 満開の持続時間は個人で大きく異なる。園子は小学生の頃に何度も満開をしたことによって身体に定着しているが、夏凛と風は違う。

 ならばここは園子が……となるべきかもしれないが、園子の追加武装は巨大な方舟だ。敵の攻撃が当たりやすい。

 しかし天の神の注意を引くという目的はそれで達成できる。

 

「私が先に満開するわ! いいわね!」

 

 と、有無を言わさない宣言をしてみせたのは、すでに決意を固めている夏凛だった。

 天の神が進むだけで発生する風圧が、三人に恐怖を与えんと襲う。

 天の神を相手に満開状態でどこまで太刀打ちできるのかすらわからない。さらに満開が解けたあとも、精霊バリアの張れない状態で戦い抜くことになる。規格外の攻撃に、無防備を晒すのはあまりに危険だ。

 にぼっしー。

 そう引き止めようとした園子は、既のところで思いとどまった。その小さくも頼もしい背中が……園子の大親友、今はもう亡き銀の姿と重なってしまったからだ。

 不意に懐かしさと激しい苦痛を思い出し、気道が狭まった。呼吸が浅くなり、喉が微かに震える。

 この一幕がなんだか、死に飛び込む直前のように幻視してしまい、どうしてもあの情景が脳裏をよぎる。

 行かないで、と自然と手が伸びる。

 園子にはこの入り混じる感情をどう抑え込めばいいかわからなかった。出口が見当たらない。

 だが。今こそ、その記憶を乗り越える時ではないか。

 出口が……答えが見つけられないならば、作りだせばいい。

 伸ばしていた腕をゆっくりと降ろした園子は、緊迫した口調ながらも、

 

「うん、任せる。盛大にぶちかましちゃって!!」

 

 と威勢よく背中を叩いてみせた。

 

「ええ! 任せなさい!!」

 

 ニッ、と白い歯を見せた夏凛は、両手に刀を構え、地面を高く蹴り上げて空へと飛び立った。

 その後ろに園子と風が続く。

 

「我ら勇者部の底力を、とくと見よ――!!」

 

 満開。

 赤く染まった樹海に七色の根が煌々と輝き、束ねられた力の奔流が夏凛の背中を押し上げた。

 瞬間、巨大な花が咲き誇る。

 それを察知した天の神が、瞳をギョロリと動かす。

 赤の剣神となった夏凛は、出現した四本のアームを広げながら一気に上昇する。

 

「友奈には近づけさせない!! ――覚悟!!」

 

 相対距離、約四〇〇メートル。

 数秒で接触できる。

 近づくほどに空間の熱量が増し、夏凛の肌がチリチリと灼かれる。天の神はまだ何もしていない。ただそこに存在しているだけで、空間の事象を置換しているのだ。

 周囲の球体のひとつが、閃光を放つ。

 そして瞳は迫る夏凛を見下ろす。

 

「――来る!」

 

 咄嗟に判断した夏凛は背後のふたりに注意を呼びかける。

 それに素早く反応したふたりは、散会して距離を取る。

 音速を遥かに超えた速度で降り注いだのは、一本の巨大な矢だった。

 射手座の権能だ。

 超反応でアームをクロスさせ、巨大な刃で受け止める。

 直後、ダイヤモンドすら容易く砕くほどの大衝撃が夏凛を襲った。激しく脳が揺さぶられ、視界が飛び、意識を手放しかける。

 アームが嫌な軋み音を鳴らすが、強引に身体を捻ることでなんとか逸らす。頬の皮を浅く裂いた後、太い根を数本ほど穿ちながら地面に深々と刺さる。

 赤い鮮血が飛び散らせた夏凛は、戦慄とともに目を見開く。

 精霊バリアが、機能していない。

 どうして。

 そういえば、風に似たような出来事があった。牛鬼に助けられたが、犬神の精霊バリアが歩道に突っ込む車を防げなかったことが。

 それに似たような現象が起こっているのだろう。

 まずい。そうなれば、夏凛以外の全員にもその可能性があるのではないか。何が要因なのかはわからないが、天の神に何かしら関係があるかもしれない。

 となれば、なおさら天の神を進ませるわけにはいかない。死力を尽くして、自分に釘付けにさせるのだ。

 しかしながら夏凛のことは下で這いずり回る羽虫のような扱いだ。夏凛は、自分を無視して侵攻する天の神に向かって吼えた。

 

「私を……見ろおおおおぉぉぉッ!!!」

 

 その声が、己を鼓舞する。

 それだけではなく、夏凛の胸の奥底で魂が震えるのを感じた。

 魂。

 それがやがて、なぜか内部でふたつに分裂する。そのうちの片方は遥かに大きく、近づくだけでこちらが染められそうなほど、赤い魂。

 ひとつは間違いなく夏凛のもの。では、新たに生まれたこの魂は……誰のものだ?

 

『負けるな!!』

 

「!!」

 

 声が……聞こえた。

 やや幼さが残っているが、魂の震えを増幅させる、力強い声。

 轟ッ! と激しく火の粉が散るのを感じる。それは一瞬にして夏凛の身体を熱く燃え上がらせ、闘志をさらに滾らせる。

 まだ落ちない羽虫を今度こそ撃ち落とすべく、天の神の第二射がくる。

 射手座の権能、その二。

 矢の嵐。……いや、嵐というのはあまりにも控えめな表現で、正すならば……そう、流星群だ。

 視界を埋め尽くす死の星々。

 普通ならば、まず逃げに専念するべきだろう。

 だが。

 ここで一歩も引いてはならない。

 夏凛から意識を目移りさせてはならない。満開していない風と園子では回避はあまりに困難。

 

 だからこそ、突っ込む!!

 

 星を斬り落とす。

 六本の刀は、我が肉体!

 無我の領域で刀を振るう。眩い火花を撒き散らしながら善戦するが、それでもすべてを捌ききれない。

 腕を裂き、太腿を裂き、横腹を裂く。

 尾を引きながら血が噴き出し、痛みに顔を歪める。

 流星群の過ぎた後の夏凛はすでにボロボロで、アームも少しばかり損傷してしまっている。勢いも殺され、ふらふらとその場に滞空するだけで精一杯になるほどダメージが大きい。

 すぐさま追撃は来ないようだ。断線しそうな意識を繋ぎ止めながら、夏凛は今度こそと俯いた頭を持ち上げる。

 そして不意に、聞き慣れた音が耳に届いた。ガガガ! と硬質な物体同士が衝突する音だ。それは下の方から聞こえた。

 僅かに視線を降ろした夏凛が見たものは、過ぎていったはずの矢がなぜかこちらに反転して迫ってきている。その奥にちらりと見える反射板を見て、すべてを理解した。

 蟹座の、権能。

 

「ク……ッ!」

 

 駄目だ。まずい。

 防御をするための時間がない。もちろん回避もできない。

 死の予感が首筋を舐めて――。

 瞬間。

 夏凛の視界いっぱいに、黄色の閃光が広がった。

 その閃光は一瞬にして実体を獲得し、ふた振りの刃となり、武器となる。

 さらにそれらを夏凛のものではない二つの手が、現れた武器……戦斧の柄を握った。

 そして。

 凄まじい衝撃とともに矢と戦斧が接触し。

 ひときわ眩しい閃光が炸裂した。

 夏凛の前に突如現れた人影は、亜麻色の髪を揺らし、こちらに振り返る。

 

「あん、た――」

 

 その人影は、いつしか出会った少女の姿をしていた。

 言葉を失い、呆然とする夏凛に少女は吼える。

 

『ぼさっとするな、後輩!!』

 

「!!」

 

 どくん、と心臓が跳ね上がる。

 反射してきた矢をすべて防ぎ切った少女は半透明の身体を動かし、夏凛の肩をぽん、と叩いた。

 

「三ノ輪、銀――」

 

 そのまま銀はふわりと僅かに上昇すると、遥か天に座する神を見上げる。

 そして次に、頭をこちらに向けた。

 

『ここで負けるわけにはいかない。そうですよね? 夏凛さん』

 

 そう言って、ニカッと少女らしい天真爛漫な笑みを浮かべた。

 ――再び身体に力が湧き上がる。

 どういった原理なのかは知らないが、わざわざ先代の勇者様が、後輩のためにこうして現実世界に姿を見せたのだ。

 ならば、それに応えるのが完成型勇者の意地の見せ所!

 ……樹を失った。

 でも、立ち上がった。

 失意のどん底にいた風の尻を蹴り上げ、こうして最後の戦いに臨む。

 守るべきものは、ここにあり。

 夏凛の大切なものは、ここにあり。

 今度こそは……今度こそは、絶対に守り抜く!!

 

「ええ……ええ! その通りよ!!」

 

 柄を握る手に力を入れ、鼻の先が猛烈に熱くなるのを感じながら返事した。

 天の神は目障りな羽虫を排除できなかったことにが不快だったのか、次こそは殺さんとばかりに瞳の紋様が朱く輝く。

 

「ミノ、さん――……ッ!」

 

 今にも爆発しそうな感情を孕んだ呼び声が、ふたりの耳に届いた。

 声のした方角を見ると、そこには顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした園子が、満開して方舟に乗った状態でこちらに接近してきていた。

 ふたりの真横で急停止すると、方舟から園子が飛び出す。

 

「ミノさああああああああああん!!!!」

 

 銀の小さな身体をこれでもかときつく抱きしめ、胸に深く顔を埋める。

 その様子をやれやれと肩をすくめた銀は、優しく園子の頭の上に自分の手を乗せて撫でた。

 ここが戦場であるにも関わらず、園子は大声で咽び泣く。

 

『でかくなったなあ、園子。その調子じゃ須美も……って、須美は向こうにいるのか』

 

「ミノさん……生きてたの?」

 

 わななく唇から溢れた質問。

 すると銀はやや悲しみを滲ませ、そっとかぶりを振った。

 

『いいや、あたしはあの時に死んだよ。これは……なんだろうな。神樹様に英霊として登録された、あたしの残滓みたいなもんかな、たぶん』

 

 曖昧な回答だが、園子にとってそんなことはどうでもよかった。

 目の前に銀がいて、こうして会話ができる。それだけでもう、十分なのだ。

 

「あの時、一緒にいてあげられなくて、ごめんね……!」

 

『いいんだよ、園子。いいんだ』

 

 銀よりも小さな子供のように、顔を真っ赤にして泣き続ける園子を撫で続ける。

 

『あたしを想ってくれて、ありがとう』

 

「当たり前、だよ……!」

 

『あたしのために泣いてくれて、ありがとう』

 

「泣かないわけ、ない……ッ!」

 

『生きていてくれて、ありがとう』

 

 我慢、できるはずなんてなかった。

 

「う、ぁ、あああああ! ああああああ――――……!!」

 

 二年。二年の時を経て、死んだはずの親友がこうして言葉が届く。

 嬉しくて嬉しくて、何がなんだかわからないまま感情を撒き散らす。

 後悔があった。

 あの時、もっと上手くやっていればバーテックスの攻撃を回避し、銀と一緒に撃退に臨めていたはずなのに。

 どれだけ後悔しても時が巻き戻るわけでもないし、残酷なまでにどんどん過ぎ去っていく。

 だから、赤嶺と高嶋が過去から来たと聞いたときは、啓示だと悟った。

 原理は知らないが、赤嶺の持つ腕時計を使えば、あの瞬間に戻れる。

 そうすれば銀を死の運命から救い出すことができるのだと。

 ……盗もうと良くない考えを抱くことなんて、一度や二度ではなかった。

 でも結局は過去に戻ることはなく、こうして今に至る。

 銀を救えるなら、他にもう何もいらないとまで考えていた。ふとあの瞬間を思い出して枕を濡らしたことなんて数えられない。

 しかし園子の中では、果たして過去に戻って銀を救うことが正しいことなのか、それとも間違っていることなのか、いつしかわからなくなってしまっていた。

 ……過去を改竄することは、今まで積み上げられてきた人類史の冒涜であるような気がしてならなくて。

 そんな整理のつかない考えが、ゆっくりとほぐされて、どこかへ吸い込まれるように、霧散していった。

 園子の涙に濡れる銀の身体に匂いはなかった。

 銀を構成しているのは生身の肉体ではなく、神樹由来のリソースだ。

 

『ははは。泣き虫になったなぁ、園子』

 

 食い縛った歯の間から嗚咽を漏らし、涙を次々と雫に変える。

 きらきらと光が揺れて、視界がぼやける。

 

「そんな言い方っ……ずるいよぉ……」

 

 そんな園子の弱々しい囁きは、突然発生した轟音にかき消される。

 これ以上団欒の時間は与えないとばかりに射手座の権能が再び発動する。

 ソラから降り注いでくる攻撃にいち早く気づいた銀は、素早く園子を引き離して夏凛の前に躍り出る。

 風は夏凛が注意を引いているおかげで標的にはなっていないようだ。

 

『あいつがラスボスなんですよね? 一泡吹かせてやりましょう! 夏凛さん!!』

 

 戦斧を交差させた先輩は後輩に呼びかけると、物怖じする気配なく、寧ろ望むところだと言わんばかりに一気に上昇を開始する。

 その背後を夏凛が追う。

 数多の流星を激しい衝撃音と衝撃波を発生させながら受け止め続ける銀は、果敢にソラを目指す。

 僅かに振り向いた銀は夏凛を待ったりはしない。横に並んでなんかくれない。前に立つ。

 厳しく、しかしながら信じるような……試すような面持ちだった。

 ここまで先輩がお膳立てしてくれているのだ。後輩がその小さくも頼もしい背中を見て成長するのは必然。

 ならば死に物狂いでついていってやる。

 赤く輝く六本の刀を構えた夏凛は、銀を見上げた。

 それを見た銀は、微かに口元を綻ばせた。

 

『行くぞ、後輩! あたしに遅れるなよ!!』

 

「そっちこそ、遅れるんじゃないわよ!!」

 

【挿絵表示】

 

 ソラを駆け上がる、二条の赤き流星。

 天の神の攻撃を踏破し、ついに刃が間合いに入る。

 ギュルリ、と瞳に刻まれた歪な文様が蠢く。

 

「『オオオオオオオッ!!』」

 

 ふたりの赤の勇者がついにコアに一太刀を入れる。

 だが、まるで効かない。鈍い斬撃音が轟くのみ。

 破壊不能オブジェクトを攻撃したような、絶対的な硬さだ。

 一筋縄にはいかないことは予感していたが、まさかかすり傷一つつかないのは些か厄介だ。

 銀はともかく、満開状態でこれとなると、どうすればいいかわからない。

 しかし、だからといって諦めるわけにはいかない。

 視界の端で、新たな光が迸る。

 全方位から迫る、蠍座の権能。

 毒をたっぷり貯めたタンクの先の針はとても危険で、触れただけでも毒が全身にまわる。

 しかし天の神によれば、その数、まさに百を超える!

 意識がコアに向いていたふたりを貫かんと空気を重く唸らせながら針が迫り――。

 ふたりの小柄に大穴を開けることは叶わなかった。

 まず、方舟の尾翼がじゃりいいぃん!! ととぐろを巻きながら飛翔して針を破壊し。

 そして。

 どこからか、シュ!! とまるで重さを感じさせない静かで軽い音とともに飛来してきた幾千ものワイヤーが、すべての毒タンクを絡め取り、切断することで蠍座の権能を完封してみせた。

 

 ◆

 

 赤嶺は、もうすでに何人目かわからない征矢を殴り倒し、疲労の溜まってきた身体に喝を入れ直した。

 質より量をとったせいか、征矢ひとりひとりの戦闘力はそれほど高くない。というのも、赤嶺と高嶋の戦闘力が底上げされたおかげだ。

 春信の用意周到ぶりには頭が上がらない。

 とはいえ、次から次へと征矢が抽出され、友奈を奪い取ろうと襲いかかる。神樹も寿命が間近だからか、必死であることが伺える。

 高嶋の精霊による力がなければ、あっという間に数の力で押し負けていただろう。隻腕かつ指の一本欠けた高嶋と、赤嶺の知らない黒髪の少女とで二人一組のペアとなり、それが合計七組いる。

 高嶋の基本的な攻撃手段はやはり拳だ。そして場合によって大鎌を握る。

 しかし、やはりあの身体で自由に降ることはできないようだ。あくまで拳で届かない距離を補う程度のものだ。

 だからこそ、ぐんちゃんと呼ばれる少女の動きは、高嶋にできない動きを完璧にカバーしてみせている。

 黒光りする大鎌はまるで命を刈り取らんと涎を垂らしているように見える。

 征矢を斬りつけて血飛沫を上げる姿は、死神そのものだ。

 

「赤嶺さん、下がって!」

 

 東郷の鋭い指示が飛び、赤嶺は対峙していた征矢の集団から大きくステップを踏んで後退する。

 その瞬間、上から降り注ぐ砲撃によって、半径五メートルほどの同心円状にいた征矢たちを蒸発させた。

 中心を東郷と友奈とし、それを全方位から接近防ぐために囲うようにして防衛線を展開している。

 赤嶺の新たな装束は、これまで愛用していたスーツとは違って、特有の機能などは備わっていない。しかし防御力は圧倒的で、弱い攻撃ならば傷一つつかない。

 できればこの装束を過去に持ち帰って技術をコピーしたい、と考えてしまうが、今はそんな場合ではない。

 わらわらと向こうから幾らでも湧いてくる征矢たち。

 あれらは中身のない……魂のない器でしかない。赤嶺の腕の中で息絶えた征矢が成れ果てだというのならば、あれらは虚ろな人形だ。

 人間を思うがままに操り、操り、操った果てになお操る侮辱の最高潮。

「私のようにならないで」と願った彼女が、最も苦しむであろう運用。

 とはいえこのままではジリ貧だ。赤嶺も高嶋も体力が無尽蔵にあるわけではない。単純な耐久戦へとずるずる引き込まれているが、果たして征矢たちがいつになれば完全にいなくなるかなんてわからない。神樹のエネルギーが尽きれば当然いなくなるが、それは同時に人類の破滅を意味する。

 夏凛たちが天の神を食い止めている間に、なんとかして活路を見いださなくてはならない。

 ――転機が訪れる。

 赤嶺たちの頭上に赤い稲妻が走り、一直線に神樹へと伸びる。

 バチバチ! と耳障りな音を響かせながら空間に刻まれた裂け目が開き、外の世界と同じ光景を映し出す。さらにそこから、雑魚敵が圧倒的な物量で押し寄せてきた。

 是、獅子座の権能。

 

「まずい!」

 

 焦りを感じながら赤嶺は咄嗟に防衛線を下げる判断をする。

 

「高嶋ちゃん! 固まって!」

 

「了解!」

 

 この戦いは神樹、天の神、勇者による三つ巴戦だ。

 敵の敵は味方という展開が発生するわけもなく、戦場は大混乱に陥る。二次元平面のみを警戒しておけばよかった状態から一変し、上空から大口を開けて迫る雑魚敵の対処もしなければならない。

 最悪の展開に東郷は歯噛みする。

 ライフルを掃射して数を減らそうとするが、その代償として征矢たちへの注意が疎かになる。赤嶺と高嶋を無視して、友奈を殺すことに主眼を置いた突撃。

 対して神樹側も雑魚敵を倒しつつ、友奈を強奪する。

 加速度的に激化する戦場。

 体力も気力も容赦無く削られていく中、赤嶺はふと、左隣を通り過ぎようとする征矢のひとりを見た。

 行かせない!!

 咄嗟に気怠くなった身体を動かして、その首根っこを掴もうとした。 

 ――が、届かなかった。

 

「――――ぁ」

 

 届かなかった、というより、そもそも伸ばした左腕の先に自分の手がないのだ。

 そのことに気づいたのは、東郷の足元で小さく蹲る友奈に接触された瞬間だった。

 目まぐるしく状況が変化していく中、それは取り返しのつかない失態となる。

 素早い速度で友奈の腕を掴み、東郷から引き離した征矢は、バケツリレーの要領で一気に距離を引き離した。

 

「東郷さん……!」

 

 友奈の悲鳴に、遅れて気づいた東郷が目を見開く。

 形勢が完全に逆転し、我に返るまでの数秒間でもう遥か遠くまで連れて行かれている。

 雑魚敵たちも即座に身体の向きを変えて猛然と進む。

 

「――満開!!」

 

 躊躇う時間すら惜しかった。

 煌めく巨大な蒼い花。

 出現した戦艦に乗り込んだ東郷は、覇気迫る表情で叫んだ。

 

「乗って! 友奈ちゃんを追うわ!!」

 

 七人御先を解除した高嶋と赤嶺が素早く戦艦に乗り込むと、一気に加速した戦艦が、樹海の空を切り裂くように飛翔する。いかに征矢とはいえ、距離はすぐに詰められた。しかしクロスボウや弓で絶え間なく対空射撃してくるせいで、上手く地面に着地できない。

 このままではいずれ神樹のもとに到達されてしまう。

 

「私が行きます!」

 

 そう宣言したのは高嶋だった。

 

「行くって、どうするの?」

 

 赤嶺の問いに高嶋は、

 

「蹴散らす」

 

 とだけ端的に答えると、戦艦から飛び降りた。

 そして。

 

「――来い、酒呑童子」

 

 鬼の力を我が身に宿す。

 ……されど注意せよ。

 我が腕は隻腕。

 敵のど真ん中に飛び込むそれ即ち自殺行為と心得よ。

 それでも――

 

「もちろん、承知の上!!」

 

 ゴキ、ゴキ、と手甲が歪に変形し、凶悪な武器と変化する。地面に巨大な影が落ち、征矢たちは鬼を見上げる。

 

「ガアアアアッッ!!」

 

 咆哮。

 落下しながら左腕を高く振りかざし、着地寸前に地面を殴りつける。

 瞬間、空気と大地を揺るがすほどの衝撃を生み、敵を震撼させる。

 鋭く口の端から空気を吐き出した鬼は、前傾姿勢をとって爆発めいた初速度で駆け出す。

 鬼を屠ろうと集う征矢たちを一網打尽にしつつ、爪を地面に食い込ませ、獣の如き動きで樹海を駆け回る。

 ここで高嶋が友奈を救おうとする必要はない。それは赤嶺と東郷が代わってくれる。

 高嶋がここでなすべきことは、少しでもふたりの負担を減らすことだ。

 ならばこの高嶋、喜んで暴れまわろう!!

 

「かかってこいッ!! ふたりの邪魔は、私がさせないぞ!!」

 

 おお、鬼どもよ!

 ご覧あれ!

 ここに、鬼の頭あり!!

 神に歯向かう、鬼ぞあり!!

 愉快!

 実に、愉快なり!!

 

 爪を振るえば、征矢の身体を細切れにし。

 脚で蹴り上げれば、征矢の顎が消し飛ぶ。

 まとわりつかれれば、その喉元に喰らいつく。

 じわりと血の味が口の中で広がるのを感じながら、段階的に高揚する戦意を爆発させる。

 やがて高嶋を脅威と認識した征矢たちが一斉にサブターゲットとしてようやく排除せんと襲う。

 これで六割程度の注意は引けた。天の神側の敵は対応できないが、それは東郷たちがやってくれるだろう。

 視界いっぱいに広がる征矢たちを見て、高嶋は地面を蹴り、負けじと立ち向かった。

 

 ◇

 

 征矢たちの動きが変わったのを見て、東郷は素早く判断を下す。

 

「強行突破するわ!」

 

 雑魚敵はすべて、友奈を抱える征矢を目指している。そのおかげでこちらへの攻撃は対空射撃だけだが、それもいつまで持つかわからない。砲台も半分ほど破壊され、黒煙を巻き上げながら徐々に高度を下げつつある戦艦。墜落するのは時間の問題だ。

 このまま地面に衝突させてしまうと、爆発は避けられない。さらにその余波で友奈を傷つけてしまうかもしれない。それに、友奈を取り返せても、その後に待ち構えるのは征矢だけではない。

 自滅機構、発動。

 砲台から溜めたエネルギーを一点に収束させ、天の神によって生み出された空間を、自滅に生じる極大爆発で消し飛ばすのだ。

 蒼の極光となったエネルギー弾が臨界を突破し、自壊のタイミングを見計らい、

 

「総員、退艦!」

 

 という東郷の号令に従って一緒に戦艦から飛び降りる。

 その後、緩やかに高度を上げていった戦艦が赤い稲妻の狭間に突っ込んでいき――

 白い爆発が起き、無限の光と音が飽和した。

 断裂された稲妻がブチん、と裂け目を閉じたのを確認しつつ、地面に着地する。友奈まで目算でおよそ三十メートル。すぐに追いつける。

 幸い征矢たちも雑魚敵の対処で手一杯のようだ。

 だからといって余裕があるわけでもない。神樹との距離ももう間近だ。なんとしてでもそれだけは阻止しなくてはならない。

 疾走するふたりはまるで弾丸の如く。

 混戦状態の合間を縫うようにして走り過ぎ、ついに友奈を抱える征矢の前に辿り着いた。

 征矢はふたりの到達を勘付いたのか、神樹の目の前で立ち止まり、ゆっくりとこちらに振り向いた。

 

「……友奈ちゃんを、返して」

 

 上がった息を整える前に東郷は、必死さを隠しつつ告げる。

 

「断る。結城友奈と神樹様の神婚なしに、人類が生き残る手段はない」

 

 プログラムされた命令をただ述べているだけの岩石のような声。

 話が通じる相手だとはもとより想定していない。早々に対話を切り上げた東郷は、力づくで友奈を取り返すべくライフルを構えて前に出る。

 ぞろぞろと集まってくる征矢たちに攻撃してくるような素振りはまだない。

 もし友奈を一歩でも神樹の方向に近づけさせようものなら迷いなく発砲するつもりだ。

 

「私の言葉は神樹様の言葉と心得るがいい。人よ。人の子よ。なぜそこまで必死になる。たった一人の犠牲で、すべてが救われるのだ。人間はそのような損得勘定すらできない生命ではないはず」

 

「損とか得とか、そんな話じゃない!」

 

「では、何ぞ」

 

 そんなの、わかりきっている。

 神は人の機微を理解できない。

 人を守ってやろうという慈悲深さはあるが、それが必ずしも喜ばれる手段ではない場合がある。

 その極みが、これから行われようとしている神婚である。

 

「大切な友達を、助けるためよ!」

 

 そう東郷が叫ぶが、征矢には未だその真意が届いていないようだ。

 質問が重なる。

 

「結城友奈が神婚しなければ人は終わる。お前たちの行いは、人類の破滅に直結する。それでいいのか」

 

「それも嫌よ」

 

 答えを即座に返す。

 問答を交わすにつれ、征矢のバイザーの光量が増す。それに共鳴するかのように、他の征矢たちも同じようにバイザーが光り、異様な光景を生み出す。

 友奈を改めて担ぎ直した征矢は、憐憫とも言える声色で東郷を諭し、踵を返した。

 

「……お前たち人の在り方は歪だ。どうして矛盾していることがわかっていながら、そのどちらも貫こうとする。――不可解だ。ならばこそ、神樹様が迷い、苦しみ、嘆きからすべてを救ってくださるというのに。穏やかで平和な世界で、いつまでも生き続けられるというのに」

 

「待って!!」

 

 咄嗟にライフルを掲げて胴体を狙って引き金を絞る。

 しかし発射された光弾は、突如として現れた、見慣れた精霊バリアによって阻まれた。

 

「どうし、て……⁉」

 

 東郷が驚愕したのは、弾が防がれたことだけではない。

 防いだ精霊が、他でもない東郷の専属精霊だったからだ。

 それだけではない。味方であるはずの風や園子たちの精霊たちまでもが徒党を組み、征矢……神樹側の味方をしているのだ。

 

「助けて……!」

 

 友奈が必死に枝木に蝕まれていない左腕を伸ばして助けを求めている。

 飛び出した赤嶺が拳撃を繰り出すが、甲高い衝突音が響くだけで、大した傷すら与えられない。

 連れて行かれる。

 大切な人が。

 生きようと約束しあった大親友が、連れて行かれる。

 駄目だ。

 絶対に、駄目だ。

 神樹の中へ飛び込まれたらすべてがお終いになる。友達を犠牲にしてようやく成立するような世界なんて、滅びてしまえばいい。

 半狂乱になりながら赤嶺と一緒にバリアを拳で叩き続けるが、まるで歯が立たない。皮膚が裂けてしだいに感覚が無くなってきて、ついにその場に膝をついてしまう。

 精霊たちは未だ超然とその場に浮遊し、愚かな人間を見下ろす。

 ……園子と、銀と、東郷。

『ずっと一緒にいようね』という、小学生の時に約束。しかし、これが守られることはなかった。

 だから、もう二度と同じ後悔は繰り返したくない。

 それがたとえ、神に背くことになろうとも。

 だがその結果がこれだ。

 神の力を前にして、人間は何もできない。

 圧倒的な超存在の膝下で、顔色を伺うことで生存を許されている。それが人の現状だ

 悔しさと無力さに、強く握りしめた両の拳から血が滴るのにも気付かず、東郷は叫んだ。

 

「私達は人間だから!! 人間だから、この在り方は……間違ってなんかない……!!」

 

 いつだって正しい選択なんてできるはずがない。合理的な判断によってすべてが決断され、運営される世界に果たして喜びや慈しみなどといった感情は存在しているのだろうか。

 寄り道をして。間違って。すれ違って。

 そうした非合理を積み上げることは、決して悪ばかりではない。

 それが、人間の特性でもあるのだ。

 

 ――だからこそ。

 ――人は、すべてが正しい必要はない。

 

 不意に。

 背後からそよ風を感じた。

 俯いていた顔を上げた東郷の背中を、ぶわりと力強くなった突風が撫でる。

 そして、ひとりの少女が嵐を連れ、東郷と赤嶺の元に飛び出してきた。

 

「勇者……パアアアアアアンチ!!」

 

 憑依状態が解除されたボロボロで血塗れの少女――高嶋がそう叫びながら突き出したのは、『右腕』だった。

 右腕に実体はなく、白い不定形の光が集結して腕を象っている。

 手甲すら装備していないのに、精霊バリアを突破できるはずがない。

 しかし。

 ぴしっ。

 ぱきっ。ぱきっ。

 あれほど強固だった精霊バリアが激しく波打ったかと思うと、亀裂が走った。それは瞬く間に全体に広がり、鋭い破砕音と共に破壊された。

 その音が耳に届いた、あと数歩で神樹の内部に踏み入るところだった征矢の足が止まる。

 

「東郷さん。赤嶺ちゃん。立って」

 

 差し出された手を握って立ち上がったふたりは、バリアのその先に歩を進める。

 征矢たちは東郷たちを無視することはなく、まるで三人の到達を待っているかのように静かに佇んでいる。

 

「高嶋ちゃん、腕……」

 

 赤嶺が掠れ声で尋ねる。

 バーテックスに食い千切られたはずの腕を左手で擦りながら、小さく微笑む。

 

「ああ、これはちょっと、ね」

 

 はぐらかされたが、それ以上追及することはやめておいた。

 征矢は友奈を優しく地面に横たえさせると、高嶋に問うた。

 

「なぜ、バリアを破壊できた?」

 

 すると高嶋は白い右腕を掲げ、鈴のような音色で答えた。

 

()が、高嶋友奈だからだよ」

 

「お前は――そうか。お前は、この世界の……」

 

 高嶋の横顔はあまりに凛々しかった。

 

「神樹様。どうかお答えください。人間は、そこまで弱い生物なのですか? 神樹様の力がなければ生きていけない、非力な生き物だとお考えなのですか?」

 

 まるで高嶋ではない、誰かが乗り移ったたかのような大人びた言葉遣いだった。大人びた、というのはまだ少し控えめで、さらに具体的に表現するならば、精霊などといった、人智を越えた存在のような雰囲気を放っているのだ。

 征矢はやはり感情のない灰色の声で答える。

 

「――弱い。だからこそ、人は神の下でなければならない。ただ神の恩恵を授かる小人であれ」

 

「それは神樹様の一方的な思い込みでは? 大赦による徹底された隠蔽工作によって、人間の可能性はすべて潰されました。しかし今、その究極が、まさに目の前にいます。私達は人間です。成長し、進化するのが人間です。それを、どうか抑圧しないで頂きたい」

 

「…………」

 

 征矢はじっと友奈を見下ろす。

 友奈はぎこちない動きでなんとか立ち上がるが、枝木のせいで関節が上手く曲げられず、転倒してしまう。

 

「あ、うっ」

 

 征矢は手を貸さない。

 赤嶺が前に出る。

 征矢は動かない。

 すでに三人は大人数に囲まれている状況だ。その気になればすぐにでも無力化できるという意志表示か。

 友奈の側に駆け寄った赤嶺は、肩を貸すことでなんとか立ち上がらせる。

 

「人よ。人の子よ。いずれ『私』に至るであろう、異世界の、過去の私よ。鏑矢であるお前は神樹様のご意思を理解できるはずだ。何故、反抗する」

 

 ほんの三歩ほどの距離に立つ征矢を、赤嶺はじっと見つめる。

 赤嶺は口を開く。

 

「さあ? なんでだろうね? 私、脳筋だからそんなのわかるわけないじゃん。それは一番、お前が知ってるはずだと思うけど?」

 

「――――」

 

「でもね、これだけは確かなことがひとつだけあるよ」

 

「それは、何ぞ」

 

 背を向け、東郷の下に戻って行く赤嶺と友奈。

 ちらりと僅かに振り返った赤嶺は、

 

「教えない。だって、お前はあの子じゃないから。あの子の願いはもう、私のものだから」

 

 と答えた。

 

「……そうか」

 

 征矢はそれきり、赤嶺と会話をすることはなかった。

 途端、不思議なことが起きた。

 樹海の底から黄金の粒子が溢れ始め、それらが宙を漂う。そして、しだいに樹海全体が発光し始め、幻想的な光景を生む。

 さらに征矢たちの背後に鎮座する神樹にも変化が起こる。枝木の端の方から、ゆっくりと、その神々しい輝きが色褪せ、黒ずんでいく。

 もう、本当に寿命が近いのだ。

 神樹にリンクしている征矢たちがひとり、またひとりと灰となり、風に晒され、消えていく。

 

「問おう。結城友奈」

 

 それでも征矢は、依然として平静を貫いたまま口を開く。

 友奈は疼く祟りと呪縛の苦痛に耐えながら目を凝らして征矢を見上げる。

 

「――お前は、何を願う?」

 

 世界の行く末を問うのには、あまりに短すぎる問いだった。

 あと数分もしないうちに神樹は完全に朽ち果てる。そうなれば樹海化は解け、天の神による蹂躙が意識のある一般人たちを殺し尽くすだろう。

 友奈は大きく深呼吸した。

 脳に酸素が行き渡り、思考が鮮明になる。

 神の業に触れたことで変わった物語。

 苦しみ、悩んで、泣いて。

 犠牲もあった。

 それでも立ち上がり、人間であろうと足掻いた。

 神からすれば、それは些細な抵抗にしか見えなかったのかもしれない。

 でも、友奈は。

 友奈たちは。

 真剣だった。

 本気だった。

 だから答えなんて初めからわかりきっている。

 背後に立った高嶋が、白い手で友奈の背中にそっと触れる。

 瞬間。

 友奈の身体を通して温かい七色の波動が全方位に放たれる。着地点で、それらは人の形をとった。波動は留まるところを知らず、まだ溢れる。現れた人影は、最後の一人となった征矢を囲むように立つ。

 その数、数えること能わず。

 これらは、西暦の終末戦争から今まで、四国を守るためにその身を捧げた英霊たちの記録、残滓である。

 ひとりひとりが強い意志を持ち、愛する世界を守らんと奔走した少女たちである。

 彼女たちの願いが、想いが、祈りが、今、ここに集う。

 この中には、悲惨な死を遂げた者がいるかもしれない。幸せを感じながら人生を終えられた者がいるかもしれない。何も知らないうちに巻き込まれ、苦しめられた者がいるかもしれない。自ら四国の平和のために志願し、その生を捧げた者がいるかもしれない。努力して努力して、それでも報われなかった者がいるかもしれない。

 多種多様の、様々な背景のある少女たちはしかして同じく、ある目的のために必死に生きたのだ。

 流れ込んでくる、記憶。

 喜び。悲しみ。涙。苦しみ。笑い。

 そのすべてを友奈は見る。

 いつしか、一筋の涙が流れていた。

 止まらない。全然止まらない。

 両の目から流れ続けるこの熱い感情は、友奈のものだけではない。皆のものだ。

 

 ――頑張ったね。ありがとう。

 ――あとは、任せて。

 

 そう、胸の内に語りかける。

 目元の涙を拭ってくれたのは、赤嶺と東郷だった。

「ありがとう」と感謝を告げた。

 それから赤嶺の肩を離し、自分の力のみで立つ。

 歩く。

 その動きはとてもゆっくりで、今にも転倒してしまいそうだ。

 誰も手を貸さない。

 口を閉じ、白くなっていく地面をしっかり踏みしめながら友奈は確かに自らの力で歩く。

 歩く。

 そうして征矢の目の前に到達した友奈は、己の胸にそっと手を押し当てつつ、残り僅かな命の灯火を激しく燃え上がらせるように力強く答えた。

 

「――私達は人間である。だから、人間であることを願う」

 

「わかった」

 

 返事もあまりに短かった。

 しかし、征矢が手を差し出した。

 友奈も同じように手を差し出す。

 双方から伸びた手が触れ合う。

 その瞬間、征矢の身体は灰にはならず、白い波動となって友奈の身体に流れ込んでくる。

 さらに、友奈と征矢を囲んでいた光の少女たちも再び波動へと変換され、友奈へと収束していく。

 友奈を満たしていく。

 そして――――。

 

 ◆

 

 神樹が、崩壊する。

 友奈を奪い、強引に神婚へ持ち込ませるために征矢を大量に抽出したことで生命力を削っていた神樹の寿命が、ついに尽きる。

 約三〇〇年もの間、人々を見守り、守護していた神が終わる。

 大きな地響きが樹海を激しく揺るがし、神性を喪失した巨大な樹木が根本から折れ、ゆっくり、ゆっくりと倒れる。

 黄金の粒子が大量に巻き上がる。精霊たちが塵となって消える。

 その中心に、巨大な桜色の蕾がひとつだけ、ぽつんと佇んでいた。

 最後の力を振り絞り、神樹は蕾にすべてを注ぎ込む。樹海の底から伸びてきた、幾千、幾万本の黄金の糸が蕾へと伸びている。

 

 そうして。

 ついに。

 蕾が花開く。

 

 神樹の力が尽きたことにより、樹海化が解け、四国の活動が再開する。

 目覚めた人々は驚くことだろう。巨大な円盤が現れたと思えば、一瞬にして世界が赤く変質しているのだから。

 しかし、それだけではない。

 ソラに、巨大な花が咲いている。

 それは絶望とは真逆の、希望を人々に与える。

 

 友奈は薄っすらと瞼を開ける。

 満開すら遥かに凌駕した全能感に打ち震えながら、自身の外見の変化を見下ろす。

 征矢に似た光輪。

 右腕の手甲はやや巨大化し、神々しさを増している。

 黄金の装飾。

 白い装束。

 是、満開に非ず。

 是、大満開也。

 煌めく花の上に立つ友奈は、続いて心臓を貫かんばかりの激痛に顔を歪める。

 女神官は、もしもう一度勇者に変身すれば、その時が最期だと言っていた。

 祟りと呪縛に急速に蝕まれる。肌の上を蠕動しながら這い上がる蛆虫のような身の毛もよだつ感覚。

 元より友奈自身も残り少ない寿命なのだ。

 あと数分も持たないと冷静に分析する。

 天の神は友奈を脅威と認識したのか、重低音を鳴らしながら接近してくる。コアを深い赤色に変色させ、憤怒のオーラを渦巻かせている。

 神樹がいなくなったことにより、天の神の第一目標は達成せしめた。

 しかし、友奈という新たな脅威の誕生は、さすがの天の神も予想だにしなかったろう。

 右腕を強引に動かせば、皮膚を引つられながらも、絡みついた枝木が割れた。右脚は必要ないから無視。しかしながら折れた端から、再生しようと組織が膨れ上がり始める。再び覆われるまでまだ幾ばくかの時間はある。

 これで拳撃を放つことができる。

 今こそ、人々を苦しめてきた最大にして最後の敵を打倒する時。

 右腕を高く掲げる。

 渾身の力で叩き込むべく、意識を集中させる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、その途中で何故か友奈は腕を下ろしてしまう。

 その様子を見ていた三人は戸惑いを隠せない。

 このままでは、駄目だ。

 友奈はそう判断した。

 大満開の力はとてつもなく強大だ。ネームドのバーテックスならば、何の苦労もなく一撃で倒せるほど。

 そしてこの力は、天の神にも通用する。

 もし攻撃すれば、きっとダメージを与えられる。

 これは確信ではなく、確定だ。

 大打撃を与え、四国から撤退させることができるだろう。

 しかし。

 それは違う、と友奈は首を振る。

 友奈の成し遂げたいことは違うのだ。それでは人は自由になれない。一時の平和が訪れるだけ。

 友奈が求めるのは、人が、人らしく生きることのできる世界。

 そこに神は不要だ。

 だからこそ、この力ではまだ足りない。

 

 ――破神(はしん)には、まだ足りない。




私達は人間である
神に振り回される時代は、もう終わりにしよう

次で終わります
それではまた次回!
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