結城友奈は勇者ではない   作:mn_ver2

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前回のあらすじ
にぼし「美少女に踏まれるなら本望」

何を散華したのか、ヒントは散らばっています。


杞憂

「そうよ、もうここで活動したらいいじゃない!」

 

 と、病院からそれぞれ解散する時、風が手を叩いて言った。談話室はすでに先客がいて、今は東郷の病室でだらだらしている。

 わざわざここに来る手間はかかってしまうが、これならば全員が集合することができる。そうすれば勇者部として活動することができる。……パソコンは持ち運べないが。

 友奈の怪我は入院するほどでもなく、頭のネットさえしていればいいぐらいだ。少し外見がスーパーに売ってる果物の保護ネットを思わせるせいで、恥ずかしくないと言ったら嘘になる。

 

「でもそれじゃ迷惑にならないかな?」

 

 以前小走りで帰ろうとしてスタッフに怒られた友奈の記憶が蘇り、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと考える。

 

「友奈の言う通りよ。ただでさえキャラの濃い連中が集まってるんだから、この前みたいに注意されるに決まってる」

 

「……それあんたも含まれてるわよ、夏凜。あーでもその通りね。やっぱりそういうのは良くないか。大人しく東郷の退院を待つべきね。その間、夏凛様ご指名の依頼が多いからじゃんじゃん働いてもらうわよー」

 

「げえっ!」

 

 さっきまで重苦しかった雰囲気が嘘のようだ。今までサボっていた分のツケとして、数日では捌ききれない量の依頼が来ていたのは友奈は知っている。いつものツッコミ役としての夏凛は健在で、微笑ましい光景を眺めているだけで友奈は純粋に喜びを感じた。

 と、ここでドアをノックする音が聞こえた。東郷が「どうぞ」と言うと、ひとりの看護婦がバインダーを持って入ってきた。

 

「東郷さんに退院の手続きをお願いしたいのですが……」

 

「私……退院できるのですか?」

 

 東郷がベッドから身体を起こして問いかける。

 

「はい、明日にでもできますよ。もう日常生活に戻っても問題ないと判断されました」

 

「やったね東郷さん! これなら」

 

「ええ、これで私も完全復帰ね。ちょうど夏休みに入るし、皆でいっぱい遊びに行きたいな」

 

 そうだ、これから楽しい思い出をたくさん作らなければならないのだ。皆と勇者として活動したのはかけがえのない記憶として残っているが、それはまた別の話。

 子供の本分は遊ぶことだと言われているし、目一杯やり尽くしたい。まだまだ、もっと楽しいことがしたい。

 友奈は東郷の手を取りながら風に言った。

 

「行きましょう風先輩! 海でも山でも! ううん、どっちも!」

 

「よろしい!」

 

 鼻の穴を広げた風が息巻いて携帯をポケットから取り出して高く掲げる。その意味はわからないが、本人はとても上機嫌そうだ。

 

「ここに大赦からのメールがありまーす。『勇者様の皆様、お役目ご苦労さまでした。つきましては慰安旅行のご案内をお送りします』って! そして驚け諸君ンンッ! なんと宿がすっごいいいとこらしいぞ!! もちろん料理も……じゅる、フゥッッ! ハァッ! ハァッ!」

 

『お姉ちゃん』

 

 まだ実物をお目にかかれていないのに風はすでに目の前に存在するかのような眼差しで虚空を見つめている。さらには箸を持つ仕草をして空気を食べようとしている。

 あまりの悲惨さに樹が半泣きで風のエア食事を止めに入った。それを友奈たちは白い目で眺めるだけだ。

 

「ま、当然よね。私達は世界を救ったんだから、逆に足りないくらいよ。一生分の煮干しが妥当な報酬ね」

 

 腕を組んだ夏凛も同様に風ほどではないが妄想の世界に突入しているようだ。視線が上の空のように見えるが、どう見ても空を泳いでいる煮干しを眺めているが如く。よだれが垂れそうになっていることに気づき、現実世界への帰還になんとか成功する。

 この場でまともな人間はふたり(・・・)しかいない。

 

「楽しみだね、友奈ちゃん」

 

「うん!」

 

 と返事をしたところで今日は解散となった。

 

 

 夏休み突入までの残りは、どこか無気力だった友奈の生気が蘇った。というのも、東郷が退院して日常を送れるようになったからだ。クラスメイトたちとの会話も十分に楽しいものだが、やはりものひとつ足りないところだった。それからこれまで溜まっていたタスクの処理も無事完了し、スッキリした状態で夏休みに突入することができた。

 夏休みの宿題はすでに四分の一ほど片付けている。少し早めに提示してもらった先生には感謝しかない。おかけで余裕を持って合宿もとい慰安旅行にいけるのだから。

 送り迎えはすべて大赦の人がやってくれる。表向きは部活の合宿となっていて、そのおかげで学校から移動費や宿泊費などの補助としてお金をもらっている。とはいっても騙しているようで申し訳ない気持ちになってしまうから、せめて違う形で使おうと話し合い、樹の提案のもと全額寄付することに決定した。

 風は少し腑に落ちない様子だったが。それは食費にあてたいという欲望からきているのは暗黙の了解だ。

 当日にはもちろん友奈の頭のネットも外している。もともと浅い怪我だから二日ほどで完治した。

 目的地に着き、きちんと大赦の人に感謝の言葉を言ってから車を降りて地を踏む。

 まず、潮の香りが鼻腔を刺激した。そして夏打から当然なぶっちぎりの暑さと同時に、視覚的な涼しさを感じた。駐車場から海を一望する。これを写真に撮るだけで満足して帰還できてしまうほど圧巻な光景だった。

 この海水浴場の両端が遥か向こうまで続いており、人がゴマ粒のように見える。中にはビーチボールをして遊んでいる人たちもいる。まるで、絵に描いたような魅力的な海だった。

 

「見よ! 青々とした空! 透き通る海! 心が喜んでいるのがよくわかるわ! そしてッ!」

 

 一歩先に進んだ風が両腕を広げて言った。

 

「――女子力の塊であるわ、た、し」

 

 くねくねと腰を曲げてセクシーポーズをとる風を勇者部は白い目で見つめる。

 

「「「………………」」」

 

「ちょっとなにか言いなさいよね⁉」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶが、それを無視して夏凛が「さっさと用意するわよ」とてきぱき荷物を分担し始めた。そして風には一番重いクーラーボックスを持たせる。

 

「部長だからこれくらいしてもらわないと」

 

「そうか……女子力の前に先輩力が問われるのか」

 

 とはいっても砂浜はすぐそこで、特に苦労することなく友奈たちは到着して荷物を広げた。シートを広げ、クーラーボックスを重りにして押さえながら皆でタープテントを張る。あっという間に設営が完了し、近くに用意されている更衣室で水着に着替えた。

 

「ふぅー、暑いねー東郷さん」

 

「そうね……溶けてしまいそう」

 

 東郷がいつも使っている車椅子は海水浴場での使用を想定していないため、大赦に用意してもらった専用車椅子を使っている。

 実に至れり尽くせりで、逆にやりすぎではないかと友奈は思ってしまうほどだった。ちょこっとだけ金持ちのお嬢様のような気分で、少しの我儘ならすぐに叶えてくれそう。

 

「日焼け止め、ちゃんと塗らないとね! 塗ってあげようか?」

 

 日差しが肌に直に照りつけているのだ。紫外線だとかでこの前学校の資料で見た、西暦の時代にいたという、黒い外国人のようになってしまわないか心配だ。くっきり水着の跡が残ってしまうのはあまりに恥ずかしい。

 すでに夏凛は自分で日焼け止めを塗り終えていてストレッチを始めている。犬吠埼姉妹は互いに塗りあっている途中だ。

「ええ……ええ! 是非お願いするわ! だから私も友奈ちゃんに塗りたい!」

 

「す、すごい気迫だね……」

 

 鼻息を荒くしてやや興奮気味に言う東郷に、友奈は小さく笑った。今のもそうだが、過剰に反応してくる時があるからそれだけが唯一東郷の理解出来ない点だ。

 日焼け止めクリームを手に出し、友奈は前屈みになった東郷の背中に満遍なく塗っていく。せっかくきれいな肌だからもったいないと思いながら隙間なく丁寧に塗り終える。

 

「前もお願いするわ」

 

「それは自分でやろうね⁉」

 

 口惜しそうに自分のできる範囲を塗り終えたのを確認し、今度は友奈が背中を塗ってもらう番だ。

 しかし車椅子の構造上、手を伸ばしても効率よくできない。

 

「友奈ちゃん、私の膝の上に座って。それならやりやすいわ」

 

「でも……重くない?」

 

「そんなことないわ。さあさあ早く」

 

 友奈は心配しながらも積極的な催促にしぶしぶと膝の上に腰を下ろした。なにやら後ろで気温よりも熱い息を吐いている。その吐息が背中にかかり、友奈は口を横一文字にしめる。

 東郷のしなやかな指が背筋をゆっくりと撫で下ろす。塗り拡げているようには感じられず、むしろ「あっ……」と反応してしまう。しかしそれを無視して東郷の手は友奈の身体全体を絡め取るように触れた。左腕、左手、右腕、右手そして両脚も塗るわけでもなくただ触れられる。

 やがて満足したのか、すぐさま日焼け止めを塗り広げて終えた。なんだか抵抗すらしなかった自分自身が恥ずかしくて、東郷に顔を見られまいと努めた。

 

「はい、おしまい」

 

「東郷さんの手つき、いやらしかった……!」

 

 なるべく体重をかけないようにゆっくりと膝上から腰を上げた友奈は残りの自分でできる範囲を塗りながら言った。

 

「気のせいよ。早くストレッチして入ろう。ほら、もう風先輩たちが泳いでるわ」

 

 確かにすでに海に入り、元気に夏凛と水泳競争を始めている。さすがは完成型勇者といったところか、バタ足で立つ水しぶきが風の比ではない。

 樹は砂浜に座り込んで遊んでいる。

 一緒にラジオ体操をした後、車椅子の後部グリップを握って砂浜を走らせる。タイヤが砂にとられて進みにくいが、普段の車椅子と比較すれば天と地の差だろう。その辺り、大赦には感謝である。

 

「よし、これで私の勝ちね。風、かき氷奢りよろしく〜」

 

「ぐぬぬぬ……! おのれ! ……ん? いや? ふと考えてみれば私が負けるのも仕方ないかもしれないわ」

 

 腕を組んでふんぞり返る夏凛と変わって悔しそうに地団駄を踏む風だったが、突然すかした顔でクーラーボックスに手を伸ばして中からジュースを取り出しながら言った。

 

「水の抵抗よ。いやーこれは仕方ない。だって夏凛のほうがスラッとボディーなんだから抵抗が少なくて当然だったワ。対して私はほら、ね?」

 

 わざとらしく胸を主張する仕草を見せつける。すぐにはその意味を理解できなかったが、数秒考えて結論に至り、顔を真っ赤にさせた。

 

「ぬぁんですってええぇ!!」

 

 怒り心頭になり、風を追いかける。風はもちろん逃げようとするが、砂に足を取られて転んでしまい、容易く捕らえられて関節技を決められている。

 

「い、いこっか東郷さん。樹ちゃんも入る?」

 

『はい』

 

 これは夏凛を挑発したのが発端であるため擁護のしようはなく、樹のフォローが入ることはない。「ぐおおおお……」と女子力が砕ける声を聞きながら友奈たちは海に足をつけた。

 そのまま奥まで進み、胸のあたりまでの深さになったところで車椅子を樹と交代する。そして友奈は海に潜って底に何か面白いものがないか探し、あるものを拾い上げた。

 名前はわからないが、赤いワカメのような葉っぱだ。表面がツヤツヤしていて、きちんと綺麗にしたら押し花に使えそうだ。

 

「見て見て、東郷さん! これすごくキレイ!」

 

「ほんとだ、すごいね。もっといっぱい集めたらもっとキレイになるわ」

 

「よーし、いっぱい見つけるぞー! 樹ちゃんも交代しながら探す?」

 

 樹が了解と親指を上げる。

 海の中で目を開けるのはなかなか緊張するもので、普段家の風呂で潜ったりして遊んでいる友奈にとってもこれは拭い去れない。しかしイルカショーの人だって巨大な水槽の中でイルカたちと目を開けながら連携しているし、できることにはできることはわかっている。

 視界はボヤけるが、目についたなんとなく赤いものを。樹と交代しながら飽きるほど採集し、最終的には東郷の膝下が溢れかえるほどになってしまった。

 友奈たちは大きな達成感に喜びつつも、風の目に入らないように気をつけながらクーラーボックスに保管する。樹曰く、『これワカメっぽいわね。食べれる? って言いそうだから』らしい。妙に説得力のある妹の危惧に、ふたりは激しく首を縦に振った。

 

 

 用意された宿はこれまで見たことのないほど豪華なものだった。案内された五人一部屋も圧倒的な広さで、倍の人数が入っても問題ないほどだ。

 水着から着替えるまでに海水を流すためにシャワーを浴びてはいるが、これは簡易的なものであるため、早速露天風呂で遊びの疲れを癒やす。浴衣に着替えた友奈達を次に待っていたのは、恐るべき料理の数々だった。

 蟹料理。それも脚が数本、などではなくひとり一匹だ。さらに見た目の体積も大きくたっぷり身が入っていることは間違いないだろう。さらに、中央には伊勢海老がどん! と存在感を主張している。

 

「――――――」

 

 風が目を点にし、砂漠でオアシスを発見したかのような震えた足取りで席につこうとする。

 しかしよだれが垂れ、それを拭おうとする素振りすらない。完全に食事モードに入ってしまった風の腰に掴みかかって樹が止めに入る。

 ハッ! と自我を取り戻した風は、いたずらがバレた子供のようにぺろりと舌を出した。

 

『お姉ちゃん……』

 

「…………。やぁねぇ演技よ演技!」

 

「いや樹に止められてなかったら絶対食いついてたでしょ!」

 

 素早いツッコミが夏凛から入る。たとえどこであろうとキレは落ちない。改めて席についた友奈たちはあまりに豪華な食事に絶句する。

 

「すごい高待遇だね……」

 

 東郷がごくりと喉を鳴らす。

 

「そりゃそうよ。そもそも大赦が用意した宿なんだし、これはご褒美だと思えばいいのよ。……樹」

 

『はい』

 

 夏凛に名前を呼ばれただけでその意図を察した樹は暴走寸前の女子力の塊を止める。誰かどう見ても発作を起こしているようにしか見えない。

 

「はやく食べよう! 風先輩も限界みたいだし!」

 

「そうね、さっさと食べましょ。では」

 

「「「いただきます!」」」

 

 友奈が初めに箸を伸ばしたのはイカの刺し身だ。醤油につけて、口に運ぶ。市販のものとは次元の異なる美味さ、そしてコリッとした食感に思わず目を瞑って呻く。

 蟹の身もぷりぷりしていて美味しく、この世の絶品を集めたのかと錯覚するほど豪華な食事に、もう日常生活に戻れないほど舌が肥えてしまうと確信する。

 一方風はすでに蟹を半分以上食べ尽くし、その食いっぷりから女子力とは何かなどと哲学に突入してしまいそうだ。

 

「どうしよう……」

 

 しかし友奈の表情が一変し、曇ってしまう。いち早く反応した東郷が声をかける。

 

「どうしたの友奈ちゃん?」

 

「この料理はすごく美味しいんだけど、なんだか口元が寂しいんだ。……ごめんね、自分でも何言ってるかよくわからなくって。そう……東郷さんのぼた餅が食べたい気持ちになってきたの」

 

「――――――」

 

 東郷が目を見開き、硬直する。

 ピシ、と場が凍りついた。しかし風は食事を止めていないが。

 東郷はゆっくりと箸を置き、側にある車椅子を引き寄せようとする。だがそれを夏凛と樹が止めに入る。ふたりが全力でよを出してようやく押さえつけられるほど興奮は頂点に達している。

 

「やめなさい東郷! あんたここからどれだけ距離あると思ってんの⁉」

 

「行かせて! 今すぐ行かせて!! 友奈ちゃんがぼた餅を食べたいって言ったのよ⁉ それだけで十分よ!!」

 

 言ったらどうなるかを予想せずに口にしてしまった友奈が発端ではあるが、考えなしの発言がこれほどまでに人を変えてしまうことに驚きつつも、戯れ合う三人を眺めるのは楽しかった。

 とはいっても放置するわけにはいかないから鶴の一声で東郷の暴走を止め、その後は談笑しながら時間をかけてすべてを完食した。

 

 

 この部屋の窓からは街頭の光は差し込まず、明かりを消してしまえば光源は月の光だけになってしまう。しかしながらすぐそばに誰かがいる、という状態は緊張してしまう。意識するなというのは無理難題で、風はまだ完全に眠りに落ちることができずにいた。

 食事は非常にうまく、うどんといい勝負だったと言えるだろう。腹は七分目ほどだが、十分満足した。

 恋バナをし、いつも常備しているストックを初耳の夏凛に語り聞かせ、最後は東郷の本気の怖い話で幕を締める。

 明日にはもう帰ってしまうのだと名残惜しさを感じていると、ふと誰かに腕を突かれた。

 寝ぼけでいるのかと一度は無視するが、また腕を突かれる。明らかに意思のある行為に、風はその指を摘んで「誰?」と声を殺して問いかける。

 

「私です。少し時間、いいですか?」

 

「……東郷か。こんな時間になによ? あたしも寝たいんだけど」

 

 顔はよく見えないが、東郷は対面で寝ていたはずだ。

 

「すみません。ですが今どうしても話したいんです」

 

「はいはいわかったわ。ちょっと待ってて」

 

 隣で寝ている樹を起こさないように立ち上がり、東郷が車椅子に乗るのを手伝ってから部屋を出た。自動販売機の前のベンチに腰掛け、眠そうに目を擦る。

 

「ふああぁぁ……それで?」

 

「友奈ちゃんのことです。何かおかしなところなどありましたか?」

 

「ああ友奈ね。そうね……。ない、わね」

 

 今日は一日中勇者部の全員が一緒にいた。学校だと移動教室のすれ違いと、部活の時しかしっかりとコミュニケーションをとれない。

 東郷に依頼されたことはよく覚えている。それは友奈を監視することだ。日常生活に支障をきたしていないか。もしくは明らかにおかしな様子ではないか。一緒に行動して、特に不審に思われることは一切なかった。

 そしてこの合宿という名の慰安旅行は、東郷にとって友奈の不調を特定する絶好の機会だったといえる。

 

「実は今日、友奈ちゃんの全身を触ってみたんです。ですが感覚が衰えているなどの症状はなく、恐らく外見的なものではないと私は思っているのです」

 

「触れた⁉ お風呂の時⁉ いやその時はしてなかったから日焼け止めを塗るときにでもやったのか」

 

 時間は深夜だ。

 東郷の友奈ラブは周知の事実としてもそこまでの行動に及ぶとは思わず大きな声を出してしまった。口元を抑えつつ、廊下に誰もいないことを確認する。

 

「……でもさ、東郷の思い違いなんじゃない?」

 

 投げかけられた言葉が、重くのしかかる。

 

「え?」

 

「だってさ、あたしたちのは疲れから来てるんでしょ? で、夏凛と友奈はそこまで疲れなかった。そういうことなんじゃないの? 大赦だって治るって言ってるし。……そうよ。それを癒やすためにこの旅行があるわけだろうし」

 

「それは確かにそう……ですけど、やはり腑に落ちないこともあります。夏凛ちゃんがお兄さんに満開のことを尋ねたのを聞きましたよね? 大赦が何かを隠しているとも」

 

 友奈が病院に運ばれ、その経緯を夏凛から聞いている。当然その中で兄妹間のいざこざがあったこともだ。兄がいたのは知らなかったが。

 

「…………」

 

「私はどうしても信じきれないのです。信じたくても、なぜかできないんです。ずっと信じて治るのを待っていましたが、一向に兆しはなく、不信感が募るだけです。もし友奈ちゃんも同じように何か不自由なことがあったら、私はその力になりたいんです……」

 

「東郷、あんた友奈に対して何やってるのかわかってるの?」

 

 風はまっすぐに東郷を見つめた。立ち上がり、両肩を掴む。表情は強張っていて、僅かに不快感を覚えていることがわかる。

 

「――あんたはね、友奈の粗さがしをしてるのよ」

 

「いえ……そんなことは……」

 

「あるわ。だってそうでしょ? 本人はあんなに元気に過ごしているのよ? あれのどこに不調があるっていうの? ある前提で勘ぐられる友奈の気持ちを考えた?」

 

 東郷の目は泳ぎ、口を開閉させる。

 

「友奈を心配する気持ちはよーくわかる。正直見てて危なかっかしいところあるし。……でも、あたしたちがいないと何もできないわけじゃないはずよ。少しは友奈のこと、信じてやったらどう? ……大赦も同じように。こんなに私たちを良くしてくれたんだから」

 

 目を細めつつも、風は東郷の肩を強く掴む。

 難しい議題だ。さらに安易に触れてはならない議題でもある。

 勇者部として……それ以前に長い間ずっとプライベートでも友奈と一緒にいた。友奈のひととなりは親の次に一番知っていると胸を張れるほどだ。

 ずっと不自由な生活を助けてくれた。それだけではなく友奈という人柄にも惹かれた。だから困ったことがあれば助けてやりたいと思っていた。そして今の風の言葉で気づいた。

 ……ああ、私は過保護だったのだと。

 しかしこの在り方が間違っているとは思っていない。これこそが友奈への想いであり、普遍のものだからだ。

 ……が、今回はいき過ぎたことを認めざるを得ない。知らないうちに友奈を助けようとする自分像に酔っていたのだ。

 

「すみません……自分のことばかり考えて動いていました……。少し頭を冷やします。ですがやはり私は友奈ちゃんが心配なのは変わりません」

 

「謝る必要なんてないわ。あたしも別に心配するのをやめろなんて言わないけど、そこまで血まなこになることはないんじゃない? って言いたいだけだから。でももうあたしは友奈の監視を止める。ひとりをずっと見るなんてできないし。それに、私は部長だから皆を等しく見ないとね。――ただし樹は除く」

 

 最後の一言だけやけに早口で風が締めくくる。

 

「……その一言がなければよかったんですけどね。そこが女子力の壁というところでしょうか」

 

「グっ」

 

 いつもならストレートなツッコミをくれる夏凛と代わって冷静に痛いところをつく東郷のツッコミはクリティカルヒットしたようだ。

 腹を抑えてよろめく素振りをしながらはははと笑った。

 

「いやー東郷のツッコミもキレてていいわね。さて、話はもう終わりかしら? すっかり目が覚めてしまったけど眠いっちゃ眠いし」

 

「そうですね。戻りましょうか」

 

 重い雰囲気にはなってしまったが、互いに矛をぶつけ合うことにはならずに済んだ。

 静かに部屋に戻り、気をつけつつ東郷が車椅子から降りるのを手伝ってから、風も布団をかぶった。

 まだ暗闇に慣れていない目は樹の可愛らしい寝顔を見ることができた。これが自分の妹だとはまるで思えないほど可愛い。

 そっと手を伸ばし、その頬に触れる。

 そして。

 

「絶対に治るからね、樹」

 

 と言い聞かせた。

 ……しかしそれは、自分自身に対してのものでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………」




ジェットコースターってありますよね?
あれの何が面白いのかというと、頂点まで上がって、車両が前傾姿勢になるまでの間に感じる極度の緊張感だと自分は思います。
……ちなみに今、頂点にいます。

その楽しみは虚構であり、現実は常に上手くいかず。

それではまた次回。

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