結城友奈は勇者ではない   作:mn_ver2

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ミスって一度誤投稿してしまった笑

前話を投稿した後、おかげさまでランキングに載ることができました。ありがとうございます。すまない、全部の感想にgoodボタン押せなかった……。

つい先日、『ここしゅき』ボタンが実装されたようです。『ここしゅき』な文章を長押しすると最大10回『ここしゅき』できるそうです。適当にこの小説で『ここしゅき』ボタンを試してみてください。スマホ版でのみできます。

前回のあらすじ
勇者たちの奮闘は無駄などではなかった


再起

 東郷がこの場所を突き止め、身ひとつでやって来た目的など考えるまでもない。

 乃木は観念したかのようにため息を吐き、東郷の顔を視界に収めた。

 

「……私のことはわっしーで構わないわ。二年間の記憶は飛んでいるけど、その間、私は鷲尾家の人間として勇者のお役目に務めていたのだから」

 

 一方的に告げられる言葉に、乃木は驚きつつも悲しみを感じる。一度目に友奈とともに会った時とは打って変わって穏やかな再会ではないからだ。

 そしてそこまで自分のことを調べ上げるのは、並大抵の執念深さではないはず。今、それと同等以上のものを東郷は乃木に向けている。

 

「……すごいね、わっしー。そこまでわかったんだ」

 

「記憶も、この脚も、散華で失った。そうでしょう?」

 

「うん、その通りだよ」

 

 あっさりと躊躇なく乃木は肯定する。

 

「そして私は東郷の家に戻り、友奈ちゃんの家の隣に引っ越した。……これも」

 

「大赦に仕組まれたこと。結城さんは勇者の適性値が一番高かったからね。それにわっしーが刺激を受けることを期待していたんだと思う」

 

 淡々とした答え合わせだ。しかしそれも終わり、互いに無言の時間が流れる。

 東郷は一瞬だけ顔をしかめてそっぽを向く。そして次の話題を言い出すか否かを悩んでいると、乃木の方から言葉を投げかけられた。

 

「……本当はこんなことを聞くために来たんじゃないんだよね?」

 

「……ええ」

 

 乃木には東郷が何を言いたいのか手に取るようにわかる。

 落ち着きがない。それを誤魔化すように指で肘掛けの縁を撫でる動き。

 そして先日の件。

 乃木は話を切り出すのを静かに待った。

 

「友奈ちゃんが治る方法は?」

 

「ないよ」

 

「っ」

 

 これも淡々とした冷たい返答だった。

 東郷は唇の橋を噛み締め、力強く拳を握る。

 友奈と別れてそのままの足でやって来た。無鉄砲だったことは理解している。

 しかし以前も同じことを言われたからわかってはいたはずだが、やはり今一度告げられると心に来るものがある。

 しかし東郷としても、何が何でも友奈が散華したものを返還してもらわなければならない。

 すでに友奈の自滅機構は作動している。タイムリミットがあとどれくらい残っているのかすらわからない。まだしばらくはもつと思われるが、明確にいつだなんて余命宣告のようなものは考えたくない。

 

「神樹様に直談判すれば……!」

 

「無理だよ。逆に怒りを買うだけ。……わっしー。この世にはね、どうにもならないことがあるんだよ……」

 

「私は、こんなの認めない!」

 

 大きくかぶりを振って東郷はあらん限りの声で叫んだ。無駄に大きい部屋の中に響くその声は、ほんのりと赤い暗闇にゆっくりと呑まれる。

 

「…………」

 

 この『どうしようもないこと』とは、友奈の死である。

 生きる意志のない者に生きる資格なし。

 これが現実。現に身体は自壊しようとしている。起きている間も、寝ている間も常に己との生存競争を強いられているのだ。負ければ死。

 進行を遅らせるには、友奈自身が生きようと足掻かなければならない。だがそれが上手くできなくて八方塞がりな状態だ。できたとしても、それはほんの気休めでしかない。根本的な解決には至っていない。

 死は避けられない。

 絶対に助からない。

 

「わっしーにとって、結城さんがどれだけ大切な人なのかは胸が苦しいほどわかる。でもね……でもね……」

 

 誰もが安易に口にできないことをしようとするが、それを東郷は遮った。

 

「お願い。その先は言わないで」

 

 喉につまらせた『諦めて』という言葉を、ゆっくりと胸の奥に押し込む。

 乃木だってこのような残酷なことは言いたくない。親友を失う苦しさはこれ以上ないほどよくわかる。どれだけ長い時間が経とうともその傷が完全に癒えることはない。だからといっていつまでも先延ばしにしていては、その分のツケに耐えられなくなる。

 

「私のこと、恨んでもいいんだよ?」

 

 辛いことだけを一方的に押し付ける態度は、友奈生存への希望を完膚なきまでに砕いた。

 本来ならば殴りかかられてもおかしくない数々に、怒りは頂点に達しているはずだ。

 なのに、東郷は嗚咽を漏らしながら答えた。

 

「……それは、ないわ。あなたも被害者のひとりなのだから……」

 

「………………ありがとう」

 

 それきり、静寂が訪れる。

 ふたりは沈んだ表情で互いを見つめた。

 どちらも救いようのない被害者だ。東郷はそもそも乃木を追及したところで何か有益な情報が得られるなんて希望的観測はそれほど抱いていなかった。

 胸に溜まったヘドロを吐き出したくて音ずれたに過ぎない。ようは八つ当たりに近い。わかってはいても、どうしてもそうしなければ気がすまなかった。

 この苦悩をひとりでは耐え忍ぶことができないから。

 先に静寂を突き破ったのは乃木だった。

 

「大赦の隠していること……結界の外の真実、知りたい?」

 

 それは、悪魔の囁きだった。

 東郷はごくりと唾を飲む。

 

「この前は満開システムについてだけ話したからね。今度は時間もあるし、他のことも話せるんだけど」

 

 そう言って柔らかい苦笑を浮かべる。

 これは地獄への招待だ。

 乃木は東郷の反応を窺う。

 再び肘掛けの縁を撫で始め、難しい顔をする。

 大赦が隠していたものは、満開システム。この内容は非人道的なものだった。そしてさらにまだ隠していることがあると言われて、それをどう受け止めればいいのか。

 昔から、家でも学校でも神樹の張った結界の外には出てはならないと耳にタコができるほど言い聞かされていた。だからずっと前から暗黙の了解として頭の中にあった。

 その理由……隠していた内容とは、きっと満開システムと同等以上の衝撃を受けるに違いない。

 今ですら地獄だ。

 ただ四肢や五感などが散華するならまだここまで猛烈に焦る必要はない。だが友奈の散華のせいで、事態は急速に解決しなければならない状況に陥っている。

 その上さらに地獄を知るか?

 乃木がなんだか善性の悪魔に思えてならない。身動きすら取れないはずのに、その眼光に帯びるなんとも言えない圧迫感にえづく。

 もし聞いてしまったら、とんでもない後悔と絶望をするだろう。しかし、友奈のタイムリミットに比べればマシだと確信できる。

 落ちるところまで落ちよう。その果てに、何があるかは未来の自分に託す。

 東郷は頬に力を入れ、乃木の双眸を捉えて教えを乞うた。

 

「――教えてほしい」

 

「……わかった」

 

 善性の悪魔の口から吐露される、これまでの常識を真っ向から否定する事実に東郷は卒倒しそうになった。

 しかし乃木家はもっとも大きな権力を有する家系だ。当然そこに大赦の息は強くかかり、集約する情報量は圧倒的。それに身を呈して東郷たちを呼び出して満開システムのことを話してくれた。

 信用に値する。

 とはいっても真実はどこまでも残酷で、予想の通り、聞かなければどれだけ幸せなのだろうと本気で後悔した。

 

 

 食事が喉を通らない。

 眠気を感じない。

 眼球が痙攣する。

 動かない半身に苛立ちを隠せない。

 左手でも使いやすいように用意されたフォークを手にも取ろうとしても、できなかった。もっと詳細に語れば、無意識に動かそうとした右手が命令をきかないのだ。

 わなわなと肩を震わせて左手で右の手首を力強く握る。

 

「――――――は」

 

 と自嘲する。

 お腹が痛い。これが空腹からくるものなのか、ストレスからくるものなのかわからない。

 もしこの場に鋸があれば、躊躇いなく友奈は自分の手足を切り落としているだろう。どうせ痛覚もない。無くなったほうがいつまでも付き纏う、くっついているだけという不快感から解放される。

 メリットしかない。

 ならば今すぐやろう。

 ナースコールを押して人を呼んで、「鋸はありますか? あれば貸してくれませんか?」と訊けばいいだけ。バーテックスを倒すより遥かに簡単な作業だ。

 

「――違、うっ」

 

 目を剥き、やつれた友奈はぎりり、と歯を食いしばる。

 友奈は今、戦っているのだ。

 敵は虚ろな自分の心。生を踏みしめる死の足。

 苦しい。

 まるで幽霊と対峙するような実感のない戦い。こちらからは何もできないのに、向こうから一方的に嬲られる理不尽。

 勝ち目はんてない。

 足跡すらなく、どれだけ近づいてきているのかを把握すらできない。

 ……地獄だ。

 ふと、ドアをノックする音が聞こえた。時間的に学校が終わった頃だから勇者部の誰かが来たのだろう。

「どうぞ」と言うと、ドアをスライドさせて入ってきたのは制服姿の樹だけだった。てっきり全員来るかと思ったが、そういうわけではないらしい。

 

『こんにちは』

 

「こんにちは樹ちゃん。皆は?」

 

 少し前までは筆談をするのに時間がかかっていたが、今ではだいぶ筆が速くなった。

 さらさらとペンを走らせ、スケッチブックをこちらに見せる。

 

『一年生以外、学年集会でした』

 

「なるほどね」

 

 樹はカバンを床に置き、側の丸椅子をベッドの横まで運んで腰を下ろした。友奈の右手首が赤く腫れているのを見て一瞬だけ眉をひそめる。そして食事に手がついていないことに気づいて指差した。

 

「ごめんね樹ちゃん、食欲ないんだ」

 

 力ない意思表示に、樹の表情が僅かに陰る。

 どれもフォークで刺して簡単に口に運べるように考えられたものばかりだ。丁寧に一口サイズに切り分けられた豆腐ハンバーグや、レタスで丸められた野菜たち。

 しかしどれも時間が経過しているのがわかる。湯気は立っていないし、ドレッシングは乾いている。

 

『食べないと』

 

「でも……」

 

 すると、今度は大急ぎで文字を書き始めた。できた文章は汚く見えた。

 

『お願いします。食べてください。私が食べさせますから』

 

 話せるはずがないのに、幻聴のように樹の言葉が聞こえる気がした。今まで樹とのふれあいで形成された友奈の樹への人物像が、ここでならこう言うはずと、無音でぱくぱく開く口に合わせてアフレコする。

 その優しい気遣いは、決して断れるようなものではなかった。

 お腹が痛い。きゅるる、とタイミングよくお腹が鳴るが、これが空腹なのか判別ができない。

 しかし樹にはわかったようだ。朗らかな笑顔を浮かべると、友奈の代わりにフォークを手にしてハンバーグを刺し、手を添えながら口元へと運んできた。

『あーん』と催促されているのがひしひしと伝わってくる。樹は純粋な善意で友奈の世話をしようとしてくれている。

 ここで本当に食欲がないと拒絶するとどうなるかなんて想像はできる。事実、友奈がここに運ばれてから口にしたものは、今日の朝に一口だけ口に含んだ牛乳のみだ。これだけでは育ち盛りの中学生にはまるで足りないということはわかりきっている。

 食事を取らないから身体が弱ってきていることはなんとなく理解している。でも、やっぱり……。

 

 ――いや、ここで拒絶してはならない。

 

 樹はしだいに表情を曇らせ始める。フォークの向きが下に下がり始める。

 形は違えど、これも戦いだ。

 それにやはり、樹の善意を無下になんてできるわけがない。

 友奈はぱくりと食らいついた。ゆっくりと咀嚼して冷え切った肉の味を噛み締めてから、ごくりと喉奥に押し込んだ。

 ……美味しかった。味だけではない。心も満たされる感覚。

 冷えているのなんて問題ではない。人の優しさに触れられることへの感動や感謝に打ち震えた。

 樹がぽかんと口を開け、呆けた顔で友奈の顔を見つめている。

 不意に、頬に熱いものが伝う感覚に気づいた。

 手で目元を拭うと、その正体は涙だった。

 

「あ、あれ?」

 

 自分でこの感情を口にすることができなかった。鼻の奥がじんわりと熱を帯びる。

 

『美味しかったですか?』

 

 と訊かれた友奈は唯一言語化できるもので返事した。

 

「……ありがとう」

 

 樹は頬を赤らめて大きく頷いた。

 簡単なことだった。何も難しいことを考える必要なんてない。こうして友奈を支えようとしてくれる人がいるのだ。

 樹はもちろん、風も夏凛も、そして東郷も。持ちつ持たれつの関係。それが勇者部五人の絆。

 なんだか突然に、無性に気恥ずかしさが友奈を襲った。頑張って流れる涙を拭おうと躍起になっていると、樹からハンカチを手渡される。

 その口はどうぞと言っていた。

 

「ありがとう」

 

 同じ言葉を口にし、友奈はハンカチでそっと拭き取った。

 年下に慰められるのはとても恥ずかしいことのはずなのに、樹になら、と安心してしまう。

 そして樹はまた何かをスケッチブックに書き始める。

 

『お姉ちゃんは今、すごく落ち込んでます。何か心当たりはありますか?』

 

 友奈はカッ! と全身が熱くなるのを感じた。

 言えるはずのない内容をどうやって誤魔化せばいいのかとほんの数秒で何度も頭の中で自問する。

 風には樹と夏凛には言わないようにと厳命されている。しかしその本人があのような状態だ。ふたりに教えてしまっては……より負担になるだけだ。もう簡単に隠し通せるレベルではなくなってきている。

 これは必要な嘘なのだ。と同時に、大赦が必死に満開システムのことを公表しようとしなかった理由が身に染みてわかった。

 

「わからない。でもたぶん、部長としての責任とかだと思うな」

 

『それはお姉ちゃんも言ってました。でもそれだけではないような気がして』

 

 胸を抑えて悔しそうに樹は囁く。

 

「…………」

 

 ――これが嘘を貫くということ。

 しかし友奈にはこれ以上見て見ぬふりなんてできなかった。友奈の根っこの人間性は口を閉じていられなかった。

 ……乃木園子は『教えてほしかった』と涙を流しながら言っていた。あの時、他人事と切り捨てられない感情が湧き上がったのを覚えている。

 最後の最後まで隠されて後悔や無念の果てに散るより、残酷であっても早いうちに現実を知り、それと向き合いながら生きていく。これが乃木の語っていた願いだった。

 もう勇者として活動する必要がなくても関係ない。勇者として知る義務があるはずだ。

 初めて聞く衝撃の事実を果たしてどう受け止めるか。

 風にとっては絶対に避けたい事態に至らないための安全策。だがこれはよくないと友奈は結論づけた。

 風のやっていることは、大赦と同じことだから。

 決意する。

 顔を上げ、樹の眼を捉える。

 樹も友奈の雰囲気から察したのか、顔を強張らせる。

 

「あのね樹ちゃん、本当は――」

 

 続きを言おうとしたその時、樹の携帯から軽快な鈴の通知音が鳴った。

 なんて悪いタイミングだ。一気にふたりの緊張がほぐれてしまう。樹は小さく肩をすくめると、その通知を確認した。すると樹の顔がみるみるうちに青ざめた。

 

「どうしたの樹ちゃん?」

 

 携帯の画面を見せつけてくる。

 いつも勇者部が利用しているSNS。その樹と風の個人チャット。何気ないやりとりが綴られているが、最新の履歴には。

 

『大赦をぶっ潰してくる』

 

 とだけ、何やら不穏な文章が並んでいる。

 慌てて樹は電話をかけるが、一向に出る気配はない。最終手段としてGPS機能で風の居場所を探り始めた。

 

「…………?」

 

 風の場所は自宅から少し離れたところ。猛スピードでどこかへ一直線に移動しているようだが、この速さはおよそ人が出せるものではない。車ならまだなんとか納得できそうが、道路を走っている様子もなくただ真っ直ぐ進んでいる。

 もしかして……風は……。

 

「勇者姿で移動してる……?」

 

 突如、病室内を緑の花びらが待った。

 突風に友奈は思わず腕で顔を守る。収まった頃には、勇者に変身した樹が真剣な眼差しで窓の外を見据えていた。

 

「樹ちゃん!」

 

 手を伸ばす。しかし届くはずもない。ベッドから降りて近付こうとしても、満足に歩くこともできない友奈には樹を止める手段はなかった。唯一あるとすれば、勇者になって――。

 ……だが、友奈は勇者ではないから不可能だ。

 樹は突風で荒れた布団を友奈にかけ直すと、優しく微笑みかけて何かを呟くと、窓を開けて勢いよく飛び出してしまった。たぶん『行ってきます』と言ったのだろう。あとには鼻腔を撫でる僅かな花の匂いが残った。

 友奈は呆然と樹が飛び去った方向を眺める。携帯を手繰り寄せて変身ボタンをタップするが、予想通り、ブザー音とともに赤く画面が点滅するだけだ。

 大きくため息を吐き、悔しいが風のことは樹に任せることにした。

 

「言えなかったなぁ……」

 

 虫が入ってきたら困る。

 ベッド横に常に備えられている車椅子に乗り移る。コツも掴めたからだいぶスムーズにできるようになった。要は腰を勢いよく浮かすことにコツがある。

 電源を入れて、手元のレバーを押し倒す。

 窓を閉めたあと、もう一度ベッドに移動するか考えて、やめておくことにした。ついでだから散歩がしたい。今友奈が樹たちにできることは何もない。できることといえば、はやく車椅子の生活に慣れることだ。

 ナースコールを押して、食事の片付けをお願いする。そのまま外……屋上に出ることにした。何度かこの病院にはお世話になっているから、構造は大まかに把握できている。

 最短ルートかはわからないがとりあえず屋上に到達した。

 ドアノブを捻って外に出ると、昨日のおじさんが格子に背中を預け、煙草を吸っていた。

 違う点といえば、黒いスーツを着ているということのみ。

 友奈に気づくと慌てて煙草の火を消した。ジト目で見つめられ、おじさんは気まずそうに笑った。

 昨日とは打って変わって、スーツを上手く着こなすおじさんの横顔がなんだか男らしく見えた。

 

「や、やあ」

 

「……報告しますよ?」

 

「それだけは勘弁してくれ。最悪この病院を追い出されてしまう」

 

 冷や汗をかきながら懇願するおじさんを見て、ゆうなは見逃してあげることにした。しかし「次見たら知りませんからね」と忠告する。

 静かな風が吹いている。おじさんは最後の一服ができなかったのが名残惜しかったのか、僅かに口先をすぼめる。

 

「そのスーツ、どうしたんですか?」

 

 どこかの新聞の広告に載っても違和感の無さそうなレベルの佇まいに、友奈はふとそんなことを訊いた。

 

「今日息子の学校で文化祭があってね。それに行ってきたんだ」

 

 それがスーツである理由と結びつくような気がしなかったが、楽しそうに話しているから特に突っ込むことはしなかった。

 

「中学生ですか?」

 

「いや、高校生だよ。クラスでクレープ屋の出し物をしていたんだ。いやぁ、あれは美味しかった。時間があれば家でも作ってほしいくらいだね」

 

「本当に料理が得意なんですね……。もしかして料理人とかを目指されているんですか?」

 

 するとおじさんはかぶりを振った。

 

「そうではないと思うよ。……それより結城さんのほうこそどうしたんだい? すごく調子が悪そうに見えるけど」

 

「そんなこと……」

 

「あるよ。なぜなら今にもひび割れてしまいそうだからね」

 

 今の友奈をもっとも的確に表現する言葉だった。

 友奈は鋭く息を吸った。しかしおじさんの双眸はすべてを見透かしているように思えて、加えて短く喘ぐ。

 どれだけ言い繕うとしても無駄な気がして、それならいっそ話せる範囲で話そうと気が変わった。

 

「私は勇者じゃなくなってしまって、それにこんな身体になってしまって……友達を助けにも行けなくて……正直、ぐちゃぐちゃな気持ちなんです」

 

「ん? よくわからないけど、君は勇者部なんだろう? なら勇者じゃないのかい?」

 

「違うんです。その勇者じゃなくて……」

 

「………………ああ、そっちの勇者(・・・・・・)か」

 

 おじさんはひとり納得して空を仰いだ。

 そして肺に残っていた最後の煙草の煙を時間をかけてゆっくりと口から吐き出した。淡い灰色の煙はゆらゆらと空へのぼり、色褪せ、消える。

 

「だいたいは知っているよ。大赦と神樹とやらに認められた無垢な少女たちが、世界を守るために戦っているんだろう?」

 

「知ってるんですか?」

 

「ああ。君たちほどは知らないけど、ある程度のことは」

 

 だいたいの一般人は神樹様を認知していても、勇者の存在は知らないはずだ。長い間ずっと神樹様の庇護のもと生きていると教えられている。なのにこの人はそれだけでなく、勇者の選出条件も理解している。

 おじさんは、誰?

 

「おじさんは、誰ですか?」

 

 友奈は無意識に身構えた。

 しかし返ってきたのは全くの予想外のものだった。

 

「――僕はね、正義の味方になりたかったんだ」

 

「……へ?」

 

 思わず呆けた声を漏らしてしまった。しかしおじさんは真剣に語る。

 

「君たち勇者とはやり方は違えど、僕なりに皆を守ろうと奔走した。でもそれは茨の道で、人としてやってはいけない悪業を積み上げてきた」

 

「悪業……?」

 

「人殺しさ」

 

 おじさんは地平線の向こうを遠い目で眺め、次に友奈を見た。

 ――底知れぬ恐怖を感じた。おじさんの目は、バーテックスが与える恐怖を遥かに凌駕していた。

 身体中の血がすべて瞬間に沸騰させられるほどの熱さを感じる。ピリピリと指先が震える。

 次元の桁が違う。それもひとつやふたつ程度ではない。圧倒的な威圧感。

 勇者姿なら倒すことはなんとかできそうだが、代わりに何かを持っていかれる確信があった。これがおじさんの正体。底知れぬ闇を今、覗いているのだ。

 

「たくさんの後悔をした。でも、それ以上の人々を救った。僕はね、大勢の他人を救うためなら喜んで身近な人間を殺すような男なんだよ」

 

「……………………………………………………、っは」

 

 ようやくおじさんが向こうを向いた。それが呼吸の許可だったかのように友奈は必死に呼吸を再開する。

 

「僕は誰に否定されても信念を貫いた。君はどうだい?」

 

「私、は――――」

 

「神樹に認められなくなったから勇者はもうやめるのかな?」

 

「それはっ、違います!」

 

 友奈は勇者を辞めたくてやめたのではない。こんな人でなしが人を救えるはずがないと考えた結果、勇者である意義を失った。

 

「君は何がしたい?」

 

 友奈は友達を助けたいと本気で願っている。でも勇者ではない友奈には助ける力がなくて困っている。

 

「友達を……助けたいです」

 

 おじさんを見上げ、友奈は精一杯の感情を込めて言った。

 友奈は何を考えて勇者部に入ったのか。風に東郷と一緒にスカウトされ、『人のためになることをする』という活動に魅力を感じたから入部した。

 

「なら、そうすればいい」

 

 おじさんが再び友奈を見た。

 その眼差しは、先程の身の毛もよだつようなものではなく、優しさに満ちたものだった。

 おじさんは勇者ではないが、正義の味方として人々を助けようとしていた。その手法は知らないが、おじさんはそれが間違いではないと自信を持っている。

 なにも友奈たちだけが人を救えるわけではない。

 勇者の資格などなくとも、できることはいくらでもあるのだ。

 

「――――――――――――――――ああ」

 

 ……簡単なことだった。

 神樹に認められなくなったから勇者ではなくなった?

 違う。そういうレベルの低い問題ではない。

 おじさんが言いたいのは、友奈が勇者でありたいかという単純なものだった。

 勇者部に入部した当時のことを思い出す。

 活動した日々を思い出す。

 幼稚園でレクリエーションをした日、先生に「ありがとう」と言ってもらったこと。

 迷子の猫を探し出し、飼い主に届けた日、その人に「ありがとう」と言ってもらったこと。

 商店街のある店を手伝った日、店長に「ありがとう」と言ってもらったこと。

 他の部活の練習に協力した日、キャプテンに「ありがとう」と言ってもらったこと。

 挙げだせばきりがない。

 今まで、それほどたくさんの『ありがとう』に包まれて友奈たちは勇者部として中学生活を送ってきた。

 ……助けられた人たちにとって勇者部員たちは、他でもない勇者(・・)だったのだ。

 

 結城友奈は勇者ではない。

 

 ――それでも、勇者部に入部した時からずっと、結城友奈は皆にとっての勇者(・・)なのだ。

 

 だから神樹様の意志なんて関係ない。

 友奈が勇者としてやるべきことやるだけ。

 そこには、勇者部としての勇者、結城友奈がいた。

 

「たとえ自分のことが信じられなくなっても、今まで君のしてきたことを知っている人たちは君を信じてくれるはずだよ。だから何度でも立ち上がれるはずだ――」

 

 それきり、おじさんの動きは完全に静止してしまう。

 同時に聞き慣れたアラーム音が聞こえ、何が起きているのかを瞬時に悟った。

 樹海化警報だ。

 しかし、バーテックスはすべて退けたから二度とこの音が鳴るはずがない。目の前に現れた携帯を確認すると、『特別警報発令』といつもと違った文字が並んでいる。さらに警告の帯がその背景に何枚も伸びる。

 どうやらただごとではなさそうだ。

 彼方の方で虹色の侵食が始まる。カーテンのように横に大きく広がりながら大地をのみこむ。

 これによって皆と合流できるはずだ。そこで友奈は皆に高らかに宣言してみせよう。

 私は、勇者だ! と。

 顎ひげがきれいに剃られている正義の味方に深々と頭を下げる。

 

「……ありがとうございます、おじさん。私、頑張ります」

 

 結局この人の名前は最後までわからなかった。

 でもそれでいい。

 そんなものはなくても、友奈とおじさんの繋がりは強固だ。

 ……でもやっぱり知りたいという興味はあるから、これが終わったら訊くことにしよう。

 正面を静かに見据える。

 そして虹に飲まれる瞬間、ぐっ、と握り拳を作り、友奈は腹の奥底から声を張った。

 

「――讃州中学二年勇者部! 結城友奈!! 行きますッ!!!」




それでも、結城友奈は勇者である

ではまた次回!
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