00.再会
ラクーンシティ壊滅事件から3年。
15歳になったメアリー・ワトソンは張り巡らされたバリケードの前で自転車を降りた。
「瓦礫もそのまま……全然何も片付けてないのね」
フェンス越しに見える故郷は遠目から見ても無惨に崩れ去っていた。当時の、爆撃で地図上から消し飛んだままのその姿は握りしめたフェンスが軋む音を響かせる。
メアリー・ワトソンは、あの未曾有の生物災害から生き残った人間の1人だった。他の、彼女と関わりがあった人物達はたった2人を除いて既に故人となっている。その深い傷は未だに癒える事がない。
だが、彼女が提出した事件前後の関連記事を網羅したスクラップ帳や、親友であり被害者であるリリィ・フローレスの事件当時の警察署の様子を記した手記は裁判所に提出済みで、この事件を引き起こした大元である製薬会社アンブレラとの裁判に貢献している。
それでもまだ、収束には至っていないが。
メアリーはあれから学校に再度入学し、瞬く間に飛び級するとアメリカの大学へ行く事が決まった。寮生活になり、共に暮らしていたカルロス・オリヴェイラとは一度離れる事となり、今日はその寮に引っ越してきて2日目になる。ラクーンシティ跡地の最寄りまで電車に乗り、レンタサイクルでここまで来た次第だった。
新聞で見た通り、その場所は遠目から見ても更地とは言い難く、瓦礫と灰にまみれて薄汚れている。フェンスですら年季の入った剥き出しの金属が錆びついていた。
「……!」
そんな灰色の街を見つめていた、そこに突如すぐ横のバリケードの間に錆びた音を立てて隙間が開いた。その様子を唖然としたように暫し見つめ、数回瞬きした後に湧き出した疑問をゆっくりと整理し始める。
風は吹いているものの、脚に中身入りの土嚢袋が敷き詰められたバリケードを動かす事までは出来ないだろう。周囲には誰もおらず、更に言えば土嚢袋ごとバリケードば移動したようにも思える。
一体誰が、何が、何のためにこのバリケードを動かしたのか。
しかしその疑問すら上回ったのは奥底から湧き上がる好奇心だった。
メアリーは再び周囲に人がいない事を確認すると、自転車のスタンドを蹴り上げバリケードの向こう側に押しながら入る。
脇の看板に躍る"WELCOME TO RACCOON CITY"の下の"HOME OF Umbrella"が嗤うように錆を滴らせているようにも見えた。
バリケードの向こう側に真っ直ぐ伸びるハイウェイを自転車で走る事数分。
砂と灰の混じった埃っぽい匂いを纏った街の跡地まで辿り着き、そこで自転車を降りた。
ここにミサイルが落ち、慣れ親しんだ街を市民諸共消し飛ばした。よく遊んだ公園も、高くそびえる時計塔も、通い詰めたバーガーショップや図書館、警察署、親友の遺体も想い人の墓さえも。
瓦礫の山はそれが何の建物のものかすらも分からない。
「手を触れない方がいい」
コンクリートの塊でしかないそれを拾い上げようと手を伸ばした時、何処からともなく男の声が聞こえ咄嗟にそれを引っ込めた。声がした後方を振り返ると、そこには黒いコートを着込んだ金髪にオールバック、サングラスといった特徴的な風貌の男が立っていた。
「えっ……」
その容姿には見覚えがある。忘れるわけがなかった。
「子供の成長は早い。君も大きくなったな」
男はゆっくりとした足取りでメアリーに近付いてきた。一方のメアリーは信じられないといった様子で目を見張ったまま瓦礫の中へと後退りを始める。
それもそのはずだ。その男の名は、間違いでなければアルバート・ウェスカー。メアリーの想い人で、ラクーン事件以前のアークレイ山の火事で死亡しているはずのその人なのだから。
「わっ!」
だが足場が悪い中では逃げる事は叶わない。瓦礫に足をもつれさせれば、男——ウェスカーはすぐに歩み寄りその体に手を添えて支える。
「気を付けたまえ」
そのまま引き寄せて己が体にすっぽりと収め、薬品を染み込ませた布を見上げてきた顔の口と鼻を覆うように押し付けた。
「君ならいずれここに戻ってくると思っていたよ」
くぐもった声を上げながらも少女の見張った目はウェスカーを捉えていた。それに応えるように彼もまたメアリーを見つめていたが、彼女の目蓋は眠りにつくように閉じられ、全身から力が抜けていく。
「約束通り"君を迎えに来た"、と言っておこうか」
そんな様子を見てウェスカーは含み笑いを漏らした。
ウェスカーからしたら、あの日紡いだ言葉は日々真実味を帯びるものになっていた。
エイダ・ウォンからの定期的な監視報告で彼女がカルロス・オリヴェイラという青年と共に辺境の街で暮らしている事は知っていた。彼女が日々勉強をし、学校に入り、飛び級を使って15歳という早い時期にアメリカの全寮制の大学に入る事が決まった事も、全て。彼女の成長は目覚ましく、元々持っていた才能は更に磨きが掛かったものになっていた。
そしてアメリカに来るとなれば、崩落したラクーンシティに訪れる事も踏んでいた。
この日を待っていた。彼女の周りから人がいなくなるこの日を、ずっと。
己を慕う少女は己の望む通りに成長した。ここからは己が教育を施せばいい。大学など必要ない。
「共に"高み"を目指そう。メアリー・ワトソン」
彼は少女を抱えて含み笑いを漏らすと、その場を去っていった。
———
気がつくと知らない部屋のベッドで横たわっていた。
メアリーはハッと意識を覚醒させると起き上がる。服はやけに簡素な検査着のようなものに変わっており、部屋内もまるで病院のように白い壁と色々な器具に囲われている。
「目が覚めたか」
白い空間に見える長い黒。それはメアリーが起き上がったのを確認すると唇の端を吊り上げた。その彼女があからさまに警戒の色を見せながらベッドの上で後退りを始めるのを、面白そうに視界に入れながら黒い男は歩み寄り、あっという間にすぐそばまでやって来る。
「大好きな人の顔も忘れてしまったか?」
彼女の顎に手を添えこちらに顔を向けさせる。
「う…嘘よ。だってあの人は、隊長は死んだはずだもん……」
あの頃より少し落ち着いた声音は震えていた。
当然だ。今目の前にいる黒い男、アルバート・ウェスカーは3年前に死んでいるはずだった。公園に併設されていた墓地にもしっかり墓が立っていたはずなのだ。何より、メアリーは瀕死のウェスカーと山の中で会っている。必ずS.T.A.R.S.に入ると、皆の役に立つように努力すると誓いを立て、彼と別れた。
「そうか。俺の三文芝居はしっかりとお前に響いたようだな」
しかし、彼女のその記憶は仕組まれたものだったのだ。
「惜しかったな、メアリー。俺を信じる余り、俺の行動に何の疑問も抱かなかったのか」
掠れた疑問符を浮かべながら目を見張る彼女を、ウェスカーはやはり面白そうな様子で眺めていた。
思慮深い彼女がここでミスを犯したのは、紛れもなくウェスカーを信じていたからだ。もしかしたら彼女なら己を追いかけて来るという可能性を視野に入れていたが、律儀にあの芝居を信じ、"アルバート・ウェスカーは死んだ"と思い込んでくれていた。
メアリーもまた、3年前のあの日を思い出して息を呑んだ。
言われてみれば、ウェスカーの死をこの目で確認していたわけではない。彼は"情けない姿をこれ以上は見せられない"と、己に背を向けて山奥へ歩を進めていた。一方の己は、それを見て踵を返し、下山した。だから、彼が死んだかどうかまでは見ていない。
「……騙したんですか。あんな怪我までして」
途端に涙が溢れた。今もほんのりと憧れを抱いていた人物は、ずっと己を騙し続けてのうのうと生きていた。その事実が付けた傷は深く、目の前の男を涙目にキッと睨む。
「違うな。俺は確かにあの傷のおかげで一度死んだが、お前を騙すための傷ではない」
ウェスカーは今にも溢れそうなその涙を空いた手で拭ってやった。不思議にも彼女は抵抗しなかった。
「だが騙されて良かっただろう?俺との約束を守って飛び級までして大学に入ったのだからな」
偉いぞ、と頭を撫でてやるが、彼女はその手を掴んで再び睨んだ。
「一体何が目的ですか?」
その問いにウェスカーは小首を傾げて見せた。彼女ならここまで言えば分かると思ったのだが、やはりまだ未熟のようだ。
「分かるだろう?俺の役に立てる日がとうとうやって来たんだよ、メアリー」
"役に立つようになれば、迎えに行ってもいい"。
ウェスカーは冗談でも何でもなく、3年前の——12歳のメアリーにそう言っていた。彼女の才能に最初に目を付けたのは己だ。大学に行けば磨きが掛かった才能はすぐに開花するだろうが、何処の馬の骨とも分からない輩にその才能を渡すわけにはいかない。だから、その前にこうして己の手中に収めたのだ。
華奢な彼女の体をベッドに押し倒し、検査着を捲り上げると傍にあった機器から伸びる電極を体に貼り付けていく。
「やっ、やめてよ!何するの!?」
「暴れるな。まだこれからお前の体を調べるところだったのだからな」
彼女が抵抗するのは肌を見られているからなのか、得体の知れない器具で体を調べられるからか、或いはその両方か。ウェスカーは暴れ回るメアリーの両手首を片手で掴むと頭の上で拘束した。
「それとも、別の意味で"調べ"られたいのか?」
彼はサングラスを下げ、鮮明な視界の中で電極が貼り付けられた目の前の体を見る。15歳、まだ発展途上ながら3年前よりは発育が進んでいる。その言葉にビクッと揺れた体はすぐに大人しくなり、彼もまた拘束を解くと器具のモニターの方にサングラスを直しながら向き直った。
「今の組織に目を付けられても困るから俺が検査している。辱めている訳ではない」
これは本心だ。あの惨劇を生き抜いたのであれば、何らかの抗体が彼女の体に宿っている可能性が高い。それが今の段階でここの組織にバレてしまえば、研究員らの手によって望まずとも彼女が己の元を離れてしまう可能性もある。だから必要な器具が揃っているこの部屋が空いている時間帯を何とか探り当てて今こうしているのだ。仮にメアリーの体がウェスカーにとって"良い物"だとしても、それで時間を潰すわけにはいかない。
ウェスカーは出た結果を記録デバイスに詰め、すぐに元データを削除した。彼女の体から電極を外し検査着を正してやれば、手早くその身を抱え上げて白い部屋を出て行く。
「大人しいな」
「…………」
彼女は無抵抗だった。見ようによれば呆けているようにも見えるが、表情は彼の肩に埋められていて見えない。
「何を考えている?」
今までの会話でもいくつか彼女にとって知るべき事柄があったはずだ。恐らく彼女が考えているのは"今のアルバート・ウェスカー"そのものであろう。
「見られたのに何も思われないなんて……」
だが、少女が口にした言葉はどの予測とも違った。ウェスカーが拍子抜けた様子で再度彼女に視線を向けると耳が赤い事に気付いた。
「……まぁ、検体としてしか見ていなかったからな」
彼女の言葉が何を意味するか分からないわけではない。しかしウェスカーの研究員気質は今も変わらず、被験体として対象の裸体を見ている時に性的な興奮を覚える事はないのである。
それしにても彼女がそんな事を考えているとは予想外だった。てっきり怯えと羞恥の方が勝っているとばかり思っていた。それにいくら彼女が成長したからといって、ウェスカーにとってはまだまだ子供である。手を出せるような年齢ではない。
「とにかく、今日は着替えてから俺の家に帰るぞ」
窓の外は暗闇に包まれている。夜も更けてこの施設には今所属する組織の研究チームしか残っていない。彼女が元々着ていた服のある小部屋に入り、検査着からそれに着替えさせた。それを待っている間、くるくると先程の記録デバイスを片手で弄ぶ。
彼女はまだ己を誤魔化したつもりでいる。メアリーは呆けたフリをして話題を逸らした。だから己の腕に収まったままだったのだ。ウェスカーが少女の恋心を利用するのと同じように、少女もまた、それに気付いている彼の思考回路を利用しようとしたのだ。
(面白い。互いの腹の内を探っているかのようだ)
メアリーは大学の寮に帰る事ではなく、ウェスカーの思惑を暴く事を選んだ。先程の事は想定外だったが、疑問を与えればどこまでも追求するという性質は変わっておらず、やはり己の手中に自ら飛び込んできてくれた。こんなに嬉しい事はない。
これからメアリーはウェスカーのあらゆる情報を嗅ぎ回るだろう。それも計画のうちだ。
(俺の目的を知った時、お前はもう逃げられない)
離してやるつもりなんてない。己の手足となり得る逸材とはもう巡り合えないだろう。
それに己の支配下に入るのだ。これくらいはしてもらわなければ困る。
再会から幕が上がる物語は、始まったばかりである。