メアリーには戦闘技術も少しはあった方がいい。その方が使い勝手が良いからだ。
ウェスカーは空いた時間を使って彼女に基礎から訓練を施した。ハンドガンの基本の扱い方は誰に教わったのか完璧だったがその他の事はやはり何も知らず、一から十を全て教える。
元々運動能力は悪くない。褒められて伸びるタイプなのかしっかり褒めてやると効果が上がった。難しい事はじっくり教えてやればちゃんと出来るようになるし、それほど手を焼いた記憶がない。新しい事を教えてやるのが段々楽しみになっていた。
そして教えたのは戦闘技術だけではない。
「なるほど……私にパソコンを教えたのはこういう目的ですか」
目の前のパソコンの画面には今の組織がどのように動いているのか、つまりサーバー侵入で得た情報が並んでいた。
ハッキング技術もあれば文句なし。寧ろ彼女はこちらの方が飲み込みが速かった。その過程で得た情報は彼女にとっても有用だっただろう。ウェスカーが所属している組織の事も、ジルとクリスが反アンブレラを掲げてロシア政府が編成する対バイオテロ組織に所属している事も知れたのだから。
「メアリー、もう寝ろ」
「んー」
そんな生活も半年が経とうとしていた。ディスプレイの明かりに照らされた彼女の顔は真剣そのものだったが、夜ももう遅い。唸るような返事で流そうとしたメアリーに溜息を吐き、彼は背後に忍び寄りコツリとその頭を小突く。
「ん!」
「寝ろ」
そんなに真剣に何をしているのかと思えば、パソコンに内蔵されていた地雷探知ゲームをしていた。脳のトレーニングには良いかもしれないが、いつの間にこんな事を覚えていたのか。
「隊長のせいで誤爆した……」
ゲームオーバー画面がディスプレイに映っており、誤爆したマスにバツ印が付いている。口を尖らせながらウェスカーを振り返るのを見て、また彼は溜息を吐いた。
「知らん。寝ろ」
わさわさと髪を乱してやればまた「う!」と声が上がる。
「隊長、パパみたい!」
「パ…!?」
回転式の椅子をくるりと半周してウェスカーを振り返るメアリーの口から放たれた言葉は彼にとっては衝撃的で暫し固まった。
「パパだよ……口煩いパパ」
また口を尖らせ、床から浮かせた脚をパタパタと動かしている。
メアリーは片親で、その父親をラクーン事件で亡くしている。いや、彼は事件以前に亡くなっている可能性があった。アンブレラ社の研究員だった彼——アラン・ワトソンはウィルス実験の被験体となり、廃棄処分されたと予想している。
「……俺を父親にしたいのか」
彼女の父親は忙しくて家に帰れない生活を何年もしてきた。その間、彼女は1人で生活し、そのおかげで家事全般が出来る。
初めて彼女と食卓を囲んだ時、相手がウェスカーであるにも関わらず楽しそうにしていたのを覚えている。よくよく考えれば、ウェスカーとメアリーには親子ほどの年齢差があった。確かウィリアムの娘もこのくらいの年頃だったはずだ。
「え、何言ってるんですか…?」
しかしそれは空回りだった。きょとんとした顔でメアリーは彼を見上げている。それに思わず彼も目を瞬かせた。
「私のパパはアランだけよ。隊長は、隊長。さっきのは喩え話」
すん、と真顔で当たり前の事を説明するのを聞いてウェスカーは呆然としていた。次の瞬間、途端に恥ずかしさが込み上げてきて目元を片手で覆って俯く。
「俺は一体何を……っ」
今、彼は情けない顔をしているに違いない。その様子を少し意外そうにメアリーは見ていたが、やがてそれをにんまりとした笑みに変えて彼の顔を覗き込む。
「もしかして隊長の方が私のパパになりたかったりして?」
「バカな事を言うな!寝ない奴は強制連行だ!」
ウェスカーはハッと顔を上げるとパソコンの電源を落とし、いやらしく笑う少女を抱え上げて寝室に足を向けた。抱き上げた時に小さな悲鳴が聞こえたがお構いなしである。そのままベッドに身を横たえさせ、自身も同じベッドに潜り込むと彼女に背を向けて転がる。
「隊長、からかったのは謝るから機嫌直してよ」
この半年間、2人は1つのベッドで眠っている。狭い寝室にはベッドを2つ置く事は出来ないし、かと言ってソファで寝るのは疲れが十分に取れない。最初こそ抵抗があったものの、今はさすがに慣れてしまった。
メアリーの方が朝が早いため、ウェスカーは壁側を陣取っていつも眠っている。その壁に彼は顔を向けてメアリーには視線もくれなかった。
「隊長……」
彼女はその背中に呼びかけ、キュッと寝間着の裾を握る。
「私は隊長がパパでも、叔父さんでも、その……彼氏でも嬉しいですよ」
メアリーは言った後で静かに息を呑む。今、自分でも何を言っているのか、よく分からなかった。
彼は本来の目的であれば、警戒すべき対象のはずだ。しかし日常生活や世話を焼く過程で、彼の人間らしいところが少しずつ見えてきた。そしてそれを、愛しいとすら思えてしまっていた。
こんな感情は今の状況に不釣り合いだ。それこそ彼に利用される隙を作ってしまう。なのに、何故だろうか。拒めない己がいた。
「くだらん事を言ってないで寝ろ……」
ウェスカーは鼻をフンと鳴らして目を伏せる。裾を摘んだ指がゆっくりと離れていくのを感じて侘しい気持ちになるのを理解したくなかった。
確かに一般教養の他に戦闘やハッキング技術等、己の達成したい事柄に必要なスキルを師のように叩き込んできた。しかしそれは、見ようによれば親のような素振りでもある。先程のメアリーのからかいは、あながち間違いではないのかもしれない。
少女をまるで、己の娘同然のように扱っていた。
(違う。必要な事を教えてやっているだけだ。俺の手足にするにはまだ教える事は山程ある)
そのための時間なら喜んで投資するが、彼女と絆を育む必要などない。情を持てば手放すのが惜しくなる。——それはスキルの成長次第でもあるが。
「おやすみなさい、隊長」
背に掛けられた声は少し寂しそうに聞こえた。程なくして静かな部屋に小さな寝息が聞こえ始め、ウェスカーは寝返りを打ち少女の姿を視界に収める。
3年半前。ラクーンシティ壊滅事件は彼女の故郷や親しかった者達を根こそぎ奪っていった。この半年間過ごしてきて、それを夢に見るのか深夜に魘されているのを何度も見ている。
あれは紛れもなくアンブレラの過失によるものだ。だが、全ての責任を政府になすりつけ、奴らは裁判の長期化を狙っている。3年半経った今でも。
無様で往生際の悪い事だ。早いうちに離反しておいて正解だった。
彼女はアンブレラが憎いのだろうか。それとももう思い出したくもないのだろうか。忘れたいのだろうか。
(考えたところで無駄だな……)
今まで敢えて話題には出さなかったが、こういう事は本人に聞くのが1番良い。答えがどうあっても、やる事は同じだが。
アンブレラはここで一度潰しておいた方が良い。沈みかけている船に奇襲を掛けて沈没を早めさせる事の何がいけないか。クリスとジルに大っぴらに動いてもらえば、己達は行動しやすくなる。
それを実行するのを何処にするか。これはメアリーにやらせれば良いか。今のところ概ね期待通りに成長している。実践にはちょうど良いだろう。
(明日からやらせてみるか)
なるべく早い方がいい。どれくらい成長したかを見れるのは楽しみだ。
今日は穏やかな夢を見ているらしい彼女の頬をひと撫でし、ウェスカーはまた寝返りを打って背を向けると己も明日のために就寝する事にした。
翌朝、メアリーはいつものようにウェスカーの出勤を見送り、パソコンと向き合った。言い渡されたのは"アンブレラの中枢サーバーに侵入し、U.M.F.-013の在処を調べる"という任務だった。
———
今朝方交わした会話は重たかった。
「メアリー。お前はラクーンを滅ぼしたアンブレラをどう思っている?」
ウェスカーは今朝は珍しく早く起きたかと思えば、調理中のメアリーにそう問い掛けてきたのだ。
メアリーにとってあの事件は悪夢に等しい。現実とは受け入れがたい、今でも夢なら醒めてほしいとすら思っている。しかし、あれは現実で起きた事だ。己と関わった人物達は一部を除いてラクーンで死んでしまった。
「もしかして私、"また"魘されてた?」
カルロスと暮らしていた頃は自室があったので彼にそれを知られる事はなかった。だが今はウェスカーと1つのベッドで眠っている。魘されていればすぐに彼は気付くだろう。実際、何度かそんな事があった。
「ああ……まあな」
「そう……」
が、今日のは嘘だと分かった。昨晩の己は快眠そのものだったからだ。しかしそうするのは彼なりの理由があるのだと思い、話を続ける事にした。
「……どう思ってるかなんて、正直分からないわ。ただ悲しくて、訳が分からなくて……アンブレラが憎いというよりは、…ああ、複雑ね。とても」
メアリーは出来上がったベーコンエッグをサラダを盛った皿に乗せ、ちょうど良く焼き上がった食パンがトースターから出てくるのを横目に見る。
「私ね、あなたが生きてたの……正直、安心しちゃって。そんな私が"アンブレラが憎い!"って言うのも変じゃない?だってジルの話なら、あなたはアンブレラの研究員だったんでしょ?」
彼の質問の意図からして、そんな個人的な事情はどうでも良いのだと思う。だが彼女は話を続け、彼はそれを黙って聞いていた。
「私のパパもアンブレラの研究員だった。どんな研究をしていたかは知らないけど。だから……余計に分からなくて。どうしようもない気持ちになるの」
苦笑いを零す彼女には影が差し込むようだった。その様子にウェスカーの眉がぴくりと動く。
「そうか。すまないな、朝から」
「ううん、別に。こっちこそ朝から暗くてごめんね」
挨拶をしてからベーコンエッグトーストを作って食べるが、いつもより黄身が固く感じて今後この事を訊くのはやめようと思った。
「それで、この話を今するって事は何か——」
———
今頃メアリーはU.M.F.-013の所在を調べてくれているだろう。U.M.F.-013はラクーンの地下研究所にあったコンピュータの事で、それにはアンブレラの研究データの全てが収められている。ウェスカーの憶測ではセルゲイ・ウラジミールという幹部が持ち出していると見ている。今どこにそれがあるかまでは掴めていないが、他のものと一緒にこれも塵にしたとも思えない。
ウェスカーは車を走らせながら今朝の話を思い返していた。
メアリーの父親がアンブレラの研究員だったからと言って、誰も彼女の事までは責めなかったはずだ。少なくとも、カルロスとジルは。それでも彼女の胸にはずっと蟠りとして残っていたのだろう。そこにかつての想い人の生存が示され、更にその人物と今生活を共にしているなら尚更。
「俺が生きていて安心したと言っていたか?」
今朝、ふと思い出して出勤直前に玄関先に立つメアリーを振り返った。そうすると彼女はきょとんとした後に照れたような笑顔を見せた。
「だって、隊長は私の初恋の人だから。再会した直後は怖かったけど……隊長、怖いってだけじゃなかったから」
(怖いだけじゃない……とは)
信号待ちを利用して考えてみるが、思い当たる節がありすぎる。無意識とはいえ己の娘のように扱っていたのだから当たり前だ。しかしメアリーだって、己と父親のように接していた。昨晩も父親のようだとからかってきた。
「困ったな……」
何の引力が働いているのか。互いの腹の内を探り、互いに探りやすいように信用を得ようと接しているうちにその気になっていたという事なのか。
しかし、今の関係は不思議と心地よいもので。食事も、指導も、寝る時間さえも安らぎや楽しさを覚えてしまう。
これではまるで彼女を愛しているかのようだ。くだらない。己の中で最も必要のない感情だ。なのに、何故だろうか。それを拒めない己がいた。
(くだらん。今はやるべき事に集中しろ)
アンブレラを終焉に導く事。それが今の最重要項目だ。実現出来ればついでにあの少女の蟠りも消える。
——と、また彼女の事を考えている己に嫌気がさした。