彼と彼女の話   作:斎草

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2003年 - アンブレラ終焉
01.飛躍


 

雪の降る夜。アンブレラのロシア支部コーカサス研究所。

17歳のメアリー・ワトソンはアルバート・ウェスカーと共にその場所に向けて歩を進めていた。

「寒くはないか」

ウェスカーは少し後ろを歩くメアリーを振り返る。ロシアの冬は寒い。防寒対策をしっかりさせたとはいえ心配になる。

「大丈夫。こう見えて強いの」

微笑みを見せる少女の姿に彼は安堵した。さすがは己が訓練を施した逸材だ。こうでなくては困る。

今頃ジルとクリスもこのコーカサス研究所に向けて出動しているだろう。派手に出向いてもらえばこちらは動きやすくなる。そのために彼らに情報を流したのだ。

このコーカサス研究所では"テイロス計画"と呼ばれる新たなB.O.W.の開発が行われている。テイロスはタイラントをベースにコンピュータと直結したチップを埋め込み、より性能を改善させたB.O.W.とされている。循環器系や装甲も強化されており、今までに投入、運用されていたタイラントシリーズの最高傑作とも言えるだろう。そんなB.O.W.が開発されているとなれば、必ず彼らは食いつく。

これらの情報を探り当てたメアリーには感謝しなければならないだろう。勿論、褒美も与える。彼女はこうしてやるのが1番喜ぶし成長するのだ。だが、今回のそれはアンブレラの機密情報を入手し帰還してからだ。

今まで2年間手塩にかけて戦闘訓練を施し、教養を積ませた。メアリーは元々の能力が高い。これからも伸びる。今日は試験のようなものだ。

(ここにはセルゲイも潜伏している。始末せねば)

セルゲイ・ウラジミール。アンブレラ幹部にして大佐の肩書を持つ。彼はラクーンシティが壊滅する前にU.M.F.-013とテイロスを持ち出し、ここに身を移していた。幾重ものセキュリティを掛け、ここがバレないように画策していたが長い時間を掛けてメアリーはそのセキュリティを破り、情報を得たのだ。その手腕はウェスカーの想像を遥かに超えていた。

「隊長、何処から侵入する?」

工場を模した研究所の前まで辿り着き、メアリーが辺りを見回すのを横目にウェスカーは裏手へ回るように再び歩み始める。恐らくこの行動もセルゲイは監視している。ならばそれを利用して炙り出せばいい。

「着いてこい」

手招きするとメアリーは彼の元に小走りでやって来る。

しかしそれを見て、ウェスカーは何を思ったか辿り着いた彼女の体を片腕で引き寄せて抱き締めた。そのぬくもりを享受するように背中に回した手でそこを撫で、彼女の頭に頬を寄せる。

「隊長…?」

彼の腕の中で、メアリーは戸惑ったような声を上げた。それに構わずウェスカーが目を伏せるのを見て、彼女も少し考えた後に彼の背中に両腕を回す。

「大丈夫よ」

ウェスカーは無意識にメアリーを失う可能性を考えて恐怖を感じたのだろう。少なくとも彼女はそう解釈した。

彼は死ななくても、身体的に脆い彼女は致命傷を受ければ当然死んでしまう。今から赴くのは戦場だ。何かの拍子にそうなる可能性はいつ如何なる場面でもあり得る。

「……そうか」

守ってやるのも限度がある。そのために施した戦闘訓練だ。なのに何故不安に駆られるのか。

体を離し、名残惜しげにその小さな両肩に手を置いて彼女を見つめる。まだ己から見れば幼い少女なのだ。教えに自信がないわけではないが、もし万が一の事があれば己は——あの時、己を抱いて泣いた彼女のように、己も泣くのだろうか。

「さ、行きましょう。早くしないと乗り遅れるよ」

彼の様子とは反対に、メアリーは拳を握って気合を入れている。

感傷に浸っている場合ではない。ウェスカーも思い直すと侵入出来そうなルートを探るために再び歩き始めた。

 

裏手にあった施設直通のケーブルカー乗り場に辿り着くと、そこは既に汚染区域だった。事前にH.C.F.の工作員にT-ウィルスを撒くように命じている。しっかりと役目を果たして退散したようだ。

T-ウィルスに侵されたこの場所はいるだけでも危険を伴うが、2人にはウィルス抗体がある。感染の心配はない。

「やはりその銃を使うのか」

ウェスカーはメアリーの構えるハンドガンを見る。彼女は彼が支給した武器も使うが、今構える年季の入ったハンドガンだけは頑なに譲らなかった。

「これは私の大切な人の形見なの」

"大切な人"。彼女が発した単語に思わず彼の眉がピクリと動く。

「前にも話したでしょ?ミハイルの銃なの。私を守ってくれた」

「分かっている。もういい。それが手に馴染むなら使っていろ」

ミハイル・ヴィクトール。U.B.C.S.のD小隊隊長だった男の名だ。その死は勇敢なもので、ネメシスを相手に自爆特攻を試み、見事一時的な行動不能状態にさせた兵士であり、まだ12歳だったメアリーをあらゆる恐怖から守ってくれた、そのように聞いている。たった数十時間を共にしただけなのに、彼女の記憶に英雄として名を残しているその男に嫉妬を覚えたのは事実である。

そしてそれはジル・バレンタイン——ウェスカーの宿敵でもある彼女にも言える。

「もう、こんな時に拗ねないでよ」

メアリーの言う事は尤もである。いつからだろう、このような感情を無意識に抱くようになったのは。

 

そうしていると微かに呻き声が聞こえ、2人してハンドガンを構えた。注意深く周囲を見回しながらゆっくりと前進すると、案の定T-ウィルス感染者——もとい、ゾンビが顔を覗かせ、それを皮切りにワラワラとゾンビ達が蠢き始める。

「メアリー、カバーを頼む」

「了解」

その数は決して多くはないが、他にも何かが蠢く音が聞こえる。そう、T-ウィルスに侵されるのは人間だけではない。

ウェスカーは天井から降ってくる酸のようなものを視界に入れるとそこを見上げる。

「メアリー、上だ」

ゾンビの掃討を試み射撃を続ける傍ら、後ろを守る彼女に指示を出せば、彼のものではない銃声の直後に巨大な蜘蛛が目の前に降ってきた。

「うえっ…!?」

「怯むな、撃て!」

虫が得意ではない彼女からしたら気持ち悪い以外の何物でもないだろう。しかし、それくらいで銃撃を止めるのであればこの先は厳しい。無論、そのように教育した覚えはないが。ゾンビと蜘蛛のような虫や動物類では急所に高低差があり1人では対処しきれない可能性がある。それを見越して彼女を連れてきたのだ。

背後からの銃声の後にぐにゃぐにゃとひっくり返りながら8本の脚をバタつかせる蜘蛛。しっかり討ち取る事が出来たようだが、彼女の唸り声が聞こえて心の内で溜息を吐いた。歳相応なのも考えものである。

「前方からリッカー、感染者。まだまだ来るぞ、気を抜くな」

「り、了解!」

まだ何も進んでいない。ここで己の計画を頓挫させるわけにはいかないのだ。そのためには多少気持ち悪いクリーチャーが相手でも彼女には頑張ってもらうしかない。ウェスカーは目の前の敵の掃討を、メアリーはそのバックアップを行いながら前進を続ける。

「ッ!!」

刹那、何かがメアリーの左腕を掠めた。ヒュッとした鋭く空を裂く音はたちまちに彼女のコートの袖部分に赤黒い染みを広げさせる。

「こっ…のぉ!!」

すかさずウェスカーは振り返り、スタングレネードのピンを抜いて切り裂き魔の正体——ハンターに投げつける。メアリーを引き寄せ己の体で目と耳を塞げば弾けた光と音が周囲を包み込み、その隙に少女の体を抱え上げ一目散にその場を走り抜けた。

「こいつを使えば施設へ行ける」

ケーブルカーが1台止まっているのを見、その中に滑り込めばすぐにそれを発車させる。ロビーに溜まる感染者とクリーチャーは追うように手を伸ばしていたが、やがてトンネル内に差し掛かれば見える事も追われる事もなかった。

 

「ごめんなさい、隊長……」

車内の安全確認を終えてすぐにメアリーの傷の処置に取り掛かった。幸い傷は深くないが、柔らかな肌に刻まれたそれは痛々しい。

「謝るな。動かせそうか?」

包帯を結び終え、そこを軽く撫でるとピクリと震える。

「……我慢する、頑張る」

彼女は気丈に頷いて衣服を整え始めた。

己が付いていながら彼女に怪我をさせてしまった。胸の奥に燻るようにモヤが掛かるのはそんな申し訳なさからだろうか。コートを着込んでからハンドガンにマガジンを再装填するメアリーを、ウェスカーはジッと見つめる。

彼女を足手纏いだとは思わなかった。討ち漏らした敵を処理する彼女のサポートは的確で、ハンターの件がなければ強行突破せずともケーブルカーまで行けたはずだ。——いや、そもそもスタングレネードを消費しなくても良かったはずだ。何故己はそのまま彼女を戦わせなかったのか?

「! 隊長、前!」

その声にハッと意識を戻す。前方を見るとトンネルが終わるところだったが、様子がおかしい。慌てて非常ブレーキを掛ければ、ケーブルカーはけたたましいブレーキ音を響かせながら停車を試みる。

「!!」

グワッと車体が揺れた。そのままグラグラと不安定に揺れ続け、ウェスカーがメアリーを連れてケーブルカーを降りると車体の半分ほどがレールの敷かれた床を離れ宙に浮いていた。

「何ここ……最初から落とすためのものだったの?」

メアリーが下を覗くと吹き抜けのようになった空間にいくつものフロアがあるのが見え、ここはその中でも1番上のかなり高い位置だった。

「いや、違うな。床がリフトのように上がってくる仕組みだ。今は機能しないようだが」

ウェスカーも同じように下を覗く。底は奈落のように暗く、目を凝らさなければ見えないが1番下の床にケーブルカー用のレールがあるのが微かに見える。こういった設備はアンブレラでも各施設に採用されているが、メアリーは恐らく初めてだろう。動く場面を見せれば目を輝かせるのであろうが、生憎と電源が落ちているようだった。

「仕方がない。ここは自由落下で行く」

「えっ?」

彼女の好奇心を満たす他にも安全に降下するためには必要な設備だったのだが、動かないのなら自力で降りる他ない。

ウェスカーはメアリーを抱え上げると改めて下を確認する。この高さから落ちても己は死なないし怪我もほぼ心配ない。メアリーの事もこのように抱えていれば問題ない。

「まっ、待って隊長!私フリーフォールは無理!無理だってば!」

しかし彼女は事情が違うようでギュウッと首元にしがみついてきた。途端に首が締まり思わず「うぐっ」と声が漏れ出る。

「やめろ苦しい!現状それが1番速く降りられる手段だ!」

「無理ー!!無理なの!!」

「このっ…!」

単純に邪魔だ。あまり暴れられるとこちらも安全を保障できない。先程まであんなに頼りになる存在だったのに、まったくこいつは己の想像の域を軽々と越えていく女だ。

ウェスカーは必死に抵抗するメアリーを今度は暴れないように横抱きに抱え直すと、彼女の後頭部を手で押さえて己の首元に顔を埋めさせる。ほんの一瞬、大人しくなった隙をついて軽く跳躍し、奈落の底へ向けて急降下を始めた。

「——ッ!!」

メアリーの声にならない絶叫としがみつく手に力が籠るのをすぐそばに感じる。それ以外は何の障害もなく無事に奈落の底に着地し、彼女を降ろして先に進もうとしたが不意に背後から抱きつかれてウェスカーも立ち止まる。

「怖かったんだけど……!」

背後からなので表情は分からないが、メアリーは恐らく声音からして拗ねたような顔をしているのだろう。その様子に彼は呆れたような溜息を吐いてから上半身を捻りその頭を撫でてやった。

こんな事で怖がるようでは困る。だが人によって得手不得手があるのは当然の事で、彼女にとってはたまたまこれが苦手だっただけだ。

(フリーフォールの訓練も積ませるか…?毎回これでは面倒だ)

しかしそれも事実である。彼女を更に優秀な人材にするには時には心を鬼にする事も必要だ。勿論、今までも甘やかしていたわけではないが。

 

そこにコツリと第三者の足音が響き、2人は互いに身を離すとそちらに顔を向け素早くハンドガンを構える。

「ようこそ、アルバート・ウェスカー同志。早々に見せつけてくれるではないか」

そこに現れたのは銀髪をオールバックにし、右眼に傷を負った黒いコートの男だった。彼は2人と同じようにハンドガンを構えながら奥のフロアからこちらに歩み、後方にいるメアリーを覗き見て口元に笑みを浮かべる。

「そこにいるのはメアリー・ワトソン、君だな?」

男の口から彼女の名が躍り出て、2人はピクリと反応を示す。

「何故?という反応だな。ニコライ・ジノビエフという名の男に心当たりはあるかね?」

再び男の口は予想外の人物の名を紡いだ。その名にメアリーはビクッと肩を震わせる。

「ど、どうして……」

ニコライ・ジノビエフ。5年前、ラクーン事件の最中にメアリーを誘拐しアンブレラに売り渡そうとした男の名だ。ニコライは彼女の恐怖心を極限まで煽り、追い詰めてからその手中に収めた、彼女の記憶の中で思い出すのも憚られる悪魔のような男であった。

「私とニコライは旧知の仲だったのだよ。君の事は事前に聞いていてね……どうやら良い逸材に恵まれたようだな、同志よ」

その男と同じ銀色の髪を持つ彼は今度はウェスカーに顔を向ける。ウェスカーの表情はサングラスに阻まれて読み取れないが、僅かに眉間にシワが見えメアリーを背に隠すように立ち回った。

「彼女の事は今はどうでもいい。まだ沈みかけの船にしがみついているとは……セルゲイ、貴様も落ちたか」

ウェスカーの物言いにセルゲイと呼ばれた男はフッと鼻を鳴らして笑う。

「アンブレラは沈まんよ。苦難も、罪も、痛みと共に新たに生まれ変わる。貴様にはその至福は理解出来ぬだろう」

セルゲイのアンブレラへの忠誠心は群を抜く。だからこそ最強のB.O.W.であるテイロスを任されている。そして彼の強みはそれだけではない。

「ふふ、私にはニコライ以外にも旧友達がいる。紹介しておかねばならないな」

セルゲイが合図を送ると同時に、彼が出てきたフロアから白いコートにゴーグルを付けた巨人が姿を現す。

「旧友"達"……」

ウェスカーが引っ掛かりを覚えた単語を呟くと同時に背後からも足音が聞こえ、彼の一歩後ろにいたメアリーがそちらに銃口を向ける。そこにはやはり今しがた登場した巨人と同じ風貌の巨人がこちらににじり寄ってくる姿が見え、彼ら2人はウェスカーとメアリーを取り囲むように周囲を回る。

「イワン。この場は頼んだよ」

イワンと呼ばれた巨人達は仏頂面を保ちながらも、この場を去るセルゲイをチラリと視界に入れるように顔を一瞬だけそちらに向けた。

「ロシアはいいところだ。眠りに就くのにもな」

セルゲイはそう言い残して元来たフロアの奥へと再び姿を消した。

「ねえ、あの人って……」

メアリーが背後にいるウェスカーに尋ねようとした。が、その直後イワンが一撃を喰らわそうと拳を振り上げながらこちらに突進を仕掛けてくる。

「わぁっ!」

それを寸でのところで少女を小脇に抱えたウェスカーが躱し、距離を取り直す。

「その話はアレらを片付けてからだ。1人はお前に任せる」

ちょうどこちらも2人。メアリーの技量には心配も残るが、戦えない相手ではないはずだ。ウェスカーは後ろ手にスタングレネードを3個ほど彼女に手渡し、イワンの1人を引きつけるように移動を始める。

「えっ、そんな…!」

渡されたスタングレネードを手におろおろとメアリーは彼を見たが、重厚な足音が聞こえそちらに視線を恐る恐る向けると案の定もう1人のイワンがこちらを見下ろし——、

「うわっ!!」

指を組んだ両手を振りかぶった、その一瞬の隙をついてメアリーは身を屈めながら左に転がって避けた。ハンマーのような一撃のそれは床に穴が空くほどの威力であり、5年前に遭遇したネメシスのような怪力を思い出してサッと血の気が引く心地になる。

「ヤバいけど……や、やるしかない…!」

しかしウェスカーにいつまでも頼るわけにもいかない。メアリーは覚悟を決めてハンドガンを構えた。

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