衝撃を吸収する白いコートはいくら銃弾を撃ち込んでも当然ながらびくともしない。メアリーは考えた末に巨人——イワンの頭部への射撃を試みるが、図体の割に動きが素早くなかなか弾が当たらない。
「うっ!」
加えて攻撃もパワフルなもので、たった一撃喰らっただけでも致命傷になりかねない威力であった。今振りかざされた拳もブンッと重々しく空を裂く音が耳を掠めて戦慄する。
(スタングレネードを使うにしても、あのゴーグルのせいで目眩しにはならなそう……)
先程ウェスカーから受け取ったスタングレネードは腰のホルダーに装備しているが、使うタイミングを誤れば無駄に消費するだけだ。イワンの目元を覆うゴーグルは個体を識別するかのような青色をしており、彼の瞳を視認する事は出来ない。あれではスタングレネードの光はその双眸を眩ます事は出来ないだろう。
(考えろ、考えろ…!戦いながらでも考えろ!)
イワンは武器を持っておらず、接近されなければ攻撃はされない。まずは距離を置く事だ。隙を見せないよう後退しながら距離を置こうと試みるが、背後から伸びる影が見えて思わず息を呑む。
「メアリー!!」
ウェスカーの声が聞こえると同時に素早く右に避けると、再びあの重々しい拳を振りかざす音が聞こえゾクッと背筋が凍えた。
「……!!」
その音の正体は赤いゴーグルを装着した、ウェスカーが相手をしていた方のイワンの拳だった。彼らは咄嗟の回避にバランスを崩して床に腰を落としたメアリーを静かに見下ろし、彼女に迫ろうと一歩を踏み出す。しかしそれを阻止するかのように銃声が2つ響き、彼らはそちらを向いた。
「…………」
ウェスカーは無言で彼らを引きつけるかのように駆け出す。跳躍して壁を蹴り、それを繰り返して高い位置に体を浮かせれば、逃走に見せかけた誘導にまんまと乗ったイワン達もまた同じように壁を蹴って一目散にウェスカーに突っ込むように空へと身を投じる。
「撃ち落とせ!」
声と共に再び銃声が響く。それは2つの頭を直撃し、見守っていたメアリーもその言葉にハンドガンを構えた。落下していくイワン達は先程よりかは狙いがつけやすい。
(これで…!)
今度は己の持つハンドガンが火を吹いた。発射された銃弾はイワンの頭に的中し、その巨体が2つ、床に打ち付けられた。
「やったの…!?」
倒れ伏したイワンに思わずそう言葉が漏れた。
イワンより一拍遅れて床に着地するウェスカーは訝しげにその巨体を一瞥したが、やはりズルリと立ち上がるそれらに溜息を吐く。
このイワンと呼ばれる者達もまた、"タイラント"をベースにして作られた生物兵器だ。これくらいで倒れるようでは商品にもボディーガードにもならない。それはメアリーも理解しているようで再びハンドガンの銃口を彼らに向けていた。
タイラントはアンブレラ製の生物兵器の中でも最高傑作と云われる程の高い性能を持っている。ラクーン事件の最中、ジルやメアリーを追い回したであろう"ネメシス"のベースでもあり、彼女も既視感を覚えただろう。
そしてそのタイラントにもまた、ベースとなった人物が存在する。
(ここで時間を潰すわけにはいかない。こいつらはまとめて相手にする方が効率がいいかもしれん)
その人物を追うためにも彼らをどうにかしなければ。ここで片付けないと後々厄介な事になりそうだ。
ウェスカーはメアリーの元に駆け寄るとそこに並ぶ。
「作戦変更だ。なるべく俺から離れるな」
己が相手をしていた赤いイワンは後ろが無防備だったメアリーを排除しようと動いた。更に言えばその直後、赤と青は同時に彼女に近付いた。つまり、少なくとも弱者を見分け能動的に始末するだけの知能が搭載されている。先程のように気を逸らせばこちらに攻撃を向けさせる事も出来るが、毎回そうするのは骨が折れる。
恐らくイワン達はメアリーの方が弱いと学習した。彼女を1人で戦わせるのは危険だ。しかし彼女は一歩前に出てイワン達を見据える。
「ううん。私が囮になれば、隊長は攻撃しやすくなるはずだよ。あいつらネメシスより頭良さそうだし、私の事をもっと攻撃するはずでしょ?」
「しかし…!」
ウェスカーは彼女の提案に躊躇した。確かにターゲットにされている彼女を使って誘導すれば、その隙に己が攻撃を仕掛けてダウンを狙える。隠れられる遮蔽物はないが、吹き抜けになっているこのフロアには本来リフトを使って行く事が出来る空間がある。リフトが動かない今、普通はそこまで移動は出来ないが己の脚力なら可能であり、そこから狙撃すれば彼らの目を欺く事も出来る。2人付きっきりで移動して戦うよりは有効だ。そう理解しているにも関わらず、ウェスカーはそれを躊躇していた。
もしメアリーに何かあったら。ここで大怪我を負えば退却か捨て置くかの2択しかなく、後者を彼は最初から除外していた。だからと言って退却も有り得ない。
「隊長、私を信じて!」
突如響いたその声がウェスカーを連れ戻した。正面からはイワン達が迫ってくる。隣を見るとメアリーが決意を込めた目でウェスカーを見つめていた。
「……やるなら上手くやれ」
決断までの猶予がなかった、などと己はまた言い訳をするのだろうか。跳躍し、壁を蹴ると壁に空いた空間に着地する。下に見えるメアリーは2人のイワンの攻撃を回避し、距離を保つように駆け出していた。
(あのゴーグルさえ外せれば、スタングレネードが通る!)
メアリーが引き受けたのは囮だけではない。手っ取り早くダウンを取るには先程預かったスタングレネードが1番有効だ。しかしイワン達の身体能力は高くなかなかゴーグルを外す隙が見つからず、加えてゴーグルは銃弾を通さないようで当てても破壊する事は出来なかった。
(必ずチャンスはある!)
それでもメアリーは諦めなかった。
ちょうど向かいにいるイワン達は二手に分かれるとメアリーを取り囲み、威圧するように周囲をぐるりと回る。ハンドガンを握る手にじっとりと汗が滲むのをグローブ越しに感じる。じりじりと片方に背を向けないよう立ち回り、攻撃を仕掛けてくるタイミングを見極める。
それは程なくして訪れた。イワン達は彼女までほんの数メートルというところまで旋回しながら距離を縮めると一気にその差を埋めようと床を蹴る。振りかぶるのはあの致命打になりかねない拳、それはメアリーの左右でまさに繰り出されようとしていた。
「!!」
しかし、そこで彼女の姿が消えた。いや、消えたのではなく身を屈めて拳を回避し、更にその状態から転がってイワンの板挟みから逃れたのだ。
直後、ガツン!と背後から硬い物同士がぶつかる音がして振り返ってみると、イワン達が互いの頭を打ち付けて膝をついていた。
「はッ!!」
その低くなった頭を掠めるように蹴りを繰り出すと青いイワンのゴーグルが巨体の頭から離れる。
「んッ!!」
そのまま蹴り上げた脚を踵を落とすようにもう片方の頭にも振り下ろすと赤いイワンのゴーグルも外れ、次いで顔面から床に突っ込まれる。
「ほう……」
その様子を静観していたウェスカーは思わず感嘆の息を吐く。ぐしゃぐしゃと落ちたイワンのゴーグルを容赦なく踏み砕くメアリーの姿は怯えきった少女の姿ではなくなっていた。
わざわざ己が手を下すまでもないだろう。ウェスカーはそう判断すると手近にあった鉄パイプを引き抜いて彼女の足元目掛けて放ってやる。それはすぐに金属音を響かせて床に落ち、彼女はそれをお誂え向きの武器だとでも言わんばかりに拾い上げた。
「隊長!ちゃんとやってね!」
「…………」
メアリーがこちらを向いて鉄パイプを振り上げている。このままリミッターを解除したかのような彼女に任せてしまおうと思ったが、ちゃんと読まれていたらしい。
その背後からむくりと起き上がったイワン達が再び彼女に拳を振りかざしたが、それを前に駆け出す事で避ける。彼女を捉えるゴーグルが外れた厳つい双眸は一目散にその姿を追い始める。
「わっ!!」
次の瞬間、少女の体が宙に浮いて高く昇った。突然の事に目を瞬かせると、囁くような声が聞こえてハッと息を呑む。
「スタングレネードだ」
その指示に従うようにスタングレネードのピンを抜き、まだ床の上にいるイワン達に投げつけるとたちまちに溢れんばかり光が下に見え、それに近付くように体は落下を始める。
「うわわわ…ッ!!」
ここに来た時のような浮遊感がメアリーを支配したが、ぐっと力を込めて押さえられた体はぬくもりを感じて幾分安心感があった。
「お手柄だな、メアリー」
そうして床の上に戻ってくるとすぐに体を下ろされる。メアリーを上空に攫った張本人であるウェスカーは閃光で目を潰され身悶えるイワン達を見てフッと鼻で笑った。
「所詮はお人形だ。俺が育てた者に勝てるわけがない」
確かにタイラントには知能も備わっている。だがそれも不完全で人間のように柔軟に対応する事は出来ない。
メアリーは確かに不慣れな事に対して最初は弱いが、彼女の強みは順応力の高さだ。あのラクーンシティ壊滅事件を生き残った彼女は、もっと壮絶なシーンを数日間身をもって体験している。彼女にとってあれ以上の悲惨な光景はないだろう。
そう。あの事件を凌駕するような体験でもない限りは彼女は臆する事はない。
「殺るぞ」
ウェスカーはマグナムをホルスターから抜きイワンに近付く。それを見たメアリーも鉄パイプを構えながらもう一方のイワンと距離を詰める。
銃声と殴り潰す音が吹き抜けのフロア内に響く。動かなくなった人形を見下ろす双眸は、彼の思う通りに成長した証でもあった。
———
戦闘訓練をこなしていくうち、己にも戦闘技術はあった方がいいと思った。その方がもっと彼の近くにいられるし、将来的にジル達を助ける事も出来るからだ。メアリーはそう考えていた。
彼から逃れる道はない。あるとすれば、己が役立たず、あるいは用無しだと判断された時である。しかしそれでは目的を果たせない。
(いや、目的が口実になっていたりして……)
ふとそんな思考が過った。己はウェスカーの目的と動向を暴くために彼の隣にいる。しかし、時々それを忘れている時がある。
たとえ仮初であろうとも、彼の与えてくれる愛情が嬉しかったからだ。己が受けていた愛情は、ほぼ全て失ってから気付いたものだった。その虚しさを埋めるような愛情が、嬉しかったからだ。
(カルロスと暮らし始めた時もそうだった。ガサツだったけど嬉しかったな。でも……)
カルロスは次第にメアリーの学費や大学への資金集めに奔走するようになった。勿論、それも愛情のうちのひとつである事は理解している。だが結果的に彼は日夜仕事に明け暮れ、メアリーと接する機会は同居していながら減っていった。まるで、父親と同じように。
ウェスカーは違う。時間をわざわざ作り、メアリーを育てるために教養を自らの手で積ませている。忙しさにもよるが、夜は一緒にいる事が多い。
歪んでいたとしても、それは彼女にとって嬉しい事だったのだ。
そんな己を、どこかで蔑んでもいたが。
———
(隊長、私を心配して一緒についてくれようとしたのかな)
イワン達に標的にされた際、己が弱いから先に始末しようと彼らは判断したのだと思った。メアリーからすればそれは格好のチャンスであり、ウェスカーからしてもこれほど都合のいい事はなかったと思う。だが実際に彼が取った行動は、メアリーを庇いながら戦うというものだった。
やるなら上手くやれと託された時に張り切った己がいた。それは彼に認められた証拠でもあったからだ。
前を悠々と歩くウェスカーの背は己が守ろう。しかし敵は既に倒れているものばかりで、それが誰の仕業なのかは予想がついていた。
「クリス達はしっかりと陽動してくれているようだな」
おかげで手間が省ける、とウェスカーは笑っていた。いつの時も、クリス達は彼の期待を裏切らない。それはきっと洋館事件の時も同じだったのだろう。だが、クリス達は時に障害でもあった。
「この場においては感謝しなければならない。そうだろう?メアリー」
彼は後ろを歩くメアリーを振り返る。彼女は神妙だった顔を上げて頷いた。
「ジルが心配か?」
そんな様子を察してか、ウェスカーは小首を傾げてみせる。彼女にとってジルは幾度となく危機から守ってくれたヒーローだ。恐らく大人しく戦闘訓練を受けていたのもゆくゆくはジルの力になりたかったからだろう。確かに、彼女の戦闘技術はあの2人にこそ劣るものの補佐としては十分だと評価している。
「クリーチャーの死体はおびただしい数だった。見て、ここにもこんなに大量のハンターが」
メアリーが指差すのは山のように積もったハンターの死体だった。これを2人だけでやるのだから素晴らしい。
「ああ。お前の"英雄"はご立派だな」
それは皮肉なのか称賛なのか。それとも嫉妬か。
ウェスカーは一旦メアリーにここに留まるようにと言い置いて歩を進める。行き止まりのこの空間をぐるりと見回していると、突然床がガコン!と音と振動を響かせる。次いで天井が徐々に遠くなっていくを見て、この床がリフトなのだと気付いた。
「どうやらこの研究所は相当地下まで潜るらしい。念入りな事だ」
リフトに降りてきたウェスカーはメアリーの隣でハンドガンのマガジンを再装填し、マグナムにも弾を込めていた。
「何重ものセキュリティが掛けられていたのも、この場所自体が切り札だったのかもね」
U.M.F.-013は勿論だが、この施設の情報自体も普通にしていては得られないものだった。アンブレラのサーバーの中でも最も深層部分にあり、更にそこには一筋縄では解けないセキュリティが掛けられ、何かが常に監視しているかのようでもあった。
「よくやれたな」
「結構神経使ったよ」
恐らく監視していたのは"レッドクイーン"と呼ばれるコンピュータであり、"彼女"は洋館事件のあの日、ウェスカーからあらゆる情報のアクセス権を剥奪した。その"レッドクイーン"も恐らくこの研究所にある。セルゲイと一緒に。
どの道セルゲイの存在は無視出来ない。彼とはまた対面する事になるだろう。
地下へと深く誘うリフトは、彼らを真実に導きつつあった。