(う……)
五和の意識は少しだけ断絶していた
滲むように戻った意識は、まず始めに鉄臭い匂いを感じ取った
次に痛み。頭がそれを理解した瞬間、全身から津波のように激痛が押し寄せた
意外にも普段最も頼っているはずの視覚や聴覚が一番遅くやってくる
あちこちの鉄骨が引き千切れ、アスファルトが砕け、砂塵が舞う鉄橋
つい先程まで2人で歩いていた夜景そのものが引き千切られている
そこまで時間をかけて五和はようやく状況を思い出した
慌てて起きあがろうとする
そんな彼女の掌にぬるりとしたものを感じた
生温かく、頭の眩むような鉄臭さ
鮮血
しかし、五和はそれほど出血していない
というよりこれほどの出血ならば意識を保つことは難しいだろう
それならば降魔向陽だろうか
いや、自分の記憶が正しければ彼は離れた位置で寝そべっていたはずだ
じゃあ誰の血だ
そこまで考えて五和の意識は必死にその可能性を否定しようとした
しかし、否定できる状況ではなかった
上条当麻だ
「気づいたか」
冷静に考えれば、武器を持った後方のアックアは今もすぐ目の前に立っているはずだった
かたかた、と五和の肩が小刻みに震える
ゆっくり、本当にゆっくりと彼女は自分の後ろを確認する
自分が気を失っている間に寄りかかっていたもの
ぐったりと力の抜けた上条当麻の手足。顔は赤く染まり、瞳は開いているとも閉じているとも取れず、まるで壊れたオートフォーカスのように半開きのまま停止している
こんなにボロボロな彼の体には今も体を引き裂くような激痛が走っているはずだ
にもかかわらず、少年の体はピクリとも動かない
生きているのか
死んでいるのか
そんな単純なことすらわからない
「あ……ぁ……」
五和の判断能力は粉々に吹き飛んだ
目の前に後方のアックアという脅威がいることすら完璧に吹き飛んだ
彼女は敵の目の前にもかかわらず、上条の血にまみれた手を動かし、周囲に散らばったアスファルトの破片をかき集め、おしぼりを取り出して、上条のズボンから財布を取り出した
天草式十字凄教の扱う魔術には奇怪な呪文や霊装などは使用しない
用いるのは、どこにでもあるような日用品
五和は装した日用品の中にあるオカルト的な残滓を組み直し、出血を止め、傷口を塞ぎ、失われた生命力を充填するための回復魔術を実行しようとしていた
だが、五和がそれを行なっていたのは後方のアックアの目の前だった
敵である後方のアックアがそんな真似を許すはずがなかった
「最後に忠告しておく。そこを退け」
アックアの忠告は五和の耳には届いていない様子だった
彼女は無言で回復魔術の準備を進める
そんな五和をアックアは酷く冷めた目で見る
そして、その手に持っている巨大なメイスを振り上げる
容赦は一切ない
ただただ己の標的を始末する
アックアが持っているメイスの動きが不意に止まった
この局面でアックアが動きを止める意味はない
ただそのメイスを振り下ろすだけで己の標的を始末できるのだから
であれば、アックアが動きを止めたのはなぜか
答えは簡単だ
アックアと上条たちの間に誰かが割り込んできたからだ
「ふむ…まだ動けるのか。貴様には先程忠告したはずだが?」
「関係あるか。守るって決めたら守るんだよ」
片腕を失い、許容を超える痛みで意識を失っていたはずの降魔向陽が上条たちを守るような形で立ちはだかる
降魔はアックアを睨みながら能力を発動させる
『聞こえるか』
『…はい』
『お前はそのまま上条を連れて撤退しろ。離れた場所でそいつに応急処置を施してここから一番近い病院にそいつを担ぎこめ』
『降魔さんは…』
『俺はこいつをここで食い止める。最低でもお前らが完全に撤退するまでの時間を稼ぐ』
降魔は慣れた手つきで煙草をパーカーのポケットから一本取り出す
そして、ポケットから取り出したZippoで火をつける
どんな強敵だろうが関係なかった
家族の名前が刻まれたZippoを握れば降魔は立ち上がれる
「もういいか」
「あぁ、充分だ」
降魔が煙草の煙を吸い込み、吐くと同時にアックアが問いかける
おそらくアックアは降魔と五和が何らかのやりとりをしていたことくらい気づいているだろう
だが、そんなものは関係ない
五和からの返事を待たずに降魔が飛び出す
「行け!!!」
降魔は大声を張り上げると同時に先程まで吸っていた煙草を放り投げる
その煙草が降魔とアックアの目線まで来た瞬間に、煙草が弾ける
一瞬で視界が真っ白に染まる
今降魔が投げたのは学園都市製の煙草に偽装したスモークグレネードのようなものだ
電磁波を利用し、レーダーのように周囲を把握する
降魔の指示通りに五和は上条を連れてこの場から離れようとしていた
だがそれを上回る速度で動いている物体があった
「行か、せるかよッ!!!」
降魔は自身の体細胞の電気信号や血中成分などを操作し、自身の肉体のリミッターを外した
その状態で足元にかかるベクトルを操作した
音速を軽く超える速度の中で降魔向陽と後方のアックアの目が合う
その五指を持ってアックアを引き裂こうとする
しかし、アックアはその攻撃を難なく避け、巨大なメイスを振るう
降魔目がけて放たれた攻撃は確実に降魔を捉えた
だが、降魔の目の前でメイスは動きを止める
当然アックアが攻撃を止めた訳ではない
念動力を使い強引にアックアのメイスを空間に繋ぎ止めた
一瞬動きが止まったアックアに降魔が肉薄する
アックアはメイスを止められたことで一瞬動きが止まったが、それでもなお降魔向陽を捕捉し続ける
並外れた動体視力と肉体がそれに応える
「……ッ!!?」
しかし確実に捕捉し続けていた降魔向陽が視界から消えた
まるで空間移動のように一瞬にして降魔の姿が消えたのだ
思い出されるのは彼と初めて会った時のことだった
空間を飛び越え一瞬にして自分の背後をとっていた
聞けば彼は学園都市同率第1位だという
これくらいやって当然だ
メイスは動かせないが、己の巨腕を裏拳のように振れば背後に現れる降魔向陽を仕留められる
脳からの伝達は瞬時に済み、筋肉がそれに呼応するように動く
空気を切り裂く鋭い裏拳が炸裂する
しかし、いつまで経っても衝撃はやってこない
そこでようやく背後に向けていた意識を前方に移した
そこでようやく気づいた
降魔向陽は空間など移動していない
視界から消えたのは能力ではなかった
膝、股関節、肩、と順に抜き、倒れるよりも滑らかにアックアの足元へ移動
姿勢は低く、力の流れを巡らせ、繰り出されるのは
躰道の卍蹴り
それにプラスし、
通常の何十倍にも強化された蹴りがアックアの顔面を捉える
人の体と体がぶつかったとは思えない音がした
インパクトが降魔の足に響いてもなお降魔は演算を続ける
全身の生体電気と血流を逆流させる
勢いを決して殺さずにそのまま足を振り抜く
アックアの巨体が吹き飛び、何度も地面に激突する
その様子を見ながら降魔はズボンのポケットから煙草を取り出して、火をつける
「チッ、慣れねぇことはするもんじゃねぇな」
先ほどのアックアからの攻撃や今の自分の攻撃で負った怪我を肉体再生で治療する
中途半端な痛みは心理掌握で遮断する
五和たちはこの場からどれほど離れただろうか
電極のバッテリーという最大の弱点がなくなったとはいえ、腕を引き千切られ、意識が断たれるほどの攻撃を受けている
流石の降魔向陽も限界を迎えそうになっていた
このラインを無視し、突き進めば待っているのは死だけだろう
だが、ここで降魔がいなくなればアックアは上条を確実に殺すだろう
それだけは絶対に阻止しなくてはならない
煙草を吸う降魔は気配とは違う圧を感じ取った
もちろんそれが誰なのかなど確認する必要もないだろう
「一応本気で殺すつもりだったんだがな」
「であれば貴様は自惚れているのである」
降魔の目線の先には傷らしい傷もないアックアが立っていた
降魔の今の一連の攻撃で与えたのはせいぜい服の汚れくらいだろう
「テメェをぶちのめす前に聞いておきてぇことがある」
「何であるか」
「セレナはどこだ」
それは降魔向陽という人間がここに立っている最大の理由だ
9月30日にこの男は降魔の姉を連れ去っている
彼女を取り戻すためならば降魔は何でもする
「貴様が奴にこだわる理由は何だ」
「あ?アイツは俺の家族だ。家族を心配に思うことに理由なんざあるかボケ」
「姉だから救う、か。実に傲慢な考えである」
「テメェに理解してもらおうなんざ考えてねぇよ」
叫ぶと同時に降魔は飛び出した
アックアはそれを冷めた目で見ながら指先を少し動かしただけだった
たったそれだけで降魔とアックアのいる橋の下から何かが飛び出した
その正体は水だった
まるで生き物のようにうねった水は巨大なハンマーのように形を整え、正確に降魔を捕捉する
「チッ、面倒くせぇな」
降魔は走りながらその水を操作するための演算をする
先ほどまで降魔を狙っていた水のハンマーが急停止する
ギチギチ、ギチギチギチギチと降魔の能力とアックアの魔術が均衡し自ら不気味な音がなる
「ほう、徐々に質力を上げているのであるか」
少し感心したようにアックアが声をあげるが降魔は気に留めなかった
五指を開き、再び空間を把握する
風力を操作し、爆発的な嵐を発生させる
アスファルトを剥がし、巻き込んだ突風はひとつだけではなかった
それはアックアを囲むように襲いかかる
それだけではない
その頭上では降魔向陽によって作られたプラズマの姿もあった
それだけではない
降魔の周りには緑色の閃光が漂い、アックアに狙いを定めていた
それだけではない
降魔はコインを親指で弾き、全身に電気を纏っていた
これが降魔向陽
これが幻想操作
多種多様なAIM拡散力場をコピーし、己の望むままに能力を使用できる
全ての能力が超能力者級に底上げされた圧倒的火力
どうしても降魔が能力を使うとそれなりの破壊が生まれてしまう
しかし、すでに五和が上条や天草式の連中をこの場所から離脱させているだろう
だから降魔向陽は持てる全てを使って戦える
「私がただの『神の右席』であれば貴様の目論見通りここでダウンしていただろう」
「チッ!!」
土煙の中から聞こえたのは先ほどと変わらないアックアの声だった
学園都市同率第1位として持てる全ての力を使ったのにも関わらず、致命傷はおろかアックアの歩みを止めることすら叶わなかった
これが魔術の世界だというのか
魔術というものを超能力とは違った法則の異能だということしか知らない降魔にとっては厳しい相手だ
理屈が理解できない
体の構造すら自身が思い描くものとは異なるのではないかと疑いたくなるほどだ
「しかし、私は『神の右席』であると同時に『聖人』としての力を有している」
「……、」
「簡潔に言おう」
そう言った瞬間、アックアの巨体が消えた
降魔の展開している電磁波のレーダーなど役にも立たない
自身の肉体のリミッターを外し、桁外れた動体視力でさえ影さえ見えない
「がっ!!?」
脇腹を蹴られた
そんな単純なことに気がつくのに数秒かかった
降魔の全身の覆っていたはずの『反射』が機能していない
いや、『反射』がなければ今頃降魔の胴体は真っ二つだっただろう
「超能力者だか何だか知らないが、貴様らが揃って私に挑んだところで結果は見えているのである」
自身の近くからアックアの声はするのだが、それを脳が正常に処理できない
呼吸困難に陥り、がはごほと激しく咳き込む
すぐに立ち上がらなければいけないのに降魔の体はピクピクと小刻みに痙攣するだけだった
「貴様の負けである。私の目的はあの右手だけだ。そのまま這いつくばっていれば命までは取らん」
「ぁ?舐、めたこと……言って、んじゃねぇぞ、クソ野郎」
息を吸って吐くたびにゴロゴロと音がする
肋骨が折れて肺に突き刺さっているのだろう
肺に血が侵入し、耐え難い激痛が脳を刺激する
それ以外にも体は悲鳴をあげていた
しかし、能力を使って強引に体を動かす
アックアを睨み、すかした顔にプッと血を吐き出す
そのまま中指を立て
「あいつを殺したけりゃまずは俺を殺してみやがれ!!!!」
文字通り血を吐きながら少年は叫ぶ
そんな降魔を見てアックアは表情を変える
「いいだろう。貴様の覚悟を認めるのである」
後方のアックアがゆっくりと歩き出す
そんな彼を迎え撃とうにも降魔は立っているだけでやっとの状態だ
攻撃用の能力を使うどころか、今は生命を維持するために能力を使うことで精一杯だ
それでも倒れないのは握りしめた手のうちにあるZippoのおかげか
「………?」
そこで降魔は気づいた
アックアの目線が自分でないどこかへ向けられていることに
この状況で敵と認めた降魔以外にどこへ視線を向けるというのだろうか
その人物は予想より自分の近くにいた
ぽんっと降魔の肩に誰かが手をかけた
「ありがとう、降魔。お前が時間を稼いでくれたおかげで五和に回復魔術を施してもらった」
その声を聞いた瞬間に、降魔の全身の力が抜けた
回復魔術だと?
それがどういうものなのかは理解できないが、それは異能の力ではないのか
であれば幻想殺しを持つ上条には何の意味もないはずだ
そしてこの状況で上条はやってきたのか
ボロボロになった降魔と立ち位置を交代するように前へ飛び出した
アックアは最初から狙いは上条1人と言っていた
だからこの場面でやってきた
一刻でも早く戦闘が終われば、周りへの被害は減る
そう、上条当麻を守るためにボロボロになった降魔向陽は死なずに済む
自身を守ろうとしてくれた友達の命を守るために上条当麻はアックアに立ち向かった
「いい度胸である」
後方のアックアはそれだけ言って巨大なメイスを振るった
少年の脇腹に容赦なく突き刺さり、橋の鉄骨とメイスの間に挟まれる
少年の体から力が抜け落ちる
今度こそ完璧に意識が消えた少年の体が、メイスに寄りかかる
そんな彼を見てアックアは笑う
敗北者たちの奮闘を讃えるように
「麻酔もなくここで右手を引き抜かれるのも酷だろう。期限までにその元凶たる右腕を自ら切断し、我々に差し出すというのならば、その命は見逃してやるのである」
それだけいうとアックアは無造作にメイスを横に薙いだ
メイスに引っ掛かっていた少年の体が、砲弾のような速度で鉄橋から飛んだ
あまりの速度に少年の体は二回、三回と水面を跳ね飛び、最後には川を流れていたクルーザーの横に沈み、まるで爆風のように川の水を撒き散らす
ドッパァァン!!という轟音が少し遅れて降魔の耳に届いた
生死を確かめもせず、後方のアックアは降魔に背を向ける
「一日待つ」
そう告げた