藤原千花は育てたい ~恋愛師弟戦~   作:ころん

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【19】石上優 と 初花幸 と 体育祭

 それはちょっと昔のこと。

 アメリカの初花別邸にて。

 

 『ほんっとサチは可愛いわね~~、あなた前世は天使ね??天から私のお腹に遣わされたのね』

 

 6歳の息子の頬をスリスリしながら親バカなことを呟いたのは、初花桜、その人である。

 お気に入りのソファに身を委ねながら、息子を抱きしめる。それが彼女の日課だった。

 

 『おかあさま。さちはほんがよみたいのです』

 『サチちゃんは何が読みたいのかな~?』

 『これがいいです』

 

 そう言って目の前にある、本を指さした。

 それは桜が書いた本である。とあるアルゴリズムに関する本であり、誰がどう見ても専門家向けの本であり、それは今の彼女の仕事の基本となるものだ。

 

 『ママはこれはやだな~。お仕事のこと忘れたいな~』

 『おかあさまはしょうがないのです!それじゃあおべんきょうをしたいのです』

 『え~~~。しょうがないわね~。サチのお願いだから特別よ』

 

 彼女が取り出したのは大学数学の参考書だった。そして彼女の夫が高校時代に使っていたものである。題名は『猿でも分かるフーリエ変換』である。司は理解するのに時間がかかったので、彼女は将来の夫を散々バカにしたのだが、それもいい思い出だ。

 

 もちろん内容は分かってないのだろうが、愛しの息子が書庫から持ってきたものだから一緒に眺めているのだ。

 彼女の専攻は数学という訳ではなかったが、昔から数学はそれなりに好きだった。

 血は争えないのね…。などと桜は馬鹿なことを考えている。

 

 『おかあさま。これはもうよみおわったのです』

 『もう、じゃあこっちにしましょうね~』

 

 ――飽きただけなのに、読み終わったなんて言っちゃってもう!可愛いんだから!!

 

 桜の頭はだいぶお花畑だった。息子が出来てからずっとこの調子である。

 次に取り出したのは『スペクトル論Ⅰ』で、やっぱり小難しい本だった。

 彼女の息子は絵本よりも、小難しい参考書や実用書を好む傾向にあったのだ。

 天才の血を引いてしまった悲しい部分である。

 

 

 

 ――初花桜は、ここ10年で初花の名を世界に知らしめた。

 その功績は何よりも検索エンジンの開発であった。まだインターネットが大衆化していない中、その発展に寄与した正真正銘の天才である。

 

 しかしここ数年は壁にぶつかっている部分もあった。まあ、彼女が管理している初花系列の会社の業績も圧倒的に良く、子どもも出来たばかりなので、特に気にせずまったりと研究、開発をしてはいたのだが。

 

 

 

 その日は、たまたま開発中の案を家に持ち帰っていた。

 いつものソファでくつろぎながら式を立てていると、愛しの息子が寄ってきたのだ。

 まだ7歳になったばかり、まだまだ可愛い盛りである。まあ彼女は毎年可愛い盛りと言っている親バカなのだが。

 

 いつものように抱きしめて、その感触を堪能していると、幸は先ほどまで桜が書きなぐっていた文字を見て、口を開く。

 

 『おかあさま。このしきはこれだときもちわるいのです』

 『そうよね~。ママもそう思って…え?』

 『ここにへんすうをつけてあげるのです。nにしましょう。それでこっちに1-nをたしてあげるのです。これで0から1でnをちょうせいすればかいけつなのです』

 『サチ。あなた、それ、分かるの?』

 『…?なんでわからないのですか?さちはむずかしいことをいってないのです』

 

 初花幸は初花桜の息子である。

 その血を、色濃く受け継いでいた。

 

 『ねえ、サチ。この式を指数関数の和にできる?』

 

 いつかの司ができなかったそれを。サラサラと数式を書いてみたら。

 

 『もうおかあさま。そんなのかんたんすぎてつまらないのです』

 

 おいらーのこうしきなのです、なんて言いながら。

 サラサラと書き返された。

 

 そしてその瞬間、彼女は完全に理解してしまった。

 この子は、私と同じだ、と。

 

 ――『わからない』が『わからない』んだ、と。

 

 

 彼女の脳裏に浮かんだのは幼いころの苦い思い出の数々である。

 周りと違う自分に苦しみ、誰も自分を理解してくれないことに苦しんだその日々を。

 でも、そこから救い上げてくれた人がいたことも。

 

 『――サチ。あなたは、私が幸せにするわ』

 『おかあさま。さちはもうしあわせなのですよ?』

 

 いつか彼女は、愛させるための仮面を被った。でもそれは仮面でしかないから、つらかったのだ。

 だからこそ、長く苦しんだのだ。

 でも、愛させる――愛される行動、言動、雰囲気、それが『素顔』になったなら。

 

 ――サチ。あなたにも、私にとってのパパみたいな人が、きっと、すぐに見つかるわ。

 

 『サチ。ママと一緒にまた修行をしましょう?』

 『いいのですよ!なにをしゅぎょうするのですか!ししょう!』

 『ふふ、そうね――世界一、素敵な子になるための修行よ。一緒に頑張ろうね』

 

 ――世界一、あなたを愛してくれる人を見つけるためのね。

 

 そして、その頬にキスを落としたのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 「顔からコケちゃえ!クソ石上!」

 

 そんな言葉が、幸の耳には入ってきた。

 

 石上が多くの同級生、特に女子に嫌われていることは幸の知るところである。

 幸はその理由を知らない、ということになっている。だが、本当は察しがついていた。

 多くの人から聞いた断片的な噂を繋ぎ合わせればどんなことが彼に起きたのか分かっていたのだ。

 

 ――初花幸は、石上優を知っている。

 なんだかんだで半年以上の付き合いがあるのだ。クラスも生徒会も同じとなれば、話す機会ももちろん多い。

 

 「全部。アンタのせいだ!!」

 

 同じ少女が、石上に続けて叫んだ。

 幸はその少女を知らない。秀知院の制服を着ていないその少女を知らない。

 しかし。

 

 ――初花幸は、石上優を知っている。

 リア充を呪い、カップルを呪い、ネガティブな発言も目立つ彼の、その性根は真っ直ぐで善良であることを知っている。

 

 「うるせぇばーか」

 「…!!」

 

 周りからは、応援の声が鳴りやまない。太鼓の音も響いている。

 グラウンドを走る、赤と白、それぞれに皆の視線が刺さる中。

 幸は、石上を見ていた。彼と、その少女の言葉の応酬を聞いた。

 だから、その少女が何者かにも気づいた。

 彼女の感情にも、石上の感情にも、気づいた。

 

 

 

 ―――初花幸は、石上優を知っている。

 『そんなこと』をするような人間ではないと。

 

 

 

 そして石上は、バトンを受け取り、走り出したのだ。

 

 「ねぇ。チカ先輩」

 「どうしましたか??」

 

 幸は、隣でその成り行きを一緒に見つめていた千花に、問いかける。

 

 「僕と、あの女の人、どっちがかわいいですか?」

 「…サチちゃん。悪いこと考えてますね?ひどいことは、だめですよ」

 「もちろんです」

 「――100対0で、サチちゃんの勝ちです。いってらっしゃい」

 「はい。いってきます」

 

 その評価には、事前の印象の問題ももちろんあったが。

 秀知院学園のお姫様、そんな風に呼ばれる少年の容姿は、最強の武器なのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 やがて石上はそのトラックを走り抜けた。

 1位をとることは出来なかった。

 それでも、走り切った彼のところへは多くの生徒が駆け寄った。

 

 先輩も、同級生も、駆け寄ったのだ。

 それはきっと石上にとって1つの分岐点。

 

 まず副団長が声をかけ、団長が声をかけ。

 石上には多くの温かい声が届くのだ。

 

 石上も、顔を上げて、薄く笑った。

 そしてみんなで謎の掛け声で気合をいれた――そのちょっと後に。

 

 

 

 『ゆうくんっ』

 1つの影が石上に駆け寄った。そしてその勢いのまま抱き着いたのだ。

 隣で小野寺が信じられないものを見る目をしている。

 

 「は、初花?」

 「いいから合わせて抱き返すのです」

 

 小声でそんな会話をして。

 

 『ゆうくんがんばったねっ!!わたし、もう、うぅ…』

 大声でそんなことを言うのだ。

 

 その目線が向かう先は、件の少女である。

 両隣にいた同級生には、他の同級生をけしかけて、少しの間引き取ってもらった。

 

 目には涙を携えて。

 視線には愛情を携えて。

 金髪が陽に照らされて、輝いた。

 

 母から教えを受け継いだ初花幸は、『魅せる』天才だった。

 

 その容姿も相まって、その少女から見ればカップルにしか見えないだろう。

 だってその少女は、そのお姫様の性別を知らないのだから。

 

 「ちょっとぐらい意地悪しても、バチは当たらないのです」

 「初花、お前知って――」

 「予想です。ほら、早くカップルっぽくするのです」

 

 滅茶苦茶むかついている相手に、可愛い彼女が出来ていたらどう感じるだろう。

 たぶん、滅茶苦茶むかつくのだ。

 

 『ありがとう、サチ』

 

 それは笑っちゃうぐらい、下手な演技だったけれど。

 少女には効果があったようで、表情が崩れたのが見えた。

 

 そして幸は、意味ありげな視線をその少女に向けて。

 薄く、意地悪く微笑んだ。

 まるで、今は私のもの、とでも宣言するように。 

 

 少女の顔に怒りの色が見えて。

 幸はちょっと満足する。

 

 そして石上の手を引いて、少女の視線から離れていくのだ。

 

 「世界は――ちゃんと心を開いてあげれば考えているより僕たちに優しいのです。でしょう?」

 「初花は、僕のことをよく分かってるんだな」

 

 それを聞いて、幸は少しだけ笑う。

 

 「だって僕たちは似た者同士で――」

 

 お互いに、過去の出来事から心を閉ざした。

 先に幸は心を開いた。その扉を最後に開いてくれたのは千花で。

 石上のその扉を最後に開いてくれるのは誰か分からないけど、次は石上の番だ。

 

 「友達、でしょう?」

 「ああ――友達、だ」

 

 次から、関係性に聞かれても困ることはないだろう。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 教室から生徒会室へと至る途中で。

 

 石上は残っていた課題を終わらせるために教室に残っており、少し遅れて生徒会室に向かっていた。

 

 やがて、鮮やかな金髪が視界に入った。今日も職員室に寄っていたために少し遅れたのだろう。

 

 その姿を見て、石上は歩くペースを速めて。

 

 「よう。職員室帰りか?」

 「そうです。石上さんは?」

 「あー課題だよ。英語のあったろ?あれ終わってなくて」

 

 これからは、廊下で見かけても、声をかけるのだ。

 

 だって2人は、友達だから。




攻略完了すると名前呼びになるシステム。
でも石上は気恥ずかしくて名前で呼んでくれなそうなのでこのような形で1回呼んでもらいました。
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