藤原千花は育てたい ~恋愛師弟戦~   作:ころん

21 / 27
【終】藤原千花 と 初花幸

 「お父様――僕は今から、わがままを言います」

 

 その言葉を聞いて、初花司は、笑顔になった。

 幸の脳裏に、いつか千花が言った言葉が蘇る。

 

 『大好きな相手だったら、ちょっと困るようなお願いをされたって、嬉しいものなんですよ』

 『だったらお父様は――もっと嬉しいはずなんです』

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 「お母様――僕は勘違いをしていました」

 

 「お父様は、僕がただ健やかであるだけでいいと、そう仰っていました」

 

 「きっと、お母様も、そうだったのですね」

 

 「ごめんなさい、お母様。僕は勘違いをしていたのです」

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 そして、文化祭当日。

 

 

 

 まだ太陽も上りきらない午前5時前。

 秀知院学園に生徒として一番最初に到着をしたのは、おそらく藤原千花だった。まだどこの教室からも明かりは漏れていない。

 

 恋人に昨日、話したいことがあると言われたから彼女は今ここにいる。

 その内容は分かっていた。

 

 

『――アメリカに戻ろうと、思います』

 

 

 生徒会選挙が終わって少しした頃。

 珍しく暗い顔をした恋人から告げられたのは、そんな言葉だった。

 

 千花は、幸の学校における身分が留学生であるとこも、幼少からアメリカで過ごしていたことも知っていた。それでも、帰るなんてことは想像すらしていなかった。

 幸は初花家での仕事に戻ると言ったのだ。

 もちろん日本とアメリカを行き来するから、会う機会は頻繁にある。しかし、もう学校生活は共におくれないと。

 

 突然の宣言ではあった。

 

 それでも結局、千花は幸を送りだすことに決めた。

 一緒に学校生活を過ごしたい気持ちはもちろん溢れるほどにあったけれど、その気持ちが幸にもあることは彼女には分かった。

 その上での決意なのだ。だから、千花がそれを応援をしてあげたいと思ったのだって、嘘偽りのない本心だ。

 

 幸は、今年で、学校を去ると言った。今年度、ではなく。

 つまりそれは、この文化祭が終われば去るということだ。

 

 別れの日が一日近づく度に、千花の心は締め付けられた。

 

 永遠の別れでもない。恋人関係がなくなる訳でもない。

 ただ、この日常が壊れてしまう、それだけで。

 

 それでも、わがままは言えなかった。

 千花は、ちょっとだけ不器用な師匠だった。

 

 足が生徒会室へと、ゆっくりと千花を運ぶ。

 

 階段を登って、廊下に差し掛かると、生徒会室から光が漏れているのが見えた。

 

 それを見て千花は、コートの中に忍ばせたその『箱』を握りしめてから、駆け出した。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 千花が生徒会の扉を開ければ、すでにそこには幸がいた。

 

 朝日が昇り始めていて。

 窓から射し込んだ光が、部屋を照らす、

 

 「チカ先輩」

 「サチ、ちゃん」

 

 ただ恋人の名を呼んで、その顔を見るだけで、こんなに心が満たされることを千花はこの数ヶ月で知った。

 ただ恋人に名を呼ばれて、その切なそうな顔を見るだけで、こんなに心が締め付けられることを千花はこの数ヶ月で、初めて知った。

 

 「お話を、聞いていただけますか」

 

 その真剣な瞳に貫かれて。

 聞いてあげたい。聞きたくない。そんな気持ちが交互に現れて。

 千花の心は、悲鳴を上げた。

 

 「いや、です。私は聞きたくないです!!」

 

 初めての、拒絶だった。

 弟子を褒め続け、認め続け、支え続け、肯定し続けた、そんな師匠の初めての拒絶だった。

 

 頭では分かっていた。過ごす時間は減るけれど、会う時間はある。幸が悩んでした選択を応援してあげたい。

 いつまでも、駄々をこねる、子どもじゃいられない。

 空気を、読むようにならなきゃだめで。

 それでも。

 

 「わたしは、私は。サチちゃんと一緒にいたい!!同じ学校で過ごしたいです!!朝は一緒に登校をしたいし、お昼は一緒に食べるんです。授業が終わったら生徒会室で過ごして、帰りはまた明日って言ってバイバイしたいです。たまにそのまま一緒に帰って、お泊まりをして、休日は一日一緒に過ごすんです。そんな生活をもっと、つづけたい、です」

 

 涙が止めどなく溢れて、止まらなかった。

 

 「私は、ダメな、師匠です」

 

 隠し続けるはずだった願いが、溢れてしまって。

 千花は、少し、自分を嫌いになりそうだった。

 

 「ごめんなさい、チカ先輩」

 「――僕は残ることにしたのです」

 「だから、泣かないで」

 

 その言葉が、千花の中に入ってきて、弾けた。

 

 「うぇ?えーーー!!!サチちゃんのその感じ、だってすごい、もうお別れみたいな感じでしたよ!!」

 

 「ふふっ。ごめんなさい…だから、お話を聞いてもらえますか?」

 

 それでもちょっとだけ切なそうな表情は変わらなくて。

 

 「はいっ!!師匠が、聞いてあげます!」

 

 千花は切り替えが早い女の子なのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 初花幸という少年がいた。

 彼には『わからない』が『わからない』…なんてことはなく、割とわからないことも多かった。

 もちろん、本の中の世界だけを考えれば、わからないと感じたことはほとんどなかった。

 

 けれど、目線を上げて現実の世界を見渡した時、分からないことだらけだった。

 

 最初に通った学校では、同級生の気持ちが分からなくて、結局通わなくなってしまった。

 いつしか自分が他の人よりも、本の世界のことが遥かに得意だと気付いた時、取り繕い方を覚えた。

 

 本の世界のことは、母と共有ができたから、それだけで十分だった。

 

 でも、たくさんの『わからない』が『わかる』ようになっていく中で。

 ずっと、わからないことがあった。

 

 初花幸は、

 『愛されてる』が、

 わからない。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 「お母様は僕に『愛させ方』をたくさん教えてくれました。人に綺麗に見られる方法、人に好かれる言動、人に守ってもらえる方法」

 

 幸はぽつぽつと話し始めた。

 それは、彼らが『仲直り大作戦』をした時と似ていて。

 

 「でも僕は小さい時、少しだけ頭が回ったせいで分からなくなったのです」

 

 一度、幸は俯いて、小さな声で言った。

 

 「お母様が好きなのは、そういう行動が出来る僕であって、もしそれがなかったら愛してくれないんじゃないか」

 「お母様はそのままの僕が好きじゃないから、こうして愛させ方を教えてくれるんじゃないか」

 「お母様のことは大好きだけど、そんなひねくれた考え方をして、漠然とそんな気持ちを抱えてきたのです」

 

 『愛させ方』『愛され方』を教わった。

 でもそのせいで、そのままの自分は愛されていないのかと思ってしまったのだ。

 

 「『愛される』ことが不安なのです」

 「愛されない行動をとった時の僕はどうなるのか、好かれる行動を捨てた僕はどうなるのか」

 「愛した人に、愛されなくなったとき、どうなってしまうのか、わからないのです」

 「だから、お父様との溝が埋まらなかった。僕は、本当の気持ちを知るのが怖かったのです」

 

 千花は、ただ、頷いた。

 言いたいことはたくさんあった。

 でも、ただ、話を促した。

 

 「先日――お父様に言われたのです。『親は子が健やかであるだけで幸せ』だと」

 「僕はもっと単純に考えるべきだったのです」

 

 もう一度顔を上げる。

 幸と千花の視線が再び交差した。

 「お母様が僕に『愛させ方』を教えたのは」

 「単に僕が愛されて欲しかっただけなのです」

 「そう、単純に考えればよかったのです」

 「お母様と同じつらい思いをしないように、そう願ってくれた愛情だったのです」

 

 初花桜は、誰よりも幸を愛していた。

 彼女自身が持ちたかった家族であり、最愛の夫との宝物。

 それだけで何者にも負けない愛を注いでいたのだ。

 

 「そして、愛させる方法を持った僕だって、僕の一部です」

 「なによりも、僕が愛した人に、僕が思ったより、僕は愛されていました」

 

 かぐやが真剣に幸を引き止めた。

 白銀は生徒会長を諦めたと知っただけで、罪悪感を抱いた。

 石上は友達と言われて、それだけで嬉しそうだった。

 

 そして千花は、心にかけた鍵を壊してしまうほどに、幸との日常を望んだ。

 

 その事実が、幸に気づかせた。いや、認めさせた。

 

 ずっと『愛される』ことが、少し怖かったのだ。

 それを失うことが、何よりも怖かったから。

 

 「僕が注いだ愛の分だけ――いえ、それ以上に僕は愛を受け取っています」

 「お父様からもお母様からも、皆さんから――そして何よりもチカ先輩から」

 「それを認めようとしていなかったから、チカ先輩を泣かせてしまったのです。ごめんなさい」

 

 もう、目を背けるのはやめた。

 ただ愛を注ぐだけではない。返されるそれにだって、ちゃんと目を向けて、信じてあげるのだ。

 

 自分が愛を注ぐのは、愛を注ぎたいからで。

 相手が愛を返してくれるのは、愛を返したいからである。

 ただ、それだけだ。いつか失われるかもしれない、いつか小さくなるかもしれない。そんなことは、関係ないのだ。

 

 だって、自分が人を愛する時、それをいつかなくすことは考えなかった。

 だったら相手だって、同じ気持ちなのだと、信じてみようと思った。

 

 「――初めて会ったとき、笑顔に憧れました」

 

 続けられた言葉の始まりは、いつかの告白と同じで。

 

 「恋人になった今でも、毎日あなたに恋をしています。隣でずっと笑っていて欲しいです」

 

 幸は千花の方へ歩み寄り、まっすぐと見据えた。

 その、意思の籠もった瞳は、両親譲りで。

 

 「あいしています。チカさん」

 「誰よりも、何よりも」

 「一緒に一番幸せになれる方法を迷わず選ぶべきでした」

 

 もう口づけには慣れてしまったけれど。

 

 今回の口づけは、ファーストキスのように。心に刻まれて。

 少しだけ感じた涙の味が、印象深かったのだ。

 

 「いつかサチちゃんは言ってましたね」

 「私に愛されたい、だから師匠になって、って」

 

 『チカ先輩に――愛されたいです。だから――ご教授、お願いしますね?』

 それは、いつかの告白の一部で。

 

 「だから、もう。今回も師匠は、解任です」

 「私だって、あいしてるんですよ――サチ、くん」

 「ずっと一緒にいましょう?約束通りにです」

 

 初めて言った心からの「愛してる」はどこかくすぐったくて。

 恋人たちはまたぶつかり合って、強くなった。

 

 千花はポケットに忍ばせていた、箱を取り出した。

 

 「1日早いハッピーバースデーです!!」

 「ありがとうございます。分かっていても、照れるのですね」

 

 手のひらに収まるサイズの箱の中に入ったそれは。

 開けるまでもなく何か分かって。

 

 2人して顔を赤くしながら、開いてみれば。

 それは一対の指輪だった。

 

 何も言わずに千花は指輪を一つ取り出した。

 その意図を察して、幸も左手を差し出す。

 

 ゆっくりと薬指に嵌められたそれが、朝日に照らされた。

 

 同じように幸も指輪を取り出して、それを千花の薬指へ。

 

 「本番は、2年後です」

 「練習、しておきますか?」

 「いいですよ!!ーー健やかなる時も病める時も…えーっと、なんでしたっけ…愛します!」

 「誓います、じゃなかったですか?」

 「もう、細かいです!!ほら早く言ってください!!」

 「はい。愛します」

 「私聞きましたからね!約束破ったら怒りますよ!!」

 

 契約なんかじゃ、愛も気持ちも縛ることはできないけれど。

 それでも、そんな不確かなものにだって縋りたくなるぐらい愛しているのだ。

 

 翌日、そんな2人の婚約を初花は、静かに発表した。発表予定自体は数ヶ月前からあったのだが。

 

 そうして、お見合い写真を破り捨てるという当主の業務が一つ減ったのだった。

 

 

 

おわり!




とりあえずの区切りです。
一旦メインストーリーは完結ということで。
読んでくださった方々ありがとうございます。

元々、5万字ぐらいでまとめる予定だったのが、入れたい要素が増えすぎて文量が増え、更に展開も早足になってしまいました。

次回からは時系列に関係なく投稿する予定です!おまけとして!
どの時点でのお話かは分かるように書く予定です!

まあ次は文化祭の話の予定なので結局時系列に沿ってるんですけどね!!

よろしくお願いします!!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。