デビルサマナー葛葉ライドウ 対 帝国華撃団(仮) 作:おおがみしょーい
横浜のとある丘の上。
風がかすかに潮の匂いを運ぶ丘の上に、一本の桜の古木が満開の花を咲かせていた。
見事な桜である。
その幹は太く、大人が3人ほど手をつないで幹をぐるりと囲んでも尚、余るくらいに太い幹をしている。
それに比例するように枝ぶりも古木とは思えないほど伸び盛り、その枝が軋むほどに桜の花を咲かせている。
その枝から、桜の花びらがひらりひらりと舞い落ちていた。
風はないが、自らの花びらの重さで枝から離れ、地面へと落ちている。
時刻はそろそろ深夜に差し掛かろうと言いう時間だ、月が桜の木の真上に差し掛かろうとしていた。
そんな夜中、桜が舞い散る木の根元に、一人の老人が座っていた。
作務衣をゆったりと着込み、地面にそのまま胡坐をかいて座っている。
一見して還暦は越えているように見えるが、すわっている背筋はピンとのび、その全身からは隠し切れない気品の様なものがあふれ出ている。
老人の前には木製の大き目の盆が置いてあり、その中央には皿が一つ、茶碗が2つ置いてあった。皿の上には、その上には鰹――正確に言うなら、初鰹の刺身が盛られているようだ。
初鰹にはその身が隠れるほどにたっぷりと薬味がのっている。
輪切りのネギ、千切りのミョウガ、同じく千切りの大葉、そして醤油に浸ったニンニク――しかし、老人はその皿には一切箸をつけずに茶碗に自ら注いだ透明の液体――日本酒のみに口を付けていた。
老人は手酌で茶碗に酒を注ぎ、鰹には手を付けずに、酒を飲んでいる。早くもなく、遅くもなく、夜の匂いと、潮の匂い、そして桜の匂い、そんなものを肴に酒を飲んでいるようだ。
ふと、人の気配がした。
「お待たせして申し訳ありません。花小路伯爵」
老人――花小路頼恒が顔を上げると、そこには陸軍の軍服に身を包んだ一人の男が、軍帽を脱いで立っていた。
男は年で言えば壮年といったところだろうか。
背丈もあまり高くはない。
しかし、それを補って余りあるほどの思慮がその双眸からは見て取れた。
歴戦の勇士――そんな表現がぴたりとあう男だ。
「おお、米田君、夜分にすまんな。さっ、座ってくれ」
花小路は男を見ながら親しげに声をかける。
「失礼します」
男――米田一基は一礼をして花小路の向かいに胡坐をかいて座った。
「まずは一献」
「ありがとうございます」
座ると同時に花小路が一升瓶を手に持って、米田の前にある茶碗に酒を注ぐ。
酒を注ぎ終わると互いが持つ茶碗を軽く掲げ、視線を交わす。
そして――ぐいっ、と同時に茶碗を傾けた。
「おぉ……こいつぁ……いい香りですね」
思わず零れた米田の感想に
「わかるか、灘の一級品だよ」
花小路は嬉しそうに答えると、今度は待ちかねたかのように鰹に箸をつけた。
花小路は皿から鰹と一緒に薬味を巻くように持ち上げると口に運ぶ。
しゃりしゃりと薬味を噛む音が花小路の口から聞こえてくる。
「相変わらずお好きですね、この食べ方が」
「いろいろ試してみたが、初鰹はこれが一番だよ」
花小路の言葉を聞きながら、米田も皿に箸をつける。
初鰹の持つ若干の魚臭さを薬味が包み込み、またしゃりしゃりとした食感がアクセントとなって春しか味わえない清涼感が口の中に広がる。
なるほど確かに脂の少ない、さっぱりとした初鰹には、この様に薬味をたっぷりとのせたほうが旨いかもしれない。
「どうだ、帝都の方は変わりないか?」
そんなやり取りの中で花小路が米田に問いかける。
「ええ、まぁ……日本最大の都市ですからね、多少の諍いはありますが……それは警察の領分、我々は……まぁ、静か……ではありますな。今は……」
そんな花小路の問いかけに、少し考えるように米田が答える。
「ふむ……だか、その静けさが怖い……という事かね?」
「いや、確信があるわけじゃあないんですが……こう長年軍人なんて因果なもんをやってると、凄く不安定なもんに思えてくるんでさぁ……平和、ってやつがね」
「
「あいつらが命を懸けて手に入れたものに、そんなこといっちゃあ、悪ぃのはわかっちゃいるんですがねぇ。大事なもんだから、壊れやすい……ってのも嫌って程、知ってるもんで……」
そういうと、自分の言葉がその大事なもの――平和を壊しているように思えたのか、手に持った茶碗の酒を一気にあおる。
酒と一緒にそんな不吉な考えを飲み込んだようにも見えた。
「ふむ……」
花小路はそんな米田の言葉に、肯定も否定もしなかった。
これまでの米田の経験を考えるのであれば、しょうがない
「いや、それはともかく……話ってぇのはなんでしょうか。こんなところでって事はあんまりいい話じゃなさそうですが……」
微妙な雰囲気になりそうな空気を察し、米田がずばりと本題に切り込んだ。
「ふむ……吉報か、凶報かは判断が難しいところなので君を呼び出させてもらった……神崎忠義からのごく個人的な経由で私のところに来たものだ――こいつをどう思う?」
花小路はそう言って、一枚の霊子写真を取り出した。
蒸気機関が発達したこの太正時代、通常の大正時代とは比べ物にならないほどの鮮明な画質で写真は写されていた。
「失礼します――こいつぁ……っ!」
米田はその写真を見て瞠目した。
「神崎重工の帝都警護の一環で実験している、自動防犯霊子カメラに偶然映り込んだものらしい」
「てぇことは……これは帝都の?」
「月島周辺だ」
「なるほど……」
そう言って米田は再び写真に目を戻す。
その写真は深夜の事のようで、当然のことながら全体的に闇が支配している、しかし、その中に一部、人影とそれに相対するように異形のものが見て取れた。
その異形は4本足で立ち、顔面にはライオンの様な鬣、しかしその顔はライオンとは似ても似つかず、人面の様に見えた。そして何よりその体躯はライオンよりもさらに大きく人の背丈の倍はあるようであった。
「降魔……ではないようですが」
「だが、我々には降魔、という表現でしか“それ”を表現するすべがない」
米田の呟きに、花小路が答える。
「しかし、お言葉ですが、これならば新種の降魔の発見として、正規のルートで回ってくるべきものなのでは?」
「うむ、なので、本題は其処ではない……“それ”に対峙している人影がおるだろう、それを可能な限り拡大したのがコレじゃ」
そう言って花小路は懐からもう一枚の霊子写真をとりだし、米田に渡す。
「――こいつあ」
米田は再び瞠目した。
米田は始め、その人影は異形の“それ”の哀れな被害者なのだと思っていた、しかしそこに写っているモノはそれを否定していた。
人影は刀を携えていたのだ。
拡大して初めて分かったが、その人影は外套を着ているらしい、その隙間から刀を持つ手が見て取れ、その切っ先は真っ直ぐに異形に向いていた。
そして米田はようやく花小路の意図を理解した。
刀の柄、そこにかすかに“紋”がみえた。そしてそれは、米田――否、帝都守護に関わる全ての人間が関係し、しかし、一握りの人間以外は忘れ去られてしまっている、そんなモノであった。
「こいつぁ……まさか“ヤタガラス”の紋ですか?」
自分の見たものが信じられないというように、米田は花小路に問いかける。
「私も最初、目を疑った。神崎もそうだろう。だから個人的にこの写真を送ってきたのだと考えている……しかし、それが本当に“ヤタガラス”のものであるなら、その異形は降魔ではなく“悪魔”ということになる」
「ううむ……」
米田は目をつぶり考え――そして
「まず、裏御三家に連絡をとります。私が直々に赴いて調べさせてもらいます。その方が何かと融通が利きますんで」
「帝都の方はどうする?」
「かすみ君もいるし、大神のやつも、最近はなかなか頼りになるようになりました……まだまだですがね……それに、いつもは放蕩支配人させてもらってるんで、こういう時、数日空けても問題はないでさぁ」
「うむ……」
「ただ、加山にだけは伝えておきます。何かと必要になってくると思いますんで」
「まかせる」
そういう事になった。
深夜の丘の上、桜の木の下で花小路はまだ、酒を飲んでいた。
米田は既にいない。
花小路は米田との話を思い出しながら、そこに関連する思考を考えるとはなしに考えながら、酒を飲んでいる。“賢人機関”のこと、“帝都守護”のこと、“帝国華撃団”のこと、今は亡き“ヤタガラス”のこと、そして“ヤタガラス”と共に滅びた“葛葉”の事……
――びゅうっ
と、いきなり突風が吹いた。
その突風にあおられるように桜の花びらが一気に空を舞う。
そして空に舞い上がった無数の花びらの一枚が、花小路の茶碗の酒に落ちる。
酒の水面にゆらりゆらりと花びらが揺蕩う。
その揺らめきが、先ほどの米田との会話にあった平和の危うさに思えて、花小路は
――ぐぃ
っと花びらごと、茶碗の酒を飲み込んだ。
漆黒の闇の中に、ひらりひらりと桜が舞っている。
「“悪魔”……か」
花小路の誰に聞かせるでもない言葉は、その闇の中に静かに溶けていった。