【仮題】何とか頑張って生きています   作:ハンヴィー

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『中々衝撃的な体験でしたわ』

 

 当時の事を思い返し、私は呟いた。

 寒空の下で池に突き落とされたかと思ったら、今度は人前で裸同然に剥かれたのだ。嫁入り前の娘がだ。

 こんな体験は、一生のうちにそう何度もするものでは無いだろう。

 

「そのお前が、今では進んで俺の前で服を脱いでるわけだ」

『兄様っ!』

「いてててて。おいこら。耳を引っ張るんじゃない。悪かった、俺が悪かった!」

 

 飽き足らなかった私は、とりあえず、兄様の体毛をぶちぶちと毟り取ってやった。

 

「いてえ! おい、止めろ! 俺が悪かったって……!!」

 

 私は不満と怒りを表すため、頬を膨らませてみせた。

 いくら表情が無いとはいえ、このぐらいの感情表現は出来る。

 

「怒るな怒るな。金剛が頬袋に餌を貯め込んだ時みたいになっているぞ」

 

 金剛というのは、私が飼っている黄金絹気鼠のオスの名前だ。

 兄様は、鼠の癖に仰々しい名前だと笑っていた。

 

『兄様が思い出したのはその時なのですか? 私だと気づいたから、助けてくれたのですか?』

「いいや。思い出したわけではない」

 

 兄様は被りを振った。

 

「ただ、池の中で震えているお前を見て、この娘は、俺が命に代えても護らなくてはという衝動に駆られたんだ」

 

 そして気が付いた時、私を虐めていた侍女を池に突き落としていたのだという。

 

「おそらく、前兆だったのだろうな。それから、日を追うごとに前世の自分とお前を思い出していった」

 

 

 

 私は再び、あの日の事に思いを馳せた。

 

「姫様。そのお身体は……」

 

 浴場に連れてこられた私は、湯浴みのため一糸まとわぬ姿になっていた。

 ここまで私を連れてきたお爺様付きの侍女は、私の身体の至るところにある痣や傷痕に絶句していた。

 言葉を失くしている侍女を背に、湯浴みを終えた私は、無言で(口が利けないから当然だが)淡々と着替えを終えた。

 

「お辛い思いをされていたのですね……」

 

 辛かったのだろうか。

 いつの頃からか、そういう扱いを受けるのが当然なのだと受け入れ、特に何も感じなくなっていたような気がする。神経が摩耗していたのかもしれない。

 その時の私が唯々心配だったのは、大事になって、母様に迷惑が掛かる事だけだった。

 

「あの三笠とかいう狼人……。とんだ無作法者の破廉恥漢でしたが、これで姫様が救われます。さあ、御屋形様の元へ参りましょう」

 

 義憤に燃えているらしい彼女に促され、お爺様が待つ部屋に連れていかれた。

 

「御屋形様。姫様をお連れしました」

「ご苦労。下がってよい」

 

 私を連れてきた年嵩の侍女は、目礼して音もなくその場を後にした。

 

「摩耶、座りなさい」

 

 私は頷き部屋に入った。

 どこに座ろうか逡巡した末、私は兄様の隣に腰を下ろした。

 

「では、改めて聞く。何があった。なぜ、摩耶がずぶ濡れになっていたのだ」

 

 お爺様は、眼光鋭く下座の私達を見渡した。

 ちらりと隣を伺ってみると、兄様は自分の口から話す気は無いのか、口を噤んだままだった。

 僅かに口角が吊り上がっていて、私には笑っているように見えた。

 

「それと、摩耶の身体にあった無数の傷、あれはなんだ? 知っている事を包み隠さず申せ」

「お、お、恐れながら申し上げます!」

 

 私が口を開こうとした時、私を池に突き落とし、兄様に池に突き落とされた侍女の一人が、平伏したまま声を張り上げた。

 

「じ、実は! 姫様はそこな狼人に、池に突き落とされたのです!」

「そ、その通りです! 私達が姫様を助けようとしたところ、私達まで突き落とされたんです!」

 

 もう一人が追従するように叫び、これ幸いとばかりに、他の侍女達もそうだそうだと声を上げ始めた。

 

「私のこの傷をご覧ください! 姫様を助けようとしたときに、そこな狼人に蹴り落されたのですっ!」

 

 顔にできた青痣を指し示し、彼女は涙目で訴えた。

 瞼を腫らしたその顔は、怪談講に登場する、夫に毒を盛られた女幽霊のようだった。

 

「そうなのか、摩耶」

『違います!』

 

 私は咄嗟にそう唇を動かしていた。

 私一人だけなら別に構わない。今まで通り、私が耐えれば良いだけだ。

 だけど、助けてくれた兄様に濡れ衣を着せるわけにはいかないという気持ちでいっぱいだった。

 

「摩耶は違うと申しておるぞ」

「御屋形様! 姫様は、その卑しい狼男に脅されているのです!」

「そ、そうです! 姫様、無理をなさらなくて良いのですよ!」

 

 背後から聞こえる気色の悪い猫撫で声に背筋に怖気が走った。

 私を嬲る時、決まってそんな声を出していたからだ。

 

「三笠。お前から何か言うことはあるか」

「俺? 俺から言うことは何もありませんよ」

 

 兄様は、そう言って軽く肩を竦めた。

 

「ふ、ふん! 認めたわね!」

「御屋形様! お聞きの通りです! その狼人がすべての元凶なのです!」

 

 自分達の都合の良いように解釈した侍女達が、口々に兄様を非難し始めた。

 

「き、きっと、姫様のお身体の怪我も、その狼人の仕業ですわ!」

「そ、そうよ! きっと、そうに決まってるわ!」

 

 ついには、そんなことまで言い出す始末だ。

 今になって思い返してみれば、彼女らの醜態は、時代劇のお白洲の場で、白を切って喚き散らす下手人のようにも思えた。

 

「もういい。分かった」

 

 お爺様が溜息交じりに軽く手を上げ、喚き散らす侍女達を遮った。

 

「済まなかったな、摩耶」

 

 そう言ってお爺様は、私に頭を下げた。

 

「藩主という立場上、お前やお前の母にあまり気に掛けることが出来ず、このような事態を引き起こしてしまった」

「全くですよ、御屋形様。切腹ものですぜ」

「やかましい。茶化すでない」

 

 おどけるように口をはさむ兄様を、お爺様猛禽のような目で睨みつけた。

 藩主の言葉に軽々しく差出口を挟むのも信じられない事だが、お爺様に強く咎める素振りは見られなかった。

 お爺様と兄様の関係を知らなかったその当時は、気心の知れた友人同士が、軽い憎まれ口を叩きあっているような気安さが不思議でならなかった。

 

「お前達への沙汰は後程で伝える。下がれ」

 

 お爺様は、侍女達に向かって、蠅でも払う様に手を振った。

 

「お、御屋形様……?」

「それはいったい、どういう……」

 

 困惑するような声が私の左右から上がった。

 

「下がれと言っている」

 

 お爺様が、冷たい声で告げる。侍女達がひっと息を呑む音が聞こえた。

 

「当主の孫娘への継続的な暴行、死罪になるだけでは済まんだろうなぁ。本家も取り潰しかなぁ、これは」

 

 くくっと小さく笑い、兄様は追い打ちを掛けるように言う。

 藩主であるお爺様や、私の御付の侍女は、それなりに家格の高い家の子女が殆どだ。その子女が粗相を仕出かしたとなれば、当然彼女らの本家にも罪科が及ぶことになる。お家の取り潰しともなれば、一族郎党路頭に迷うことになる。

 侍女達から悲痛な声が上がった。中には恐れおののき泣き出している者までいた。

 私は彼女らに、日常的に酷い苛めや嫌がらせを受けていたが、死罪というのはあんまりだと思った。しかし、散々嫌がらせを受けてきた身としては、彼女らをとりなすほど、お人良しでも無い。

 だから私は、何もせずにただ見守っていた。

 

「お、お、お許しくださいっ!」

「ど、どうか、どうか、それだけは……!!」

「おい、阿婆擦れ共。頭を下げるのは御屋形様にではなく、姫様に対してだろうが。どこまで知恵が足りないんだ。脳みそがクソにでもなっているのか?」

 

 一斉に平伏する侍女達を酷薄な表情で見降ろし、兄様は容赦のない言葉を浴びせた。

 その声は、先程までのどこか茶化したようなものとは全く異なり、背筋が凍り付くような冷たさを伴っていた。

 

「ひ、姫様! どうか、どうかお許しを……!!」

「どうか、どうか……」

 

 ハッとしたように顔を上げた侍女達は、今度は私に向かって一斉に土下座してきた。

 

「しっかり反省してるんだろうな、醜女共」

「は、はい! それはもう……!」

 

 私を池に突き落とした侍女の一人が顔を上げた。

 先程までの傲岸さは鳴りを潜め、何度も畳に額を擦り付け、媚びへつらうように私達の顔を伺っている。兄様に足蹴にされた時の顔の傷も相俟って、中々不気味だった。

 

「どうするよ、姫様。こいつら、赦してやるか? それとも括って吊るすか?」

 

 物騒なことを尋ねる兄様の声は、楽しそうに弾んでいた。

 括って吊るすか、のところで、侍女達が顔を青くした。

 私は困惑してお爺様のほうを視線を向けた。

 お爺様は、無言でうなずいた。

 私の好きなようにしろ、ということらしい。

 

「おい、売女共。お前達、本当に心の底から反省してるんだろうな?」

 

 兄様は恫喝するように言った。次第に、彼女達に対する呼称が酷いものになっていっている。

 

「も、もちろんです! 心の底から反省しております!」

「なら、例え死罪になっても文句は無いな?」

 

 侍女達はえっという顔になった後、この世の終わりのような絶望の表情に染まる。

 

「反省や謝罪というのは、自分の非を悔いて、どのような沙汰も受け入れるという覚悟を言うんだ。当然だろうが」

 

 兄様は冷たく突き放した。

 

「そういうわけだ、姫様。煮るなり焼くなり好きにすると良い」

 

 私は改めて侍女達に目を向ける。ある者は畳に額を擦り付けて噎び泣き、ある者は露骨に媚びるような笑みを浮かべて私を見つめている。

 日常的に私に嫌がらせを繰り返してきた彼女達のこんな無様な姿を見るのは初めてだった。

 そんな彼女達の姿を見ているうちに、どす黒い感情が腹の底から湧き上がって来るのを感じた。

 それは、久しく忘れていた、怒りと憎悪の感情だ。

 この女達は、散々私を嬲りものにしたくせに、いざそれが露見し、咎められようとしたときのこの変わり身の早さ。虫が良いにも程がある。

 私は懐から、護身用に携帯している匕首を取り出した。鞘から刀身を抜き、その場に投げ捨てる。

 大股で侍女の一人に歩み寄ると、そいつの髪を鷲掴みにして、抜き身の匕首を振りかざした。

 

「ひいいいいっ!」

 

 恐怖に目を見開く彼女に、容赦なく、何度も何度も、匕首を振り下ろした。

 もちろん、彼女だけではなく、他の侍女達にも平等にだ。

 部屋中に女達の悲鳴や哀願の声がこだました。

 ざくざくという音が、実に耳に心地よかったのを覚えている。

 

「素晴らしい! さすがは、御屋形様の孫娘だ。実に良い気性をしている!」

 

 肩で息をする私の背後から、兄様が手を叩きながら囃し立てる声が聞こえた。

 暫くののち、私の目の前には惨憺たる有様が広がっていた。

 部屋の畳の上には、所狭しと大量の黒い毛髪が散らばっている。

 私は侍女達の髪を、匕首でずたずたに切り裂いてやったのだ。

 おかげで彼女らの髪型は、他に類を見ない、かなり独創的なものになっていた。

 地肌のあちこちがが透けて見える髪型なんて、我ながら随分と前衛的だと思う。

 侍女達の中には、呆然とへたり込んでいる者の他、顔を伏せてむせび泣いている者、恐怖のあまり失禁している者もいた。

 一仕事やり終えたという晴れ晴れとした気分で、傍らに放ってあった鞘を拾い上げると、匕首を収める。ぱちんという小気味の良い音が響いた。

 お爺様のほうを振り返る。

 

「これで手打ちということで良いのか、摩耶」

 

 お爺様の問いに私はしっかりと頷いた。

 


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