※今作でのタイトルホルダーおよび本因坊とは、いわゆる七大棋戦のものであり、ヒカルの碁でいう桑原本因坊が持つものを指します。女流タイトルである女流本因坊とは別物です。
――改めまして本因坊位獲得、おめでとうございます。
「ありがとうございます」
――率直に今の気持ちをお願いします。
「正直まだ実感はありませんが、今までの努力が素晴らしい結果に繋がったという事を嬉しく思っています」
――本因坊というタイトルについて、どのように思っていますか?
「多くの偉大な先人の努力が刻まれた、とても権威のある称号です。本因坊の名を頂けたことを大変誇りに思います」
――タイトル獲得の報告を、誰に最初にしたいですか?
「一番に伝えたいのは両親です。今まで色々な事を教え、育ててくれた感謝の気持ちと一緒に報告したいです」
――ありがとうございます。それでは最後に女性初の本因坊として、一言お願いします。
それまで記者の質問に笑顔で淡々と答えていた女性は、その問いに対して一呼吸置き、真剣な面持ちで口を開いた。
「これまでの囲碁界は男性棋士が常に先頭を走り続け、女流棋士が棋戦で陽の目を見ることはありませんでした」
「女流棋士の実力は軽んじられ、私達を囲碁普及の為のマスコット扱いする声さえあります」
「私はそういう人達に知ってもらいたいんです。女性だって男性と同じように戦える、同じ棋士なんだから、と」
「今回、私が本因坊という素晴らしいタイトルを獲得出来た事が、そのきっかけになってくれたら、と思います」
――ありがとうございました。それでは以上で
記者会見が終わり対局場の外に出ると、私の同期の女流棋士が待っていてくれた。
「やったね彩! おめでとう! 女性初のタイトルホルダーだよ! しかも本因坊!」
「うん、ありがとう! あー、ホント疲れたよ」
「それはこっちの台詞だっつの! アンタの碁、心臓に悪すぎ。見てるこっちが疲れたよ!」
うっ……確かに自分でも随分危なっかしい碁だったと思うけど。しょうがないじゃん、形勢悪かったんだから。無理して攻めないと足りなかったんだもん。
「記者会見……見てたよ。私もちょっとスッキリした。これで女流の見方もちょっとは変わるかもね。でも、アンタこれから大変だよ?」
「え? なんで?」
「なんでって……せっかくタイトル獲っても、彩がこれから不甲斐ない碁を打ったり、簡単にタイトル失ったりしたら、やっぱりマグレだったとか期待外れとか言われちゃうでしょ? これからもっと頑張らないとね」
改めて言われるとプレッシャーだなぁ……やっぱりちょっと大きく言い過ぎたかな?
……ま、いいか。私の本心だし、思った事を言っただけだし。
「ま、アンタがダメでも私がタイトル獲って代わりに女流の力を見せつけてやるんだけどね!」
同期だけど年は1つ上。親友であり、姉のような存在でもある彼女の気遣いが私は嬉しかった。
……まあそっちが始めにプレッシャーかけてきたんだけどね。
私は常々この世界の男女差別に疑問を持っていた。それはプロの世界、というよりも囲碁界全体に広まっている風潮だ。
子供の頃に出場した囲碁大会で私が決勝で男の子に負けた時、涙を流しながら準優勝の賞状を受け取る私に大会の主催者が言った。女の子なのによく頑張ったね、と。
中学で入部した囲碁部で初日に部長を倒してしまった時、検討で悪手を指摘したら、女の癖にと暴言を吐かれた。部活はその日に辞めた。
プロになってからも同じだった。高段の男性棋士に勝っても、三大棋戦にリーグ入りしても、聞こえてくるのは女流最強、女流に敵なし。そんな声ばかり。
私は悔しかった。勝っても負けても、女という理由だけで自分を正当に評価して貰えないような気がして。
囲碁は頭を使う競技だ。体を使うスポーツではない。子供と大人が対等に戦える。だったら女だって男に勝てない訳がないはずなのに。
しかしプロの棋戦では明らかに男性と女性で優劣が出来てしまっているのも事実。過去、七大棋戦において女性はタイトル挑戦者にすらなった事は無い。その事実がある以上、やはり対等とは言えないのかもしれなかった。
それなら……プロという最高峰の舞台で女性が結果を残せば少しはこの見方が変わるはず。私がタイトルを取れば囲碁界を変えられるはず。
その想いで日々勉強し、努力を積み重ね……今日やっとその夢が叶った。
そして今日ここからがまた新たなスタート。日本の棋戦だけでなく、世界に私の、女流棋士の実力を見せつけてやるんだ。
祝勝会には師匠、同門の兄弟子、同期の棋士など多くの人が集まってくれた。私の記者会見での発言をからかわれたりしたけれど、それ以上に私の本因坊獲得を祝福してくれた。
飲み慣れないお酒に身を任せ、久しぶりに酔うという感覚を味わった。最後にお酒を飲んだのは棋聖戦リーグの降格が決まった時だったかな。あの時とは全く違う、幸せな酔いだった。
タクシーで一人暮らしのアパートに到着し、実家の両親に電話をした。私が何かを言う前に向こうから
「おめでとう、お疲れさま」
と言ってくれた。今までの苦労と感謝の気持ちが溢れ出してきて……ありがとう、と涙声で返すのが精一杯だった。
布団に入り、目を瞑る。対局後はあまり実感が無く、ふわふわしたような気持ちだったけれど、色々な人に祝福されてようやく達成感が湧いてきた。
女性初のタイトルホルダー、女性初の……本因坊。私が歴史に名を残したんだ。
幸福感と心地よい疲労感に包まれて、私は意識を手放した。