未来の本因坊   作:ノロchips

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第11話

 対局は私が比較的緩やかな布石を選択した事もあり、序盤から真柴さんが黒番のアドバンテージを生かして積極的に仕掛け、私がそれをシノぐ展開となっていた。攻めっ気の強い棋風なのかな、という印象だ。

 

 ……でも、ちょっと強引過ぎるんじゃないかな。相手だって受け続けてくれる訳じゃないんだし。

 

 囲碁は双方が正しく打つことを前提とすれば、全局的には互角に分かれる様になっている。局所的に片方が戦果を上げようとすれば、その分だけ他の場所で隙が生じ、後々手痛い反撃を受ける羽目になる。

 その例に違わず、薄みを守らずひたすら稼ぎに来た代償として、中央の黒石は実の所相当危険な状態になっている。私の読み通りならば、次に守らなければ中央は……落ちる。

 

 けれどそんな私の思惑を他所に、彼が選択した次の手は……スベリ。またしても地を取りに来る一手だった。

 

 ……まだ地で頑張っちゃうのか。中央が危ないのは百も承知だろう。それでも守らないのは、シノぐ算段があるって事なのかな。

 ま、関係ないか。どちらにしろここまで荒稼ぎされたら、私にだってもう中央を叩くしか選択肢はない。それでもダメだったら、素直に敗けを認めるだけだ。

 中央を殺せば勝ち。シノがれれば負け。間違いなくこの一局は作り碁にはならないだろう。ここからは一手のミスで私も負けかねない。こんな碁になるのも、1組ならではって所かな。

 

 行くよ真柴さん。逃げられるものなら……逃げてみなよ!

 

 

 ―――

 

 

 ……中央で生きようにも外を切られて欠け目。連絡の手段も、それまでひたすら手厚く打ってきた白の壁に阻まれて目処が立たない。ここまで来れば誰にだってわかる。黒は完全に詰んでしまっていた。

 

「……負けました」

 

 絞り出すような声で真柴さんが投了を宣言する。

 いくら地合で先行してても、流石に中央が丸々死んでしまっては碁にならない。投了もやむ無しだ。

 

 彼もまた1組上位であり、何より原作では今年の試験を通過してプロになる筈の人。確かに今まで対局した院生の中では、頭一つ抜きん出た力の持ち主だった。

 ただ今回の様な打ち回しでは、格下相手には通用しても上手には付け入る隙を与えかねない。もちろん前半で稼ぐだけ稼いで後半はシノギ勝負、そういった棋風もあるけれど、それには正確な読みに裏付けされた危機管理能力が必要不可欠なんだ。……先々は何とも言えないけれど、少なくとも現状では、プロで戦って行くにはもう一つ実力不足の様に思う。

 

 それでも悔しげに盤面を睨み続けている真柴さんの姿を見ていると、プロであった名残か、それとも元々の性分なのか、ついついお節介な気持ちが込み上げてくる。

 

「……真柴さん、幾らなんでもこの手は打ち過ぎだよ。只でさえ危なっかしい形なんだからさ、ここに白が来たら流石に守らないと」

 

 勇み足で負けてしまったとはいえ、攻めに対する着眼点は光るものがあったし、院生上位に見合った力量は十分に感じ取れた。

 

「ここはさ、ノゾキが利いてるから先手で守れるでしょ?これだけでそう簡単に死ぬ石じゃなくなるし」

 

 結果だけを見て落ち込んで欲しくなかった。今回の敗戦だってきっと無駄にはならないはずなんだから。

 

「最悪こっちを切っちゃえば多少損でもフリカワリになるし、前半の貯金を考えれば少なくともすぐに投げるような展開には……」

 

 運だけでプロになれるはずがないんだから。これを糧に出来るだけの器は間違いなくあるはずなんだから。

 

 

「……るせーな」

 

「えっ……?」

 

 

「うるせーんだよ! そんな事お前に言われなくたってわかってんだよ!」

 

 

 それまで無言で俯いていた真柴さんが突然堰を切ったように声を上げた。周りで対局をしていた他の子達も、何があったのかと揃ってこちらに視線を集める。

 

「勝ったからって偉そうにベラベラ講釈垂れやがって!」

 

 ……あらら、怒らせちゃったか。よく考えれば小学生にこんな風に言われるのはやっぱり気持ちいいものじゃないし、皆が皆奈瀬さんみたいに受け入れられる訳じゃない。……私もちょっと喋りすぎちゃったかな。

 

「調子に乗ってんじゃねーよ! ガキのくせに……」

 

 まあ負けて癇癪を起こす子だって今まで何回も見てきたし、悔しいのは囲碁に対して真剣な証だ。ここは優しく諭して大人の対応を……

 

 

「……女のくせに!!」

 

 

 ―――

 

 

『最近入ってきた星川って奴、結構やるらしいぜ』

 

 そんな噂を耳にしたのは今から半月くらい前の話だったか。何でも院生になって以来、負け無しの奴がいるらしかった。

 とはいえ、まだ入って間もない上に所詮は2組での話。然程気にする様な事でもないとタカを括っていた。

 

 けれどそいつは次の週も、その次の週も勝ち続け、気が付けば僅か1ヶ月で1組に上がろうかと言う所まで成績を上げていた。

 もちろん全勝で1組へ昇級するような話が今まで一度も無かった訳じゃない。ただそういった連中は、ほぼ例外無く1組でも勝ち上がるような奴等だった。仮にコイツがそういった連中と同じだとしたら、それは即ちプロ試験での自分の大きな障害になり得るという事。……流石にもう楽観視は出来なくなった。

 

 院生には伊角さんという自分より明らかに格上の人が居る。本田や足立に小宮、和谷にだって勝てる保証はない。その上、いよいよ今年のプロ試験に塔矢名人の息子が出てくるなんて噂もあるくらいだ。

 今回の試験は間違いなく例年以上に厳しくなる。他の奴等だってそれはわかっているはず。なのに一部ではアイツが上がってくるのが楽しみなんて言い出す奴もいる始末。

 

 ……バッカじゃねーの。俺達はプロになるためにここに居るんだぞ。ライバルなんて一人でも少ない方がいいに決まってんだろうが。

 

 俺だってもう来年は17歳。院生でいられるのもあと2年。プロ棋士になるという夢に見切りをつけ、現実と向き合わなければいけなくなる時は確実に近づいている。

 諦めたくない。プロにさえなれれば今までの努力が報われる。これからもずっと囲碁の事だけを考えて生きていける。

 

 

 ……だからこそ気に食わなかった。まだ小学生、何度でもチャンスが残っているコイツが。

 何よりも、俺とは決定的に違う点があったから。それは……コイツが女だという事。女には女流採用試験という男には無いプロへの道がある。院生で上位に食い込める実力があれば、そっちで受かる事だって十分に可能なはず。俺よりもずっとプロになれる可能性は高いはず。

 

 俺には時間がないのに。それなのに、自分の夢の邪魔をするコイツが、腹立たしいほど妬ましく……怖かった。

 

 

 ―――

 

 

 流石にそれだけは聞き流す事は出来なかった。

 女だからという理由で正当に評価してもらえず、そしてそれを見返すために強くあろうとしてきた私にとって、それは一番聞きたくなかった言葉だったから。

 

「っ……!」

 

 怒りの気持ちはもちろんあった。だけどこの場で同じ様に感情を吐き出すほど子供じゃない。彼だってその場の勢いで言ってしまったのかもしれないのだから。

 ただ一方で、そこまで言われて黙っていられない、その言葉だけはどうしても否定したいと叫ぶ、大人になりきれない自分も確かに居た。

 

 感情の板挟みに合って咄嗟には声が出なかった。

 そんな私に代わって、

 

「アンタねえっ! いい加減にしなさいよ!」

 

 想いを吐き出した人がいた。

 

 

 

「奈瀬……さん……?」

「取り消しなさいよ!女のくせにって言ったこと!」

 

 対局中にも関わらず立ち上がり、激昂する奈瀬さん。いつも明るくて、勝ち気だけど優しい、そんな彼女が見せた初めての姿だった。

 

「何よ女のくせにって……強い人が上に行く、そんな世界に男も女も関係ないでしょ!」

 

 怒りを露にし、そしてどこか悲痛な表情で叫ぶ。それは一番言いたかった、私の心の叫びそのもの。

 

「……彩に謝りなさいよ! アンタが負けたのは実力が足りなかったから、それだけじゃない!」

「くっ……うるせーな! 余計な口、挟むんじゃねーよ!」

 

 ただ、真柴さんも黙ってはいなかった。顔を真っ赤に染めながらそう言い放つと、奈瀬さんを両手で強く突き飛ばす。為すすべなく後ろに倒れ込む奈瀬さん。その先には……

 

「あっ……」

 

 音を立てて散らばる碁石。先程まできっと奈瀬さんが必死で食らいついていたであろう戦いの証が、やっとの想いで1組に昇級した彼女の大切な一局が……壊れる。

 瞬間頭が真っ白になった後、倒れ伏す奈瀬さんを見てはっきりと自分の頭に血が上っていくのを感じた。

 

「こ……このっ……!」

 

 もう黙っていることなんて出来なかった。大人とか子供とか、そんな事以前に、奈瀬さんが傷つけられた事が、彼女の大事なものを壊された事が、何よりも許せなかった。

 真柴さんを睨み付け、今にも彼に詰め寄ろうとしたとしたその時、

 

「何をしているんだね!」

 

 耳に入った大きな声が私を制止させた。こちらに歩み寄ってくる篠田先生の声だった。

 

「いい加減にしなさい! 他の子達はまだ対局中なんですよ!」

 

 そう言って二人を叱り付けると、篠田先生は崩れてしまった碁盤と、手を止めてこちらを注視する他の子達を一瞥して小さくため息をつく。

 

「真柴くんと奈瀬くんは今から私の部屋に来なさい。君達は対局を続けること。いいね?」

「……ま、待って下さい! 違うんです、私が……」

 

 未だ思考回路の整理がつかない中、反射的に制止の声を上げる。こんな事になってしまったのも私と真柴さんが原因なんだ。奈瀬さんは私を庇ってくれただけ。叱られるべきなのは私なんだから。

 

「いーのよ。アンタは関係ないんだから、そこで待ってなさい。……先生、行きましょう」

 

 けれど奈瀬さんはその言葉すら否定し、そしてこれ以上詮索されるまいと、篠田先生を促すように研修室の出口に足を向ける。

 

 私は結局それ以上言葉を発することも出来ず、部屋から出て行く奈瀬さんを見ている事しか出来なかった。

 




使わないつもりでしたが、使っちゃいました。女流採用試験。世界観が壊れると思った方、申し訳ありません。

一点補足なのですが、女流採用試験は2003年から年齢制限が無くなりましたが、それ以前は「満15歳以上」という制限があったそうです。ヒカ碁の時系列も考慮し、本小説中においてもこの年齢制限を設けたいと思っています。

早い話、現在の主人公や奈瀬には女流採用試験の受験資格が無いという事です。

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