未来の本因坊   作:ノロchips

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第14話

 囲碁を覚えようと決めたあの日から、二週間に一度開かれるこの囲碁教室は今やオレの恒例行事となっていた。

 他の人達からすると囲碁を打つ子供がやはり珍しいのか、唯一の子供のオレを孫のように可愛がってくれている。4ヶ月たった今でも相変わらず子供は自分だけしかいないけれど、通い始めた当初の疎外感の様なものはすっかり無くなり、そんな環境の中でオレは日ごとに囲碁が楽しいと思えるようになっていた。

 

「おっしゃ、ついに阿古田さんに勝ったぞ!」

「ぐっ、2目半足りないか……」

 

 そして今日、当面の目標としていた阿古田さんに遂に土を付け、オレは喜びの声を上げていた。阿古田さんと言えば初めは弱い者イジメをしていた嫌なオジサンってイメージしか無かったけれど、実際は結構面倒見の良い人で、まだまだ弱かった頃のオレとも何だかんだ言いながら打ってくれていたのだ。

 

「もう阿古田さんに勝ってしまうとは……進藤くんの成長ぶりには驚かされるよ。本当にここ以外で囲碁の勉強はしていないのかい?」

 

 隣で対局を見ていた白川先生がそう口にする。

 

「えーっと……まあ家で石を並べたりするくらいかな?」

 

 まさか自分に憑いている幽霊に囲碁を教わっているなんて言うわけにも行かず、そんな在り来たりな言い訳でお茶を濁す。……実際他の人が見たら、まさに一人で石を並べているだけなんだけどな。

 

「だとしたら本当に凄いことだよ。普通はこんな短期間で強くなろうとしたら、優秀な先生に付きっきりで教わるくらいしないといけないのに」

 

 ……まあ確かに付きっきりの先生ならいるにはいる。優秀かどうかは知らねーし、犬っコロみたいな奴だけど。

 

 ――誰が犬っコロですか! 大体ヒカルはもっと私に敬意をですね……

 

 後ろでブーブー言ってる佐為の言葉を適当に聞き流す。コイツの扱いにもいい加減慣れてきた。

 

「そういえば星川さんだっけ? 彼女は元気にしてるかい?」

「……えっ?」

 

 先生から星川の名前が出てきた瞬間、反射的に身構えてしまう。

 と言うのも、二度目の囲碁教室に参加した時、白川先生にアイツと佐為の一局について聞かれた事が原因だ。結局アイツが適当に言った棋譜並べという嘘を、対局者は忘れたという苦しい言い訳で押し通してしまったのだった。最も、オレだって初心者としてここで碁を教わろうとしている以上、あんなレベルの高い対局を背負わされるのはゴメンだったし、結果的には好都合だったのかもしれないけど。

 先生もそれを察してか、それ以降もうその一局については触れずにあくまで一人の生徒としてオレに接してくれていた。

 だからこそ何で急に星川の名前が出て来るのか、あの時の事についてまた聞かれるのか、と勘ぐってしまったわけだ。

 

「あはは、その事じゃないって。僕の参加している研究会で聞いたんだけど……彼女、院生になったんだってね?」

「……院生? 何それ?」

 

 そんなオレの不安を笑い飛ばすかのように先生はそう言う。その言葉に安堵する一方で、院生という聞き慣れない単語に対して素直な疑問をぶつける。

『院生も知らないガキにワシは負けたのか……』 なんて阿古田さんが呟いているけれど、知らないものは知らないのだから仕方ない。

 

「プロになるための塾って言うとわかりやすいかな? プロ棋士のほとんどが院生を経ていると言っても過言じゃないんだよ。もちろん僕もね」

「……え?」

 

 現実感が無いその言葉に思わずそんな声が出る。先生が発したプロという単語。それは余りにも非日常で、少なくとも子供の自分には全く縁が無いと思っていたもの。……そしてそれは今、間違いなく星川に向けられていた。

 

「プロ……? あいつプロになるの?」

「さあ、そこまではわからないけど、院生になっている以上その気はあるんじゃないかな? 彼女凄いらしいよ。僕に教えてくれた子……和谷くんって言うんだけどね、彼も完敗だったって悔しがってたし」

 

 ……アイツが、プロ? 何時だったか見たあの名人みたいにテレビに出て対局をしたり、白川先生の様に囲碁を教えたりするって事?

 アイツだってオレだって、まだ子供なのに?

 

「でも先生、アイツまだ中一だよ?」

「囲碁界では中学生でプロ棋士になる事なんて珍しくもなんともないよ。と言うよりも、一流と呼ばれる人達は皆それくらいでプロになるのが常識さ」

「……まじ?」

 

 あまりにも世界が違いすぎて、それ以上は言葉が出なかった。

 結局この後の教室もオレは完全に上の空で、再戦を挑んできた阿古田さんにボコボコにやられてしまったのだった。

 

 

 確かにオレは星川に追い付きたい一心で囲碁を覚えた。佐為に囲碁を教わって、この教室で学んで、そんな中で囲碁の楽しさにも目覚めた。自分が強くなっている事だって少しずつ実感し始めていた。

 だからこんな風に何気無い日々を繰り返して、たまにアイツに挑んでは返り討ちに遭って、その内いつかアイツと肩を並べられる日が来るんじゃないかって、本気でそう思ってた。

 

 ……だけどオレが考えていたそんな日々の中にアイツはいなかった。アイツが歩いているのは、今のオレとは全く違う道だったんだ。

 

 

 ―――

 

 

「……なーんかおかしいと思ったんだよな。よく考えたら、教室のオバちゃん達ですら知ってる本因坊秀策に勝ったアイツが、普通の子供のわけなかったんだよな」

 

 ――……そうですね。私も薄々は感じていました。ヒカルがたまに見せてくれるプロの対局や棋譜、それらと比較しても、彼女との一局は私の中でも特別なものでしたから。

 

「プロ……だってさ。何かイマイチ実感無いよな。佐為はどう思う?」

 

 ――……時代は違えど私も囲碁に人生を捧げた身です。そんな人達にとって一番大切な事……それは、囲碁を愛する気持ちだと私は思っています。

 

「囲碁を……愛する?」

 

 ――難しく考える必要は無いんですよ。囲碁が楽しいとか、どうしても勝ちたい相手がいるとか、そういった気持ちの事です。……ヒカルにはそれがありますか?

 

「……あるさ。囲碁は好きだし、勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。追い付きたい奴だっている」

 

 ――だったらそれだけで十分なんです。違う道なんかじゃない。道は繋がっているんですから。……その想いの先で、きっと彼女はヒカルを待っているんですから。

 

「繋がっている……か」

 

 ――要はヒカルの気持ち次第なんですよ。

 

「そっか……そうだよな。余計なこと考えすぎてたのかもしんない。……オレは囲碁が好きで、もっと色んな奴と、強い奴とだって打ってみたい。そしてその先にアイツがいるんだったら、オレが同じ場所を目指すのは何も変な事じゃ無かったんだよな。駄目だったからって、囲碁が嫌いになるわけじゃ無いんだから」

 

 ――……ええ。それがヒカルの答えなら、私もそんなあなたをずっと応援しています。私はいつだってあなたの味方なんですからね。

 

「ありがとな、佐為。何かスッキリした。……おっし、そうと決まれば帰って特訓だ! 次の目標はじーちゃんだな。この前は負けちゃったけど、今度こそ血祭りに上げてやる!」

 

 ――もう、すぐ調子に乗って。先日お母様にも叱られたばかりでしょう?

 

「へーへーわかってるって。……それじゃ今日も嫌っちゅーほど打とうぜ。な、佐為!」

 

 ――……ハイ! 喜んで!

 

 

 ―――

 

 

「……い、院生? どうしたの急に?」

 

 葉瀬中学校に入学して間もないある日の放課後、私のクラスにやって来て開口一番、院生になりたいから方法を教えてくれ、と言うヒカルに私は驚きを隠せなかった。

 

「だってお前院生なんだろ?」

「そうだけど……って言うか何で知ってるの?」

「白川先生に聞いたんだよ」

 

 白川先生が私が院生という事を知っていた、それ自体はさほど驚く事ではなかった。同じ棋院に通っているのだから、どこから情報が入っても不思議じゃない。

 篠田先生に聞いたのかもしれないし、確か和谷と白川先生は同じ森下門下だったはず。もしかしたら研修室に出入りする私を偶然見かけたって可能性もある。

 そんな事よりも、私はヒカルが院生になりたいと口にしたその真意、そちらの方が気になっていた。

 

「……院生になるって、どういう意味かわかってるの?」

「何だよ、プロを目指すって事だろ? だから聞いてんじゃん。プロになる奴は大体院生になってるみたいだし」

 

 さも当然の様にそう口にするヒカル。つまりヒカルはプロになる覚悟、それを持った上で院生になりたいと私に言っているのだ。

 

「……言っただろ。オレはお前に追い付いてやる、ライバルになってやるって。お前がプロを目指すんだったら、オレだってそうするさ」

 

 そう言い切るヒカルの目はどこまでも真っ直ぐで、真剣だった。

 

 プロになるなんてそう簡単に決断できる事じゃない。囲碁を自分の仕事にする、すなわち将来に関わってくる問題だ。口にするだけなら簡単でも、実際に行動に起こすとなれば、それは確固たる意思がなければ出来ない事。

 正直言って、私はヒカルがこんなに早くその覚悟を持ってくれるとは思っていなかった。導くなんて決意しておいて無責任な話だけれど、それは私がプロになって、ヒカルがそんな私の姿から何かを感じてくれれば、という前提の話だった。

 佐為がいるのだからきっと囲碁への情熱を持ち続けてくれる、私が上に行けば行くほどヒカルはそれに発奮して強くなろうとしてくれる、そう信じて囲碁を打ち続けるしかないと思っていた。

 

 ヒカルはプロになる決意をしてくれた。それは囲碁に自分の人生を賭ける、それ程までに囲碁を好きになってくれたという事。そして、その上で私に追いつきたいと言い切ってくれたのだ。

 ……本当に嬉しかった。思わず涙が出そうになるくらい。

 

「……ありがとう、ヒカル」

 

 震える声を必死に抑えながらそう返す。……あの時出来なかったヒカルへの返事が、今やっと出来たような気がした。

 

「い、いーって! 感謝されるような事じゃねーだろ。……それより教えてくれよ、どうやったら院生になれんのかをさ!」

 

 ……うん。それがヒカルの気持ちなら、私だって協力は惜しまないよ。でも、そう簡単に追い付かれたりなんかしないんだからね!

 

「じゃあ最初に……」

「おう、何か申し込んだりするのか?」

 

 

「今のヒカルじゃ院生にはなれないよ」

 

 

 ―――

 

 

 院生になるには言うまでもなく院生試験を通過する必要がある。そしてその為の推奨棋力はアマ五〜六段。とても囲碁を覚えて4ヶ月の今のヒカルが到達できるレベルじゃない。原作でも約1年かけてギリギリで合格したのだから。

 ……最もそれすら普通じゃ考えられない事なんだけどね。

 

「だから私がこれからヒカルを鍛えてあげる。私に4子で勝てるようになったら院生試験もきっと大丈夫だよ」

 

 もちろんこれはあくまで院生試験を突破するための『指導碁』だ。4子というのは目安に過ぎない。目標を設定する事で、より身が入る様にするためのものだ。

 佐為との対局もヒカルにとっては大きな力になるだろうけど、現代碁という点においては、私にしか教えられない事もきっとあるはずなのだから。

 

「ちょっと待てよ。お前だって院生なんだろ? そのお前に4子で勝ったぐらいで本当に院生になんかなれるのかよ?」

 

 ……確かにヒカルの疑問はごもっとも。でも実際の私は院生レベルじゃないし、むしろ全力の私に4子で勝ったら結構凄いことなんだぞ。

 

「……ほら、私結構強いし。白川先生言ってなかったかな?」

「はあ……わかったよ。お前がフツーじゃないって事はもう知ってるから」

 

 何だか引っ掛かるような言い回しだったけれど、とりあえずヒカルは納得してくれたようだった。

 

 

 とは言ったものの、次に問題となったのは対局場所だ。ヒカルと私の家は結構離れているし、仮にどちらかの家で対局をしたとしても、往復の時間を考慮すると、学校が終わった後では一局打ち切るのが精一杯って所だろう。やはり検討を行ってこその勉強なのだからそれは望ましくない。

 ネット碁というのも考えたけれど、よく考えたらヒカルはパソコンを持っていなかったのだ。

 どうしようかと問いかける私を、『何言ってんだよ』 とヒカルは一蹴し、こう続ける。

 

「学校で打てばいいじゃんか」

 

 ……学校ねえ。確かにマグネット碁盤でも持ってくれば可能は可能だけど、如何せん人目の多い教室で対局ってのもなぁ。まあヒカルが良いなら別に構わないけど……

 

 仕方なくそれで妥協しようとしていた私とは裏腹に、ヒカルが考えていたのは全く別の手段だった。

 

 

「さっき廊下でポスター見たんだけどさ、葉瀬中って囲碁部があるらしいぜ!」

 

 

 




現在の院生試験の募集要項には「六段位が必要」とありますが、その辺はちょっとぼかしてあります。

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