未来の本因坊   作:ノロchips

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ちょっと短いですが区切りがいいので更新します。


第23話

 奈瀬さんから聞いた情報、そこに自分が元々持っている知識を加えれば、もはやsaiの正体を推し測るなんて私には造作もない事だった。

 だからこれは蛇足と言うか、正直あまり意味の無い行為だったのかもしれない。それでもあくまで最終確認、偶然同じ名前を語った実力者という可能性だって無いとは言えない。そういった事情も考慮して、私はsaiの誕生に至る過程を知るであろう二人の人物に、それとなく探りを入れてみることにした。

 

 曰く。

 ――うん、前に彩から聞いたネット碁の話をしたら、何だか凄く興味を持ったみたいだったの。そんなにネット碁って面白いのかな?

 ……そ、そういえばねっ! 私最近部活が終わった後にヒカルのお家で……

 

 曰く。

 ――ああ、何かネット碁をやる場所を探してるみたいだったから、姉貴のバイト先を紹介してやったよ。

 ……オレ? 別にオレはネット碁なんざ興味無いね。わざわざそんな手間掛けてやろうとも思わねーし。それに、ネットなんかよりここで打つ事の方がオレは…………な、何でもねーよっ!

 

 何と言うかまあ……青春だねぇ。なんて、思わず頬が綻びそうにもなるけれど、とりあえずそれはそれ。

 これでほぼ確定。saiの正体はヒカルであり、奈瀬さんを倒した打ち手の正体は……やっぱり佐為だったんだ。

 

 

 当然脳裏に浮かぶのは半年前のあの日の対局。囲碁教室での私と佐為の初手合。

 佐為がどう思ってくれているかはわからないけれど、少なくとも私にとっては一生忘れられないであろう一局となった。そんな彼ともう一度戦いたいと思うのは、碁打ちならば持って然るべき感情のはずだ。

 もちろんそれが容易に叶わないことも知っている。自惚れた考え方かもしれないけれど、私を目標にしてくれているヒカルが、自分の力で私に追い付きたいと言ってくれたヒカルが、佐為の碁を私に見せてくれることは……多分もう無い。少なくとも以前の様に面と向かって対局をする機会は二度と訪れないんだろう。

 そんなヒカルの気持ちは本当に嬉しいし、自分の碁を打ちたいという気持ちも当然尊重されるべきもの。それを否定するつもりなんて微塵もない。

 ……それでも不意に思い出してしまうのだ。その一手一手に打ち震えんばかりの歓喜と衝撃を覚えたあの時の記憶を。今も決して色褪せる事のない、そんな在りし日に想いを馳せてしまう事だって、決して少なくないのだ。

 

 ……だけど私は決して諦めていた訳ではなかった。何故ならこの日が来るのを知っていたから。

 私はsaiの正体を知っているけれど、向こうには私の姿は見えない。仮に碁の内容から感じるものがあったとしても、少なくともそれを確証付ける根拠なんて存りはしない。……私達が唯一戦えるこの世界に、saiが現れるこの瞬間を、私はずっと待ち望んでいたんだ!

 

 

 結局のところ時期が早いとか遅いとか、そんなことは私にはどうでも良い話であり、インターネットの世界にsaiがいるという事実こそが私にとって一番重要だったのだ。

 抑えきれない碁打ちの本能と言うべきか、とにもかくにもそれを知ってしまった以上、私がsaiを見て見ぬふりするなんて到底出来るはずもなかった。

 

 

 ―――

 

 

 私が対局日に選んだのは6月の第3土曜日。もっとも選んだと言うよりは、他に選択肢が無かったと言うべきだろうか。

 ヒカルは変わらず平日の部活には参加しているし、あかりの話も加味すると、部活後にネットカフェに行っているとは考えにくい。つまりネット碁を行っているとすればそれ以外の日、週末という事になる。

 対して私の週末のご予定はと言うと、日曜日と第2土曜日に院生研修があるため、結局私達の都合が噛み合うのは直近ではこの日しかなかったのだ。

 

「ただいまー。……って、そういえば今日はお母さんも出掛けてるんだっけ」

 

 学校から帰宅し、誰もいない家に向かってお約束のご挨拶。そうして一人軽めの昼食を採った私は、早速対局の準備を開始した。ヒカルも一度家に帰ってからネットカフェに向かうだろうし、ログインまでには幾ばくかの猶予はあるんだろうけど……待ちに待った佐為との一戦だ、やるべきことはやっておかないと。

 

「よっし完成、名付けて彩スペシャルだっ! ……さーて、そろそろ始めますかっ!」

 

 ちなみに彩スペシャルとは某地域限定飲料もビックリ、砂糖とミルクたっぷりの激甘コーヒー。私のネット碁の必需品だ。……繰り事になるけれど、碁打ちに糖分は必須なのだ。

 

 

 ……とまあ意気揚々と準備を進めてみたものの、週末、そして今日この日にsaiが現れるなんて所詮は私の憶測に過ぎない。気が向かないなんて理由でヒカルがネット碁をお休みしてる可能性だってある。結局saiはいませんでした、なんてオチも覚悟しなくてはいけない。

 昂る気持ちを抑えながら一つ一つ対局リストに目を通していく。まるで大学の合格発表、自分の受験番号を探す学生の様な気分だ。……まあ、私は大学受験なんてした事ないけどね。

 そうしてひたすらスクロールを繰り返し、段々と不安も膨らみ始めるリスト終盤。……遂に私は待ち焦がれて止まなかった、その名前を発見したのだ。

 

「いた……saiだ!」

 

 心臓が一つとくんと高なり、同時に胸いっぱいに広がる歓喜。合格した受験生達もきっとこんな気分だったのだろう。

 早速対局を申し込もうとカーソルを合わせるものの、そんな私の目に映ったのは『対局中』 の文字。残念ながら今は他の人と打っている最中の様だった。

 若干肩透かしを食らった気分だけれど、まあそれは仕方ない。それならそれで敵情視察と洒落こむだけだ。

 期待に胸を膨らませながら対局画面を開く。……だけどそこに広がっていたのは、決して私が望んでいた様な絵ではなかった。

 

「酷い……何この碁……」

 

 おおよそ見慣れない碁形、そこから感じるのは紛れもない悪意だ。最もその発生源は、saiではなく対局相手からだったのだけれど。

 

 形勢は……正直数えるのも億劫になるくらいsaiが勝っている。そもそもこれはとっくに終局した碁だ。もう打つところなんて残っていないのだから。

 後はお互いの合意の元に目算を行うだけ。しかしsaiの対局相手はそれを拒み、ひたすら意味のない手を打ち続けている。

 両者が合意しないと対局は終わらない。悪戯に対局を引き延ばし、あわよくば根負けした相手の投了で勝ち星を奪おうという……有り体に言ってしまえば、ただの嫌がらせだ。

 

 ……たまにいるんだよねぇ、こういう人。大方saiに負けた腹いせってところなんだろうけど。

 

 saiはsaiで何でこんなのに付き合うんだろうか。私だったら時間の無駄だからこっちから投了しちゃうのに。

 そんな風に思っても、結局saiはご丁寧にも最後まで相手に付き合い続ける。私は私で席を離れては再び対局機会を逸してしまうと、やむなくsaiと一緒にお付き合い。そうしてようやく向こうが折れたのは、それから30分近くも経ってからの事だった。

 

 

 ……はー、やっと終わった。

 

 少なからず気分が害されたのは確かだけれど、そんな事はもう忘れよう。いよいよ念願の佐為との対局、こんな気持ちをいつまでも引きずっていてもしょうがない。

 改めて対局内容の確認。手合いは当然互先。持ち時間は30分。贅沢を言ってしまえば2時間でも3時間でも欲しいけれど、前約束でもしない限りそんな申請はまず断られる。ネット碁では30分でも長い部類なのだから。

 力強く申請ボタンをクリックし、同時に頭を対局モードに切り替える。澄みきっていく脳内に若干の高揚感が混ざった、心地良い感覚だ。後はこれを全て目の前の対局にぶつけるだけ。

 

 この時を待っていたんだ。さあ勝負だよ、佐為……!

 

 

 

 

 ――対局申請が拒否されました。

 

 

 

「…………は?」

 

 咄嗟にはその意味が理解できず、思わずそんな声が出てしまう。

 呆ける思考回路、半ば機械的に再び申請を行うものの、目の前に現れたのは先程と同じ対局拒否の文字。

 

 ……拒否って……いやいや、何でよ?

 

 三度四度と申請を繰り返すも、相変わらず私の願いは届かない。一先ず頭を落ち着けようと彩スペシャルを口にするものの、すっかり冷めきってしまったコーヒーは私の口内に下品な甘味を広げるだけ。

 saiが対局を拒む理由。さっきの対局に疲れて休憩したいとか、今日は用事があるからもうネット碁は終わりとか、冷静に考えればいくらだって思い付くはずだった。

 ……だけど今の私にはもうそんな余裕なんて残っていなかった。頭に浮かぶのは……『理不尽』。その一言だけ。

 

 ……こんなの、あんまりだっ! 今日という日をずっと楽しみにしてたのに! あんな下らない嫌がらせに30分も付き合ったのにっ!

 

 対局前の澄み切っていたはずの脳内は今や不満で真っ赤っか。断られても断られても申請を繰り返すその有り様は、もはやどちらが嫌がらせかわからないくらい。

 

 

「何で……何で対局してくれないのっ! ヒカルっ! 佐為っ! ……こらーーっ!!」

 

 

 誰もいない家に、私の叫びとクリック音だけがひたすら木霊していた。

 

 

 ―――

 

 

「だーっ! 何だよコイツ、断っても断ってもしつけーなっ!」

 

 ――ねえヒカル、早く次の対局を始めましょうよ。この者でいいじゃないですか。打ちたいと言ってくれてるのでしょう?

 

「ダメダメ! そんな風に迂闊に対局してさっきみてーなヤツだったらどうすんだよ! 次はもっと慎重にだな……」

 

 ――もう、先程だって投了してしまいなさいと言ったのに。

 

「はあ? せっかくここまでずっと負けナシなのに、なんであんなヤツに負けなきゃいけねーんだよ!」

 

 ――全く変なところでガンコなんだから。あんな不届き者の事を気にしてたらいつまで経っても打てないじゃないですか。……それに、私も個人的にこの者が気になっているのです。

 

「え、見たことない名前だけど、コイツと打った事あったっけ?」

 

 ――いいえ。名を見たのは先程の対局中、観戦りすとの中でです。他の観戦者が次々に消える中、この者だけは最後まで残っていたんですよ。

 

「そうだったっけ? ……つーかオマエ、よく覚えてんな」

 

 ――あんな不毛な対局を最後まで、そして終わるや否や申請。……きっと、私と打つのをずっと待っていたのではないですか?

 

「だからってなぁ……もしかしたらとんでもないヘボかもしれねーぞ?」

 

 ――構いませんよ。肉体を持たない私にとって、たとえ仮初めの世界でも打ちたいと言ってくれる相手がいる……こんなに嬉しいことはありません。実力など二の次です。……ね、いいじゃないですか。

 

「まァ、オマエがそこまで言うんだったら」

 

 ――ありがとうございますヒカル。……さ、始めましょう! 対局、対局っ!

 

 

「よっし、じゃあ次の相手は……この "orihime" ってヤツにするか!」




囲碁は両者の地が完全に確定し、もう打つところが無くなったら終局です(厳密にはもう打っても意味がない)。そしてネット碁における終局判定には、両者の合意が必要になります。

A「もう打つところ無いと思うけど、終わりでいい?」
B「せやな」
こうなった時点で終局です。

本文中の嫌がらせとは、Bが終局と知りつつも頑なに「打つところは残ってる!」と主張し続けるものです。
もちろんAが見落としているだけで実際に打つ場所が残っている可能性もあるので、基本的にBの主張は成立します。故にいつまでも両者の合意が取れずに対局が終わりません。

ごく稀にこういった嫌がらせがネット碁にはあります。saiの無敗街道の裏にはこんなエピソードもあったりするのかなーと妄想してみました。

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