三千世界の悪を殺し、昼まで朝寝をしてみたい   作:蕨楓

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第一話

 至って平凡で、代わり映えのない日々。

 これが映画なら何ともつまらない話だ。

 起承転結、山場、オチ……娯楽に必要なスリリングな要素が何一つないのだからそう思うのも当然である。

 しかし、一人の人間の人生としてはこれ以上なく安寧に包まれているだろう。

 結婚して子供も生まれ、これまで通り「普通の生活」を送り続けていく。危険や刺激とは程遠いものの、そこには小さいが確かな幸せがあった。

 

 そして彼らの人生を依頼一つで奪えるのが、殺し屋という生き物だった。

 

 

 

 

第01話 『死んだ人間が一番怖い』

 

 

 

 

「依頼完了か」

 

 暗殺者はそう呟く。

 彼はたった今、依頼された殺しを完了したところだった。

 内容は夫婦である二組の男と女を殺すこと。

 有り体にいえば色恋沙汰からの逆恨みであり、自分がたった今殺した夫婦は何の罪もないが、金を積まれて断る理由もない。

 故に暗殺者は淡々と任務を遂行し、わずか五分の間に悲鳴を出す暇さえ与えず標的を暗殺した。

 

 しかし暗殺者に訪れたのは達成感ではない。

 かと言って何も感じていない訳ではなかった。

 殺しの後の後味の悪さ、これを久しぶりに味わっていたのである。

 

 暗殺を依頼される人間というものは大抵どこかで恨みを買うような人種ばかりであり、この場合暗殺というのは因果報応の結末なのだが、先ほど殺害した二人はいたって善良だった。

 だが、それだけならば気にする事はない。

 暗殺は彼にとって仕事だ。

 目標が善人だったと一々悩んでいれば、それはキリがなくなってまう。

 

 しかし。

 今回彼らは最期に「念」を発動させていた。

 

 とは言っても「念」とは本来、死後に最も強まるもの。

 あまり知られてはいないが、念能力者でない人物だとしても、強い想いさえあれば「念」を残すというのは可能だ。

 尤も瀕死の状態に限る話ではあるが「精孔」が一時的に開き、所有者の気持ちを周囲に伝達するというのは、極稀なものの有り得ないというまでの現象ではない。

 裏に生きるプロフェッショナルとして、暗殺者は当然この情報を知っていた。

 

 冷静に言うのならば、暗殺者はそれを体験しただけなのだ。

 

 しかし強い想いというのは古来から人を突き動かすもので、暗殺者も例に漏れず、らしくないと自分で理解していながらもすぐに次の思考に切り替えるのを戸惑った。

 標的が最期に思ったことは、この家に唯一残される息子のことだ。

 

 強い人になってほしい。

 正しい人になってほしい。

 優しい人になってほしい。

 ……出来ることなら、最後までその成長を見守りたかった。

 

 

 胸糞悪い殺しだとは思う。

 暗殺者は暗殺者でしかなく、決して快楽殺人鬼ではない。

 ただそう思える良心よりも、仕事人としての冷徹さが圧倒的に勝る。

 

 唯一の救いは、依頼人が二人の間に子供ができていた事を知らなかった事かもしれない。

 わざわざ男の気持ちを汲んで殺してやる義理もないので、殺すのは依頼通り二人だけに留めた。が、知っていればあの依頼人はまだ赤ん坊と言えども容赦なく殺すよう指示していただろう。

 しかし……幼くして両親を失ったこの赤ん坊が、これから辛い道を歩んで行くこともまた事実である。

 

 そこまで考えて、暗殺者は思考を戻す。

 早く家に戻らなければならない。

 依頼人に連絡を取り、依頼料を指定した口座に振り込ませるまでが仕事だ。

 

 強い念に当てられたとはいえ、ここまで思いを馳せてしまったのは、暗殺者自身に同じように幼い子供がいるからだろうか。

 

 

 足音も立てずに暗殺者が夜の闇に紛れていった後、その一軒家には赤ん坊の寝息だけが小さく響いていた。

 

 

 

 ・

 

 

 

 この事実が誰かに知られる事はない。

 世界のどこかで起こった事件のひとつとして、ひっそりと幕を閉じるのみ。夫婦の苦しみは「神のみぞ知る」と言ったところか。

 どうしようもなく無情さを感じさせる結末だが、それが世の理なのかもしれない。

 

 しかし────この物語は悲劇では終わらない!

 

 たった一人遺された赤ん坊。

 その小さな体に「何か」が纏わりついていく。

 

 死人に口なし。

 だが、死者の念以上に恐ろしいものは存在しないのだ。


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