ここではないどこか。遠い未来。
人は正しく天の星や海の砂ほどにも増え、大地を、海を越えて、宙までその手の内に収めていた。星々を渡る大いなる船に、平行世界からもたらされる無限のエネルギー。かつてあった如何なる権力者、宗教、そして国家をも超える、それでいて決して終わらない繁栄。
にもかかわらず未だ人々は地球に焦がれ、そして完全な親離れは出来ずにいた。人類が誕生して、火をその手にし、そして救世主が生まれて既に数十万年が経っていたがそれでも母なる青い星はその輝きを失ってもなお清澄にそして優しく人々を包み込んでいた。
だから、人々が争いを始めたとき、それが決定的な終わりになるであろうということを誰も理解しなかったのは当然だったのだろう。
それは、決して自然な生まれではなかった。全ての生命がその原型を星に持つのに対して、彼女は人に設計された被造物であった。
悪鬼よりもなお白い血の通って無いような肌に、そのくせ星を映したような蒼い瞳。
彼女は父祖の持っているものを受け継ぎ、そして彼らの力を合わせたものと比してなお大きな力を持っていたが、その意味を理解しなかった。
ひたすらに上からの命令を聞きながら、敵をその背後にいる家族ごと焼き尽くす日々。
彼女はやがて星の呼び寄せた究極の悲鳴すら打倒し、勝利の栄光と英雄の称号をその手にすることになる。だが、その時正に星は戦禍によって死なんとし、そして赤錆に覆われた貧しい人々を収容する牢獄へと変貌していた。星から脱出する船の中で英雄は初めて自らの行動に疑念を抱いた。
人々をその手で殺めすぎたのではないか。そもそも、自分が剣を握らなければよかったのではないか。
少なくとも、もっと緩やかな星と人との決別はあったはずだ。
彼女はここに悔恨を抱いて初めて人になったのだ。
以来、英雄はその長い一生において一時もその悔恨を忘れることは無く、そして戦禍の匂いを自らに刻み続けた。
やがて彼女は終末のやり直しという願いをその心に抱いて、ある英雄の一側面として人理の円環へと組み込まれた。
その英雄の真名は―
「…夢か」
目が覚める。まだ、頭がはっきりしていないようだ。それでもキリエは軋む体を半ば無理やり動かし、上体を起こす。
「そもそも、ここはどこだぜ」
霊安室を思わせる薄暗い、コンクリートの壁に無機質な病院用ベッド。そして、なぜか洗面台とその上に鏡が置いてある。横を向くと、昨日殺し合ったばかりの青髪の青年がいる。
「ああ、そうか」
その顔を見てキリエは昨日の戦いとその顛末を思い出す。
「後で…いや、今考えなきゃな。色々と」
彼は縫われた腹と左肩、それから鈴原を見る。これから傷ついた体でかつての敵を身内に迎え入れて戦うことになるのだ。どのような形であれ、相手を理解することは必要だ。
「まずはセイバーと」
「おい、大丈夫か」
ドアが開け放たれる。そこには白亜の鎧に身を包み、盆の上に湯気立つカップを三つ並べたセイバーの姿があった。彼女はカップを近くに寝台の側の机に置いた後キリエに近づく。
「調子はどうだ?」
「まあまあかな」
とはいえ、キリエはさっき鏡を見て完全に血が抜けたかのような自らの顔を知っている。鈴原の顔色もあまりよくない。
セイバーはそれを見て何か思い出したらしい。
「確か面倒くさいからそっちでやれと言われたあれがあったんだ」
彼女は何もない盆の上をしげしげと見つめた後、慌てたようにポケットやら財布やらを手当たり次第にベッドの上に広げ始める。だが、残念なことに目的のものは見つからなかったらしい。
探すのを諦めた彼女は代わりに鷹のような瞳でキリエを睨み付け、肩を強く握りしめる。
「な、なんだぜ」
「お前、動くなよ」
鬼気迫る様子でつかまれて、身じろぎ一つできない。まさに蛇に睨まれた蛙である。そしてセイバーの右手がキリエの方へと延び…。
「体温は、多分問題ないだろう」
「へ?」
キリエの額にぴたりとついていた。話を聞くに、キリエが気絶した後雨が降っていたらしく、担ぎ込まれた後風邪や肺炎にかかっていないか検査が行われたとのこと。とはいえ、念には念を入れて、とのことで体温を計ったらしい。
「ところで、一つ言っていいか?」
今、キリエとセイバーはかなり密着した状況にある。となれば、気になることが出てくるわけで。
「言ってみろ」
キリエはやや躊躇う素振りを見せてから、口を開く。
「セイバーって、ヤニ臭いんだな」
次の瞬間キリエは五体が宙を舞っているのに気付き、そして何かにぶつかる感覚と可愛らしい悲鳴を聞いてまた闇へと戻っていった。
「おい、起きろ」
「なあ、マスターへの扱い酷くないか?」
僅か数十秒後、キリエは叩き起こされた。文句を言いながら起き上がると剣を持ったセイバーとその前に蒼いエプロンドレスの少女と何故か鈴原が正座させられていた。
「おい、これは…」
「知らん、俺に聞くな」
鈴原は反吐を吐くかのように言い捨てる。だが、そんなことはセイバーの眼中には入ってないらしい。
「お前の目的と名前を教えろ」
「…」
黙ったままの少女に更にセイバーは剣を突きつけ、少女の頬から一筋血が流れる。
「おい」
「…まあいいや。一回死んだくらい問題ないし」
「さっさと言え。マスターの手前、手加減しているということをゆめ、忘れるなよ」
その怒気を孕んだ声に、少女はニイィという擬音が聞こえてきそうなほどの笑みを浮かべる。無論、セイバーの顔はますます険しいものになるが、どうやら少女にはそれすら面白くてしょうがないらしい。彼女は自信たっぷりに自らの素性を明かす。
「私はアサシン。貴方のマスターを殺しに来たの」
空気を裂いて、剣が振り下ろされる。
「いや、待ってくれ」
セイバーの肩にキリエの腕がかかる。
「アサシンは確かに早晩戦うことになるのは確かだ。けど、ここで聞きたいことがあるんだ」
セイバーは露骨に嫌そうな顔をする。だが、手早く済ませろと言い、彼女はすぐに首を落とせるような体制のまま、一歩引きさがる。
「セイバーありがとう」
「それで、何かしら?」
アサシンは不敵な笑みを崩さない。
キリエは生唾を飲んでから話し出す。
「なぜ、このタイミングで来たんだ?」
「は?」
アサシンはなぜ戦うのかを問うたり、あるいはそれをやめるように請うような甘ったるい言葉が飛んでくるのだろうと思っていた。だから、それを聞いてまず驚き、そして自らの甘さをこそ痛感する。
キリエはその様子に何か確信を持ったらしく、更に問いを継ぐ。
「この工房はかなりの厳重さだ。それにも拘らず誰にも気づかれずに入り込める辺り、いつでも俺らを殺せたはずだ」
「…しかもこいつは鏡から出てきたらしい」
どこかで此方の気づかないところで接触があったのかもしれないが、それならなおさら殺しにこなかった理由がわからない。実際さっきも殺される可能性が高かったのだ。
「なんとなくよ。私は殺したいときに殺す。そういう存在なの」
アサシンは言葉に詰まったのか、彼女の主の前では決して言わない言葉を口に出す。
だが、それは墓穴を掘る行為であった。
「お前は殺人快楽者ということか?」
「…そうね」
アサシンはやや間を開けて話す。鈴原はその回答に対してニヤリと笑う。
「なら、俺を殺してないのは変だな」
「それは…」
「無理しなくていいさ。お前は殺しに慣れてない匂いがする」
ニヤリと笑う鈴原に、アサシンは目を見開く。
「違う、私は…」
「なら、やってみろよ」
そのままアサシンの方へと胸を突き出す。
「ちょっと、鈴原さん。それは」
鈴原は後ろのキリエを忌々し気に睨む。
「お前なんかと一緒にいるくらいなら行き先が例え地獄であったとしても阿弖流為に会える可能性がある分、死んだほうがマシさ」
更にアサシンの方へと一歩踏み出す。アサシンは顔を強張らせていたが、無理やり笑顔を浮かべ、歯を鈴原に向ける。
「ねえ、貴方」
「なんだよ」
「私は甘いかもしれない。けど、貴方は愚かすぎるわ」
いつの間にかアサシンの手には剣状の炎が握られ、鈴原へと突き出される。
「馬鹿野郎!」
叫び声と共に鈴原は足元に強い衝撃を覚え、同時にセイバーの剣が振り下ろされるのをゆっくりと見た。
彼の目の前にアサシンの首がゴロリと転がり、赤い池が広がる。
「...なぜ、俺を助けた」
鈴原は上に覆いかぶさっているキリエに問いかける。だが、キリエは答えることは無い。
「阿弖流為とキリエに殺すなと言われてるからな。まあ、どうしようもなくなったら殺すが」
セイバーは冷たい視線で鈴原を見下す。
「…そうかよ」
幸い傷口は開いてないらしい。差し出されたキリエの手を一瞬見やるが、結局無視して立ち上がる。
「俺を恨むのは当然だしさ、俺自身やってることに矛盾もある。けど、それでも貴方を殺さなくて済んでよかったと思っているし、貴方を今でも殺したくない」
「…!お前に何がわかる」
「おい待て」
鈴原はキリエを締め上げようとするが怪我ゆえに力が入らず、セイバーによっていとも容易く引きはがされ羽交い絞めにされる。
「セイバー、やめてくれ」
「だが」
「少し、テキトーなことを口走ってしまった。だけど鈴原さん、覚えていてくれ。さっき言ったことは本心で一片の嘘偽りはない」
「…」
鈴原は顔を背け、血の混じった唾を床へと吐き捨てようとする。
そのふてぶてしい顔が恐怖と驚愕に凍り付く。
「おい。お前、離せ」
「また変なことをする気か?」
「いや、それどころじゃない」
鈴原は事情を話そうと口を開くが、出てくるのは声にならない音と僅かな息だけだ。
「そりゃそうよね」
さっき消えたはずの声。その場にいる全員が一斉にそちらを見る。
「驚いた?」
切り落とされた頭とそこから朗々と発せられる不釣り合いなほどにこやかな声。そして彼女は未だ血の滴る、しかし笑顔を浮かべた頭を胸に抱える。
「どういう芸かわからんが、金を稼ぐには物騒すぎるな」
「そうかしら?首吊りでお金を稼ぐ人もいるんだし、これくらいはいいんじゃない」
戦闘続行を持つにしても、殆どあり得ないような光景。かのアサシン教団の初代教主ならこうした芸当も可能かもしれないが、目の前の少女にそれが出来るとは思えない。そもそも、首を切られて平然と動ける時点で戦闘続行の域を完全に出ている。
人の身、いや怪物にしてもあまりにも異形。
「今回は負けを認めてあげるわ。だから、今日はここまでね」
「それを言わなければお前の勝ちだったのに」
セイバーはキリエと鈴原をかばいつつも、目の前の鏡を割る。
「ここまで砕けてはお前が出入りできる隙間はない」
アサシンは憎々し気にセイバーを見つめると、ドアへと突撃する。
「追うぞ。あの状況ではどのみち長くあるまいが…」
「ああ」
彼らが不安を飲んで部屋を出て廊下に出ると、廊下の奥の方で鍵が閉まる音が聞こえた。
「…キリエ。離れていろ」
セイバーは右手に力を込める。場合によっては中の人間も巻き込む可能性があるが、アレはここで禍根を絶っておかないと災厄を齎す。キリエもやや気まずげだが、同意してその場から後ずさる。
だが、そこに待ったがかかる。
「ちょっと待てよ」
突如として鈴原の声がかかる。
「お前も離れておけ」
だが、彼は臆することなくセイバーとドアの前に立つ。
「ここで何も考えずに突入したら、不意打ちを食らって死ぬ可能性が高い。だから、援護を呼ばせてもらった」
鈴原は後ろから走ってくる白衣の医師と黒いジャケットに身を包んだ護衛達と共にさらに前に出る。
「お前はこっちだ」
セイバーから肩を掴まれ、強引に後ろへと追いやられる。
「開けますよ」
「…ああ、頼むぜ」
キリエはセイバーを傷つけずに一般人を盾にする矛盾に対する吐き気に耐えながら、護衛達の後ろに立つ。
「そういえば、ここは誰の部屋なんだぜ?」
「恐山と天枯…。俺が魂喰いを命じた奴らだ」
鈴原は顔を背ける。何でも一人は正義感に満ちた元警官、もう一人はピアニストらしく、鈴原に捕まった時も厳しくしかし優しく彼を諭していたらしい。
「何故、貴方は彼らを殺そうとしたんだ?」
キリエは彼の言葉に違和感を覚える。なんというか、鈴原の言葉は殺そうとしていた人間にかけるような類の物ではないように感じられたからだ。鈴原はそれを聞いて顔を苦しげに歪める。
「言っとくが、阿弖流為は最期まで彼らを食うのに反対していたし、あの二人も奴とはなんだかんだよく話してたぞ」
「じゃあ、ならなぜ」
「開きました」
「…ここまでだな」
ドアの開錠が住んだらしい。
扉が開くと同時に淀んだ鉄臭い冷気が廊下へと流れだす。
「覚悟決めろ」
「ああ」
ごくり、と唾を飲み込み、足を一歩踏み入れる。
まずに目に入ったのは、散乱したシーツと何も反応がない点滴と心拍計。そして…。
「魂喰いか」
誰かが冷静に口を開く。だが、そんなものはキリエには関係ない。
きっと、生きているだろうと心の隅っこで信じていた。
だけれど、実際に目に入ってきたのはそれぞれ胸と腹をえぐられ、苦悶の表情で壁に寄りかかって死んだ恐山と天枯の姿だった。
「…すまなかった」
キリエは気づくと、トイレでセイバーに背中をさすられながら吐いていた。
「かっこ悪いとこを見せちゃったな」
「此方こそ、無理をさせすぎた。申し訳ない」
彼は口をゆすぎ、おぼつかない足取りながら立ち上がる。
「こんな状況があったばかりだが、志村と話さなければならない。ついてこれるか?」
「お前がついてこい」
返事をする代わりにセイバーより先にトイレを出て応接間に向かう。
応接間では護衛に守られた志村と鈴原が対面して座っていた。
「…ほらよ」
鈴原は水の入ったコップを机の上を滑らせてキリエに渡す。
「ありがとな」
鈴原は何も言わない。だが、キリエは少し口の酸っぱい臭いが消えた気がした。
「ところで、そろそろいいですか?」
「アッハイ」
志村の痺れを切らしたような声で現実に戻される。事が事だけにかなり焦っているらしい。
「大体のことは監視カメラの記録などからわかっています。対策と我々からの要求ですが」
「出ていけばいいのか?」
その言葉に志村は頷く。標的がずっと基地に居続けるのはまずいし、現実として被害も出ている。志村がよくても厳しい処置をとらなければ申し訳が立たない。
「ただ、こちらとしては同盟は継続したいのです」
「それもいいぜ」
願ったり叶ったりだ。キリエは携帯電話番号を交換する。
「ありがとうございます」
「それでは皆様の基地までお送り…」
「その点なんだが、一つお願いしていいか?」
セイバーが待ったをかける。
「サイドカー付きのバイクを貸し出してくれないか?」
「それは、それは…また、どうして?」
志村は驚愕したように、しかしどこか面白そうに尋ねる。
「再度アサシンが襲撃してきた場合にその場をすぐ逃げるための足が必要だからな」
「それで、こちらに対価は何かありますか?」
なんでもそうだが、ビジネスマンである以上対価なしに何かを貸し与えたり、ましてや何かをあげるというのは愚の骨頂である。しかも今回、ランサー陣営はそれなりの打撃を被っているのだが、それなりに高い代物が必要になってくるだろう。
「鈴原さんとセイバーは何かあるか?」
二人とも沈黙する。まあ、これはわかり切っていたことだ。
「うーん、あまりやりたくないんだけど」
そう言いつつも、キリエは志村の部下から紙と万年筆を受け取って、紙片の上に見慣れない文字を滑らす。
「オガム文字を利用した魔術だぜ。効きは少し遅いから戦闘にはあまり役に立たないけど…」
とはいえ伝承によればクー・フーリンや恐らくはフィン・マックールも使用した魔術。攻撃、補助それから回復など使える範囲は広い。その効果はお墨付きであろう。
「いいのですか?」
「伝承科の史料で聞きかじった程度のものだからな。まあ、そこまで問題はないと思うぜ」
それでもかの人形師が復興したルーン魔術などに比べてオガム文字は史料の少なさも相まって未だ研究が進んでないように思われる。なら、十分に使用することが出来るだろう。
「これならばいいでしょう。外に物を用意させるので少々お待ちを」
そう言って、彼は一旦部屋を出る。
果たして十分後、地上には白を基調として青の差し色が入ったオフロードバイクとサイドカーがあった。
「流石にサーヴァント向けに改造はしてないので、お気に召すといいのですが」
「悪くない」
セイバーは鈴原とキリエをサイドカーに押し込め、サドルにまたがる。
「こちらもアサシンを見つけたら連絡しますし、討伐には協力します。どうか御武運を」
「そちらもな」
案の定、セイバーは蒼い光を放出しながらバイクに火を入れる。
「あ、吐きそ」
「お前、絶対吐くなよ!」
猛烈な風と揺れの中、キリエは吐き気に耐えるためアサシンについて考えをめぐらす。
当然、考えがまとまることは無いのだが、それでも彼には一つの確信があった。
きっと、今の同盟を組んでいる状況なら最悪の事態は避けられるし、何とかなるだろうと。
確かにそれは正しい。だが、一つ問題だったのは、彼の考える"最悪の事態"はいつ、また誰に降りかかるか予想のできない代物だったということだ。
キリエはギリシャ系イギリス人なのですが、ギリシャの魔術はかなり研究されてそうなイメージやルーンは某蒼崎姉の功績もあってかなり掘りつくされている感じがします。
なので、今のところ公式から言及のないオガム文字の魔術をあまり手のついてない分野として出してみることにしてみました。公式から声明が出た場合修正するかと思います。