魔術師と一般人は基本的に別々の世界に住んでいる。とはいえ、時として境界線は乱れ、多くの場合一般人はかなりの被害を被ることになる。
崩れかけた倉庫の中で銃の手入れをしている、小野帯磁もそうした人間のうちの一人だった。彼は第四次聖杯戦争を目撃し、家族は戦闘に巻き込まれて死んだ。無論、彼は周囲の人間に掛け合ったが、誰にも相手にされず、直後に大震災が来て全てうやむやになってしまった。
以来、彼は殆ど一切の人との関係を断ち、復讐を実行する日を待っていた。そして、今日がまさにその日である。如何な魔術師と言えど―流石に本体を虫や人形に移しているような化け物はともかくとして―一発で殺せるような自信がある。
「ふふ」
魔術師の体から血と内臓が飛び散り、驚愕と苦悶に満ちて息絶えるさまを想像して思わず笑みがこぼれる。
だからだろう。
後ろから這いよる存在に気付かなかったのは。
「やあ、こんにちは」
小野は驚愕し、反射的に撃鉄を引く。だが、弾丸は大幅に外れた気道を描き、空虚な音を鳴らすだけである。
「危ないじゃないか。僕は少し話をしたいだけなのに。…ああ、言っておくと僕は魔術師じゃないよ」
その黒い服に身を包んだ眼鏡の白人男性は、しかしただただ冷たい笑みを浮かべているだけである。小野は、しかし今度はきちんと狙いを定めてもう一度撃鉄を引く。ここで一人死人が増えたところで問題ないだろう。こんなところにいるなんて、どのみち碌な人間ではない。
「全く…人の話は聞いてほしいんだけどねえ」
確かに当たった感覚を覚える。だが、彼の体には風穴一つ空いていなかった。
「…お前何者だ?」
「名前なら、ナイ、ナイ神父と呼んでくれ。で、僕が死なない理由ならこれさ」
彼は胸を開いて、防弾ベストを見せる。。
「さて、もう一度質問だ。話をしないかい?頭を狙って撃ってもいいけど、その時はこっちもそれなりに本気を出すことになるかな」
相変わらず冷笑を浮かべているだけの男。だが、小野はそれに奇妙な威圧感を覚える。ここはひとまずは話を聞いた方がいいだろう。
男は煙龍と書かれた煙草を胸ポケットから取り出し、一服する。
「ああ、まずいな…。君も一本どうだい?」
「さっさと用件を言ってくれないか?」
小野は苛立ったように話す。
「いやね、職業柄悩んでいる人を見ると放っておけなくてね。どうだい、少し話してみてくれないか?」
「答える義理はないな」
「へえ、そうかい?君は誰かへの激しい殺意を抱いているように見えるね」
あっさりと、心の中を見透かされて小野はさらに顔を歪める。
「僕は別にここで命を大事にしろとは言わない。なんたって、ここは教会公認の殺し合いの場だからね。寧ろ、君に暗殺のタイミングを教えに来たのさ」
「…言ってみろ」
「今日の夜、多分八時くらいかな?マスターたちが神宮に集まるらしいんだ」
「それで?」
「彼らはそこでは多分戦闘をしない、というか戦闘が起きることすら想定していない」
つまり、殆ど心情的には無防備になるということだ。それは魔術を使えない小野からしたら千載一遇のタイミングだが。
どうにも信用できる要素がない。
「証拠なら、ほら」
彼はレコーダーを取り出し、再生する。
『…皆様、アサシンが魂喰いをしました。至急、使い魔を送るのではなく、ご自身で出頭ください。繰り返します。アサシンが―』
小野は知る由もないが、これは確かにルーラーの声だ。
「ま、これで信用されなかったらどうしようないね」
「…」
信用できる要素は確かに薄い。だが、同時に嘘だと断定できる材料はないのだ。
ならば、一つ乗ってみるのも一興か。どうせ、彼らの内何人かは勝手に食い合って死ぬ。
「そちらの思惑が何かはわからないが…。感謝する。これは、報酬だ」
小野はナイに向かって札束を投げる。
「聖職者だから、あまりこういうのは受け取りたくないんだけどね」
「後から突然、対価を払えと言われても困るからな。あばよ」
そのまま小野は神宮を目指して歩いていく。
それをナイと名乗った男はまるで玩具を見るかのように面白げに眺める。
「あの男はどう動くかね」
「君はシャイだなあ。我が事ながら、心配になるよ」
「ほっとけ」
ナイは物陰からぬるりと出てきた顔のないスフィンクスに軽口をたたく。当然ながら、スフィンクスは無貌、何を考えているかは窺い知れない。
「お粗末な気もするけど、これが導火線になるんじゃないかな?今までは戦争だというのに平和すぎた」
「同意する」
ナイはくつくつと笑う。
「さて、そろそろ行こうか。前回とどれだけ変わっているかが楽しみだ」
「手抜かりないよう、にな」
話す言葉は確実に理解できるはずだ。にも拘らず、まるで彼らの言葉は異界の言語のように聞こえる。
「全ては掌の内に…」
彼はそう言って、何もないはずの手をのぞき込んでニヤリと笑った。
星も月もない夜闇の中、巨大な神社を目の前にして、アリスは手の上を見つめる。視線の先にはライダーから渡されたばかりの黒いハンドガンがある。
「私には扱いきれる代物じゃないわね」
彼女に戦闘技術はなく、当然銃なんて使ったことは一度もない。そもそも、戦闘の主軸はサーヴァント。ならば、マスターはあまり表に出すぎてはいけないだろう。
それゆえか、彼女はどこでそれを取り出してよく、逆に取り出してはいけないかなどを考えたことは無かった。彼女は突如として、銃を神宮の方に向けて真っ直ぐに構えてみる。
「バキューン」
無論引き金は降ろさない。口だけだ。
アリスはどこか期待の混じった瞳をバーサーカーへとむける。
「…」
彼は目を背け、アリスは舌打ちをする。
「さっさと行くわよ」
アリスは銃をすっとおろしかける。
百、いやもしかすると数十メートル先かもしれない。とにかく夜闇と崩れた廃墟に遮られて見えないが、突如として乾いた銃声が響く。
当然彼女が聞いたことが無いような音。そして、彼女が今まで決して遭遇したことのなかった状況。
撃鉄はいともたやすく引かれる。
まずいことになったとアリスが理解するまで数秒とかからなかった。
黒い車が三台走っている。
志村とその傭兵たちだ。
「面倒ごとは起きるものだ」
これはビジネスマンとしての顔を持つ志村としても当然の話だ。そして、彼は事態がどう転ぼうと上手く対処できる自身もそれを裏付ける経験を持っている。
「だが、今日はどうにも悪い予感がする」
月並みな言い方だが、本当に胸騒ぎがしてならないのだ。
これにはいくつか理由がある。
一つはルーラーの招集それ自体。本来なら使い魔を送る程度でいいはずなのに、わざわざマスターを呼び出すとは異常事態だ。
二つ目は昼のアサシンによる襲撃。誰も死ななかったとはいえ、まさかあれほど防備を固めた工房に直接殴り込みをかけられるとは思わなかった。
さらに、昼から何人かとの傭兵との連絡が途絶えているのもまずい。
そして、最も重要な理由。直感である。馬鹿にされるかもしれないが、彼はこれを信じていた。時として直感が理屈を超越することもあるのだ。
それゆえ、今日はいつも以上に厳重な警備をつけて移動しているのだが…。
「本当にこれで大丈夫か…?」
「こっちまで不安になるようなことを言わないでくださいよ」
護衛に諭されてしまう。とはいえ、彼等も不吉なものを感じているということだろうか。
「とはいえ、あと少しで神宮ですよ。中に入れば、流石に戦闘や闇討ちが起きる可能性は少ないでしょう!」
別の護衛が明るい声を張り上げる。
「そうだな。そうだ、これだけ心強い仲間がいれば襲われることは無いだろう」
「志村さん。それはフラグっていうんですよ」
どっと笑いが起きる。
もしかすると、少しナーヴァスになりすぎていたのかもしれない。誰もがそう考えた。
「さて、そろそろ時間だ。行こうか」
「そうですね。行きましょう」
車は順調に走り続ける、はずだった。
ガラスが割れ、車が近くの壁へと突っ込む。幸いにして死者はいないが、割れたガラスの破片で何人かひどい傷を負っている。
「何者だ!」
銃声のした方を見ると、赤い少女を抱えた黒い疾風が逃げていくのが見えた。
やることは一つだ。
「追え」
今夜は長い夜になりそうだ。
アリスは焦っていた。さっきから降ってくる大小さまざまの鉄の雨。未だに怪我をしていないのが不思議なくらいだ。
「ま、全然状況はよくないんだけど」
志村の護衛は撒けても、ランサーの目がある限りどこまでも攻撃の手はやむことは無いだろう。どうにか安全なところに逃げ込みたいが…。
「安全な拠点…。いえ、無理ね。ランサーの砲撃で一発ね」
そこから何とか脱出しても、相手はこちらを殺すまで追撃の手を決して緩めないだろう。詰まるところ、ほとんど詰んでいるのだ。
だが、それでも。
「こんなところで死ぬわけにはいかないのよ」
彼女は自分は勝って当然と考えている節がある。いや、それはもはや確信に近い。
「…ライダー。虚偽と虚飾にまみれし、魔術師…なれど、協力が、必要」
「信じるわよ、バーサーカー」
彼女は振動と鞭打つような風の中、携帯を取り出す。
「もしもし!?」
「その声は…アリスだっけ?」
眠たげな声のアカツキ。
「話している暇はないわ。今ランサー陣営に追われていて、逃げ場所が欲しいの。そっちに入れて」
しばしの沈黙。電話の向こうからは何か小さい話声が聞こえるが無駄話をしている暇があったら、さっさとこちらの方に答えてほしい。
「わかった。受け入れる。トヨタの車に乗った人たちがいるから、それ目印にして」
「恩に着るわ」
電話を切る。
「バーサーカー、後どれくらい?」
「…不明。なれど、後、少し…」
本来なら護衛達は既に振り切っていてもおかしくないのだが、彼らは未だに食い下がってくる。理由は簡単、夜で暗く、さらに倒壊したビルなどに阻まれ動くことが難しいからだ。その点護衛達はこうした状況に適応している。万が一の可能性だが、護衛に追いつかれる可能性もある。
とはいえ、後少しというのは安心できる材料だ。
事実、アカツキの言った通り、トヨタのトラックに乗った少年兵たちとその側の吉川が見える。
「こっちです!」
吉川はすぐさまバーサーカーとアリスの手を取り、工房の中へと連れ込む。
「アカツキさん!」
吉川とアリスは緊張した面持ちでアカツキを見つめる。
「大丈夫、何とかする」
そう言ってアカツキは無理やりながらも、笑顔で応えた。
「諸君らは私たちの行く手を阻むのかね?」
志村は出来るだけ威厳を持って目の前の少年兵たちへと話しかける。
「出来ることならば、そこをどいて君らが匿っていると思しき赤い服の少女と鎖の男を引き渡してくれないか?」
「今のボスから通すなと言われているんだけど」
ここまでは想定通りだ。だが、ここからは別。
「引き渡さないなら、諸君らの工房は土地ごと焦土へと化すだろう」
半分はったりである。確かにランサーは比較的魔力消費が少ないサーヴァントとはいえ、志村自身の魔力供給は潤沢とは言えない。しかも、あれだけ砲撃を行わせていてはなおさらだ。
「悪いけど、やっぱり無理だ」
「そうか。それは残念だ」
もう半分は本気である。流石に完全に魔力を枯渇させるほど志村は馬鹿ではない。ここを焦土にはできないまでも、皆殺しにするだけの余力はある。
「本当に、残念だ」
志村はランサーに砲撃準備を出す。
だが、彼の指令はランサーには届かない。
志村のそばの車のガラスが割れる。
志村の護衛はすぐに円陣を組み銃弾が飛んできた方へと反撃を行うが、それと同時にやはり別の方向から銃弾が飛び、今度は車のタイヤが破裂する。
「これは警告だよ。地の利はこちらにあるし、その気になれば君らを皆殺しに出来る」
張り詰めた声が冬の冷えた空気に響き渡る。
こちらは恐らく死ぬが、相手も確実に死ぬ。
「甘いな。我々は引いて、改めてランサーにここを狙わせることが出来る」
「…」
これしきで引き下がるほど志村は諦めはよくない。声の反応からすると、明らかに詰まっているようだ。
「どうする」
どう転がっても、志村にとっては悪い展開にはならない。引き渡してくれれば万々歳、引き渡されなくとも工房を潰せる。
しばらく、少年兵たちは話していたが、どうやら話が固まったらしい。
「俺らの副官から伝達」
「…」
「そちらの話は受けない。ここで皆殺しにする、だってさ」
皆殺し?それをやったらどうなるかわかり切っているだろうに。志村は何も言わず、パンクした車から、一つ後ろに在った車へと乗り換える。時間にしてわずかに十数秒。銃弾は飛んでくるが、所詮は少年兵、流石に暗闇の中を動く相手に命中させる技量はないようだ。
こちらの勝ちだ。
「虚偽、霊媒、魔術…裁かれねばならない」
目の前に突如として顕れた鎖を五体に巻いた黒髪の男。
「バーサーカー…!」
自らの浅慮を後悔する暇もなく、狂戦士は咆哮を上げ、志村の乗っている車へと向かってくる。
無論、護衛達も黙ってみているわけではない。すぐさま狂戦士へとその銃口を向ける。
しかしそれは所詮針の刀で魔人に挑むようなもの。
鎖が煌めき、護衛の一人の上半身が血煙と化す。狂っている故に技量も何もないが、しかしその膂力は相手を蹂躙するに足るものである。
足が千切れ。
腰が砕け。
胸を貫かれ。
腕が消え。
そして首が飛ぶ。
僅かに喜べることがあるといえば、少年兵たちの援護射撃が飛んでこないことだろうか。流石に混戦状態でぶっ放すのはまずいと理解しているらしい。だから、車は奇跡的に無傷だから、タイミングさえ合えば逃走はすぐにできる。
当然、それは目の前の荒れ狂う暴虐と後ろに控える少年兵たちをどうにかするという条件が課せられているわけだが。
「…まさか、奪ったものをここで使うことになろうとはな」
志村は昨日から一画増えた、右手の赤い紋様を睨み付け、深呼吸をする。
「令呪を持って命じる。ランサー、バーサーカーを排除しろ」
『ショウチシタ』
スマートフォンから短く響く声と外に響く轟音を確認する。
「車を出せ」
「え、でも…」
護衛は志村の蛮勇とも取れる要求に顔を濁らせる。確かにバーサーカーはランサーによって引き付けられているが、しかしともすれば逆にこちらが流れ弾によって潰れかねない。
「お前らはランサーの技術を信用できないのか?」
志村は護衛の懸念に笑いで返す。
「…承知しました」
アクセルを踏む。
だが、それを見逃すほどバーサーカーは狂気に侵され切ってはいなかった。
「マ、ジュツ、シィイイイ!!!」
もはや声とも咆哮ともつかぬ言葉を発しながら、未だエンジンの入りきらない志村たちへと出る。
「…!」
護衛は目を見開く。
彼の首元に暴虐たる死が舞い降りたからではない。
目の前が光に包まれ、わずかな光芒の隙間から狂戦士が吹き飛ばされるのを見たからだ。
「逃げるぞ」
コンクリートと鉄と、それから血の混じった埃が飛び散る中、志村たちは工房に向かって逃走を始める。
小野は引き金を引いた時、失敗したと思った。標的を目の前にして昂っていたとはいえ、あれほど護衛の多い相手に喧嘩を売ったら逃走はままならない。正直なところ、死を覚悟したものだ。
だが、すぐ近くでもう一つの銃声が聞こえ、足音はそちらへ向かっていった。どうやら、助かったらしい。音が遠ざかるのを確認してからすぐに移動を開始する。
「これはついてるな」
誰も殺すことはできなかったものの、あれだけの大騒ぎだ。確実に人死には出るに違いない。上手くいけば相討ちも狙えるだろう。小野は自らが逃走中のみであるということも忘れて思わず笑みを浮かべる。胡散臭いが、あの男を今度もまた利用させてもらうこととしよう。彼はそんな、現状から乖離した夢想にふけっていた。
だから、小野がまた目の前の異常に直前まで気づかなかったのも無理はない。
かつては華やかに街を飾っていたであろう、服飾店のひび割れたショウ・ウインドウの前。何かがうずくまっていた。
本来ならば、彼はその人間を問答無用で撃ち殺す所だが今回に限っては違った。なぜなら、うずくまっている人間が子供だったからだ。
丁度疲れていたから、と誰に言い聞かせるでもなく小野は傷つき、俯いている子供に近づく。
「おい、大丈夫か?」
声をかける。事情は知らないが、生きているなら夜が明けるまで一緒にいてやってもいい。死んでいるならば、簡単に弔ってやろう。
「ねえ、貴方は優しい大人?」
「は」
突然の問い。どういうことだろう。彼は確かに目の前の少女を気にはかけているが、しかし本質は復讐に身をやつす家族を失った男だ。とてもではないが自らを善人ではないといえないだろう。少女がこれから話すことを理解できるかどうか疑問に思いつつも、口を開きかける。
「まあ、いいや。どうせ貴方も碌な人間じゃないし」
小野の腹に巨大な鋏が突き刺さっていた。
訳が、分からない。
「そんな顔してる。でも、いいわ。あの子に免じて一撃で済ませてあげるわ」
喉に鉄臭い何かがこみ上げてくる。だが、小野は何が起きたか、またなぜそれが起きたかという理由を理解することなく、何かが引き抜かれる感覚と共に彼の意識は落ちた。
アリスは生き延びた。バーサーカーとアカツキたちがランサー陣営をひきつけている間に夜闇に乗じて逆方向に逃げたのだ。吉川が護衛をつけようかと提案してきたが、しかしあまり人数が多いと見つかる可能性が高まる。なので、彼女は今一人である。
「一人でも戦うけどね」
バーサーカーは脱落しているかもしれない。だが、それは戦いをやめる理由にはならない。改めてアカツキたちのところに戻るか、それともいけ好かないがキャスターのところに身を寄せさせてもらうか。いずれにせよ、今すぐにも動き出すべきだろう。
「とはいえ、流石に戦況は厳しい、か」
アリスは確かに最終的な自らの勝利を確信しているが、だからと言って今の状況を楽観視できるほど頭は悪くない。むしろ、楽観も悲観もせず、ただ冷徹に状況を見極めることが出来るから上記の確信を抱くことが出来るのかもしれない。それだけに、彼女はバーサーカーが今いない事の重大さを身に沁みてわかっていた。
「一緒にいたのは五日間にも満たなかったけど…。もっと上手に扱えばよかった」
その言葉が愁いで湿っているように感じられたのは、きっと気のせいではない。彼女は未だキャップを開けてないペットボトルと三枚入りのバニラクッキーをアカツキたちの工房の方を向いて、地面に置く。
「さて、行きますか」
アリスは目を瞑り、顔を叩き、自らを鼓舞するかのように立ち上がる。彼女は歩きだす。
「待て」
どこか、聞き覚えのある青年の声。もう、聞くことがないと思っていた声。
「…バーサーカー」
そこには埃と血で汚れ、傷だらけの狂戦士が立っていた。彼はアリスの姿を確認すると、疲れ切ったようにその場に倒れ込む。
「てっきり、死んだかと思ってたわ」
アリスは思わず憎まれ口を叩くが、彼女の口角はわずかとはいえ上がっている。バーサーカーはそれに何も答えない。だが、アリスは今ばかりはそれでいいと思う。
「あんたの体力回復にはつながらないけど、そこの水とクッキーを食べなさい」
「…」
「食べ終えたら、すぐに出発するわよ」
アリスはバーサーカーの隣に座る。
正直なところ、これでも未だ前途多難だ。けれども、問題はない。
生きてさえいれば、未来はやってくるのだから。
かつての国会議事堂前。志村たちの乗った車は止まる。
しばらく、背後から怒声や銃声が聞こえていたが、東の空が白み始めるころにそれも鳴りやんだ。
「とはいえ、今日明日は戦闘をするのは無理だな。疲労もひどいし、なにより護衛のほとんどがやられた」
今日連れて行った護衛は21人いた。そのうち無事が確認できているのは同乗した5人だけだ。他の人間の生存は絶望的だろう。
「これから、どうしますか?」
「とりあえずは体勢を立て直す。今はそれで十分だろう」
確かにこちらは手ひどい傷を負わされたが、しかし未だに制空権はこちらの手にある。そして、人的にも工房に残した護衛達がまだ多数いる。つまるところ、志村は戦略的にはまだ他陣営と比べて遥かに優位に立っていると考えていた。
無論、状況が落ち着いたらやるべきことは多い。得体の知れないアサシンの奇襲。恐らくは多数の人員を動員することになるであろうライダー陣営との再戦。そして、霊体化したのかもしれないが、突如として裏から回り込んできたバーサーカーへの対策。少なくとも三陣営への対策は考えなければなるまい。
だが、上に上げたことよりその前に。
「償いようもなく、また謝って済むことではないが、私は君らにそれでも謝らなければならない。申し訳ない」
志村は深々と頭を下げる。護衛達はやめてくれ、と口々に言うのを彼は手で制する。
「今回の敗北は偏に私が状況を確認しないで突撃を命じたからだ。しかも、アヴェンジャーの戦いと違って、多くの死から我々は何も得ることが出来なかった」
彼は心底悔恨の混じった声で訥々と話す。無論、彼は上辺だけの謝罪を心からのものに見せる術も心得ている。だが、今の謝罪は本物だ。
「許せとは言わない、いや言えない。ただ、もう一度チャンスをくれないか?」
護衛の多くは志村の勝利に浴することを目的にこの戦争に参加している。だから、彼が負けると考えれば、離れていってしまうだろう。けれど、志村は今彼らの力を手放すわけにはいかない。
護衛は呆気にとられたような顔で志村を見ていたが、やがて口を開く。
「言っちゃなんですけど、みんな死ぬのを覚悟して来ています。だから、それは謝罪に当たりません」
「それに、死んでも報酬が出るから僕らはこの仕事をしているんです」
笑うには黒すぎるジョーク。だが、その言葉で少し楽になった気がした。
「だからそんな顔をせずに、いつも通り傲岸に、傲慢に指示を出してください」
「ああ、そうか」
らしくなかったな。代わりに口に出すべきは―
「戦争だ。『プレイス・オヴ・ネゴシエーション』に乗り込むぞ」
「みなさーん、その資材をこっちに。それから、その鋼材を立てかけて…」
吉川が少年兵たちに工房復旧のために指示を出すのをアカツキはぼんやりと眺めていた。確かにランサーは撃退した。だが、アカツキたちは地下にいたから助かったものの、流れ弾やら何やらで吉川の工房の半分ほどが崩壊した。そして、意図的に目を背けていたが、少年兵たちのかなりの部分は死んだ。
「これでよかったのかな」
誰にも聞かれるでもなく、言葉がこぼれる。ライダーから少年兵たちを指示するように言われて、実際にやってみたが失敗だったように思う。そもそもバーサーカーを受け入れずにそのままランサーに差し出していればここまで被害は広がらなかったのではないか。そんな後悔もある。
ガラスの破片を踏みしめる音が聞こえる。
「おや、まあこれはこれは…。かなり大変なことになってますね」
「何やってたんだよ、ライダー!」
ライダーは埃を払う。
「昨日言ったじゃないですか。協力者を連れてくるって」
「いないじゃないですか」
ひょっこり吉川が顔を出す。
「一緒に来たはいいんですけど、昨日なんかドンパチやってたじゃないですか。そのせいではぐれちゃって…。探してたら朝になってた、とそんな感じです」
この調子だとどっかで死んでるかもしれませんねえ、と嘯くライダーに人手が欲しいのに困りましたね、とずれた回答をする吉川。
「ところで、実際に彼らを指揮してみた感想はどうですか?」
ライダーは眼鏡をふきながら話しかける。
口が重いが、仕方ない。
「あまり言いたくないけど、やっぱ俺にはこういうのは向いてないよ」
「なぜ?」
「最初の選択をミスした気がする。結果として、工房は壊れたし…」
「少年兵を多く死なせてしまったから。でも、それは間違っていると断言しましょう」
その言葉にアカツキは目を丸くする。
「残念なことに少年兵たちは安く、すぐに補充できるモノです。だから、悔やむだけ無駄と言っておきましょう」
ライダーは首を振りながら悲しそうな顔をする。
「それは少しひどくありませんか?」
「おや、貴女は魔術師なのにずいぶん良心的なことを言うのですね」
「魔術師の前に人として当然のことを言っているだけです」
ライダーはやはり目の前の少女は魔術師としては失格だと思う。もっと、自分のように冷酷で残酷でなければならないはずだ。そして一しきり苦笑した後、コホンと咳をつく。
「そもそも私も彼らも本質的には死人です。だから、あるべきものがあるところに帰っただけのことなのです」
「そもそもさ、今回の顛末をライダーはどう思ってるの。ハッキリ言ってよ」
アカツキはそれでも割り切れるものではない。だから、無理やり話を変える。
「突発的な状況に対してとりあえずであっても判断を下し、人員に指示を出し、そして相手の撃退に成功した。まあ、仔細は色々検証する必要はあるでしょうが、初心者にしては上出来じゃないでしょうか」
「やりましたね、アカツキさん!」
「なんで吉川さんが喜んでるの」
とはいえ、とりあえずライダーからの課題を最高得点で達成したのだ。嬉しくないはずがない。
「マスター、いやアカツキ」
「なんだい、かしこまって」
「今から、貴方を我々の指揮官と認めます。どうか、指示を」
即ち、真にマスターと認められたということ。その言葉は有り難くも、非常に重いものである。
「…何か、失敗しそうになったら言ってね」
「もちろん」
「私も忌憚ない意見をどしどし言わせてもらいますよ」
「いや、吉川さんのは要らない」
何でですか、と膨れる吉川を見つつ、しかしアカツキは彼女を副官として認めていた。
「さて、雑談はここまでにしましょうか。そろそろ一日を始めましょう」
「ああ、そうだね。じゃあ、ライダー。今後の方針について―」
ライダー陣営の新しい一日が始まる。