午前四時。セイバーは朝一番の風呂(もちろん五右衛門風呂だ)を浴びた後、窓越しに海をぼんやりと眺めていた。
「アサシンは殺しに慣れてない、か」
鈴原が言っていたことを思い出す。セイバーは生前も今も必要ならば人を殺す。だが、かつてと違って、今はそれに罪悪感を覚えないかというとそうではない。ましてや、その相手が殺される覚悟を持っていない人間ならなおさらだ。
せめて殺すべき相手とそうでない人を見極められればいいのだが、それは疲れる。だから、キリエに責任を持てというのは半ば八つ当たりの様な部分があるのは自覚していた。
「それでも、どのみちアイツは倒さなければならないが」
砂を噛み締めるような苦さと気持つ悪さ。それはじわり、蝕む毒のように彼女の頭からこびりついて離れない。彼女はよろよろと立ち上がりながら、キリエの作った急造の台所へと向かう。ほとんど料理など作ったことは無いが、それでも多少は気が紛れるだろう。
突然、キリエのスマホがけたたましい音を立てる。キリエと鈴原の方を見るが、わずかに呻くだけで起きる気配はない。仕方なく通話に出る。
「はい、こちらセイバーです」
「あー、セイバーさんですか。朝早いところに申し訳ありません、志村です」
志村は基本的には常識に則って行動するはずの人間である。彼がそれを破り、なおかつ声に明らかに余裕がない。
「マスターに代わるか?」
それなりの緊急事態と判断する。
「いえ、いいです。後で昼頃にまた改めて連絡しますので…。ただ、セイバーさんには先に事情を簡単に話しておきますね」
「…ああ、頼む」
「同盟を破棄したいのです」
「それは、また突然だな」
正直なところ、あまりにも唐突すぎて詰るよりも唯々驚くことしかできない。そんなセイバーに対して、志村は心底申し訳なさそうに理由を話す。
「実は昨日狂犬に手を噛まれまして、今も逃走中なのですよ。今日明日はちょっと立て直しに回らなければならないのです」
「そういうことなら、まあ仕方ないが…」
これほど嬉しくない報せもあるまい。だが、丁寧な謝罪の前では何も言えない。
「後でマスターから連絡させる形でいいか?」
「ええ、それでお願いします。この埋め合わせは近日中に必ず致しますので…」
セイバーは礼を言ってスマホの電源を落とす。基本的には睡眠を必要としないはずのサーヴァントだが、やけに疲労を覚える。人形に囲まれたふかふかのベッドにダイブしたい。
それを邪魔するかのように窓枠を擦る音が薄明の空を映す部屋に響く。
「お疲れのところ申し訳ありません」
「…今どうしても対応しなければいけないか?」
セイバーは心底うんざりした表情を三つ足の烏に向ける。
「まあ、すぐ終わりますので」
「お前が正直ものであることを望むよ」
「手短にいきますね。アサシンがまた魂喰いをしたようです。つきましては今日の昼に神宮にアヴェンジャーの件もありますので来ていただければ有難く存じます。…質問はありますか?」
「ない」
烏は頷くかのように礼を示すと、そのまま神宮へと飛び去って行く。それを見ていたセイバーは海よりも深いため息をついた。
キリエと鈴原が起きてきたのは朝の七時くらいで、結局それから準備やら何やらで出発できたのは日がすでに中天に差し掛かりかけていた頃だった。憂さ晴らしに昨日のようにバイクをかっ飛ばしたいが、また吐かれても困るので安全運転で神宮に向かう。
神宮に着くと、なにやら物々しい雰囲気である。攻撃こそしてこないものの鎖帷子に身を包んだ得体の知れない兵士たちが巡回している上に、何故か立派な聖堂が神宮の前に建っていた。
「おいおい、いつからここはこんな宗教無法地帯になったんだよ」
「この間見たときにはこんなじゃなかったと思うんだけどな」
セイバー一行は目を丸くしつつも、神宮の方へと歩を進める。兵士たちは暫く遠巻きにとはいえこちらを監視していたが神宮の奥に入ると流石に着いてこなくなった。
「お前に会うとは思わなかったがな」
「…久しぶり、だね」
ライトは目が血走り、その下に隈を作っていた。その様子は最早幽霊と見間違われてもおかしくない。
「君らもアサシンの魂喰いを聞いて来たのかい?」
「そうだぜ」
ライトは静かにキリエたちの話を聞いていたが、やがて震える声で彼らに話す。
「僕はね。正直、彼女のしたことが許せない」
「…」
「戦争に直接関係のない人を…殺した」
徐々にその声に血と熱がこもり始める。
「…どうしてなんだ?どうして、奴はこんなにも無関係な人々を平気で巻き込めるんだ!」
「そりゃ、奴さんも切羽詰まっているからさ」
ぬらりとキリエの後ろに隠れていた鈴原が冷笑を浮かべながら、ライトの前へと出る。
「やあ、こんにちは。キャスターのマスター」
「お前はッ」
ライトは鈴原の胸を掴み、馬乗りにならんばかりの勢いで唾を飛ばし始める。
「何故、お前は人を殺そうとした。何故なんだ。何故」
「俺だってそんなことはやりたくなかったさ」
「なら、何故」
「あんまり話したくねえんだよ。めんどくせえ」
そう言って、鈴原はライトの手をかったるそうに払いのける。ライトはそれを唖然とした様子で見ていたが、逆上して鈴原の横っ面を殴りつける。
「お前は、お前みたいな奴はッ」
だが、鈴原は冷たい視線を向けるばかりである。ライトはとうとう、彼のこめかみ目掛けて拳を振り下ろすが、彼は避ける様子はない。
「落ち着いてくれ」
腕が強い力で捕まれる。
「でもッ」
「落ち着け!」
「…鈴原さんもあまり煽らないでほしいんだぜ」
ライトはそれを聞いて渋々ながら引き下がるが、鈴原は鼻を鳴らしただけであった。
「とりあえず、神宮で話そう。そこでならば、人の目が多いし監督役が止めに入ってくれる分落ち着いて話が出来るはずだ」
「あ、ああ。そうだね。そこでキャスターも待ってるんだ」
ライトは罰が悪そうにはにかみながら、社務所へと案内する。流石にまずいと判断したのかセイバーは腕を放すが、代わりにキリエに目配せをする。
「わかったぜ」
キリエは鈴原の側にぴたりとつく。だが、彼は表情一つ変える気配はない。
社務所の中でテーブルについても、その状況は変わらない。
参加者はセイバー陣営三人にキャスター陣営二人、そして平等韻とルーラーだ。
「とりあえずはここに集まってくれたことに感謝や」
平等韻は前置きしてから話し出す。
「で、ルーラー。議題はなんや?」
「主にアサシン討伐に関してですね。まあ、そこの青年に関しても少しばかり問い詰めたいところですが。後回しにしましょう」
「フォーリナーは大丈夫なんですか?」
気が逸っているのか、ライトが割り込んでくる。
「そちらはアーチャーさん達がすでに動いていますので大丈夫です」
「とりあえず、目の前のことを一つずつ片づけていきましょう、マスター?」
「…わかった」
平等韻はいつものホワイトボードを出して情報をまとめ始める。
「じゃあ、キリエ君とそこの青髪闇堕ち系青年、昨日見たこと話したこと洗いざらい話してもらおか」
「…実は」
キリエは言い淀む。昨日の会話に関して思うのは、結果的にアサシンの暴走のトリガーを引いてしまったのは鈴原と自分ではないかということだ。
ただ、それは果たしてこの場で言うべきことなのだろうか?彼はしばらく悩んでいたが、結局代わりにセイバーが事情を話してしまったようだ。
「成程な。大体能力はわかったやで。…ただ、こいつホンマにアサシンかいな?どう考えても能力の範疇を越えてるで?そこらへん、どうなん、ルーラー?」
「私にもわかりません。というか、鏡に逃げ込まれるようじゃ、相当戦うのが難しいですね」
彼らは首をひねっている。そう、そこが問題なのだ。ギリギリまで追い込んでも逃げて回復されてはいたちごっこだ。
「キリエさん、何か別に情報はありませんか?」
「…」
「キリエさん?」
「あ、ああ。あるぜ。ちょっと待っててほしいんだぜ」
繋がるかどうかはさておき、昨日までの同盟者に電話をかける。幸いにして、もう一度おかけ直しくださいと言った言葉で対応されることは無かった。事情を簡単に説明し、志村にバトンタッチする。
「正直私の知っていることはキリエさんたちよりもよほど少ないのですが」
彼は苦笑する。
「ただ、実行できるかどうかはともかくとして一つ提案は出来ますね」
「お聞かせ願えますか?」
キャスターが前のめりになる。なんだかんだで、実力は認めているということだろうか。
「簡単なことです。鏡のない場所に追い込んで、飽和攻撃で一気に倒してしまえばいい。あ、敵の補足くらいはお手伝いしますよ」
「それはそれは…有難いな」
ある意味で一番難しい問題なのだ。それが解決されただけでも、一歩前進だろう。
「ただ、別に問題があるんですよねえ」
「お聞かせ願えますでしょうか?」
キャスターが身を乗り出さんばかりに、問いを投げかける。なんだかんだで志村の手腕自体は認めているということだろうか。
「仮に捕捉したとして、彼女を完全に包囲出来るだけの人員は用意できるのでしょうか?それに、鏡が完全にない場所などあるのでしょうか?…そして、彼女を完全に滅ぼすことのできる火力も必要になってきます」
確かに鏡でなくても綺麗なガラス片が落ちていれば、そこから逃げられてしまう可能性は十分考えられる。それに人数はセイバーとキャスター陣営を両方合わせれば五人いるものの、そのうち三人は生身の人間。実質二人でアサシンを逃さないようにできるかというと甚だ怪しい。
「場所は問題ないだろう。この間の浅草か、昨日の東京周辺でやればいい。まあ、状況を考えれば浅草か?」
東京にはそれなりに弱体化しているとはいえライダー陣営とどこに行ったか分からないバーサーカー陣営という不確定要素がある。ならば、セイバーの判断は妥当だろう。
「問題は人数だな」
「志村さんに助力は請えないしなあ…」
セイバーとキリエは顔を見合わせる。流石にこれはどうしようもないか。
「いえ、私が何とかします。多分、肉片が残らない程度の人数は用意できるでしょう」
「何とかできるのか!?」
キャスターは頷く。
「マスターの同意と、それからこちらは大した問題ではないのですが一つ、鈴原様にも頂ければ」
ライトはそれを聞いてゆっくりと目を瞑る。彼は基本的に専守防衛に徹すると昨日宣言したばかりだ。けれども、魂喰いをした相手をそのままのさばらせておいていいのだろうか?
彼は悩んだ末、後者を選択した。
「いいのですか?」
「ああ―正直なところ、僕はやっぱり彼女が人を殺したことは許せない」
「あの、ライト。実は」
思わずキリエは声を上げる。負い目があるというのもあるし、ここでライトの認識に関して訂正しておかなければとんでもないことになると思ったからだ。
「ならば、すぐにでも準備を始めるべきでしょう」
だが、キリエの声はかき消される。
「そのためにこそ、鈴原様に一つお願いしたいのですが…いいでしょうか?」
会議は彼を無視して粛々と進む。
「…ライト」
キリエにはライトの横顔が非常に暗いものに見えた。
「…ということでいいでしょうか?」
「…OK」
「問題ないよ」
「大丈夫だと思いますよ」
マスターたちは三者三様の反応をする。それを見てキャスターは満足げに頷き、次いで鈴原とルーラーたちを見る。鈴原は面倒くさそうに手をひらひらと振り、平等韻は満面の笑みである。
「…変なことはするなよ?一応、うちで預かっているものなんだから」
「せえへん、せえへん。ワイらは仲良しやもんなあ?」
無理やり肩を組む平等韻を鈴原は無理やり振り払う。まあ、問題はないだろう。
「それじゃあ、私たちは先に現場に向かって準備してますね。追い込みはお願いします」
「わかった」
ライトは促されるままに、キャスターと共に神宮の外へ向かう。
「ああ、そうだ。ライトさん、一ついいですか?」
志村がスピーカー越しにライトを呼び止める。
「手短にお願いします。正直、かなりテンパっているので」
「世の中善人だけじゃないですし、だからと言って無理に善人であろうとする必要はない、とだけ」
「…そんなことは百も承知ですよ」
ライトは珍しく不機嫌そうな声で言い返し、そのまま部屋を出て行ってしまった。志村は見つかったら連絡します、といって電話を切り、鈴原と平等韻は別室で何か話しているらしい。
要は今ここにいるのはキリエとセイバーだけである。
「…キリエ、さっき何を話そうとしていたんだ?」
「ライトすげー怒ってたじゃん?でも、あれの引き金を引いたのは多分俺と鈴原さんだってことを言おうと思って」
セイバーはその言葉に対して首を振る。
「そう、かもしれないというだけの話だ。そんなことを考えていてはキリがない」
「違うんだ、そうじゃないんだ!」
彼は思わず声を張り上げる。
「多分、アイツは事情を知らずに行ったらアサシンを単なる敵としか見なくなる。でも、それはライトに善人であることを強いることで、かといって俺が勝手にアサシンに謝ったりするのは傲慢だと思うし、つまり」
「落ち着け」
セイバーは軽く頭をはたく。手加減はしている。彼女は痛がるキリエに腕組みをしながら話しだす。
「良いか、飽くまで私の意見だぞ?」
「いひゃい…」
「なおさら、手加減せずに相手を叩き潰すべきだ。結果がどう転ぼうと遺恨は残らないし、相手はこちらを殺しに来ているということをゆめ忘れるな」
「…」
とはいうものの、セイバーの中にも煮え切らないものが残っていた。そして、それをキリエに押し付けることの傲慢さも彼女は承知している。
けれども、キリエのスマホの着信音はこれ以上考えることを許してくれなかった。
「時間らしい」
「…うん」
キリエの足はかなり重い。
だが、その思いは結局のところ、形は違えど自分の傲慢でしかないことも彼らは理解していた。