当然のことながら、先刻の戦いをアリスは見ていた。それは彼女に各マスターの評価を改めさせるには十分であり、なかんづくライトへの衝撃は大きなものであった。
――セイバーも面白いけど、ライト。彼のことは少し見直したわ。
彼女は、そして彼が戻ってくるであろう神宮方面へと歩き出した。ランサーからの砲撃を避けるためにドブネズミの闊歩する昔の地下鉄を歩くのは気分が悪かったが、それをしても会いに行く価値があると思ったのだ。
駅を出て外に出た頃には既に暮れなずんでいた。アリスは橙色の陽に照らされた廃墟をらしくもなく凝視して、ため息をつく。その顔は哀愁とも悲しみとも、憎しみとも取れない奇妙な色に塗りつぶされていた。
「ねえ、バーサーカー」
その一言は本当に何の気もなく出たものであった。それゆえか、バーサーカーは何も答えない。
「月並みな言葉だけど、夕暮れを見ていると昔のことを思い出さない?」
「……母」
多分、それは狂ってなお心動かされる何かをバーサーカーに齎したのだろう。彼は目を伏せながら、僅かに答える。アリスはその言葉を理解できないが、しかし自分と共通する何かがあったのだろうと理解した。
「私にも昔は温かで穏やかな家族というのがあったのよ」
「……」
――母に弟、そして父。
「皆、善い人だったわ」
アリスは普段の彼女からは想像がつかないほど穏やかな顔で笑う。
「……けれど、それは全て崩れ去ってしまった。あの日、私が手にしたもののせいで」
彼女は多くを語らない。そして、その顔は既にいつもの不愛想なそれに戻っていた。バーサーカーも、たとえ彼に理性があったとしても、深くは聞かないだろう。
「だから、私は世の全てを救いたい。けれど、世の全てが憎い」
アリスにとって不幸だったことは。
彼女の手にした魔術師としての素養ではなく、余りにも賢すぎたことではなかっただろうか。矛盾する思考を、しかし卓越した論理によってつなぎ合わせてしまう。
それは、常人にはあまりにも理解しがたい代物だ。そして、彼女はそれに決して気づくことは無い。
一転してフッと笑う。
「つまらないことを聞かせたわね。さっさと行くわよ」
「……承、知」
二人は今度こそ神宮へと歩き出した。
◇
――思ったより、ひどい惨状ね。
神宮の教会(今更ながら矛盾した表現だと思う)に入って最初にアリスが思った感想がこれである。
なるほど、周囲は野獣が暴れた様に脱ぎ散らされた服や割れた高級そうなワインやら皿の破片が散乱しており、キャスターがそれを箒で掃除していた。彼女はアリスたちを視認すると、申し訳なさそうな顔をする。
「今マスターは色々と考えることがあるようなので、出来れば面会はお断りしたいところなのですが」
「見りゃわかるわよ。でも、私はどうしても会いたいの」
アリスは苛立ちながらキャスターに話す。
「というか、セイバーがいるならば大丈夫でしょうに」
「いえ、彼らはランサーのマスターとルーラーに用があるとのことで、ここには居りません」
心の中で舌打ちをする。邪魔な時には鉢合わせて、必要な時はいないとは何たることか!
とにもかくにも、アリスはキャスターを半ば押しのけるようにしてライトの居る最奥の部屋に入る。
「あらあら……神社の前に教会が建つ以上にグロテスクな光景なんてないと思ってたけど、まさか僅か数分でその記録が塗り替えられるとは思わなかったわ」
アリスはシャツをはだけさせ、酒瓶に埋もれるようにして地面を向くライトに驚愕の色を見せる。ライトはウォッカを瓶から直接浴びるようにして飲み、アリスに酒で焼けた声で話す。
「……今更、何しに来たんだよ」
「貴方を笑いに来た、と言えば貴方の気が済むのかしら?」
ライトは赤く泣き腫らした目で彼女を睨み付ける。
「冗談で言っているなら、僕は君を殺す」
「あら。貴方の心を和らげるために言ったつもりだったのだけど……まあ良いわ。本題に入りましょう」
これはいつもの通りには行かないらしい。そう認識して、アリスは居住まいを直す。
「貴方、私と同盟を組みなさい」
ライトは怪訝な顔をする。酒で頭が混乱していて彼女が何を言っているか理解できないようだが、しかし次の言葉は酔いを醒ますには十分なものであった。
「貴方はあの大震災で大切な人を失った。そして、私もよ。なら、貴方と私にはそこで共通項があるし共闘が出来ると思わない?」
「……まだ、ミサが死んだと確定したわけじゃない」
「あら、誰がミサって言ったのかしら?」
まあ、ミサは死んでいるだろうとアリスは思う。けれども、それは飽くまである種のきっかけに過ぎず今重要なことではない。
「私と貴方にはもう一つ共通点がある」
「……」
「二人とも強者によってその人生を蹂躙された。そして、貴方のサーヴァントも」
アリスはキャスターをちらりと見る。だが、彼女は珍しく真顔で何も言わない。
「何かを喰らい、そして自らも誰かに食われる。それは醜く、いつか克服されるべき業。……そして目の前にそれを覆すだけの代物が存在する」
実はアリスは当初家族との再会を求めて聖杯戦争に参加していた。だが、彼女は思ったのだ。
醜い、と。
だからこそ、その醜さを全て目の前から消し去りたかったのだ。
「……君は弱肉強食の世界を肯定する側だったと思うのだけどね」
「ええ。今はそう言うシステムで世界が動いているから、例え矛盾しているとしてもそれに乗っかるしかない」
そしてアリスはその程度の矛盾を気にするような女ではない。
「そのルールを書き換える力があるとすれば。どれほど自分が矛盾していても」
「君は……」
「手を伸ばす」
矛盾。
人には起源なるものがあり、造られた時点でそれによる影響があるとされる。
アリスの起源はそれなのかもしれない。
「……その力が聖杯か? 馬鹿げている。そもそも聖杯が願いを叶えてくれるか、そもそもそんなものがあるか誰もわからないのに」
ライトはウォッカを一気にあおって、吐き捨てるように話す。
「でも、貴方はその存在を信じて戦争に参加した。ならば」
彼女は脳裏に蒼い剣を持った少女の姿を思い浮かべる。
「剣を取り、戦いなさい」
「その剣でどうしろと?」
キャスターが尋ねるのをアリスは鼻で笑う。
「戦うのよ」
「戦う」
彼女は牙を剥き出して笑う。
「私は許さない。この世に従う弱者を。そして弱者のように振舞う強者も」
「……許さなかったらどうするんだい?」
知れたこと、とアリスは言う。
「全て、全て、嚙み砕いてやるわ」
その言葉にキャスターは何とも微妙そうな顔になる。果たして、一度は世界の頂点に昇りつめながらも結局は事実上の記憶破壊刑を受けた彼女は何を思うのだろうか。
「……僕は、僕は。それでも、今の世の中を否定したくない」
「したくない、とかじゃないの。貴方にはそれが必要なのよ」
ライトはまたウォッカを瓶ごと飲み、憮然とした様子でそれを投げ捨てる。
「誰が強いものなんだ? 世界のルールって? そんなものは存在しない……あったら、どれだけ楽だったか」
だが、アリスは何でもないかのように答える。多分、彼女にとってはある意味では自明であり説明することではないのだ。
「ルールはこの世の理不尽。そして、強者はそれをあなたに強いる相手よ。……だから、貴方はアサシンを倒す義務がある」
「……」
「私は貴方に汝の敵を愛せよ、と忠告しておきましょうか」
御冗談を、と返すアリス。まあ、キャスターからしてもこの言葉は冗談どころか道化にすらならないと思うのだが。
「……僕はとりあえずは戦わないでおく」
「あら、そう」
アリスは珍しく落胆した様子を見せる。
「だけど、君との関係を元に戻すのは悪くない。それに、僕は……」
ライトは顔を赤らめ、さらに今度はアブサンをあおって歯を食いしばる。その赤さは酒のせいか、それとも――
「義務とか関係なく、僕はアサシンがやっぱり許せない。だから、明日いや明後日辺りにアサシンを……討伐しに行く」
「そう」
「その時はアリス、君もついてきてくれないか?」
とある事情でセイバーと別れてしまった以上、キャスターだけでは正直心許ない。それゆえ、バーサーカーの助力が必要なのだ。
「こちらとしても、色々やりたいことがあるのでお願いします」
おや、と思う。いくら冗談にしてもキャスターがこちらと手を組みたいというのは奇妙だとアリスは思う。
だが彼女も彼女で何日間か戦ってきて、妥協するということを覚えた。つまりは、とりあえずはキャスターの異変を見過ごしたのだ。
「じゃあ、今日は遅いし泊っていくから」
「アリス。君と言う奴は……」
「あ、別の部屋にしてね。襲われたら抵抗できる自信がないから」
実際、アリスは筋力はそこまでない。恐らく彼女は襲われても、相手を侮蔑するような目で見るだけだろうが。
ライトは何とも微妙な顔をするが、別の部屋にアリスを案内する。まあ、あれだけ酒を浴びていては別々の部屋の方がいいだろう。
キャスターはそれを見てそろそろライトも寝させたほうがいいだろうと判断し衛兵に水を持ってくるように指示を出して、それを受け取る。そして、暫くして戻ってきたライトに盃を差し出す。
「マスターも、そろそろ就寝したほうがいいでしょう。先ほども申しましたが、ここは戦場。酒におぼれて大局を見失うのはよろしくない」
ライトはそれに耳を傾けながら、ポケットの中から取り出した粉薬を水に溶かして飲むが顔を思いきりしかめる。やはり、良薬は口に苦しということなのだろうか。彼はしかし、むせかえりながらもどうにかこうにか全て飲み込んだようだ。
「……そうだな。今日はもう寝るよ」
けれど、その前に。と彼はキャスターの方を見る。その吐息は酒と薬、そして胃液の臭いが混じって目に染みる。そして、それは一番近くで嗅ぐ人、即ちライトにはひときわ辛いものである。自然、涙が眦に浮かぶ。
「僕は、これでいいのかなあ」
ライトは最早人目を気にすることなく、服をはだけさせて後ろのベッドに倒れ込みながら話す。だが、それがいけなかったらしい。
彼は目を見開いて、口を押える。見かねたキャスターが洗面器を持ってきて、吐瀉音を背景に彼の背中をさする。
「あがいても、どうしようもないことは御座います。そういう時は流れに身を任せるしかないのではないでしょうか」
無論、あがかなければいけないことは戦争の中では多々ある。けれども、キャスターからすれば実のところ、それは優先順位の下がる問題であった。最悪の場合、マスターは現界の道具として割り切ればいい。
だからマスターとの反目はそこまで怖いものではない。
「今日は何も考えず、微睡に身を任せることをお勧めいたします。必要ならば、子守歌の一つでも歌って見せましょうか?」
目をぱちくりさせる、ライト。彼は周囲に聞こえるくらいの大きな声で笑いだす。そして、彼は笑いすぎてお腹が痛い様子を見せながらも、しかし何とか声を出す。
「君が? 君が子守歌?」
「……心外ですね」
意外なことに、これはキャスターにとってかなりショックだったらしい。それこそマスターとの反目よりも。彼女も生前、まだうら若いころは良く孤児たちに子守歌を聞かせてあげて、しかも評価が良かったのだ。年柄年中策略を考えていたわけではないし、それしか楽しみがなかったわけではない。
だが、なんだかんだでライトにとっては気分のいいことだったようだ。
「いや、でも。うん、久しぶりに気持ちよく笑えたよ。お休み」
「……お休みなさい」
彼女はそのまま部屋を心底不服そうな顔で出た後に、自分の執務室に戻る。しかる後、蝋燭に火をつけてその薄明りの中で、やはり不機嫌そうな顔のまま東方からもたらされた水晶球をのぞき込む。
そこにはルーラー、セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、バーサーカー、即ち全ての陣営の姿が見える。無論、彼女は千里眼を持っているわけではないから、はっきりとしたことがわかるわけではない。
が、重要なものは見落とさない。
「赤い炎と黒い炎――それが、彼らを燃やし尽くす」
キャスターの口角が吊り上がる。無論、そんなものは見えない、が。
水晶球に反射された蠟燭の炎が他陣営の姿に覆いかぶさり、チラチラと彼らを燻すようにして輝いていた。
戦火は最早消えることは無い。