マスターとサーヴァントの朝は早い。アリスは、廃墟というだけで大分不本意なのだが、品川の旧プリンスホテル(無論泊ったのは最上階の特等の部屋だ)を出て周囲を散策していた。
微かに香る潮風に顔をしかめながら、双眼鏡で周囲を眺める。しかし、映るのは徐々に風化していく緑に覆われた建物や、ゴミの山ばかりである。
「誰も、いないか」
アリスはわかっている。かつて一千万人が住んでいた街で、互いに見ず知らずの数人が邂逅するということは、それこそ豚が空を飛ぶような事態であるということを。けれども、こんなところにずっと長くいるのは、肉体的にも精神的にも大変よろしくない。
雑なことを言ってしまえば、さっさと願いを叶えて、早く家に帰りたいのだ。
「虚偽、詐欺、欺瞞…」
「うるさいわね。黙ってろと言わなかったかしら?」
彼女は召喚早々に下した命令を早くも後悔し始めていた。命令を下すのに、令呪一画で事足りると思っていたのだが、思いの外狂化が強く、令呪を結果としてほとんど持っていかれる事態になってしまったのだ。
「魔術師、えせ霊媒師、滅せ、滅せ…正さねばならない」
「いい加減にしなさい」
苛立ちつつも努めて、冷静にバーサーカーを諭そうとし、その方向を向く。
「バーサーカー?」
バーサーカーの視線の先に紫の服の女性と茶髪の男性を見つける。距離は百メートル程度だろうか。彼らは、なぜか海の方を見ており、後ろにいる、こちらに気づく様子はない。
上手くいけば、背後から一撃で彼らを倒すことができるだろう。
しかし、もし、彼らが万が一にも気づいたら?
アリスは考える。姿形からして、セイバー、アーチャーやランサーなどの強力な三騎士には見えない。ならば、ライダーか?それにしては乗騎らしいものは見えない。残るはキャスターかアサシンだが、アサシンなら直接戦闘になったらバーサーカーが圧倒的に有利だろう。問題はキャスターだが、周囲の様子からして、陣地が敷かれている様子はない。
「着いてきなさい、バーサーカー」
「冤罪、虚飾…」
アリスは、ビルの陰に隠れながら少しずつ距離を詰めていく。その道のプロではないがゆえに、時たま音を立ててしまうこともあるが、しかし青年はこちらを未だ感知していない。
いける。もはや、相手の話す内容が聞こえるほどまでに、近づいたとき彼女はそう思った。
「電車ですか…仮に運行していたら中々に便利な交通機関ですね。そう思いませんか?そこの可愛らしい、赤い服を着た貴女」
「赤い服…?いったい何のことで…っ!」
存在を気取られてしまった。アリスは背筋に冷たいものを覚えるが、しかしそれを悟られてはいけない。なんでもないかのようにふるまう。
青年は少し驚きつつも、アリスに話しかけてくる。
「僕は黒夜ライト。キャスターのマスターだ。…もしかして、君も”マスター”なのか?」
「言わなくてもわかるでしょう」
至って、平静に。努めて、普通に。そう返す。
「で、どうするの?」
空気が凍り付く。戦うか、戦わないか。
「ま、待ってくれ!僕は君たちと戦う気はないんだ!」
その人の好さげな顔からは、こちらを油断させているようには思えない。ならば、もう少し強く踏み込んでもいいだろう。
「貴方達の選択は三つ。私の軍門に入るか、サーヴァントを自害させて私の前から消える。それか」
「それか?」
「ここで死ぬか、よ」
優しいから、好きなのを選ばせてあげるという、続けて発されたあまりにもあまりな言葉にライトの頭は一瞬スパークする。
しばらくして、彼は目的が戦うことではないことを思い出し、彼女に返事の代わりに写真を差し出す。写真には金髪にツインテールの少女がピースをしている姿が映っている。顔を見るに日本人のようだ。
「質問に答える前に、話を聞いてほしいんだ。僕は、ここに戦いに来たわけじゃないんだ。そう、僕は…」
「どういうことかしら?」
「マスターは、想い人を探しているのです」
「よくわからないけど、人探しはよそでしなさい。…それとも、その子は東京出身だったりするのかしら?」
彼は静かに首を振る。どうやら、違うらしい。
「興味もないけど、一応聞かせてもらうと、それはいつの話なのかしら?」
「…一月前くらいだったと思う。だから、心配でここに来たんだ」
ふうん、とアリスはため息をつく。
「悪いけど、知らないわね」
「そうか…やっぱり知らないよね」
これはまずい、とアリスは思う。目の前の青年から質問の回答を未だ引き出せていないのだ。
彼女は敢えて声にいら立ちを混じらせ、威圧するかのようにライトに問う。
「ところで、あなた、まだ質問に答えてないわよね?」
「ああ、それは…」
「その子と会ったら、あのダサい監督役にでも保護してもらうわ」
アリスは、今度こそ相手に主導権を渡さないように早口でまくし立てる。
「今は危ないから、ここから離れなさい」
無論、棄権するようにと、くぎを刺すのも忘れない。相手はそこまで強い意志があるようには見えない。ここまですれば、退散してくれるだろう。
「いや、僕のことを気遣ってくれるのはうれしいけど…。そうもいかないんだ」
「は?」
どうも上手くいかない。アリスは口を開こうとするが、キャスターによって、またもさえぎられる。
「一月も連絡が取れないのはおかしいですし、それならば今すぐにでも見つけないと大変なことになりかねませんわ?そうでしょう、マスター」
「ああ、キャスターの言うとおりだ。だから」
「魔術師…?間違いは正されるべし…、滅せ、滅せ、滅せ」
バーサーカーが突如として咆哮を上げる。その声は低く、まるで検察官が被告に対してそうするように、相手を糾弾するかのようだ。
「やめなさい」
アリスはうんざりした様子で、バーサーカーを制止する。とはいえ、話を引き戻すことは出来そうだ。
「別に気を使っているわけじゃないわ。無駄にむやみに殺したくないだけ」
「…そうか。でも、やっぱり離れるわけにはいかない。離れられないんだ」
「それは、本当にあなたの命を懸けるに値することかしら?」
彼女は首をかしげる。端正な顔立ち故、中々様になっているのだが、しかしどこか、自らが相手より上であるという傲慢さのようなものを覚える。
「―――もちろんのことだ。ミサは、いつも僕と一緒にいてくれたんだから」
「そう」
彼女は、また、ため息をつく。
「ならば、貴方は私と戦うことになるわね」
ライトはそれを聞いて、少し後ずさる。それを見て、彼女は追い打ちをかけるかのように、さらに言葉を継ぐ。
「誰かのために、なんていう人間は碌な死に方をしないのよ」
かの救世主しかり。救国の聖処女しかり。善人は早死にするというのは、世の常である。
彼女は、ライトを小ばかにしたような視線で見る。
「ならば、今ここでお前を私が踏みつぶして」
「もっと、身をわきまえた人生に変えてあげる」
「…!」
ライトの顔にはもはや脂汗が浮かんでいる。彼は何か迷うそぶりを見せる。
それは、戦うべきか、それとも逃げるべきなのかという逡巡か。
サーヴァントの手から、キャスターはともかくマスターは逃げることは難しいだろう。ならば、戦うことになるだろうが、そうなったらバーサーカー陣営が圧倒的に優勢だ。
「まあ、そうですねえ。やられっぱなしというのは面白くないですからね」
キャスターは、あくびをする。
「あら?何ができるのかしら。陣地にいないキャスター風情に」
ええ、そうですね。
キャスターはアリスの問いに肯定で返す。しかし、目を細め、さらに続ける。
「私はともかく、私のマスターはどうでしょうね?」
「どういうことかしら?」
ライトは何をするでもない。彼は、そこに立っているだけだ。当然、何か目立った変化はない。
本当だろうか?
改めて、アリスはライトを見る。何かがおかしい。彼女は違和感の元を探る。
「なるほどね」
彼の左目は、深い夜闇を照らす星のように黄金に輝いている。その瞳は、アリスのすべて、それこそ今まで生きてきた全てを見通すかのように、ますます光を強める。
「早坂有栖一九歳。能力は後の先を取ること?そして、生まれは旧東京新宿」
唐突に繰り出された言葉。アリスは一瞬、それが何かわからず固まる。
「…」
「父と母と、それから弟」
「そこまでわかるなんて、大したものね」
彼女は感心したようにつぶやき、初めて好奇の視線でライトとキャスターを見る。彼はしかし、申し訳なさそうに静かに口を開く。
「僕は、他の参加者、つまり君の敵対者にこれを言うことができる。だから、ここは退いてくれないだろうか」
「バーサーカー、準備は出来ているわね?」
アリスはバーサーカーに声をかける。
「その程度で、私が止まると思ったら大間違いよ。あなたをここで、殺して禍根を断ってしまったほうがはるかに好ましい」
「偽り…。貴様たちも粛清対象だ」
バーサーカー、アリス共に臨戦態勢である。さしものライトも、さすがに応戦することを考えたのか、キャスターを見る。
「うふふ」
しかし、貝紫の魔術師は余裕のある態度を崩さない。
「何がおかしい、詐術師」
「やはり、貴方のマスターはお可愛いことで」
彼女はパン、と手を叩く。
「キャスター、これは…?」
ライトが驚くのも無理はない。不完全とはいえ、一瞬にして白い聖堂が彼女の周囲に立っていたのだ。魔術師は狂戦士に高らかに宣言する。
「ここは、もはや我々の領地。この意味は御分かりですね?」
「…こんな虚構、私とバーサーカーに通用するとでも?」
キャスターは肩をすくめる。
「そうですね、負けるかもしれませんが、消耗はかなり強いることはできると思いますよ?仮に、次にセイバーあたりと会ったらどうなるでしょうね?」
多分、勝てないだろう。令呪が少ない以上、勝つとしたら一撃必殺を狙うくらいで行くべきなのだ。
けれども、アリスからしたら、ここで退くわけにはいかない。ライトは一見して誠実そうに見えるが、しかし彼が情報をばらまかないという保証はどこにもないし、またそれを引き出せるだけの材料はない。
「そうね、こちらとしても無意味な戦いはしたくないわね」
「そうだろう。なら」
「私と、同盟を結びなさい」
相手を倒せないならば、取り込んでしまえばいい。どのみちこちらが有利なのには変わらないのだ。相手の監視にもつながるから、一石二鳥だ。
「詐術、詐欺、霊媒…。滅ぼせ。正せ。根だやせ…!」
「黙っていてちょうだい」
バーサーカーが何かわめいているが、しかし黙らせる。
「無論、私が上であなたが配下だけれども」
「は、配下?」
突然の同盟の提案に続き、配下という言葉にライトはキョトンとした顔になる。
危ないかもしれないが、こちらから仕掛けた以上、さすがに体面は保ちたい。それに、キャスター陣営にとっても得な話だ。それを蹴るほど相手も馬鹿ではないだろう。
「僕はいいけど…」
彼はキャスターを見やる。意外なことに、彼女は少し不服そうな顔ではある。
「ダメなら、仕方ないわね。バーサーカーは戦いたがっているみたいだし、残念だけど…ねえ」
ここは、何とか押し切るしかない。アリスはそう考えて、さらに強硬に出る。
「キャスター…」
また、緊張が走る。まさか、一番理知的なキャスターがこの交渉を蹴るのか?そんな、危惧が去来する。
もし、そうなったら。
聖杯に手が届くことはなくなるだろう。
「承知しました」
彼女の回答は、しかし、その場にいる全員を安堵させるものだった。
「ただ、その代わり、こちらは基本的にマスターの想い人を探すのに専念させてもらいますね」
「…いいわ」
どのみち戦闘になったら、彼らも参加せざるを得ない。それに、本当にどうしようもないやつならば、後ろからさっくりやってしまえばいい。
アリスは手を差し出す。
ライトは、それを握り返す。
目標なき呉越同舟。まず、ありえないような代物だが、しかしここに同盟は成った。
この先彼らは何を始めるのだろうか?
それとも。斯く問われるべきだろうか。
即ち、彼らはどう終わりを迎えるのだろうか、と
アリスはセッションで一番好きなキャラでした。彼女の魅力を反映できていたら、幸いです。