りあリズむ   作:箱女

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「ねー、うみんちゅ」

 

「どうした?」

 

 海ちゃんはファッション誌を真剣に読んでる。自分に似合うかどうかも大事だけど、どんな人にその服が似合うのかを考えるのも面白いんだって前に聞いた。おしゃれしたい、ってよりも服飾に興味があるからなんだろうな。勉強に見えちゃうからぼくからするとうへー、って感じだけど。

 

「お願いがいっこあるんだけど、いい?」

 

「言ってみ」

 

「これから事務所行くんだけど、あー、その、背中押してくんない?」

 

「んー、いいよ」

 

「あれっ、何があるのかとか聞かないの?」

 

「なにか大きなことがあるんだろ。それがわかれば十分だよ」

 

 まあこんなふうにあらためて頼み事なんてしたことないもんな。予想はカンタンにつくよね。……こないだPサマ相手にもそんなこと思った気がするけどまあそれは気にしない方向で。

 いや、でもだからぼくは海ちゃんに頼んでるのかもしれん。ヒナ先相手だとぼくは泣きつく可能性あるからな。それやらかすとたぶん最後に病むだろうし、ガチで。

 いつも思ってることだけど、今日みたいな大事な日に満点の対応をくれたから感謝の意を込めてぼくの口からはこんな言葉が出てきた。

 

「うみんちゅホントいい女だな」

 

「だろ?」

 

 は? かっこよ。

 

「ねね、じゃあ背中押して背中押して」

 

「帰ってくる場所がここにあるんだから安心して行ってきな」

 

「え! 頑張れとかの応援じゃないの!?」

 

「弱音は吐いても諦めるのは見たことないし、そのへんはなんとかなると思ってる。大丈夫さ」

 

 いやぼくわりと逃げること考えたことあったけどね? 体力トレとかホントに死ぬと思ったし。実行に移さなかったのトレーナーさんが怖かったのが原因だよ?

 でも信じてもらえてるってのはいい。たぶんそれは地球でイチバンの燃料だ。ぼくより信じられる人に信じてもらえているなら、ぼくがぼくを信じない理由もない。じゃあきっとぼくはできるのだ。わはは、ありがとう海ちゃん。ヒナ先は帰ってきたときに甘やかすのをお願いします。

 行こう、事務所。泣くなよ、ぼく。

 

 

 あの日から何度この部屋に通ったのか、ぼくにはもうわかんない。おなじみの三階の角の部屋。だってぼくたちの話し合いは定期的なものじゃなかったからね。ぼくの印象ではここにいることを許されているのはたった一人。事前に予約とってるんだから当たり前ではあるんだけど、印象での話だともっとその感じが強い。座る位置も、向きも、空気感でさえ決められたみたいにぴったり一致する。そんなのぼくはここ以外に見たことない。

 ノブに左手をかける。あの日は何の意識もせずに、それどころかぼくが先に入るもんだと思ってドアを開けたけど、今日は違う。文香ちゃんが先にいることはわかってるし、ぼくは覚悟を決めている。ぼくは終わらせるために来たんだ。

 

 怖い。

 

 いつもみたいに文香ちゃんは本を読んでて、ドアを開けた音を聞くとぼくのほうに顔を向けた。思わずごくりと喉が鳴る。数えきれないほど思ったことだけど、文香ちゃんはなにかの完成形だ。なんか、美とかきれいなものとか、そういう単純な言葉では表現できないようななにかの完成形。なんなんだろうな、ぼくのひいき目のせいかもしんない。

 

「やっほう文香ちゃん、今日は雨だね」

 

「ええ、出歩くのが億劫になってしまいます」

 

 実際に使うまでは気づきさえしなかった傘立てにはもう傘が一本入っていた。飾りっ気のない、すごくシンプルなやつ。顔が見えるからって理由で事務所ではビニール傘が禁止されていて、文香ちゃんもそのルールには従ってるらしい。ぼくも傘を入れた。

 文香ちゃんの向かいに座って、ジッパーで閉められるトートバッグを脇に置く。動きがぎこちないのが自分でわかる。もうソファの肘置きに手をぶつけた。普段だったら絶対に意識にない心臓が強く強く脈を打つ。ぼく自身に音が届く。マンガとかでそんな表現をけっこう見るけどマジモンだとは思ってなかった。本当に傍にいる人に聞こえそうなくらい大きな音がしてて、ぼくは今日ここで心臓が爆発して死ぬのかもしれんと思いそうになる。いま健康診断やったら絶対にひっかかる。上の血圧300とか行ってる。

 

「こういう雨の日は、手に取りたくなる本が多くて困ってしまいます」

 

「文香ちゃんの場合それはいつもじゃないの?」

 

「……そうかもしれません」

 

 こうやって直に話すまでは天然っぽいところがあるなんて想像できなかったな。ぼくが客席から見てた文香ちゃんは舞台ではしゃべらずに歌ったらすぐに下がっていっちゃってたから。というかそんなもんじゃないな、まずゲリラでしか出なかったし、一曲歌い通すことのほうが珍しいくらいだった。それでもどっちかっていうと気難しい印象じゃなくて、冷めた感じのカッコイイ系だってぼくは思ってた。アルバムのジャケットもそんなテイストだったし。

 文香ちゃんは視線を上に飛ばしてる。たぶん天気の違いで読みたくなる本を頭の中で並べて数えてるんだと思う。ぼくはそんなの考えたこともないな。そういうふうに比べられるほどたくさん読んでるわけじゃないしね。

 いつからか特別になった顔を遠慮なく眺める。それは普通で考えれば幸せなことなんだろうね。でも、って言葉がぼくには付きまとうようになった。ま、普通じゃないのはずっとか、それは別に面白くもないね。

 もう早いうちに覚悟を決めなきゃいけない。長引けばダメになる。逃げたくなる。言ってしまえば終わりなんだ。ああ、言葉は銃弾だって教わったのも文香ちゃんからだったなあ。放ってしまえば戻ってこない、どこかに痕を残してそれは治らないって。それにならうなら、これからぼくはぼくのハートめがけて銃弾を撃つわけだ。クールだろ? 足ガックガクだぜ。

 

「ね、ねえ、文香ちゃん」

 

「はい」

 

「ちょっと、だ、んん、大事なね、話があるの」

 

「はい」

 

「あの、ぼっ、ぼくね、文香ちゃんがね、そのっ、……好きになっちゃったの。友達じゃなくて」

 

「…………」

 

「きき気持ち悪いよね、そうだよね! ごめ」

 

「夢でも見ているのでしょうか」

 

「へ?」

 

「叶うことなど万に一つもないと思っていました。どれだけ願っても絵空事だと。画餅だと」

 

「いや、ちょ、待っ」

 

「こんなに幸福な気分に満たされることなど想像さえしたことがありません。私のこれまで持っていたすべての基準など取るに足らなかったのですね。事実は小説より奇なりとはよく言ったものです。ですがひとつ訂正を。現実という、より奇妙なものがあるんですよ、バイロン」

 

「な、え、何を、そうじゃないよ、違う、だってぼくは失れ」

 

 文香ちゃんの顔がもう目の前にあった。感触が三つある。両耳を塞ぐように意外なほどの力が加えられていて、ぼくのつやつやとは言えない髪が頬に触れた。いやそんなことはどうでもいいよ。唇に知らない感触がある。これは、なに? 一度その何かが離れて、今度はゆっくりとそれが押し付けられてくるのがわかった。さっきよりずっと強い。強いのに痛みはなくて、それがやわらかいものなんだって気が付く。不思議な匂いがする。耳はうまく聞こえない。なんかの味がするけど、これは何だろう。ねばついてるけど。知らないものの渦の中に巻き込まれてたんだから、ぼくの脳なんて働くわけがない。目の前が何色なのか認識できない。え、目閉じてたのか、ぼく。

 二度目の感触を失くして、ぼくはゆっくり目を開けた。スローモーションみたいにゆっくり文香ちゃんが離れていくのが見えるんだけど、むちゃくちゃ近いからその実感が薄い。文香ちゃんの唇が光った。細い線がまっすぐ伸びて、ぼくの視界の下のほうに消えていた。これは、なに?

 

「違うじゃん! ぼくはここで文香ちゃんに拒絶されて、それで物語が完成するの!」

 

 文香ちゃんの青い目がぼくを見ていた。現実的じゃない青い目。じっと見つめられると簡単には目を離せなくなる。だってそうでしょ、そんなの当たり前だよ。言い訳として成立するレベルのものなんだぞ。

 かすかに唇が震えて、そっちに視線を奪われる。ダメだよ、やめて。嘘なんてついてないんだ。だからぼくに可能性を見せないで。何も言わないで。ぼくはただ嫌われるために来たの。覚悟してきたのはそこまでなんだよ。

 

「りあむさん」

 

 細い、透明な声がゆっくりぼくの鼓膜を狂わせる。

 

 

 ――ぼく、この人が欲しいよ

 

 

 ダメだダメだダメだダメだ。考え直せりあむ。覚悟決めてきたんだろ。背中押してもらったじゃんか。そもそもぼくが文香ちゃんと知り合うなんてことはあり得なかったんだ、幻だったんだよ。そうだろ。だから、あの尊かった空想の日々から今日で覚めるの。もとに戻るんだ、大丈夫だよ。いいから。わかってる。

 呼吸が荒い。まだ脈も強烈だ。わきに汗もかいてる。なんかの拍子に失神しそうだ。でもそれはダメ。ぼくはクソザコだけど、それでもいいんだよって失神する前に誰かに言ってあげなきゃいけない。ぼくは自分の夢の全体像がよくわからない。あれがしたいこれがしたいって具体的なものなんかじゃなくて、ぼくの夢は小説を完成させるとどこかで叶うもののような気がする。もしかしたらはっきりしたかたちではぼくの人生には最後まで関わらないのかもしれない。でも、それでもいいよ。ぼくが、夢見りあむがそんなことできちゃったら、きっと世界がひっくり返るぜ。

 

「ねえ、ぼくの小説楽しみだって言ってくれたじゃん。嫌いだって言ってよ」

 

「いやです。その言葉は嘘ではありませんが、だからといって自分の気持ちを偽るわけにはいきません。私は何よりも求めていた宝物を、それも手に入るとは思っていなかったものを、それ以下の順番のもののために捨てるほど無欲ではないのです」

 

「違うの。わかって。ぼくだって……」

 

「まだ間に合います。すべて私に任せてください。ひとつも不自由させません」

 

「そうじゃなくて、不自由とかじゃなくて」

 

「わかっています。大方のことは関係ありません。あなたは特別ですから」

 

 ああそうか。ぼくはもう加害者になるんだった。

 

「ねえ文香ちゃん、もうたぶんぼくおかしいんだ。聞いて。さっき言ったけどぼくは文香ちゃんが好きだよ。女の子としてね。どうにかなっちゃいそうなくらい。でも自分から言っておいてなんだよって感じだけど、ぼくは文香ちゃんから離れるよ。おかしいね。傷つくってわかってるのにね。ごめんね、ぼく最低だね」

 

 それだけ言っちゃうとすごく体が軽くなった。立ち上がるのにもバッグと傘を取るのにも引っかかるところがなかった。一点を見つめて動かなくなった文香ちゃんを横目にして、ドアノブに手をかけた。ドアは当たり前の音を立てて、当たり前の重さで開いた。手を離すとそのまま閉まった。視界が滲んだ。涙がぼくの頬を伝って顎まで届いた。それがぱたぱた床に落ちていく。胸の奥の辺りに変な力が入って、肩が震えた。どうやってもしゃくりあげるのを止められない。鼻をすすってどうにか一歩、二歩。がちゃんと何かが割れる音が後ろから聞こえた。

 

 

 夏が来た。Pサマの言ったとおり忙しくなった。深夜帯のバラエティとかラジオだけど。

 話の筋道は立った。まあどうせ後でいろいろ変えるんだろうけど。

 

 

 秋が近い。メディアに取り上げてもらう機会が急増した。話題にしやすいんだと思う。

 筆は予想外に進む。文香ちゃんの言っていた、高度な純文学に必要な深い設定とか綿密な構成はぼくにはいらないからラクなんだと思う。

 

 

 秋が深まってきた。ゴールデンタイムにも出始めた。え、こんなにいじられんの? 観てる側だと気付かないけどテレビってけっこう容赦ないのな。Pサマはキャラが認知されてきたからだって言ってた。ぼくがどんどん出来上がっていってるらしい。

 あらためて自分が書いたものを読む。それでも生きていこうよ、ってのを含ませられているかが自分だとわからない。まだ書き終わってないけどそういう手入れをした。

 

 

 冬が始まった。ぼくの印象は好調らしい。マジかよ、すごいなPサマ。もちろんアンチは他の人より多いんだけどね。SNSでまあまあ炎上はしてるし。

 いったん書き終わる。本当に書きたかったことが書けてるのかまだわからない。日を空けて読んで推敲する作業に入った。自分で書いたものをそういう目で読むのはキツい。

 

 

 五冊の献本のうちの一冊を手に取る。これにぼくの血が刷り込まれていると思うと妙な感じがしてくる。でもまあ誰かに言うようなことでもないよね。たぶん芥川だってそうだったんだと思う。読む側からしたってそんなこと知りたくないでしょ。

 ぼくはこれを泰葉ちゃんに渡したいから五冊めをもらうことに決めた。いま泰葉ちゃんむちゃくちゃ忙しいんだろうけど、でも発売する前じゃないと意味がないと思うから。

 

 ま、ダメでもともと。聞いてみようか。   “ねね、近くに空いてる日ない??”

 わお。返事早っ。             “明日の午後三時過ぎでよければ”

 やったやった、ラッキー。         “その時間にあのカフェで待ってるね”

 ……別に包んだりしなくていいよね?

 

 

「あ、泰葉ちゃん。ごめんね、レッスン漬けで大変なときに」

 

「あはは、前にりあむさんが悲鳴上げてたのと似たような状況です。へとへと」

 

「もう人気者の準備しないとね。みんな見たことない泰葉ちゃんを期待してるよ」

 

「素直に応援と受け取っておきます。それで、呼び出しだなんてどうしたんですか?」

 

「あのね、今度ぼく本出すでしょ。できたら泰葉ちゃんに一冊もらってほしいなって」

 

「え、いいんですか」

 

「うん。だって泰葉ちゃん大事な友達だし。はい、これ」

 

「あ、ありがとうございます。でもこれ不思議なタイトルですよね。りあむさんが?」

 

「タイトルも中身もぼく謹製だよ。全部ね」

 

「それじゃあゆっくり読ませてもらいますね」

 

 泰葉ちゃんが表紙のタイトルをじっと見て口を開いた。

 

「『こんにちは、クズだよ』」

 

 

 

 

 




最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
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