りあリズむ   作:箱女

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「チェーホフの銃、ですか?」

 

「まあ、平たく言えば作劇の心得みたいなものっスね」

 

 比奈さんは缶コーヒーを片手に、さらっと私のオウム返しの意図を理解して答えてくれる。その系統の趣味を持たなければ一生聞くことのないだろう言葉は、私の耳にはなんだか剣呑に響く。

 

「“物語の中に出てきた銃はそのどこかで発砲されなければならない”。無意味なものを作品の中に出すな、と。字義に従えばこれが大意っス」

 

 私は頷くほかない。言ってることは納得できるものだし、その回答は100%のものに聞こえる。現実では成立し得ない考え方。それこそすべてを創り上げる物語という世界においては大原則として取り扱われていても不思議ではないように私には思える。自分の中でもう一度かみ砕いてみて、やっぱり妥当なことを確認する。自然と外していた視線を戻すと、比奈さんはあらためてこっちを向いてにっこりと口の端を上げた。

 

「シンプルに考えれば簡単な話っス。作家はそんなもの書かなきゃいいし出さなきゃいい。けどちょびっと立ち入って確かめてみると疑問点が出てくるんスよ」

 

 疑問点、と私は繰り返す。

 

「いろいろあるんスけど、個人的には “純粋な無意味性が物語という器の中で達成されるのか” という点がいちばん大きいんスよね」

 

 なんだか難しい言葉まで出てきて私は戸惑ってしまう。さすがに失礼にあたるから後悔だなんて思いはしないけど、すごいものを引っ張り出しちゃったかなくらいには思う。何かを生み出しているという点においてアイドルと共通していると考えて、比奈さんに漫画を描く上で気を付けていることを聞いてみたらここまで来るとは思いもしなかった。もともと知り合いではあったけど、今日の様子からは凝り性というよりは突き詰めるタイプという新しい印象を私は受けている。あるテーマに疑問を持てるということは、そのことについて一定レベルの理解を経てさらに追求する姿勢がないと無理だと私は考えている。その意味で言えば彼女はきっと特殊だ。

 彼女はいつの間にか腕を組んで、自分で納得するようにうなずいている。もしかしたら何度も自問してきたのかもしれない。なんというか、そのうなずきにはそういった重みみたいなものがあるように見える。

 

「あの、純粋な無意味性とはどういうことでしょう?」

 

「本当に、まったく、完全に、あらゆる面においてどの角度から見ても無意味なことっス」

 

「ちょっとイメージが湧かない、ですね」

 

「たぶん普通の反応じゃないんスかね。アタシもたぶん不可能だろうと思ってまスし」

 

 何気なく出てきた言葉はこの話題を規定してしまうもののように聞こえる。そもそもとしてその “純粋な無意味性” が成立しないのなら、この話題こそ。

 

「でもまあ証明は不可能っス。いわゆる悪魔の証明っスね」

 

「それならどうして比奈さんはこのお話を?」

 

「アタシ程度で勘づくようなことにチェーホフが思い至らないわけがない。つまり彼は言外にもっと意味を含ませていると考えるのが自然っス」

 

 言外の意味、と繰り返す。さっきも同じことをした。それはたぶん自分の中にその言葉を定着させるためなんだと思う。辞書的な意味が理解できないわけじゃないから、きっとそういうことなんだろう。わずかな時間を置いて頭のどこかの柵が取り払われたような気がした。

 

「思考過程は省きまスけど、チェーホフは出したものをきちんと利用しろ、と言っているんじゃないかとアタシは解釈してるっス。なぜなら創作において意味のないものは存在し得ないから」

 

 社内のそこらに設置されているディスカッションスペース (単に背の高いカフェテーブルを置いたものだ) が、まるで本当に議論のために使われているような感覚に襲われる。社員の方たちならまだしも、私たちがこのスペースを使うのはまず雑談のためでしかない。アイドルの新しい企画を草案ながら真剣に討議している隣でそのアイドルたちが楽しそうに談笑している光景が、ここではまったくの自然として存在している。むしろそうしていることこそが推奨されているような気さえしてくるくらい。私たちの職業はもちろん真剣に取り組むことが大事ではあるけれど、それ以上に要求されているものがあるからだ。テレビの向こうのコワい顔は役者に任せておけばいい。

 比奈さんは真面目な表情を崩さずに、でも気分が乗っていることを隠そうとはせずにさらに詳しく説明をしてくれる。ときおりコンビニコーヒーを口にする姿が似合うのは、きっと私がこの人を大人だと認識しているからだと思う。自分の好きなものくらい自分で決められなくて何が大人だろう、と役者の世界を抜け出して、そう考えるようになった。今ではもうその手の質問にドールハウスと迷いなく答えられるようになったくらいに。世間は思っていたより寛容だし、無関心なのだ。

 

「それは逆説的に言えば、もし銃が撃たれないのなら撃たれないこと自体に意味を持たせるべきだっていうことなんでしょうか」

 

「んん! やっぱり泰葉ちゃんは理解が早いっスねえ」

 

 ぱちぱちと手を叩くしぐさにわざとらしいものが少しも感じられなくて、なんだか照れくさくなってしまう。なんというか、まっすぐな人間性をしているひとはこういう敵無し感があってまぶしい。多少なりとも仮面をかぶっていてくれれば、そうだとわかるし対応も取れるのに。

 

「漫画を描くのってものすごく大変なんですね、そんなに考えなくちゃいけないなんて」

 

「あー、いやそういうワケじゃないんスよ、なんというか……」

 

「なんというか?」

 

「創作畑の人間ってなにか縋れるものが欲しいんスよ。だからいろいろ理論とか調べちゃって」

 

 たはは、とそれこそ漫画みたいに恥ずかしそうに語る姿に、やっぱりウソは見えなかった。

 

 見知らぬ深い森の探検は収穫もあったし、なにより楽しかった。そしてその楽しい時間は比奈さんの打ち合わせの時間という現実的な事情で終わりを迎えた。私たちは基本的にそういう世界に暮らしている。休みを合わせて計画的にしないと満足に遊ぶことなんてとてもできない。それはつまり恵まれていることの一側面でもあるのだけれど。

 

 

 化粧水とヘアコンディショナーと、あとはブルーベリージャムが切れかけていたことを思い出して電車を降りた足で私は薬局へ向かう。薬局は生活用品に限ればなんでも揃っていて、近所にあるところは大きいせいでもともとの用途を忘れてしまいそうになるほどだ。処方箋を持っていって薬をもらうだけの場所というイメージは、古くさいどころか私の中では間違っていることに分類される。もう薬局は売っているお菓子を見て悩めるような場所なのだ。

 当然ながらお客さんの数は多くて、時間帯によってはレジ待ちに10分近く待たされることもあるくらいで、何日分の買い物だろうと思わされるような人が列の前に並んでいてため息をついたことだってある。それ以来その薬局に行くときにはタイミングを計るようになった。

 

 商品棚の並んでいる順番とレジまでの道のりの関係上、ブルーベリージャムを最後にカゴに入れることになる。ジャムといえばブルーベリーだ。これは私が手に入れた偏見のなかで最高のものだと思っている。サイズのわりにずしりと重いその感触が、私の朝を彩るのだ。もちろん毎朝というわけではないけれど。

 外は季節を少し先送りしたような暖かさで、歩く速度にもよるだろうけど、三十分も歩けば汗がにじみそうなくらいの気持ちいいものだ。きっと花粉さえなければ最高の季節だと思っている人は多いだろう。家に着いたら何をしようか。まずは掃除かな、布団も干そう。一人暮らしをしているとこんな感じで時間が過ぎていく。慣れてしまえばどうということもないどころか、雨で洗濯物が干せない日にはげんなりしてしまう。実家の母と話をしたときにそういう会話で共感してしまったことに気付いて、若さに象徴されるものにひびが入ったような気がしたけど、それは内緒。

 家事に慣れてきてしまうと、余暇も含めて一人の時間が圧倒的に増える。趣味にふけったりテレビをなんとなく見たりする時間も増えたけど、ただぼんやりといろんなことに思いを馳せることが増えた。そうでなければ比奈さんに話を聞こうと思ったりはしないはずだ。そうなる前の私はどう考えても余裕のない人間だったから。きっと今日みたいな帰り道も演じる役をどう詰めるかとか、台本をどう読み取るかなんてことばかりを考えていたに違いない。それはそれでおかしなことではないけれど、私はそうでなくなることを選んだのだ。

 ドアを開けるとあんまり面白みのない部屋が私を出迎えてくれた。だって鍵を閉めているからといって、まさかドールハウスをまるごと出しっぱなしにしていってきますなんてわけには、さすがにね。手を洗ってうがいをして、まずはテレビをつける。これでとりあえずはオーケー。どちらかといえば私は騒がしいほうが気が楽なタイプで、一人で静かな部屋にいると変に緊張してしまう。だから完全なオフにはよく出かけるし、静かでも人がいるような場所がいい。たとえばあのカフェみたいに。

 

 買ってきたものをしまって一息つくと、映画のCMが目についた。ひと目でわかる。邦画らしい陳腐なラブストーリーだ。ナレーションがまったく予想を外さないセリフを残していく。どうせ誰かが死に直面するのだろう。顔の整った男女の若い役者のそれぞれのアップからツーショット、そしてシンプルな背景にタイトルが浮かぶ。私がどうこう言える立場にはないけれど、きっとこうやって潰されていった才能ある役者も多くいるんだろう。これは個人的な考えだけど、本当にいい映画はテレビCMを打たないものだ。そしてそういう映画は、とても個人的なものだ。

 なんだか自己嫌悪に陥った私は、チャンネルを別の局に切り替えた。

 

 

 

 

 


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