まほうつかいのおしごと!   作:未銘

11 / 24
#011 一斉予選

 夜叉神天衣。その名前が将棋界で騒がれ始めたのは、ごく最近の事だ。

 

 始まりは四ヶ月前、史上二番目に幼い小学生名人として。画面映えする可憐な容姿に、少し前に話題となった九頭竜四段の記録超えという事もあり、それなりにメディアを騒がせた。それでも、言ってはなんだが所詮は小学生名人だ。将棋界での注目度は低かった。

 

 本格的に注目を集めたのは一ヶ月前、史上最年少でのマイナビ女子オープン予備予選突破から。女流棋士を相手に無傷の四連勝を果たし、メディアと将棋界の双方に確かな存在感を示した。対局相手の実力はさて置き、将棋を生業とする大人より強いとなれば話題性は高くなる。

 

 女性棋士の中で最も実力があり、人気が高いのは空銀子だ。未だ女流棋戦は全勝無敗で、近頃はテレビ取材を通して『浪速の白雪姫』という通称が広まった事もあり、一般での知名度も鰻登り。その後釜に座る将来のスター候補だと、夜叉神天衣は目されている。

 

 あるいはこのまま勝ち進み、早過ぎる世代交代が起こるのではないか、とも。

 

 馬鹿々々しいと、月夜見坂(つきよみざか) (りょう)は考える。将棋は才能の世界だと痛感しているし、夜叉神天衣が天才である事も認めよう。だが空銀子は言い過ぎだ。自身も辛酸を嘗めさせられた最強の女王は、易々と手が届く存在ではない。それを引き合いに出し、無責任に騒ぐ連中が気に食わなかった。

 

 将棋を軽く見られたようで、空銀子を甘く見られたようで、そんな奴らには冷や水をぶっ掛けてやりたい気分になる。女流玉将として、女流タイトル保持者として、燎はそう考えていた。

 

 だからマイナビ女子オープンの一斉予選で、夜叉神天衣と同じブロックになった時は感謝した。自分が倒すと、馬鹿どもが勘違いする前に幕を引いてやると、そう意気込んだのだ。

 

(くそっ、なんで……!)

 

 一斉予選二回戦。本選出場を決するその戦いで、燎は顔に苦悶を滲ませていた。相手は望み通り夜叉神天衣。一回戦の女流棋士を難なく沈め、当然とばかりに戦いの舞台に上がってきた敵だ。

 

 間近で見れば、余計に際立つその幼さ。生意気そうな見た目とは裏腹に、その指し回しに驕りはない。『攻める大天使』の異名を誇る燎の猛攻を、焦れる事なく受け流している。

 

 本局、自身が得意とする横歩取りから、燎は激しい急戦に持ち込んだ。攻撃的な早指しは彼女の持ち味であり、相手のペースを奪って一方的に攻め立てる。並大抵の女流棋士ならわけもわからず敗北するし、女流タイトル保持者だろうと、一部を除けば容易には凌がせない。

 

 だというのに夜叉神天衣は、涼しい顔で彼女の攻めをかわし続けている。

 

(こんなはずじゃ――――ッ)

 

 小学生名人の棋譜を調べた時、燎は夜叉神天衣に勝てると思った。たしかに強い。七年前、当時小学五年生だった燎が、小学生将棋名人戦で敗れた八一よりも、もしかしたら強いかもしれない。だがあの頃よりも力を付けた自分なら、十分に降せる相手だと判断したのだ。

 

 マイナビ女子オープン予備予選の棋譜を見て、燎は些か不安に駆られた。小学生将棋名人戦から三ヶ月、明らかに強くなった夜叉神天衣の棋力は、今の自分にさえも届き得る。それでも、まだ、負けるほどではない。勝機は我に有りと、彼女は考えていた。

 

 しかして本日、実際に対局した燎の脳裏をよぎるのは『敗北』の二文字。

 

 四ヶ月だ。たったの四ヶ月で、人はここまで強くなれるのか。自分が七年掛けて積み上げてきたものは、それだけの時間で追い抜ける程度のものだったのか。

 

「…………っ」

 

 紅を引いた唇を、燎はキツく噛み締めた。

 

 これは甘えだ。将棋は才能の世界で、追い抜かれるのは日常茶飯事。今までも経験してきたし、女流玉将まで上り詰めた燎は、追い抜いてきた側の存在でもある。

 

 重々承知した上で、研鑽に励んできたのだ。負けて堪るかと、自分はまだやれると、前へ前へと進んできた。これからだって、その歩みを止める気はない。

 

 だからこそ、己の弱さから目を逸らすべきではないだろう。

 

 攻め駒の多くを奪われ、碌に守りを固めていない自陣を見下ろし、燎は形作りを始めた。数手の後に、駒台に手を添えて投了する。

 

「負けました……」

「ありがとうございました」

 

 誇るでもなく、嘲るでもなく、これが日常風景といった様子で、夜叉神天衣は落ち着いている。感想戦に応じる態度もクソ真面目で、鼻につくと感じるのは、捻くれが過ぎるだろうか。

 

 だがこいつは本物だ。その才能も実力も、たしかに認めざるを得なかった。

 

「オメーは駒の動きが見えるタイプか?」

「はぁ? いきなりなんの話よ?」

「脳内将棋盤だよ。オメーはどんな風に考えてんだ?」

 

 女流玉将の敗北に盛り上がる観戦者を無視して、燎は夜叉神天衣に問い掛ける。

 

 一部の女流棋士、それもタイトルを獲るような実力者となら、意見が合う話題だ。脳内将棋盤で考える時、現在の駒がどう動くのかを読んでいくタイプと、考えるまでもなく動きが見えてしまうタイプに分かれ、女は前者で男は後者。つまり感覚レベルで違うのだと。

 

 だから気になった。この澄まし顔の天才が見ている世界は、自分たちと同じなのかどうなのか。あの空銀子でさえ、駒の動きは『読む』ものであって『見える』ものではないのだから。

 

 あるいはこいつなら、と密かに期待していた燎は、その回答に目を見開いた。

 

「最後は盤面に直すけど、基本的には棋譜で考えてるわ」

「棋譜ぅ!? おいおい、そりゃ8四歩とかの、あの棋譜かよ?」

「その棋譜よ。別にいいでしょ、自分がわかるならなんだって」

 

 拗ねたように夜叉神天衣は反論するが、燎にとってはそれどころではない。予想だにしなかった回答に頭が痛くなるというか、眼前の少女が宇宙人か何かに見えてきた。

 

 棋譜だ。符号だ。もちろん燎も棋譜は読めるが、断じて脳内将棋盤の代わりにはならない。

 

「いやいや、なに食えばそんな頭の可笑しいモンになるんだよ」

「寝る前にその日の棋譜を作って復習していたら、そっちで考えるのが癖になってたのよ」

 

 軽い調子で言ってくれるが、やはり燎には理解できない。だが同時に、興味も湧いた。同じ女でこうも感覚が違うなら、新たな知見が得られるのではないかと期待も生まれる。

 

「……なあ、オメーは自分が男に勝てると思うか?」

「ああ、要は男女の違いがそこにあるって考えてるのね」

 

 得心した様子の夜叉神天衣は、次いで呆れたように嘆息した。

 

「男は目的を意識する。女は過程を意識する」

「アン? いきなりナンだってんだ」

「私の師匠の見解よ」

 

 端的に言い切った夜叉神天衣の瞳は、ある種の信頼を感じさせる。おそらくは、彼女の言う師匠とやらに向けたもの。アマチュアという噂だが、この天才が信頼する存在とは如何ほどか。

 

「定跡をなぞるだけなら大した違いはない。男女で違いが出るのは、定跡から外れた道に進む時。その時に男は、まず目的を意識するそうよ。自分が求める結果を考えて、そのために必要な過程を意識する。だから繰り返す内に、指し手と結果が自然と結び付くようになるの」

 

 夜叉神天衣が人差し指をピンと立て、その指先を燎に向けた。

 

「逆に女は過程を意識する。一から順番に駒の動きを考えて、その結果がどうなるかを確認する。前を見て歩くのが男で、足元を見て歩くのが女、と言い換えた方がいいかしら。目的地を見ないで歩くから、自分の歩く道がどこに続いているのか、いつまで経ってもわからないのよ」

 

 真実、かどうかは不明だろう。男が何を考えているかなんて知らないし、どうやって強くなったかなんてわかるはずもない。それでも自身に限ってみれば、心当たりがないとは言えなかった。

 

「だったらオメーはどうなんだよ?」

「頭の中なんてよくわからないわよ、自分でもね」

 

 苦し紛れの問い掛けに、返ってきた答えは軽い調子で。あまりにアッサリ言い切るものだから、燎としても返す言葉に困ってしまう。その内に、夜叉神天衣が腰を上げた。

 

「それじゃ、もう行くわよ。気になる試合があるの」

「なんだ、他の奴らはまだ終わってねーのかよ」

「私たちが早過ぎたのよ。誰かさんが弱かったせいかしら」

「オメ潰すぞ。チッ、まぁいい。あとイッコだけ聞かせろ」

 

 立ち去ろうとした夜叉神天衣が足を止める。

 

「オメーの師匠、そいつはどんな風に見えてるんだ?」

「脳内将棋盤? 私も聞いた事はあるけど、言葉にできないそうよ」

 

 一拍。振り返った少女の眼差しは切なげで、どこか遠くに向けられていた。

 

「息をするようなものだからって」

 

 鈴を転がし、少女は背を向けて遠ざかる。燎はもう、それを止めようとはしなかった。残された言葉の意味を考えようとして、悩んで、放り投げる。息をするとは、なんだ。時に自分たちが熱を出すほど苦しむそれが、苦でもなんでもないかのように。

 

「……どんなフカシだそりゃ」

 

 燎はハンと鼻を鳴らし、疲れた顔で椅子にもたれ掛かった。

 

 

 ■

 

 

 祭神(さいのかみ) (いか)という女流棋士が居る。女流帝位のタイトル保持者であり、現役の高校一年生。名前を連想させる長い金髪をツーサイドアップにし、蛇のような目を持つ、見た目は可愛らしいと言える少女だ。あくまでも、見た目に限った話ならば。

 

 最も強い女性の棋士が誰かという問いに、多くの者は空銀子と答えるだろう。積み上げた実績が示す彼女の実力は否定しようがなく、今もなお最前線で戦う女性棋士の頂点だ。

 

 だが最も才能ある女性の棋士が誰かと問われれば、将棋関係者の多くは祭神雷を挙げるだろう。ムラッ気が強く、雑魚が相手だとやる気が出ないからと言って成績が安定しないが、女流枠のあるプロ棋戦に出た時は、プロ棋士を相手にいくつも白星を積み上げているのだ。

 

 また祭神雷と空銀子は、かつて一度だけ対局した事がある。その時の結果は祭神雷の反則負け。しかし投了図を見た将棋関係者の評価は、才能なら祭神雷が上というものだった。

 

 ともすれば女流棋界の頂点にも立ち得る逸材。そんな祭神雷に対する評価は、好悪で大きく二分される。コアな支持者が居る一方で、蛇蝎の如く嫌われる存在でもあった。

 

 他者に礼を示さぬエゴイスト。とかく祭神雷は、口も性格も悪過ぎる。

 

「どいつもこいつも女流棋士って奴はさぁ、才能ない癖にウザいんだよねぇ」

 

 天衣の眼前で対局する祭神雷は、心底相手を見下す目で吐き捨てた。厭らしく口角を吊り上げ、ギョロリと対局相手を睨み付ける様は、さながら蛇のよう。

 

 祭神雷と対峙しているのは、青い顔をした鹿路庭珠代。強く唇を引き結んだ彼女は、瞳に怯えを滲ませながらも、気丈に祭神雷を睨み返している。

 

「お前も見えてないニセモノだろ? だから恥ずかしげもなく続けてるんだろ? こんなとっくに終わってる局をさぁ。こっち、つまんねぇ雑魚に使う時間はねえんだよ!」

 

 激しく盤上に叩き付けられた一手。それを確認した珠代が瞠目し、ガックリと項垂れた。詰みに気付いたのだろう。祭神雷の言葉通り、何手も前から詰んでいた事実に。

 

 珠代が力なく玉を動かせば、祭神雷は白けた顔で手を振った。

 

「あーあー、形作りとか要んない。時間のムダ」

「ッ…………負けました」

 

 投了を聞いた祭神雷はニヤリと笑い、すぐに席を立って歩き去る。

 

 感想戦は義務ではない。無視したところでペナルティは与えられないが、やはりマナーが悪いと眉を顰められる行為ではある。勝者と敗者が互いの読み筋を披露し、全力を出し尽くす事で、より高みを目指し合う。それを将棋の美学と捉える者も多い中で、あっさりと祭神雷は蔑ろにした。

 

 後に残された珠代は、一人で盤と向き合い、どこが悪かったかと駒を動かし考えている。天衣がゆっくりと歩み寄っていけば、気配に気付いたらしい彼女が顔を上げた。

 

 少なくとも、目は死んでいない。それを確認できただけでも満足だ。

 

「本戦で当たれば蹴散らすけど、仇は自分で討ちなさい」

「当たり前でしょ。あんまり寝惚けた事を言わないでよね」

 

 いささか歪な笑み。けれどたしかに、珠代の闘志は消えていない。

 

「今年の奨励会試験を受験するわ。この大会も空銀子に興味があっただけだし、もう女流の大会に出る事はないでしょうね。あなたともこれでお別れかしら」

「……陣屋旅館で待ってなさい」

 

 珠代の言葉に、天衣は口端を吊り上げた。

 

 陣屋旅館。正式名称は元湯・陣屋。神奈川県の鶴巻温泉にあるその旅館は、古くから将棋のタイトル戦で利用されてきた。そして女王のタイトル戦第一局は、陣屋旅館で行うのが伝統だ。

 

「それができなきゃ、ビッグマウスが尻尾巻いて逃げたってネタにしてやるから」

「ハッ、上等じゃない。どちらが大口叩いたか、次の大会で確かめてあげる」

 

 鼻を鳴らしてそう告げて、天衣はその場を立ち去った。




★次回更新予定:6/14(日) 19:00

今回の話で書いた男女の違いに関しては、それっぽく理屈付けしただけなので、特にそういう研究結果があるとかではないです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。