まほうつかいのおしごと!   作:未銘

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#013 広がる噂

 一人暮らしを始めようと決意した時、八一は将棋会館の近くにしようと考えた。なんと言ってもプロ棋士だ。仕事で各地に赴く事も多いとはいえ、やはり最も用があるのは将棋会館だ。深夜まで対局が続く場合もあるし、歩いて通える距離が望ましい。

 

 そんな風に算盤を弾いた八一は、将棋会館の近くにある商店街で部屋を借りた。オートロックもエレベーターもない古ぼけたアパートの二階だが、広さだけは2DKと過分なほどである。もっとも最終的な決定権は、何故か部屋を借りる本人ではなく、姉弟子の銀子にあったのだが。

 

 さておき、将棋会館から徒歩十分足らずの広い部屋だ。多少年季の入った建物とはいえ、内部は手入れが行き届いており住みやすい。となれば、関西棋士としては余裕で及第点を与えられるし、親しい棋士の溜まり場となるのは当然の帰結だった。

 

 この日も八一の部屋には、奨励会時代の仲間が訪れていた。

 

「本当によかったのか? こんな時期に俺たちの相手してて」

 

 座布団に腰を下ろして喋るのは、爽やかな風貌の成人男性だ。

 

 鏡洲(かがみず) 飛馬(ひうま)。八一が奨励会に入った当時から三段リーグで戦っている大ベテランで、最年長の奨励会員でもある。既に奨励会の年齢上限となる満二十六歳を過ぎているのだが、三段リーグ勝ち越しによる延長ルールが適用されて、今もプロを目指して頑張っている。

 

 決して実力不足なわけではなく、過去には若手プロ棋士も参加する新人戦での優勝経験もあり、いつプロになっても可笑しくないほどだ。非常に面倒見もよく、多くの奨励会員から慕われている兄貴分なのだが、どうにも機会に恵まれない不運な人でもあった。

 

「ぼくは八一さんと将棋ができて嬉しいですけど、竜王戦は大丈夫ですか?」

 

 鏡洲の隣で同じく座布団に座るのは、十歳前後の幼い少年だ。

 

 端麗な顔立ちの彼は(くぬぎ) 創多(そうた)。ただいま小学四年生。八一が知る限り最も将棋の才能に恵まれた奨励会員であり、あと一年も経たずに入品するであろう実力者だ。八一と鏡洲の事を慕っており、八一がプロになった時も、我が事のように喜んでくれた覚えがある。

 

「その件ですけど、俺ってマジで竜王に挑んでるんですよね?」

 

 どこか浮ついた様子で八一が零せば、対面の二人が怪訝そうな顔をした。

 

「はぁ? 火曜の二勝目で勝ち越したばかりだろ」

「そうですよ。棋士室の盛り上がりも凄かったんですからね」

 

 竜王戦。将棋のタイトル戦で序列一位に君臨する棋戦の特徴は、あらゆる棋士に開かれた門戸の広さだ。現役棋士全員に参加資格があるだけではなく、女流棋士枠と奨励会員枠、アマチュア枠も用意されており、文字通り将棋に関わるすべての者にタイトル獲得の機会が与えられている。

 

 まさしく最強の棋士を決めるに相応しいタイトル戦であり、優勝賞金も四千万超えと最も多い。新米ながら現役棋士として参加した八一は、トントン拍子で勝ち進み、ついには最強の栄誉に手を掛ける場所まで駆け上がってしまった。

 

 現在、竜王戦七番勝負の第三局を終えて二勝一敗。十日後には第四局が控えている。

 

「なんか現実感がないっていうか、頭の中がフワフワしてるんですよね。竜王と指してる時は盤面しか見えないんですけど、終わってみると、足元が覚束ないというか」

 

 一年と一ヶ月前、八一は三段リーグを抜けてプロ棋士の仲間入りを果たした。デビュー戦でボロ負けし、傷心から立ち直り、プロとしてやっていけそうだと安堵したのは記憶に新しい。そんなオムツが取れたばかりのヒヨッコが、いつの間にやら竜王位挑戦者だ。しかも、史上最年少の。

 

 凄い事だと思う。周囲の熱狂もわかる。己が第三者の立場であれば、嫉妬と共に羨望の眼差しを注いでいただろう。それが想像できるからこそ、その中心に立つ自分に実感が湧かなかった。

 

「だからまぁ、気持ちのリセットと言いますか、馴染んだ奨励会の空気を感じようかと」

 

 あるいは勢いのままに駆け抜けた方が、意外と勝ててしまうのかもしれない。勝負にはそういう面もある。だが八一は、全力で戦いたいのだ。全力を出し切ったと、胸を張って言えるような将棋で竜王に挑戦したいのだ。だから二人に声を掛け、普段の調子を取り戻そうとした。

 

「姉弟子や師匠とも会ったんですけど、みんな意識し過ぎてギクシャクしちゃって」

 

 鏡洲と創多は顔を見合わせ、一つ頷いた。

 

「ま、そういう事ならわかったよ。ただそうなると、持ってきたネタは刺激が強いかもな」

「ぼくは大丈夫だと思いますよ。八一さんにとっていい刺激になるんじゃないですか」

「引っ掛かる物言いですね。なんかヤバいモン持ってきたんですか?」

「関西奨励会で、今一番ホットな話題だよ」

 

 悪戯小僧のように笑った鏡洲が、持ってきた荷物から紙の束を取り出した。十枚程度のそれらを渡された八一は、ペラペラと捲って確認していく。

 

「棋譜ですね。誰の――――夜叉神天衣って、小学生名人ですか?」

「そうだ。彼女が例会で指した十二局の棋譜をまとめてある」

「十二局って、今年入会なら全局分じゃないですか」

 

 奨励会では月に二回の例会があり、会員同士で対局を行う。級位者なら例会ごとに三回、段位者なら二回の対局が基本で、その戦績によって昇級や降級が決められる。八月の試験で入会した者は九月二回目の例会から参加となっており、これまでに四回の例会に参加しているはずだ。

 

 改めて棋譜を確認した八一は、ある事実に気付いて口端を引き攣らせた。

 

「全勝って…………マジすか?」

「マジだ。彼女は二ヶ月で4級になった」

 

 真面目な顔をした鏡洲の返答に、八一は思わず天を仰いだ。

 

 奨励会の昇級点は六連勝、九勝三敗、十一勝四敗、十三勝五敗、十五勝六敗であり、いずれかを満たせば昇級となる。最短の六連勝なら二度の例会で昇級だが、一つ負けるだけでも九勝一敗が条件となるので、必要な例会は四度と倍になってしまう。

 

 理論上は6級入会でも半年余りで入品可能だが、現実はそれより遥かに長い。奨励会員の実力もさる事ながら、何よりも空気が違うのだ。お互いに相手を蹴落とすべき敵と認識しており、いずれ訪れる二十六歳という『死期』から逃れようと、死に物狂いで殺しに来る。その中で勝ち続ける、というのは後のタイトル獲得者でも難しく、八一とて散々に苦労させられたものだ。

 

「そんなわけで大注目株なんだが、棋譜を見て気付く事はないか?」

「ちょっと待ってください。すぐに目を通します」

 

 改めて棋譜を確認した八一は、詳細な検討はさておき、思い付いた感想を口にしていく。

 

「序盤の構想が多彩ですね、面白そうな新手もありますし。ただ、どうも形勢判断が独特じゃないですか? 見ない形の駒損で攻め込んでるのに、結果として上手く作用してるというか」

 

 形勢判断は『玉の堅さ』『駒の損得』『駒の働き』『手番』の四つが判断材料となるが、中でも『駒の損得』を意識する場面は多い。評価基準として定量化しやすく、パッと判断できるからだ。もっとも損得の価値観に引き摺られて、逆に悪手を指す場合もあるわけだが。

 

 駒の交換が発生する状況で、相手が失う駒よりも、自分が失う駒の方が高価値であれば駒損だ。時には駒損でも攻めるべき局面はあるし、終盤は駒の損得よりも速度を重視しろという金言もあるが、それでも天衣の形勢判断は違和感を覚えるものだった。

 

「たとえば第二局は、中盤に入ってすぐに銀桂交換した上で、二枚目の銀も捨てています。囲いを崩して角で睨みを利かせる狙いはわかりますが、随分と思い切りがいい手ですよね」

 

 時には駒損してでも攻めを繋いで勝てばいい、というのは現代将棋の考え方ではある。けれど、それにしたって綱渡りが過ぎるだろうと八一は思う。たしかに効率的な攻めかもしれないが、裏を返せば余裕がない。少し読み間違えるだけで、手痛い反撃を喰らう恐れがある。

 

 ただ同時に、八一はその攻め方に既視感を覚えていた。

 

「――――――あぁ、コンピューターっぽいのか」

「さすが八一さん! ぼくも同じ意見です!」

 

 思い付きを呟けば、嬉しそうに創多が同意する。

 

「先入観に囚われない発想や、囲いを最小限に留めた大胆な攻めはAI将棋の特徴です。そうしたAIの考え方を取り入れようとしている、とぼくは考えています」

「小学生名人やマイナビとは棋風が違うから、たぶんそっちが本来のものだろうな」

「……奨励会で試している、という事ですか?」

 

 だとしたら、入会したばかりで随分と度胸がある。未知の戦場に飛び込んだというのに、普段の棋風を捨てて戦えるというのは並大抵ではない。それで連勝しているのだから尚更だ。

 

「推測だけどな。関西将棋会館のルールとかは俺が面倒見てるが、肝の据わった子だよ」

「鏡洲さんらしいですね。もしかして将棋も教えてるんですか?」

 

 関西奨励会員には鏡洲の世話になった者が多く、かつての八一も奨励会のいろはを教わったし、将棋を教えてもらった事もある。そうした経験から出た質問だった。

 

「そっちは間に合ってると断られたよ」

「なるほど、噂の『先生』ですか」

 

 年齢に実力、何より見た目がいい夜叉神天衣は話題性が高く、既にいくつかインタビュー記事が出ている。夏に放送された空銀子のテレビ特集が反響を呼んだのもあってか、短いながらテレビの方でも特集があったはずだ。

 

 方々からの注目を集める夜叉神天衣だが、そんな彼女の話に度々出てくるのが『先生』だった。将棋を教わっている事と、アマチュアである事以外の情報は一切不明。ただ言葉の端々から敬意が感じられる事や、月光会長も存在を認めている事から、一体何者なのかと噂されていた。

 

「その『先生』、彼女の父親だったりしませんか? 夜叉神アマ名人って居ましたよね?」

「あー、いや……それはない。たしかに父親はアマ名人だが、もう亡くなってるからな」

 

 歯切れの悪い鏡洲の答えに、八一は目を丸くする。

 

「会長が動いてるみたいで、まだ一般には広まってないけどな」

「えっと、じゃあ鏡洲さんは会長から?」

「いや。奨励会員はアマチュア棋戦の運営に駆り出されるだろ? 若い頃にそこで知り合ってさ、随分と将棋を鍛えてもらったよ。その縁で知る機会があってな」

 

 寂しげに語る鏡洲に、いよいよ八一は言葉を失くした。どう声を掛けるべきかと迷っていたら、そんな八一を見かねたのか、当の本人がニカリと笑う。

 

「ま、辛気臭い話は置いとこうぜ。とにかく俺が『先生』とやらを知らないのはマジだ。あの人がアマ名人になった頃には、顔を合わせる機会も少なくなってたしな」

 

 一息入れて、鏡洲はしたり顔を八一に向ける。

 

「とはいえ、心当たりがないわけでもない。つい零した感じで詳しく話しちゃくれねえし、聞いた当時はそんな馬鹿なと笑ったが、世の中にはコイツみたいなのも居ると知ったしな」

 

 創多の頭に手を置いて、どこか物憂げに鏡洲は続けた。

 

「一度も勝てない『子供』が居る。名人との記念対局で勝った後、あの人はそう言ったんだ」

 

 

 ■

 

 

『集中力が落ちてますから、そろそろ一息入れましょうか』

 

 スピーカー越しに聞こえた言葉に、珠代は安堵の息を吐き出した。

 

「ありがとー。ほんと、湊くんはよく気が付くね」

 

 愛用のノートパソコンに話し掛けながら、珠代はクッと伸びをする。慣れ親しんだ自室の椅子に背中を預け、強張っていた体から力を抜いていく。

 

 今日は月に何度かある湊との研究会で、既に開始から二時間ほど経っていた。絶えず鋭い指摘が飛んできて大変なのだが、不思議と疲れを覚える頃に休憩を挟むので苦にならない。指摘や質問の内容も理解できるものばかりで、自身の力不足を実感すると共に、次へ活かそうと考えられる。

 

 これまで珠代は、色々な男性棋士と研究会を行ってきた。男性相手なのは少しでも強くなるためなのだが、女流棋士の間では『婚活』と揶揄される事も多く、その所為でギクシャクして研究会を解消された事も少なくない。

 

 そうした経験を鑑みれば、湊との研究会は快適だ。余計な横槍はないし、男性棋士相手の時にあった、レベルが違い過ぎて理解できないという事もない。だからこそ湊との出会いには感謝しているが、同時に思い浮かぶのは、彼を通して知り合った少女の存在だ。

 

「あの子、奨励会でも快進撃みたいだね」

『ええ。スタートで躓かなくて安心しました』

「最初にケチがつくと引き摺りやすいもんね」

『ですね。まぁ、そろそろ黒がつくと思いますが』

 

 上出来過ぎるので、と付け加える湊の声は、慎重を装いながらも嬉しそうだ。親馬鹿と言うか、弟子には随分と甘いと、付き合いの短い珠代でもわかる。

 

「早めに負けといた方が気楽かもね。気にするタマじゃないかもだけど」

 

 最年少で竜王位に挑戦する九頭竜八一と並び、将棋界で話題の天才少女。まだまだ侮る声は多いが、着実に実績を重ねていく姿に、期待を寄せる者も増えてきている。

 

 人気二番手の女流棋士として仕事の多い珠代は、そうした業界の空気を肌で感じていた。

 

「十二月にマイナビ本戦の二回戦があるよね?」

『はい。祭神女流帝位が相手になりました』

「そうそう。どっちも話題性が高いから運営も力が入っててね。マイナビの方でもニコ生で中継を予定してるんだけど、私が聞き手に選ばれたんだ。解説はジンジンでさ」

『あー、珠代さんは聞き手として人気がありますからね』

 

 歯切れが悪い湊の声に苦笑する。祭神雷の対局で聞き手を務めるというのは、あまり楽しい仕事ではない。それでも仕事を受けた以上は、プロとして役目を果たすのだが。

 

「私の話は置いといて、それだけ注目されてるってこと。特にマイナビは一般人も知る空銀子への挑戦権を賭けてるからね。勝った分だけ周囲の期待は重くなっていくよ」

『天衣の心配ですか? ありがとうございます』

「別にそういうわけじゃないけど……」

 

 思わず言い淀み、目を泳がせながら、珠代は言葉を継いだ。

 

「聞き手だし、こっちが話に困るような将棋は指さないよう言っておいてよ」

 

 スピーカーから響く笑い声は、聞こえなかった事にした。




★次回更新予定:6/28(日) 19:00

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