まほうつかいのおしごと!   作:未銘

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#015 降誕祭

 十二月二十五日。いわゆるクリスマス。宗教的な意義はさておき、日本全国が祝い事と浮かれるこの日に、夜叉神邸でもささやかな食事会が開かれていた。

 

 参加者は屋敷の主である弘天に、孫娘の天衣、そしてどういうわけか呼ばれた湊だ。事の発端は弘天の思い付きで、天衣の誕生日があった二週間前になって、いきなり湊と食事会がしたいと言い出した。試しに湊を誘えばあっさり了承され、弘天が張り切って開催と相成ったわけだ。

 

 もっとも号令を掛けた張本人は食事を終えて早々に席を外し、今は天衣と湊の二人だけだが。

 

 用意されたケーキと紅茶を楽しみながら、対面の湊に目線を送る天衣。指導のため休日の朝から湊を呼ぶ事も多く、その度に昼食を共にしてきた。もちろん、時には夕食も。だから普段と大して変わらないはずなのに、クリスマスという名札を付けただけで、いささか気後れしてしまう。

 

「今日はおじいちゃまに付き合ってくれてありがとう」

「こちらこそ、ひさしぶりに弘天さんとゆっくり話せて楽しかったよ」

「ならいいけど、本当に予定はなかったの? その……家族とか」

「こっちを優先しろと怒られたよ。人付き合いが少ないんだから、縁を大事にしろってさ」

「そう。先生がいいなら、まぁ――――」

 

 なんだか言葉がまとまらなくて、歯切れ悪く空気に溶けた。

 

「でも、本当にプレゼントはなくてよかったのかな?」

「いいのよ。誕生日にもらったし、こっちも誕生日用に準備したし」

 

 およそ二週間前にあった天衣の誕生日に、去年と同じく湊はプレゼントを贈ってくれた。中身はベロアとシフォンのシュシュが三種ずつ。いつもの髪型でも右側頭部でひと房だけ括っているが、たまには変えるかと、いくつか試していたりする。ちなみに今日はポニーテールだ。

 

 別に深い意味はなく、なんとはなしに髪を弄って話題を探す。

 

「それより将棋の話なんだけど」

 

 選んだのは、結局いつも通り。切り出してから、失敗したかなと後悔した。

 

「気に入ったの? 九頭竜竜王のこと」

 

 史上最年少で竜王挑戦権を得た九頭竜八一は、世間の期待に違わぬ熱戦を繰り広げ、三勝三敗で最終局へと持ち込んだ。そして最終局の対局日は、奇しくも十二月二十四日と二十五日。つまりは今日が最終局二日目で、つい先ほど、史上最年少の竜王が誕生した。

 

 さすがに食事会中は控えたが、天衣と湊も昼間から棋譜中継を確認し、あれこれ意見を交わしていた。それ自体は可笑しな事ではないのだが、違和感があったのは、湊の様子。

 

 よく言えば平等。悪く言えば無関心。知り合いでもなければ大して興味を見せない湊が、今回は随分と九頭竜に寄った話し方をしていたように思う。無論、史上最年少竜王の誕生となれば棋史に残る一大イベントだ。将棋ファンなら応援したくなるものだろうが、どうにも違う気がした。

 

 そうした疑念を乗せて見詰めていると、湊は困ったとばかりに苦笑する。

 

「気に入ったというか、僕の勝手な期待かな」

「期待って……なんの期待よ?」

「強くなりそうだなって」

「対局してみたいの?」

「僕自身は別にいいかな」

 

 気まずそうに頬を掻き、視線を彷徨わせた湊は、

 

「――――――名人を倒せるほどの棋士になってほしいんだ」

 

 よくわからない事をのたまった。

 

「……嫌いだったの? 名人のこと」

「僕が憧れた棋士はあの人くらいだよ」

 

 それもまた初耳で、天衣の混乱は深まるばかり。そもそも湊が名人の話をしているところなど、ほとんど彼女の記憶にない。いつだってプロの世界と距離を置いて接しているように見えた天衣の師匠が、特定の棋士に入れ込むというのも、いまいち想像できなかった。

 

 話の繋がりもよくわからず、困惑を露わにする天衣に、湊も言葉を探しているようだ。

 

「今でこそ複数人で研究会を開くのが一般的になったけど、昔は一人で研究するのが主流だった、という話は知ってるかな? まぁ、それなりには研究会もあったみたいだけど」

「ええ。研究会と言えば初代竜王の話が有名だけど、当時は珍しかったそうね」

 

 後に初代竜王となった棋士が、二人の奨励会員に声を掛けて発足した研究会は、将棋界における伝説として語り継がれている。途中から現名人も参加したこの研究会は、参加した四人全員が後の竜王位獲得者であり、初代竜王を除く三人は名人位まで獲得したという凄まじいものだ。

 

「うん。まさにその研究会が有名になったのもあって、将棋界の新たな常識として定着したんだ。一人で延々と頭を悩ませるよりも、他の棋士から刺激を受けた方がいいってね」

 

 話を区切った湊は、手元の紅茶を口に運ぶ。

 

「翻って僕が感じているのは、『もったいない』ということ」

 

 静かな口調に、籠もる熱。その声音こそが何よりも、湊の本気を物語る。

 

「かつての名人には切磋琢磨するライバルが居て、追い越すべき先人が居た。けど凄まじい速度で成長する彼は瞬く間に将棋界の頂へ辿り着き、ついには七冠を制覇して『神』となった」

 

 将棋ファンなら誰もが知っている名人の伝説。現在の七タイトル制になって以降、同一年度での全冠制覇を達成できたのは名人のみ。その名人でさえ、一度しか成し遂げられなかった偉業だ。

 

 天衣が、そして湊もまた生まれる前の出来事で、そんなに昔から、名人は『神』だった。

 

「名実ともに、彼は揺るぎない棋士の頂点だ。それがもったいないと、僕は思う」

「どうして? 名人に憧れてるなら、それはいい事じゃない」

 

 問い掛ければ、眉尻を下げた湊が首を振る。

 

「今でも研究会や公式対局を通して、彼は成長し続けている。もちろん素晴らしい事なんだけど、あの人ならもっと強くなれるはずだと考えてしまうんだ」

「……ああ、そういう意味ね。強敵の不在が惜しい、と」

 

 つまり名人に対してではなく、名人以外の棋士に対する不満。好敵手と競い合う機会を、十分に得られなかった名人への嘆き。理想の押し付け染みたそれは、たしかに憧れなのかもしれない。

 

 らしくない、と思う心も憧れだろうか。自分が知らない一面に、一抹の寂しさを感じてしまう。

 

「どうして会長は光を失ってしまったのか、どうして後の世代は不甲斐ないのか、どうしてもっと早く――――――――まぁ、独り善がりが過ぎるけどね」

 

 なら先生自身はどうなのか。口を衝いて出そうになった言葉を、なんとか天衣は押し込めた。

 

 天衣から見た湊は強い。それこそ、どれだけ強いのかも判然としないほどに。だが一方で、湊が自身の実力を不純なものと見ている事も知っている。結局のところ勝負にこだわらないから棋士を目指さないのではなく、勝負を神聖視しているからこそ距離を置いている事も。

 

 一年以上、毎日のように将棋を指してきたのだ。少なからず湊を理解できたと自負している。

 

 純粋に湊の棋力が優れているのは間違いないが、彼の将棋で最も凄まじいのは、頭の中を覗いたように相手の手筋を読み切る鋭さだ。普段の様子からして、さすがに読心術といった超常の力とは思わないが、天衣や他の棋士とは異なる感覚を備えている、と感じずにはいられない。

 

 おそらくそれが、湊にとっての不純物。それを将棋の実力と、彼自身は認めていない。

 

 将棋には二つの考え方がある。一つは盤上真理を追求し、正解を導く事で勝とうとする考え方。もう一つは真理などどうでもよく、相手を間違わせてでも勝てばよいとする考え方だ。

 

 これに従えば湊は前者であり、盤上真理の追求こそ至上とするタイプなのは間違いない。そして真理を追い求めるからこそ、そこから外れた視点を持つ自分が許せないのではないか、というのが天衣の推測だった。潔癖症が過ぎる気もするのだが。

 

 それを思えば、名人に惹かれるのも納得できる。名人もまた盤上真理を追い求める棋士であり、相手が間違った手を指すと、自分が有利になったのに苛立ちを見せる、という逸話は有名だ。

 

 あるいは、だからこそ、名人を遠い存在と感じているのかもしれない。

 

 自らの将棋を盤上真理から離れたものと定義するが故に、その極致に立つ名人に憧れる。そして自らを卑下するが故に、自分ではなく他者に期待する。

 

 そう。湊の考えは推測できるし、理解もできる。だが同時に、天衣の胸に浮かぶのは疑念。否、それよりもずっと熱を帯びた感情だ。

 

「九頭竜竜王は、そんな先生が期待するほどの逸材なのね」

「そうだね。優れた棋士は多いけど、中でも彼には期待してしまうかな」

「だったら私は――――――」

 

 考えなしに、今度は言葉が口を衝いて出た。

 

「私はどうなの? 先生は期待してないの?」

 

 つまらない嫉妬だとは自覚している。奨励会に入ったばかりの分際で思い上がりも甚だしい、と言われたら反論できない。けれど、やはり、弟子として。師匠には誰よりも期待してほしい。

 

 知らず湊を睨むと、呆気に取られた様子で口を開いた彼は、すぐに優しく目を細めた。

 

「初めて会った日に言った通りだよ。道を選ぶのも、歩くのも、天衣自身だ。僕にとってはそれが何より大切で、だからこれは『勝手な期待』だし、君に名人の話はしてこなかった」

 

 キュッと心臓が収縮し、感情の高ぶりが小さな肩を震わせる。

 

 天衣とて、言葉の意図を汲めないわけではない。大切に思ってくれているからこそ、湊のエゴを押し付けたくないのだろう。それは理解できる。できるが、口元に不満が表れてしまう。

 

「……前言撤回するわ。やっぱりプレゼントをちょうだい」

「えっ? まぁ、僕にできる範囲ならかまわないけど」

 

 戸惑う湊を前にして、天衣は密かに深呼吸。ずっと前から考えていて、何度も何度も口にしようとしては、その度に思い留まってきたこと。それを初めて、湊に告げよう。

 

「先生が好きな戦法って『相掛かり』よね?」

 

 沈黙。後に、躊躇いがちな湊の反問。

 

「……どうしてそう思ったのかな?」

「だって、自分から指そうとしないじゃない」

 

 当然といった調子で答えれば、湊は目を丸くした。

 

「相掛かりは古くからあって、今でもプロが使う戦法よ。でも先生は指さない。私に指させるし、知識も教えてくれるけど、自分から戦法に選ぶ事はない。それってこだわりがあるからでしょ」

 

 一年余りの付き合いでしかないが、既に天衣と湊の対局回数は膨大だ。加えて指導を目的とする湊は一局ごとに棋風を変え、時にはB級戦法だって指しこなす。

 

 だからこその違和感。相掛かりほどメジャーな戦法を指さないというのは、意図していなければあり得ない。ではどうしてと考えた時、腑に落ちる理由は一つだけだった。

 

「先生は指導で自分の色を出そうとしないから、得意な戦法は避けてるのかなって」

「――――――まいった。たしかに相掛かりは()()得意戦法だよ」

 

 両手を挙げて息を漏らす湊に、天衣もまた胸を撫で下ろす。

 

「けど、それとプレゼントになんの関係が?」

 

 問い掛けに、口元を引き結ぶ。にわかに騒ぐ鼓動を意識から外し、震えそうな手を握って背筋を伸ばす。正面に座る師匠を真っ直ぐ見詰め、天衣は自らの想いを吐き出した。

 

「相掛かりを教えてほしいの。いつもみたいに私の能力を伸ばす教え方じゃなくて、知識を蓄えるやり方じゃなくて、()()()()がどう指すのかを知りたいの」

 

 硬い表情で押し黙った湊に向かって、ただ一心に頭を下げる。

 

「あなたの将棋を、私にください」

 

 よい弟子であろうと、これまで我慢してきた。でも本当は、ずっと言い出したいと思っていた。ずっとそうなればいいと望んでいた。それこそプレゼントをねだる幼子のように。

 

 師匠として『夜叉神天衣の将棋』を育てているのは理解している。けど、弟子なのだ。御影湊の弟子なのだ。なら『御影湊の将棋』だって教えてほしい。

 

 独り善がりかもしれないけれど、師匠の将棋を、棋士の世界へ背負っていきたい。

 

 一分は経っただろうか。あるいはもっと長いのか、それとも短いのか。どこか時間の感覚が麻痺した天衣は、微動だにせず、無心で頭を下げ続けた。

 

「……将棋盤を準備しようか」

 

 響いた声は柔らかく、告げる顔は穏やかで。顔を上げた天衣は、安堵と喜びを噛み締めた。




★次回更新予定:7/12(日) 19:00

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