まほうつかいのおしごと!   作:未銘

18 / 24
#018 将棋は一人にて成らず

 ひょっとして自分は聖人じゃなかろうか。そんな戯言が生石の頭をよぎった。

 

 いきなり襲来した無礼なガキの相手をしてやったばかりか、その後の頼みまで聞いてやるのだ。関西に二人だけのタイトル保持者である事を思えば、大盤振る舞いもいいところだろう。

 

 正直に白状するなら、後悔している。凄くしている。どうして面倒な約束をしたんだと、過去の自分をぶん殴ってやりたい気分の生石だった。とはいえ二言はダサいから、約束は守るのだが。

 

「よろしくな、お嬢ちゃん」

「……よろしくお願いします」

 

 目の前には、小さな少女。反抗的な眼差しだが、生石としては嫌いではない。少なくとも少女の師匠を名乗る誰かさんよりは、よほど対局し甲斐がありそうだ。名前は夜叉神天衣。幸か不幸か、生石が知っている奨励会員だった。それがまた、複雑な気持ちにさせてくる。

 

 生石と少女の間には将棋盤。これから平手で、この少女と対局する。

 

 無法者がやって来て、トチ狂った生石が対局の約束をしたのが昨日のこと。面倒な用件を早々に片付けられるのは助かるが、落ち着く間もない展開に頭が痛くなってくる。

 

 周囲には道場の客が集まっているが、昨日の件もあってか、やや剣呑な空気を醸し出していた。少女の付き添いらしい若い女とガンを飛ばし合っている奴も居るが、無視でいいだろう。

 

「確認だが、相掛かりで指せばいいんだな?」

「はい。それ以外は自由でかまいません」

 

 時計係を務める元凶は笑顔だ。それがまた気に食わないのに、いまいち怒る気がしない。どうも相性が悪いというか、ペースを掴めない相手だった。不思議と甘い対応を取ってしまう。

 

 嘆息。とりあえず将棋だと、生石は気持ちを切り替える。

 

「先手は譲るぜ。好きに指しな」

「……お言葉に甘えましょう」

 

 不服そうに口を尖らせて、それでも反論はせず、少女は駒を掴む。初手2六歩。二手目8四歩。そこから互いに飛車先を伸ばし、左金で角頭を守る。オーソドックスな相掛かりの出だしだ。

 

 続く少女の一手は3八銀。その手に生石は目を眇めた。

 

「飛車先交換は保留か」

「最近はこっちが流行りでしょ?」

「……ああ、そういう時代だったな」

 

 相掛かりの棋譜など流し読みで済ます生石だから、時流の変化には鈍感だ。それでも思い返してみれば、流行りの変化に感慨深さを抱いた覚えがあった。

 

 飛車先の歩交換に三つの得あり。昔からある将棋の格言の一つで、相掛かりや横歩取りではまず飛車先交換を目指すのが当然と考えられてきた。かつて弟弟子に相掛かりの相手をさせられていた頃も、プロ棋士の誰もが飛車先交換の定跡を指していた。

 

 ただ一人、生石の弟弟子を除いては。

 

 飛車先交換を保留し、相手の出方を見てから得な形を目指す。現代将棋の考え方にも通ずるその戦法を、弟弟子は奨励会の頃から得意としていた。

 

 こっちの方が戦術の幅が広がるし面白い。そんな理由で弟弟子が定跡を崩した時、師匠は生石の方を見て笑っていた。あっさり負けて顔を青くする師匠を、今度は生石が笑い返した。

 

 いずれ安易に飛車先を突く事はなくなり、そのタイミングが重要な戦術になる。それが弟弟子の持論だったか。たしか一冊だけ棋書も出版していたはずだが、当時は流行らなかった。月光会長がタイトル戦で採用してからは、チラホラとプロでも見掛けるようになったが、それも少数。主流を変えるほどの影響力は残せなかった。

 

 事故で亡くなって十何年と経ち、ようやく弟弟子の言っていた時代が来たわけだ。早かったのか遅かったのか、本人に意見を聞いてみたいところである。

 

「振り飛車党の玉将には難しかったかしら?」

「――――――いや、むしろ慣れてる」

 

 生意気な小娘に言い返し、生石が指したのは7二銀。先手に追随する形だ。次に少女は5八玉と指し、それを見た生石は、またも名状しがたい感情に襲われた。

 

「ったく、どうしてお前らは……」

 

 大きく息を吐き出して、気持ちを落ち着ける。

 

 5八玉は『中住まい』と呼ばれる囲いで、弟弟子が好んだ戦型だ。自玉を囲いの一部として見るこれは、堅さに欠ける代わりに左右のバランスがよく、上手く指されると実に攻めづらい。

 

 ――――――生石さんが中飛車なら、僕は中住まいを頑張りますか。ほら、中繋がりで。

 

 切っ掛けは、そんなくだらない会話だったはずだ。思い付きみたいな気軽さで使い始めた癖に、見事に使いこなしてしまうのは才能か。玉の利きがある所為でまとめづらい将棋にさせられ、気を抜けば一気呵成に斬り捨てられた。お陰で自身の感覚も磨かれたが、複雑な思いはある。

 

「年なんて取るもんじゃねえな」

 

 昔を懐かしむなんて、年寄り臭くてしょうがない。嫌だ嫌だと内心ぼやきつつ、かつての記憶を頼りに指していく。これがまた上手く指せるのだから、リアクションに困ってしまう。

 

 対峙する少女は、正直に言えば強い。年々奨励会のレベルは上がっているという話だが、これで級位者と言うのだから納得だ。才能だけなら、下手すれば空銀子より――――――。

 

 相掛かりの指し回しは、認めたくないが弟弟子を思い起こさせる。玉の使い方や大胆な攻めに、幻影がチラついて仕方がない。生石に対局を依頼したのは、それもあるのだろうか。

 

 しかし、だからこその違和感と言うべきか、物足りないと感じてしまう。実力ではなく、棋風の話だ。似ているが、所詮それだけで、悪く言えば物真似の域を出ない。指しこなすための感性が、少女の中で十分に育まれていない。

 

 センスなしと切り捨てるには、光る物があり。脳裏をよぎるのは、かつての会話。

 

 ――――――僕の将棋の一部は『生石将棋』です。これ、将来自慢してもいいですよ。

 

 知らず口元に刻んだ苦笑。本当に手間の掛かる、可愛くない弟弟子だった。

 

 

 ■

 

 

 時折、師匠の考えがわからなくなる。それが天衣の正直な気持ちだ。

 

 玉将が練習将棋をしてくれるって、などという爆弾発言を聞かされたのが昨日である。どうしてそんな話になったのか、どんな目的があるのか、碌な説明もないまま連れてこられた。

 

 教えた相掛かりを全力で指してほしいと言われたから、その関係だと推測できる。湊には珍しく教え方に悩んでいたし、両者の繋がりは不明だが、玉将に助力を請うたのかもしれない。それでも振り飛車党の玉将に相掛かりの相手を頼むのは、天衣からすれば不可解である。

 

 師匠の言い付けに素直過ぎるのも考え物だろうか。そんな考えが浮かぶも、結局は無茶な頼みをされない限りは、あっさり聞いてしまう気がする。信頼、という事にしておく。

 

 さておき生石玉将との貴重な対局経験だが、正直に言えば舐めていた。タイトル保持者とはいえ純粋振り飛車党だから、ほとんど相掛かりを指した経験はないはず。特に相掛かりは最近になって飛車先の常識が変化したため、力将棋になりやすいとはいえ勝機はあると見ていたのだ。

 

 甘かった。想像の何倍も玉将は上手で、どれだけ攻めても綺麗に往なされる。結局、最後まで主導権を握れないまま進んでしまい、既に盤上から勝ち筋は消え失せた。

 

 悔しい。敗北そのものよりも、それを湊が予想したであろう事が。弱く見られた事よりも、それを超えて強くあれなかった自分が。ひたすらに悔しかった。

 

「……負けました」

 

 顔を上げ、次は負けないと相手を睨む。玉将は何も言わず、小さく頷きを返すだけ。周囲の客が沸いているが、中心の二人は正反対だ。その空気を破ったのは、朗らかな湊の声音だった。

 

「強いでしょう、僕の弟子は」

 

 湊にしては珍しい自慢するような物言い。表情も、どこか普段より子供っぽい。呆気に取られるというか、予想外な師匠の様子に、天衣の肩から力が抜ける。というより、少し恥ずかしい。

 

「今日は負けましたけど、この子はまだまだ強くなれます」

「……筋はいい。年を考えりゃ破格だろう」

「けど物足りない、という顔ですね」

 

 指摘された玉将は、あからさまに嫌そうな顔をした。

 

「この子の師匠はお前だろうが。俺に何を期待してやがる」

「もちろんです。けど感覚を言葉にしようと思うと、難しい部分がありまして」

 

 一転、気まずそうに頬を掻く湊に、そうだろうなと天衣も同意する。

 

 相掛かりを教えてほしいと頼んだ天衣に、湊は様々な棋譜を並べて解説してくれた。第一印象は『真逆』。相手の将棋に合わせる繊細な指し方ではなく、自分のやりたいように押し通す荒い指し方。意外に思う気持ちもあったが、正反対だからこそ棋風を出しているのだと納得もした。

 

 困ったのは、棋風を教えるのも教わるのも難しいということ。積み上げた経験の上に表れる棋風は、ただ知識を得たところで身につくわけではない。天衣が自分の経験から棋風を作り上げていく事はできても、真似してものにするのは困難だ。

 

 幸い奨励会で指している将棋に近い面もあり、不可能とまでは感じなかったが、指しこなすには天衣の感性が追い付いていない。湊が斬り込む場面で、今の天衣は躊躇してしまう。その遅れが、隙となって相手に利する。だから経験を積んで感覚を磨く必要があるのだが、天衣が相手だと湊も加減してしまうのか、ぎこちなさの残る指し方になっていた。

 

 だからと言って生石玉将が出てくるのは、まるで理解できないけれど。

 

「将棋を教えてほしいとは言いません。ただ雑多な感想でも、何かヒントになるかと」

 

 真摯に湊が続ければ、玉将はガシガシと頭を掻いた。それから、天衣の方に視線を寄越す。

 

「嬢ちゃん、振り飛車党か?」

「えっ? そうね……どちらも指すけど、居飛車党かしら」

「なら振り飛車を指してみな。俺に言えるとすりゃそれくらいだ」

 

 思わず胡乱な目を返した天衣に、玉将は決まり悪そうに目を逸らした。

 

「適当に言ってるわけじゃないからな。似たような指し方の棋士を知ってんだよ」

 

 誰だと視線で問うても、すぐには答えが返ってこない。なんとも言いがたい表情で口元を結んだ玉将は、やがて寂寥感と共に言葉を零した。

 

「俺の弟弟子だ」

 

 ふむ、と天衣は首を傾げた。

 

 天衣の記憶が正しければ、玉将は大槌(おおつち) 大二郎(だいじろう)九段の門下だ。引退した大槌九段は後進育成に力を入れていると聞くが、弟子の話はパッとしない。棋士になれたのも玉将くらいのはずだ。

 

 いや、と思い直す。たしか他にも一人だけ、棋士が居たという話だったか。随分昔に亡くなったとかで、天衣もインタビュー記事か何かで見掛けた覚えがあるだけだが。

 

 ともあれ、すぐに思い当たる人物が出てこないのは確かだった。

 

「お師匠も俺も振り飛車党だからな、当然、最初に叩き込んでやったのは振り飛車だった。なのにどこかの誰かさんに感化されちまって、居飛車に鞍替えしやがった馬鹿野郎だ」

 

 悪態をつく割に、玉将の顔は穏やかだ。

 

「けどな、それでもあいつの将棋には振り飛車があった。俺が教えた捌きの感覚を、自分の将棋に活かしてた。俺から見て、嬢ちゃんに足りねえのはそれだ。敵の攻めを受け流し、一気に攻め込む捌きの感覚を身につけりゃ、少しはぎこちなさも減るだろうさ」

 

 それらしく聞こえるような、そうでもないような。天衣としてはそれなりに振り飛車も指せると自負しているが、『捌きの巨匠(マエストロ)』に言われれば反論も難しい。

 

 湊の意見はどうかと目を向ければ、何故か肩を震わせて含み笑いをしていた。

 

「なんだよ、文句でもあるのか?」

「いえ、自分の馬鹿さに呆れてまして」

 

 笑いを収めた湊は、晴れやかな顔で玉将と向き合う。

 

「初心を忘れるのは未熟の証ですね」

 

 真意はわからない。おそらくは玉将も。そんな聞き手二人の困惑を気にした風もなく、当の湊は上機嫌だ。それこそ天衣でも滅多に見ないほどに。

 

「生石さん、僕とも一局どうですか? 今なら『らしい』将棋が指せそうだ」

「……はあ。やるなら振り飛車で、持ち時間六十分だ。玉将の偉大さを教えてやるよ」

 

 あっという間に話が進み、天衣は湊と席を代わる。素直な気持ちとして、興味はあった。現役のタイトル保持者と師匠が、どんな棋譜を作り上げるのか。

 

 けれど実際に対局を見て抱いた感情は、称賛や驚嘆ではなく――――――嫉妬。

 

 楽しそうだった、湊が。たぶん天衣と指したどの対局よりも、あるいは初めて、自分が指す事を楽しんでいるように見えた。それが悔しい。どうして相手が自分ではないのかと、ただ悔しい。

 

 いったい何が湊の琴線に触れたのかはわからない。わからないが、欲しいと思った。湊はそれを教えてくれるだろうか。振り飛車を学べば得られるのだろうか。

 

 グルグルと疑念が巡る間も、二人の対局は進んでいく。前へ前へ駒を進めていく湊の指し方は、相掛かりの棋譜で見た通り。対する玉将もさるもので、苛烈な攻めを受け流し、時には切り返す。緻密な読みの表れか、はたまた感覚任せの野蛮さか。盤上は混沌とし、天衣でも判断が難しい。

 

 確かなのは、これが『御影湊の将棋』ということ。華々しい応酬を繰り広げるこの将棋を、彼は好んでいるということ。だからやっぱり、欲しいと思った。

 

「……俺、お前のこと嫌いだわ」

 

 最終的に、対局は湊の勝利で幕を閉じた。不貞腐れる玉将や気落ちする道場の客とは対照的に、天衣の胸には熱情が宿っている。焦燥にも似たそれが、体の内側から急かしてくる。

 

 将棋を指したかった。少しでも早く、少しでも多く、学び取りたいと渇望していた。




★次回更新予定:8/2(日) 19:00

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。