まほうつかいのおしごと!   作:未銘

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#021 二人目のアイ

 カッコイイ。将棋を始める切っ掛けなんて、それだけで十分だった。

 

 雛鶴(ひなつる) あい。もうすぐ小学四年生。生まれは石川県で、和倉温泉にある老舗旅館『ひな鶴』の一人娘。跡取りとして幼い頃から女将修行を課せられており、家事全般はお手の物。

 

 そしてこの度、九頭竜八一竜王の内弟子(仮)となった少女である。

 

 遡ること三ヶ月前、昨年十二月に彼女は将棋と出会った。それまで存在を知っている程度だった将棋に触れたのは、竜王戦七番勝負の最終局。実家の旅館が、その舞台となったからだ。

 

 女将である母親は将棋が嫌いなようで、最後まで不満を零していたが、地元の温泉組合の頼みを断りきれなかったらしい。とはいえ子供のあいには関係ない話で、対局を目的に集まった関係者や将棋ファンの熱量に圧倒されるばかりだった。

 

 転機は、実際に対局する棋士を見た、その瞬間。勝って竜王となった男性の、戦う姿。

 

 カッコよかった。駒を動かす様が、扇子を鳴らす仕草が、手を悩んで苦しむ表情でさえ、なにもかもがカッコイイと感じた。女将の母と、板前の父と、働く大人の背中はよく知っている。彼らが責任を持って務めを果たしている事も。でも死に物狂いで戦う姿を、あいは知らなかった。

 

 たかが将棋と母は言うけれど、全霊を賭ける棋士の生き様が、あいには輝いて見えたのだ。

 

 クリスマスの夜に宿った熱量は冷める事なく、今まで触れてこなかった将棋というものにあいを惹き付けた。幸い亡くなった祖父が将棋好きだったらしく、古いながらも道具や本は揃っていた。そうして家の手伝いの合間に詰将棋本を解き、将棋を学び始めたのだ。

 

 かくして将棋歴三ヶ月、待ち望んだ春休みを迎えた彼女は、憧れの九頭竜竜王に弟子入りした。少々難色を示されたし、まだ問題も残っているが、最初のハードルはクリアである。内弟子として数日前から師匠の部屋に住み込み、優しく指導してもらっていた。

 

 ちなみに家出である。生憎と両親から将棋連盟へ連絡がいっており、速攻で家出だとバレたが、どうにか春休み中の住み込み許可は勝ち取れた。目指すは新学期からの転校と住み込み継続だ。

 

 そんな行動力溢れる彼女だが、現在は関西将棋会館の将棋道場に通っていた。竜王である八一は忙しく、いつもあいの面倒を見るわけにはいかないため、ここで修行しているのだ。もちろん一人ではなく、八一にとって年上の妹弟子に当たる清滝 桂香(けいか)が付き添ってくれている。

 

 戦績は連戦連勝。師匠である八一や桂香にも褒められ、アマチュア段位も既に二段だ。同世代の友達もでき、まさしく順風満帆の滑り出しと言えるだろう。

 

 この日も道場で白星を積み上げていたあいだったが、不意に聞こえてきた声に振り返った。

 

「みんなー、天ちゃん連れてきたよー」

「おっ、シンデレラじゃん。今日はどしたん?」

「シンデレラはやめなさいって言ってるでしょっ」

 

 最初に目に付いたのは、入り口付近に立つ二人の少女。一人はあいの友達である水越(みずこし) (みお)だ。ショートヘアが似合う快活な子で、あいとは最初に仲良くなった。もう一人の少女は初めて見る。長い黒髪から一瞬だけ友達の貞任(さだとう) 綾乃(あやの)かと思ったが、どうにも違う。

 

 おっとりした風貌の綾乃と異なり、ツンツンした猫のよう。眼鏡も掛けていない。シンデレラと周りのみんなが口にしているが、どういう意味だろうか。あいから見ても可愛いのは確かだが。

 

 ちょうど対局していた向かいの桂香を窺えば、困惑も露わに少女を見詰めていた。

 

「……桂香さん、あの子のこと知ってますか?」

「えっ? あ、そっか。あいちゃんは将棋界の事情に詳しくないのよね」

 

 得心した様子の桂香に首肯を返す。将棋に触れ始めて三ヶ月かつ、ほとんどの時間を詰将棋本の攻略に費やしてきたあいは、碌に将棋界の知識を持っていないのだ。

 

 なにか言葉を探しているらしい桂香を眺めていると、笑顔の澪が近付いてきた。

 

「いたいた。あいちゃん、この子が天ちゃんだよ」

「……よくわかってないみたいよ。なにも話してないの?」

 

 いつも通り明るい澪と、その後ろについてきた黒髪の少女。当然のように話を進めている二人に置いていかれ、あいの頭上には疑問符ばかり。見かねた様子で、黒髪の少女が口を開く。

 

「はじめまして、夜叉神天衣よ。この子とは――――――たまに将棋の相手をする程度の仲ね」

「友達だよ! えっとね、あいちゃんと同じで『アイ』って名前なんだけど、漢字だと天の衣って書くの。だからみんな『天ちゃん』って呼んでるんだ」

「あなたが勝手に呼び始めたんじゃない」

 

 二人のやり取りを聞き、ようやくあいも状況を理解する。要は友達を紹介したいらしい。少女の素性はよくわからないままだったが、それだけわかれば十分だ。

 

「わたしは雛鶴あいだよ、よろしくね。天ちゃんって呼んでもいい?」

「ええ、よろしく。呼び方は好きにしなさい」

「ありがとう! 天ちゃんも道場にはよく来るの?」

「私は別に。連れは待たせている時に利用しているみたいだけど」

 

 天衣の視線を追えば、スーツを着た二十歳くらいの女性が近付いてきている。凛々しい顔付きのその人は、天衣の隣まで来て立ち止まると、背筋を伸ばして直立した。

 

「お嬢様、取材の方はお済みになられましたか?」

「終わったわ。厄介なのに捕まったから、適当に時間を潰していなさい」

「かしこまりました。御用の際はいつでもお呼びください」

 

 一礼して女性が去っていく。その背を見送ったあいは、すぐに疑問を口にした。

 

「天ちゃん、取材ってなに?」

「マイナビの件で少しね」

「マイナビ?」

 

 逆に不思議そうな顔を返された。どうやら将棋界では知っていて当然の情報らしい。といっても知らないものは知らないし、思わず桂香の方に顔を向ければ、優しい笑顔で応えてくれた。

 

「マイナビ女子オープンっていう女流棋戦があるの。銀子ちゃんが持ってる女王のタイトル戦で、彼女はその挑戦者。つまり大会を勝ち抜いた、とても強くて有名な将棋指しなのよ」

「なるほどー。天ちゃんって凄い子なんですね」

 

 感心して何度も頷くあいは、すぐにアレっと首を傾げた。

 

 銀子。空銀子。あいにとっては師匠の姉弟子に当たり、伯母弟子とでも呼ぶべき存在だ。大阪に来た翌日に遭遇して以来、未だにあいの弟子入りに反対している意地悪な人である。最初に八一が銀子を女王と言っていたのは覚えているし、それがタイトルという事も後で教えてもらった。

 

「清滝桂香ね。なるほど、清滝一門繋がりか」

「あら、私の事も知っているの?」

「マイナビの参加者は全員調べたわ」

「研究熱心なのね。私も見習わなくちゃ」

 

 竜王戦について調べたので、タイトル戦や挑戦者の意味は、あいも多少は理解できる。つまりはタイトルを持っている人は偉い。その偉い人からタイトルを奪うためにタイトル戦があり、たった一人の挑戦者を決めて、最後はタイトル保持者と一騎討ち。あいが出会った時の八一は挑戦者で、並み居るライバルを打ち倒し、ついにはタイトル保持者も倒した凄い人なのだ。

 

「それにしても、澪ちゃんの友達だったなんて驚きだわ」

「去年、この道場で指す機会があったのよ」

「あの時の天ちゃん凄かったなー。絶対リベンジしようと思ったのに、それっきりだし」

「だからって例会の日に待ち伏せしなくてもいいでしょうに」

 

 マイナビは女王のタイトル戦で、銀子が女王のタイトル保持者で、天衣はその挑戦者。なるほど理解できた。つまりどういう事かと言えば、

 

「――――えぇ!? 天ちゃん、おばさんと戦うのっ!?」

「……うるさいわね。まったく、なにを考えてるのかと思えば」

 

 腰に手を当てた天衣が、呆れた様子で息を零した。

 

「おばさんが空銀子の事なら、たしかに戦うわ。春休みが終われば、すぐに第一局ね」

 

 当然のように言い切った天衣の顔を、ついまじまじと見詰めてしまう。

 

 あいと同じくらいの子供だ。どう見ても小学生で、そんな子が、タイトルを賭けて銀子と戦う。中学生の銀子はあいからすれば大人だし、八一とも年が近いから、そういうものかと納得できた。けれど天衣は自分と年が近すぎて、なんだか不思議な気持ちにさせられる。

 

 あくまで家の手伝いとして旅館の仕事をしてきたあいとは異なり、天衣は公式な場で真剣勝負を行うのだ。それが将棋界。あいが飛び込んだ、新しい世界。

 

「せっかくだし、二人で対局してみたらどうかな? あいちゃんもすっごく強いんだよ。はじめて天ちゃんが来た時みたいに、みんな倒しちゃったんだから」

「竜王の弟子とは聞いたけど、さすがと言うべきかしら。私はかまわないわよ」

 

 澪と天衣に視線で問われ、思わずあいはたじろいだ。

 

「えっと……天ちゃんがいいなら、わたしもいいよ」

 

 戸惑いながらの返答。ただ本心を言えば、あいには自信があった。

 

 最強の竜王に認められて弟子入りし、道場でも白星を重ねている。ずっと年上の桂香にだって、未だに負けていない。それらの経験が自負となり、どんな相手でもやれる気になっていた。

 

 始めたばかりだった桂香との対局を切り上げ、向かいに天衣が座った時も。興味深そうに周りに人が集まってきた時も。それこそ、第一手を盤上に指した瞬間も。

 

 不安はなかった。これまで積み上げてきたものが、あいから恐れを奪っていた。

 

「――――――負け、ました……」

 

 結果は、惨敗。序盤から突き放され、得意の終盤を迎える頃には、逆転できないほどの一方的な差をつけられていた。早めの投了に周囲は驚いているけれど、あいから見れば既に詰んでいるし、天衣が読み間違える気配もない。妥当な判断だと思う。

 

 悔しいというよりも、只々衝撃だった。自分と同じ年頃の子が、こんなに強いのが驚きだった。傲慢なのかもしれないが、ここまで順調だったあいにとっては、それだけの出来事だったのだ。

 

「さすがにあいちゃんでも無理かぁ。平手だもんねー」

 

 澪の言葉を皮切りに、集まっていた観衆が口々に感想を話し出す。中でも多いのは天衣へ向けた称賛で、やっぱりシンデレラは強いとか、そんな言葉が聞こえてくる。あいが負けた事への驚きはないようで、それだけ天衣の実力が認められているのだろう。

 

 ほへー、と落ち着かない気持ちであいがボンヤリしていると、対面から問い掛けが飛んできた。

 

「そんな気はしてたけど、将棋を始めたのは最近ね?」

「えっ? 去年の竜王戦後だから、三ヶ月くらいかな」

「三ヶ月ッ!? そう、竜王が弟子に取るだけはあるわね」

 

 納得した様子で呟いた天衣は、次に盤上の一点を指差した。今は駒が置かれていない場所だが、あいが中盤で失着と感じたところだ。歩を進める前に桂を跳ねた方が、囲いを崩すのによかった。それを同じく指で示してみれば、満足そうに天衣が頷く。

 

 不思議とお互いの意図は伝わるもので、無言のまま感想戦が進められた。首を捻っている周りの人たちには申し訳ないが、なんだか楽しい。わかり合えている、そんな気がした。

 

 終わる時にも言葉はなく、どちらともなく目を合わせる。それだけだった。

 

「あまり定跡を知らないみたいだけど、特に変な手はなかったわ。よく読めてたと思う。これから勉強して経験を積めば、すぐに棋力は上達しそうね」

 

 この道場に通い始めてから、あいに掛けられた称賛の言葉は数知れず。いい人ばかりで、みんなあいに才能があると褒めてくれた。それはもちろん嬉しかったのだが、今しがた天衣に掛けられた言葉は、なんだか違う。尊敬する師匠に褒められた時のようなむず痒さと、ちょっぴりの対抗心。たぶん天衣が強いからだ。自分よりも強いと、認めてしまったからだ。

 

 脳裏に浮かんだのは銀髪の女性。大阪に来て、あいが最も対抗心を抱いた相手。

 

「ねえ、おばさんも天ちゃんみたいに強いの?」

 

 思わず疑問が口を衝く。天衣の瞳が瞬いて、観戦していた桂香へと向けられた。つられてあいも桂香を見れば、彼女は柔和な顔立ちに苦笑を刻んでいる。

 

 変な事を言ったかなと黙っていると、嘆息した天衣が口を開いた。

 

「質問で返して悪いけど、なぜ竜王に弟子入りしようと思ったの?」

「えっと、カッコよかったから。その、竜王戦で戦う師匠が」

 

 八一の師匠である清滝にも同じ質問をされて、その時も同じように答えた。あいにとっては真実だし、八一や清滝も認めてくれている。銀子には難色を示されたが。

 

 天衣はどうだろうかと様子を窺ってみるも、特に表情の変化は見られない。

 

「どうして棋士が稼げるか、わかるかしら?」

「…………カッコイイから?」

 

 澪や桂香が微妙な顔を浮かべた。でもしょうがない、あいは将棋界に詳しくないのだから。呆れられるだろうかと不安だったが、予想に反して天衣は頷いている。

 

「その通りよ。多くの人が棋士を格好いい、凄いと思うから、お金を出す人たちが居るの。だから棋士は凄い人たちの集まりなのよ…………変人集団とも言われるけど」

 

 最後の方は声が小さくて聞き取れなかった。あいが首を傾げると、咳払いが返ってくる。

 

「とにかく、あなたが竜王を格好いいと感じたように、他の棋士を格好いいと感じる人もたくさん居るわ。細かく言えば空銀子は棋士じゃないけど、既存の枠組みを打ち破った女性として、多くの尊敬を集める存在よ。将棋界に身を置くのなら、ちゃんと棋士の凄さにも目を向けなさい」

 

 一息。腕を組んだ天衣が、整った眉尻を吊り上げた。

 

「なにより私は、空銀子が女王だからマイナビに参加したのよ。空銀子が防衛する女王には、挑む価値があると思ったから。その相手が軽んじられるのは、少し不愉快だわ」

 

 天衣の叱責。声を荒げているわけではないが、あいは身を竦めてしまう。

 

 たしかにあいだって、八一を悪く言われるのは嫌だ。他の棋士にもあいのように応援する誰かが居ると思えば、もっと勉強しようという気にもなる。八一には追々学べばいいと言われているが、それに甘えてなにもしないのは違うだろう。

 

 まずは天衣の事を知ろうと思った。頼れる先達だと、素直に認められたから。

 

「その、ごめんなさい……」

 

 謝罪は本心から。自戒を込めて、あいは頭を下げる。

 

「天ちゃん、おばさんのファンだったんだね」

 

 なぜかとっても怒られた。




★次回更新予定:8/23(日) 19:00

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