まほうつかいのおしごと! 作:未銘
将棋界とメディア、あるいは棋士と記者の関係は、それほど悪いものではない。なんといっても狭い世界だ。必然的に関わる人間は少なくなるし、関われば長く深いものになりやすい。
将棋担当の記者というのは、元から将棋好きで希望通り配属された者も居れば、大してルールも知らないのに希望を外れて配属された者も居る。将棋に関する興味は千差万別。棋士と関わる上で必要ないからと、将棋史や将棋文化を学ばない記者も少なくない。
それでも棋士と同じく、記者も将棋というコンテンツで食べていく身だ。将棋界ひいては棋士の顰蹙を買えば、おまんまの食い上げとなりかねない。またプライベートで棋士と付き合いを持ち、親しくなる場合もある。ゆえに記者側の配慮というやつを、意外と望めるものなのだ。
とはいえ持ちつ持たれつ、ギブアンドテイクを忘れるべきではない。記者に配慮を求めるなら、棋士もまた配慮を返すべきだ。特に棋戦の主要スポンサーは新聞社であるから、棋士個人の立場はさておき、将棋連盟としては決して無視し得ない場合もある。
結局なにが言いたいのかと言えば、春休みに入った天衣がせっせと将棋会館に通っているのは、記者の相手をして身辺の煩わしさを軽減するためだった。
昨今の将棋界は、それほど景気のいい業界ではない。伝統があると言えば聞こえはいいが、言い換えれば古臭く、新しいものに取って代わられる立場にある。平成初期に比べて将棋連盟の減収は明白で、将棋に興味がない層への普及、すなわちコンテンツ力の向上は至上命題の一つだ。
つまり一般人に持て囃される広告塔が必要とされている。そこそこ成功した例が九頭竜八一で、大成功した例が空銀子だ。そして誰も想定していなかった第二の空銀子、二匹目のドジョウとでも言うべき存在が、夜叉神天衣である。
空銀子が生み出した火種を煽り、派手に燃え上がらせる役割。将棋連盟にとってもスポンサーにとっても、もちろん記者にとっても、天衣は魅力的な存在だ。あまり騒ぎ立てぬように月光会長が抑えに回ってくれているが、不興を買って楽しい手合いではない。
ゆえにガス抜きとして、天衣は取材などに応えるようにしていた。それに彼女としても、周囲の耳目を集める自らの立場に、まったく利点を感じていないわけではないのだ。
「――――――今日はありがとうございました」
折り目正しく頭を下げる女性に、天衣もまた礼を返す。春休みに入って三度目の取材が、これで終わった。場所は関西将棋会館三階の棋士室。順位戦も終わり対局の少ないこの時期は、棋士室を訪れる棋士や奨励会員も少ない。今日も天衣と記者の二人だけだ。
記者のペンネームは鵠。本名は供御飯万智。ひと月ほど前に、天衣と対局した相手だ。フリーの将棋ライターとしてアルバイトをしているようで、今回は将棋雑誌の依頼で取材に来たらしい。
対局した時とは、随分と異なる装いだ。下ろしていた髪は頭の上でお団子にしているし、顔にはハーフフレームの眼鏡を掛けている。口調も標準語に変えており、最初は天衣も驚かされた。
さておき直近の対局相手ではあったものの、既に終わった以上は恨みっこなし。そこはお互いに弁えており、実に穏当な取材内容だったと言えるだろう。
「ここからは単なる雑談なのですが」
ボイスレコーダーを止めて切り出した鵠に、思わず天衣は身構えた。苦手意識とまではいかないが、対局前に交わした舌戦の所為か、どうにも警戒心が拭えない。
「得意戦法と先生のお話は初めて伺いましたが、なにか心境の変化でも?」
「なにもないし、変な話をした覚えもないわ。ちゃんと記事にするんでしょ?」
「それはもちろん。読者受けもよさそうですし」
ただ、と鵠はやや垂れた目に好奇の色を宿らせた。
「貴女の考えがわかれば、誤解なく伝わる記事が書けるかと」
わずかに思案したのが運の尽き。あっという間に聞く態勢を整えた鵠は、にこやかに笑ったまま天衣の話を待っている。ジト目を向けても微動だにせず、天衣はこれ見よがしに嘆息した。
頭の中で話す内容を吟味して、まぁ問題ないかと、諦めと共に口を開く。
「……空女王との第一局は、広く世間の注目を集めているわ。もし私が勝てば、長く私を代表する一局になるでしょう。そうなれば記録の一つではなく、棋史の一部として棋譜が残る」
女流棋戦において、黒一つなく積み上げた数多の白星。それこそが白雪姫の象徴だ。史上最強の女性と謳われ、事実、初めて奨励会で段位を得た女性となった。現在では中学生で二段に昇段し、最後の関門となる三段リーグまであと一歩。もしかしたら初の女性棋士が生まれるのではないか、かつては戯言とされたその期待も、今ではだいぶ現実味を帯びている。
一方で天衣もまた、多方面から期待を寄せられる立場だ。三月一回目の例会で昇級し、とうとう2級。女性どころか男性を含めてさえ、異例と言える昇級速度を見せている。それでも昇段の壁を越えていないため、未だに評価を保留する者は少なくない。
だからこそ空銀子との第一局は、一つの試金石となるだろう。夜叉神天衣の真贋や如何に。熱い世間の期待も後押しし、方々で棋譜の検討が行われるはずだ。
「棋士は死して棋譜を残す。棋譜が残れば、それは棋士が生きた証になる」
両親を亡くした後、天衣が一層将棋にのめり込んだ理由の一つ。遺された棋譜を、穴が空くほど読み込んだ。日が暮れてなお、将棋盤に並べた。そこに両親が居ると思ったから。
棋士の魂は棋譜に宿る。棋譜を読み解けば、指し手の想いが伝わってくる。
「だから私は、第一局を特別なものにしたい。これが夜叉神天衣だと、誰もがわかる棋譜に」
その棋譜を通して、人々は棋士を知ろうとするだろう。夜叉神天衣という、湊の将棋を受け継ぐ棋士を。すなわちそれは、湊の将棋が棋史に残るということ。
「……なるほど。だから
ニマニマと擬音が聞こえてきそうな、いやらしさの滲んだ笑み。頬に朱が差したのを自覚して、それでも天衣は、素知らぬ振りを突き通す。
「防衛戦の空二冠は横綱将棋、相手の挑戦を受けて立つ将棋を指します。第一局が楽しみですね。あぁ、でも、これは記事を書くのが大変かもしれません」
頬に手を添えた鵠。眼鏡の向こうから、意味ありげな流し目が送られる。
「ラブレターの代筆など、なにぶん初めてなもので」
将棋盤のある場所でよかったと、天衣は安堵した。殴り合うのに、拳が要らないのだから。
■
「さっきの対局は凄かったですねっ。さすがは師匠です!」
「これでも竜王だからな。そう簡単には負けないさ」
ピョンピョン跳ねて喜ぶ弟子に調子のいい言葉を返しながら、八一は密かに胸を撫で下ろした。意外と危なかったんだけどなー、なんて考えつつ。笑顔で見守ってくれる桂香には感謝だ。
今日も今日とて弟子のあいを連れて関西将棋会館に来た八一だったが、そこで知り合いの棋士に出くわした。ここの将棋道場は時おりプロ棋士も利用するのだが、今日はそんな日だったらしい。話の流れで練習将棋はどうかと誘われ、弟子の勉強にいいかと引き受けたわけである。
結果は辛くも八一の勝利。お互い実験的な手を試したとはいえ、なんとか師匠の面子は保てたと言えるだろう。そうして思いのほか白熱した対局が終わってみれば、ちょうどいい具合のお昼時。食事にするかと、あいと桂香を連れて一階にあるレストランを訪れた。
「こりゃ三人はダメそうだな……」
棋士が勝負メシを頼む事も多い老舗レストランは、いつも通り盛況だ。唯一の四人席は埋まっているし、二人席も空いているのは一つだけ。カウンター席も三人は座れない。これは分かれて座るしかないかと二人に提案しようとした八一だったが、反射的にカウンター席を二度見した。
一秒、二秒、ジッとカウンター席の人影を凝視する。
「――――――はぁ!?」
思わず漏れた叫び声。慌てて口を塞ぐが、時すでに遅し。向こうも八一に気付いたらしく、手を振って存在をアピールしている。しばし悩んだ八一だったが、結局はグズるあいを説得して二人と分かれ、カウンター席に座る事にした。
「さすがは竜王、みんなの視線を独り占めだったな」
気さくに話しかけてくるのは鏡洲だ。カウンター席に座っていた人物の一人だが、こちらは問題ない。ここに奨励会員が居るのは普通だし、プライベートでも仲の良い相手だ。
「お久し振りです、竜王。指し初め式ではお世話になりました」
問題はこちら。いかにもな好青年といった感じの彼は、夜叉神天衣の『先生』である。彼自身は悪くないはずだが、どうにも苦手意識が根付いているのだ。突然の登場は勘弁してほしい。
「あらためまして、夜叉神に将棋を教えている御影湊です」
「これはどうも。竜王の九頭竜八一です」
挨拶を交わした後に顔を見れば、湊は人のよさそうな笑みを浮かべている。指し初め式の一件を尋ねたい気持ちもあったが、さすがにこの場では躊躇われた。
「……なんというか、意外な組み合わせですね。夜叉神2級の繋がりだとは思いますが」
「夜叉神ちゃんに拝み倒したら取り次いでくれてな、最近はたまに会ってるんだ」
「今日は彼女が取材なので、付き添いついでに鏡洲さんと話をしようかと」
なるほど、と八一は納得する。奨励会の話など、色々と聞きたい事もあるのだろう。
「本当は夜叉神も一緒に食べる予定だったのですが、長引きそうだから先に食べていい、と連絡がありまして。あぁ、竜王はどうしますか? 僕は
「俺はバターライスセットだ。八一はダイナマイトなんてどうだ?」
「名前が怖いんでまたの機会に……俺も珍豚美人にしますかね」
珍豚美人はこのレストランの創作料理で、豚の天ぷらにセサミソースをたっぷり掛けた一品だ。付け合わせのマッシュポテトやナポリタンとの相性が抜群で、珍妙な名前ではあるが、勝負メシに注文する棋士も多い人気メニューだ。
注文を伝えた八一は、出された水で喉を潤すと、不意に思い出した事を口にした。
「小耳に挟んだんですけど、鏡洲さん、あまり連盟に顔を出してないみたいですね」
「あぁ、ちと鍛え直そうと思ってな。みんなには悪いが、最近は家に籠もりっ放しだ」
「いいんじゃないですか。鏡洲さんは面倒見がよすぎなんですよ」
将棋連盟の手伝いや後輩のフォローなど、人がよくて気が利く鏡洲は、将棋以外の事にも時間を使ってしまう。実力があるのにプロになれないのは、そういう理由もあると八一は考えていた。
「けど家に籠もるって、いったいなにしてるんですか?」
「ソフト研究。前から使っちゃいたが、創多に教わって本格的にな」
なんとも興味を惹かれる話だ。ここ数年で将棋AIは目覚ましい進化を遂げており、既にトップ棋士でも敵わないレベルにあると見られている。最近ではソフト発の新手も多く、ソフトを使った研究の重要性は加速度的に増していた。
「感触はどうですか? プロでも浸透してますけど、まだまだ嫌う人も多いですね」
「ソフトは強いかもしれんが、俺を強くしてくれるわけじゃないな。教師としては三流以下だ」
あっけらかんと言い放ち、可笑しそうに鏡洲が笑う。
「ヤツら自分の言いたい事を言うばっかりで、こっちの事なんざひとつも考えちゃいねえ。評価値だって鵜呑みにはできないし、好手も悪手も理由についてはダンマリだ」
八一は頷いて同意を示す。鏡洲の向こうでは、湊も同じく首肯していた。
将棋ソフトを使えば指した手の良し悪しを評価できるし、モノによっては次の一手を提案させる事もできる。しかしソフトが提示するのは結論だけで、それを導くまでのプロセスは不透明だ。
人間とソフトでは感覚が違う以上、ソフトにとっての好手が人間にとっても好手とは限らない。その後の手をソフトと同じようには指せないのだから。
「結局は俺が考えて、俺が強くなるしかない。なぜソフトがそう答えるのかを読み解いて、自分の将棋を見直すんだ。その点では便利だな、すぐに意見を返してくれるのがいい」
「意見の正しさよりも、意見をもらって刺激を受けるのが重要って感じですか」
「そうだ。ソフトが強いのは確かだし、俺とはまるで視点が違う。色々と考えさせられるよ」
一理ある。棋士が研究会に参加するのも、他者の意見に触れ、刺激を受ける事が目的の一つだ。棋士と違って意見交換などは望めないが、予定を合わせる必要がない手軽さは利点だろう。
「便利なトレーニング器具だが、トレーナーじゃない。それが理解できるならいいと思うぞ。逆に初心者だと危ういかもな。下手すれば自分で考えなくなって弱くなりそうだ」
「プロでも『勝てる棋士』は以前と変わりませんからね。結局は地力をどう鍛えるか、ですか」
現在の将棋界は、まだまだ将棋AIとの付き合い方を模索している段階だ。しかし避けられない課題である以上、上手く自分の将棋に取り込んでいくべきだろう。
「で、AIに不平を垂れながら研究してるんだが、頭が固くなってるのを痛感したぜ。固定観念が酷いな。言われてみれば、と思い直す手も多い。お陰でちょいとスランプ気味だ」
「いやいや軽く言ってますけど、もし三段リーグで勝ち越せなかったら――――――」
年齢制限で奨励会を退会しなければならない。最後まで口に出すのは憚られたが、八一としては心配だ。鏡洲の実力は信頼しているが、スランプが長引くようなら致命傷になりかねない。
なのに心配されている当人は、至って平気そうに笑っている。
「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいいって言うだろ。それに手応えはあるんだよ」
「もちろん放置はできないので、竜王が来る前は二人で意見交換をしていました」
「ひょっとして、夜叉神2級の指導にもソフトを使ってるんですか?」
「一人の時は使う場合もあるようですが、基本的には直接指導していますよ」
涼やかな湊の眼差しに捉えられ、八一は思わず姿勢を正す。
「あの子の良いところも悪いところも、僕の方がよくわかるので」
軽々と言い切った言葉は、だからこそ八一に重く響いた。自然体で気負いのない様子は、師弟の信頼関係を窺わせる。気付けば、あいが座る席に目が向いていた。
「竜王も弟子を取ったと聞きましたけど、彼女がそうですか?」
「あ、はい。そうです。先日は夜叉神2級のお世話になったとか」
あいから話を聞いた時は、正直に言って意味がわからなかった。いったいどんな縁だと混乱したが、楽しそうに報告するあいを見れば、うるさく言うのは野暮に思えた。自分より強い同年代というのはいい目標になり得るし、事実として、あいは以前よりも将棋界への関心を高めている。
この調子なら予定している研修会試験も大丈夫だろう。そんな風に八一が暢気に構えていると、湊と鏡洲が真面目な顔で見詰めてくる。戸惑う八一に、まず湊が切り出した。
「お忙しいとは思いますが、彼女の事、よく見てあげてくださいね」
「そうだぞ、八一。かなり注目を集めてるみたいだからな」
「へっ? いやまぁ、竜王の弟子ですからね」
最高峰の棋士に弟子ができたのだから、誰しも気にするものだろう。しかも十代での弟子取りとなれば前代未聞。狭い関西将棋界なら、すぐに噂が広まっても可笑しくない。
なにを心配しているのかと首を捻る八一に、噛んで含めるように鏡洲が語る。
「最初に銀子ちゃんが出てきて、次に夜叉神ちゃんが出てきただろ? そこに来て、十代の竜王が女の子の弟子を取ったんだ。才能もあるみたいだし、みんなどこかで期待してるんだよ」
「三人目の出現を、ですか? 気持ちはわからなくもないですが」
なんだかんだ言って将棋は人気商売だ。世間の話題になる存在は多い方がいい。銀子だけなら神様の気まぐれだが、二人目が出てきたとなれば、次も期待してしまうのは人の性だろう。
「所詮は期待でしかないんだが、その重み、お前なら理解できるよな?」
問い掛けに、八一はただ静かに頷きを返す。
竜王は最強の棋士を示すタイトルであり、保持者には相応の将棋が求められる。八一自身がそうあるべきだと自負し、世間も同じく期待した。史上最年少であったから、なおさらに。その重圧が圧し掛かり、先日まで続いていた公式戦十一連敗の原因になったのだ。
タイトル獲得までほぼ応援一色だったネットの声も、負けが込むほどに批判が増えて、現在では失冠を祈る声が大勢を占めるほど。ひとえに期待を裏切ったからだろう。
「……気を付けます。俺はあの子の師匠ですから」
自分の弟子になるため、たった一人で石川県からやってきた少女。ひたむきで、純粋で、一途に慕ってくれる彼女のお陰で、連敗で腐っていた心を叩き直せたのだ。
将棋界の事も棋士の事もろくに知らなくて、ただ将棋が大好きだと彼女は言った。その気持ちを陰らせたくない。それが自分に憧れてくれた少女への、果たすべき責任だと思うから。
手を振ってくるあいに片手で応えながら、八一は師匠として決意を新たにするのだった。
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