まほうつかいのおしごと!   作:未銘

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2016年
#006 初大会


 小学生将棋名人戦は、大きく三つの段階から構成される大規模なものだ。まずは各都道府県から代表一名を選出する予選大会。次に都道府県を東西で分け、代表を二名ずつ選出する東日本大会と西日本大会。そして最後に、東西日本の代表者四名で雌雄を決する決勝大会だ。

 

 年度や都道府県によって開催時期が異なるものの、予選大会はおおよそ十二月から三月に掛けて開催される。続く東西日本大会と決勝大会は三月から五月の間に開催されて、予選大会から年度を跨ぐ。そのため小学生将棋名人戦の参加者は、新年度の学年で表されるのが慣例だ。

 

 すなわち現在二年生の天衣は、新三年生として大会に臨むわけである。

 

 冬の寒さが一層厳しさを増した二月上旬。天衣と晶に連れ添って、湊は兵庫県予選大会の会場に赴いた。広いホールには多くの将棋盤が並べられ、参加者であろう子供と、その保護者で賑わいを見せている。スタッフを合わせれば百人を超えそうだが、子供はその半分程度だろう。

 

「こいつらが私の相手ね」

 

 見慣れた赤チェックのマフラーに口元を埋めるようにしながら、天衣が零す。普段通りの態度に見えるが、その声音から、湊は若干の緊張を読み取った。

 

「そうだね。高学年の部で申し込んだから、年上がほとんどだろうけど」

「関係ないわ。戦う以上は全力で勝ちにいくだけよ」

 

 勇ましい発言は、自らを鼓舞するようでもあり。とはいえ指摘するものでもないと、湊は二人を連れて受付へ。参加費の支払いが済むと、本日の流れについて説明された。

 

 まず予選大会の中でも、予選リーグと本選トーナメントの二段階に分かれている。

 

 予選リーグは四人一組のグループ内で対局し、二勝すれば本選進出、二敗すれば敗退だ。今回は欠席を除き三十二人が高学年の部に参加しており、計八グループから二人ずつ勝ち抜け、十六人で本選トーナメントを戦う予定になっている。

 

「反則だけは注意すること。緊張してるとしょうもないミスをするからね」

「別に緊張なんてしてないけど…………まぁ、気を付けておくわ」

 

 間もなく開会時間を迎え、審判に呼ばれたプロ棋士の挨拶が終わると、会場のあちこちで対局が始まった。天衣もまた、同じグループとなった男の子と向かい合っている。

 

「――――先生、お嬢様は優勝できると思うか?」

 

 不意の問い掛け。湊が隣を窺うと、天衣から預かったコートとマフラーを抱えた晶が、神妙な顔で対局中の天衣を見詰めていた。いつにない様子に、湊は舌の上で回答を転がした。

 

「……最近の大会記録を確認しましたが、小学生名人になった子は、みんなアマ四段以上です。プロの基準なら最低の6級相当ですが、言い換えればプロを目指せるレベルになります」

「お嬢様はアマ三段だったな。予選大会とはいえ、そのレベルが混ざっていたら厳しいか」

 

 眉尻を下げた晶に対し、首を振って湊は返す。

 

「片手間で取れるのが三段だったというだけで、天衣の実力はもっと上です」

 

 湊の影響を受けた『ことひら』の席主は、二年前に将棋普及指導員の資格を取得しており、その権限で三段までの免状なら推薦できる。だから指導のついでに三段は取ったが、アマチュア段位に興味がない天衣は、それ以上は昇段していないのだ。

 

 そもそも『ことひら』の常連は、全員がアマチュア四段以上の免状取得者で、中には最高段位の六段取得者も居る。彼らを相手取った最近の戦績を考えれば、天衣の段位も五段は固く、あるいは六段にも届くかもしれない。もっとも上限となる六段はピンキリで、いわゆる弱い六段だが。

 

「ちゃんと実力を発揮できれば優勝できますよ」

「つまり調子を崩せば負けるという意味だな」

「多少の実力差なら、ひっくり返るのが将棋ですから」

 

 過去の決勝大会の棋譜と比較して、今の天衣なら劣っていない。元から年齢に見合わない実力の持ち主だったが、この四ヶ月での成長率は、指導した湊の方が目を瞠るほどだ。それでも絶対的な実力差とは言えないため、評価は優勝候補の一人に留まってしまう。

 

 もっとも決勝大会まで二ヶ月あるので、その間にも天衣は強くなるだろうが。

 

 そういう意味では、この予選大会が最も危険だ。未だ盤石な実力と評するには及ばず、初めての大会で不慣れな部分もある。だからと言って、師匠が信じなくて誰が信じると言うのか。

 

「……随分と軽い物言いだな、と思ったが」

 

 安堵混じりの呟きに、湊は思索を打ち切った。晶の様子を確認すれば、顔に浮かんだ薄い笑み。その視線を辿ってみれば、自身の手元へ伸びていき、思わずあっと声を漏らす。

 

 いつの間にか、強く拳を握っていた。ほどこうとして、できなくて、湊の頬が熱を持つ。

 

「――――貴方が、お嬢様の師匠でよかった」

 

 柔らかな声音に顔を上げれば、晶は再び天衣を見詰めていた。その口元に刻まれた笑みを、湊はただボンヤリと眺める事しかできなかった。

 

 

 ■

 

 

 負けました。そう言って頭を下げる対局相手を尻目に、天衣は忸怩たる思いで盤面を見下ろすしかなかった。もし自室に一人の時ならば、衝動的に将棋盤をひっくり返したかもしれない。

 

 酷い将棋だった。序盤に掴んだリードを放さず、そのまま押し切ったと言えば聞こえはいいが、血気に逸った隙だらけの攻めに潰されるほど、相手が未熟だったに過ぎない。

 

 これで二勝目の天衣は本選進出が決まったが、胸の奥には暗い澱が溜まっている。意気消沈した相手との感想戦もそこそこに、重い足取りで待っている湊と晶の元へ向かう。

 

「おめでとうございます、お嬢様!」

 

 無邪気に喜ぶ晶の隣には、いつもと変わらぬ様子の湊。穏やかに天衣を見詰める切れ長の瞳は、すべてを見通すようにも感じられ、自然と背筋を正してしまう。

 

「おめでとう。いつも通りに指せたかい?」

「先生ならわかるでしょ、そんなこと」

 

 つっけんどんに返してしまい、天衣は気まずくなって目を逸らす。

 

 一戦目も二戦目も、普段の実力からはほど遠い出来だった。いずれも勇み足が目立った対局で、振り返ってみれば、攻守の粗さに目を覆いたくなる。

 

 どうしてと自問するまでもなく、原因は天衣も自覚していた。

 

 結局のところ、張り切り過ぎただけだ。師匠と共に研鑽し、『ことひら』の常連にも認められた腕前を、対局相手に見せつけてやりたかった。自分はこんなに凄いのだと、買ってもらった玩具を見せびらかすような、そんな幼稚な部分が先立ってしまったのだ。

 

 ひたすら反省するしかない。将棋を指す者として、あまりに平静を欠いていた。

 

「遠目に覗かせてもらったけど、実力の半分も出せてなかったね」

 

 責める風でもない湊の声に、恥じ入る気持ちは増すばかり。知らず俯き、天衣はスカートを握り締めていた。初大会の晴れ舞台。もっと格好よく決めるはずだったのに、と。

 

「――――出会った頃の君なら、あんな調子じゃ負けてたよ」

 

 続く言葉に、釣られて天衣は顔を上げる。次いで頭に乗せられた、温かな手の平の感触。

 

「強くなったね。それが何より、僕には誇らしい。そしてこれからも、君はまだまだ強くなれる。少なくとも今日は、実力通りに指せない時もあると学べただろう?」

 

 柔らかな微笑は、今となっては見慣れたもので。そこに嘘はないと、わかってしまう。

 

 先生はズルい、と天衣は思った。自分はたくさん悩んでいるのに、不安だって感じているのに、なんでも見透かしたみたいに振る舞って、わかった風な口を利く。その余裕がズルいし、あっさり自分を安心させてしまうのが――――――――とてもズルい。

 

「……気安く触らないでよね」

 

 強がりで、天衣は湊の手を振り払う。同時に顔を背けたのは、表情を見られたくないからだ。

 

「さっきの一局、棋譜を話すから感想戦の相手をお願い。調子を確認するわ」

「もちろんいいよ。本選では相手の度肝を抜いてくるといい」

 

 まかせなさいと、そう答える天衣の胸からは、先ほどまでの鬱屈とした気持ちは消えていた。

 

 

 ■

 

 

 本選トーナメントで決勝進出を決めた時、彼は当然だと思った。昨年度だって兵庫県代表として西日本大会に進出したし、予選大会の面子は見覚えのある奴らがほとんどだ。更には師事している棋士の先生が太鼓判を押すほど調子がいいのだから、自分こそ優勝候補筆頭だと考えていた。

 

 決勝の相手が年下の女の子だと知った時、彼は幸運だと考えた。決勝まで来たなら才能も実力もあるのだろうし、調子だっていいかもしれない。けれど初めて聞く名前だから大会経験は少なそうだし、どこかに『女は弱い』という意識もあって、勝ちやすい相手だと感じたのだ。

 

 そして現在、決勝の対局も終盤を迎えて、彼は悄然と盤面を見詰めていた。

 

 自玉の囲いは崩され、持ち駒は少なく、なのに相手玉は遥か彼方だ。一手指す度に、一手詰みが近付くようで。響く駒音が、死神の足音みたいで。時間がないのに、利き手が震えて動かない。

 

 強い。そんな言葉しか絞り出せないほどに、彼は相手の女の子に圧倒されていた。作戦で負け、読みで負け、何より大局観で負けている。おそらくそれは、積み重ねてきた研鑽の差。これが年下とは信じられないほどに、分厚い壁を幻視した。だからと言って、敗北を受け入れるのか。

 

 まだ抗える。まだ足掻ける。必死に自らを鼓舞して盤上を睨んだ彼は、

 

「……っ」

 

 詰み筋に気付いた。自らの首を刈る詰み筋に。

 

 迷ったのは、投了するか否か。たとえ詰み筋があろうとも、相手がそれに気付くとは限らない。稀にではあるが、プロ棋士が一手詰を見落とす事さえある。

 

 なら詰み筋に気付いた事を悟らせないよう指し続け、逆転の一手を狙うべきではないか。そんな算段を立てながら、彼は対局相手の様子を窺った。

 

 黒い服を着た女の子は、同級生の女子と比べても明らかに小さい。年上の彼に臆した風もなく、大きな瞳で真っ直ぐ見返してくる彼女の第一印象は、ただの生意気なガキだった。

 

 けど生意気だと思った彼女は、今も真剣に盤面を見詰めている。九分九厘勝利が決まったような状況で、欠片の驕りも侮りもなく、彼の応手を待ち構えているのだ。

 

 それで諦めがついた。こいつは詰み筋を見落とさないなと、信じられた。

 

「――――――負けました!」

 

 いつになく声を張り上げて、投了を宣言する。少し周りを驚かせてしまったみたいだが、お陰で頭の中はスッキリしたし、多少は意義のある感想戦ができるだろう。

 

「なぁ、俺って何手前から詰んでた?」

「四手前の合駒ね。あそこは玉をかわすべきだった」

 

 審判をしていた棋士の方を見やると、静かに頷きを返された。

 

「なるほど。次、ぶっちゃけ序盤でどこが悪かったと思う?」

「早囲いに対して急戦を目指したのはいいけど、5二金よりも7四歩で攻勢に出た方がよかったと思う。一段金の方が作戦の幅に広がりが出たはずよ」

「だったら5三銀で中央から動くのもアリじゃないか?」

「ええ、それもいいと思うわ」

 

 打てば響く。淀みのない返答は、女の子の深い読みを感じさせる。優勝を決めても調子に乗った様子はなく、真摯に感想戦を進める彼女の態度が、彼に素直な称賛の気持ちを抱かせた。

 

 いつまでも続けられそうだったが、適当なところで感想戦を切り上げる。短くも濃密な時間は、十分意義があったと言えるだろう。純粋に実力不足だったと納得できた彼は、晴れやかな気持ちで決勝戦を終えられた。

 

 ただ膝に乗せた左手だけは、ずっと握り締めていたけれど。

 

「西日本大会がんばれよ。お前なら決勝大会まで行けるかもな」

 

 激励のつもりで言葉を掛けると、女の子は不思議そうに首を傾げる。次いで意味を理解したらしく、一転、ニヤリと口角を吊り上げた。

 

「もちろん次も優勝するわよ。私は小学生名人になるんだから」

 

 初めの印象通りに生意気そうな笑み。それでも対局を終えた今なら、素直に応援しようと思えるのだから不思議なものだ。同時にもっと努力しようと、彼は気持ちを新たにした。

 

 最後に挨拶を交わして席を立ち、待っている師匠の元へ報告に向かう。その途中で彼は、決勝の結果が反映されたトーナメント表を確認した。

 

 夜叉神天衣。それが彼を打ち破り、兵庫県代表となった女の子の名前だった。




★次回更新予定:5/23(土) 19:00

作中時間の2016年時点では、兵庫県は全国で唯一、小学生名人戦と倉敷王将戦の予選を合わせて行っていたそうです。小学生名人戦の優勝・準優勝者が、倉敷王将戦の県代表だったとか。

これに則ると天衣ちゃんは倉敷王将戦にも出場できるのですが、話の本筋に必要ない事と、大会の時期が別のイベントと被る事から無視しています。

ちなみに2019年からは、兵庫県でも別々に予選を開催するようになったみたいです。
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