まほうつかいのおしごと!   作:未銘

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#007 想いが伝わる日

 小学生将棋名人戦の予選大会から、一週間の時が経った。当日は報告を受けた弘天が大層喜び、急いで祝いの席を設けたほどだが、流石に今はもう落ち着いている。

 

 一方で天衣は、優勝直後こそ浮かれた様子を見せたものの、翌日には普段通り振る舞っていた。途中からとはいえ、初めての大会で十分実力を発揮できた事といい、普段の指導での態度といい、湊の想像以上に彼女の精神は強靭だ。

 

 とはいえ天衣が強いばかりの少女ではない事も理解している。せっかく大会で優勝したのだし、いつもは将棋ばかりだからと、何かご褒美を用意しようと湊は考えた。

 

 そんな理由で、この日の指導は『ことひら』で行われた。

 

 朝から始めた将棋指導は、昼食を挟んでもしばらく続けたが、いつもより早い午後二時過ぎには切り上げた。不可解そうな天衣に出掛ける事を提案すれば、なんだかんだ言いながらも付き合ってくれるのだからいい弟子だ。

 

「まったく、こういう予定は先に言ってよね」

 

 見慣れた黒コートと赤マフラーを着込んだ天衣は、そう言って白い息を吐き出した。

 

「ごめん。ことひらで指す時は外食に行くし、その延長くらいのつもりだったんだけど」

「ぜんぜん違うでしょ。先生は将棋の事なら鋭いのに、そういうところは鈍感なのね」

 

 呆れた様子で返されて、湊は居心地悪そうに頬を掻く。助けを求めるように、天衣を挟んで歩く晶を見やるが、彼女はただ肩を竦めるだけだった。

 

「それで、結局どこに行くのよ?」

「ケーニヒスクローネだよ」

 

 神戸では名の知れた洋菓子店だ。有名百貨店を中心に全国展開している店なのだが、その発祥は神戸であり、『ことひら』から一キロほど離れた場所に本店を構えている。

 

 女の子のご褒美だからスイーツを、という安直な発想が湊にあった事は否めない。だがそれだけでこの店を選んだわけではなく、その証に天衣の表情は驚きに染まっていた。

 

「……お父さまに聞いたの?」

「お土産に勧めたのは僕だからね」

 

 昔、妻子の機嫌を取りたいと悩んでいた天祐を見た湊は、本店が近くにあった事を思い出して、ケーニヒスクローネを提案したのだ。結果は功を奏したらしく、天祐には随分と感謝された。

 

「はちみつアルテナが好きなんだっけ」

「そうよ。もう、お父さまはお喋りなんだから」

 

 ぼやく天衣の顔を窺えば、薄紅の唇に浮かぶ微笑。ただそこには、一抹の寂しさも滲んでいる。それが両親の話をする時の表情だと、今の湊は知っていた。

 

 八年二ヶ月。それが夜叉神天衣の歩んできた人生の長さで、たったそれだけの時間しか生きていないのに、彼女は愛する両親を失っている。早過ぎた死別は幼い心を傷付けて、一年以上が経った今でも、癒える事なく残っていた。

 

 天衣がどう乗り越えるべきかなんて、湊が偉そうに教える事はできない。あるいは自分が天祐の思い出を語る所為で、悲しみを長引かせているのかもしれないと、悩んだ事もある。

 

 それでも今回みたいに天祐の話題を口にするのは、天衣が棋士を目指すからだ。

 

 将棋は天衣と両親を繋ぐもの。故に棋士を目指す以上、彼女は両親を意識せずにはいられない。なら腫れ物のように扱うのではなく、楽しい思い出として語った方が、前を向けると思うのだ。

 

「愛妻家の親馬鹿だったからね。将棋以外だと、いつも天衣たちの話をしていたよ」

「家ではただの将棋馬鹿よ。誰かの話をする時も、先生みたいな将棋に関わる人ばかり」

 

 目を細めた天衣が柔らかく語る。と、不意に湊の方を見上げてきた。

 

「そうだ、先生の誕生日っていつ? 私だけ知られてるなんてズルいじゃない」

「その理屈はよくわからないけど、誕生日は元旦だよ。覚えやすいでしょ」

「えっ、もう過ぎてるじゃない。なんで黙ってたのよ!」

 

 憤る天衣に押されて気まずさが湧く。しかし湊にとっては、元旦とは誕生日よりも正月としての意識が強いのだ。前世の誕生日とも異なるので、身近な者に祝われてから思い出す事も多い。

 

「私だけプレゼントを貰うのは気分が悪いでしょ。気が利かないわね」

「いや、それじゃプレゼントを催促するみたいじゃないか」

「すればいいのよ。まったく、なにを遠慮してるんだか」

 

 ふんと鼻を鳴らした天衣がそっぽを向いた。

 

 機嫌を損ねたようではあるが、その実、歩み寄りたいという意思表示だ。普段は将棋の事ばかり話しているが、湊としても、天衣の事をもっと理解したいと思う。まだまだ手探りの師弟関係だが、少しずつでも前に進んでいければと、湊は決意を新たにした。

 

「というか、その調子だと今日がなんの日かも忘れてるんじゃないの?」

「何かあったかな? 二月のイベントと言っても――――――あぁ、そうか」

 

 考えてみれば、たしかに定番イベントがあったと湊は気付く。

 

「そうよ。二月と言えばバレンタインでしょ」

 

 心底呆れ返った眼差しに、湊は乾いた笑いを返すしかなかった。

 

 

 ■

 

 

 湊に先導されて天衣が辿り着いたのは、閑静な住宅街の中に、ポツンと佇む洋菓子店。全国展開している店の本店として見れば、些か寂しく感じるところもあるが、誰しも最初の一歩はそういうものなのかもしれない。

 

 バレンタインではあるが、立地の関係か、奥のカフェスペースには十分な空きがあった。生憎と四人席はなく、二つの二人席に分かれる。一人になったのは晶だが、それは別に遠慮のためではなく、主人の写真を撮りやすいからだと、天衣はちゃんと理解していた。

 

 古風さと高級感のある内装に反し、カフェは前金のセルフサービスとカジュアルな方式だ。一人掛けのカフェソファに腰を下ろした天衣は、テーブルに運んできたトレーを置いた。

 

 天衣が注文したのは紅茶とチョコレートクローネだ。好物のはちみつアルテナと悩んだが、このチョコレートクローネは本店限定品である。かつては父が買ってくる事もあったが、亡くなってからは一度も食べていない。そんな懐かしさに誘われてのチョイスだった。

 

「それにしても、中学生や高校生ってバレンタインを意識するものじゃないの? 私の同級生でも騒がしい女子はそれなりに居るわよ」

「中学の頃は男子が浮足立ってた気がするね。高校は、ほら、行ってないから」

 

 あっけらかんと答える湊を見て、ああ、と天衣は思い出す。

 

「そういえば翻訳家なのよね。経緯はよく知らないけど」

「将棋のために数ヶ国語を覚えたから、それで稼げれば楽だと思っただけだよ。幸い実家に伝手があったから、中学卒業後に在宅で仕事を受け始めて、ようやく軌道に乗り始めたところ」

「いや、将棋との関係がわからないんだけど。日本語で十分よね?」

 

 話しつつ紅茶に口を付けた天衣は、続いてチョコレートクローネへ手を伸ばす。スティック状のパイ生地の芯にカスタードクリームを注入し、チョコレートでコーティングした一品だ。サクサク触感が楽しく、カスタードクリームの豊かな風味にチョコレートのアクセントが利いている。

 

 懐かしさに目を細める天衣を眺めながら、湊はコーヒーを口にして話を続けた。

 

「そうでもないよ。頭脳競技だから脳科学を活かせないかとか、将棋ソフトが発展してるからAI学習について調べてみようとか、そういう時は最低限英語もできた方が便利だ。それに知識の転用は今のAIにはできない人間の特権だし、時には将棋以外にも目を向けてみるといい」

 

 そこで一拍。湊は記憶を探るように視線を巡らせる。

 

「ちょっとした小話としては、多言語を学ぶ事で脳の処理能力が発達する、という脳科学の研究もあるよ。英語なら覚えて損はないだろうし、勉強してみてもいいかもね」

「考えておくわ。その時はおすすめの勉強方法を教えてちょうだい」

 

 もちろんと頷く湊が、少し眩しい天衣だった。自身も人並み以上に将棋に打ち込んでいる自負はあるが、師の教えを実践しているだけに過ぎない、という思いもある。だから自ら色々と模索する湊の姿勢は、尊敬と共に自戒の念を湧き上がらせた。

 

「けど、そんなに勉強熱心なら高校に行けばよかったんじゃない?」

「将棋に時間を割きたかったんだよ。大学は興味あるけど、高校は高認でいいかなって」

 

 話題にしたのは天衣自身だが、小学生の彼女には、よくわからない話でもあった。棋士であれば中卒が居るのも知っているが、漠然と、みんな高校に行くというイメージを持っている。

 

 ややおざなりに頷いて合わせていた天衣は、

 

「それに親しい友達も居なかったし」

 

 何故かその一言で、妙に感情を揺さぶされた。

 

「……そうなの? ちょっと意外ね」

「放課後はことひらに入り浸ってたから」

 

 別に可笑しな話をしているわけではなく、実に湊らしい発言だ。けれど妙に喉が渇いて、紅茶へ手を伸ばした天衣は、ティーカップを傾けながら対面の湊を窺った。

 

「学校では友達と話もするし、たまには遊びにも行ったけどね」

「遊びにって、たとえばどんな?」

「多かったのはカラオケかな」

 

 誰かの話をする時、こんなに軽薄な顔をする人だったろうかと、天衣は不思議に思う。悪感情があるわけではなく、さりとて好感情もなく、ただひたすらに無感情。湊の表情は穏やかだけれど、それだけで。思い出話と呼ぶには、そこに籠められたものが軽過ぎて、空っぽ過ぎた。

 

 だからこそ、天衣も納得せずにはいられない。この人にとって、学校生活にはなんの価値もないのだと。それに気付いてしまうと、今度は急に怖くなった。

 

 共に話した相手が、共に遊んだ相手が、この人に何も残せていない事実が怖かった。

 

 自分と湊を繋げるものは、父と将棋が結んだ縁だ。だから強固で、湊も大事にしてくれていると信じているけれど、そこから離れた時、自分に居場所はあるのだろうか。夜叉神天祐の娘ではなく、将棋の弟子でもないただの天衣は、湊の世界に居るのだろうか。

 

 他愛もない被害妄想に過ぎないが、胸の奥にできたしこりは、消えてくれそうになかった。

 

「お嬢様、どうかされましたか?」

「少し顔色が悪いみたいだけど」

 

 心配する二人になんでもないと答え、天衣は誤魔化すようにチョコレートクローネを口に運ぶ。変わらず甘くて美味しかったけれど、それでもどこか味気なかった。

 

 以降も雑談は続いたが、いまいち話に身が入らない。やがて店を出て、駅を目指して歩く間も、天衣の気持ちは上の空。くだらない杞憂と自覚していたが、それでも心は囚われてしまった。

 

「帰ったらゆっくり休むこと。いいね?」

「わかったわよ。先生は心配性ね」

 

 駅での別れ際、湊は心配そうに天衣の顔を覗き込む。大会の時でもそんな顔はしなかっただろうと、天衣はなんだか可笑しくなった。いくらか気分が上向いたからか、湊も表情を和らげる。

 

「あの、お嬢様……」

 

 さあ帰ろうかと踵を返そうとした天衣に、横合いから晶が声を掛けてきた。いきなりどうしたと視線を向ければ、彼女は焦った様子でポケットを叩くような仕草を繰り返している。

 

 首を傾げた天衣は、次の瞬間、あっと気付く。

 

 天衣がコートのポケットに手を突っ込めば、指先に返るカサリとした感触。それを確かめて、目の前の湊を見上げて、結局、気まずげに足元へ視線を落とす。

 

 今日はバレンタインだ。天衣には世の女性に倣って騒ぎ立てるような趣味はないが、弟子として日頃からお世話になっているのだし、師匠に感謝を伝えるのも礼儀だろう。

 

 そんな風に考えて、湊に渡すためのチョコを準備していた。別に大した物でもない市販の品で、天衣の手の平に乗る小さな箱に、小粒のチョコが四つだけ入っている。

 

 さして深い意味があるわけでもないが、朝に会った時に渡しそびれて、『ことひら』を出た時もタイミングを逃して、今に至ってしまったのはどういう事なのか。

 

 気分的に、今の天衣としては渡し辛いのだ。

 

「どうかした?」

 

 しゃがんで目線を合わせてきた湊。気遣しげな瞳から逃れるように隣を見れば、拳を握って応援するような晶の姿。こっちの気も知らないでと、逃げ場のない状況に天衣は嘆息した。

 

「……これ。弟子として、感謝の気持ち」

 

 顔を背けたまま、手にした箱を差し出す天衣。けれどいつまで経っても受け取る気配はなくて、焦れた彼女は、恐る恐る湊の様子を窺った。するとそこには、呆気に取られた師の顔が。

 

 見詰め合い、数秒。おっかなびっくり、湊は箱を手に取った。

 

「えっと、ありがとう。なんというか…………照れるね」

 

 いつになく拙い喋りではにかむ湊は、普段よりも幼く見える。それは天衣の知らない彼の姿で、けれど取り繕ったようでもなく、純粋な感情の発露に思えた。

 

 父の友人ではなく、将棋の師でもない。等身大の御影湊に、初めて会えた気がする。それだけで天衣は、胸のつかえが取れてしまった。この人の世界に自分は居るのだと、信じられた。

 

「――――――これからもよろしくね、先生」

 

 故に偽りなき本心として、その言葉を告げたのだ。




★次回更新予定:5/25(月) 19:00

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