まほうつかいのおしごと!   作:未銘

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#008 小学生名人

 天衣の弟子入りから半年余りの時が経ったが、未だ成長に陰りは見えず、驚くべき速さで棋力を上げている。それが幼さ故の伸びしろなのか、はたまた天衣個人の素養が凄まじいのかは判じかねるが、湊の知る誰よりも優れた成長を見せているのは確かだ。

 

 結果として三月にあった小学生将棋名人戦の西日本大会でも優勝し、本日、小学生名人を決める決勝大会へ臨んだわけである。会場は東京都港区のホテル。東西日本大会の代表者四名で準決勝と決勝を争うのだが、既に準決勝は終わり、決勝も佳境を迎えていた。

 

 大盤解説会に参加する形で応援に来た湊は、終盤に入った盤面を難しい顔で睨んでいる。

 

 難なく準決勝を突破した天衣の相手は、茨城県代表の男の子だ。今年で小学六年生という彼は、去年の準優勝者でもあるそうで、その実績に違わぬ実力を備えているように見える。

 

 しかし相手が悪かった。盤面は明らかな天衣の勝勢。決勝と呼ぶにはあまりに一方的で、解説の棋士も、何度か言葉選びに困っていた。よほどの悪手がなければ、勝敗は揺るぎそうにない。

 

 だがそれでも、心配なものは心配だ。将棋は最後に悪手を指した方が負ける、と言われている。たとえどれだけ押していようとも、終盤の一手で逆転されてしまう。故に終盤こそ慎重な手を選ぶ棋士は多い。詰めに逸れば、自らの首を絞めかねないと理解しているからだ。

 

 知らず息を詰め、膝の上で指を組んでいた湊は、終局と同時に大きく息を吐き出した。

 

 八二手で先手の投了。それは後手となった天衣の勝利を意味し、この瞬間、小学生名人の栄誉は彼女のものとなる。最後まで目立ったミスのない、手堅い将棋だった。

 

 ほどなくして対局していた二人が、大盤解説の会場に入ってくる。途中、湊と目が合った天衣は澄まし顔で歩き続けたが、ちょっとだけ胸を反らしたように見えた。

 

 大盤の前に並ぶ二人に、解説の棋士が対局の感想を聞いていく。卒なく答える弟子の様子に胸を撫で下ろしながらも、湊は対局相手だった男の子が気になった。

 

 六年生の彼にとって、今年が最後の小学生将棋名人戦だ。結果は二年連続の準優勝で、決勝戦の内容は惨敗と言って相違ない。悔しさも情けなさも、第三者が想像するより遥かに大きいはずだ。それでも彼は、涙を滲ませながらも毅然と立ち、対局の反省点をよく掴めていた。

 

 いい棋士だ、と湊は思う。勝負の世界に生きる以上、敗北は避けて通れない。だからこそ負けた時の対応は重要だ。心折れるのではなく、平然と流すのでもなく、次こそはと奮起する。悔しさをバネに、自らを信じて前を向く。それができない棋士は、どこかで足を止めてしまう。

 

 天衣はどうだろうか。負けん気が強く、向上心に満ちた彼女だが、未だ公式戦では負け知らず。いつか彼女が敗北を知った時も、このようにあってほしいと願う湊だった。

 

 その後は表彰式に移り、最後は決勝大会に参加した四名へのインタビュー。おおむね質問内容も回答も問題なく、和やかに終わるかと思われたが、天衣が小さな爆弾を投下した。

 

 ――――――尊敬するプロの棋士は誰ですか?

 

 定番の質問で、棋士を目指す子供なら必ず一人は居るだろう、という前提だ。他の三名が師匠やタイトル保持者といった、これまた定番の回答を返す中で、天衣だけは毛色が違った。

 

『特にいません』

 

 一刀両断。天衣に当てを外されたインタビュアーの顔は、しばらく忘れられそうにない。正直に答えただけなのだろうが、湊としては月光会長あたりを挙げてやり過ごしてほしかった。

 

 別に問題となったわけではないが、こういう実直さは時に不要な反感を買ってしまう。将棋界にさしたる伝手もなく、守る術がない湊としては、譲れるところは譲ってほしいと思うのだ。

 

「あれは質問が悪いのよ」

 

 帰りの新幹線でそうした心配を伝えると、天衣は口を尖らせてそっぽを向いた。

 

「わざわざプロなんてつけなければ、私だって答えたのに」

 

 そう言われると湊も弱い。天衣の意図を察せぬほど、彼も鈍いわけではなかった。なんと言おうかと眉尻を下げていると、チラリと顔を窺ってきた天衣が嘆息する。

 

「……まぁ心配性な誰かさんのために、今度から気を付けるわ」

「そうしてくれると気が休まるよ。必要な時は我を通すのもいいけどね」

「当然でしょ。それより予定について確認したいんだけど」

 

 見上げてくる天衣に、湊は静かに頷きを返す。

 

「前に言った通り、マイナビ女子オープンに出るわ。奨励会の試験には影響ないのよね?」

「念のため連盟にも確認を取ったけど、参加資格も日程も問題ないよ」

「なら、心置きなくタイトルを奪いにいけるわね」

 

 マイナビ女子オープンは、女流棋士のタイトル戦だ。将棋連盟主催の女流棋戦としては最大級のもので、優勝者には賞金五百万円と『女王』のタイトルが与えられる。

 

 女流棋戦ではあるが、一般アマチュア選手にも門戸を開いているのが、マイナビ女子オープンの特徴だ。予選トーナメント出場権を賭けた予備予選にはアマチュア選手も参加可能であり、天衣はこの予備予選から『女王』のタイトルを狙う腹積もりである。

 

「女王の(そら) 銀子(ぎんこ)は、私よりも早い二年生で小学生名人になった。史上最強の女性棋士と評価する声もあるし、奨励会で入品したのは女性初。プロを目指すなら一つの試金石になるでしょ」

 

 空銀子。女性初のプロ棋士に最も近いと目される、中学二年生の少女だ。女流タイトル二冠を保持しているが、タイトル防衛以外では女流棋士としての活動はなく、奨励会でプロを目指して鎬を削っている。また女流相手なら公式戦無敗という、女性として抜きん出た実力の持ち主だ。

 

 天衣にとっては同じ道を進む先達であり、どこかライバル視している節があった。

 

「先生から見て、私と女王ならどっちが強いのかしら?」

「十中八九、今なら空女王が勝つよ」

「けど一年後はわからない。そうでしょ?」

 

 得意げな天衣の問い掛け。その双眸に宿るのは、己が師への無垢な信頼だ。

 

 マイナビ女子オープンの予備予選は七月だが、順調に勝ち残ったとして、女王とのタイトル戦は来年の四月とまだまだ先だ。その間にも現役女流棋士の実力者と戦う機会はあるだろうが、棋力を鍛える時間は十分にある。どこまで行けるかはわからないが、湊も無理だとは思わなかった。

 

「期待しててよね、先生」

 

 笑った天衣は年相応に可愛くて、同時にとても頼もしかった。

 

 

 ■

 

 

 九頭竜(くずりゅう) 八一(やいち)はプロ棋士だ。昨年十月に四段へ昇段したばかりの新米ではあるが、史上四人目、二十五年振りの中学生棋士として、メディアを騒がせた人物でもある。

 

 と言ってもプロデビュー戦は目も当てられない惨敗であり、直後は将棋をやめようと考えるほどショックを受けたものだ。それでも悔しさをバネに奮起し、今は順調に勝ち星を重ねている。

 

 中学卒業後は高校に進学せず、将棋の道に専念すると決意。2DKのアパートで一人暮らしも始めて、二ヶ月が経った現在は、ようやく家事の手抜きも覚えて新生活に馴染んできたところだ。

 

 この日も八一は、平日の昼間から将棋漬けだった。次なる対局相手の得意戦法を丸裸にすべく、並べた将棋盤と睨めっこ。ああでもないこうでもないと悩んでいれば、ふと喉の渇きを思い出す。一息入れるかと冷蔵庫から飲み物を取り出して、気晴らしにタブレットでネットを漁り始めた。

 

 適当にサイトを巡回していれば、ふと目に着いたヘッドライン。

 

『【朗報】小学生名人めっちゃカワイイwww【第二の空銀子】』

 

 実に安っぽいまとめサイトの記事だったが、そういえば小学生名人の時期か、と八一は気付く。彼も小学三年生の頃に優勝を飾っており、当時の最年少記録を打ち立てたものだ。もっとも同門の姉弟子であり、記事タイトルにもある空銀子に一年で塗り替えられた記録だが。

 

「姉弟子並みに可愛い子なんて――――――マジで美少女じゃねえか! しかも小学三年生っ!? 俺と同じ、いや誕生日の差で俺より早いのか。決勝戦も短手数だし凄いな」

 

 話のネタ程度に開いた記事だったが、予想外に八一の興味を惹く内容だった。

 

 表彰式の写真が誇張抜きに可愛かった、というのはさておき。箇条書きにされた情報だけでも、優勝した少女の才能を窺わせる。まとめられたレスも可愛さを褒めるものが大半だが、対局内容に言及したレスは、いずれも少女の実力を裏付けるものだった。

 

 対局相手は前年度も準優勝しているらしいので、実力は確かだろう。それを三年生で圧倒できたというのなら、かつての八一にも並ぶかもしれない。

 

 将棋の事で気になり始めれば、止まらないのが棋士の性。小学生将棋名人戦の決勝大会は、後日テレビで放送される。既に放送日は過ぎており、動画サイトを探せばすぐに動画が見付かった。

 

「……想像以上だな」

 

 動画を見終わった八一は、知らずズボンを握り締めていた。

 

 棋譜がわかるのは準決勝、決勝の二局だけだが、小学生名人の実力は八一の想定より一段上だ。特に決勝の戦法には興味を惹かれ、さっそく将棋盤に棋譜を並べていく。

 

 と、序盤の形ができ始めた辺りで、玄関チャイムが鳴り響いた。

 

「はーい! どちらさんですかー?」

「私」

「あぁ、姉弟子ですか」

 

 玄関越しに聞こえた声は、八一にとって馴染みのもの。扉を開けると、想像通りの人物が。

 

 艶やかな銀髪を肩口で切った、妖精染みた美貌の少女。触れれば消えてしまいそうな儚さを感じさせる一方で、双眸に宿すのは強い意志。街で見掛ければ誰もが振り返りそうな美少女だが、八一にとっては見慣れたものだ。

 

 空銀子。八一と同じ清滝(きよたき)九段を師匠とする同門の棋士であり、彼よりも二歳年下ではあるが、二週間差で弟子入りが早かったため姉弟子の立場にある人物だ。

 

「連盟に用事でもあったんですか?」

「そんなところ。八一は何してたの?」

「小学生名人の決勝が興味深かったんで、その棋譜並べを」

 

 招き入れた銀子を和室へ案内すると、彼女は将棋盤を覗き込んだ。

 

「左穴熊と美濃…………相振り飛車か」

「先手が中飛車で、後手が三間飛車ですね」

「形勢は先手やや有利ね。後手は攻めあぐねてる」

「――――――っと、俺も考えてたんですけどねぇ」

 

 違うのか、と視線で問い掛ける銀子の前で、八一は最初から棋譜を並べ直していく。そうすれば銀子が対面に座り、その手順を目で追い掛ける。

 

「俺が感心したのはココです」

「4二銀。銀を戻すのは角道を開けるため?」

「はい。これで角道を塞ぐ駒は先手5五歩のみ。さらに飛車を2筋に回すと」

「先手も2八飛で備えなければならない。けど5筋は薄くなってしまう」

「そこで後手が邪魔な5五歩に4五歩で突き返せば、同歩からの角交換です」

「この形なら3九角からの飛車成りも確実。形勢は一気に傾くわね」

 

 首肯した八一は、さらに手を進めていく。一瞬前まで互角に思えた盤面は、あっという間に後手優勢だ。穴熊の囲いを崩された先手は、ここからズルズルと追い詰められていく。

 

「先手は4四銀対策も考えた、よく定跡を学んだ駒組みです。対する後手も定跡通りに見えましたが、うまく相手の駒組みに合わせましたね。4二銀のタイミングが絶妙です」

 

 八一が感心したのは、そのバランス感覚だ。盲目的に定跡をなぞるのではなく、相手を誘導するように手順を変えている。わずかに道を逸れるだけで結果が変わりそうなのに、先手の指し手はこれしかないと錯覚させる駒組みは、確かな才能を感じさせた。

 

「これ、後手は何年生?」

「小学三年生ですよ」

「八一と同じ……」

「姉弟子には負けますけどね」

 

 そう答えつつも、小学生名人の対局を見た八一には、一つの考えが浮かんでいた。

 

「この子、準決勝はガチガチの相矢倉だったんですけど、そっちも相手の子を圧倒してましたよ。もちろん俺や姉弟子と比べれば未熟ですけど、小学生名人になった当時なら――――」

「私たちの方が弱い?」

「かもしれません」

 

 もちろん小学生時分の棋力など、その後の成長で容易にひっくり返るが、十分に注目株と呼べるだろう。将棋の世界はプロになれば一生ものだ。十歳や二十歳差の対局はありふれたもので、この小学生名人も将来のライバルになり得る。女の子なので可能性は低いかもしれないが、すぐ隣に女性初のプロ棋士候補が居る身としては、多少なりとも気に掛けてしまう。

 

 ただそれとは別に、八一の中で引っ掛かるものがあった。

 

「姉弟子、夜叉神って名前に心当たりないですか?」

「いきなりどうしたのよ?」

「小学生名人の苗字なんですけど、どこかで聞いた気がして」

 

 尋ねられた銀子は、しばらく難しい顔をすると、躊躇いがちに桃色の唇を開いた。

 

「……アマ名人? 前に八一が騒いでた気がする」

「それだ! アマ名人三連覇の夜叉神アマ七段!!」

 

 思い出した。八一が奨励会に入会した年に行われた、月光名人とアマ名人の記念対局。奨励会員として記録係を務めた八一は、その対局の美しさに感動した。決着こそアマ名人の勝利だったが、まさに名人が投了するその瞬間まで、八一には勝敗が読めなかった。何より感想戦で披露された、両者の精緻な読みと深い探求に、圧倒されたと言う他ない。

 

 その対局があまりにも印象的で、八一はアマ名人大会をチェックしていた時期がある。翌年も、そのまた翌年もアマ名人となった夜叉神アマは、三度の優勝でアマ七段となった。予定が合わないとかで以降の大会には出ておらず、いくらか記憶も薄れていたが、今も尊敬の念は変わらない。

 

「月光会長に一回、()()名人に二回も記念対局で勝った凄い人ですよ」

「その二人にっ!? いくら駒落ちだからって……」

「下手なプロより強いって評判でしたからね」

 

 現代将棋の基礎を築いた月光会長。史上最強の呼び声高く、今なお伝説として将棋界に君臨する現名人。あらゆる棋士の崇敬を集める二人に、駒落ちとはいえ勝ったのだ。現代棋士ならば、その事実を軽んじるような者はいないだろう。

 

「たしか子供が居たはずだし、兵庫県出身なのも小学生名人と同じなんだよな」

 

 ひょっとすると親子かもしれない。そう思うと、俄然、八一は興味が湧いてきた。

 

 実は八一は、夜叉神アマ七段に聞いてみたい事があった。それは彼が二度目のアマ名人に輝き、現名人との記念対局で勝利した時のこと。対局を振り返った彼は、こう語っている。

 

『人間でした。僕より遥かに強い、人間の棋士でした』

 

 かつてタイトル七冠を達成し、タイトル獲得期数でも他を圧倒する現名人は、しばしば『神』と呼び称される。現名人と将棋を指した者は、勝っても負けても、その将棋の中に『自分には絶対に指せない手』を見るのだという。それに憧れ、手を伸ばし、届かぬと知って絶望するのだと。

 

 その名人と対局し、なお『人間』と呼んだ彼は、はたして何を見ていたのだろうか。




★次回更新予定:5/27(水) 19:00

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