「まったくなんて奴らだ……アッチの方で団結しやがって、これがほんとのエッチ団結てか? やかましいわ!」
ロキは神々の前から去り、ヴァルハラの宮殿の前で独り言ちる。このまま逃げ出してやろうかという考えが頭を過った。その瞬間、「ロキ!」と後ろから大きな声で呼び止められ、ロキはビクッと大きく体を震わせた。そこにいたのは大きく手を振りながら近づいてくる軍神テュールであった。
「なんだテュールか……驚かせるなよ」
「ハハハ、すまん! それより大丈夫か。さっきはああ言ってはいたが、かなり厳しくないか?」
「なんとかするしかないだろう。お前の父上は本気で私を殺そうとしてたぞ。あの目を見ただろう」
あれは本気だったな、と言いテュールは彼にしては珍しく力なく笑った。暫くふたりして黙り込むが、ロキは神妙な面持ちで口を開いた。
「策はある……かなり強力な魔法を使うから、事が済むまでの間、私の姿を見なくなると思うが、決して逃げ出したわけではないと皆に伝えてもらっていいか?」
「任せてくれ! もしものときは父上に命だけは見逃してもらえるよう僕からも頼み込もう!」
「ああ、よろしく。まあ期待はしていないが。それと念のためトールを呼び戻しておいてくれないか?」
「それは構わないが、何故……ああ! わかったぞ! 僕とトールのふたりで説得すれば、きっと父上も耳を傾けてくれるだろう!」
こいつ何もわかってないな、と思いながらもロキはテュールに言伝を頼んだ。テュールは約束を破るタイプではないので大丈夫だろうとロキは確信して、おそらく自分は森にいるからと告げてからテュールと別れその場を後にした。
懸念事項は多々あるものの、命には変えられない。ロキは行動を起こすしかないのだ。
「さて、始めるか……」
陽が傾きかけた頃。ロキは大きく髪をかき上げて気合を入れると、石工のもとへ向かった。
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神々が会合を開いたその夜。石工は城壁づくりの仕上げである城門造りに取り掛かるため、彼の
「もうすぐ~フレイヤたんはおいらのものに~」
鼻歌まじりに上機嫌に歩く石工の横をスヴァジルファリが蹄を鳴らして坦々と歩む。そんな時だった。森から一頭の
石工にはわかることではないが、その牝馬はとても妖艶で
瞬間、スヴァジルファリは一目散に牝馬を追って駆け出した。石工は驚きながらもスヴァジルファリを行かせまいと手綱を強く握ったが、掻き立てられ荒れ狂ったオスは手綱を引きちぎり、森へと駆けていったのだ。
「おーい! 待てぇスヴァジルファリ──!!」
石工は慌てて馬たちの後を追いかけた。スヴァジルファリが牝馬の尻を追いかけ、スヴァジルファリを捕まえるために石工が走る。そんな二頭と一人の追いかけっこは一晩中続いた。夜が明けても馬たちは駆け回り続けて、石工も頑張って追い回したが、その日もまた次の日もスヴァジルファリを捕まえることは叶わず、とうとう約束の日を迎えてしまった。
そして石工のもとへオーディンを筆頭としたアース神族が集い、結果を告げに来た。
「どうやら城壁は完成しなかったと見受けるが、相違ないな?」
「殆ど完成してやす! 壁部分は出来上がって後は門さえあれば……!」
「門のない壁を城壁とは呼ばぬの思うがのう」
白く伸びた顎髭を弄りながら言ったオーディンの言葉に、石工は奥歯を噛みしめ肩を震わせた。
「スヴァジルファリさえ逃げ出さなければ、きっと完成していたんでい! あと2日だけくれ、スヴァジルファリを捕まえて必ず完成させやすから!」
「しかし、約束は約束じゃ。完成の期日は今日である。儂はアース神族の主神として、契約を履行すると誓った。故に背くわけにはいかんのでな。それに保証人を求めたのは貴様だったであろう」
「そんな……!」
「太陽と月、そしてフレイヤを貴様に渡すことはない。ここまでご苦労であった。城壁の完成の暁には別の褒美をとらすので、これからも励むが良い」
それから石工はいくつかの言い訳を重ねて食い下がったが、オーディンはとりつく島もなく全てをはね除けた。
「くそっくそぉ! あと少しだったんだ。もう少しでフレイヤを……!」
石工は地面を殴り付けながら、恨み言を連ねていく。彼の頭の中は悔しさと怒りでいっぱいの状態であった。そんな時、去り行く神々の口から聞き流せない言葉が聞こえた。
「いやぁ、よかったよかった。きっとロキがうまいことやってくれたんだろう」
詳細は分からないが自分が神々に嵌められたことを石工は確信した。石工の怒りが臨界に達し、耳をつんざくような雄叫びを上げた。すると石工の身体がどんどんと大きくなっていくではないか。岩肌のようにゴツゴツとした皮膚、見上げるような巨体、なんと石工は
「フレイヤを寄越せェェ!!!」
正体を現した山の巨人は、力ずくでフレイヤを手に入れるために、騒然とする神々を掻き分けてフレイヤ目掛けて、大木のような巨腕を伸ばした。
──瞬間、雷鳴が轟く。
先程まで晴れ模様だった空には黒々とした雲が立ち込め、稲光が何度も輝いて城壁に影を映す。その光景に巨人は怯えた様子で身を震わせた。
そして巨人のすぐ真後ろに、一本の雷が落ちる。轟きが音を消し去り、静寂が訪れた。落雷の跡には癖のある赤毛を揺らした丈夫が──否、そこにいたのは全身に稲妻を迸らせる、右手に鋼の槌を持った筋骨隆々の戦士だった。
「呼ばれて戻ってみれば、アスガルドに城壁が出来て、更には巨人が攻め込んでいるとはな。実に面白い。俺の国で、俺の目の前に現れて、生きて帰れると思うなよ、巨人め」
アース神族随一の力の持ち主、無双の男、巨人殺しの雷神トールが参上した。先ほど巨人が怯えていたのは稲妻ではなく、それと共に現れると言われる雷神トールに怯えていたのだ。
アスガルドの神々が見守る中、トールは自身の最強武具である鉄槌ミョルニルを振りかぶった。
「死ねェ──ッ!!」
ヤケクソになった巨人は衝動に身を任せて、全身を投げ出してトールに襲いかかる。だが、その全てが遅かった。既にトールはミョルニルを巨人の頭目掛けて投擲していた。
北欧神話の世界で最強の膂力を持って射出されたミョルニルは、音を置き去りにする速さで飛び、真っ直ぐに巨人の額を捉える。そして、人の身体よりも大きく、岩山のごとき堅さを誇る巨人の頭蓋骨を、いとも容易く砕きさる。
一拍遅れて、稲妻がミョルニルの軌道を辿って駆け抜け、巨人の身体を焼き付くした。巨体が力無く倒れて、ズズンと地を揺らし、巨人は絶命していた。一連の様は空を裂く一筋の雷と相違せず、
ミョルニルは不自然な軌道をくるくると描いて、トールの右手へと舞い戻る。トールは右腕を掲げてミョルニルをがっちりと受け止めると、天を仰いで
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トールが巨人を打ち倒したのと同じ時刻。アスガルドの近くの森の中では、あの牝馬とスヴァジルファリが向かい合っていた。牝馬の体力が尽きたことにより、日を跨いだ長きに渡る追走劇が終わりを迎えたのだ。
さて、突如としてスヴァジルファリを誘惑したこの牝馬だが、その正体は魔法によって変身したロキだった。
ロキは石工の妨害をする策を練ったが、そこで思い立ったのが予想外の馬の働きである。そこでロキは石工当人ではなく、馬を狙いを定めて考えた作戦を立てることにした。しかし、ただ馬を殺すだけでは、代わりの馬を用意するかもしれないし、露骨な妨害として石工に感づかれる可能性があった。そして実行されたのが、極上の牝馬に変身してスヴァジルファリを誘惑し、つかず離れずの距離で逃げ回り、石工に馬を諦めさせず工事を中断させるという策だった。
無事、ロキの策は成功し約束の期日を迎えることが出来たのだが、この策にはひとつの問題点があった。あらゆる
そのためロキは石工がいなくなった後も、スヴァジルファリから逃げ続けなければならなかった。だが結果はこの通りで、ロキは遂にスヴァジルファリに追い詰められてしまったのであった。
いろんな意味の危機を全身に感じたロキは馬の言葉でスヴァジルファリを説得することにした。
『待ってくれ! お願いだ!』
『おいおい、こんだけ焦らしておいて今更待ってくれ~はないだろぉ? 俺はもう辛抱たまらねえんだ』
スヴァジルファリはねっとりとした熱のこもった視線で、ロキの四肢を嘗め回すように見つめて鼻息を荒くしていた。ロキは背筋が寒くなるくらいの嫌悪感に、ただただ恐怖した。それと同時にこんなものを毎日のように浴びて、嫌がるどころか喜んでいたフレイヤはとんでもない奴だと思い、現実逃避を始めそうになっていた。しかしすぐに気を取り直し、目の前の肉欲に狂ったオスの説得を続けた。
『いや、実は私は馬ではなく魔法で変身した神なんだ! お前も神と交わる趣味はないだろう!?』
『はあ? 俺を騙してたっていうのかい。悪い
『待て待て! 騙してたことは謝る! それにさらに言うと私は男なんだ!! お前も男は抱けないだろう? ここまでの
ロキはとうとうキラーワードである、自らが男であることを明かした。しかし、スヴァジルファリの歩みは止まらず、その勇ましいまでの雄々しさは留まることを知らなかった。
『その見た目でオスは無理があるだろ。それに俺はホモじゃないぜえ? だってお前がメスになってるんだからなぁ!!』
『ちょ、まっ……アッ───────!!!!』
そしてアスガルドの森には、一頭の牝馬の悲鳴にも似た嬌声が一晩中響き渡ったという。
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トールが巨人を退治し、ほぼ出来上がりかけた城壁をタダで手に入れたアース神族の神々は、一日かけて城門を造って完成させ、素晴らしい城壁を手に入れることができた。
神々は城壁の完成を祝して宴を開き、喜びと勝利の美酒に酔いしれていた。しかしそこには今回の立役者であるロキの姿はなかった。神々がロキは何処に行ったのかと酒のつまみに話し始めた時、テュールがハッとして思い出したかのように手を打った。
「そういえばロキは森に行くと言ってた気がする。僕が迎えにいってくるよ!」
テュールは意気揚々と駆け出して森へと向かった。すっかり陽が暮れて、月明りだけが木々の隙間から差し込むだけの森の中を、テュールは恐れることなく進みロキを探した。
そうしてしばらく木々をかき分けて進んでいると、少し開けた場所に月光に照らされた人影が見えた。そこにいたのはテュールが探していたロキだった。
ロキに近づいていつものように大声でその名を呼ぼうとしたが、その時彼が何か抱えていることに気が付いた。ロキが大事に抱えていたのは一頭の仔馬であった。それもただの馬ではなく、すらりと伸びた脚が8本もある不思議な灰色の仔馬だった。
「やあロキ、探したよ。ところでその仔馬? はどうしたんだい?」
「ああ、テュール。わざわざ探しに来てくれたのか。ありがとう。それとこの子は馬じゃないよ────私の子だ」
呆然とするテュールを一瞥すると、ロキは仔馬に微笑みかけた。その柔らかな視線は慈愛に満ちていて、我が子を見守る母のそれそのものだったと、のちにテュールは語った。
その後この馬はスレイプニルと名付けられ、他に並ぶ馬を神も人も見たことがないような最高の馬へと成長し、主神オーディンの愛馬となった。
オーディンがスレイプニルに跨ると、その八本脚はどんなに荒れた大地だろうと、海だろうと、それどころか空すらも自在に駆け抜けたという。
三行でわかる今回のまとめ
牝馬に変身したロキに誘われ、スヴァジルファリが逃げたした。
城壁は期日までに完成せず、巨人が正体を現したがトールによって即座に殺された。
ロキはスヴァジルファリとの間にスレイプニルを授かってママになった。
怒濤の展開でしたね(他人事)。お楽しみいただけたでしょうか。
次回もロキの起こす珍事件を紹介したいと思いますので、お楽しみに!