太陽が西へと傾き、夕焼けの刻が街に訪れていた。
街の中心街から少し離れた、郊外へと続く大通り。交通量の多いその道の交差点に、ひとりの女性が花束を抱いて佇んでいた。
女性の足元には同じように、しおれかけた花束が置かれていた。女性はその場にしゃがみ込むと、しおれた花束を新しいものに交換し、そして、しばらく手を合わせて拝んだ後、その場から立ち去って行った。
そんな女性の後姿を、少し離れた場所から二人の男たちが見つめていた。背の高いモデルのようなスタイルの美形の男たち。イエスと、タディー。
イエスは言った。
「人間は過去を引きずりながら未来へ進む生き物だ。いつも後ろを振り返り、名残惜しみながら前へ進んで行く」
「だがどんなに振り返ったって、名残惜しんだって過去には戻れねえ。過去はその場においてけぼりだぜ」
そう答えたタディーの目は、交差点に残された花束に向けられていた。
二人はそれぞれ違う方向を向きながら、懐から一枚ずつコインを取り出した。
それは、あの展望台でコイントスをしていたものと同じもの。ミクが拾い、占い師に渡したコインと同じもの。
二人が同時に、同じ言葉を紡ぎだす。
「「過去に囚われた人間に憐憫を。取り残された過去には救済を」」
イエスとタディーの声が重なり、唱和しながら、二人は手にしたコインを頭上に掲げた。
「サインコインよ。過去に従い未来を示せ―――」
「――待ちなさい!」
二人の言葉を遮って、別の声が割り込んだ。二人はコインを握り掲げていた手を下ろし、その声の方向に視線を向けた。
そこにフード付きローブに身を包み、片手に一冊の本を抱えた、あの占い師が居た。
「イエス、タディー! ようやく見つけたわ!」
「やぁ、ターロット。久しぶりだね」
イエスが目を細め柔和な笑みを見せた。その一方で、タディーは眉間に皺を寄せ、嫌悪感を露わにしていた。
ターロットと呼ばれたその占い師は、イエスとタディーに指を突き付けながら言った。
「二人とも、未来を改変しようだなんて、もう諦めなさい! あんたたちがこの時代に落としたサインコインは、私がもう回収して封印したわ!」
「へえ、今回は随分と早くに手を打ったんだね。まだプリキュアさえ存在していないというのに」
「そうよ、もうあの子をプリキュアになんかさせない。始まる前に、全部終わらせる!」
ターロットはそう言いながら、手に持っていた本を開き、そこから一枚のカードを引き抜いた。
「THE SUN(太陽)!」
ターロットが手にしたカードが燃え上がり、そこに火球が出現した。
「フレアボール!」
二人に向かって、ターロットの手から火球が放たれた。
だが、迫る火球を見てタディーが嘲笑う。
「ハッ! プリキュアが居なけりゃ、太陽の力もちんけな火の玉でしかないってか!」
タディーは素手で火球を打ち払う。火球が霧散し、周囲に大量の火の粉が舞った。
「そ、そんな!? 私にプリキュアの力が無いって言っても、サインコインは封印した以上あんた達だって力は失っているはず。なのに、どこにそんな力が!?」
「サインコインが一枚だけだと、いつから思い込んでた?」
「え!?」
虚を突かれたターロットに対して、イエスとタディーはそれぞれが手にしていたコインを見せつけた。
「あ、ありえない……今までずっと一枚しかなかったコインが、どうして!?」
慄くターロットに、イエスが答えた。
「サインコインとは未来を示す道標のコイン。たったひとつの未来しかないなら、確かにコインは一枚きりだった。でもね……」
「俺たちとプリキュアがこの時空で何度も戦い過ぎたせいで、ついに未来も不安定になっちまったらしい。おかげでコインもざくざく生まれちまった」
タディーがそう言いながら、懐に手を入れ、そこから何枚ものコインを掴み出して見せた。
「嘘…そ、そんな……」
「ターロット、もうこうなってしまっては、どんな未来が訪れるのか、もう僕らにもわからないよ。だから、全ては運命に任せよう。……タディー、さっきの女性はもう遠くへと立ち去ってしまった。今回は君に任せるよ」
「ああ、そうさせてもらうぜ」
タディーはそう言って、手にしていたサインコインの一枚を、交差点に残されていた花束へ向かって投げつけた。
それを見てターロットが叫ぶ。
「駄目!? やめなさいっ!」
しかしコインは花束へと吸い込まれていく。タディーが叫んだ。
「サインコインよ、過去に従い未来を示せ! この地に眠る悲しみよ、現世に黄泉がえり未来へ進め!」
タディーの言葉と共に花束は光り輝き、ぐんぐんと巨大化していく。同時に光の中で花束はそのシルエットを禍々しく変貌させていく。
「何という事を……」
呆然と呟くターロットの前に、人の背丈をはるかに超える巨大な怪物が出現した。
その上半身は花束を胴体とし、そこから長い触手のような両腕が生えていたが、その下半身はひしゃげた自動車のような形状をしていた。
「征け、ネガテバー、未来へ!」
「テェェバァァ!」
怪物:ネガテバーの長い腕が大きく振るわれ、ターロットの身体を直撃した。
「きゃあああ!?」
悲鳴と共にローブに包まれたその身体が高々と舞い上がる。それを、偶然通りかかった一人の少女が目撃していた―――
――――――
私は目の前で繰り広げられている非現実的な光景に、完全に凍り付いてしまった。
街を散歩中、あの占い師さんをまた見かけたので、こんどはちゃんと占ってもらおうと思い後を追ってみれば、いきなり巨大な怪物と遭遇してしまった。
「うっそ、なにこれ?」
特撮? そんなわけないよね、と正気を取り戻したのは、あの怪物に占い師さんが弾き飛ばされた直後のことだった。
鈍い音と共に占い師さんの身体が宙を舞い、私の前に落下した。
それを目にした瞬間、私の中で相反する現象が同時に起こった。
背筋がゾッと寒くなった一方で、私は“かつてあったこと”を思い出してカッと頭が熱くなった。
――お母さん! お母さん!?
激しいブレーキ音、鈍い音、横たわる母、響き渡る救急車とパトカーのサイレン音。
「占い師さん、しっかりして!」
脳裏にフラッシュバックした光景が今の状況と重なり、私はとっさに占い師さんに駆け寄った。
けれど声をかけても彼女は身じろぎもしない。私は俯せに倒れていた占い師さんの傍に顔を寄せ、呼吸を確かめた。
でも、
「息が無い…!」
すぐに手首を取って脈を診るが、これも無い。それどころか彼女の手は奇妙なほど無機質で、固かった。まるでマネキン人形のようだ。
「とにかく、心臓マッサージしなくちゃ!」
俯せの彼女の身体の下に腕を入れ、仰向けにひっくり返す。――って、
「うわわあわあわ!?」
仰向けになり、フードが下がって露わになった彼女の顔を見て、私は思わず悲鳴を上げてしまった。
「ま、マネキン!?」
人間じゃない。でも確かに占い師さんはさっきまで動いていた。どうなってんの?
「驚かせてごめんなさい。でも、ターロットは大丈夫ロト」
「この声は、占い師さん!?」
確かに同じ声だ。でも、マネキンとは違う場所から、けれどすぐ近くから聴こえてくる。
「ターロットはここだロト」
すぐ傍だ。私は目を落とす。マネキンが抱えていた本からだ。その表紙に、ネズミともタヌキともつかない丸いシルエットをした三頭身の謎生物が描かれていた。
その表紙の中の謎生物が、私に向かって手(というか前足というか)を振っていた。
「ほぇ!? 本が動いてしゃべってる!?」
「話はあとだロト、今はとにかく逃げるロト!」
「テェェバァァ!」
見れば花束と自動車が合わさったような怪物は、腕を闇雲に振り回しながら徐々にその場から移動しようとしていた。
このままじゃここに居たら巻き込まれる。私はしゃべる本を手に取って立ち上がった。
「ねえ、このマネキンは置いて行っても大丈夫?」
「問題ないロト。…っていうか、ターロットのことは放っておくロト!? 逃げるのはあなただけでいいロト!」
「そんなわけにはいかないでしょ」
私は本を抱えて走り出し、近くの路地へと逃げ込んだ。
怪物は私たちを追ってはこず、別の方向へゆっくりと進んで行く。相変わらず振り回している長い腕が近くの街路樹に当たり、それを圧し折った。
私はそんな怪物の様子を、路地から息を殺して窺った。
「狙って何かを壊しているっていうより、適当に振り回している腕が偶然当たって周りを壊してるみたい。まるで癇癪を起している子供のよう……。ねえ、あの怪物はいったい何なの?」
「あなたには関係ないロト。そんなことより、もっと遠くに逃げるロト」
「でも、怪物をあのまま放っておいたら街がどんどん壊されちゃうよ。何とかしないと」
「それはターロットの役目ロト」
「どうやって? マネキン、壊れちゃたでしょ?」
「うっ…」
「……ねえ、私がマネキンの代わりになろうか?」
「……っ!?」
表紙の中で、ターロットがはっと息を呑んだのが分かった。
「この案、イケそうだね」
「だ、駄目ロト!? ミクにはそんな危ない真似はさせられないロト!」
「どうして私の名前を知ってるの?」
「しまったロトぉっ!?」
「…もしかして、あのコインを拾ったときから、こうなるって知っていたんじゃないの?」
「………」
「ねえ、ターロット。聞いて」
私は立ち上がり、路地から出て怪物を眺めた。
「私は、あの怪物を止めたい」
「……どうしてロト?」
「あのまま放っておいたら、いつか無関係な誰かが傷つけられる。死んじゃうかもしれない。たまたま通りがかっただけでそんな目に遭うのは、理不尽過ぎるよ」
「だからって、ミクが危険を冒す理由にはならないロト」
「そうだね。でももう一つ放っておけない理由があるの。…あの子、とっても苦しそうなんだもん」
そう、やっぱりあの怪物は、何か目的があって暴れている訳じゃない。他にどうしようもないから、そうしている。そんな気がする。だから……
「ターロット、お願い。私に手伝わせて。――ううん、違う。私に力を貸して!」
「ミク……って、あわわロトぉ!?」
その時、閉じられていた本の隙間から強い光が漏れだした。
「ロトー!?」
ターロットが自らページを開くと、そこから一枚のコインが飛び出し、私の手に収まった。
これは、あのコインだ。
「サインコインの封印が勝手に解けたロト!?」
「サインコイン……プリキュアの力……?」
不意に、そんな言葉を無意識に口にしていた。
「ミク…やっぱり、こうなる運命だったロトね」
「ターロット!」
「わかったロト。そのコインでプリキュアに変身するロト!」
コイントスを、と言うターロットに従い、私はサインコインを親指で弾いた。その瞬間、胸の奥から言葉が湧き出した。
「プリキュア! フォーチューンセレクト!」
舞い上がったコインが、回転しながら落ちてくる。
裏に刻まれた紋様は変わらぬ過去。
鏡の様に滑らかな表は白紙の未来。
私の左手でターロットがページを開き、落ちてきたサインコインを受け止め、バタリと閉じた。
再びこのページを開いたとき、そこに現れるのは、表か、裏か。
「オープン!」
開かれたページから、光の粒子が噴水の様に湧き出でて、私の身体に降り注いだ。
着ていた私服は黒地にピンクのフリルが付いたゴシック風のミニスカート姿へと変わり、それを覆うようにルビーのような光沢をもった赤い色のマントを羽織った。
視界の端に、赤く染まった自分自身の髪が見える。
そう、これがプリキュアとしての私。
「未来へ歩む、明日よりの使者。キュアルカナ!」
怪物:ネガテバーが私の存在に気づき、振り向いた。
「テェェバァァ!」
がむしゃらに振り回された長い両腕が、鞭のようにしなりながら私の周囲に次々と叩きつけられた。
だけど私はその場から動かなかった。動けないんじゃない。動く必要が無いだけだった。
当たりそうな軌道はごくわずかだ。これは当たらない。これも当たらない。でも、次の次は当たる。
ネガテバーの腕が私のすぐそばを掠めた瞬間、私は真上に向かって跳躍した。そのすぐ足元をネガテバーの腕が横なぎに振り抜かれていった。
私はネガテバーの頭上を跳び越え、その背後の離れた場所に着地する。
「テェェバァァ!」
ネガテバーは振り向き、突進してきた。下半身のひしゃげた自動車がエグゾーストノートをがなり立てる。
それはまるで悲鳴のように私には聞こえた。
「ねえ、あなたはどうして泣いているの?」
「ルカナ、危ないロト!?」
大丈夫、ちゃんと視えている。私は軽くステップを踏んで、わずかに右へと移動した。
しかしネガテバーもそれに合わせてカーブしてきた。
だけどその時、私は既に左へと大きく跳んでいた。
「テバぁ!?」
ネガテバーは私を追って慌てて逆へカーブしようとしてバランスを崩し、土煙を立てて横転した。
「テバアアア! テバアアア!」
ネガテバーが泣き叫ぶ。まるで幼子の様に。
「ルカナ、タロットカードを引くロト!」
引けるのは一度に三枚。ターロットの言葉に従い、私はページをめくった。
「初めの一枚は過去を示すカードだロト!」
めくったページに現れたのは、雷に打たれて崩れ落ちる高い塔が描かれたカード。
「THE TOWER(搭)の正位置だロト。その暗示は“突然の崩壊”」
その瞬間、私の脳裏に“ヴィジョン”が視えた。
交差点を渡る母親と幼子。そこに猛スピードで飛び込んできた一台の自動車。泣き崩れる母と、物言わぬ幼子――
「二枚目を、現在を示すカードを引くロト!」
私は二枚目のカードを引いた。そこに描かれていたのは、足を縛られた逆さ吊りの男の姿。
「THE HANGDMAN(吊るし人)の逆位置だロト。その暗示は“報われない苦難”」
「テバアアア!」
ネガテバーの声が聞こえる。寂しいよ、と泣く声が。置いていかないで、と泣く声が。忘れないで、と泣く声が。
「三枚目は未来を示すカードだロト!」
私は引く。手にしたのは、大きな鎌を構えた骸骨の怪人。
「THE DETH(死)の正位置だロト。暗示は“変化と終了”」
「そうだね。終わらなければ、何も始まらないよね」
「テェェバァァ!!」
ネガテバーが起き上がり、再び突進してきた。下半身のタイヤが白煙を上げる。エンジンが轟音を上げる。ネガテバーが咆哮する。
「避けるロト!」
「いいえ、受け止める」
「ロトーっ!?」
私はターロットを両腕で抱き込み、右足を後ろに引いて大地を踏みしめた。
真正面にネガテバーが迫る。
「テバァァァァァ!!」
凄まじい衝撃が私の身体を駆け巡り、踏みしめた足から大地へ伝わり足下のコンクリートを粉砕した。
それでも、私はその場に踏みとどまる。
痛い、痛い、痛い。全身の骨が軋む音がする。でも……
「……あなたはきっと、もっと痛かったよね」
「テバぁ!?」
「私はあなたの過去を知らない。名前も知らない。お互い見知らぬ他人でしかない。でも、あなたの痛みと辛さは、少しだけ見知った。――だから、あなたのことは忘れない」
私はネガテバーと接触したまま、右の拳を固めて後ろへ引いた。
その拳に、引き抜いた三枚のカードが光となって吸い込まれていく。過去、現在、そして未来。
「この痛みがある限り、私はあなたを忘れない!」
プリキュア・イレイザーナックル。
光の拳をネガテバーに叩き込む。力の奔流がネガテバーの体内を駆け巡り、その身体を構成していた悲しみや苦しみ、痛みを消し去っていく。
消えるという事は、この世から痕跡が消えること。
ネガテバーの姿が消えて行くと同時に、破壊された道路や街路樹もまた、何事もなかったかのように復元されていく。怪物が暴れた過去など、どこにもなかったかのように。
そして私の姿も、プリキュアから普段の私へと戻って行った。
傷一つない、私の身体。あれだけの衝撃を正面から受けたはずなのに。
「プリキュアの耐久力はすごいロト。でもいくら平気だからって、あれは避けるべきだったロト」
「ああしなきゃ、私、すぐに忘れちゃうんだ。物覚え悪いから」
そう言いながら、あのネガテバーの姿を思い返す。心がズキンと痛み、私は安堵した。大丈夫、あなたが遺した傷は、あなたが生きた証は、私の心にちゃんとある。
胸を押さえた私の目の前で、一枚のコインがちゃりんと音を立てて落ちてきた。
「サインコイン? 私、落としちゃった?」
「これはネガテバーの核だったコインロト。この場所に残された“暗い過去”がサインコインを中心に集まって生まれたのが、あのネガテバーだロト」
「ほぇ~。けっこう面倒くさいアイテムなんだね、このコイン」
「だから封印しなくちゃいけないロト」
ページに挟んで封印完了。結構お手軽なのね。
「ねえターロット。コインを封印するのが、プリキュアの使命なの?」
「正確にはちょっと違うけど、今はそうロト」
「サインコインって、他にもまだいっぱいあるの?」
「いっぱいあるロト」
「じゃあ、いっぱい頑張らないとね」
「そうロトね。……って、何でプリキュアを続ける前提で話しているロトかー!?」
「えー、だって私、プリキュアだもん」
自分で言って、何故だかすごく腑に落ちた。
きっと、こうなるべくして、こうなったんだ。
「これからもよろしくね、ターロット」
「勝手に決めないでほしいロト! プリキュアは今回限りで解散ロトー!」
「ねえ、実は私たち、昔どこかで会った覚えとか無い?」
「な、無いロト! 初対面ロト! っていうか人の話を聞けロト―!」
「はいはい、じゃ家に帰ろうね」
「だから人の話を聞けロトー!?」
――――――
本を抱えて去っていくミクの姿を、離れた場所からイエスとタディーが見守っていた。
「やっぱり予言どおり、伝説の戦士プリキュアは誕生した。どうやらこの時間でも、僕らとプリキュアの戦いは始まったようだね」
「あのなイエス。今さら言っちゃなんだが、マッチポンプだよな、これ」
「ふふ、未来がどうなるかなんて“過去よりの使者”たる僕らには知りようが無いよ。僕らはただ、今というこの瞬間、瞬間を必死に生きるだけさ」
イエスはそう言いながら空を見上げた。
夕陽は既に沈み、晴れ渡った空には満点の星が瞬いていた。
「僕らにとって未来は多くの可能性に満ちている。そう、まるでこの星空の様に。そしてプリキュアもまた――」
見上げる二人の頭上で、流れ星が一筋の尾を描いた。
「――さあ、新たなプリキュアを迎えに行こう」