清楚とはこういう事です   作:蒸留

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#3 人は愛せずして生きることができず、また、愛されずして生きることはできない。

 足元さえ覚束ない、深い霧の中を歩く。

立ち止まる事は許されなかった。

気付いていないふりをしていたけれど、とうの昔に感覚は途絶えていた。

末端まで冷え切った両足は、どうやって動いているのか不思議な程に感覚がない。

それでも、一寸先も見えない闇を歩いていく足取りは止まらない。

止められるわけがない。

足が動かなくなれば、這ってでも。

身体を引き摺ってでも。

俺には前を向いて歩いていく義務があった。

 

 視界が暗転し、一瞬にして切り替わる。

夜空のように、辺り一面が青一色に染まった世界。

地に足が付いていない事、呼吸をしようとして気泡が浮かんだ事から、ここは水中だと知覚できた。

 

 呼吸ができない、閉塞感。

少しずつ、自分の命の灯火が消えていくのを感じる。

さっきまで感覚の無かった身体が急速に冷えていく。

血管が縮まり、本来行き渡る筈の血液が欠乏しているのだろう。

全身に分散させていた血液を身体の中心部に集め、とにかく体温を維持しようと視床下部が命令している。

恒温動物のメカニズムを最大限活用してでも、身体は生きようとしている。

けれど水面の遥か上に微かに見える光はあまりに遠くて、全身を必死に動かしても地上には届かない。

水中に溶け込む酸素の量は人間にとって余りにも少ない。

このまま俺は血中の酸素濃度欠乏、それに伴う呼吸困難によって最大限苦しんで命を落とすのだろう。

 

 一体俺が何をしたんだ。

どうしてこうも、苦しんで足掻いて、惨めにもがきながら命を終えなければいけないんだ。

どうして。

 思えばいつも俺だけが、こんな不幸に曝される。

俺が持って生まれなかった才能って奴はそんなに偉いのか?

選ばれなかった人間はいつだって苦渋を味わうだけか?

天才の踏み台になるためだけにやっていたわけじゃなかった。

そんな簡単に割り切ったり、諦められる程度の熱意で続けちゃいなかった。───も、この身体になってから始めた配信も。

才能が物を言う世界で、意図せず人を惹き付ける天性の資質を持った化け物達にはどう足掻いても敵わないのか?

あの時と同じだ、何一つ変わらない。

いつだって俺だけが、取り残される。

圧倒的な才能に囲まれて何もかも擦り減らし、後には何も残らない。

 

 今わの際と呼ぶべきこの瞬間に、ふと気付く。

奴らはみんな、魚だったのかもしれない。

大気中の1/33しか酸素がない水中で生活する魚たちが採用するえら呼吸という呼吸方式は、人間の肺呼吸の何十倍も酸素交換効率に優れている。

常に高速で動き回って、水流をえらに当て続けなければ死んでしまう所なんて正にぴったりだ。

えらという器官を俺はついぞ手に入れる事ができなかった。

意図せず、一瞬で俺の全てを塗り替えていった彼らは、きっと───をするためだけに生まれてきた人間だった。

俺はそうではなかった。

俺は彼らと違って、───以外にも生活があった。

全てを失ったと思ったあの日、死ねなかった事が全て。

───に殉じるつもりだったのだから、あの時俺は命を終わらせるべきだったんだろう。

 

 

 ふと、目が覚める。

なんだか柄にもない夢を見た、眠りが浅かったらしい。

霧で先が見えず暗中模索、水中で息ができないまま足掻く……あまり穏やかな夢ではない。

寝汗が凄い。

前髪が汗で額に張り付く感触に不快感を覚える。

『俺』か……随分と懊悩としていた時期の記憶に引っ張られて、一人称も戻っていたらしい。

意識をしっかりと持たなければいけない、『俺』はもうどこにも居ないのだから。

理由は未だに分からないが、ここに居るのは『黒音今宵』だけだ。

前途ある一人の若者の将来は、自分の手に掛かっている事を忘れてはならない。

 

 さて、一日の始まりに幸先は悪いが、気分を切り替えて洗顔でもするか。

女のスキンケアは想像以上に大変なのだ。

何も手入れせず、肌も髪もつやつやなんてわけにはいかない。

二次元の存在ではない、食事も排泄もする普通の人間が、シミ一つない白磁のような肌を維持するのにはそれなりに手間が掛かる。

ボディクリームも、乳液も、化粧水も、重要視されるのは一にも二にも保湿。

次に優先されるのは健康的で規則正しい食生活や生活習慣。

こちらは、現在多忙により睡眠時間をゴリゴリ削られ、眠りの質も上質とは言い難いが……、あ、枝毛発見。

美、というのは途方もない労力の先でようやく維持される、女性の汗と涙と努力の堆積物。

常に美容に頭を悩ませ、妥協せず様々な角度から美しさを探究し続ける女性の皆様方には頭が上がらない。

精神が未だ男の私も、大変僭越ながら今やその末席に名を連ねているのだけど。

 

 

 

 

 

 

『じゃあ燦、ほら、マシュマロ読も?』

 

『はい。精神誠意お答えしますが、どうしてもお答えできないようなご質問もあるかと思います。どうかご了承下さい』

 

『燦??』

 

『ぅ……ご、ご了承下さい、にゃあ……』

 

『よしよし、かわいいよ』

 

『あまりいじめないで……』

 

 

 うわ。

恥が、恥が過ぎる。

こんな辱めを受けるに値するような悪行しただろうか。

 

「かわいいね、燦」

 

「意地悪っ」

 

 つい先日夏波さんのチャンネルで行った2期生最速のコラボ配信、『お堅い黒猫をドロドロに甘やかしたい配信!』。

枠の名前については突っ込まないで欲しい。

私だって何度も抗議した。

 

 これがとんでもない反響を呼び、たった1回の配信でお互いのチャンネル登録者数、つぶやいたーのフォロワー数が15,000以上増えるという爆発的な結果を得た。

配信後の第一波、そして配信内で私と夏波さんが仲の良さそうに会話しているシーンだけを切り抜いた動画がNyatubeでバズりにバズった第二波という二重構造で知名度を上げる事になった今、件の動画を二人で見てみようという話になり、DisRoadで通話を繋ぎながら画面共有機能で2人で同じ動画を視聴している。

 

 この配信では夏波さんの魅力を余す事なく全て引き出し、夏波さんの知名度を向上させるという明確な目的があった。

そのためなら私は、多少の汚れを被る事も厭わない覚悟で臨んだ。

 

 結果として『Vtuber夏波結』の知名度は大幅に向上し、前述した通り登録者数、つぶやいたーのフォロワー数、共に今も伸び続けている。

私を選んでくれたような夏波さんを、こんなに素敵な人だと大衆にプレゼンするという目的は達成。

無事に義理は果たせたのだ。

陰ながら協力してくれていた、私がデビューする前からの付き合いの協力者Aちゃんも大層喜んでくれた。

いや、彼女なら私がどうなろうとも私を立ててくれそうな気もするが……。

 

 閑話休題。

ともかく、あるてま二期生初コラボ配信は失敗ではなかった。

むしろ、その戦果だけを切り取るなら大成功といって仔細ない。

が、心情的には諸手を挙げて大成功と言い難いものがある。

 

「ねえ見て、燦! 燦のフォロワー、ちょっと目を離した隙にまた増えてるよ! 3万、4万……」

 

 戦闘力か??

だとすれば行き着く先はきっと打倒フリー〇様だと思うけど、私はかつても今も脆弱な地球人Bなのでこの辺りで大丈夫なんで、ほんとに。

まあその……どちらかと言えば、先日の配信でバズってしまった勢いは夏波さんより私の方が大きい。

枠のタイトルも相まって、お堅いイメージばかりだった私の殻は完全に崩れ去った。

そんなものは元より砂上の楼閣だったので別に構いはしないし、むしろブランディング的には願ったり叶ったりなのだけど、ちょっとこの反響は想定外だった。

なんなんだこの人達は、私に注目してる時間があればもっと夏波さんを見ろよ。

 

 先述したように、あくまでもコラボ配信をするにあたって私が掲げた目標は、『夏波結』の知名度向上とイメージ戦略の上方修正だった。

もっと業界で夏波さんの名前を上げると誓ってからは、私こと『黒猫燦』のそれはあくまでもおまけ程度であり、副産物程度に考えていた。

多少なりともブランディングの角度が傾き、活動しやすい風向きになればいい程度に思っていたら、まさかそっちが跳ねるとは。

本当に人間万事塞翁が馬というか、全くあてにしていなかった豆が巨木に大成長した時のジャックもこんな気持ちだったんだろうか。

イギリス童話の彼はそのシステムを悪用した後、労せず掴んだ幸福に価値がない事を悟り改心した。

 

「燦の次の配信、どれくらいの人がくるのかな……楽しみだね」

 

 私の場合はどうだろう。 

私が配信によって得たファン達は、全くの無意味なのか。

その問いの答えは、通話中の夏波さんの楽しげな声色が教えてくれた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

  

JKのおふたりに質問です!

ぶっちゃけ好みの男性のタイプを教えて下さい!

 

マシュマロ

❏〟

 

『私はやっぱり頼りになる男子が好きかなー。困ってたらすぐに助けてくれるような人! それでいて見返りを求めないなら尚良!』

 

『夏波さんらしい答えですね。貴方は素敵な人ですから、競争率が高そうです』

 

『……っ、燦は、そう言う燦はどんな人が好みなの? 気になる!』

 

『うーん、そうですね……夏波さんみたいな人かな』

 

『   』

 

 この回答は、振り返れば明確に私の失敗だった。

正直、本音5割営業5割のつもりで軽はずみにした答えで、夏波さんなら上手いこと流してくれるだろうという彼女のアドリブ力頼りのパスを投げてしまったシーン。

ただのファンだった頃、黒猫燦とのコラボ配信で夏波結のアドリブ力は散々目にしていたから、という悪い方向の信頼を向けてしまっていた。

考えてみれば彼女とはまだ数回の通話をした程度の仲で、初対面すら果たしていない程度の女からこんな事言われても不快感を催すだけだった。

こと今現在はまずまずの友好関係を築けていると信じたいが、配信の時点では、そう思っていたのは私だけだったのかもしれない。

夏波さんの中で、信頼より不安が勝ってしまったというだけ。

 

 珍しく言葉を失くしたように1秒くらい呆然としている夏波さん。

改めて観ても普通にキツいな……放送事故以外のなにものでもない。

外野のコメント欄は楽しそうだが、当事者たる私は配信にこなれてきたタイミングでのアクシデントに内心血の気が引いたのをよく覚えている。

普通に体調が悪くなってきた。

共感性羞恥は過去の自分を映した記録にも生じる情動だという知見を得た、こんな事はできれば死ぬまで知りたくなかったが。

 

「夏波さん、この時……」

 

「……何も言わないで」

 

「……ごめんなさい、夏波さん。急に変な事言って」

 

「な、なんで謝るの? 嬉しかったよ」

 

 うーん、この気遣い屋。

口を開けばいついかなる時もポジティブな発言が飛び出す底抜けの善人さえ、閉口させてしまう程に気色悪い発言をしてしまったんだな、私は。

むしろこうして今、優しい言葉を使ってフォローしてくれるのには、本当に優れた人間性を感じてならない。

いかなる理由があろうとも、こんな善人を困らせてはいけない。

自戒せねば。

 

 視聴者サービスは勿論重視すべきだ、基本的には最優先するぐらいの認識で間違いない。

しかし、私達演者同士のトラブルや不和の回避は、時としてそれを上回るぐらいの重要事項になる。

なんせ、尾を引いたら厄介だ。

所詮配信は開始ボタンを押してから再び押すまでのエンターテイメント、アーティストのライブや映画鑑賞と同じようなフィールドだと感じている。

しかし中身の人間同士の関係性はそう簡単にリセットできるものじゃない。

 

「今後も夏波さんとのお付き合いを大切にしたいので、こういった発言はなるべく控えます。 本当にごめんなさい……」

 

「……えっえっ、あの」

 

「……いや、今のも不快か。すみません、いくら女の子でも軽々しくそういう事言われるの、気持ち悪いですよね……」

 

「あ、いや、そんな事ないよ! 燦の気持ち、嬉しい! けどほら、いきなりだから驚いちゃって……」

 

 まあ、この話題はここが引き時か。

こういう時、表情の見えない音声通話は対面での会話より情報を精査するのに適しているのかもしれない。

声色、というのは時に表情よりも雄弁に感情を表す。

夏波さんの声から感じ取れるのは、強い困惑と、ほんの少しの喜び。

他人から承認されるのはいかなる時でも嬉しい事、まして、少しでも信頼関係を築いた相手であれば。

けれど確たる理由のないそれは酷く盲信的で、胡散臭く感じるもの。

配信内で、いかに『夏波結』が人間的に尊敬すべき向上心と包容力を兼ね備えた魅力的な女性なのか、あれだけ力説したつもりだというのに。

配信でのリップサービスだと思われていたのか、当人にはあまり響いてなかったらしい。

 

 今はそれで構わない。

私が夏波さんを魅力的な女性だと思っている事は、これからの行動でいくらでも証明できる。

今はこれ以上稚拙な言葉を重ねて、得られようとしている信頼を失う事の方がリスクが高い。

深追いは禁物だと感じた。

初対面から信用を得る事はそれ程難しい事ではないが、一度失った信用を回復するには相応の労力を要する。

出来るならそういった事態は避けたい。

 

「夏波さん、ここ! 私達と先輩のコラボが決まったとこです!」

 

「あっ……うん。燦、どうしてこの時誘ってくれたの?」

 

 露骨な話題のすり替えに何か言いたげな夏波さんは、それでも私の意思を汲んでくれた。

こういう人だからこそ、私は貴方には正直で誠実な人で居ようと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

初マシュマロ失礼します。

2期生のおふたりは尊敬する1期生の先輩はいますか?

 

マシュマロ

❏〟

 

『んー、取り敢えず尊敬って言うとあれだから憧れてる先輩は来宮きりん先輩だね。元気で真面目な優等生! 癖の強い1期生の中でも埋もれずに皆をまとめるしっかり者! 憧れるよね〜』

 

 この日この瞬間、私はふと疑問を覚えた。

この世界は『私』以外の全てが、前の世界と同じ。

ならば、まだ他者とのコラボ等が少なく前の世界との差異の少ない現状では、以前の世界の『黒猫燦』と同じような言動を取る事によって望む未来が掴みとれるんじゃないか、と。

 

 私は意識を失う前の一般男性だった頃の記憶を保持したまま『黒猫燦』として活動している。

かつて何者にも成れなかった私は、黒猫燦を外部から客観視していた。

つまり夏コミまでの未来を既に観測している。

 

 人間の記憶力には限界があるので、さしもの私も一言一句ライバーの発言を覚えているわけではないが、夏波さんの配信時の言葉にはちらほら聞き覚えのあるものが混じっていた。

湧いた疑問。

元々想定には無かったが、ダメ元でも試してみる価値はある。

 

 私のやろうとしている事は、質の悪い模倣。

違法コピーだとか、海賊版の非合法作品を売り出しているような連中と一緒。

他人の知的財産に無遠慮にも土足で踏み込んで食い扶持を荒らす、最底辺の無法者と同列。

最初にその選択を選んだ、本当の『黒猫燦』の意思を、勇気を踏み躙るような唾棄すべき悪行。

 

『? 燦はどう?』

 

 罪悪感を覚えない、と言えば嘘になる。

現に、決定的な言葉をすぐ吐き出せずに夏波さんに気を遣わせてしまった。

 

 今、言ってしまえば私の発言までの間は『長考』になり、不自然な間は辛うじて回避できる。

私のくだらないプライドと世話焼きな同僚の配信、天秤に掛けるまでもなく大切なものがどちらかは誰の目にも明らかだった。

 

 そもそも、言ってしまえば成人男性がいたいけな少女の身体を勝手に動かして生活しているこの状況がもう、救いようもなく大罪だった。

そうしなければ生きていけないのだから、ある程度は見逃して欲しいものだけど。

 

 きっと、元々の身体の持ち主『黒音今宵』にまともに顔向けできない程、今の『黒音今宵』は生活振りが違う。

勝手に人生二度目のつもりで、何の罪のない少女の大切な人生を踏み台にして、今ものうのうと息をしている。

この私が悪人でなくて、一体誰が悪人なのか。

全てが今更。

私が『清楚な美少女』で居るのは、親愛なる視聴者の皆様の前だけで構わない。

どうしようもなく悪辣な本質は、私の中でずっと隠していればいい。

そうして私は、決定的な言葉を口にした。

 

『私は…世良祭先輩を尊敬していますよ』

 

『先輩に対して失礼な表現かもしれませんが、世良祭さんの声は天性の資質と言う他ありません』

 

『どんな楽器隊の中でも埋もれず、場をグルーヴ感を持った雰囲気で包み込む事のできる歌い手は希少です』

 

『【天才】とは、天から賜わった才能とはああいう事を言うのでしょうね』

 

 少しして、コメント欄に降臨する世良さん。

予想できた展開だった。

もう後には引けない、またも退路は塞がれた。

全てが予定調和……と、そう思っていた。

この瞬間、彼女のコメントを読むまでは。

 

 黒猫さんいっぱい褒めてくれる、すき 世良 祭✓

 

 まさか。

バタフライエフェクト、という単語が脳裏をよぎった。

元々ある気象学者が提言した寓意的な表現、つまり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』と同じような、言葉遊びの文脈に近い。

蝶の羽ばたき程度の些事が多くの因果関係の果てに大きな結果に繋がるという意味で、前の世界でも今の世界でも、SF的な創作物で親しまれてきた現象の事を言う。

未来の事象とは〇タゴラスイッチのようなもので、全ての要素が絶妙に噛み合って繋がっている。

一つでも要素が違えば、『未来』は異なってしまうかもしれない。

 

 思い返せば、彼女は配信内で黒猫燦を特別視する理由を語っていた。

 

【私もあまり喋るのも人付き合いも得意じゃない。あるてまできりんが引っ張ってくれなかったらきっと今も孤立してた】

【私ももっと友達が欲しい。そして黒猫さんも友達がほしいと思ってる。きりんがそうしてくれたように、私も黒猫さんの手助けをしてあげたかった】

 

 では、そうではなかったら?

『黒猫燦』が人付き合いが苦手ではなかったら?

世良さんは私に自分を重ね合わせる事もなく、憐憫の情を覚える事も無いかもしれない。

 

 黒猫さん今度コラボしよ 世良 祭✓

 

 ゑ?

 

『わっ、燦! 先輩とコラボだって! 凄い凄い!』

 

 あっそうですか……。

なんか、普通に杞憂だったみたいです。

ありがとう夏波さん、自分の事のように喜んでくれる貴方のそういう所、もっと配信でも皆に観て欲しいなといつも思っている。

だからだろうか、私は次の言葉を自然に紡ぐ事ができた。

 

『世良先輩、私は夏波さんと3人がいいです。 ダメ……でしょうか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして、も何も、あの時言った事が全てですよ。 夏波さんと一緒なら私は大丈夫だと思ったから」

 

「燦……」

 

「夏波さんの予定も訊かずにごめんなさい。 でも、私は絶対に夏波さんと一緒に行きたい」

 

 これも半分本気で、半分は嘘。

私は先日のコラボ配信で義理を果たした。

接触してきた夏波さんの、もっと知名度を上げたいという言外の願いを叶える事に、一役買えたと自負している。

だが、足りない。

全く以て足りやしない。

夏波さんのポテンシャルはこんなものじゃない。

 

「ごめんなさい、少しズルい言い方をしてしまいましたね。 優しい貴方の事だから、こういう言い方したら断われない事分かってるのに」

 

 私は、夏波さんが【燦じゃなきゃ駄目】と言ってくれたあの日から、夏波さんにもっともっとスポットライトを浴びせる事をずっと考えていた。

これは、好機だ。

プライドを曲げてまであまり選びたくない選択肢を選んだのは、夏波さんの利に繋がると踏んだから。

世良さんの配信内で、彼女の視聴者層に改めて『来宮きりんのフォロワー』を周知する事の意味合いは大きい。

エピソードを最大限活かし、爪痕を残す事ができれば偉大なる一期生の先輩方のファンにも認知してもらえる。

上手くいけば早期の段階で来宮きりん先輩ご本人とのコネクションもでき、ゆいきりコラボにだって漕ぎ着けるかもしれない。

 

 夏波さんは極めて善良な人格者。

『夏波さんが参加しない事によって、コラボ自体が流れる』事を示唆すれば、絶対に断れない。

先輩とのコラボを蹴る、という行為によって『黒猫燦』の可能性が一つ潰えてしまう事を嫌がってくれている、彼女はそういう人だ。

 

 これは、私なりの意趣返し。

本当の『黒猫燦』じゃない私でも寄り添ってくれた夏波さんへ、今度は私が報いたい。

貴方に救われた私が、貴方の手を取って歩きたいという我が儘なんだ。

 

「……私は優しくなんてないよ。 燦はもう分かってると思うけど、私は燦を利用しようとして近付いた」

 

「それって、そんなに悪い事ですか? ……それとも、今夏波さんがこうして配信外で私と話してくれてるのも、そういう事?」

 

「ッ違う! これはただ、私が燦とお話するの好きだから!」

 

 こうやって後ろめたさを自らあげつらって断罪されたがる過剰な程の実直さとか、感情が昂っている時でもわざわざ【お話】って言葉選びをする所に滲み出る育ちの良さだとか、些細な気付きをどうしようもなく愛おしく感じられるぐらいには、彼女の事を知ったつもりだ。

再三申し訳ないが、夏波さんは絵に描いたような誠実さを持った善人であり、恐ろしい事にそうした性質に自覚的でない天然ジゴロさんなのだ。

 

「うん、知ってます。 私も同じ気持ちですよ。 分かってたのに、疑うような事言ってごめんなさい」

 

「……さっきからずっと言おうと思ってたんだけどさ」

 

「……?」

 

「なんで燦が謝るの? 悪いの、全部私なのに……」

 

 は?(困惑)

夏波さんに不快な想いを抱かせてしまった事、夏波さんの厚意を知っていながらすっとぼけて疑ったような言動を取った事、どちらも謝罪に値する悪行だと感じている。

この天使のように善良なギャルのどこに落ち度があるのか、私には理解に苦しむね……(ペチペチ)。

しかしこうした人種に対して責任の追及を有耶無耶にするのは、却って悪手な気もする。

元々在りもしない責任を感じられて、それが後々に波及するのも嫌だし、納得のいく落としどころを探るしかないか。

 

「じゃあ、私のお願いを訊いてくれたら夏波さんを許します。 それでどうでしょう?」

 

「……お願いって?」

 

「勿論、私と一緒に世良先輩とコラボしてもらう事です。 それが動画か配信か、どういう形になるかは分かりませんけど」

 

 正史を観測している私には、オフコラボでカラオケに行くであろう事は大体分かっているけど。

歌、上手いのかな。

離席中にミュートにし忘れたマイクから聴こえてきた鼻歌が忘れられないでいるから、あの歌をカラオケでも聴けたらいいなあ。

 

「あ、勿論本当に嫌であれば断って頂いても構いませんけど……できれば、一緒にやりたいです」

 

「ズルい……燦の初めてのお願いなんて断れるわけない。 優しすぎるよ……」

 

 えらく不満そうなんですがこれは……。

禍根を残したくない私はほんの少しのこだわりをまた一つ、彼女のために捨て去る事を決めたのだった。

 

「……ありがとうございます、結」

 

「……えっ、燦? 今、自分から結って呼んでくれた?」

 

 すぐさま、通話を切ってベッドに潜り込む。

頬が紅潮してしょうがない、肌に優しいもふもふのタオルケットにくるまってみても熱を持ったまんまだ。

夏前だというのに、部屋の体感気温は真夏みたいだった。

あー、らしくない。

恥ずかしい事をした、とても。

ささやかなお礼のつもりだった。

呼称を少し変えるだけ、たったそれだけの事でこんなに緊張するなんて。

どうしよう、気付かれない程度にサラっと呼んで変えていくつもりだったのだけど、一瞬で反応されてしまった事に動揺して通話を切ってしまった。

まあいいか、明日また通話する時に謝ろう。

 

 そこで、私も当たり前のように明日も通話するつもりでいた事の可笑しさに気付いて、一人笑ってしまった。

学業に支障の出ない事を条件にご両親に許可してもらっている、ライバー活動と日ナレの講義。

今後の活動に際しての方針だって配信ごとに一から考え直しているし、やる事はいつだって山積みだからこそ、いつしか彼女との取り留めのない会話ばかりの長電話が一服の清涼剤のようになっていた。

結の高すぎず低すぎない落ち着いた声が、いつもこちらを慮ってくれる穏やかな口調が、絶対に人を傷付けない柔和な言葉選びが、いつだって私の心に安穏をもたらす。

声という情報だけでも表情豊かな彼女は、実際に顔を突き合わせた時にどんな反応を見せてくれるのだろう。

 

 次のコラボでも、結の美点を皆に知ってもらえるだろうか。

結はギャルの癖に(偏見)礼儀正しいし目上の人に腰が低いので、礼節で無礼を働く事は無い気がする。

ちょっと天然気味な世良さんとしっかり者の結の相性は案外悪くないんじゃないかと思うけど、もしもの時はしっかり緩衝材の役割もしないといけない。

何よりも。

結が楽しんでくれればいいな。

緩やかな微睡みの中で、そんな事を考えていた。

 

 

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黒猫燦  ♪⚙

#XXXX

   ─────2018年5月13日─────  

13:03 夏波結 困った時はお互い様だよ

13:04 黒猫燦 夏波さんのそういう所、大好きです

13:04 夏波結 kyうn

13:04 夏波結 きゅいうにnq

13:04 夏波結 急に何!

13:05 黒猫燦 ごめんなさい……

13:05 夏波結 いや

13:05 夏波結 別に怒ってるわけじゃなくてね

   ─────2018年5月14日─────  

00:12 夏波結 燦!

00:12 夏波結 結って言ってくれたよね!

00:12 夏波結 嬉しい、本当に

00:13 黒猫燦 結にだけ、ですよ

00:13 夏波結 やった

00:13 夏波結 燦の特別になっちゃった

00:13 黒猫燦 早く寝てください

00:14 黒猫燦 明日も早いの知ってるんですからね

 

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マイペースな更新頻度ですが、これからもひとつよしなに。
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