『黒音今宵さん、俺と付き合って下さい!』
『……すみません、既にお付き合いしている方がいるので……』
告白は好意の確認であるべきだ、とは誰の言葉だったか。
私も概ね同意見で、想いを伝えるのは許容される確信がある時だけだと思っている。
あの日のチャラ男A君のように、あまり話した事もないが容姿が好みの異性に構って貰いたくてするような告白は、勇気ではなく蛮勇。
好意とは双方向に向け合うものだという前提を学んでから出直して来て欲しい。
「はぁ……」
小さなため息が口を衝いて出る。
既にお付き合いしている方がいる、なんてお決まりの文言を告げる事に罪悪感を覚えない訳ではないが、さして接点もなく誠実さも感じられない男性の相手はご免こうむる。
独りよがりの自分本位な人間はどこにだっているものだが、かといって中々無下にもできない。
例えば、私が彼の想いを一も二もなく無下に切り捨てたとしよう。
今のチャラ男君に好意を寄せている、女子生徒Aが居るとする。
彼女は、チャラ男君の自尊心を著しく傷付けた私を許さないだろう。
人脈をフル活用し、集団で私に何かしらの「報復」を加えるのは目に見えている。
大人たちがどれ程綺麗な言葉で取り繕おうとも、学校という閉鎖的なコミュニティにこういった側面があるのは否めない。
特にそういう傾向が強いというだけで、何も学校に限った話ではなく、社会に出た後においても付き纏う類いの問題。
女性の人間関係というのは、とにもかくにも煩わしい。
毎度の事ながら、相手方のプライドを傷付ける事なく、波風を立てないようにこちらの要求を立てるには随分と苦心する。
去り際にサラっと呼ばれた下の名前にだって、強い不快感を覚えた。
黒音今宵の下の名前を呼んでいい相手なんて、そんなのは……結くらいだ。
そもそも、私は男性に興味がない。
薄く化粧を施して、ロングヘアも後ろで一括りにしているが、これは社会的にそういう役割を求められているからしているに過ぎない。
少し前まで引き篭もりだった普通の少女のふりをしているという事は、彼女の名誉のためにも人生単位で女性のRPをしなければいけないわけで、そういった意識から女性らしさを後付けしているだけだ。
何なら、許容できる程度に中性的なファッションを考慮する事も楽しめているのは私の性自認が男性である、という大前提に由る所が大きく、『女装』という単語が今の感覚に一番近いかもしれない。
未だにスカートには一度も足を通していない。
私はあんな腰布一枚で人前に出れる程、肝が据わった人間ではない。
ともかく、異性を恋愛対象とする一般的な成人男性だった私は、性自認の上で同性となる男性に興味を持てないわけだ。
「……燦? やっぱり、不安?」
「あ、いえ。 今日の事とは全くの別件で、少し面倒がありまして……ごめんなさい、お気になさらず」
今日は世良祭さんとのオフコラボ当日だ。
この日までに何らかの形で打ち合わせをしたいと申し出ていたが、先方が「別にいいけど、必要ある?」みたいな温度感だったのでやめた。
何でも、初のオフコラボというだけで魅力なのでどうにかなる、らしい。
複雑な心境だが、この道の先達がそう言うのならそうなのだろう。
私が成すべき事は何も変わらない。
「……また謝ってる。私には謝ったら駄目って言ったのに」
「あ、ごめ……いや、これも駄目ですよね。 ええと……」
「もっと頼ってよ。 今から電車乗るから電話は切っちゃうけど、文面とかでもいいしさ」
「結……ありがとうございます」
集合場所は最寄り駅に決まった。
大学生活を機に一人暮らしを始めたという世良さんの提案に甘えさせていただく形だ。
結の家からもそう遠くはない場所だと聞いている。
私の魂はこの周辺に馴染みがないが、一般の認識ではこの立地は『黒猫燦の地元』になる。
女性同士で行けるような喫茶店、和食洋食と良い雰囲気のお店もあらかじめ幾つかピックアップした。
極力もてなして差し上げたい所だ。
改札から程近い駅ナカの喫茶店で、通話の切れたスマホを片手に持ち、とっくに冷め切った紅茶にスプーンで波紋を浮かべる。
しまったなあ、少し油断した。
休日に学校で起きた嫌な事を想起するなんて、まるで残業だ。
人との通話中に意識を外すなんて失礼だし、何より結の心にこの紅茶よろしく少しばかりの波紋を浮かべてしまった事を悔いるばかり。
優しい彼女には、私の事なんかで気に病んで欲しくない。
今日歌うつもりの曲のメロディ、先輩との折衝。
彼女が留意すべき事なんて、これぐらいで充分。
他の煩雑なお膳立ては、全て私がする。
もっと頼ってよ、なんて、結の言葉を脳内で反芻する。
「言えるわけないですよ、『男性に興味が持てない』なんて」
毎日仲良く通話している友人が、異性愛者ではないと知ってしまったら。
結の侮蔑の色を帯びた瞳など、死んでも見たくはない。
他の誰でもなく夏波結だけには。
トレーを喫茶店の店員さんに返却し、改札前の自動販売機へと歩き出す。
結が電車に乗ったという事は、早ければあと十数分でどちらかが到着しだすだろう。
スマホのアラームが約束の時間の三十分前を告げていた。
連絡を取るのに何かと不便だという事で、より私的な連絡先となるRAINを世良さんに教えてもらった。
世良祭さんの本名は「結月凛音」というらしい。
風景画のホーム画像に、どこか大きなステージの中心で凛とした佇まいでマイクを持つ女性のアイコン。
スタイルの良さが際立つ浅いスリットの入った黒いドレス。
遠目でも目鼻立ちがはっきりして、怜悧な美貌の持ち主。
彼女が世良さんなんだろうか。
後方の楽器隊(というかバンドではなくオーケストラの様相を呈しているような……本当に何者なのだろうか)も含めて、全体の空気感を切り取った1枚の画像からは、彼女の音楽への敬意のようなものが垣間見えた。
普段の配信でも美容や化粧品といった女性らしい話題への興味が薄いようだし、美貌の持ち主だというのに自身の容姿にあまり頓着してない節すらある。
歌、音楽、来宮きりん。
自身の興味の赴く事柄以外にあまり関心を寄せない性質なのかもしれない。
噂をすれば、世良さんから「もうすぐ着く」という連絡が入った。
早めに家を出てくれていたようで、到着時刻にはかなりの余裕が見える。
こういう場合に備えて早めに出ておいて正解だった、いかなる理由があろうとも目上の人間を待たせる事などあってはならない。
『改札を抜けてすぐ、自動販売機の脇に居ます』
程なくして返って来た返事には、動揺の色が見えた。
『黒猫さん、早い』
『先に着いて先輩の威厳を見せたかった……』
威厳とは、待ち合わせ場所に先に着く事で示すものだっただろうか。
相変わらず不思議な世界観を持った方だ。
ともあれ、早めに着くような気概を持って今回のオフコラボに望んで下さっているのは大変ありがたい話。
【かつての世界】とは違い、退屈な配信をした私に【かつての世界】と同じように興味を示した世良さん。
友人が欲しいといった旨の発言をした記憶もないし、彼女の琴線に触れたのがどこか、正直分からない。
実際に会ってそれとなく探ってみたいと感じていた。
スマホの内カメラで全身を映し、服装と髪型の最終確認を済ます。
黒音今宵は、低身長ながらかなりスタイルが良い。
だから足の長さを活かしてスキニーを穿けるのだ。
少しだけ素材感にこだわったプリント白Tシャツに、もこもこしたニットカーディガン。
モチーフの大きめなネックレス。
清楚な印象を与えるシルエットの小さな白いショルダーバッグ。
極めてシンプルなデザインで、コーディネートのテーマを邪魔しないニットライトスニーカー。
これらは全て、Hカップの大砲と「清楚」という私のブランドを両立させたもの。
大きく、太って見えず、それでいて品のあるコーディネートの探究にはかなりの時間を要した。
細部に涙ぐましいまでの視線誘導の工夫を凝らしているので、至近距離まで近付かなければ私の常軌を逸したバストサイズには気付かれないだろう。
もし私自身の身体だったら、こんな脂肪の塊は抉り取りたい。
身体は凝るし、揺れると痛いし、蒸れるし、コーディネートの幅は狭まるし、男女を問わずやたらと視線を集めるし。
こんなもの、あっても不快なだけだ。
胸は見てる分には幸せだが、持つと途端に重荷になるという最悪の知見を得た。
男性の夢、ここに崩れたり。
こればっかりは、できれば死んでも知りたくなかった。
そして、私は。
「本当に、貴方が『黒猫燦』さん……?」
「『くろねこさん』さん、と言い辛くてごめんなさい。 その通りですよ」
遂に、夏波結と初顔合せを果たした。
長いまつ毛に、クールな印象の双眸からは困惑が滲んでいた。
連絡が無かったからもう少し掛かるのかと思っていた、無事に着いて何よりだ。
「初めましてですね、結」
「かわいいだろうなとは思ってたけど、想像の1000000倍かわいい……」
「ありがとうございます……?」
結は、綺麗なアーモンド色の瞳を浮かべたツリ目を徐々に細め、笑みを浮かべる。
とても安心できる表情をする人だと思う。
電話の向こうで、いつも私の話をこうやって聞いていてくれたのだろうかと思うと、心の奥の方にじんわりと温かさが染み渡るのを感じる。
それだけの所作で、さっき口にした紅茶よりも身体が温もりを感じてしまった。
「足が長い、細い、かわいい!」
「そういう風に見えるスキニーを穿いているので」
「肌が白い、思ったよりも目線が低い、かわいい……燦って天使だったの??」
「日焼け止めを塗ってきたので。 身長はもう少し伸びる事を期待してます、天使ではありませんね……」
「髪結ってるね! ポニーテールかわいいよ」
「一番楽に結わえるので」
「良い匂いする、髪? いや、全身?? 燦の全部から幸せの香りがする……」
「香水、多かったでしょうか……すみません」
「……だから、謝らないでよ。 燦が悪かった事なんて、今まで一度もないんだから」
「あの、そんなに顔を近付けてすんすん匂いを嗅がれたら流石に恥ずかしいのですが……」
香水が合わなかっただろうか、悪い事をしてしまったのかもしれない。
自分で自分をくんかくんかしても、エッセンシャルの香りしかしないので分からない。
次はヴィダルサスーンか椿にしようかな。
人が放つ香り、その殆どはシャンプー(あるいはリンス)か香水によるものだ。
髪の長い人間は分かると思うが、男性諸氏の想像以上にシャンプーの香料は強い。
実際に女性の身体をお借りしている身での体感、入浴後に背中まで伸びた髪を手入れしていると、それだけでシャンプーの天然香料の香りに包まれる。
私とすれ違う人はこういう香りがするんだろうなというのが分かるレベルに強い芳香を放つので、それが不快で無香料のシャンプーを使う女性もいるらしい。
「あ~~~落ち着く……燦、花屋さんみたいな香りがする」
「お気に入りの香水なんです、生花の香りが好きで」
実は、男性として過ごしていた頃から香水には人一倍こだわりがある。
前の世界ではこの香水、生産が中止し廃盤になってしまっていた。
結局最期の日まで代わりを見つける事ができなかった、私にとって唯一無二の香水。
代えが利かない、多くの人に廃盤を惜しまれる香水。
多分、私や結が目指すのはこういう存在なんだろう。
「結」
「なあに、燦?」
「ありがとう、私の好きなものを好きと言ってくれて」
「少し緊張していたんですが、杞憂でした。通話でもこうして対面でお話しても、結はいつだって優しいから」
卑しいもので、自分の好きなものを肯定される事で間接的に自分まで肯定されたような気になってしまった。
自分の在り方や価値観、パーソナルな部分をありのまま肯定してくれる人の事なんてどうあっても悪く思えないもので、とりわけ夏波結という女性はそういう自己肯定感を高める言い回しに長けている。
結は本当にいつだって私に優しい。
ここは世界で一番温かくて居心地の良い楽園だけど、甘えてしまってはいけない事は分かっている。
まともに相互扶助ができていない関係性は、いつか必ず埋められない歪みを生む。
与えられるばかりではなく、私も何かを還していかなければいけない。
健全な交友関係とは得てしてそういうものだ。
「今日こうして貴女と会えて本当に良かった、です。 ふふっ」
ふふっじゃないんだよな。
表情筋を制御できていない。
結とこうして対面できて、いつも通りに穏やかで優しくて、それが嬉しくてたまらない。
えへへ、とだらしない緩んだ表情を晒してしまっている。
さっきから全身が多幸感に包まれて、ぽかぽかと温かい。
シトラスの爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。
視界がさっきまで見ていた結のニットチュニックのカーキ色に染まり、少し遅れて結に抱き締められている事が分かった。
な、何故。
あまりにも脈絡が無い。
別に嫌ではないし構わないけど、今だけは少し困る。
「守らなきゃ、燦を……!」
「えっ、何から……?」
いや、こんな事をしている場合ではないのだ。
RAINの文面的に、そろそろ世良さんが来る。
我々は後輩なので、失礼のない様に先輩にご挨拶をしなければ。
実は、先輩方一期生と我々二期生のオフコラボは今回が初。
私と結の振る舞いが、今後の二期生のスタンダードとなる。
下手を打てば、二期生全体の風評被害を生み出しかねない。
先輩方一期生と、私たち二期生が友好的な関係を築けるかどうかは私たちの腕にかかっている。
同期達への橋渡し的な結果を出せるよう、目上の方をゲストに招く際の模範的な姿勢を見せられるよう、努めなければ。
世良さんには、コラボして良かった、と気持ち良く帰ってもらえるように粉骨砕身するのが、今日の私の仕事の内の一つだ。
「私、お邪魔……?」
たとえ、件の先輩が困り眉で私たちに懐疑的な視線を向けていたとしても。
絶対に失敗できないオフコラボの計画が早速暗礁に乗り上げている事を理解して、私は世良さんと顔を突き合わせて初めての口上の言葉選びに苦心するのだった。
廃盤になった香水とは、『アントニアズ フラワーズ』の事です。
香りの似ている香水をご存知の方は、ご教示いただけると助かります。
すみません、何も書けなくなってしまいました
次話更新にあまり期待をしないで下さい