数日前の壁外調査でペトラは、リタに救われ、そのまま壁際まで送ってもらった。
その後のペトラです。
(side:ペトラ)
「ペトラ、今からお前に1週間の休暇をやる。実家に帰って親を安心させてやれ」
帰還して3日後、呼び出しを受けたペトラ・ラルは会議室で上官のリヴァイ兵士長にそう告げられた。
「しかし、わたしは1ヶ月前にも休暇を頂いていますが?」
「お前、一時は生存が絶望視されていたのだぞ。どれだけ周りに心配をかけていたのだ?」
「も、申し訳ありません」
「言わなくてもわかっていると思うが、今日の訓練の事だ」
午前、ペトラは立体機動装置を使った訓練で初歩的なミスが目立った。集中力を欠いているのだろう。
「はい……」
「気が滅入っているのだろう。それと味方の全滅の事は気にするな。もともと僅かな兵力しか護衛に付けなかったオレのミスだ。十分な護衛を付けるか、いや、報告にあった大群相手なら少々護衛を増やしたところで意味はないな。さっさと撤退すべきだった」
リヴァイは一人呟く。
「いや、とにかく休んで英気を養って来いという事だ」
リヴァイはそこで会話を打ち切るとペトラに出て行くように手で指図した。
(やっぱりそうなるよね……)
ペトラは呼び出しを受けたときから予想していた。敵が多すぎたとはいえ、結局部下を一人も救えなかった班長という事実には変わらないのだから。
(リタ達、どうしているのかな?)
助けてもらったリタ達の事も気になっていた。壁外に留まっているようだが、言うまでもなく巨人の領域である。いくらリタが強いといっても一日中戦闘態勢でいるわけにはいかないだろう。
「よう、ペトラ。悩み事か?」
考え事をしながら廊下を歩いていると、同僚のオルオ・ボザドが話しかけてきた。同じ戦場で何度も戦った戦友ではあるが、どこか僻みがある感じで、ペトラはこの男が好きになれない。
「別にいいでしょ! わたし、兵長から休暇を貰ったから。1週間留守にするけどその間よろしく」
ペトラは足早にオルオの横を通り過ぎていく。
「お、おい!」
オルオの呼びかけは無視して自室へと急いだ。
さっさと荷造りして本部を飛び出すように出た。直ぐに実家に帰りたいわけではなかった。自分の生存は絶望的との情報は親にも伝わっており、家に帰ったら間違いなく小言の嵐が待っているだろう。ペトラの両親はもともと自分が調査兵団に入ることすら反対だったのだ。猫可愛がりされている事は知っていたので、泣き落として強引に主張を通した経緯があった。
(うん、今日は街に泊まっていこう)
ペトラはわざと1日時間を潰すことにした。
北門を潜り抜けてトロスト区の街内に入る。街の喧騒の中、特にあて先もなく大通りをブラブラと歩いていた。
しばらくして気になる女性二人組の後ろ姿を見かけた。二人は腕を組んで歩いており仲が良さそうな事が伺える。姉妹だろうか? 二人ともフードを被っていたが、一人は常に回りを警戒している様であった。すれ違う人とは常に距離を開け、もう一人の頼りなさそうな相方を守っている感じだった。
(リタとシャスタ? まさかね……)
ペトラはそう思いながらも二人組の後を付ける事にした。
二人はトロスト区内の図書館にやってきた。この図書館は市内唯一の図書館だが、石造り4階建ての重厚な建物で、蔵書数もウォールシナ内にある王立図書館に次ぐ規模を誇る。入館料を取られるが本が好きな人にとってはたまらない場所だろう。
ペトラは別に本を読みたいわけではなかったが、二人が入って行ったのを確認してから入館料を払って中に入った。
大きな館内には本棚がいくつも並び、読書する為の机も完備されている。意外に多くの人々がいたが皆、静かに過ごしている。もっとも騒げば守衛によって追い出されるだけだ。
フードを被った先ほどの女性がこちらに歩いてくる。ペトラはとっさに本棚に隠れて隙間から様子を伺う。横顔が一瞬だけ見えた。
(リタ!?)
端正な顔立ちは、間違いなくリタだった。現地に溶け込んだ身なりをしていたが見間違えるはずがない。リタはそのまま吹き抜けの階段を下りて、出口へと向かっていった。
(リタがいるならシャスタもいるはずね)
ペトラはリタを追いかけるか悩んだが、リタは常人を超えた戦闘技量の持ち主だ。尾行に気付かれる恐れがある。問答無用で殺される事はないと思うが、面倒事は避けたかった。一方、シャスタの方はそんな事はないだろう。それに図書館に来た目的はおそらくシャスタが関係しているのだろう。
ペトラは館内を歩き回ってシャスタの姿を探した。目立つ三つ編みの黒髪を見つけた。シャスタは4階の自習机に隅っこに何冊もの本を積んで読書中だった。そっと背後から近づく。覗き込んでみると、読んでいるのは歴史書のようだった。
ペトラは少し悪戯心が沸いてきた。耳元でいきなり話しかけてみた。
「シャスタ・レイル! 何しているっ!」
「ひゃあああ」
シャスタは驚いて椅子から転げ落ちてしまった。その拍子に眼鏡を落としてしまっている。絨毯の上に落ちたおかげで割れてはいない。
シャスタはあたふたした様子で片手で眼鏡を探していた。探したいなら両手で探せばいいのに片手に本を抱えたまま床を探っている。仕方ないのでペトラが代わりに眼鏡を拾って差し出した。
「あ、どうもありがとうございます」
シャスタは眼鏡をかけなおして初めてペトラのことに気付いたようだった。
「ぺ、ペトラさん。どうして!?」
「わたし、今日は休みなので図書館に来ていました」
実際は尾行していたのだが、変に思われたくないので嘘をついた。
「そ、そうですか」
「いつ壁の中に?」
そう聞いた途端、シャスタは青ざめた。
「そ、その、これはですね……。決して密入国とかそういうわけでなくて、あの、その……。ちょっと調べ物というか、なんというか……」
シャスタはあたふたと必死で弁解しようとしている。
「いいんですよ。あたしは誰かに告げ口とかしませんから」
「そうですか。よかった」
「でも入ってくるならわたしに教えてくれてもよかったのに。わたし、すごく心配していたんですよ。巨人達に襲われているんじゃないかって」
心配させられた憂さを少しだけ晴らした。
「ご、ごめんなさい」
「どうやって壁の中に入ってきたの?」
「そ、それは絶対言えません。リタにも関わることです。察してください」
シャスタは首を振って強く訴えていた。
(まあ、多分わたしの真似をして立体機動装置を使ったんだろうけど……)
ペトラはおよそ検討がついていたのでそれ以上は追求しなかった。
(でも、これってもしかしてリタ達を味方に引き込むチャンスじゃない?)
ペトラは悪魔的な考えが閃いた。密入国の現場を押さえた事で口止めの恩を着せる事が出来る。通報する気などさらさらないが、調査兵団に、いや自分個人とだけでも協力関係を結んでおけば、これほど心強いことはない。自分だけの切り札なのかもしれない。
(後は笑顔、笑顔っと)
ペトラはにっこりと微笑んだ。自分でいうのもおかしいがペトラは美貌には自信がある方だった。
「わかりました。じゃあ、ここで何を調べていたんですか?」
シャスタ達の目的がわかれば、味方に引き込める糸口が見えてくる。
「れ、歴史です」
「歴史ですか?」
「はい、この世界の成り立ちが分かれば、自分達の世界との違いも分かります。そうすればもしかしたら元の世界に還る手がかりになるんじゃないって」
「元の世界ですか?」
「はい、やっぱりここはあたし達の世界とは違いますから」
「……」
元の世界への帰還。考えてみれば至極当然の答えだった。誰だって故郷に帰りたいと思うだろう。まして異世界ならばなおさらだ。
「でも変ですよね。743年以前の記述がどの本を見ても書かれていません。どうしてでしょうか?」
「それはわたしも分からないわ。たぶん誰に聞いても同じだと思う。それ以前の歴史は本当に謎なのよ」
743年に巨人の出現が確認された。これにより人類の大半が死滅し、生き残った人類は壁の内側に引きこもった。これがペトラ達の世界の常識だった。
「そうですか……」
シャスタは肩を落とした。
「じゃあ、やっぱりこの世界の謎を知るためには実際に目で見るしかなさそうですね」
シャスタはポロッと本音を漏らした。
「え?」
「あ、ごめんなさい。リタと相談してから決めます」
シャスタは言いつくろっていたがぺトラは見逃さなかった。
「まさか、空を飛んでいくとか?」
ペトラはリタ達の世界に空を飛ぶ乗り物があると聞いていたので、ハッタリをかけてみた。
「い、いえ。そ、それができたらいいのですけど……」
図星だったようだ。
(シャスタは嘘をつけない人みたいね。頭は良さそうなのに……)
ペトラは頭の中で回線がつながっていく。
「調査兵団の技術班の中でとびっきりの優秀な技術者がいます。その人とシャスタ達が組めば空飛ぶ乗り物を作れるのでは? その人が信頼できる人であることはわたしが保証しますよ。お二人の居場所もちゃんと用意します。秘密も守ります」
「そ、そうですね」
シャスタはかなり揺れているようだ。
「技術協力だけならリタを戦いに巻き込むような事もないわ。まずはその人に素性を隠して会ってみては?」
ペトラは畳み掛けた。
「わかりました。とてもいい話だと思います。リタに話してみます」
「リタはどこに?」
「行き先は聞いてないです。多分、街を散策しているんじゃないでしょうか? リタは身体を動かしている方が好きな子なので」
「じゃあ、リタが帰ってくるまで待ってます。シャスタは読書の続きをどうぞ」
ペトラはにっこり笑った。
(わたしって悪い子かも?)
多少強引でもこの場で話を纏める必要があった。リタ達を味方に引き込む事に成功すれば単に高い戦闘技能を持つ兵士1人を味方にしただけではない。戦術・戦略でも革命的な変化をももたらす可能性すら予感できたからだ。
夕方、日が傾き始めた頃、ようやくリタが図書館に戻ってきた。リタはシャスタの傍らにペトラが座っているのを見て驚いた様子だった。
「なぜ、ぺトラが?」
「リタ、落ち着いて。話を聞いて」
「……」
リタとシャスタは小声で彼らの世界の言葉を話し合っていた。ペトラには理解不可能な例の言語だった。しばらくしてリタが頷いた。どうやら話はまとまったようだ。
「じゃあ、その人に会ってもいいです。でも約束なしにいきなり会えるんですか?」
シャスタが聞いてきた。
「あっ?」
ペトラはすっかり失念していた。悪巧みの方ばかり知恵が回っていて肝心な事が抜けていた。面会の約束などしていない。
「た、たぶん。大丈夫だと思います」
「なんか、頼りないな」
リタはジト目でペトラを見る。
「あはは、シャスタの話を聞けばきっと乗ってくれると思いますよ。きっと……」
ペトラは必死で笑顔でごまかす。あの人は好奇心旺盛な人だから興味があることならいくらでも食いついてくれるだろうと考えた。
【あとがき】
腹黒ペトラさんです。イメージ壊してしまったらごめんなさい。
壁内に潜入していたリタ達を見つけて、勧誘します。
あの人は、多分想像どおりの人です。
リタ&シャスタの基本方針は隠密行動です。