トロスト区内の図書館で、ペトラはリタとシャスタを発見。リタ達は壁内に密入国した現場を押さえられている形となっていた。ペトラはリタ達をなんとしても味方にしたいと考えており、話術巧みに誘導してリタ達を調査兵団技術班リーダーのもとへ連れて行くことになった。
(side:リタ)
「シャスタ、お金はどうしたの?」
「ペトラさんから調味料は希少価値があると聞いていたので。大した量じゃないですけど両替商で換金しました」
「じゃあ買い叩かれたりとかしていない? 足元見られたりとかしなかったの?」
「だ、大丈夫ですよ。交渉はリタがしてくれました。あたしじゃ言い値にされちゃいますね。あはは」
シャスタとペトラは会話しながら並んで歩いていた。リタはその後ろから付いていく。
ペトラをウォールローゼに送り届けた翌日、リタ達は壁内へと潜入してきた。方法はペトラを真似て夜中に壁を登っていた。違いは立体機動装置ではなく自分達の所持品であるワイヤーガンを使ったというぐらいだ。
(まいったな。まさか彼女と会うとは……。まだ接触するには早いのに……)
リタはそう考えていた。壁内に潜入して3日目、壁内世界の事は調べ始めたばかりだった。一般市民に溶け込んでの情報収集なので、分かっているのは表面的な事だけだ。王政下という事だが、どのような勢力がいてどのような傾向を持っているのかよく把握できていない。状況を把握した上で調査兵団あたりと接触するつもりだったのだ。その目論見は完全に狂ってしまった。
リタ達と一緒に転移してきた兵器は機動ジャケット、
壁を越える為に重い物は持ち込めなかったので今のリタの武装は貧弱だった。ハンドガン、スタングラネードを忍ばせているが大勢に取り囲まれた際は心許なかった。
さすがに装輪装甲車を壁内に持ち込む事はできなかった。小型の生体戦車も重量200キロ、重すぎてワイヤーガンでは無理だった。結局、壁外の雑木林の中に擬装した上で隠蔽しておき、周囲に生体戦車を潜ませていた。万が一、巨人が接近してきても撃退できるだけの火力はある。巨人が徘徊する壁外のため、偶然誰かに見つかる恐れもないだろう。
(さすが生身で巨人を討伐するだけの事はある。油断ならないな)
ペトラは愛らしい外見とは裏腹に肝が据わっていた。主導権はペトラに握られつつあった。秘密保持の観点でいえばペトラを解放せず拘束しておくべきだったかもしれない。
一方でペトラ達の必死さも分かる気がしていた。巨人達に追い詰められて人類劣勢の中、頼りになるものがあれば何でも頼ろうとするだろう。
3人はトロスト区北門を潜り抜け、ウォールローゼ内にある調査兵団本部へ向かっていった。時刻は夕刻、市街地を抜けると辺りは急に暗くなる。街灯もなく人通りも殆どなかった。
水路に掛かる橋を渡ったところに門があった。門から続く道の奥に石造作りの大きな棟が並んで建っているのが見える。調査兵団本部の建物だろう。門の辺りはガス灯が点されており、門番の二人組が警備に当たっていた。
「リタ達はここで待っていて」
ペトラはリタ達に離れたところで待っているように指示した後、橋を渡って門番の二人組と会話していた。例の技術者とやらの場所を聞いているようだった。ペトラはリタ達のところに走って戻ってきた。
「よかった。ハンジ分隊長は研究棟にいるって。研究棟にいるときは大概一人でいる時が多いから好都合よ」
「門番に顔を見られるのは避けたいな」
「そうねえ……。遠回りだけど裏山から入る方法はあるわ。でもこの時間だと真っ暗で歩けるものじゃないけど……」
「それなら好都合だ。こう見えてもわたしの目はいい」
実際はリタが暗視ゴーグルを所持しているからである。この世界では再現できない技術でリタ達のアドバンテージの一つだった。
20分後、リタが先導して森となっている裏山を抜け、研究棟へと辿り着く。石造り2階建ての建物へと入り、奥に進んでいく。ところどころに蝋燭の灯りがあるが、リタが思っている以上に暗かった。電気が普及している社会に慣れすぎた弊害かもしれない。
「昼間なら技術班の人達が誰かはいるんだけどね」
建物内は人気はなく静まり返っていた。リタは油断なく周りの気配を探るが特に異常は感じられなかった。
ペトラは2階突き当たりの部屋まで来るとドアをノックした。
「ペトラです。ハンジ分隊長、いますか?」
部屋の中からごそごそと音がしてドアが開いた。黒縁の眼鏡を掛けた中性的な雰囲気の人物がそこにいた。
「おや、ペトラ? 珍しいね。しかもこんな時間に?」
「実は少し相談したい事がありまして。この2人なんですけど……、匿ってもらえないでしょうか?」
ハンジはリタとシャスタの顔を交互にみた。
「ふーん、見たことがない娘達だね。まあ、立ち話もなんだね。中で話を聞こう」
ハンジはリタ達を中へと誘った。
ハンジの部屋は想像以上に散らかっていた。足の踏み場もないとはこのことだろう。多数の本や資料、衣服や毛布、何に使うか分からない資材やガラクタが堆く積まれていた。
「はは、まあ、座るところぐらいは今つくるよ」
ハンジは急いでソファーの上にあったガラクタ類を脇へと押しのけた。
「さあ、座って座って」
リタとシャスタ、そして向かいにハンジとペトラが座った。
「はじめまして、あたしはシャスタ・レイル。こっちは妹のリタ・ヴラタスキ。血は繋がっていないけど姉妹です」
シャスタはリタの姉を名乗った。この世界ではリタの姉になりきるとの約束をしている。自分を慕っているからの行為なのだろう。リタも悪い気はしなかった。
「そうか、わたしはハンジ・ゾエ。技術班の分隊長をしている。壁外調査にも出るけど、主な仕事は巨人の研究だね」
「きょ、巨人の研究ですか?」
シャスタが身を乗り出して聞いた。
「そうだよ。巨人が現れてから100年以上も経つが、未だにその正体は謎に包まれている。奴らの生態系や繁殖方法などが分かれば奴らに対抗する事もできるはずだからね。といっても巨人を捕獲するのは大変でね。なかなか研究は進んでいないよ。ところであなた達姉妹が来た理由は何かな?」
「えーと……」
リタとシャスタは顔を見合わせた。ちらりとペトラを見た。ペトラとの話に齟齬が出るとまずいだろう。
「実はこの姉妹、空飛ぶ乗り物を考えたそうです。そうよね?」
「へぇー、空飛ぶ乗り物ね」
シャスタは懐から1枚の紙片を取り出し、ハンジに差し出した。
「これは?」
「ちょっとした設計図です」
リタはその中身を知っている。熱気球だった。ガス(氷爆石)や丈夫な繊維(黒金竹)があるこの世界では実用化可能なものだった。リタ達が造りたいのは飛行船、航空機といったより高度な工業製品である。電気が発明されていないこの世界では一気に飛躍して作ることは難しいだろう。まずは段階を踏んでいこうという事である。
ちょっとしたとは言ったがシャスタはかなり詳細な設計図を書き上げていた。
「……!?」
ハンジは設計図を食い入るように見詰ていた。
「空に浮かぶ球体なので、”気球”と名づけました。空気は暖められると軽くなる事を利用し、浮力とします。点火剤は既に使われているガスを、また気球が燃えないように炎に接する部分は不燃素材で作ります。火力の調整により上下移動が可能ですよ」
シャスタは説明を続けた。
「す、すごいじゃないか? これ、材料さえあれば作れてしまうよ」
ハンジは設計図を見ながら震えている。
「空を移動する利点は、まず巨人と戦う必要がない事。遠くまで見通せることができる事です」
「それだけじゃないな。行動範囲を劇的に広げることができる」
「はい」
「しかし、上下移動は可能でも向きは風任せになってしまう。立体機動装置が単なる”装置”と呼ばれていた頃、上下移動しかできなかった。横方向に動けてこそ本当に空を自由に飛ぶことができる」
「わあー、さすがです。直ぐに欠点に気付かれるなんて」
「な? まさか、あなた達はわかっていた?」
「はい、これがその改良案です」
シャスタは2枚目の紙片を懐から差し出す。飛行船の設計図だった。人のサイズも横に書かれているのでその大きさがわかるだろう。30人程の兵員を乗せて移動可能な空飛ぶ輸送船といっていいものだった。
ハンジは目を見開いて凝視している。
「横長の? これが人の大きさなら、これは……」
「はい、気球よりは当然大きくなります。浮力は熱ではなく空気より軽いガスを利用します。また横に付いている推進機関で推力を生み出します。左右両側についている事で舵の役目を果たします。プロペラエンジンを開発する必要がありますので直ぐには実用化はできません。将来的な計画ですね」
「……」
突然、ハンジは立ち上がると大きく深呼吸した。手が震えているようだった。
「うおぉぉぉぉ! す、すごい! すごいじゃないか!?」
ハンジはいきなりペトラを抱きしめて、抱擁を始めた。
「ハ、ハンジ分隊長……」
「ペトラ、彼女達を連れてきてありがとう! 人類は勝利するぞ! この世界は巨人のものじゃない。わたし達人類のものだ!」
「あ、あの……」
ペトラは戸惑っているようだった。
「わからないかい? ペトラ。空を制すればどこにでも行ける様になる。巨人達の領域も飛び越えて外の世界へ。巨人達がいない大陸を見つけられるかもしれない。戦術的にも凄いことだ。シガンシナ区に空から兵力を送り込む事だって可能だ。しかも高度をとれば巨人を一方的に叩くこともできる。なんでもありじゃないか!?」
ハンジは感動の余り歓喜して目が潤んでいた。
(初めて飛行船を知ったはずなのに、すぐに航空戦力の活用を思いつくとは……。このハンジという者、ただものじゃないな。さすがペトラが絶賛していただけある)
リタはハンジを評価することにした。
「そ、それで話を戻して、わたしにどうしてほしい?」
興奮から醒めたハンジは座りなおすとリタ達に聞いてきた。シャスタが何か言おうとしたのでリタは手を挙げて制した。
「条件を呑んでくれるならその設計図は調査兵団に譲ってもいい」
「ほ、本当? そ、それでその条件とは?」
リタは自分達の世界(異世界)の事は触れずにいくつかの条件を提示した。自分達を匿ってくれる事、調査兵団の持つ巨人やこの世界に関する情報の開示、空いた時間に工房を自由に使用する許可、少量の資材使用などである。そして時期がくれば話すので当面は自分達の身元については聞かないで欲しい事を伝えた。
軍事的な協力関係についてはまだ話が早いだろう。いずれ必要かもしれないが、今はその時期ではないとリタは考えていた。
「……」
ペトラは少し不満そうな顔をしていた。一緒に戦って欲しいという気持ちがあるのだろう。だが戦闘に参加すれば否応なしに耳目を集めることになる。ペトラを救出した時の戦闘は周囲に人はいなかったから(ぺトラ以外は全滅)無制限に全戦力を投入することができたのだ。
「それぐらいだったら、わたしの権限でなんとかなりそうだね。しかし変わっているね。これだけの大発明なのに大した見返りを望まないなんて。やっぱりワケありという事かな?」
「はい、そうです」
「なるほどね、確かに空飛ぶ乗り物は憲兵の連中の取り締まりの対象になるだろうからね。奴らはどうも壁の秘密を隠蔽しているような気がするし、これからも隠蔽しつづけるだろう。わたしのところに話を持ってきてくれて正解だよ」
リタの懸念は当たったようだった。革新的な気風の調査兵団と保守傾向の強い憲兵団では考え方に大きな違いがあるようだった。
「ペトラ、あなたは彼女達を信じているのかな?」
「はい」
「……」
ハンジは少し考えているようだったが、考えがまとまったようだ。
「わかった。ペトラに免じてあなた達の事は聞かない事にする。あなた達は兵団召抱えの季節雇いの職人という事にしましょう。あなた達姉妹の協力なしにはこの空飛ぶ船は実用化できないでしょうから。宿舎は……、そうね、この部屋をあなた達に譲るわ。ただ人目を避けて出入りする必要を考えると改装が必要ね、それは明日以降にしましょう」
「……」
「それにあなた達の世話役も必要ね」
「それならわたし達にも手伝いさせてください」
ぺトラが申し出た。
「わたし、技術班に異動を申し出ます」
「そうね、確かに彼女達の秘密を守るというなら深くかかわっているあなたが適任でしょうね」
「はい」
「じゃあ、彼女達の世話係はぺトラに任せるわ」
「はい、わかりました」
「じゃあ、あたし達、ペトラさんと一緒ですか? よかった…」
シャスタは安心した表情をしていた。
「さーてと、明日からは忙しくなりそうね」
ハンジは目を輝かせて明日に向けて気合を入れていた。
「よかったですね、リタ。変わった人だけど大丈夫そうですよ」
シャスタは自動翻訳機を通さず自分達の言葉で囁いていた。
「ところでペトラ、あなた、確かリヴァイから休暇を貰って実家に戻ったって聞いていたけど?」
「あっ、そうでした」
「せっかくだから彼女達を実家に連れて行けば? 彼女達をここに置くにしても受け入れ態勢を整えないといけないし、手続きにも時間がかかるでしょう」
「えーと……」
「悪くないな」
「ペトラさんの家も見てみたい気がしますぅ」
リタは秘密を知りすぎてしまったペトラを監視する意味で付いていきたかっただけだった。シャスタはそんな計算はしていないだろう。純粋に友達として接しようとしている。ある意味、リタは無邪気なシャスタが羨ましかった。
「わかりました。ぜひいらしてください」
ペトラはにっこり笑って答えていた。
【あとがき】
リタ、シャスタ、ハンジとぺトラに匿われる事となる。
現時点では、リタ達の秘密を知るものはペトラ、ハンジの2名のみ。
またリタの装甲車は壁外にあり、生体戦車(ギタイ)に守られている。
調査兵団本部の建物は二つ以上あると考えています。
・トロスト区内にある建物
詰め所的な前衛基地。
・ウォールローゼ内にある建物
兵団主力が駐留する基地。武器庫、訓練施設、ハンジ達の研究拠点もおそらくこちらでしょう。