851年1月11日午前11時、シガンシナ区
まだ日陰に雪が残るシガンシナ区の南門、かつて超大型巨人に壊された扉部分は布地に覆われ、偽装されて穴が見えないようになっている。また門前周囲にはバリケードと鉄条網が張り巡らされ、地雷を多数敷設する事で工作員(巨人化能力者)の接近を阻止する仕掛けがなされていた。
このシガンシナ区南門壁上にミーナ達調査兵団新兵がいた。
「いつ来るのかな? そのフェル……なんとか王国の船」
コニーが呟いた。
「フェルレーア王国。大事な国の名前なんだから憶えておきなさいよ。ったくバカなんだから」
サシャが横から突っ込みを入れる。
「なんだと!? お前なんか食い物の事しか頭にないくせに。あーあ、芋女になんか言われたくないね」
「なんだですって!? コニーのくせに!」
いつもどおりコニーとサシャが仲良く喧嘩していた。
「まぁまぁ、それぐらいにしようよ。大事なお客さんなんだから、丁重にお迎えしないと……」
ミーナは二人を宥めた。
「ほらほら旗の設置はまだまだ残っているよ」
「へいへい」
「はいはい、ミーナ」
コニーとサシャはミーナに窘められて矛を収めた。先月奪還したばかりのこの街では、復興工事が行われていて常時槌音が響いていた。一般人の帰還はまだまだ先になりそうだったが、確かにこの街は壁内人類(パラディ王国)の領域に戻ってきたのだった。
「お疲れ様。やあ、精が出るね」
アルミンが後ろにクリスタを連れてやってきた。アルミンは今や引っ張りだこである。捕虜収容所の監修、防衛計画の策定、軍士官学校の設立準備など多数の任務が割り当てられているようだった。アルミン専属の秘書には恋人兼任のクリスタが就いていた。アルミン達が付き合っている事を発表したのは先月の戦勝祝いの宴会の席だった。その際コニーは「くー、お前、卑怯だぞ。いつの間にオレの女神様を口説いたんだ?」と絡んでいたが「わたしの方から告白したんだもん」と言うクリスタに軽くあしらわれていた。
「おーい、アルミン。いよいよ新たな味方が来るのか?」
少し離れた場所にいたジャンがアルミン達を見かけて駆け寄ってきた。
「うーん、まだ味方かどうかはわからないよ。確かに対マーレでは一致しているけど向こうからしたら、僕達は百年ぐらい科学技術が劣った国だからね。支援の価値があると見てもらえるかどうか……」
「でもさ、
「そんな甘い相手じゃないと思ってる」
「ちっ、あちらさん次第かよ」
「まあ、だから今日の交渉は大事なんだよ。会談には我が国の代表として参謀総長閣下も参加するって聞いているよ」
「えっ、参謀総長閣下が?」
ミーナは思わず訊ねた。つい先日、ミーナの憧れの先輩ペトラが
「うん」
「そっか、すごいよな、参謀総長閣下。革命の立役者にして今や壁内世界の実質NO2、年齢から考えたら次期総統の最有力候補だよな。ということはペトラ先輩、未来の総統夫人じゃんか?」
ジャンは何気なしに勝手な予想を述べた。
「あっ。そ、その、ジャン。次期総統とかの話題は出さないで。噂は余計広まると思わない騒動の原因になるから」
「わ、わかったよ」
ジャンはアルミンに窘められてやや消沈したようだった。
「なあ、アルミン。ミカサはどうしてる? 一緒に来てないのか?」
「あれ? 来てないのかな? 馬車がこの街に着いた途端、『先に行ってる』って言ってたのに?」
「わ、わたしにはわかるよ」
それまで黙っていたクリスタが口を挟んだ。
「ミカサ、五年前のあの日までこの街に住んでいたもの。だからきっとそこだと思う」
「あっ!」
「そ、そうか……」
一同はみな表情が暗くなって会話が途切れた。
5年前のあの日とはシガンシナ区が陥落した日の事である。百年の平和に馴れていた人類は突然の超大型巨人、鎧の巨人の出現に全く対処出来なかったのだ。外門だけでなく内門まで一気に突破され、ウォールマリア陥落の悲劇に繋がっている。その際、大勢の人々が逃げ遅れて巨人の餌食となっていた。ミカサやエレンの家族もその悲劇の一幕だった。
「と、とにかく手を動かして。残る旗を全部立てて」
アルミンは仕切りなおしと考えて指示を出した。
「おう」
アルミンの一声でミーナ達は再び作業を再開する。半時間後には南門の上に数m四方の大きな旗が何本も翻っていた。赤の背景に中央に座する黄金の獅子、銃と碇が描かれたフェルレーア王国の国旗だった。
ミカサは潰れたまま放置されている廃屋――かつての住まいの前に来ていた。崩れた家屋の隙間から雑草が生えており五年という時間を経過を感じさせられた。殺人事件で両親を失い孤児となったミカサを引き取ってくれたのがエレンの両親だった。義母となったカルラはミカサを実の娘のように可愛がってくれた。その事にミカサはどれだけ救われたのか分からない。
そのカルラは五年前のあの日、超大型巨人が蹴り飛ばした岩で家屋の下敷きとなり逃げられなくなったのだった。当時十歳だったミカサとエレンは必死になって廃材をどかそうとしたが子供の力では不可能だった。懇意にしている駐屯兵団兵ハンネス(後の隊長)が通りかかり、カルラの懇願でミカサとエレンはハンネスに抱き抱えられて連れて行かれた。カルラはそのまま近寄ってきた巨人に喰い殺されたのだった。ミカサ自身はとっさに目を背けたがエレンは母親が食殺される瞬間を見てしまっている。その日以来エレンは巨人に対する憎悪だけを胸に生きていたのだった。
できればそこまで自分を追い詰めて欲しくなかった。エレンは同期から”死に急ぎ野郎”と揶揄されたが、ミカサから見てもエレンは危なっかしかった。カルラが生きていたら「エレン、ミカサに心配ばかりかけるんじゃないよ」と言って叱ってくれた事だろう。その不安は的中し、エレンは昨年のトロスト区防衛戦の最中に行方不明となった。アルミン達から聞かされたエレンの最後の状況を思えば死亡は確定的だった。(第12話参照)
ミカサは地面に仰向けになって寝転んだ。溶けた雪がまだ残るせいか地面は冷たかった。空はあの時と変わらず、何羽かの鳥が視界を横切っていく。
「ごめんなさい。カルラおばさん。わたし……、エレンを守れなかった……。ずっと傍にいて……エレンを守ると決めていたのに……」
ミカサは故人に詫びた。
「……」
ぼんやりと空を眺めていてミカサはある決心をしていた。
「もうそろそろいいよね? この世界のどこにもあなたがいないなら……」
ミカサはエレンが行方不明となった後も、もしかしたらどこかで生きていてくれいるのではないかと淡い期待をしていた。むろん生存は絶望的である事は分かっている。それでも日々、ずっとエレンの帰りを待ち続けていたのだった。
今日、
ミカサは胸ポケットに入っているペンダントを取り出した。シャスタから借り受けている”通信機”である。シャスタ自身は明朝にはこの
『ミカサさん? どうかされましたか?』
「シャスタ先輩、あの話……まだ有効でしょうか?」
ミカサはある自分の計画について話した。
『は、はい、大丈夫ですよぅ。でも本当にいいんですか? 一度やったらもう戻れませんよぅ』
「構いません。覚悟の上ですから」
『そうですか、わかりました』
「アルミン達にも……ペトラ先輩にも、秘密にしてください」
『……了解ですぅ』
通信は終了した。
(これでいいんだ。これで……)
ミカサはゆっくりと立ち上がる。あまり寄り道していたらやたら鋭いクリスタに気付かれてしまうかもしれない。その時までは普段どおり振舞う必要があった。
同日午後2時、シガンシナ区西方の空に一点の黒い塊が現れた。それは徐々に大きくなりやがてその全容が明らかになった。気球とは桁違いの大きさである飛行船――フェルレーア王国海軍所属の飛行巡察艦だった。全長は70m近くあり、船体にはフェルレーア国旗が描かれており、下部のゴンドラ付近には交渉目的である事を示す白旗・”自由の翼”(調査兵団旗)・”薔薇の紋章”(駐屯兵団旗)が掲げられてた。こういった大型の飛行機械を保有している事自体、フェルレーア王国の科学技術水準の高さを示すだろう。
「あ、あれがフェルレーア王国の船!?」
「うわー。すげーよ。あんなものがあるんだ!」
「気球よりずっとすごい……」
南門壁上にいる兵士達は口々に感嘆の声を上げた。
「おい、見ろよ、あの旗。”自由の翼”だぜ」
「オレ達の旗じゃんかよ。なんか嬉しいぜ」
「そうですね、コニー。きっと美味しい食べ物も一杯持ってきてくれるんでしょう」
「ったく。サシャ。お前、いい加減食い物から離れろ!」
コニーとサシャは相変わらずである。
(ホ、ホントにあんなに大きいものが飛んでいるんだー)
ミーナは初めて見る飛行船に魅入られていた。
飛行船はシガンシナ区上空までやってくると、下部のゴンドラから人が飛び出した。一瞬落ちてきたのでは思ったが、ある一定の高度を保ったまま、壁に近づいてくる。どうやらワイヤーにぶら下がっているらしい。自分達のすぐ真上まで来るとさっと降下してきた。
全身を覆う白い服を着ていたが、胸の膨らみからして女のようだった。変わった形の頭巾を羽織っており、整った顔立ちをしているが年齢はよくわからなかった。
「ハジメマシテ、パラディ王国軍ノ兵士ノ皆サン。私ハ、フェルレーア王国……秘書官ノ、”イェンナ”デース。ムシュー
片言のパラディ語だったが、なんとか意味は理解できた。
「遠路はるばるようこそ。我らパラディ王国一同、貴国の来訪を心より歓迎いたします」
ジャンが南門壁上にいる兵士達を代表して慇懃に返答する。パラディ王国(壁内世界)は史上初めて外交使節を迎え入れる事になったのだった。
【あとがき】
シガンシナ区はエレンやミカサにとっての故郷です。ミカサがエレン家に引き取られた経緯やシガンシナ区陥落の出来事は原作と同じです。亡きカルラの前でミカサはある決心をします。
反マーレ列強の一つで最強の海軍力を誇るフェルレーア王国の特使団が、飛行船に乗ってやってきました。ちなみに物語前半でシャスタが描いた設計図の飛行船は、すでにこの世界で列強諸国が実用化しているものでした。マーレも飛行船はもちろん持っていますが、戦場には投入しませんし、できません。
理由は叛乱を恐れているからです。保有するのは忠誠度の高い本国主力部隊のみです。