851年1月11日、シガンシナ区
特使団を乗せた飛行船――フェルレーア王国海軍飛行巡察艦はシガンシナ区市内の川沿いの広場に着陸し、そこでパラディ王国側代表団とフェルレーア特使団との対面が行われた。
シガンシナ区上空2kmには別の飛行船――同国軍飛行コルベット艦(巡察艦より小型だが戦闘任務に特化)が大きく旋回軌道をとっている。直衛任務にあたる
挨拶の後、秘書官イェレナから贈答品の目録がエルヴィンに手渡された。マーレを始めとする諸国の様々な文献・資料・辞書・地図・医学書・技術文書(目録のみパラディ語。その他は外国語で記載)、香味料・酒などの嗜好品、絵画などの美術品、装飾品、写真機が目録に記載されていた。写真機というのは映し取った光景を精密な人物画・風景画として作製する機械である。これら贈答品は交渉とは関係なく友好の証として譲渡するという事であり会談中も船から荷降ろし作業が続けられていた。
対面の後、会談場所となっている旧憲兵団支部に一行は移動した。旧駐屯兵団兵舎は建物の損壊状況が酷かった為、この建物が現在の兵舎になっていたのである。なお現在シガンシナ区には兵団関係者のみで民間人は居ないが(兵站関係の業者は除く)、それでも会場周辺の街区ごと立ち入り禁止にして最精鋭の調査兵を配置するほどの厳戒態勢が敷かれていた。
この建物の一階会議室にて会談が行われた。パラディ王国側の出席者は、全権代表の参謀総長エルヴィン・駐屯兵団司令官ピクシス・リコ・通訳のアルミン・仲介者のシャスタ。一方フェルレーア王国側の出席者は、秘書官の女性イェレナ・枢機卿・通訳の三名だった。枢機卿は長身で威厳のある初老の男で、フェルレーア有数の財閥の元総帥であり、王位継承者の外戚に当たる実力者である。むろん現政権幹部にも強いパイプを持つ人物である。
会場横の川岸の広場では、特使団同行記者による”記念撮影”が行われていた。百年間も長きに渡って閉鎖空間に閉じ込められていたパラディ島の人々にとっては初めて触れる”写真機”という機械だった。海外(壁外)では当たり前の技術らしい。
北の島パラディ島の事を伝える広報活動の一環として、ミーナ達新兵が集められ、記者に協力していたのだった。
まずは女性兵士達の撮影という事でクリスタ、ミカサ、ミーナ、サシャ、さらに女性兵士3人が兵服姿のまま撮影に協力していた。撮影中は10分ほど静止していなければならないらしい。黒幕を被った撮影記者のレンズに向けて笑顔を浮かべたまま静止しているのはなかなか辛い事である。7人の後方には撮影用の銀幕が貼られ、余計な光が映りこまないようになっていた。
「ま、まだでしょうか? わ、わたし、もうそろそろ……」
「ダメよ。サシャ。動いたらぼけちゃって綺麗に撮れないのよ。この写真、
「ひぃー、そんな……」
ペトラに叱られてサシャは悲鳴を上げた。この場を仕切っているのは総統府の広報官を務めるペトラである。
「ミーナを見習いなさい。ほら、身動き一つしてないでしょ」
「わ、わたしは兵士としての務めを果たしているだけですから」
ミーナはそう答えたが、本当はペトラに褒められたのが嬉しかったのだ。
(ペトラ先輩がわたしを……。ああ、なんて幸せなんだろう。この瞬間が永遠に記録に残るんだ……)
「……」
記者が横にいたペトラに
「はい、終わったわ。動いていいわよ」
「わー、長かったですぅ。お腹すいたです」
「サシャ、動いてないのになんで腹減るんだ。オレ、理解できねーわ」
横から見ていたコニーが突っ込みを入れた。
「おつかれだね、サシャ。やっぱり慣れない事したせいだよね」
「ああ、やっぱりクリスタは優しいです。わたしの女神さまですよー」
「はいはい、次は104期生だけね。男の子達、貴方達も入りなさい」
ペトラが次の指示を出した。
「おう」
「へへん、俺の出番だぜ」
「コニー、しっかり決めろよ。この写真、もしかしたら歴史の教科書に載るかもな」
「歴史に……。くぅー」
あまりの事にミーナは眩暈がしてしまった。
「おい、ミーナ。なにいっちゃってるんだよ。バカか?」
「今日のミーナはダメだな。こりゃ」
「ミーナってば、ほらほら、しっかりレンズ見て」
「ミカサ、笑わなくてもいいからもう少し表情緩めて」
「あ、はい」
和気藹々と写真撮影。同行記者達も苦笑いしていた。フェルレーア軍の兵士達も混じって撮影に加わる。
写真撮影の後、フェルレーア軍の若い男性兵士達にペトラとクリスタが囲まれていた。談笑していたペトラが手を振るとなぜか兵士達は一様に肩を落としていた。
「ど、どうしたんでしょうか?」
「ああ、わたしとクリスタはもう結婚相手がいるって伝えたのよ」
ペトラは片目をウィンクして答えた。要するに口説かれたらしい。
「そりゃあ、まあ、そうなるよな」
ジャンは頷いている。男女間のやりとりは世界共通のようだった。
「なあ、ミーナ。ペトラ先輩やクリスタはなぜフェルレーア語を普通に話せるんだ?」
ジャンがミーナに訊ねてきた。
「あ、そういえば……」
「先月のトロスト区の軍使の時だって、アルミンとミカサはマーレ語話していたんだろ? いくら侯爵家のシャスタ様の教え方が良かったとはいえ出来すぎじゃないか?」
「うーん、そうなんだよね。まあ、アルミンは頭良いから納得できるんだけど……」
ミーナ達は元ハンジ技術班にいて現在はシャスタの侯爵家に関わっていた同期の三人(アルミン、クリスタ、ミカサ)が優秀すぎるのは少し気にはなっていた。
「コツがあるなら教えて欲しいよな。これからはフェルレーア語覚えないと出世できないだろうよ」
「そうだよね」
今日の交渉でフェルレーアとの軍事協定が締結されたならば、フェルレーア軍将兵や様々な職種の技術者がやってくるだろう。教えを請う立場の自分達は当然相手側の資料を読まなければならず外国語の習得は重要度が増すのだった。
「ペトラ、お疲れ様」
調査兵団の精鋭エルドとグンタがやってきてペトラに声を掛けた。会場周辺警備をしている責任者の一人である。
「あら、エルド、グンタ。様子は?」
「まあ異常は特にないかな。お前さん、ずいぶん張り切ってるじゃないか?」
「まあ、今日のお客さんは国賓だからね」
「お前の旦那の晴れ舞台だからな」
「もう、エルド。まだ式も挙げてないのよ」
「婚約してるなら同じようなものじゃないか。まさか
「あるわけないじゃない。大事な人なんだから」
「そっかそっか。それにしても意外だったな。リヴァイしか興味ないと思っていたお前がいきなり参謀総長閣下と婚約発表だもんな」
「まあ、色々とあったのよ」
「色々とね。確かに色々あったよな」
ペトラ達三人は空を仰ぎ見る。亡くなった仲間の事を思い出しているのかもしれかなった。
(ペトラ先輩の同期だよね。凄腕ばかりだなー。わたしは追いつけるのかな)
ミーナはペトラ達を見ながらそう思っていた。
午後7時、1月のこの時機はすっかり空が暗くなっていた。シガンシナ区の会談会場周辺には篝火やガス灯で照らされてこの一帯だけが明るく輝いている。近くに着陸しているフェルレーアの飛行船は下部が
手空きの兵士が会場周辺の広場に集合するように伝達があった。取材陣(相手側の同行記者や総統府指名の記者)も集められて会談について公式発表がある様子だった。特使団との会談は3時間にも及んでいる。
「どうなったんだろ?」
「うーん、うまくいったらいいけど……」
「わたし、お腹すいたです。ご飯まだでしょうか?」」
「我慢しろ。この会談にこの国の行く末がかかっているのだからな」
「ジャン、そんな真面目ぶらなくてもよ」
「オレもはらへったー」
ミーナ達調査兵団新兵は待たされている間、雑談していた。
一際ざわめきが大きくなる。会談場所から広場に首脳陣一行が入場してきたのだった。フェルレーア特使団代表の枢機卿が挨拶をした。
「マドモアゼルエンムシューデパラディ。……」
残念ながら外国語なのでミーナ達には理解できなかった。
「パラディ王国の淑女紳士のみなさん。本日は大変有意義な会談が出来てありがとうございます。空路1万キロを超えて来た甲斐がありました。大敵マーレと共に戦う同志と堅い握手を交わせて嬉しく思っています」
ペトラが通訳して話し始めた。要約すれば軍事協定は大筋合意に至ったようだった。ただし
枢機卿の話の後、ピクシス司令が演壇に立った。
「全員! 注目っ!」
ピクシス司令の発声で兵士全員が姿勢を正した。
「朗報を伝えようぞ! 我が国の独自技術”立体機動装置”と飛行船の組み合わせ、すなわち空挺兵団構想についてだが、さきほど枢機卿殿から賛意を頂いた。正式な協定発効後ではあるが、我が国はフェルレーア王国より飛行艦一隻を技術検証艦として借り受ける事になったのじゃ!」
飛行船を借りる事が出来る。つまりパラディ王国(壁内世界)は初めて航空戦力を保有することになるという事だった。ただ浮いているだけの気球と違って自由自在に動ける飛行船の戦術的意義は計り知れないほど大きいものである。
「うそっ!」
「マジかよっ!」
「あ、あれが私達のものに……」
「すごい……」
ミーナ達兵士の間も驚きの声が上がった。
「ブラチェンスカ。お主からもどうじゃ?」
「はい」
ピクシス司令に促されて空挺兵団団長のリコが演壇に立った。実験部隊としてやや影の薄かった空挺兵団だが俄然注目される存在となったのだった。
「我が空挺兵団は空挺兵の募集を考えている。立体機動装置の腕はもちろんの事、砲術、射撃などの技能はむろんフェルレーア語も必須だ。我こそはと思う者は志願してもらいたい」
兵士達の目はみな輝いている。最新鋭兵器である飛行船に乗り込んで立体機動装置の腕前を競うのだから無理もなかった。
「いいか! あくまでも技術検証艦だ! 当然、向こうの監察官が付く。情けないところを見せるわけにはいかないからな。選考は厳しいぞ!」
リコの言葉はもっともだった。
「オレ、応募しようかな?」
「なぁコニー。語学で無理じゃね?」
ジャンがすかさず突っ込みを入れた。
「な、なんだよ。オレだって必死で覚えるさ」
「コニーに出来るならわたしだって……」
「なんでオレ基準なんだよ?」
「ミーナ、お前はどうする?」
「えーと、わたしは……。わたしも応募する」
ミーナは思い切って応募する事に決めた。
「おお、ミーナまで。じゃあ、オレも応募しようかな」
ジャンも乗り気になった。
「なあ、クリスタやミカサはどうするんだ?」
「わたし? うーん、わたしはペトラ先輩の手伝いとか色々あるから。ミカサもだよね?」
ペトラ達は軍士官学校の開設準備を進めている。フェルレーア語を含む語学教材の整理も急務だった。
「……」
「残念ですねー、ミカサなら最強の空挺兵になれると思ったのですよー」
サシャは大げさに言った。
「まあ、仕方ないかな。でもさ、また考えておいてくれよ」
「……」
ミカサは軽く頷く。ジャンは「よっしゃー」と言って小躍りしていた。
(それにしてもミカサ、暗いなぁ……)
ミーナはそんな事を思った。もともとミカサは無口なのだが、
(なにか思い詰めたりして……、そ、そんな事ないよね)
ミーナはなんとなく嫌な予感がした。
【あとがき】
パラディ王国はフェルレーアと軍事協定を締結することになりました。また技術検証艦としてリコの空挺兵団は飛行船一隻を借り受けることになります。空挺兵団構想がようやく実現することになります。
本文にもあるとおり、パラディ王国(壁内世界)は初の航空戦力を保有することに……。写真など海外の新技術は山盛り沢山です。
104期生達も登場。
なお侯爵家の面々(ペトラ・アルミン・クリスタ・ミカサ)はリタから記憶転送を受けており、外国語(フェルレーア語・マーレ語)は日常会話レベルまで話せます。