アズールレーン ─メイドインアビス─ 作:志生野柱
扉とボンドルドを結ぶ直線を遮る位置に移動しつつ、ビスマルクは小刻みに震える明石を一瞥した。
「どうしたの、明石?」
ビスマルクの問いかけに、明石は扉を警戒しながら答える。
「ついさっきのことにゃ──」
ボンドルドが作り上げた精神感応型能力補助装置“エンゲージリング”は、一先ず試作3号機までが完成とされた。
試作一号機はボンドルドの手元に。試作3号機は改良の余地や不具合などを確認するためのテスターとして残り。試作2号機が量産機の雛型として明石に預けられた。
指輪の収められた箱は、普段から小型試作品の輸送に使われる武骨な保護ケースだ。
重桜や鉄血であれば日常的に見るそれを大事そうに抱え、明石は意気揚々と工廠への道を進んでいた。
「にゃー。やっぱり指揮官は天才にゃ。汎用素材だけでこんなものを作っちゃうなんて・・・」
セイレーン素材すら使わない、純然たるリュウコツ技術産の指輪は、原価をダイヤ換算で約200個相当。
だが、
「商売に興味がないのが残念にゃ・・・」
口ではそう言いながらも、明石の顔には喜色しかない。
ボンドルドが無関心でも、明石の手にかかれば多大なる利益を生むことが可能だ。その利益を元手にボンドルドが研究を進め、さらにそれを商売に使う。素晴らしきループだ。
明石の商才は誰もが認めるところであり、その影響はレッドアクシズのみに留まらない。
そんな彼女が意気揚々と歩いていれば、気になるのが当然だ。
「随分と上機嫌ね、明石?」
「普段通りにゃー」
背後からの声に適当に答える。こういう時の明石ならこれが「普段通り」だし、特段気分を害することも、それ以上何かを訊かれることもない。
だが、重桜の顔ぶれは今までとは少し異なっている。
「何を持っているの?」
「これにゃ? 指揮官に貰った指輪──」
さて。明石最大の不幸は何だろうか。
「指輪型の強化装置にゃ」というセリフの途中で、はてこの声は誰だっただろうかと止まったことか。
振り向いた先に、微かな苛立ちと嫉妬を悪戯を思いついた時の笑顔で覆い隠しているオイゲンがいたことか。
或いは──
「へぇ、
その、相槌にしてはやけに大きな声が聞こえる範囲に、赤城、大鳳、愛宕、翔鶴という錚々たる面子がいたことか。
そこまで語り、明石はびくりと身体を跳ねさせた。KAN-SENが誤ってぶつかったくらいではビクともしない強化鋼製の扉が、その材質故の重量を感じさせない勢いで開いたからである。
バタン、というよりズドンと腹の底に響く音を立てた扉の向こうに、幽鬼のごとく立つ人影があった。
「あぁ・・・かぁ・・・しぃ・・・?」
間延びした、もはやおどろおどろしい声を上げるのは、既に一戦交えてきたのか服や髪を乱した赤城だった。
「おやおや、ご機嫌ですね、赤城」
父性すら感じる穏やかさを湛えるボンドルドだが、ゆっくりと立ち上がるその動作を、グローセが肩を押さえて止めた。
黙って腰を落ち着けたボンドルドの両肩に手を置いてから、机の前に回る。
「大鳳もいるのでしょう? 波状攻撃よりも、奇襲よりも、二人で協力した方が勝率は高いわよ?」
金属を軋ませ、唸りを上げる∞型に展開された半生体の超大型艤装。赤城をすら怯ませる威圧感に当てられ、入り口で気配を殺していた大鳳がゆっくりと姿を現した。
その表情に敵意や殺意はなく、それ故にビスマルクが怯えた声を漏らした。
いつも通りの穏やかな微笑を浮かべ、大鳳が扇状の装甲甲板を展開する。
「お優しいですわね、グローセ。0を1にしていただけるなんて」
勝率ゼロと言われた赤城が大鳳を睨むが、反論の余地が無かったのか黙ってグローセに視線を戻す。
「じゃあ、行きましょうか?」
赤城も大鳳も、単純な能力だけを見るのならボンドルドを殺し得るKAN-SENだ。いくらグローセが最上位に君臨する『最強』とはいえ、狭い室内で背後にボンドルドを庇い、傷の一つも付けずに完勝できるかと言うと怪しい。最終的にグローセが立ち二人が沈んでいる確率だけを考えるなら100パーセントだが、ボンドルドが無傷ではない可能性がある選択肢は取れない。赤城にも、大鳳にも、グローセにもだ。
「夕食までには帰ってきてくださいね」
ボンドルドがどこか気の抜ける見送りをした。
3人が買い物にでも出かけるかのように連れ立って部屋を出てから十数分後、艤装の所々に傷を付けたオイゲンとツェッペリンが入ってきた。ちなみに扉は蝶番が歪んでおり、無理に閉じると二度と開かなくなることが容易に予想されたので開けっ放しだ。
「・・・あぁ、成程。お疲れさまでした、二人とも」
合点がいった、というように手を叩き、ボンドルドが歩み寄る。
何を、と考え、ビスマルクもすぐに思い至った。
「明石を守ってくれたんですね。ありがとうございます」
明石は練度100のKAN-SENだが、工作艦という特殊な艦種ゆえ、直接戦闘能力では同練度帯より幾らか劣る。それが大鳳や赤城といった強大な戦闘能力を持ったKAN-SENから、いくら全力で逃げたとはいえ逃げ切れるものか。その答えが、防御面に秀でたオイゲンとグラーフの負傷だ。
「我は巻き込まれただけなのだがな・・・」
「あら、じゃあ見捨ててくれても良かったのよ?」
この世全てに憎悪を向けておきながら、あと一歩振り切れないグラーフの性格は、鉄血陣営では周知の事実だ。あれで仲間思いな一面もある。オイゲンは火種を投下した責任感か、或いは思った以上に延焼したゆえの罪悪感からだろう。不本意そうに、或いは飄々と、明石に迫る攻撃や追及を防ぎながら活路を切り開く光景が目に浮かぶ。
「そうもいかん。卿曰く、我らは家族なのだからな」
「丸くなっちゃって」
呆れたように肩を竦めるオイゲンの表情は、むしろ喜色に振れていた。
ボンドルドが指示を出し、二人は修復用のドックへ向かった。
ところで、とビスマルクが提起する。
「あの3人は、何処へ?」
「いつもの・・・あぁ、失礼。君は初めてでしたね」
こちらへ、とボンドルドの先導に従い、研究室を出る。演習海域にでも向かうのかという予想は裏切られ、ボンドルドは施設の屋上へと向かった。
潮風を浴び、快晴の空と輝く陽光に目を細め──すぐに、視界の端に映るモノに瞠目した。
「しきか──」
「あそこですよ、ビスマルク」
守る位置に移動したビスマルクの警戒に苦笑し、ボンドルドはそれを指向する。
重桜領海内に突如として出現した、黒い球体。遠近感の掴みにくいそれは、ビスマルクのよく知る気配ながら、完全に未知の様相だった。
「鏡面、海域・・・?」
「えぇ。私の知る限りにおいて、最強の隠蔽・遮断率を持つ鏡面海域です」
ボンドルドは語る。
ゼロ質量のメタマテリアルを含むあらゆる質量体、存在と非存在の中間に位置する認識体──つまり、非顕現状態の艤装やKAN-SENの意識、そして光を含むあらゆる電磁波を遮断する、最強の鏡面海域。内部から外部、そして外部から内部への一切の干渉は不可能であり、鏡面海域をどうにかしない限り、入ることも出ることも叶わない。
しかし、内部には外界と同等の環境が──つまり、何故か外界の天候に従った陽光が差し、外界の天候通りに風が吹き海が荒れ、重量に変化はないという。
それは、いわば同位の別世界である。
「3人は、あそこに・・・?」
「いつもの事ですよ。心配はいりません」