アズールレーン ─メイドインアビス─ 作:志生野柱
些細なトラブルはあったものの、北連が誇る北極海方面最後にして最強の砦、アルハンゲリスク軍港へと到着する。
アルハンゲリスクは年平均気温がマイナス2度ほどで、ここならばKAN-SENは不具合を生じる心配もない。当然の権利のように平均気温が零下なのは、まぁ、北連の名物とでも思うしかないだろう。
「いい町ですね」
「え? そ、そうか?」
つい先ほど見たものをもう忘れたわけではあるまい、と、予想外の言葉を紡いだボンドルドに北連艦の戸惑った視線が向けられる。
沿岸部だというのにセイレーンに怯えることもなく、堤防や海岸線にまで人々が姿を見せるというのは、この時代にはかなり珍しい光景だ。
鉄血や重桜のようにサーフィンや海水浴に興じる方が異常なのであって、普通は海に棲まう侵略者を恐れて忌避するはずなのだが。
「人々が海を見られる都市は、つまり、KAN-SENによる守護がセイレーンの恐怖を払拭した都市なのですよ」
人類陣営で唯一と言っていい「平和な国」を作り上げた男にそう言われて悪い気はしない。
ボンドルドによる徹底的な自陣営保護策によって、鉄血陣営の民はセイレーンの脅威を殆ど知らない。勿論、平和が如何に尊く脆いものかを知ろうとせず、安易に現状への不満をボンドルドやKAN-SENに向ければ、平和の維持者は即座に彼らを切り捨てるのだが。
「彼らの自由は、君たちの献身が作り上げたのです。もっと誇っても良いのではありませんか?」
誰かの自由は誰かの不自由で成立しているとはよく言われるが、その意識は人類にはないだろう。KAN-SENは兵器であり、人類の自由を守るために存在するモノだからだ。
少なくとも、人類側はそう認識している。それが如何に愚かしいことかを自覚しないままに。
「・・・黎明卿、貴殿は──」
ロシアが何か言おうと口を開くが、通信が入ったらしく、一言断ってから無線機を取り出した。
「失礼、通信だ。──こちら第一艦隊、どうした?」
『ちょっと! どうして同志ちゃ──じゃなくて、黎明卿が付いて来てるのよ!?』
爆音だった。ロシア側の設定ミスではなく吹き込まれた音声そのものがキャパシティーを超えているのだと、その音の割れ具合が物語っていた。
「・・・」
ロシアが気まずそうに音量調節ダイアルを回すが、いろいろと手遅れであった。
幸いなことに、レッドアクシズ艦は誰も──ボンドルドへの悪意に過敏な大鳳でさえ、気分を害してはいないようだった。微かな呆れと、どういうわけか同情すら滲ませた視線が無線機に、その奥にいるタシュケントに向けられていた。
そしてボンドルドもまた何故か嬉しそうにしている。
「おや、その声はタシュケントですか? お久しぶりです、お元気そうで嬉しいですよ」
『・・・ねぇ、これ軍事用の一級秘匿回線なんだけど』
「秘匿用プログラムにいくつか穴がありましたよ。後で修正ファイルを送りましょう」
特に専用の端末や機材を持っているようには見えないボンドルドが北連側の軍事回線をハッキングしていた。どころか、修正パッチ制作の目途まで立てている。
いきなり会話に割り込まれたロシアが驚き、ある程度回線の事情に詳しいらしかったチャパエフがドン引きし、事態を上手く呑み込めていないグロズヌイが不思議そうに二人を見ていた。
『あ、そう? ありがと。・・・じゃなくて! なんでここにいるのよ!』
「勿論、君の様子を見に来たんですよ。出撃後、不調を訴えて帰投したと聞いていたので、とても心配していました。さぁ、どうぞ顔を見せてください」
『・・・ちょっと待ってなさい』
ぶつ、ぶち、と、連続する切断音は秘匿用リレー回線に特有のものだ。
どうやら出てくるつもりはあるらしい。
確かに一人不調を訴えて帰投したとは言ったが、それがタシュケントだとまでは言っていなかったはず。と、ロシアとチャパエフが訝し気な視線を向ける。
ボンドルドの悪評は嫌でも耳に入ってくる。タシュケントが拒否感情を持つのも仕方ないだろう。だが、噂だけが彼女の珍しい反応の原因では無いというのは察するに難くない。
タシュケントの反応には驚きや動揺は多分にあったが、恐怖や嫌悪といった悪感情は無かった。何かしらの因縁はあるのだろうが、血腥いものではないだろう。
「とはいえ、ここで立ち話というのもなんです。良ければ、中へ入れて頂けませんか?」
「・・・分かった」
アルハンゲリスク要塞内部は機械化と自動化が徹底されており、人間の姿もKAN-SENの姿もほとんど見かけなかった。
KAN-SENが少ないのはその気候ゆえに艤装や本体の摩耗が激しく、大半のドロップ艦を母国へと送還しているからだろう。そして人間が少ないのは。
「人間が少ないのは、不確定要素や不穏分子を減らすためよ」
「・・・やはり、君の考えた方針ですか? あぁ、その合理性はやはり好ましい」
設備を興味深そうに物色していたボンドルドは、背後からの声にそう応じた。
ゆっくりと振り返り、声の主へと歩み寄る。
「お久しぶりですね。また会えて嬉しいです、タシュケント」
「・・・何しに来たの」
いつも通り穏やかだが親し気なボンドルドとは対照的に、タシュケントは居心地が悪そうだった。ここはむしろタシュケントのホームであるはずなのだが。
「救援要請に対応しに来ました。途中で君に会えるかと思っていたのですが」
「そういうことを聞いてるんじゃ・・・まぁ、いいわ。個室と会議室を用意するから、適当に過ごしなさい」
それだけ言って、タシュケントはまた指令室らしき重厚な扉へと消えていった。
心なしかしょんぼりとした様子のボンドルドを慰めるようにロシアが近付いてくる。
「すまない。普段はもう少し愛想のいい奴なんだが・・・」
「えぇ、存じ上げていますよ。では、とりあえず私の艦隊を個室へ案内して頂けますか?」
「了解した。貴殿はどうする?」
「私は例の要塞の資料を拝見したいですね」
「では、そちらは私が」
名乗り出たチャパエフに従ってボンドルドが別のフロアへ向かう。
何となく6対1の構図に──グロズヌイはスキットルが空だから、と、途中で補充しに食堂へ行った──疎外感を覚えたロシアは、都合よくふと気になっていたことを思い出す。
「そういえば、黎明卿とタシュケントは知り合いだったのか?」
「・・・えぇ。彼女は昔、ボウヤの指揮下に居たことがあるのよ」
誰にともなく投げた問いだったが、一番近くにいたグローセが応えてくれた。しかし、それ以上の情報を明かす気はないのか、言葉はそこで終わってしまった。
本人に聞け、という意図を察し、もっともだとロシアも黙る。
一度会話が生まれると沈黙はそれまで以上に刺さるもので、どことなく重くなった空気から脱しようと、ロシアは居住区への道を急いだ。