アズールレーン ─メイドインアビス─ 作:志生野柱
柔らかなベッド、温かい風呂、豪華な食事。
この2週間、シグニットは平穏と幸福を一心に享受していた。
「はむはむ・・・えへへ、幸せ・・・。」
テーブルに並んだ料理を頬張り、表情を緩ませるシグニット。
鉄血に保護されてから二週間が経とうとしているが、その光景は他のKAN-SENにとって珍しいものなのだろう。時折シグニットのテーブルを訪れては話しかけてくれる。
中でも同じ駆逐艦のZ23と、彼女と仲のいいプリンツ・オイゲンとは良く話すようになっていた。
正面に掛け、頬杖を付いたオイゲンが呆れ交じりに微笑する。
「本当に幸せそうに食べるわね・・・。」
「だ、だって、ここのお料理ってどれも美味しいから・・・オイゲンさんたちは食べないの?」
Z23とオイゲンは顔を見合わせ、微笑みを少し気まずそうに崩した。
「私たちはセイレーンの因子を取り込んでいるから、調整されたレーション類が一番合うのよ。」
見回せば、大きな消しゴムのようなレーションを食べながら談笑するKAN-SENたちが目に入る。
ここに来た時はシグニットもコレかと落ち込んだものだが、黎明卿が「申し訳ありませんが、これは彼女たち専用です。勿論、貴女にも専用の食事をご用意しますよ」と言って出てきた食事が今のものだ。
あらゆる肯定的な形容詞が当てはまる食事、といえば良いのだろうか。栄養価も考えられているのか、食べるだけで力が湧いてくるような気さえする。
食べたことのない肉に、見慣れないソース。少し舌が痺れるような辛い味付けは鉄血特有のものだろうか。
「そ、そうなんだ・・・しきか──黎明卿に言ったら、美味しいレーションとか、調整された食事とか、作ってくれるかな?」
「指揮官なら可能でしょうけど・・・忙しい人ですからね。あまり手を煩わせるわけにも。」
シグニットの気遣いを含んだ呟きを、Z23が笑いながらも否定する。
そっか、と落ち込んだ様子のシグニットに、Z23は少し慌てた様子で話題を逸らす。
「そ、そういえば、今日の何時からでしたっけ、シグニットさんの進退決定。」
「16時からだから・・・あと3時間くらい。」
ボンドルドがシグニットに与えた選択肢は二つ。
一つ、ロイヤル陣営への復帰。
もう一つは、この鉄血陣営への帰属。
まだ正式に鉄血陣営に所属しているわけではないシグニットに、ボンドルドを『指揮官』と呼ぶことは許されなかった。具体的に言うと、ビスマルクやオイゲンが少し不機嫌になる。
「そう。・・・まぁ、どちらを選んでも、彼に敵対しない限り、貴女は私たちの友人よ。」
「オイゲン、それだとシグニットが出て行っちゃうみたいですよ。」
「そうかしら? ・・・そろそろ昼の演習ね。行くわよ、Z23。」
シグニットが食べ終わったのを見て、二人も席を立った。
レーションだと一緒に食べづらくて悲しいと思っていたが、そうでもないらしい。
食堂を去るシグニットの足取りは軽やかだった。
◇
「ではシグニット、これからもよろしくお願いします。共に、この碧き航路を守りましょう。」
結局、というか大多数のKAN-SENが予想した通り、シグニットはボンドルドの手を取った。
ではこれに記入を、とビスマルクが差し出したのは、状態報告書。演習の終わりや出撃帰投後に記入するはずのレポートだった。
「? ・・・ぇっと、どうしてですか?」
「初期状態を知らないことには、私たちも貴女をどう運用するか、どう訓練するかを決定しかねるもの。」
ビスマルクの答えになるほどと頷き、シグニットはペンを走らせる。しかし、手はすぐに止まった。
「あ、あの、練度を確認しても・・・?」
「えぇ、構わないけど・・・この2週間、出撃も演習もしていないわよね?」
「え、えっと・・・なんとなく、です。ほら、うちセイレーンにも襲われたし・・・」
ビスマルクはそれ以上追及することなく、シグニットに艤装の展開を許可した。
艤装を展開した状態のKAN-SENは、自分の状態をほぼ完璧に把握できるからだ。
「や、やっぱり・・・あ、あの、指揮官、うち・・・」
練度が上がっていた。のみならず、火力や装填速度と言った各種パラメータも、同練度帯と比べて異常に発達している。
まるで覚えのない強化を報告しようと口を開くが、シグニットは躊躇った。
(なんて言えばいいの? 出撃した覚えもないけど強くなっていました? い、言えないよ・・・絶対変だと思われるよ・・・)
「どうしましたか、シグニット?」
「い、いえ、その・・・なんでもない・・・」
「ふえぇぇぇぇ・・・どうしよう、どうしよう・・・」
施錠済みドア。施錠済みドア。施錠済みドア。
KAN-SENが誤ってぶつかったくらいでは壊れない強化鋼板製のドアが、おそらく同素材のチェーンと鍵で閉じられている。
執務室を後にして以来、「やっぱりあそこで言っておくべきだったよね・・・でも・・・」と悶々としながら歩くこと15分。気付けば見知らぬ場所にいた。
おそらく進入禁止が言い渡されていたいくつかの棟の一つなのだろうが、それが分かったところで道は分からない。
「・・・ぅん?」
遠く、廊下に光るものが落ちているのが見えた。
傷どころかシミ一つない、という形容が文字通り当てはまるほど清潔にされている『前線基地』だけあって、とても目立っている。
「なんだろう、これ・・・クリップ?」
鉄十字の飾りがついたゼムクリップだ。誰かの書類から落ちたものだろうと思い、シグニットはそれをポケットに仕舞う。
辺りを見回せば、曲がり角からちらりと見える白いもの。案の定、誰かが書類を落としていた。
(よかった。これと一緒に落とし主を探して・・・ついでに道も聞いちゃおっと。)
書類を拾い上げるとき、内容に自分の名前を見つけるシグニット。
見るつもりは無かったが、たまたま目に入ったものが興味を誘う。
(これ・・・ぇ?)
ヘッダーにはKAN-SENによる摂食強化と練度上昇について、フッターには6と打たれており、クリップで止められていたものだと分かる。
摂食といえばシグニットに思い当たるのは、鉄血のKAN-SEN達が食べていたレーションだ。やっぱり特殊なものだったんだ、と興味をそそられ、シグニットは読み進める。
それは明確な間違いだった。
「え? え? なにこれ・・・?」
実験記録。その認識に間違いはない。
だが───実験対象は鉄血のKAN-SENではなかった。
「う、うちの名前・・・コメットの名前もある・・・これ、死・・・?」
特別な食事。力が湧いてくるような感覚───覚えのない練度上昇。
急に足場を失ったような感覚に陥ったシグニットは、背後から肩を叩かれるまで立ち尽くしていた。
「そこ、邪魔なんだけど。」
「ぅわぁっ!?」
「・・・騒がしい。どうしたの? ぼーっと立っていたけれど。」
シグニットが飛び上がるのを、うるさいな、とでも言いたげな目で見つめるKAN-SEN。
ボディラインの出る水着のような服装は、潜水艦に特有のものだ。
「え、えっと、うちは・・・あ、あなたは・・・?」
「U-47よ。貴女、保護されたっていうシグニットでしょう? この棟は立ち入り禁止よ。」
咄嗟に隠した書類は見られていなかったようで、シグニットは安堵しつつ迷った旨を伝えた。
「そう。・・・ここ、結構複雑だから。」
付いて来い、という意図を感じて、踵を返したU-47の後ろに慌てて続くシグニット。
(この書類のこと・・・誰かに相談しなきゃだよね・・・でも誰に?)
眼前の潜水艦? 駄目だ。進入禁止棟で実験記録を
シグニットの脳裏に、二人のKAN-SENの姿が浮かぶ。
(そうだ・・・Z23とオイゲンさんなら・・・えっと、二人は確か)
「あの、演習場ってどこですか?」
「寮舎じゃなくて?」
「え、えっと・・・」
「まぁいいわ。こっち。」
U-47は特に不審に感じた様子もなく、快く───というにはやや無愛想だが、シグニットを案内してくれた。