「……、」
誰もいない学院の屋上で、システィーナは一人、まるで恐ろしい物を見て腰が抜けたように座り込んでいた。
「……先生」
死んだ魚のような眼で、呆然と呟く。
レオスを名乗る何者かに倒され、屋上から落とされたグレン。その後を追うこともせず、彼女は一人座っている。
『グレン先生に助けを求めるのなら、明日の決闘を待つといいですよ』
レオスを語る人物はそう言って、屋上から去っていった。
だが、グレンが決闘に現れるとは思えない。そもそも、生きているかも分から――
「――そんなことないッ!先生は……先生は――ッ!」
先生ならきっと、最後には何とかしてくれる。今だって、実は生きていて、自分が想像もつかないような手段で、レオス擬きを倒そうとしているかもしれない。
しかし、もしかしたら……あるいは。
「……いや、嫌よ。……先生……ルミア……リィエル……お父様、お母様……誰か……誰でもいいから、助けてよ……!」
悲痛な表情で、涙をボロボロと流しながら、届かないと分かっていながら助けを求めるシスティーナ。
「ああああああああああああああ!!!ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
誰にも聞かれないのをいいことに、ただ泣き叫び続けるシスティーナ。
どれだけの間そうしていたかは分からない。だが、システィーナの涙が枯れた時、彼女の目には、僅かながらの光があった。
「……例え先生がいなくても……ルミアを……リィエルを……傷つけさせない……ッ!」
助けは来ない。それ以前に、危険に晒されている友達がいるのだ。自分は、そんな人たちを守りたくて、グレンに教えを乞うたのではないのか?
そう自分を鼓舞して、弱々しくも立ち上がるシスティーナ。
「先生……!」
それでも、悲しい物は悲しい。どうして、グレンが死んだしまったと思うだけで、これほどまで胸が締め付けられるのか分からない。
リィエルにルミアを連れ去られた時も、ここまでの痛みはなかった。その理由を、答えを知る日は……もう来ないかもしれない。
それでも、守る。抗う。
「……怖くてもいい。泣いたっていい。たとえお爺様との約束を破ることになっても、守るの……!絶対に――ッ!」
その決意とともに、屋上から立ち去ろうとしたシスティーナ。すると、何かを踏みつける感覚が足にあった。
「?」
疑問に思ったシスティーナが足を退けると
「先生の……『愚者のアルカナ』……?」
システィーナはそれを無言で拾い上げ
「先生……ッ!」
枯れたと思っていた涙を、再び流すのだった。
システィーナは屋上を後にし、自宅であるフィーベル邸へと帰宅すると
「あ、お帰りシスティ!」
ルミアが笑顔で出迎えてくれた。
「どうだった?先生としっかり話せた?」
そういえば、と。システィーナは思い出した。ルミアが気を使って、グレンと話すようにシスティーナに助言したことを。
彼女には本当に悪いことをしたな。と、システィーナは内心謝罪する。
「……うん」
「そう。よかった……!」
心底嬉しそうに、ルミアはほっと息を吐く。
「ルミア……話があるの」
「なに?システィ」
目の前の友人を守る。その思いとともに、システィーナは告げた。
「私、レオスと結婚するの」
「……………え?」
瞬間、ルミアの表情が凍り付いた。
訳が分からない。
心が、理解を拒んでいる。
友人であるシスティーナが、彼女が自分でも気づかずに思い続けるグレンと喧嘩一歩手前まで仲が悪くなってしまった。
その仲を回復させるために、友人を送り出したつもりだった。
「……ど……いう……こと?」
「そのままよ。私、レオスと結婚するの」
「……ち、ちょっと待ってよシスティ!それってどういう……先生は⁉先生とはちゃんと話したんだよね⁉」
「……先生は関係ないわ。私が決めた事だもの」
「そんな……!」
意味が分からない。何が悪かったのだろうか。
「そ、それじゃ……お爺様との約束は⁉『メルガリウスの天空城』の謎を解くって、約束したんでしょ⁉」
彼女の尊敬する祖父をダシにするようで申し訳ないが、なり振りなど構っていられない。
彼女の考えを改めてもらわないと。このままじゃ、取り返しのつかないことになる。
そんな、絶望的な予感が、ルミアにはあった。
「……もういいの」
「え……?」
しかし、システィーナは聞き入れない。その後、ルミアは本当に、あらゆる手を使ってでも、システィーナを止めようとした。
だが、システィーナはレオスと結婚するの一点張りで、ルミアは思った。もう無理だと。
だから、グレンに助けを求めた。
「先生!お願いします!開けてください!」
ルミアは大急ぎで、明かりも持たずに、グレンの住む家に走っていった。
グレンの家についた彼女は、何度も扉を叩き、グレンを呼ぶ。
「……お願い……します……!」
しかし、何度呼び掛けても、グレンは出てこなかった。
「?」
すると、ルミアは家の扉に鍵が掛かっていないことに気づいた。
「……、」
ルミアは無言で家の中に入り、家中を駆け回ってグレンを探す。
不法侵入をしているとか、そういったことは、彼女の頭には無かった。
「……いない」
家の中にグレンはいなかった。
ルミアは思う。こんなに夜遅くにも帰っていないのはおかしい。何か理由があるはずだ。
再びフィーベル邸に戻ったルミアは、システィーナの扉を勢いよく開け、彼女に問いただす。
「システィ!本当に何があったの⁉」
「……どういう意味よ」
「先生、家にいなかったよ」
「!……、」
「先生がいない理由……システィは知っているんじゃないの?教えて、先生とレオスさんと、何があったの⁉」
「……何もないわよ」
「嘘。何もないなら、レオスさんと結婚するなんて言わないもん!」
ルミアは知っていた。システィーナが誰を思っているのか。自分自身ですら気づかない、秘めた心を。
「うるさい!もう私に構わないで!」
だが、システィーナは取り合おうとせず、ルミアに怒鳴って部屋から追い出した。
「……大丈夫ルミア?」
「……リィエル。……うん、大丈夫だよ?」
「そう……?」
心配そうに顔を覗き込んでくるリィエルに、ルミアは微笑みかける。
そして、自室に戻ったルミア。
「……どう……して……?」
自分がいけなかったのだろうか。自分の存在が、システィーナ達を不幸にしたのか。
お義父様やお義母様に頼ることはできない。二人とも、今はとある事件を追って帝都に出張中だ。グレンの親代わりであるセリカも、現在は学院の地下迷宮を探索していて連絡が取れない。
ルミアは、何もできない自分に、そして今起きている最悪の状況に、一人自室で涙を流した。
翌日。決闘の日がやってきた。
「……、」
「楽しみですねシスティーナ。果たしてグレン先生は時間通りに来るのでしょうか?」
白々しい。自分がグレンをボロボロにしたくせに。そう思い、システィーナはレオスを睨みつける。しかし、当の本人はどこ吹く風だ。
「……時間だ」
審判をする予定だったハーレイが、失望したように告げる。
時間になっても来ない。グレンなら多少の遅刻もあり得るかもしれない、と。成り行きを見守っていた二組の生徒たちは、もう少し待つよう進言した。
しかし、三十分、一時間、二時間、と。どれだけ経っても、グレンは姿を現さない。
「……ここまでだ。グレン=レーダスは時間通りに来なかったため、今回の決闘は、レオス先生の不戦勝とする」
「……、」
「残念です。あれだけ自信満々だったのに、逃げ出すなんて」
システィーナは無言で、レオスがやれやれと言った調子で呟く。
「さて、システィーナ。私と、結婚してください」
レオスがその場で、システィーナに求婚した。
受けるはずがない。二組はそう思っていた。彼女が生粋のメルガリアン……所謂、『メルガリウスの天空城』の謎を追うものであることは、生徒たちはよく知っている。
「はい、喜んで」
そんな予想に反して、システィーナは笑顔でレオスの求婚を受け入れた。これには、二組どころか、それ以外の全生徒が騒然とした。
その後、結婚式の招待状が、二組の生徒たちに配られた。式は一週間後。しかし、システィーナ達の両親は参列しないそうだ。
学院はこの急展開でもちきり。一部の生徒は、レオスがシスティーナのものになるのを快く思わないものも多く、グレンに対する愚痴をこぼしていた。
だが、グレンは決闘に顔を出さないどころか、その日から学院に来なくなったのだ。
「システィーナ!」
彼女の結婚に納得のいかない二組の生徒たちは、システィーナに直接問いただそうとする。
「貴女、結婚って本気ですの⁉魔導考古学を極めるっていう志はどうなったんですの⁉」
「あれは単なる夢だっただけ。現実を見ようと思って……」
おかしい、と。二組の生徒たちは思った。彼女が己の夢をそんな簡単にあきらめるはずがない。
それに、彼女がレオスといるとき、確かに笑顔を見せるが、その表情に陰りがあるのを、彼らは見逃してはいなかった。
「ルミア!親友が突然こんなことになってあなたは納得しているんですの⁉」
「それは……」
ルミアとて、なにもしなかった訳ではない。だが、どうにも出来なかった。その結果だけが、残ってしまった。
「やぁ、システィーナ。式の打ち合わせがあります。お時間よろしいですか?」
「……えぇ。勿論よ」
突如、レオスがシスティーナのもとまでやってきて、彼女を連れて行った。システィーナは笑顔を見せるが、やはりぎこちない、作り笑いだった。
「くそっ!俺達じゃ、どうにも出来ないのかよ……ッ!」
そんな様子を見ていたカッシュが、悔しそうに叫ぶ。
「うるさいな。元々許嫁だったんだし、そう騒ぐことはないだろう」
そんなカッシュに、ギイブルは冷たく答える。
「それより、グレン先生が決闘に来ないなんて、正直失望したよ」
「な……ッ!ギイブル、お前――ッ!」
しかし、事実だ。グレンが決闘に来てレオスを倒せば、こんなことにはならなかった。それを理解しているからこそ、カッシュはギイブルを責めきれない。
「先生……なんで来なかったんだよ……!」
そんなカッシュの呟きに、二組の生徒たちは俯くだけだった。
「ルミア」
システィーナとレオスが共に去っていく姿を眺めていたリィエルが、突如ルミアを呼ぶ。
「アイツ切っていい?……よく分からないけど、アイツは……きっと、敵!」
「駄目!」
感情のまま突っ走ろうとするリィエルを、ルミアが慌てて引き止める。
「でも……!」
感情の機微に疎いリィエルでも、システィーナが辛い思いをしているというのは……いや、むしろリィエルだからこそ、感じ取れた。
「……もう少しだけ待ってあげて……きっと先生が……」
「でも、グレン……あれから一度も姿を見せてない。連絡もしないで」
「……、」
あれからルミアは、何度もグレンの家を訪れたが、一度もグレンに会うことはなかった。
「大丈夫……信じて待とう……」
「……ん」
そういって、ルミアはリィエルに微笑んだ。
え、重い?知るか。